Noise Control/Noise Design(官能性)
オーディオに関係してくるノイズのすべてを消し去ることができるようになったら、
きれいさっぱりノイズというノイズがなくなってしまったら、
その再生音には官能性が生れてこなくなるはず──、というのは私の予感だ。
オーディオに関係してくるノイズのすべてを消し去ることができるようになったら、
きれいさっぱりノイズというノイズがなくなってしまったら、
その再生音には官能性が生れてこなくなるはず──、というのは私の予感だ。
1月19日夜にアキュフェーズがやって来て、今日で五日。
毎日、そのパネルフェイスを眺めているわけだが、
このころのアキュフェーズのデザインが、個人的にはいちばん気に入っている。
木目調に仕上げなかったことはもちろんだが、フロントパネルの処理も悪くない。
フロントパネル下部を傾斜させているのは、
いまのアキュフェーズにつながる処理の仕方なのだが、
同じ手法であっても、このころのアキュフェーズは控えめだ。
いまは違う。かなり傾斜させている。
なぜ、そこまで? と個人的には感じるだけでなく、
エソテリックほどではないにしても、奇妙なデザインとしか思えない。
アキュフェーズは、どうしてウッドパネルや木目調の仕上げを復活させたのか。
おそらくユーザー側からの要求に応じてなのではないだろうか。
以前、そうした仕上げをとってきたブランドが、それをやめてしまっても、
いつのまにかまた以前のやり方に戻ってしまうのは、
それだけそのブランドの人気があること、それだけユーザーの声が強いのかもしれない。
私は何度も書いているように、基本的に木目調仕上げを好まない。
そういう仕上げやパネルはオプションで用意してほしい、と思うほうなのだが、
これまでアキュフェーズを支えてきたユーザーの声は無視できないのは、わかっている。
私なんて、これまで一台もアキュフェーズの製品を購入していない。
アキュフェーズにはなんにも貢献していないオーディオマニアでしかない。
そんな私のいうことはアキュフェーズにとって、どうでもいいことでしかない。
それでもDC330、DP100、A20Vなどの時代のアキュフェーズのデザインを好む者もいる、
そのことだけは忘れないでほしい……。
アキュフェーズのDC300は、1996年、
DC330は1999年に登場している。
DC300とDC330の違いはいくつもあるが、
まず大きな違いとして挙げられるのは、DC330はアキュフェーズ独自のHS-Linkを搭載、
DP100と組み合わせることでSACDの再生が可能になっていることだ。
同時に、対応サンプリング周波数も、DC300は32kHz、44.1kHz、48kHzだけだったが、
DC330では、32kHz、44.1kHz、48kHz、88.2kHz、96kHz、176.4kHz、196kHz、2.824MHzと、
時代にそった拡大がはかられている。
DSDが2.824MHzだけなのは、1999年なのだからしかたない。
いまアキュフェーズがDC330の後継機を開発すれば、
DSDの対応サンプリング周波数は11.2MHzまで、となるはずだ。
同時に思うのは、機能的にDC330とどう違ってくるのだろうか、だ。
1999年当時は、TIDALはまだなかった。
ストリーミングで本格的に音楽を聴く時代ではなかった。
いまは違う。
となると、デジタル・コントロールアンプにはハブ機能が求められるのか。
この点を考えていく必要がある。
(その4)で、
アキュフェーズのA級動作のパワーアンプはA50だと記憶している、と書いたけれど、
A100がその前に登場している。
なのにA50の方が記憶に強く残っているのは、
ゴトウユニットとの相性についての話を友人から聞いた時に、
A100ではなくA50だったということが関係している。
A100とA50、どちらが優れているパワーアンプなのか、ということではなく、
友人の知人で、ゴトウユニットを鳴らしている人が、A50を選択しての結果というだけのことだ。
その人が、A100とA50を比較しての選択なのかどうかも知らない。
とにかくA50とゴトウユニットは、その人にとって最良の結果の音を鳴らしている、と聞いている。
《国産の水準を知る最新の標準尺》としてならば、
最新のアキュフェーズの製品を導入すべきなのではないか──、は正しいのだが、
思いがけない大金を手にしたとしても、
最新のアキュフェーズの製品が欲しいかと問われると、うーん、というしかない。
音について、うーんとなってしまうのではなく、
外観に関して、である。
別項「オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(ダストカバーのこと・その10)」で、
ウッドケースやウッドパネルに、あまり魅力を感じない、と書いている。
十年ほど前に書いたことだが、このことに関してもいまも全く同じで、
なぜ木目調に仕上げる? といいたくなることが多い私だ。
木目調の仕上げ、ウッドケース、ウッドパネル、すべてが嫌いなわけではないし、
魅力を感じないわけではないが、
そう感じる製品は、ごくわずかである。
アキュフェーズの製品もサイドにウッドパネルがついていたり、
天板に関してもそうだったりする。
けれど、私のところにやって来たころのアキュフェーズの製品は、
サイドのウッドパネルをやめている。
このことが、小さいことだけど、私にとっては嬉しいことである。
試聴室でリファレンス機器として使う(聴く)分には、
ウッドのサイドパネルがついてたり、木目調の天板であっても、
それほど気になったりはしないが、自分の部屋にやって来るモノとなると、
音も大事なのだが、このことは軽視できることではなくなる。
(その1)で、MP649をひっぱり出して、ふたたびかけるようにしたことを書いている。
MP649は、私が買った最初の川崎先生デザインのメガネフレームである。
1998年に買っている。
私が買ったMP649は、モノトーンといえる色調なのだが、
ヴァリエーションとして明るい色調、ポップともいえるMP649もあったのだが、
こちらはかけるのが気恥ずかしいと感じて、モノトーンといえるMP649を選んだ。
十年くらいして、両方買っておけばよかった──、と思うようになったけれど、
すでに製造されていない。
二日前の夜おそく、Googleで画像検索していたら、
MP643が表示された。
MP649とMP643は細部に違いはあるが、同じデザインといえるフレームで、
表示されたMP643は、買っておけばよかった──、と思っていた色調のモノだった。
しかも未使用なのに、そこに表示されていた価格は、当時の定価の十分の一。
もちろん即購入した。
今日、郵便ポストに届いていた。
瀬川先生の文章で、
私が惹かれたのは《国産の水準を知る最新の標準尺として使いたいと思わせるほど》のところだ。
1978年は、すでにマークレビンソンのML2も登場していたし、
LNP2との組合せは、当時の私にとって、憧れ中の憧れの存在だった。
いつかはマークレビンソンの、この組合せ、と夢見ていたと同時に、
ヤマハのC2とB3の組合せも欲しい、と思わせたのは、
瀬川先生の《国産の水準を知る最新の標準尺として使いたいと思わせるほど》だった。
憧れのオーディオ機器を手に入れるだけでなく、
なんといったらいいのだろうか、当時の私は、オーディオ全体を知ろうと考えていたし、
そのために必要なオーディオ機器をすべて聴きたい、とも思っていた。
そんな私に、瀬川先生の《国産の水準を知る最新の標準尺として使いたいと思わせるほど》は、
C2とB3の音は、マークレビンソンのLNP2とML2の音のレベルには達していないものの、
聴いておくべきアンプという捉えかたをするようにさせたほどだった。
《国産の水準を知る最新の標準尺》、
その後、そういえるアンプは何があっただろうか。
そう考えた時にまず浮ぶのは、私の場合、アキュフェーズであるのは、
やはりステレオサウンド時代に、常にリファレンス機器として接していたからなのだろうか。
アキュフェーズの製品がやって来たことは、すでに書いている。
いずれの機種も2000年、もしくはそれ以前の機種である。
二十年ほど前に開発された機種である。
最新のアキュフェーズの音は、
インターナショナルオーディオショウで聴ける、といえば、たしかに聴けるわけだが、
試聴室でじっくりと聴いた、というレベルでは当然なくて、
あくまでも聴いた、ということでしかない。
その意味で、私にとって、二十年ほど前のアキュフェーズとはいえ、
じっくり聴けるわけだし、アキュフェーズの音だけというわけでもなく、
手持ちの他のブランドのモデルともじっくり比較できる。
そんなことを思っていたら、
アキュフェーズの製品の音は、私にとって、一つのリファレンス的といえるのか、
そういう自問が生じてきた。
私が働いていたころのステレオサウンドの試聴室で、
アキュフェーズの製品は、CDプレーヤー、コントロールアンプ、パワーアンプ、
いずれもリファレンス機器として使われていた。
自然とこちらの意識も、リファレンス機器として見るように(聴くように)なっていた。
このことが一般的なのかどうかは、私にとってはどうでもいいことで、
私にとってはアキュフェーズの製品の音とは、そういう存在であった──、
そのことが重要なことであり、そういえば──、と思い浮べるのは、
瀬川先生の文章である。
*
以前B2と組み合わせて聴いたC2だが、パワーアンプが変ると総合的にはずいぶんイメージが変って聴こえるものだと思う。少なくともB3の出現によって、C2の本当に良い伴侶が誕生したという感じで、型番の上ではB2の方が本来の組合せかもしれないが、音として聴くかぎりこちらの組合せの方がいい。B2にはどこか硬さがあり、また音の曇りもとりきれない部分があったがB3になって音はすっかりこなれてきて、C2と組み合わせた音は国産の水準を知る最新の標準尺として使いたいと思わせるほど、バランスの面で全く破綻がないしそれが単に無難とかつまらなさでなく、テストソースのひとつひとつに、恰もそうあって欲しい表情と色あいを、しかしほどよく踏み止まったところでそれぞれ与えて楽しませてくれる。当り前でありながら現状ではこの水準の音は決して多いとはいえない。ともかく、どんなレコードをかけても、このアンプの鳴らす音楽の世界に安心して身をまかせておくことができる。
*
「世界のコントロールアンプとパワーアンプ(ステレオサウンド別冊・1978年春発行)」での、
ヤマハのC2とB3の組合せの試聴記である。
第五回audio wednesday (next decade)は、2月1日。
参加する人は少ないだろうから、詳細はfacebookで。
開始時間、場所等は参加人数によって決める予定。
「アキュフェーズがやって来た」に、facebookでコメントがあった。
最近、私のところにやって来るオーディオ機器たちの引きがねは、
タンノイのコーネッタ導入あたりでしょうか、という内容だった。
私としては、コーネッタより前、
2019年にヤフオク!で手に入れたKEFのModel 303からだ、と感じている。
Model 303のあとに、ヤマハのカセットデッキK1dを、
その後にサンスイのプリメインアンプAU-D607、
さらにテクニクスのアナログプレーヤーSL01と一ヵ月にほぼ一機種のペースで手に入れた。
そして2020年に、タンノイのコーネッタ、
2021年にSAEのMark 2500、2022年にGASのTHAEDRAときて、
2022年にはジャーマンフィジックスのTroubadour 40とエラックの4PI PLUS.2もやって来た。
これら以外にも、いくつかのオーディオ機器がやって来ている。
メリディアンの218がそうだし、210もそうだ。
どうしたんだろうなぁ、と自分でも不思議に思うし、
ふり返ると、やはりKEFのModel 303からだ、と感じている。
でももっと以前のことをふり返ると、岩崎先生のHarknessがやって来たこと、
そもそものきっかけであり引きがねなのだろう。
オーディオは、音楽を聴くための道具、であるとともに、
音楽を聴く「意識」でもあるわけだが、
前者の意味だけでスピーカーを捉えている人と後者の意味を含めて捉えている人とがいる。
前者の意味だけで捉えている人が選ぶスピーカーと、
後者の意味を含めて捉えている人が選ぶスピーカーが、仮に同じとなったとしても、
そのスピーカーから鳴ってくる音は、違って当然である。
最初は、新たなタイトルをつけて書き始めようと考えていたことを、
ここで書いていくことにした。
昨晩、アキュフェーズのモデルが四機種やってきたことは、すでに書いているとおりだ。
その中に、DC330がある。
DC330は、アキュフェーズが1999年に発表したデジタル・コントロールアンプだ。
DC330が、アキュフェーズ初のデジタル・コントロールアンプではない。
1996年にDC300を発表している。
私にとって、DC330は自分のモノとして使う初めてのデジタル・コントロールアンプである。
なにをもってデジタル・コントロールアンプというのか。
D/Aコンバーターを搭載していれば、そういえるのか。
デジタル入力をもつだけでも、そういえないことはないけれど、
ここでのデジタル・コントロールアンプは、
もっと積極的な意味でのデジタル・コントロールアンプとして、である。
となると、まず私が触れた最初のモデルは、
ヤマハCX10000となる。1986年に登場している。
このころは、まだステレオサウンドで働いていたから、 CX10000はじっくり触ったし、
音もけっこうな時間、聴くことができた。
けれど、その時の私の意識として、CX10000をデジタル・コントロールアンプとしては捉えていなかった。
かといってD/Aコンバーターを搭載しただけの安易な製品と感じたわけでもなかった。
CX10000は意欲作といえた。
それでも、いまふりかえってみても、やはりデジタル・コントロールアンプとは感じていない。
1986年といえば、まだSACDはなかった。
デジタルのプログラムソース機器といえば、CDプレーヤーのみで、
DATの登場は1987年である。
そういう時代のCX10000だから、
もし登場が数年あとになっていたら、コンセプトはかなり違っていたかもしれない。
先ほどアキュフェーズがやって来た。
CDトランスポートのDP100、
デジタル・コントロールアンプのDC330、
パワーアンプのA20V、
デヴァイディングネットワークのDF35、
この四機種である。
運んできてくれた友人と食事していたこともあって、今日は搬入のみ。
きちんとしたセッティングは週末の予定。
それにしても、と思うことは電源コードが増えたことである。
ステレオサウンドで働いていたころは、
自宅のシステムはCDプレーヤー、アナログプレーヤー、コントロールアンプ、パワーアンプ、
電源を必要とする機器は、これだけだったから、四本で足りていた。
のちにスピーカーをQUADのESLにしたので六本に増えたけれど、それでもこれだけだった。
いまは、というと、ルーター、ハブ、Mac、メリディアンの210と218、
DP100とDC330と、ここまで、つまりデジタル再生系だけで、七本必要となる。
この他にコントロールアンプ、パワーアンプ、
その他の機器(アナログプレーヤー、カセットデッキ、チューナーなど)を含めると、
十本を超えるし、他にもいくつかの機器が待機していて、
これらをすぐに使えるように電源コードだけは挿すようにすれば、二十本ほどになる。
わかっていたことだけれども、こういう時代なのか……、と感じながらも、
iPhoneとヘッドフォンで聴くシステムは、iPhone内蔵のバッテリーのみで動作するから、
電源コードは必要としない聴き方が、一方に厳然としてあることも、
この時代なのか、と感じている。
ステレオサウンド 69号でのJr.さんのExclusive 2401twin、
というよりも、Exclusive 2401twinに搭載されているTADのユニット群へのおもいは、
深く強かったわけで、だからこそ、Jr.さんはExclusive 2401twinをとびきりよく鳴らしたい──、
そういう気持があった、と思っている。
その意味で、89号でのKHさんのマッキントッシュのXRT18へのおもいもそうである。
二人とも、そこに悪意はなかった。
けれど、Jr.さんはExclusive 2401twinを、
KHさんはXRT18を、よく鳴らしたいという気持は、
他のスピーカーよりもよく鳴らしたい、であったはずだ。
それは善意ではない。
こういう試聴におけるオーディオ雑誌の編集者の善意とは、
すべての機器をきちんと鳴らす、ということであって、
ある特定の機種をよく鳴らす、ということではない。
善意の履き違えが、69号と89号での結果を生んだ、と私はいまも思っているし、
この二つの例も、編集者の悪意につながっていくことだともおもっている。
一週間前、「あるスピーカーの述懐(その41)」を書いていて思ったことがある。
なんとなく思っただけであって、確信といえるほどではないのだが、
ここでのテーマであることと、どこかでつながっていると感じた。
ここでのテーマは、あれほどB&Wの800シリーズを絶賛しながら、
なぜステレオサウンドの評論家は誰も買わないのか──、
このことに関して、B&Wの800シリーズは、
スピーカーの音を嫌いな人のためのスピーカーなのではないか。
そんなことをふとおもった。
二日前の「編集者の悪意とは(その25)」を書いたあとステレオサウンド 69号を眺めていて、
傅 信幸氏の文章が目に留った。
「いま、気になるハイエンドオーディオの世界」というタイトルの記事で、
最後の方に、こんなことを書かれている。
*
ぼく自身ふりかえってみて、レビンソンのML7Lを手にいれたのは、このプリは中味がカラでボリュウムがついているだけじゃないかとあきれるくらい普通の音だったからだ。自分と7Lとがグッドバイヴレーションした。
*
《中味がカラでボリュウムがついているだけじゃないか》、
いま聴けば、ML7の音は、もうそう感じないのかもしれないが、
それでも約四十年ほど前、傅 信幸氏にとっては、そうだったわけだ。
だからこそ、ML7を購入されている。