オーディオ機器を選ぶということ(その1)
天秤の左右の計量皿の上に何が乗っているのか。
一方は「知」、他方には「情」か。
いつの時代も、つねにバランスがとれているわけじゃない。
10代、20代前半のときは、どちらに大きく傾くことも多いような気もする。
齢を重ねることで、「知」も「情」もともに大きくなり、
徐々にではあるが、左右どちからに大きく傾くことは少なくなり、
ブレもなくなることが、人としての成長なのだろうか。
はたまた片方には「憧れ」が、他方には「必要」が乗っているのかもしれない。
「憧れ」が必ずしも、心が真に求めるものではないことは多い。
心に惑わされるのか、心が惑わされるのか、は、わからない。
別の棒に吊り下げられている皿には、「正統」と「異端」が、というように、
その人の内にある天秤には、ひとつの棒と左右ふたつの皿だけではなく、
いくつもの棒が乗っており、それぞれの皿には、なにがしかが乗っている。
齢とともに棒が増えていくのか、それとも外していけるのか。
人間関係やその人の周りを取り囲む、いくつもの情勢によっても天秤は、
時に大きく揺れることもあるだろう。
そんな揺れを完全に無視して、オーディオ機器を選択できる人がいようか。
仮に、そんな人がいたとして、その人と、オーディオの何を、どう語れるというのだろうか。
天秤の揺れのなかで、
心底、惚れ込めるオーディオ機器(これは、もうスピーカーと言い換えてもいいだろう)と出合えるまで、
経済状況が許すなら、そう場合によってはそれすらも無視して買い替えていくことを、
まわりの誰も、とやかく言うことはできない。そうではないのか。
肝心なのは支点がブレないことだ。
オーディオ機器を頻繁に買い替える人に対し、眉を顰める人、批判的な口調の人がいる。
否定的でなくとも、「変るのが、あの人の個性だ」と捉えるかもしれない。
実は変っていない。支点がしっかりしているから、ただ揺れているだけなのを見て、
人は「変っていく」と捉えるだけではないのか。