Archive for category テーマ

Date: 2月 18th, 2014
Cate: Jazz Spirit

Jazz Spirit Audio(その2)

ジャズをおさめたディスクがある。
どんなシステムでかけても、ジャズを一度でもきいたことがある人ならば、
そのディスクにおさめられている演奏が誰のものなのか、そういったことを一切知らなくとも、
そこで鳴っている音楽がジャズということはわかる。

それを「ジャズが鳴っている」といったりするわけだが、
ここでの「ジャズ」とはどういうことを指しているのだろうか。

あるスピーカーからジャズが鳴っている。
音は細部まで明瞭になっているし、音の伸びも申し分ない。
音像定位もしっかりしているし、音場感も充分拡がっている。
奥行きの再現性もなかなかいい。
それに変に音が尾を引かない。音がうまいこと決っていく……。

こんなふうにチェックシートでもつくって、ひとつひとつの項目をチェックしていって、
どの項目も過不足なく鳴ってくれる。
その意味では欠点のない鳴り方であり、なにかケチをつけたくともそれを見つけられない。

そういう音でジャズのディスクが鳴らされた。
ただそれだけで終ってしまった。

ある旧いスピーカーで、ジャズのディスクが鳴らされた。
ナロウレンジの音だ。
誰が聴いてもはっきりと周波数レンジが狭いことはわかる。
ここでもひとつひとつの項目を細かくチェックしていくと、
いくつかの項目では飛び抜けてよくても、他の項目では欠点として目立つこともある。

オーディオ的な意味でケチをつけようと思えば、いくらでもつけられる。
そういうスピーカーで、そういうスピーカーの音で、ジャズのディスクが鳴らされた。

鳴り終ったあとに、聴いていた人同士で話が弾む。

Date: 2月 18th, 2014
Cate: VUメーター

VUメーターのこと(その1)

マークレビンソンのLNP2のことを書いていると、どうしてもVUメーターのことについても書きたくなってくる。

いま市販されているアンプで、メーターを備えているモノは、何があるのだろうか。
パワーアンプではマッキントッシュをはじめとして、いくつかあるけれど、
コントロールアンプでメーター付きのモノは、いまや皆無なのかもしれない。

1970年代のアンプには、パワーアンプだけでなく、
プリメインアンプにもメーターがついているモデルがいくつもあった。
そしてコントロールアンプにもメーター付きのモデルがけっこうあったものだ。

LNP2がそうだし、
国産アンプでも、ナカミチのNakamichi610、ダイナベクターのU22とDV3000、サンスイのCA3000、
ソニーのTAE8450とTA2000F、テクニクスのSU-A2、ビクターのJP-V1000、ヤマハのCIなどがあり、
海外アンプではギャラクトロン(イタリアのメーカー)のMK16、クワドエイトのLM6200Rがあった。

メーターがついているのはアンプだけではなかった。
テープデッキにももちろんついていた。
テープデッキにメーターがついていないモノはないはずだ。

まぁメーターといっても、いいメーターとそうでないメーターがあって、
ただ針が振れているとしか思えないひどいメータから、
ただ鋭敏なだけでなく人間の感覚にうまくマッチした動きをするメーターまであった。

形も大半は四角だったけれど、四角であればどれも同じとはいえなかった。
そのメーターがついていてカッコいいと感じさせるメーターもあれば、
ないほうがいいんじゃないか、と思いたくなるメーターもあった。

メーター付きのオーディオ機器を一度も・一台も使ったことのない人は、
当時はいなかったといえるほど、メーターがついているモノが多かった。

Date: 2月 15th, 2014
Cate: きく

音を聴くということ(試聴のこと・その2)

私も変換ミスはけっこうやっているほうなので、あまりとやかくいえないけれど、
それでもオーディオマニアが、試聴を視聴としているのをみると、やっぱりいいたくなる。

試聴が視聴となるのは変換ミスなのだが、
それでも視聴が使われるのが増えてきているをみていると、
時代は変ってきているんだなぁ……、と思うこともあるし、
試聴ではなく視聴を使う人は、若い人なのだろうか……、ともおもっていたことがある。

だから、あるオーディオ店でのディスクをかけ替け、
なぜそうするのかの理由をきいて、勝手に若い人相手の時なんだろう、とおもっていた。

少なくとも私と同世代までの人であれば、試聴はやはり試聴であり、
試聴のためには同じディスクを何度もかけるのが常識であり、
それは自分のシステムを調整していくときでも、
同じディスクを何度も何度もしつこく聴いていくものだとおもっていた。

私が高校生のとき、熊本のオーディオ店の招きで定期的に来られていた瀬川先生も、
いつもレコードを複数枚を持ってこられて、
その中からさらに数枚を選んで、オーディオ機器を交換したら、同じところをかけてくれていた。

ステレオサウンドでの試聴もまったくそうである。
同じディスクの同じところも何度も何度も聴いていく。

これが試聴の基本的なことであり、
ほとんどのオーディオマニアがそうしていると思っていたのだが、
どうもそうではないことがわかってきた。

Date: 2月 14th, 2014
Cate: 相性

本末転倒だったのか(その1)

ドイツにLightweight(ライトウェイト)というメーカーがある。

自転車のホイールを専門としている。
カーボンをリムに使用したライトウェイトのホイールは、最高のホイールとして高い評価を得ている。

プロ選手も自費で購入し、Lightweightのロゴを消してレースで使用している、
そういうホイールである。

値段もかなりのものである。
前後ペアで、最も高いモノだと81万円(税別)、
その他のモノも前後ペアで60万円を超える。
いうまでもなく自転車一台の価格ではなく、あくまでもホイールだけの価格である。

ライトウェイトは、これまでホイールのみをつくってきた。
そのライトウェイトから今年フレームが発表された。
やはりホイール同様、カーボンを使ったフレームである。
価格は61万円。ホイールよりもほんのちょっとだけ安い。

このフレームには、”FRAME MY WHEELS”とプリントされている。

自転車はまずフレームを決め、使用パーツを選んでいく。
そういうものだと思ってきた。いまもそう思っているけれど、
ライトウェイのフレームにある”FRAME MY WHEELS”を見ると、
自転車の主役というか、もっとも大事なのは、回転体であるホイールであることに気づかされる。

ライトウェイトのフレームは、
最高のホイールという評価を得ている同社のホイールのためのフレームなのである。

自転車もオーディオと同じで、相性というものがある。
大きくとらえればフレームとホイールの相性がある。
オーディオにおけるスピーカーとアンプの相性のようなものである。

Date: 2月 13th, 2014
Cate: スピーカーの述懐

あるスピーカーの述懐(その6)

録音・再生というオーディオの系は、
音を電気信号に変換し記録し、その記録した電気信号をふたたび音に変換するものであり、
記録することは可能でも、記憶することはできない系である。

エレクトロニクスとメカニズムで構成されるオーディオの系だから、
記録は可能でも記憶はできないのは理論的にも技術的にも当然のことなのだが、
それでもほんとうにオーディオは記憶できないものなのか、と思うようになったのは、
「Harkness」でソニー・ロリンズのSaxophone Colossusを聴いてからであり、
聴くたびに実感している。

私の「Harkness」は何度も書いているように、岩崎先生が鳴らされていたそのものである。
だから別項「終のスピーカー」でも書いている。

Saxophone Colossusを鳴らすと、
岩崎先生がどうこのレコードを聴かれていたのか、
もっといえばSaxophone Colossusとどう対峙されていたのかが、感覚的に伝わってくる鳴り方をする。

それはもう「Harkness」というスピーカーシステムが、
これに搭載されているD130というユニットが、岩崎先生の聴き方・鳴らし方を記憶しているかのようである。

そんなのは、岩崎千明という男の鳴らし方のクセが残っているだけのこと。
そう考える人がいるのも無理もない。
だが聴けば、そうとしか思えない音が鳴ってくる。

なぜ 「Harkness」は記憶しているのか。
「Harkness」は岩崎先生のリスニングルームにあって、
岩崎先生が鳴らされる音を聴いていたからだ。
私は、これで納得している。

Date: 2月 12th, 2014
Cate: 楽しみ方, 老い

(改めておもう)歳を重ねるということ

オーディオをいつかはやめるかも……、
そうおもっている人はいる。
どのくらいいるのかはわからないけれど、きっといる。

オーディオにこれまで熱中してきたけれど、そろそろ、そんな予感がしている。
だから、そんな言葉が出てくるのか。

昨日もある人とそういう話になった。

なにもやめることはない、とおもう。
休めばいいだけのことだ。

それに歳を重ねなければ出せない音があることを、私は知っている。
これは2008年9月27日にも書いたことである。

9月27日は、菅野先生の誕生日であるから、これを書いた。
これをあらめたておもっている。

どんなにオーディオの才能があり、知識もあり、知恵もあり、
経済的に恵まれていようとも、歳を重ねないとたどり着けない領域の音が確実にある。

歳をとれば、その「音」が出せるという保証はないけれど、
歳を重ねなければ出せないということは、はっきりとしている。

Date: 2月 12th, 2014
Cate: ラック

ラックのこと(その10)

ヤマハのGTR1Bには脚と呼べるものがない。
底板がそのまま床に触れている。
そのため床の条件によっては、どこかすこし浮きがちになる。

これをそのままほっておくわけにはいかない。
せっかくの重量級のラックがガタついていては、あえてGTR1Bを使う意味が薄れてしまう。

ガタツキを簡単にとる方法は浮いている箇所にクサビ状のものを挿し込む。
ガタツキはこれでとれるけれど、
このクサビにどういった材質のものを使うのか、
それにクサビをいれても、浮いている面積が広い場合は、
床とGTR1Bの底板との間に、わずかな隙間が生じてしまう。

そうなると底板が床とべったり接している部分と隙間が生じている部分、クサビを介して接している部分とができる。
これはけっして望ましいとはいえない。

そうなると……、と頭を使う。

こうやってGTR1Bにしても、ただポンと床に置いて、
そのGTR1Bの上にまたポンとオーディオ機器を置くのと、
これまで書いてきたこと、また書いていないことも含めて、
きっちりとセッティングしたのとでは、結果として出てくる音に差が生じるのは当然のことである。

これらのことをラックの使いこなしと書いてしまうと、
少々おかしなことになるが、GTR1Bに限らず、世評の高いラックを購入したからといって、
それだけでうまくいくわけがないことは、私があえて書くまでもないことのはずだ。

Date: 2月 12th, 2014
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(続・音を鳴らさないゆえの楽しさ)

昔、山中先生がいわれたことがある。

われわれが若いころは、とにかくいまのように情報がなかった、少なかった。
オーディオ雑誌に載る海外のオーディオ機器の写真にしても、
いまのようにカラー写真で細部まで見えるのとは違って、白黒で目の粗い、そんな写真だった。
でも、その写真を、文字通り穴が開くほどじっと見ていた。
ここはどうなっているんだろうかと、知識を総動員して見えない部分を想像で補ってきた。

こういった主旨のことだった。

いまはどんなことでも知りたいと思えば、たいていのことはインターネットで検索すればわかる。
画像も充分すぎるほどある場合もある。

山中先生が若いころのような粗い、低解像度の写真ではない。
(山中先生は1932年生れ)

その意味では恵まれている。
けれど、山中先生がいわれていたような接し方をしているとはいえない。

いまのほうが 情報量は豊かなのだから、そんなことはそもそも必要ではないし、
時代が違ってきているのに、一緒くたに考える方がおかしい、という反論もあるのはわかっている。

それでも私が若いころは、山中先生と同じようなことをやっていた。
(私は1963年生れ)
山中先生の若いころとくらべると、オーディオ雑誌の写真もずいぶんまともなになってきていたとはいえ、
いまのようにカラーページが多いわけではなく、
紙質もあまりよくなく、モノクロの写真は細部が不鮮明であることも少なくなかった。

だからとにかくじっと見つめていた。
インターネットもない。他に情報を得る手段がないわけだから、
とにかくそこにある写真を見つめるしかないのだ。

そして何度も同じ文章を読んできた。
そうやって想像力を鍛えていた、といえよう。

それにこれが大事なだが、想像力を鍛えてくれる文章が、
私が若かったころには、あったことだ。

話すよりも音を鳴らすだけでの方が楽な面もある。
面倒なこともある。

音を鳴らさないことにこだわるつもりはないし、
必要があって、条件が整えば音を出していく会もやりたい。

それでも音を出さずに、という会を続けていくのがあってもいいと思っているし、
音を鳴らさないのがいい、といってくれる人もいる。

Date: 2月 12th, 2014
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(音を鳴らさないゆえの楽しさ)

インターネットが急速に普及して、オーディオの個人サイトが急激に増えたころ、
そういった個人サイトにある掲示板を利用したオフ会もまた急速に広まっていった印象がある。

あちこちの個人サイトに、今日は、どこどこに行って音を聴いてきた、とか、
誰々さんがお見えになって音を聴いてもらいました、とか、
そういったことが、意識して探さなくても目に入ってきていた。

それらの個人サイトがいまも存在しているかといえば、
細かくチェックしているわけではないので正確なことはいえないものの、
あのころとくらべるとずいぶん減ってきたように感じている。

とはいえオフ会そのものがまったく行われていないわけではない。
ただ第三者に目につく感じではなく、ひっそりと行われているだけのことかもしれない。

オーディオは音を出す趣味といえるところがある。
だからオフ会(つまりは人様の音を聴いたり人様に自分の音を聴いてもらう)が行われる。

言葉だけでは伝わりにくいこと、伝わらないことも、
そこに出かけて音を聴けば、すぐさま理解できることもある。

実際に音を出して聴く、ということは大きな楽しみではある。

なのに私が毎月第一水曜日に行っているaudio sharing例会は、
もう四年目にはいっているけれど、音を出すことをいまのところ一度もやっていない。

音が聴けないから、そんな集まりに、どんな面白さ、楽しさがあるのか、と思われる。
でも、あえていえば音を出さないゆえの楽しさもある、といいたい。

Date: 2月 9th, 2014
Cate: ラック

ラックのこと(その9)

ラックの天板・棚板の上でオーディオ機器を前後させて、
ある程度いいポイントを見つけるとともに、前後移動による音の変化の傾向をつかんだら、
今度は左右に動かしてみる。

この左右方向の移動でも音は変る。
特にアナログプレーヤーは左右移動の音の変化が大きい傾向にある。

左右方向に動かして、自分にとっていい音のポイントが、左に大きくずらしたところにあったとする。
だが前後方向の移動と違い、左右のどちらかに大きくずれていると、見た目のバランスがよくない。

なのでたいていは左右に関しては真ん中に置くことが、私の場合は多い。

それにしてもなぜオーディオ機器を移動することによって音が変化するのか。

どんなに分厚く振動しにくいといわれている材質の天板・棚板であっても、
振動を皆無にすることは不可能である。
どんなものでも振動している。

この振動が、上に置くオーディオ機器の脚の位置、荷重によって変化していく。
前に動かせば、脚の位置はとうぜん前寄りになるし、天板・棚板の前のほうに荷重がかかる。

四点の脚ならば四つのポイントで、三点支持ならば三つのポイントで、
機器の荷重を支えているともいえるし、天板・棚板を押えているともいえる。

Date: 2月 9th, 2014
Cate: 程々の音

程々の音(その23)

コーネッタの組合せを考え書いてきた。
もう少し全体の価格を抑えたいという気持はあったけれど、
コーネッタをうまく鳴らしたいという気持が強くて、
組合せの価格としては、それほど抑えたものとはいえなくなってしまった。

とはいえ昨今の、おそろしく高価なオーディオ機器(中には理解不能な高価なモノもある)からすれば、
現実的な価格の範囲には収まっている。

このコーネッタを中心としたシステムであっても、
オーディオマニア以外の人からみれば、かなり高価なシステムであり、
価格を抑えたシステムとは映らないのもわかっている。

そういうシステムを、この「程々の音」とつけて書いているのは、
このシステムならば、グレードアップをはかろうという気にさせないのではないか──、
そんな気がするからでもある。

「五味オーディオ教室」を読んで始まった私のオーディオは、
エスカレートしていくばかりだった。
そのことを後悔しているわけではないけれど、
以前書いたように、母の希望でもあり、私もある時期目指していた教師になっていたら、
東京に出てくることもなかったし、家庭をもち、
ここで書いてきたコーネッタのシステムをつくりあげたら、
そのままレコードを聴くことを楽しんでいたのではないのか。

地方公務員の給料で、家族に迷惑・負担をかけることなく、
音楽を聴くことを楽しむのに、コーネッタのシステム以上のものは、どれだけ必要なのだろうか。

日本では「音は人なり」が時として、悪い方向で使われることがある。
程々の音で聴いているということは、程々の人である、
最上(極上)の音で聴いている私は、最上(極上)の人である──、
ここまであからさまに意識していなくとも、「音は人なり」のそういう解釈もまた存在している。

Date: 2月 9th, 2014
Cate: カタチ

趣味のオーディオとしてのカタチ(その9)

こんな人がいた。
「4343よりも4333がデザインがいい」

同意はできないけれど、これだけなら「あぁ、この人は4343よりも4333が好きなんだな」と理解できる。
デザインの良し悪しを好き嫌いだけで判断している人だと理解できる。

けれど、彼は続けてこういった。
「4343よりも4333の方が、いい音で鳴るからデザインがいいんだ」と。

彼がデザインについてあれこれいうのは、音がいいか悪いかでの判断であって、
音が悪ければ、どんなに優れたデザインであっても、それはひどいデザインということになる。

彼はいかにも自信をもって、そういった。
彼にとって、これは絶対に揺るがない正論であって、これ以外にデザインを評価することはできない。

彼の、この主張に納得したり同意する人がいるのか。

彼は「4343よりも4333の方が……」といった時点で、
彼自身がオーディオにおいて未熟であることを告白していることに気づいていない。
気づいていないからこそ、自分は正しいことをいっているんだ、からこその彼の虚勢である。

こういう人は少なからずいる。

不思議なのは、4343がいい音で鳴らない、といった時点で、
4343をうまく鳴らすことができなかった、と白状していることに気づいていない点である。

Date: 2月 8th, 2014
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(その20)

ステレオサウンド 3号には、もう一機種、
デザインについて考えていくうえで興味深いプリメインアンプが載っている。
パイオニアのSA81というアンプだ。

このSA81のデザインについての瀬川先生の評価はこうだ。
     *
どこかで見たようなデザインだと思ってよく考えたら、マランツのプリの左右をそのままひっくり返した形であった。パイオニアほどのメーカーが、いまどき何ということか。特に、他の機種がパイオニアとしてのオリジナルなカラーで統一してしかもそれが成功しているのに、これひとつだけ別物のような感じがする。
     *
瀬川先生が厳しく書かれているSA81のパネルは、
安っぽくしたマランツModel 7といいたくなる程度である。

瀬川先生でなくとも、SA81のデザインに関しては、厳しいことをいいたくなる。
ほんとうに、なぜパイオニアは、この時代に、こういうデザインのアンプを送り出したのだろうか。

Date: 2月 8th, 2014
Cate: カタチ

趣味のオーディオとしてのカタチ(その8)

数年前にステレオサウンドの連載記事として、4343を現代に甦らせる、というものがあった。
エンクロージュア、ネットワークを新たなものにつくり変えて、という企画だった。

一回目から、いやな予感があった。
それでもステレオサウンドというオーディオ雑誌を、どこかで信じていた。
だから最終的にはいい企画になるんだろうな、という期待をもって、
二回目、三回目……と読んでいった。

4343はパーフェクトなスピーカーシステムとはいえない。
パーフェクトなスピーカーシステムなど、この世に一台も存在したことがないのだから、
4343がパーフェクトでないから、
といって、他の優秀な最新のスピーカーシステムよりもひどく劣っているわけではない。

4343が登場したのは1976年だから、
ステレオサウンドの4343改造(改良とはとうてい書けない)記事が出た時点でも、
古い時代のスピーカーシステムという括り方をされるようになっていた。

30年ほど経っていれば、気になるところがないわけではない。
技術も進歩している。
だからもう一度、現代の視点で4343を徹底的に見直していけば、
文字通り「4343を現代に甦らせる」ことは充分に可能である。

だがステレオサウンドの4343改造記事は、
4343というスピーカーシステムが、どういうモノなのかを徹底的に検証することなく、
改造に取りかかってしまっていた。

これ以上こまかいことはここでは書かないけれど、
結局のところ、あの記事は4343改造記事であり、
4343を、ではなく、4343に搭載されているスピーカーユニットを、というところで終ってしまっている。

話をもとに戻そう。

Date: 2月 8th, 2014
Cate: カタチ

趣味のオーディオとしてのカタチ(その7)

JBLには、特徴あるデザインのスピーカーシステムは、4343の他にもいくつもある。
パラゴンがそうだし、ハーツフィールドもあるし、ハークネスもある。

これらコンシューマー用のJBLのスピーカーシステムと、
4343が違うところはプロフェッショナル用というところではなく、
スピーカーユニットを見せた状態でのデザインの美しさである。

4ウェイだから、4343には4つのユニットがついている。
それだけのユニットがフロントバッフルについていながらも、
洗練されているのは、最初にステレオサウンド 41号の表紙で見た時も、
そして知人のリスニングルームで4348のあとにそこにおさまった4343を見た数年前でも、
その印象はまったく変ることがない。

4343のスピーカーユニットは、前身の4341と同じである。
4341もいいスピーカーシステムだとは思う。
音に関しては4343よりも4341のほうをとる人がいるのも知っている。

でも4341は、どこか間延した印象が拭いきれていない。
4343には、そういうところがない。

4343について書き始めると、書きたいことはいくらでもあってとまらなくなる。
ここでもすでに少し脱線しはじめていることはわかっているが、
あと少しだけ脱線したまま書いていく。