簡潔だから完結するのか(続・五味康祐氏の文章)
川崎先生のブログ、
7月3日『モダンデザイン源流を自分デザインにしてはならない!』、
7月15日『ジェネリックプロダクトの盗用悪用が始まっている』、
8月22日『歴史的作品からの刺激をどう受け止めるか』、
この三本はぜひ読んでほしい。
その上で、『歴史的作品からの刺激をどう受け止めるか』の最後に書かれていること、
《http://www.nanna-ditzel-design.dk/F6.html
これを自分のデザインとまで発表するのは「盗作」である。
彼女は逝去されている。》が何を指しているのかを考えてほしい。
川崎先生がリンクされているサイトでは、家具の写真が表示される。
ナナ・ディッツェル(Nanna Ditzel)氏のデザインである。
ここで表示されるモノと同じようなデザインの椅子が、
別の人の名前で発表されたのだろう……、とは読んで思っていた。
さらに知りたい人は「ナナ・ディッツェル マルニ木工」で検索してほしい。
唖然とする結果が表示される。
ここで表示される椅子は、《偉大なものに対する完き帰依——それこそは真に敬虔な心情に発するものだろう》か。
私はそう思った。
写真にはデザインしたとされる人が腰掛けている。堂々としている。
写真からは、自分のデザインした椅子だ、という主張が伝わってもくる。
なにも知らなければ、この人のデザインなんだ、と思う人もいるはず。
法的には問題はない行為である。
それにおそらくふたつの椅子を実際に並べて見較べれば違いはいくつかあることだろう。
五味先生は
《模倣ではなくて、帰依に徹する謙虚さが誰のでもないセザール・フランクの音楽をつくり出させたと、私には思える》
と書かれている。
帰依に徹する謙虚さが、マルニ木工から出ている椅子に宿っているのだろうか。