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Date: 9月 4th, 2015
Cate: オリジナル, デザイン

コピー技術としてのオーディオ、コピー芸術としてのオーディオ(その1)

佐野研二郎氏の著書「伝わらなければデザインじゃない」が、
無期限の発売延期になったというニュースが昨日あった。

延期になった理由は私にはどうでもいい。
このことが考えさせたのは、今回の騒動の元となった2020年東京オリンピックのエンブレムは、
それでは何なのか、である。

「伝わらなければデザインじゃない」は発売延期になったのだから、
もう手にすることはないだろう。
どんなことが書かれているのかもわからない。

だから、あくまでも本のタイトル「伝わらなければデザインじゃない」に絞って考えても、
あのエンブレムはデザインではない、ということになる。

使用中止の理由として、国民の理解が得られなかった、とあったのだから、
つまりは「伝わっていない」からである。

もちろん人によって(デザイナーによって)、
ごく少数の人たち(たとえそれが仲間内であっても)伝われば、デザインである、という考えをあるはず。
それはそれでいい。

ここではあくまでも佐野研二郎氏の「伝わらなければデザインじゃない」ということである。
少なくとも佐野研二郎氏にとって、あのエンブレムはデザインではない、ということになる。
制作していた時点ではデザインであったのか。
それが発表され、理解が得られない(伝わらない)ことで、デザインでなくなったのか。

「伝わらなければデザインじゃない」であるのなら、
2020年東京オリンピック・エンブレムは何なのか。

デコレーションでないことは確かである。
アートということになるのか。

佐野研二郎氏の肩書きはアートディレクターのようだから、いわゆる「アート」なのかもしれない……、
と思いつつも、エンブレムはあくまでもデザインとしての依頼のはずだから……、となる。

佐野研二郎氏の「伝わらなければデザインじゃない」という著書の存在がなければ、
デザインと呼べた。けれど、発売延期になったとはいえ、その存在はあるわけだから、
佐野研二郎氏にとって、あのエンブレムはデザインではないわけで、
デザインではないエンブレムの正体不明さだけが残る。

私のなかには残っている。
そして考えるのは、やはりオーディオのことだ。
オーディオは、コピー技術・コピー芸術といえる。

アナログからデジタルになり、コピー技術、コピー精度は飛躍的に向上している。
だから、どうしても今回の騒動はオーディオと無関係なこととは思えないのだ。

Date: 9月 3rd, 2015
Cate: オーディオ評論, デザイン

ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(2020年東京オリンピック・エンブレムのこと)

佐野研二郎氏デザインのエンブレムは使用中止になった。
八月は、否が応でも、この騒動が目に入ってきた。

あれこれ思い、考えた。
思い出したこともいくつもある。

そのひとつが、菅野先生の文章である。
著作集「音の素描」のオーディオ時評VIIIである。

さほど長くないので引用しておく。
     *
 夏になると人々はサングラスをかけはじめる。もっとも最近は、サングラスがオシャレの一つの道具で、別に夏ではなくても、それほど日射しが強くなくても、年中使っている人がいる。夜でもかけている人がいるが、あれは一体どういうつもりなのだろうか? このサングラスというものをかけてみると、視覚の感覚がずい分変わることに驚かされたり興味を感じたりするだろう。フィルターを通して光の波長をコントロールするのだから、裸視での色彩感とはずい分ちがったものになるのは当然だ。
 そして、不思議なことに、長くこれをかけていると、我々の色彩感はそれになれて、かけはじめた時に感じた色彩の不自然さを感じなくなってしまう。それも、たかだか二、三時間で充分。もし二、三日かけっぱなしにしていれば、そのフィルターを通した色彩こそ本物で裸視の色彩のほうが不自然だという、おかしなことにもなるのである。
 あるへっぽこ画家が、妙なことを思いついた。彼はありとあらゆるサングラスを買いこんで自由自在に色盲の世界を楽しんだ。そうして見た色を彼はキャンバスにぬりつけてみた。キャンバスに向うときにはサングラスをはずすのである。こうして彼は、そこに彼のセンスでは画けない色彩の世界を発見し、その馬鹿げた遊びに夢中になったのである。まともなサングラスでは面白くないから、いろいろな色ガラスを彼は使い始めた。彼のキャンバスには赤い空や黄色い雲や、そして緑色の人の顔が画かれた。
 知ったかぶりの彼の友人達は、それを天才的な色彩感覚だと無責任にほめそやした。事実彼の絵は売れ始めたし、多くの展覧会に入選し、賞ももらった。彼の天才? の道具であるサングラスには、その辺の露店で売っている数百円の色眼鏡もたくさんあって、幸か不幸かそれらの眼鏡の中には像を著しく歪ませるものも少なくなかった。線がひん曲がったり、顔がゆがんだりする奴だ。水平線がうねうね曲ったりした。彼はすっかり悪乗りしていい気分になってその歪んだ形をキャンバスに画いた。右眼が化物のようにでっかくて左眼が縦長のような顔も画いた。魚眼レンズにも当然興味を持った。こうして画かれた彼の絵は、かつてモンマルトルの貧困な一画家から身を起こし、世界的な大画伯として君臨した真の天才の作品にまで喩えられる始末。
 彼の周囲の無責任で手に負えない気取り屋たちにとっては、事実、その大天才の作品と彼の絵との差はわからなかった。彼らはその差を外国人と日本人との差、社会的評価の差としか考えなかった。
 かつて彼と共に苦労したもう一人の画家は、ひたすら写実に徹し、自分の眼で見た、自分の脳裏に焼きついた印象をまったく無視して、キャンバスのスペースに絵筆の技術と謙虚な写実の努力をもって画き続けていた。しかし、その作品は周囲から見向きもされないのである。彼は不幸にして生まれついての色盲であったから、その写実性と、キャンバスに画かれた色彩とは、なんとも様にならない不調和でしかなかった。彼の努力にもかかわらず、その作品は誰も認めなかった。実際その絵は決して優れたものではなかったが、少なくとも前者の作品より誠実であった。
 馬鹿馬鹿しい話しだが、オーディオのもっているいろいろな問題は、この二人の絵画きの話と照し合せてみる時、何かそこに考えさせられるものを含んではいないだろうか。忠実に音を伝達すべきオーディオ機器の理想と、レコード音楽や再生の趣味性の持つ諸問題のほんの一例かも知れないが、考えるに価することのように思えるのである。
     *
ここに出てくるサングラスの別の名詞(パソコンとアプリケーションとインターネット)に、
画家をデザイナー(アートディレクター)と置き換えて読めば、
今回の騒動をある部分を予感しているようにも思えてくる。

「音の素描」をaudio sharingで公開するために10年以上前に入力作業をやっていた。
やりながら感じていたのは、そのまま当時の事象にあてはまるという驚きだった。

今回、改めて、オーディオ時評VIIIを読み返した。

第56回audio sharing例会のお知らせ(ステレオサウンド 200号まで一年)

今月のaudio sharing例会は、2日(水曜日)です。

明日(9月2日)、ステレオサウンド 196号が書店に並ぶ。
ステレオサウンドのウェブサイトに196号の告知が公開されている。

特集1は《ハイエンド・デジタル》。
これよりも私が、おやっ、と思ったのは、特集2の方である。
タイトルは《DIG 聴いて解く「注目機の魅力」》。

「聴いて解く」とある。
ここに興味を持った。

いま別項で、ステレオサウンド編集部は間違っている、ということについて書いているところだ。
川崎先生がブログで書かれている「応答・回答・解答」、
それから川崎先生が以前からいわれている「機能・性能・効能」、
これらに受動的試聴、能動的試聴を加えれば、ステレオサウンド編集部について語れる。

私がステレオサウンドがつまらなくなったと感じている理由のひとつには、
記事の大半が応答記事になってしまったことにある。
そのことについて、これから書くつもりのところに、
今回の《DIG 聴いて解く「注目機の魅力」》というタイトルである。

編集部がどういう意図で、このタイトルにしたのか、
つまりタイトルに「解く」をいれたのか、
まだ記事を読んでいないし、読んでも伝わってくるのかどうかもなんともいえない。

だが、タイトルに「解く」とある。
この「解く」を編集部は理解しているのか、とも思う。
応答記事ばかりをつくってきて、いきなり「解く」である。

川崎先生は8月26日のブログ『デザインは解である』で、
話題=topicsに対する応答=reply
課題=questionに対する回答=answer
問題=problemに対する解答=solution
と書かれている。

196号の特集2のタイトルは、聴いて解くのあとに「注目機の魅力」と続いている。

注目機とは、いわば話題であり、そこにステレオサウンド編集部は「解」を当てている。
しかもDIGが頭についている。

仮に充分に理解しているとしよう。
特集2は、傅信幸氏、三浦孝仁氏、小野寺弘滋氏が書かれている。
この三人に、編集部の「聴いて解く」の意図は伝わっているのか、
書き手は「聴いて解く」をどう解釈しているのか。

これまでのような書き方であっては、「聴いて解く」には到底ならない。
「聴いて解く」とつけられた記事を書くのであれば、
かなりの覚悟が書き手には必要だし、いうまでもなく能力も求められる。

ほんとうに「聴いて解く」なのか、
読み手は「読んで解く」ことができるわけだ。

場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 8月 31st, 2015
Cate: デザイン

簡潔だから完結するのか(続・五味康祐氏の文章)

川崎先生のブログ、
7月3日『モダンデザイン源流を自分デザインにしてはならない!』、
7月15日『ジェネリックプロダクトの盗用悪用が始まっている』、
8月22日『歴史的作品からの刺激をどう受け止めるか』、
この三本はぜひ読んでほしい。

その上で、『歴史的作品からの刺激をどう受け止めるか』の最後に書かれていること、
http://www.nanna-ditzel-design.dk/F6.html
 これを自分のデザインとまで発表するのは「盗作」である。
 彼女は逝去されている。》が何を指しているのかを考えてほしい。

川崎先生がリンクされているサイトでは、家具の写真が表示される。
ナナ・ディッツェル(Nanna Ditzel)氏のデザインである。

ここで表示されるモノと同じようなデザインの椅子が、
別の人の名前で発表されたのだろう……、とは読んで思っていた。

さらに知りたい人は「ナナ・ディッツェル マルニ木工」で検索してほしい。
唖然とする結果が表示される。

ここで表示される椅子は、《偉大なものに対する完き帰依——それこそは真に敬虔な心情に発するものだろう》か。
私はそう思った。

写真にはデザインしたとされる人が腰掛けている。堂々としている。
写真からは、自分のデザインした椅子だ、という主張が伝わってもくる。

なにも知らなければ、この人のデザインなんだ、と思う人もいるはず。
法的には問題はない行為である。

それにおそらくふたつの椅子を実際に並べて見較べれば違いはいくつかあることだろう。

五味先生は
《模倣ではなくて、帰依に徹する謙虚さが誰のでもないセザール・フランクの音楽をつくり出させたと、私には思える》
と書かれている。

帰依に徹する謙虚さが、マルニ木工から出ている椅子に宿っているのだろうか。

第56回audio sharing例会のお知らせ(ステレオサウンド 200号まで一年)

9月のaudio sharing例会は、2日(水曜日)です。

ステレオサウンドの「第一世紀」の始まりとなった創刊号。
「第二世紀」の始まりとなった101号。

この二冊のステレオサウンドは、そこから始まる「次の世紀」の100冊を見据えての存在だったのか。

創刊号は、日本ではじめてのオーディオ専門誌としての登場ということもあって、
原田勲編集長の方針は、かなりはっきりしていたように感じる。

このことはステレオサウンド 50号の巻頭座談会で岡先生も述べられている。
     *
 いま創刊号を見直してみると、原田編集長は初めからかなりはっきりした方針をたてて、この雑誌を創刊されたように思います。それは、コンポーネント志向ということですね。もちろん創刊号では、当時の主力製品だった、いわゆるセパレートステレオみたいなものを、総括的に紹介するなど、かなり雑然としたところは見受けられるけれども、中心的な性格としてはコンポーネントを主力としている。こういう打ち出し方をした雑誌は、当時はほとんどなかったといってもいいわけで、だからほくはひじょうに新鮮な印象を受けたのです。
     *
101号はどうだろうか。
101号は24年前(1991年12月)に出ている。
特集はコンポーネンツ・オブ・ザ・イヤー(現在のステレオサウンド・グランプリの前身)とベストバイ。
残念だが、101号に「第二世紀」の始まりとなる内容は見受けられない。

ならば来年冬に出る201号も、101号同様でいいのではないか。
なぜ201号に、「第三世紀」の始まりにふさわしい内容を求めるのか。

101号のころはバブル期真っ只中だった。
インターネットも普及していなかった。
雑誌はそれまでの時代と違うモノへと変っていた時代でもある。
広告収入と本が売れることによる利益との差が拡大していった。

いまはどうだろう。
インターネットが驚くほどのスピードで普及していった。
10年前までは、インターネットは自宅か会社でパソコンの前に坐り利用するものだった。
それがいまではスマートフォンの登場で、いつでもどこでも快適に利用できる。

ウェブサイトの数も大きく増え、SNSの登場と普及、
それに雑誌の売行きの変化、書店数の減少、広告の減少(101号と最新号を比較してみれば一目瞭然だ)など、
雑誌の周囲は、「第一世紀」と「第二世紀」との違いとは比較ならないほど、
「第二世紀」と「第三世紀」と違ってきている。

だからこそ201号はステレオサウンド「第三世紀」の始まりであることを、
創刊号、101号よりももっともっと深く考えていかなければならない、と思うのだ。

場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
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第56回audio sharing例会のお知らせ(ステレオサウンド 200号まで一年)

9月のaudio sharing例会は、2日(水曜日)です。

9月2日は、ステレオサウンド 196号の発売日である。
あと一年(四冊)で、ステレオサウンドは200号(50年)を迎える。

「暮しの手帖」は、初代編集長の花森安治氏の「100号ごとに初心に立ち返る」のもと、
発行号数は100号ごとに「第n世紀」と区分けされている。

つまり来年冬(201号)からステレオサウンドの「第三世紀」が始まる。

ステレオサウンド編集部は200号(50年記念号)の特集を、
すでに企画していることだろう。
それがどんな企画で、どういう構成でまとめられるのか楽しである(期待はしていない)。

だが大事なのは、その次の号(201号)ではないのか。
201号から「第三世紀」が始まるのだから、
そこから始まるステレオサウンドの100冊のための大事な出発点となる。

だが残念なことに冬号の企画はすでに決っている。
ステレオサウンド・グランプリとベストバイである。
このふたつだけで相当なページが割かれる。

「第三世紀」が始まる号で、いきなりステレオサウンド・グランプリとベストバイ……。
ステレオサウンド編集部が真剣に考え取り組まなければならないのは、ここではないだろうか。

今回はステレオサウンド編集部は、何が間違っているのかについて話したい。

場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
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Date: 8月 30th, 2015
Cate: デザイン, 老い

ふたつの「T」(その1)

2020年東京オリンピックのエンブレムに関する騒動は、どうなっていくのだろうか、
そして関係者はどうするのか。

佐野研二郎氏のデザインには原案があり、
その原案はあるデザインと似ていたため修整が加えられ、発表されたものとなった。
その原案は公表するつもりはない、と大会組織委員会が語っていたけれど、
結局、原案は公表された。

そして、その日のうちに、この原案が何に似ていたのかが、インターネットでは話題になっていた。
すでにご存知の方も多いだろう。

「佐野研二郎 ヤン・チヒョルト」で検索すれば、いくつものサイトがヒットする。

佐野研二郎氏の原案は2013年に開催された、ヤン・チヒョルト展のロゴと、
その構成要素(長方形と三角形、円形)は同じだし、
その配置も基本的に同じである。

パクリだ、盗用だ、と騒然としている。

どちらもアルファベットの「T」である。
けれど受ける印象は大きく違う。
パクリというよりも、もはや劣化コピーとしかいいようがない。

ふたつの「T」の違いは、言葉にすればわずかである。
にも関わらず、大きな違いが印象として残る。

「細部に神は宿る」
昔からいわれていることを、これほど実感できることはそうそうない。

佐野研二郎氏を糾弾しようとは思っていない。
ふたつの「T」を見較べながら、自分自身も劣化コピーになっているかもしれない、と思わされた。

川崎先生の8月11日のブログ、『ハーバート・バイヤーを忘れた「デザイン風」の闘争』を思い出していたからだ。

Date: 8月 29th, 2015
Cate: 相性

本末転倒だったのか(その7)

多くのアナログプレーヤーのターンテーブルプラッターは、いわゆる円盤であり、
どんな形状であれ穴が開けられているモノはないのではないか。

930st、927Dstのメインプラッターはアルミのダイキャストである。
この穴はダイキャストの型の時点で設けられているのか、
それとも型から取り出した後に穴開け加工を施すのか、どちらなのかは私に知らない。

金属加工の素人考えでは、穴がないほうが造るのは手間がかからないのではないか。
EMTはわざわざ穴を開けている。
この理由が正直わからなかった。

ステレオサウンド 52号でメインプラッターに八つの穴があるのを知ってずいぶん経ったころ、
930st、927Dstのメインプラッターが、車のホイールに思えてきた。
そうすると、930st、927Dstのメインプラッターの外周にはゴムリングがはめられている。

これは鳴き止めであり、タイヤなわけはないのだが、
外周にゴムというところも車のホイールに似ている。

ホイールもターンテーブルプラッター、どちらも回転体である。
EMTのメインプラッターの裏側をみると、
短いけれど中心部からリブが伸びているのがわかる。
こういうところもホイールっぽい、と思えてくる。

優秀なホイールと優秀なターンテーブルプラッターには共通するところがあるのかもしれない──、
いつのころからかそう思うようになってきた。

Date: 8月 29th, 2015
Cate: 相性

本末転倒だったのか(その6)

EMTのアナログプレーヤーは、
リムドライヴの927Dst、930st、ベルトドライヴの928、ダイレクトドライヴの948、950などがある。
私が惚れ込んでいるのは、930stと927Dst。

このふたつのターンテーブルプラッターはアルミ製。
多くのアナログプレーヤーもアルミ製だったりする。

ターンテーブルプラッターの材質と重量だけでアナログプレーヤーの音が決定されるわけではない。
とはいえ多くのアルミ製ターンテーブルプラッターの中にあって、
930stと927Dstは圧倒的な安定感の上に構築された音を聴かせてくれる。

ターンテーブルプラッターは重いほうが慣性質量が増すから、
このことが音の良いプレーヤーの条件のひとつのようにいわれた時期がある。
重ければそれだけで音の良いプレーヤーに仕上るわけではないが、
確かにある程度の重量のターンテーブルプラッターのプレーヤーに、
音の良いモノが多いのもまた事実である。

だからある時期、とにかく重さを誇るプレーヤーがいくつも登場した。
けれど930st、927Dstのターンテーブルプラッターを見ると、不思議に思うことがある。

ステレオサウンド 52号からBIG SOUNDという連載が始まった。
一回目は927Dstで、山中先生が書かれていた。
カラー写真で927Dstが、いままでなく詳細に紹介されている。

927は16インチ盤を再生できるようターンテーブルプラッターは大きい。
52号ではメインターンテーブルプラッターの実測値が載っている。
それによれば、直径42cm、重量4.7kgである。
ちなみにシャフトの長さは首下164mm、径20mm、軸受スリーヴの外形は40mmである。

軽くはないが、驚くほどの重さではない。
52号の写真をみればすぐにわかることだが、
927Dstのメインプラッターには八つの丸い穴が開いている。

この穴の数は時代によって違うようで、私が中古で手に入れた927Dstは四穴だった。
形状も丸ではなく、一辺が弧を描く三角形だった。

なぜEMTは穴を開けるのか。
穴などないほうが重量は増すし音も良くなる可能性があるのではないか、
そんなことを52号の写真を見ながら思っていた。

Date: 8月 28th, 2015
Cate: オーディオ評論

ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(その8)

オーディオ評論家を先生と呼びはじめたのは、
ステレオサウンドが最初だった、という話は過去にもいまも何度も聞いている。

そうといえるとも思うし、ステレオサウンドが最初だろうか……、と、
すこし微妙なところもあるのも知っている。

とはいえステレオサウンドは、早い時期から先生と呼んでいたことは確かであるし、
ステレオサウンドがそう呼ぶことで、先生と呼ぶことが広まっていたようにも思う。

藝術新潮1980年5月号に「五味先生を偲んで」という、
原田勲氏の文章が載っている。
     *
 私の編集している雑誌『ステレオサウンド』は私が先生に師事することで、はじめて成立したものであった。私と先生の関わりは「五味さん」または「五味康祐」というような呼びかたをしたとたんに、嘘になってしまう。そんな距離感で、私は先生を見たことがないのだ。
     *
ここから始まった、といっていいだろう。

ここから始まったことが、30年、40年……と経つうちに変ってしまった。
形骸化とは、いまの先生という呼称の使われ方だ。

どんなオーディオ評論家に対しても、先生とつけて呼ぶ人に、
原田勲氏にとって五味先生の存在は、おそらくいないのだろう。

Date: 8月 27th, 2015
Cate: 「本」, ジャーナリズム

オーディオの「本」(考える人・その9)

私がステレオサウンドにいたころ、編集顧問のYさんから聞いた話がある。
Yさんは中央公論やマガジンハウスの仕事も当時されていた。

正確な日付はおぼえていないが、1980年代の終りごろ聞いている。
マガジンハウスが新雑誌を創刊する際の話だった。

マガジンハウスとステレオサウンドでは出版社としての規模が大きく違う。
オーディオマニアでなければステレオサウンドの名前は知らない人の方が多いだろうが、
マガジンハウスの名前を知らない人はそう多くはないだろう。

話の中でもっとも驚いたのは、予算についてだった。
金額ははっきりとおぼえているけれど、ここで書くようなことではない。

1980年代後半はバブル期に入りはじめたころということもあっただろうが、
そんなに多いのか、と唖然とした。

その予算は新雑誌をつくるためだけでなく、新雑誌の広告にも使われるとのことだったけれど、
それだけの潤沢な予算があれば、新雑誌づくりにかかわる人たちもかなりの数なのだろう。

ステレオサウンドが創刊されたのは、その話の約20年前のことだ。
時代が違うとはいえ、ステレオサウンドの創刊には潤沢な予算はなかったことは聞いていた。

ステレオサウンドの創刊号(1号)の表紙は、2号以降の表紙とは趣が異る。
ロゴも違うけれど、写真が大きく、それ以降の写真とは異る雰囲気のものである。

ステレオサウンドの創刊は、ほんとうに大変だったと原田勲氏から聞いている。
表紙の件についても聞いたことがある。

ほんとうは、こんな表紙にはしたくなかった、そうだ。
けれど予算が尽きて、窮余の策としてとあるメーカーの写真を採用することになった、と。
つまり表紙を売らなければ、ステレオサウンド創刊号を世に送り出すことはできなかったそうだ。

すべての雑誌にとって、創刊号の表紙は大事である。
原田勲氏の頭の中では、まったく別の表紙のプランがあったはずだ。

けれど創刊号を出せるかどうかの瀬戸際では、そんなことはいってられない。
なんとしてでも創刊号を出す。

ステレオサウンド創刊号の表紙は、その顕れである。
もし別の選択をされていたら、ステレオサウンドは世に出なかったかもしれないのだから。

Date: 8月 26th, 2015
Cate: 所有と存在

所有と存在(その3)

音は所有できない、と書いた。
この考えは変らない。
おそらく、これから先も変らない、と思う。

所有できるのは、ディスク、オーディオ機器、部屋という器だとも書いた。

音は所有できないからこそ、この「器」に何をいれるのか。

Date: 8月 26th, 2015
Cate: 名器

ヴィンテージとなっていくモノ(その3)

私の中で、ワディアとマークレビンソンとが重なっていったのは、
聴いた時の驚きだけが理由ではない。

LNP2の登場は、トランジスターアンプの新しい時代を切り拓いた、と高く評価される一方で、
LNP2の繊細すぎる音は神経質であり、気になってしまう、という意見もけっこうあった。

それからナルシシズムを感じさせる音ゆえに……、という意見もあった。

ポジティヴな評価とネガティヴな評価があった。
それだけLNP2は注目されたコントロールアンプだった。
少なくとも、誰もが一度は聴いてみたい、と思っただろうし、
実際に聴いた人も多かったからこそ、
ポジティヴな意見・評価とネガティヴな意見・評価があれこれ出て来たともいえる。

ワディアの D/Aコンバーターも同じような現象だった。
私は高く評価した。
私だけではなく、多くの人が高い評価をするのと同じくらい、
その高性能さは認めるものの、実際の音は、どこか違和感をおぼえる、
なにか人工的な印象を拭えない……、そういったネガティヴな評価も少なからずあった。

そういったポジティヴな意見・評価とネガティヴな意見・評価が徐々に耳に入ってくるようになって、
こういうところもマークレビンソンのLNP2と同じだな、と思っていた。

Date: 8月 25th, 2015
Cate: デザイン

簡潔だから完結するのか(五味康祐氏の文章)

五味先生の文章で、特に印象に残り、好きなものがいくつもある。
そのうちのひとつ、「フランク《オルガン六曲集》」に出てくる。
     *
 世の中には、おのれを律することきびしいあまり、世俗の栄達をはなれ(むしろ栄達に見はなされて)不遇の生涯を生きねばならぬ人は幾人もいるにちがいない。そういう人に、なまなかな音楽は虚しいばかりで慰藉とはなるまい。ブラームスには、そういう真に不遇の人をなぐさめるに足る調べがある。だがブラームスの場合、ベートーヴェンという偉大な才能に終に及ばぬ哀れさがどこかで不協和音をかなでている。フランクは少しちがう。彼のオルガン曲は、たとえば〝交響的大曲〟(作品一七)第三楽章のように、ベートーヴェンの『第九交響曲』のフィナーレそっくりな序奏で開始されるふうな、偉大なものに対する完き帰依——それこそは真に敬虔な心情に発するものだろう——がある。模倣ではなくて、帰依に徹する謙虚さが誰のでもないセザール・フランクの音楽をつくり出させたと、私には思える。そのかぎりではフランクをブラームスの上位に置きたい。その上で、漂ってくる神韻縹緲たる佗びしさに私は打たれ、感動した。私にもリルケ的心情で詩を書こうとした時期があった。当然私は世俗的成功から見はなされた所にいたし、正確にいえば某所は上野の地下道だった。私はルンペンであった。私にも妻があれば母もいた。妻子を捨ててというが、生母と妻を食わせることもできず気位ばかり高い無名詩人のそんな流浪時代、飢餓に迫られるといよいよ傲然と胸を張り世をすねた私の内面にどんな痛哭や淋しさや悔いがあったかを、私自身で一番よく知っている。そんなころにS氏に私は拾われS氏邸でフランクのこの〝前奏曲〟を聴いたのだ。胸に沁みとおった。聴きながら母を想い妻をおもい私は泣くような実は弱い人間であることを、素直に自分に認め〝前奏曲〟のストイシズムになぐさめられていた。オレの才能なんて高が知れている、何という自分は甘えん坊だったかを痛感した。この時に私は多分変ったのだろう。
     *
《偉大なものに対する完き帰依——それこそは真に敬虔な心情に発するものだろう——がある。模倣ではなくて、帰依に徹する謙虚さが誰のでもないセザール・フランクの音楽をつくり出させたと、私には思える。》

このことと真逆のところでなされたモノが増えつつある。
しかも堂々と蔓延りはじめている。

Date: 8月 25th, 2015
Cate: 「本」, ジャーナリズム

オーディオの「本」(考える人・その8)

ステレオサウンドが創刊された昭和41年(1966年)はどうだったのか。
私は昭和38年生れだから、この時代のことを肌で知っているわけではない。

活字で、そしていろいろな人の話を聞いて知っているにすぎない。
1966年は、どうだったのか。
     *
 ぼくは、「ステレオサウンド」が創刊された昭和四十一年以前には、ほんとうの意味でのオーディオ専門誌というのは、存在しなかったと認識しているんです。もちろん、だからといってオーディオファンが存在しなかったわけではありません。ただ、その当時までのオーディオファンというのは、電気の知識をもっていて、自分でアンプを組み立て、スピーカーも組み立てる、というタイプが圧倒的に主流を占めていたわけですね。いいかえると、自分で作れないひとは、だれかそういうファンに再生装置一式を製作してもらわないことには、ロクな装置が手に入らないという時代だった。
 そして、そろそろメーカーが、今日でいうところのコンポーネント、むろん当時はまだコンポーネントという言葉がなかったわけだけれど、そういうパーツを製作しはじめていたんです。しかしそれにもかかわらず、自作できないレコード愛好家やオーディオ愛好家と、そうしたメーカーとの間を橋渡しする役目のジャーナリズムというはなかったと思います。たぶん世の中では、そういうものを欲しがっていた人たちが増えてきているということに、鋭敏な人間はすでに感じていたと思うんですけれどもね。
 いまふりかえってみると、この昭和四十一年という年は、たいへんおもしろい年だったと思います。たしかこの年に、雑誌「暮しの手帖」が卓上型ではあったけれども、はじめてステレオセットを取り上げてテストをしているんです。それからもうひとつ、なんと「科学朝日」がステレオの特集をやって、ぼくも原稿を書いているんですね。もちろんこの雑誌の性格から、ステレオの原理とかそういった方向での記事だったわけですけれど、ともかくステレオを特集して取り上げている。さらには「ステレオ芸術」誌の原型にあたるといえる雑誌が、「ラジオ技術」誌の増刊というかたちで、「これからのステレオ」というタイトルで発刊されているんです。つまり、いろいろな雑誌がオーディオを取り上げるようになった、さらにはオーディオ専門誌を作ろうという動きが具体化してきた、それがこの昭和四十一年という年に集中したわけですね。
 そうした動きのなかで、この「ステレオサウンド」誌が創刊されたということです。
     *
ステレオサウンド 50号の巻頭座談会
《「ステレオサウンド」誌50号の歩みからオーディオの世界をふりかえる》での、瀬川先生の発言だ。

瀬川先生の、ステレオサウンド以前に、ほんとうの意味でのオーディオ専門誌というのは、存在しなかった──、
この認識は正しい。
そしてもうひとつ言えることは、既存の出版社が既存の雑誌でオーディオ(ステレオ)を取り上げたり、
既存の出版社が、オーディオの別冊を出しているわけだが、
ステレオサウンドは、既存の出版社から創刊されたわけではないということだ。

ステレオサウンドを出版するために、ステレオサウンドという会社がつくられた。
その意味でステレオサウンドという《ほんとうの意味でのオーディオ専門誌》は、
出版社からの創刊ではなく、原田勲という出版者による創刊だった。

けれどいまは、株式会社ステレオサウンドという出版社からの出版物のひとつになってしまっている。