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Date: 9月 9th, 2009
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その59)

低音の量感ということでは、ヨーロッパのほうが、アメリカよりも、
瀬川先生の求められていた、いい意味でのふくらみ、そして包みこまれるような量感は豊かであったし、
このことが、アナログプレーヤーにおいて、
フローティング型が、ヨーロッパから多くが登場したことにつながる気がする。

アナログディスク再生においてハウリングが発生していたら、
低音の量感を求めることはできない。
量感うんぬんは、ハウリングマージンが十分確保されていてこそ、の話だ。

ただトーレンスやリンのようなフローティング型プレーヤーは、日本家屋で、和室で使用する場合には、
床があまりしっかりしていないことと関係して、針飛びという問題が発生する。
あくまでフローティング型プレーヤーは、しっかりした床が条件として求められる。

そのせいか、1970年代、まだまだ和室で聴く人が多かったと思われる時代に、
フローティング型プレーヤーはなかなか受け入れられなかったのだろう、と考えている。

Mark Levinsonというブランドの特異性(その41)

水にも、いろいろある。含有される各種ミネラル成分のバランス、量によって、
まず大きく分けて、軟水と硬水とがあり、口に含んだときの感じ方はずいぶん違う。

近い硬度の水でも、ミネラル成分の割合いによって、味は異り、
同じ水でも、温度が違えば味わいは変わってくる。
水のおいしさは、利き酒ならぬ利き水をするのもいいが、
そのまま飲んだときよりも、珈琲、紅茶、アルコールに使ったときのほうが、
違いがはっきりとわかることがある。味わう前に、香りの違いに気がつくはずだ。

料理もそうだ。
いつも口にしている料理、たとえば味噌汁を、ふだん水道水そのままでつくっているのであれば、
軟水のナチュラルミネラルウォーターでつくってみれば、何も知らずに出され口にした人は、
いつもとなにかが違うと感じるはず。

Date: 5月 24th, 2009
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その58)

知りたかったことが、もうひとつ「コンポーネントステレオの世界 ’78」にあった。
瀬川先生がヨーロッパのコンサートホールでの低音について、どう感じておられたか、があった。
     *
パワーアンプにSAEのMARK2600をもってきたことの理由の一つは、LNP2Lを通すと音がやや細い、シャープな感じになるんですが、このパワーアンプは音を少しふくらまして出すという性格をもっているからです。それを嫌う方がいらっしゃることは知っています。しかし私の貧しい経験でいえば、欧米のコンサートホールでクラシック音楽を聴いて、日本でいわれてきた、また信じてきたクラシック音楽の音のバランスよりも、低域がもっと豊かで、柔らかくて、厚みがある音がするということに気がつきました。そこでこのMARK2600というパワーアンプの音は、一般にいわれるような、低域がゆるんでいるとかふくらみすぎているのではなく、少なくともこれくらい豊かに低域が鳴るべきなんだと思うんですね。
     *
やっぱりと思い、うれしかった。
この発言から30年が経っているいまも、日本では、低音を出すことに、臆病のままではないだろうか。

Date: 5月 22nd, 2009
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(番外)

「コンポーネントステレオの世界 ’78」に、芳津翻人(よしづ はると)氏という方が、
「やぶにらみ組み合わせ論(IV)」を書かれている。
IVとあるくらいだから、ステレオサウンド 4号(67年秋号)からはじまり、
13号(70年冬号)、17号(71年冬号)に亘って書いている、と前書きにある。

私が読んだ4回目の記事は、小型スピーカーの組合せの記事。
スピーカー選びから始まって、ロジャースのLS3/5A、スペンドールSA1、
JR(ジム・ロジャース)JR149の組合せを、他の筆者とは違う視点からあれこれ悩みながらつくられていて、
「素人の勝手なたわごと」とことわっておられるが、どうして、なかなかおもしろい。
文章も書き慣れているという印象を受ける。

だから5回目を期待していたのだが、結局、(IV)でおしまい。
ステレオサウンドにはいってから、先輩のIさんにたずねた。
「どうして、芳津翻人さんを使わないんですか」と。

まったく想像してなかった答えだった。
「芳津翻人さんは、瀬川先生のペンネームだから」。
さらに「芳津翻人を違う読み方をしてごらん。ハーツフィールドと読めるでしょ」。

JBLのハーツフィールドは、瀬川先生にとって憧れのスピーカーだったことは、どこかに書いておられる。
ただ山中先生のところで聴かれたとき、憧れのスピーカーではあっても、
自分の求める世界を出してくれるスピーカーではないことを悟った、ということも。

それでも憧れのスピーカーは、いつまでも憧れであり、芳津翻人という名前をつくられたのだろうか。

瀬川先生だということをわかった上で読みなおすと、たしかに「瀬川氏」とよく出てくるし、
音の評価も、瀬川先生とよく似ている。

オーラトーンのスピーカーは好みと違うとあるし、ドイツのヴィソニックの評価はなかなか高い。
このへんは、まさに瀬川先生とそっくりだ。

瀬川先生がいなくなり、芳津翻人さんもいなくなった。

Date: 5月 19th, 2009
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その57)

トーレンスの101 Limited (930st)、スチューダーのA727を使ってきた経験、
ドイツ・グラモフォン、フィリップス、デッカ等のレコードを、輸入盤と国内盤との聴き較べ、
国内のコンサートホールで聴いてきた、とくにオーケストラの響き、
そんな私の経験から思うに、ヨーロッパのコンサートホールにおけるクラシックの演奏の音のバランスは、
日本でピラミッドバランスといわれているよりも、ずっと厚みのある低音が、豊かでやわらかく、
聴き手をくるみこむのではないだろうか。

瀬川先生は、そのことに気づいておられたのだろう。
アメリカ、ヨーロッパに行かれているから、おそらく、何度かは向こうのホールで聴かれているはず。

930stやSAE Mark 2500のように、豊かに低音が鳴り響くべきと、
少なくともクラシックに関しては、そうだと思われていたのだろう。

だから930stやMark 2500が低音の量感豊かというよりも、
他の機種の大半を、量感不足と受けとめられていたかもしれない。

Date: 5月 13th, 2009
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その56・補足)

SAEのMark 2500は、1978年に、最大出力が300W(8Ω、片チャンネル)から400Wと、
約3割アップしたMark 2600へとモデルチェンジしている。

外観、内部コンストラクションはMark 2500とまったく同一なので、
電源電圧と電圧増幅段のゲインを高く変更することで実現していると思われる。
Mark 2500の上級機というよりも、パワーアップ版、改良モデルといえよう。

そういうわけなので、Mark 2500と2600、両者の音はほぼ同じ、と言われていた。
山中先生は厳密に比較試聴すると、Mark 2600のほうが、わずかではあるが音が甘い、
特に低域に関してはっきりと感じられた、と、ステレオサウンド 45号に書かれている。

瀬川先生はどう感じられていたかというと、熊本のオーディオ店でのイベントで、
Mark 2600の話題になったときに、
「中〜高域に、少しカリカリする性格の音が感じられるようになって、2500の、
独特の色っぽさ、艶がいくぶん後退した」、
だから「個人的には2500ほどには、2600を高く評価したくない」と話された。

Mark 2500と2600の差は、わずかなものだろう。
それでも惚れ込んでいたアンプだけに、そのわずかな差が、瀬川先生にとっては無視できないものとなったのだろう。

Date: 5月 12th, 2009
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その56)

SAEのMark 2500について、瀬川先生は、ステレオサウンド 43号に、
「音のダイナミックな表現力の深さ、低音の豊かさ、独特の色っぽい艶と滑らかさなど、
いまだこれに勝るアンプはないと思う」と書かれている。
まだマークレビンソンのML2Lが出る前のことだ。

その2号の前の41号には、マークレビンソンのLNP2と組み合わせ、鳴らしはじめて2〜3時間すると、
「音の艶と滑らかさを一段と増して、トロリと豊潤に仕上がってくる」とも書かれている。

ML2Lとはずいぶん音の性格の違うMark 2500に、瀬川先生は惚れ込まれていたし、
「スピーカーならJBLの4350A、アンプならマークレビンソンのLNP2LやSAE2500、
あるいはスレッショールド800A、そしてプレーヤーはEMT950等々、
現代の最先端をゆく最高クラスの製品には、どこか狂気をはらんだ物凄さが感じられる」とも、
43号に書かれている。

Mark 2500について語られる言葉も、930stについて語られる言葉同様、見落とすことはできない。

ところで、このMark 2500の設計者を、瀬川先生はバリー・ソントンだと思われていたようだが、
彼がSAEのアンプの設計を担当したのは、1980年のXシリーズからである。
それまでバリー・ソントンは、オーディオニックスにいた。

オーディオニックスといっても、日本での、当時のオルトフォンの輸入元のことではなく、
アメリカのオーディオ・ブランドで、日本には商標の関係で、
オーディオ・オブ・オレゴンの名前で、R.F.エンタープライゼスが輸入していた。
ソントンは、トランジスター・コントロールアンプながら真空管アンプを思わせる、
柔らかい表情の音が特徴のBT2を設計、
その前は、クインテセンスの主要メンバーの一人だった。

Mark 2500の設計者は誰なのか。
ジェームズ・ボンジョルノだろう。基本設計は彼によるものだ。
彼がSAEに在籍していたことは知られているし、Ampzilla 2000のウェブサイトを見ると、
SAE(Scientific Audio Electronics)
The following products continued to use my circuit topology:
2200, 2300, 2400,2500,2600
とある。

SAEの社長であるモーリス・ケスラー自身もエンジニアだけに、
おそらくボンジョルノの設計した回路を基に、シリーズ展開していったのだろう。
SAEの一連のアンプは、Mark 2400、2500も、
シリーズアウトプットと名付けられた回路を出力段に採用している。

この回路の設計者がボンジョルノであり、
彼は、自身の最初のブランドである GASのAmpzillaにも、このシリーズアウトプット回路を使っている。
Ampzilla II以降は、なぜか採用していない。

Date: 5月 11th, 2009
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その55)

ピラミッド型のバランスとは、世の中は広いもので、
高域がなだらかに落ちていく周波数特性の音だとは思い込んでいる人が、ごくごく稀におられるが、
もちろんそんなことはない。

SAEのMark 2500もEMTの930stも、豊かな低域の量感に支えられたピラミッド型の帯域バランスをもつが、
だからといって、どちらも周波数特性で、低域が上昇しているわけではない。

いまどきオーディオ機器で、低域を意図的に上昇させているモノはないだろう。
なのに聴感上では、低音の量感が、機種によって大きく左右されるのは、なぜだろう。

アンプならば、電源部の容量が関係してくる……。
必ずしも、そうとは言えない。

結局、低音の量感の豊かさは、低音のゆるさ、ふくらみと密接な関係にある。
ゆるさは、ぬるさではない。
ふくらみは、鈍さではない。

Date: 5月 11th, 2009
Cate: 930st, EMT, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その54)

「全く上質の肉の味がする」EMT・930stは、
「バスドラムの重低音の量感」と「皮のたるんでブルンと空気の振動する感じの低音」を聴かせてくれる、
「他に思いつかない」鳴り方を提示する930stは、「まさにピラミッド型の」のオーケストラのバランスで、
「低音の量感というものを確かに聴かせて」くれる。

ピラミッド型の音のバランスときくと、多くの人は正三角形を思い浮かべるのではないだろうか。
瀬川先生にとってのピラミッド型のバランスは、頂上から途中までは正三角形なのが、
ふもとにいくにしたがい、富士山の姿のように裾野が広がっていく、そういう感じのように思える。

こういう音のバランスを、低音過多だと表現される方もおられるだろう。
だが、ほんとうに低音過多なのだろうか。
むしろ、このくらいの豊かさがあってこそ、美しいピラミッド型のバランスなのではないのか。

サーロジックのサブウーファー、SPD-SW1600を導入して、
1年と数ヵ月、あれこれいじってきて、このことを実感している。

Date: 5月 10th, 2009
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その53)

瀬川先生の文章を読みはじめたのは、ステレオサウンドの41号から。
それからは、他のオーディオ誌に書かれているものも、できるだけすべて読むようにしてきた。

ステレオサウンドの52号、セパレートアンプ特集の巻頭エッセイ、
このあたりから瀬川先生の文章が変わりはじめたような気がする。
それまで以上に的確に、音をイメージしやすくなってきた。

52号での、マークレビンソンのML6Lの音についてのこと、
マッキントッシュとQUADをまとめて語られていたこと、など、
読みごたえが増していて、何度となく読み返した。

読み返すたびに、発見があった。

55号の「ハイクォリティプレーヤーの実力診断」の個々の機種の試聴記、「テストを終えて」もそうだ。
以下に書き写しておく。
いちど読んでいただきたい。
     ※
 良くできた製品とそうでない製品の聴かせる音質は、果物や魚の鮮度とうまさに似ているだろうか。例えばケンウッドL07Dは、限りなく新鮮という印象でズバ抜けているが、果物でいえばもうひと息熟成度が足りない。また魚でいえばもうひとつ脂の乗りが足りない、とでもいいたい音がした。
 その点、鮮度の良さではL07Dに及ばないが、よく熟した十分のうま味で堪能させてくれたのがエクスクルーシヴP3だ。だが、鮮度が生命の魚や果物と違って、適度に寝かせたほうが味わいの良くなる肉のように、そう、全くの上質の肉の味のするのがEMTだ。トーレンスをベストに調整したときの味もこれに一脈通じるが、肉の質は一〜二ランク落ちる。それにしてもトーレンスも十分においしい。リン・ソンデックは、熟成よりも鮮度で売る味、というところか。
 マイクロの二機種は、ドリップコーヒーの豆と器具を与えられた感じで、本当に注意深くいれたコーヒーは、まるで夢のような味わいの深さと香りの良さがあるものだが、そういう味を出すには、使い手のほうにそれにトライしてみようという積極的な意志が要求される。プレーヤーシステム自体のチューニングも大切だが、各社のトーンアームを試してみて、オーディオクラフトのMCタイプのアームでなくては、マイクロの糸ドライブの味わいは生かされにくいと思う。SAECやFRやスタックスやデンオンその他、アーム単体としては優れていても、マイクロとは必ずしも合わないと、私は思う。そして今回は、マイクロの新開発のアームコード(MLC128)に交換すると一層良いことがわかった。
 単に見た目の印象としての「デザイン」なら、好き嫌いの問題でしかないが、もっと本質的に、人間工学に立脚した真の操作性の向上、という点に目を向けると、これはほとんどの機種に及第点をつけかねる。ひとことでいえば、メカニズムおよび意匠の設計担当者のひとりよがりが多すぎる。どんなに複雑な、あるいはユニークな、操作機能でも、使い馴れれば使いやすく思われる、というのは詭弁で、たとえばEMTのレバーは、一見ひどく個性的だが、馴れれば目をつむっていても扱えるほど、人間の生理機能をよく考えて作られている。人間には、機械の扱いにひとりひとり手くせがあり、個人差が大きい。そういういろいろな手くせのすべてに、対応できるのが良い設計というもので、特性の約束ごとやきまった手くせを扱い手に強いる設計は、欠陥設計といえる。その意味で、及第点をつけられないと私は思う。適当にピカピカ光らせてみたり、ボタンをもっともらしく並べてみたりというのがデザインだと思っているのではないか。まさか当事者はそうは思っていないだろうが、本当によく消化された設計なら、こちらにそういうことを思わせたりしない。
 そういうわけで、音質も含めた完成度の高さではP3。今回のように特注ヘッドシェルをつけたり、内蔵ヘッドアンプを使わないために引出コードも特製したりという異例の使い方で参考にしたという点で同列の比較は無理としてもEMT。この二機種の音質が一頭地を抜いていた。しかし一方で、操作性やデザインの具合悪さを無理してもいいと思わせるほど、隔絶した音を聴かせたマイクロ5000の二重ドライブを調整し込んだときの音質の凄さは、いまのところ比較の対象がない。とはいってもやはり、この組合せ(マイクロ5000二重ドライブ+AC4000または3000MC)は、よほどのマニアにしかおすすめしない。
 これほどの価格でないグループの中では、リン・ソンデックの、もうひと息味わいは不足しているが骨組のしっかりした音。それと対照的にソフトムードだがトーレンス+AC3000MCの音もよかった。またケンウッドの恐ろしく鮮明な音も印象に深く残る。

Date: 5月 9th, 2009
Cate: 930st, EMT, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その52)

(その23)での冒頭で引用した、瀬川先生によるEMT 930stの試聴記。

この文章こそ、瀬川先生の音の好みを知る上で好適と言えよう。
     ※
中音域から低音にかけて、ふっくらと豊かで、これほど低音の量感というものを確かに聴かせてくれた音は、今回これを除いてほかに一機種もなかった。しいていえばその低音はいくぶんしまり不足。その上で豊かに鳴るのだから、乱暴に聴けば中〜高音域がめり込んでしまったように聴こえかねないが、しかし明らかにそうでないことが、聴き続けるうちにはっきりしてくる。ことに優れているのが、例えばオーケストラのバランスと響きの良さ。まさにピラミッド型の、低音から高音にかけて安定に音が積み上げられた見事さ。そしてヴァイオリン。試聴に使ったフォーレのソナタの、まさにフォーレ的世界。あるいはクラヴサンの胴鳴りが弦の鋭い響きをやわらかく豊かにくるみ込んで鳴る美しさ。反面、ポップスのもっと鋭いタッチを要求する曲では、ときとしてL07Dのあの鮮鋭さにあこがれるが、しかし一見ソフトにくるみ込まれていて気づきにくいが、打音も意外にフレッシュだし、何よりもバスドラムの重低音の量感と、皮のたるんでブルンと空気の振動する感じの低音は、こんな鳴り方をするプレーヤーが他に思いつかない。
なお、試聴には本機専用のインシュレーター930−900を使用したが、もし930stをインシュレーターなしで聴いておられるなら、だまされたと思って(決して安いとはいえない)この専用台を併用してごらんになるよう、おすすめする。というより、これなしでは930stの音の良さは全く生かされないと断言してもよい。内蔵アンプをパスするという今回の特殊な試聴だが、オリジナルの形のままでもこのことだけは言える。
     ※
「ハイクォリティプレーヤーの実力診断」の記事の冒頭、「テストを終えて」という文章が掲載されている。

ここで「良くできた製品とそうでない製品」の音を、「果物や魚の鮮度とうまさ」に例えられている。

Date: 5月 8th, 2009
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その51)

ステレオサウンド 55号の「ハイクォリティプレーヤーの実力診断」の記事中で、
トーレンスのTD126MKIIICのところで、こんなことを、瀬川先生は書かれている。
     ※
今回の試聴盤の中でもなかなか本来の味わいの出にくいフォーレのVnソナタなどが、とても優雅に、音楽の流れの中にスッと溶け込んでゆけるような自然さで鳴る。反面、ポップス系では、同席していた編集の若いS君、M君らは、何となく物足りないと言う。その言い方もわからないではない。
     ※
SさんとMさんは、ステレオサウンド 56号での、
トーレンスのリファレンスの新製品紹介記事(これも瀬川先生が書かれている)でも登場する。

リファレンスは、TD126同様、フローティングプレーヤーではあるが、その機構はまったくの別物。
TD126がコイル状のバネで、比較的十慮の軽いフローティングボードを支えているのに対し、
リファレンスでは、ベースの四隅に支柱を建て、板バネと金属ワイヤーによる吊下げ式となり、
プレーヤー本体の重量も、TD126が14kg、リファレンスは90kgと、
構造、素材の使い方、まとめ方など、異る代物といえる。

リファレンスは、ワイヤーの共振点を変えられるようになっていた。
瀬川先生は、試聴記のなかで、いちばん低い周波数に設定したときが好ましかったが、
ここでも編集部のSさんとMさんは、その音だと、ポップスでは低音がゆるむから、と、
高い周波数にしたときの音の方がいい、と言っていた、と書かれていた(はず)。

ここでも、瀬川先生は、やわらかく、くるみ込むような低音を好まれていることが、はっきりとわかる。

Mark Levinsonというブランドの特異性(その19・補足)

A740のXLR端子がバランス入力ではないわけだから、
コンシューマー用パワーアンプで、最初にバランス入力を装備したのは、マークレビンソンのML2Lだろう。

すくなくとも日本で販売されたアンプということに限れば、ML2Lで間違いないはず。
次は、ジェームズ・ボンジョルノ主宰のSUMOのThe PowerとThe Goldだろう。
ML2LはXLR端子、SUMOの2機種はフォーンジャックを採用していた。

SUMOのアンプは、バランス入力のインピーダンスは10kΩと一般的な値なのに、
アンバランス入力は1MΩと、100倍も高くなっている。
正しくいえば、バランス入力の10kΩは、片側だけの入力(+側だけ、−側だけ)だと、
その半分の5kΩだから、200倍高い値である。

マーク・レヴィンソンが、CelloのEncore Preampのライン入力を1MΩにしたのは、1989年だから、
ボンジョルノは9年前に高入力インピーダンスをとり入れていたわけだ。
そのことを謳うかそうでないかは、ふたりの性格の違いからきている、と私は思っている。

SUMOの前に設立したGASでのデビュー作、Ampzillaの入力インピーダンスは、
ごく初期のものは、記憶に間違いがなければ、7.5kΩだった。
1974年の、そのころのパワーアンプの入力インピーダンスは、50k〜100kΩだったから、
かなり低い値だったわけで、ペアとなるコントロールアンプのティアドラが、
8Ωのスピーカーを、3WまではA級動作で鳴らすことができるほどの、
小出力のパワーアンプ並のラインアンプだから、可能な値といえる。

それが6年後のSUMOでは、200倍ちかい1MΩに設定することが、
なんともボンジョルノらしいといえば、そう言えるだろう。

私がSUMOのThe Goldを使っていたころ、ボンジョルノの人柄について、
井上先生がいくつか話してくれた内容からすると、
そうとうにユニークな人であることは誰も否定できないほどだ。

Mark Levinsonというブランドの特異性(その19・訂正)

(その19)で、ルボックスのパワーアンプA740にバランス入力が装備されていると書いてしまったが、
たまたまA740と、その元となったスチューダーのパワーアンプA68のサービスマニュアルが
PDFで入手できたので、いったいどこがどう違うのか見比べていたら、間違いだったことに気がついた。

A740にはRCAピンジャックにすぐ下にXLR端子が設けられている。
A68はプロ用ということもあって、XLR端子のみで、もちろんバランス入力。
だからA740もそのままバランス入力を備えているものと思い込んでしまっていた。
A740のXLR端子は、RCA入力に並列に接続されているだけのアンバランス入力である。

A740とA68の内部は、よく似ている。
A740には、A68にはないメーターが装備され、スピーカー切替スイッチもついてる。
短絡的に捉えるなら、そういった装備により、多少音は影響されるように思いがちだが、
瀬川先生は、A68よりもA740の音を高く評価されていた。
性能が向上している、といった書き方だったように記憶している。

だがいったい、どこがどう違うのだろうかと、ずっと知りたかったことがやっとわかった。
A740とA68は、パワーアンプ部と電源の回路は同じだ(細かい定数までは、まだ比較していない)。
ブロックダイアグラムをみると、どちらもパワーアンプの前段にプリアンプとフィルターをもっており、
ここが2機種の相違点である。

A68は、まずRFフィルターを通り(バランス構成で、コイルが直列に挿入されている)、
入力トランス、ゲイン14dBのプリアンプ、その後にハイカットフィルター、
そしてパワーアンプへと信号は渡されていく。

A740にはRFフィルターはなく、レベルコントロールを経て、
ゲイン7dBのプリアンプ(回路構成はA740と同じ、上下対称回路)、
その後のフィルターはハイカットとローカットの2段構成で、パワーアンプの回路へとつながっている。

プロ用、コンシューマー用と、使用状況に応じての信号処理の使い分けである。

Date: 5月 2nd, 2009
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと
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瀬川冬樹氏のこと(その50)

フェログラフはイギリスのオーディオメーカーで、日本に紹介されたのは、スピーカーシステムのS1と、
オープンリールデッキのStudio 8(本格的なコンソール型で、価格は1980000円)ぐらいだけだろうか。

S1は、価格的にはスペンドールのBCIIと同クラスのスピーカーシステムで、
ユニット構成は、ウーファーにKEFの楕円型ユニットB139、スコーカーは12cm口径のプラスチックコーン型、
トゥイーターはドーム型で、クロスオーバー周波数は、400Hzと3.5kHz。
縦にラインのはいったサランネットと、白く塗装された一本脚のスタンドが外観上の特徴となっている。

S1の音について、瀬川先生は、「ステレオのすべて ’73」では、
低音のうんと低いところがふくらみ、そのため、他のスピーカーと並べて聴くと、
S1だけ低音が別に出てくる。だぶついているという受け取り方もあるくらい、と述べられている。

さらに中域については、うまく押えられている、と言われ、
それに対し菅野先生は、押えられているというよりも足りない、と指摘され、
具体例として、ソニー・ロリンズのテナーサックスが、アルトになるという感じがある、
図太い音楽があきらかに痩せてしまう、と。

その点は瀬川先生も認められている。
高いほうもややしゃくれ上った、いわゆるドンシャリの高級なやつというふうに、
S1の全体のイメージを表現されている。

そんなS1の、中域の薄さを補う意味で、ダイナコとオルトフォンを選択されている。
つまりS1の組合せにおいて、低音のふくらみに関して、どうにかしようとは考えておられないことがわかる。

おそらく傅さんだけでなく、クラシック好きのひとでも、
S1とダイナコの組合せの低音を「ゆるい」と感じられる方がいても不思議ではない。