Archive for category テーマ

Date: 8月 6th, 2013
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(シェルリード線のこと・その4)

それぞれに謳い文句があり、しかも価格もそれほど高価ではない。
アントレーのSR48は500円と安価な方だった、高価なものもあった。
けれど高価といっても、シェルリード線の長さということもあって、手軽に交換が楽しめる範囲におさまっていた。

私は前述した理由でシェルリード線の交換にはまることはなかったけれど、
このカートリッジには、このヘッドシェルとこのシェルリード線を組み合わせて、
このレコードを聴く──、
そんな音づくりの楽しみ方もあっただろう、とは思う。

トーレンスの101 Limitedを早々と買ってしまい、
カートリッジ交換の楽しみから遠いところにある環境になったため、
こういう楽しみ方をすることはなかった。

もしSMEの3012-R Specialを使い続けていたら、
そういう楽しみ方をしただろうか……、と、ふり返る。

とにかく各社から登場してくるシェルリード線を見ていて思っていたのは、
理想としてのシェルリード線の在り方についてだった。

おそらく理想はカートリッジの発電コイルに使っている銅線(もしくは銀線)が、
そのままシェルリード線になっていくことのはず。
そして、これを突き進めていくと、さらに延長し、そのままトーンアーム・パイプ内の配線となり、
さらにトーンアームの出力ケーブルまで延ばすことになる。

つまり発電コイルからアンプの入力端子まで、一本の銅線(銀線)が途切れることなく続いている、
つまり接点もどこにも存在しないし、途中に他の物質が挿入されるわけでもない。
これが、シェルリード線の理想の在り方だと仮定すれば、
現実のアナログプレーヤーの信号伝送系のケーブルと接点は、ずいぶん遠いところにあった、といえよう。

Date: 8月 6th, 2013
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(シェルリード線のこと・その3)

アントレーのSR48に交換したことが、
すべての面でよい方向になったわけではないが、それでも音の変化は確認できた。
わずか数cmのシェルリード線を交換しただけで、音は変る。

シェルリード線はぎりぎりの長さになっているものは少ない。
長さ的に余裕があり、通常の使用ではシェルリード線がまっすぐになることはない。
あまっている長さの分だけカーヴすることになる。

SR84はリッツ線ゆえにカーヴすると芯線がバラける傾向があった。
それが気になっていた。

SR48はどのくらい使っていただろうか。
そんなに長くはなかった。
ヘッドシェルを、オーディオクラフトから出たばかりのAS4PLにしたまでの間だけだった。

AS4PLにはオーディオテクニカのMG10についていたシェルリード線よりも、
見た感じの立派なモノがついていたし、
たしか片側がハンダ付けされていたため、シェルリード線の交換ができなかった、はず。

MG10 + SR48でエラックのSTS455Eを使うよりも、AS4PLに取り付けたほうが好ましかった。
その後に新たに購入したオルトフォンのMC20MKIIも、AS4PLに取り付けて使っていた。

このオーディオクラフトのAS4PLが、私にとっての標準ヘッドシェルになっていった。
もしAS4PLを使っていなければ、各社から発売されていた各種のシェルリード線にはまっていっていた、だろう。

さまざまなシェルリード線が、あのころはあった。

Date: 8月 6th, 2013
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(シェルリード線のこと・その2)

はじめてシェルリード線を交換した時につかっていたカートリッジは、
エラック(エレクトロアコースティック)のSTS455Eだった。
ヘッドシェルはオーディオテクニカ製だった。
おそらくMG10だったはず。

MG10は当時2200円。
シェルリード線は、当時もっともよく見かけていたタイプがついていた。
細めのケーブルで、赤緑白青の四色に色分けされていた。
これが、いわば標準だった。
これを、アントレーのSR48に交換した。

MM型カートリッジは、MC型カートリッジよりもコイルの巻数が多い。
発電コイルの直流抵抗は500Ω、インダクタンスは500mHあたりが標準だといわれていた。
国産のカートリッジの中には、ローインピーダンスを謳っていなくとも、
直流抵抗がその半分程度のものがいくつかあったし、インダクタンスも低めのものがあった。
反対に海外製の中には、直流抵抗が1kΩをこえるタイプもあった。

エラックのSTS455Eがどのくらいの直流抵抗とインダクタンスだったのかは知らないけれど、
大ざっぱにいえば海外製のMM型カートリッジは直流抵抗、インダクタンスともにやや高め傾向にある。

STS455Eもそのタイプだと仮定すれば、発電コイルに使われている銅線の長さはかなり長くなる。
トーンアームのパイプの中を通っているケーブルもシェルリード線よりも長い。
しかもコイルとパイプ内のケーブルはかなり細い。
トーンアームからアンプまでは、またケーブルが存在する。

こうやって考えると、カートリッジのコイルからアンプの入力端子までに、
四種のケーブルが最低でも存在する。
シェルリード線は、その中で、もっとも短い。
そんなシェルリード線なのに、交換すれば音は確実に変る。

Date: 8月 6th, 2013
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(シェルリード線のこと・その1)

1970年代後半には、ケーブルで音が変ることが浸透し始めていた。
とはいえメーカーからは、それほど多くのケーブルが出ていたわけではなかった。

ステレオサウンドが当時毎年二回発行していたHI-FI STEREO GUIDEの’77-’78年度版をみると、
スピーカーケーブルを発売していたのは国内の11社、
トーンアームの出力ケーブルは国内3社、
まだまだこのくらいだった。

シェルリード線に関しては、アントレーだけだった。
SR48という型番のリッツ線だった。
価格は4本1組で500円だった。

実はこれが私にとって、最初のケーブル交換の体験でもあった。
理由は簡単だ。
500円と安かったからで、高校生の私にとってはこれは大きなことだった。

SR48は芯線の一本一本を絶縁した構造で、
芯線の撚りはけっこうあまかった、と記憶している。

ケーブルで音が変る──、
けれど自分のシステムでほんとうに音が変るのか、
変ったとしても、自分の耳にそれがわかるのだろうか、
そんな不安めいたことも思いつつも、
これでどのくらい音が「良くなる」んだろう、と期待しながら、
シェルリード線の交換をしていた。

Date: 8月 5th, 2013
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(RS-A1のこと・その4)

回転ヘッドシェルの音をいちどでも聴いている人ならば、
1997年1月号のラジオ技術のコンポ・グランプリの座談会で語られているRS-A1の音を、
ある程度は具体的に想像できるのではないだろうか。

ラジオ技術に回転ヘッドシェルの記事が載った時、
おもしろそうだと思いながらも、回転ヘッドシェルを実現するには、シェルリード線がいわば邪魔な存在となる。

回転ヘッドシェルはカートリッジがヘッドシェルにしっかり固定されているわけではなく、
いわばサブヘッドシェルにカートリッジを取り付け、
このサブヘッドシェル部分が水平方向に回転する構造になっている。

つまりカートリッジを回転しているレコード盤面に降ろせば、
カートリッジは音溝に対して接線方向を向く、という原理だ。

シェルリード線は、その回転をさまたげる存在となる。
音質向上のために、このころは各社からいろんなシェルリード線が発売されていた。
そういったシェルリード線では硬すぎるし太すぎるし、
回転ヘッドシェルにはとうてい使えない。

回転ヘッドシェル用には、細くしなやかなリード線でなければならない。
実は、この点が気になっていた。
特にローインピーダンスのMC型カートリッジの場合、
わずか数cmとはいえ、細いリード線を使うことが、どういう影響を与えるのか、
まずそのことが気になってしまった。

とはいえ回転ヘッドシェルは気になっていた。
最初の記事が出てから、どのくらい経ってからだったか忘れてしまったが、
ラジオ技術から回転ヘッドシェルが登場した。
RS1という型番で、オーディオテクニカのヘッドシェルを改造したモノだった。

Date: 8月 5th, 2013
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(RS-A1のこと・その3)

RSラボのトーンアーム、RS-A1は、ラジオ技術の「ベスト・ステレオ・コンポ・グランプリ」に選ばれている。
1997年1月号において、である。
選考委員は菅野沖彦、長岡鉄男、若林駿介、高橋和正、石田善之、金井稔の六氏。

記事は座談会をまとめたもので、
この座談会を読んでいない人には、ラジオ技術が自分のところのトーンアームをコンポ・グランプリに選出している、
お手盛りじゃないか、そんなものは信用できない、と思われるかもしれない。

けれど座談会を読んでいけば、このRS-A1というトーンアームが、
どういう存在意味をもっているのかが理解できるはずだし、
それが理解できれば、コンポ・グランプリに選ばれたことにも納得できる。

座談会を読めばわかることだが、
RS-A1というトーンアームの存在意味について、積極的に評価されているのは菅野先生である。
意外に思われる方もいるはずだ。

RS-A1の写真を見れば、菅野先生が高く評価されるようなつくりをしていないことはすぐにわかる。
それについては、菅野先生も指摘されている。
それでも、RS-A1への評価は高い、といえる。

座談会は若林氏の「RS-A1はおもしろかったし、よかったですよ。」から始まる。
続けて菅野先生が語られている。
     *
いろいろな音のアームがあっていいという面からも評価できるし、「エッ、こういうやりかたがあるの」というコロンブスの卵的発想のおもしろさもある。正直いってこれで商品として魅力のある造りなら5点を出してもいいんてず。それが残念だね。
     *
RS-A1は、どういうトーンアームで、どういう音を聴かせるのか。
これが実に興味深い内容の座談会になっている。

Date: 8月 4th, 2013
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(RS-A1のこと・その2)

カッターレーサーの胸像こそがアナログディスク再生のプレーヤーの理想のように思い込んでいた時期が、
私にもある。

リニアトラッキングアームこそが、トーンアームの理想であり、
いかに理想に近いリニアトラッキングアームを考え出すか。
そんな時期もあった。

ステレオサウンドにいれば、各社のリニアトラッキングアームを見ること、触ること、聴くことができる。
そうやって気がついたことがいくつかある。
そうやってリニアトラッキングアームの現場が抱えている問題点にも気がつくことになる。

つまりリニアトラッキングアームは、ほんとうにトーンアームの理想なのか、ということに疑問をもつようになる。
そんなときと重なるように、ラジオ技術で回転ヘッドシェルの記事が載った。

1980年代半ばごろだった。
三浦軍志氏の記事だった。

三浦氏はQUADの管球式コントロールアンプ、22の記事をよく書かれていた。
TQWT(Tapered Quarter Wave Tube)形式のスピーカーの記事も書かれていた。

22の記事もTQWTの記事もよく読んでいた。
その三浦氏が回転ヘッドシェルなるものをラジオ技術で発表された。

とはいえ最初の記事で、回転ヘッドシェルのもつ可能性に気づいていたわけではなかった。
ただ、回転ヘッドシェルがうまく動作するであれば、
リニアトラッキングアームにこだわる必要がなくなることは気づいてはいた。

Date: 8月 4th, 2013
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(RS-A1のこと・その1)

つい先ほどラジオ技術のウェヴサイトを見ていた。
いつもは次号の表紙を確認するくらいなのだが、たまには下までスクロールしてみた。

毎月12日似発売になる号の紹介の下には、
書籍の紹介があり、真空管アンプのキットの紹介が続く。
そして、また書籍の紹介があり、いちばん下までスクロールすると、
1996年ごろから発売しているトーンアームのRS-A1の写真がある。

今日現在、RS-A1の写真と簡単な紹介文は残っているものの、
「生産終了しました」と赤字である。

製造中止になったのか、
いつなったのだろうか、
ときどきラジオ技術のサイトにはアクセスするものの、いちばん下までスクロールしたのは、
前回はいつだったのか思い出せない。

つまりRS-A1がつい最近製造中止になったのか、それとも一年前だったのか、
もっと前だったのか、は、だからわからない。
たぶん、けっこう前なのではないのだろうか。

ただ、このトーンアーム、あまり注目されずに消えてしまったのか、と残念におもっている。

RS-A1は写真を見てもらえればわかるように、アマチュアの手づくりのような雰囲気をもっている。
価格は当時65000円だった。
1990年後半には、高価なトーンアームもいくつか登場したいたのだから、
65000円という価格は、それだけで注目を集めることが難しかったのかもしれない。

RS-A1が10倍の値付けで、海外のメーカー製ということだったら、
注目度も大きく違っていたことだろう。
でも、RS-A1はラジオ技術のブランド、RSラボの製品ということが、
このトーンアームの存在をマイナーにしていたようにも思う。

Date: 8月 3rd, 2013
Cate: 音の良さ

音の良さとは(好みの音、嫌いな音・その1)

以前の仕事場の同僚が、バイクで交通事故を起した。
単独事故で、被害者はいなくて、彼だけが怪我を負った。
たいへんな怪我だったときいている。
家族が呼ばれたほどだ、と。

いま彼はぴんぴんしている。
元気である。
事故から二年後ぐらいにたまたま会う機会があった。
近くの中華店に入った。
どこにでもある町の中華屋さんといった感じであって、
彼はチャーハンを頼んでいた。

チャーハンにはグリーンピースが入っていた。
事故以前の彼ならば、グリーンピースをレンゲでひとつひとつ取り除いていた。
とにかくグリーンピースが大嫌いだ、と彼はいっていたのに、
その日、彼はおいしそうにグリーンピースもご飯、ほかの具材とともに口に運んでいる。

グリーンピース、嫌いじゃなかったっけ? ときいた。
彼の返事は「そうだっけ?」だった。

私の記憶違いではなく、そのとき他の同僚も一緒で、
みんな「えっ?」という顔をしていた。
彼のグリーンピース嫌いは、そのくらい徹底したものだったから。

そのグリーンピースをおいしそうに食べている。
彼は事故の時、頭を強く打ち意識を失っていた。
本人も言っていたけれど、少し記憶がとんでいる、とのこと。

ということは事故後グリーンピースをおいしそうに食べているということは、
食べ物の好き嫌いは、記憶に強く影響されている、ともいえるわけだ。
記憶だけ、とはいえないのかもしれないが、それにしても彼のグリーンピースへの反応の違いは、
音の好みについても、考えさせられることであった。

Date: 8月 1st, 2013
Cate: audio wednesday

第31回audio sharing例会のお知らせ

今月のaudio sharing例会は、7日(水曜日)です。

テーマは、「オーディオ 真夏の夜の夢」をいまのところ考えています。
変更するからもしれません。

時間はこれまでと同じ、夜7時からです。
場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 7月 30th, 2013
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(facebookにて・その12)

「オーディオ彷徨」は7月上旬に増刷されている。
5月30日に改訂版として出て、一ヵ月ほどでの増刷だから、売れていると見ていいだろう。

7月の増刷分では、問題の箇所は元通りになっている。
それがどの箇所なのかは、7月の増刷分とそれ以前の「オーディオ彷徨」とを読み比べてみればわかることだ。
だから、あえて、ここがこうなっているとは書かない。

不親切な、と思う人もいていい。
自分の目で確かめずに、私がここでその箇所を書いているのを読めば、それで充分という人がそうだろう。
そんな人にとっては、私が問題にしている箇所は、どうでもいいことなのかもしれない。
だから、あえて書かない。

どうしても、それがどこでどういうことなのかを知りたい人は、
すでに1977年に出た「オーディオ彷徨」を持っている人、
2013年5月30日に出た「オーディオ彷徨・改訂版」を持っている人も、
2013年7月に増刷された「オーディオ彷徨」を手にするはずだから。

一度でもいいから、「オーディオ彷徨」をしっかり読んでいる人であれば、
二冊を並べて比較しないでも、ここだ、とすぐにわかる。

そういう人は、私がなぜ、この書き換えをここで取り上げたのか、
その理由もわかっていただける、と思っている。

そして「オーディオ彷徨・改訂版」を担当者であるステレオサウンドのNさんも、
「どうでもいいこと」とは思われなかった人である。
Nさんが、1977年の「オーディオ彷徨」の書き換えをどうでもいいことと判断されたなら、
7月の増刷分は、そのままになっていたのだから。

Date: 7月 30th, 2013
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(facebookにて・その11)

6月5日の「岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代」が終った翌日、
この書き換えに気がついたことをfacebookに書いた。

これについて、facebookグループのaudio sharingに参加されたばかりの、
ステレオサウンド関係者のNさんからのコメントがあった。

どの部分が書き換えられているのか、その子細については書かなかった。
だから岩崎先生の原稿、レアリテ、「オーディオ彷徨」と、
それぞれどういうふうに書かれているのか列記してほしい、とあった。

もっともなことだし、その三つを列記しなかったのは、
いずれ、このブログで書いていくつもりだったし、
このことにそれほど関心をもつ人もいないだろう、と勝手に思っていたからだった。

「オーディオ彷徨」の、その箇所、レアリテの、その箇所、
そして岩崎先生の原稿の、その箇所はスキャンして、Nさんへの返事とした。

そして、すぐにNさんからのコメントがあった。
そこには、増刷する訂正したいと思います、とあった。

これは二重に嬉しい驚きだった。
まずひとつは「オーディオ彷徨」の復刻版の売行きが好調だということ。
増刷する、と書かれるくらいだから、近々増刷の予定がある、ということである。

「オーディオ彷徨」が出た1977年と、2013年の現在とでは、
本の編集作業、印刷においても変化がある。
2013年の「オーディオ彷徨」はAdobeのInDesignによってなされている。
それにオンデマンド出版だと思う。少数発行に適しているから。

Date: 7月 30th, 2013
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(facebookにて・その10)

iPhoneの中にいれている「オーディオ彷徨」を開いて照らし合せる必要は、実はなかった。
それでも確認してみた。
この「一行」が書き換えられている。
それを確認した。

いくつものオーディオ雑誌に掲載された文章をあつめて一冊の本に仕上げる際には、
細部の手直しが加えられることはある。
だから書き換えられていること自体を頭から否定するわけではない。

たとえば五味先生の「オーディオ巡礼」。
森忠輝氏を訪問されたときの文章で、最後のところが削除があることに気がつく。
これなどは、オーディオ雑誌という性格、単行本という性格を考えれば、納得できなくはない。

でも、「オーディオ彷徨」の、その一行の書き換えは「なぜ?」という気持が強い。
意味は通じる。文章の流れがおかしくなっているわけでもない。
今回、片桐さんがレアリテを「岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代」の会に持ってこられなければ、
おそらく誰も書き換えが行われていたとは気づかずに、そのままになっていたはず。

それにしても、なぜ、このような書き換えを、「オーディオ彷徨」の編集を担当した人は、
当時(1977年)行ったのだろうか。
「オーディオ彷徨」に載っている文章、レアリテに掲載された文章、岩崎先生の手書きの原稿、
なぜ「オーディオ彷徨」で、あのような書き換えがなされたのか、その真意が理解できなかった。

岩崎先生の書かれた(残された)文章を、ただ読み物として楽しむだけの人にとっては、
この店の書き換えは、私がこんなに問題にしていることが理解できない、となるだろう。
でも岩崎先生の文章を読み解こうとしている者にとっては、
そのオーディオ機器が岩崎先生にとってどういう意味をもつのか、どういう存在だったのか、
そのことを知りたいとおもう者にとっては、理解できない、よりも、許せない、という気持がわいてくる。

Date: 7月 29th, 2013
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(facebookにて・その9)

6月5日の「岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代」(四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記にて)に、
片桐さんが持ってこられたのは、岩崎先生の原稿と、それが掲載された雑誌、レアリテの1975年12月号だった。

こういう雑誌があったことも知らなかった。
正確に言えば思い出せなかったのだが。

この日「岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代」に来てくださった方に、
レアリテと岩崎先生の原稿を見てもらうために順番にまわしていた。
なのでレアリテに載っている写真だけを見ていた。

いくつものオーディオ雑誌をこれまでみてきているけれど、
オーディオ雑誌では見ることできなかった表情の岩崎先生が写っていた。
この写真はスキャンして、facebookにて公開している。

この記事のタイトルは、いままで見たことのないものだった。
だからてっきり「オーディオ彷徨」に未収録の文章だと思い込んでしまった。

「岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代」が終了して、電車での帰宅途中、
ひとりになってからレアリテをひっぱり出した。
「彼がその音楽に気づいた時」、
これがレアリテ12月号の岩崎先生の文章につけられていたタイトルだった。

読み始めた。
あれっ? と思った。最初の一行で気づく。
これは「オーディオ彷徨」で読んでいることに。

こういうとき「オーディオ彷徨」の電子書籍をつくって、iPhoneに入れていると便利である。
iPhoneをジーンズのポケットから取り出して、iBooksを起動して「オーディオ彷徨」を読む。
あの文章だと、記憶だけでわかっていたから、苦もなくそれが、
「仄かに輝く思い出の一瞬──我が内なるレディ・ディに捧ぐ」であるとわかった。

タイトルを変えていたんだ、
そのくらいの気持でレアリテに載っていた岩崎先生の文章を読み続けた。
最後のほうにきて、また、あれっ? と思った。

今度の「あれっ?」は最初の「あれっ?」とは違っていた。
そして、またiPhoneを取り出すことになった。

Date: 7月 29th, 2013
Cate: きく

舌読という言葉を知り、「きく」についておもう(その8)

そうやって書き写す行為は、転写である。
転写は、複写と似てはいてもまったく同じことをさしているわけではない。

複写はcopy、転写はtranscription。

この項を書いていて、転写(transcription)がキーワードとして浮んできた。

オーディオは、まさしくtranscriptionである。
そういえば1970年代に、Transcriptors(トランスクリプター)というアナログプレーヤーのメーカーが、
イギリスにあった。
Hydraulic Reference Turntable、Round Table、Saturn、Skeletonといったプレーヤー、
Vestigalといったトーンアームを開発していた。
どれも、かなり個性の強い製品だった。
使いこなしも難しい(癖のある)製品だった、ときいている。

一度使ってみたいプレーヤーではあるけれど、なかなかお目にかかる機会もない。

トランスクリプターの製品には興味を持っていたけれど、
これまでブランド名に、特別な関心をもったことはなかった。

けれど転写(transcription)という言葉がひっかかっているいま、
Transcriptors(トランスクリプター)という名前、なかなか面白いと思えてきた。

ここでは、これ以上トランスクリプターのプレーヤーについてはふれないが、
転写(transcription)と「きく」との関係について考えていくことになるはずだ。