Archive for 9月, 2008

Date: 9月 15th, 2008
Cate: KEF, 現代スピーカー

現代スピーカー考(その1)

1年ほど前だったと思うが、ある掲示板で
「現代スピーカーの始まりはどこからか」というタイトルで語られていたのを、ちらっと読んだことがある。 

この問掛けをした人は、ウィルソン・オーディオのスピーカーだ、という。
コメントを寄せている人の中には、B&Wのマトリックス801という人もいたし、
その他のメーカー、スピーカーの型番をあげる人もいた。 

挙げられたスピーカーの型番は、
ほぼすべて1980年代の終わりから90年にかけて登場したものばかりで、
ここにコメントしている人たちは、私よりも10歳くらい若い世代か、さらにその下の世代かもと思っていたら、
大半の方が私よりも二、三歳上なので、驚いた。

もっと驚いたのは、誰一人、現代スピーカーの定義を行なわないまま、
スピーカーの型番を挙げ、その理由というよりも、私的感想を述べているだけなことだ。 

特定の人しか読めないようになっている内輪だけの場や、
酒を飲みながら、あれが好きだとかこれはちょっと……と語り合うのは、くだらなさを伴いながらも楽しいし、
そのことに、外野の私は、何も言わない。 

けれど不特定の人がアクセスする場で、
少なくとも「現代スピーカーはここから始まった」というテーマで語り合うにしては、
すこし幼すぎないだろうか。 

話をもどそう。
現代スピーカーは、KEFからはじまった、と私は考える。

Date: 9月 14th, 2008
Cate: 4345, 瀬川冬樹

4345につながれていたのは(その1)

瀬川先生の終の住み処となった中目黒のマンションでのメインスピーカーは、JBLの4345。
アナログプレーヤーは、パイオニア・エクスクルーシヴP3を使われていた。
アンプは、マーク・レビンソンのペアだと思っていた。
ML7Lのことも高く評価されていた(ただし、これだけでは満足できないとも書かれていたけど)し、
パワーアンプは、やはりレビンソンのML2Lだと、そう思いこんでいた。

けれど、昨年11月の瀬川先生の27回忌の集まりの時に、
当時サンスイのAさんの話では、アキュフェーズのC240とM100の組合せだった、とのこと。
たしかにステレオサウンドに掲載されたM100の新製品のページは瀬川先生が書かれていたし、
そうとう高い評価以上に、その文章からは音楽に浸りきっておられる感じが伝わってきた、と記憶している。
C240もお気に入りだったらしいから、この組合せで鳴る4345の音と、
ステレオサウンドの記事で、世田谷のリスニングルームで行なわれた、
オール・マークレビンソン(ML2L、6台)で鳴っていた4343とは、もう別世界だろう。

4343と4345の鳴り方の違い、マークレビンソンのアンプとアキュフェーズのアンプの音の違い、
それから世田谷で使われていたEMT927Dstとマイクロの糸ドライブ、
それらとエクスクルーシヴP3の性格の違い、
この時期のステレオサウンドの新製品の記事、
SMEの3012R、JBLの4345、アキュフェーズのM100を記憶の中から呼び起こす。

そこに共通するものを感じるのは私だけだろうか。

Date: 9月 14th, 2008
Cate: ワイドレンジ

スーパートゥイーターに関して

ちょっとしたブームの感もあったスーパートゥイーターの増設。
低域のレンジ拡大に比べると、手軽な印象のある高域のレンジ拡大だが、
スーパートゥイーターの導入で、すこし書きたいことがある。

スピーカー・エンクロージュアの天板は、音にかなり影響する。
大半のスピーカーでは、天板の面積は、他のフロントバッフルや側面にくらべて小さい。
しかも聴取位置から、背の高いスピーカーだと死角になっているにもかかわらず、
天板の鳴りをちょっと変えると、すぐさま音の変化としてあらわれる。

ためしに何でもいいので、天板の上に乗せてみて聴いてみてほしい。
もちろんそのとき、左右のスピーカーの天板に置くものは同一で、同じ場所に置く。
やわらかいもの、硬いもの、重いもの、軽いもの、
それらをどこに置くかで天板の鳴り(振動モード)が変化する。

スーパートゥイーターを導入される方の多くは、メインスピーカーの天板に置かれるだろう。
このとき、スーパートゥイーターを接続せずに、
天板に上に置き、置いた音と置く前の音をしっかり確認してほしい。
それからスーパートゥイーターの位置をあれこれ変えてみる。
その音の違いに驚かれる人もいるだろう。

それらの確認をした上でスーパートゥイーターを接続してほしい。

スーパートゥイーターを天板に置くことで、
天板の鳴りを変化させていることに気づいてほしいから、である。

それから、スーパートゥイーターの磁気回路から出ている漏洩磁束が、
メインスピーカーのスピーカーユニットの磁気回路に影響を与えてもいる。
もちろん、反対にメインスヒーカーのユニットの漏洩磁束が、スーパートゥイーターにも影響している。

音は、このように複数の要素が絡み合って、変化していく。

Date: 9月 14th, 2008
Cate: D44000 Paragon, JBL

パラゴンの形態(その1)

パラゴンの形態は、当時のステレオ録音が左右チャンネルに音を振り分けすぎていたのを
再生側で融合させるため、という説明が昔からある。
けれども1957年に登場したパラゴンの開発には、10年以上の歳月が要した、とのこと。 
10年以上が、12年なのか、15年なのかは不明だが、なんにしても、1940年代はモノーラル。
モノーラルLPの登場が1948年だから。
となると、いったいなぜ、パラゴンの形態は生れたのか。 

パラゴンは、よく知られるようにJBLとリチャード・レンジャー大佐との共同開発。
レンジャー大佐はアカデミー賞受賞者でもある。 

たったこれだけのことから勝手に推測するに、
1940年にベル・ラボラトリーが公開した、ストコフスキー指揮フィラデルフィア管弦楽団による、
映画フィルムのサウンドトラックを利用した3チャンネルのステレオ録音・再生が、
パラゴンを生むことにつながっているのではないだろうか。 

レンジャー大佐は、このとき(もしくはその後)に、
アカデミー賞受賞者だけに、ステレオ録音・再生に触れていた可能性は高いと思う。
そして3チャンネル・ステレオを、ミニマムの2チャンネルで再生するにはどうしたらいいのか、
その解答が、パラゴンの形態だとしても不思議ではないような気がする。

Date: 9月 13th, 2008
Cate: 4343, JBL, 五味康祐, 瀬川冬樹

五味先生とJBL

五味先生のJBL嫌いは有名である。
ステレオサウンド刊の「オーディオ巡礼」に収められている「マタイ受難曲」の中では、こう書かれている。 
     ※
たとえばJ・B・ランシングの〝パラゴン〟の音である。知人宅にこいつがあって、行く度に聴くのだが、どうにも好きになれない。あげくには、パラゴンを愛聴する彼と絶交したくさえなってきた。誰が何と言おうと、それは、ジャズを聴くにはふさわしいがクラシカル音楽を鑑賞するスピーカー・エンクロージァとは、私には思えないし、モーツァルトの美がそこからきこえてくるのを聴いたためしがない。私の耳には、ない。知人は一人娘の主治医でもあるので、余計、始末がわるいのだが──世間では名医と評判が高いから娘のからだはまかせているけれど──こちらが大病を患っても、彼には診てもらいたくないとパラゴンを聴くたびに思うようになった。 
まあそれぐらいジムランの音色を私は好まぬ人間である。 
     ※
ここまで書かれている。パラゴンとメトロゴンの違いはあるけれど、
五味先生はパラゴンの姉妹機メトロゴンを所有されていた。しかも手放されることなく、である。 

五味先生がメトロゴンについて書かれていたのは見たことがない。
けれど、数カ月前、ステレオサウンドから出た「往年の真空管アンプ大研究」の272ページの写真をみてほしい。
「浄」の書の下にメトロゴンが置いてあるのに気がつかれるはずだ。

ことあるごとにJBLを毛嫌いされていた。
けれど、新潮社刊「人間の死にざま」に、ステレオサウンドの試聴室で、
4343を聴かれたときのことが載っている。
     ※
原価で総額二百五十万円程度の装置ということになるが、現在、ピアノを聴くにこれはもっとも好ましい組合せと社長(注:ステレオサウンドの、当時の原田社長、現会長)がいうので、聴いてみたわけである。なるほど、まことにうまい具合に鳴ってくれる。白状するが、拙宅の〝オートグラフ〟では到底、こう鮮明に響かない。私は感服した。 
(中略)〝4343〟は、同じJBLでも最近評判のいい製品で、ピアノを聴いた感じも従来の〝パラゴン〟あたりより数等、倍音が抜けきり──妙な言い方だが──いい余韻を響かせていた。(中略)楽器の余韻は、空気中を楽器から伝わってきこえるのではなくて、それら微粒子が鋭敏に楽器に感応して音を出す、といったトランジスター特有の欠点──真に静謐な空間を有たぬ不自然さ──を別にすれば、思い切って私もこの装置にかえようかとさえ思った程である。
     ※
おそらく、このころであろう、ステレオサウンドの記事「オーディオ巡礼」で、
奈良在住の南口氏のところで、4350の音を聴かれ、驚かれている。
さらに前になると、瀬川先生のところで、375と蜂の巣を中心とした3ウェイ・システムを聴かれ、
《瀬川氏へも、その文章などで、私は大へん好意を寄せていた。ジムランを私は採らないだけに、瀬川君ならどんなふうに鳴らすのかと余計興味をもったのである。その部屋に招じられて、だが、オヤと思った。一言でいうと、ジムランを聴く人のたたずまいではなかった。どちらかといえばむしろ私と共通な音楽の聴き方をしている人の住居である。部屋そのものは六疂で、狭い。私もむかし同じようにせまい部屋で、生活をきりつめ音楽を聴いたことがあった。(中略)むかしの貧困時代に、どんなに沁みて私は音楽を聴いたろう。思いすごしかもわからないが、そういう私の若い日を瀬川氏の部屋に見出したような気がした。(中略)
ボベスコのヴァイオリンでヘンデルのソナタを私は聴いた。モーツァルトの三番と五番のヴァイオリン協奏曲を聴いた。そしておよそジムラン的でない鳴らせ方を瀬川氏がするのに驚いた。ジムラン的でないとは、奇妙な言い方だが、要するにモノーラル時代の音色を、更にさかのぼってSPで聴きなじんだ音(というより音楽)を、最新のスピーカーとアンプで彼は抽き出そうと努めている。抱きしめてあげたいほどその努力は見ていて切ない。》
とステレオサウンド16号に書かれている。

Mark Levinsonというブランドの特異性(その1)

マークレビンソン(Mark Levinson)というブランドが、 他のオーディオ・ブランドと異なる点は、 
ブランドに、自分の名前をフルネームでつけたことではないだろうか。 

マークレビンソン以前にも、マランツ、マッキントッシュなど 
創立者、中心人物の名前をブランドにしたメーカーはいくつもある。 
けれど、どれもファミリーネームだけで、 創立者のフルネームをそのままブランドにはしていない。 

フルネームをブランドにしたメーカーは、 
マークレビンソン以外にも、JR、JBLなどがあるが、創立者のフルネームのイニシャルどまり。 

最近ではジェフ・ロゥランド・デザイン・グループが、 創立者のフルネームを使っているが、 
これは最初ローランド・リサーチだった。 
それが日本のローランド社からのまぎらわしいとのクレームで、 

日本語表記がロゥランド・リサーチになり、 それでもまだ不十分ということで、 現在の社名になったわけで、 
マークレビンソン(Mark Levinson)とは異なる。 

バウエン製モジュールのLNP2と 自社製モジュールのLNP2の音の違いは、 
このことは大きく関係しているように思えてならない。

Date: 9月 12th, 2008
Cate: 五味康祐

「神を視ている。」

「神を視ている。」──、
これは「天の聲」に収録されている「マタイ受難曲」のなかに出てくる五味康祐氏の言葉である。 

「神を」のあとに、どの言葉を続けるか……。五味先生は「視ている」である。 

五味先生の文章を読んでいて、こちらの心につき刺さってきた言葉はいくつか、というよりもいくつもある。
そのなかで、もっともつよく深く刺さってきたのが、「神を視ている。」 

五味先生について語るとき、「神を視ている。」は、重要な言葉のひとつだといまも思っている。
同時に、素晴らしい言葉だとも思っている。
     ※
われわれはレコードで世界的にもっともすぐれた福音史家の声で、聖書の言葉を今は聞くことが出来、キリストの神性を敬虔な指揮と演奏で享受することができる。その意味では、世界のあらゆる──神を異にする──民族がキリスト教に近づき、死んだどころか、神は甦りの時代に入ったともいえる。リルケをフルトヴェングラーが評した言葉に、リルケは高度に詩的な人間で、いくつかのすばらしい詩を書いた、しかし真の芸術家であれば意識せず、また意識してはならぬ数多のことを知りすぎてしまったというのがある。真意は、これだけの言葉からは窺い得ないが、どうでもいいことを現代人は知りすぎてしまった、キリスト教的神について言葉を費しすぎてしまった、そんな意味にとれないだろうか。もしそうなら、今は西欧人よりわれわれの方が神性を素直に享受しやすい時代になっている、ともいえるだろう。宣教師の言葉ではなく純度の最も高い──それこそ至高の──音楽で、ぼくらは洗礼されるのだから。私の叔父は牧師で、娘はカトリックの学校で成長した。だが讃美歌も碌に知らぬこちらの方が、マタイやヨハネの受難曲を聴こうともしないでいる叔父や娘より、断言する、神を視ている。カール・バルトは、信仰は誰もが持てるものではない、聖霊の働きかけに与った人のみが神をではなく信仰を持てるのだと教えているが、同時に、いかに多くの神学者が神を語ってその神性を喪ってきたかも、テオロギーの歴史を繙いて私は知っている。今、われわれは神をもつことができる。レコードの普及のおかげで。そうでなくて、どうして『マタイ受難曲』を人を聴いたといえるのか。 
     ※
五味先生の裡にあった神とは……。

五味先生の最後の入院のとき、病室に持ち込まれたのは、
クレンペラーとヨッフムのマタイ受難曲。
「自分のお通夜に掛けてほしい」と書かれていた盤である、どちらも。

最期に聴かれたのは、ケンプの弾くベートーヴェンの作品111。

Date: 9月 11th, 2008
Cate: ML2L, 瀬川冬樹

思い出した疑問

1980年のことだから、ずいぶん昔のことだが、そのとき、感じていた、ある疑問を思い出した。
ステレオサウンドの夏号(55号)のベストバイの特集(このころベストバイは夏号だった)で、
各筆者がそれぞれのマイベスト3をあげられている。 

瀬川先生が挙げられたのは、スピーカーはJBLの4343とL150とKEFのローコストモデル303、
コントロールアンプは、マークレビンソンのLNP2LとML6L、それにアキュフェーズのC240。
パワーアンプは、たしかアキュフェーズのP400に、マイケルソン&オースチンTVA1、
それにルボックスのA740だった(と記憶している)。 
プレーヤーはマイクロの糸ドライブ、エクスクルーシヴのP3とEMT930stだ。 

疑問に思っていたのは、パワーアンプのベスト3に、
なぜマークレビンソンのML2Lをあげられていないかだった。 
コントロールアンプではLNP2LとML6Lと、マークレビンソンの製品を2つあげられているし、
価格的に高価なものを除外されているわけでもないにも関わらず、ML2Lがない。 

このとき、以前愛用されていたSAEのMark2500は製造中止になり、
新シリーズに移行していたので、Mark2500がないのはわかる。 

ML2Lがないのはなぜ? 
当時理解できなかったこのことも、いまなら、ぼんやりとだがわかる。

Date: 9月 11th, 2008
Cate: Mark Levinson, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その9)

2005年夏、ある人から、瀬川先生に関する話をきいた。

1981年(亡くなられた年)の春、 スイングジャーナルの組合せの取材でのこと。 
当時スイングジャーナルの編集部にいたその人が、 
取材前に、瀬川先生に組合せに必要な器材をたずねたところ、 
「スピーカーはアルテックの620Bを用意してほしい、 
アンプはマークレビンソンはもういい、 
マイケルソン&オースチンのTVA1とアキュフェーズのC240がいい、 
プレーヤーはエクスクルーシヴのP3を」ということだったとのこと。 

そして取材当日、620Bのレベルコントロールを、大胆に積極的にいじられたりしながら、
最終的に音をまとめ終わり、満足できる音が出たのか、 
「俺がほんとうに好きな音は、こういう音なのかもなぁ……」と 
ぽつりとつぶやかれた、ときいた。 

そのすこし前に使われていたのは、
JBLの4343に、 マークレビンソンのアンプのペア、
そしてアナログプレーヤーは、EMTの927DstかマイクロのRX5000+RY5500(それも二連仕様)。 

JBLの組合せとアルテックの組合せの違い、
表面的な違いではなく、本質に関わってくる違いを、どう受けとめるか。

Date: 9月 10th, 2008
Cate: Mark Levinson, 川崎和男

ずっと心にあったこと

1970年代の後半にオーディオに興味をもち始めた私にとって、 
MLAS(Mark Levinson Audio Systems)を主宰していたマーク・レヴィンソンは、 
ミュージシャンであり、録音エンジニアでもあり、 
そしてひじょうにすぐれたアンプ・エンジニア──、 
憧れであり、スーパースターのような存在でもあり、 
マーク・レヴィンソンに追いつき、追い越せ、が、じつは目標だった。 

LNP2やJC2をこえるアンプを、自分の手でつくり上げる。 
もっと魅力的なアンプをつくりあげる。 
そのために必要なことはすべて自分でやらなければ、 マーク・レヴィンソンは越えられない。 

そう、中学生の私は思い込んでいた、それもかなり強く。

とにかくアンプを設計するためには電子回路の勉強、 
これもはじめたが、一朝一夕にマスターできるものじゃない。 
(中学生の私にも)いますぐカタチになるのは、パネル・フェイスだな、 
かっこいいパネルだったら、なんとかなるんじゃないかと思って、 
夜な夜なアンプのパネルのスケッチを何枚も書いていた時期がある。 

フリーハンドでスケッチ(というよりも落書きにちかい)を描いたり、 
定規とコンパス使って、2分の1サイズに縮小した図を描いたことも。 
横幅19インチのJC2を原寸で描くための紙がなかったもので、 2分の1サイズで描いていたわけだ。 
(とにかく薄型のかっこいいアンプにしたかった) 

「手本」を用意して、いろいろツマミの形や大きさ、数を変えたりしながら、 
中学生の頭で考えつくことは、とにかくやったつもりになっていた。 

1977〜78年、中学3年の1年間、飽きずにやっていた。 
授業中もノートに片隅に描いてた。
けれども……。 

そんなことをやっていたことは、すっかり忘れていた。 
当時はまじめにやっていたのに、きれいさっぱり忘れていた、このことを、 
ある時、ステージ上のスクリーンに映し出されている写真を見て思い出し、 驚いた。 

このときのことは、ここで、すこしふれている。 

1994年の草月ホールでの川崎先生の講演で、 
スクリーンに映し出されたSZ1000を見た時に、
中学時代の、そのことを思い出した。 

あのころの私が「手本」としたアンプのひとつが、そこに映っていたからだ。 
デザインの勉強なんて何もしたことがない中学生が、 
アンプのデザインをしようと思い立っても、なにか手本がないと無理、 
その手本を元にあれこれやれば、きっとかっこよくなるはず、と信じて、 
落書きの域を出ないスケッチを、それこそ何枚と書いていた。

当時、薄型のコントロールアンプ各社から出ていた。
ヤマハのC2、パイオニアのC21、ラックスのCL32などがあったなかで、 
選んだのはオーレックスのSZ1000、そしてもう一機種、同じくオーレックスのSY77。

SZ1000のパネルの横幅は、比較的小さめだったので、 
まずこれを1U・19インチ・サイズにしたらどうなるか。
ツマミの位置と大きさを広告の写真から計算して、
19インチのパネルサイズだと、どの位置になり、どのくらいの径になるのか。 
そんなことから初めて、ツマミの形を変えてみたり、位置をすこしずつずらしてみたり、 
思いつく限りいろんなことをやっても、手本を越えることができない。 

SY77に関しても、同じようなことをやっていた。 
SY77は、オプションのラックハンドルをつけると、 19インチ・サイズになる。
これを薄くすると、どんな感じになるのか、という具合に。 

1年間やっても、カッコよくならない。 
「なぜ? こんなにやっているのに……」と当時は思っていた。 

その答えが、十数年後の、1994年に判明。 
同時に、われながら、中学生にしてはモノを見る目があったな、と、すこしだけ自惚れるとともに、
敗北に似たものを感じたため、やめたことも思い出していた。 

あらためて言うまでもSZ1000もSY77も、川崎先生の手によるデザインだ。

Date: 9月 10th, 2008
Cate: 「かたち」, 川崎和男, 菅野沖彦

「かたち」

菅野先生がときおり引用される釈迦の言葉、
最近ではステレオサウンド167号の巻頭言で引用されている──
「心はかたちを求め、かたちは心をすすめる」。

デザイナーの川崎先生の言葉、 
「いのち、きもち、かたち」。 

このふたつに共通している「かたち」。
オーディオに限らずいろんなことを考える時に、 
この、ふたりの言葉は、私にとってベースになっているといえる。 
いままでは「いのち、きもち」が「心」で、 
それが「私」だと、なんとなく思ってきた……。

けれど「かたち」が加わって、はじめて「私」なんだということに、 4年ほど前に気がついた。 

川崎先生の「いのち、きもち、かたち」をはじめてきいたのが、 
2002年6月だから、2年半かかって気がついたことになる。 

正直に言うと、いままで、なぜ「心はかたちを求める」のかが、 よくわからなかったけど、 
「いのち、きもち、かたち」こそが「私」だとすると、 
「かたちを求める」のところが、自然と納得できる。

そして、よく口にしておきながら、 
これもなぜそうなのかが、よくわからなかった 
「音は人なり」という言葉も、すーっと納得できる。 

そして「音は『かたち』なり」とも言いたい。

Date: 9月 9th, 2008
Cate: 言葉

心に刻みたい言葉(その2)

「人は大事なことから忘れていく」
川崎和男氏の言葉。

だから、私はいまでも五味先生の文章を読み返す。

Date: 9月 9th, 2008
Cate: 言葉

心に刻みたい言葉(その1)

EMIのクラシック部門のプロデュサーだったスミ・ラジ・グラップは、 
「人は孤独なものである。一人で生まれ、一人で死んでいく。 
その孤独な人間にむかって、僕がここにいる、というもの。それが音楽である。」 
と語っている。

心に刻んでおきたい言葉のひとつである。

Date: 9月 9th, 2008
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のスピーカーについて(その1)

菅野先生がお使いのスピーカーは、 
JBLの375+537-500(蜂の巣)を中心としたシステム、 
マッキントッシュのXRT20、 
そして4年前に導入されたジャーマン・フィジックスのDDDユニットを中心としたシステムの3組である。

中高域以上は、JBLはホーン型、XRT20はドーム型の複数使用、 
ジャーマン・フィジックスはウォルッシュ・ドライバー。 
振動板の素材もまったく異る。

JBLはアルミ、ジャーマン・フィジックスはチタンで、同じ金属と言っても、
ジャーマン・フィジックスのチタンはひじょうに薄い膜であり、
指で軽く触ってみると、プニョプニョした感触で、剛性を高めるための金属の採用ではない。

まったく異る型式・方式・素材のスピーカーが三組と受けとめられがちだが、
「中高域の拡散」ということでは、三つとも共通していると、私は考えている。

なぜ菅野先生は、375と組み合せるホーンに、蜂の巣を選択されたのか。 
菅野先生のリスニングルームの壁の仕上げ、
JBLのシステムに数年前から導入さてれているリボン・トゥイーターの理由、 
そして音を聴かせていただくと納得できるのが、 中高域の拡散、ということ。 

なぜ菅野先生は、JBLのトゥイーター075だけでは満足されなかったのか。 
それは高域レンジの問題だけではなく、375と蜂の巣の組合せによる中域の拡散と比べると、 
高域の拡散が不十分と感じられたためではないかと思っている。

Date: 9月 8th, 2008
Cate: よもやま

妄想フィギュア(その1)

去年の春ごろ登場した、フェンダーのギター1/8スケールの食玩(フィギュア)

とっくに売り切れてしまったと思っていたら、近所のコンビニエンスストアにまた入荷していた。
食玩の中では、息が長い。やっぱり人気があるのだろう。

箱を手にとって思っていたのは、70年代オーディオのフィギュアを出して欲しい、ということ。
マークレビンソンのLNP2やJBLの4343、EMTの930st もいいし、
もうすこし古いところでは、JBLのパラゴンやハーツフィールド、
タンノイのオートグラフやモニターレッド、アルテックの604などなど。

内部構造までのぞきこめるようになっていたら、かなりヒットするのではないか、と思うのだが。