Archive for category テーマ

Date: 12月 29th, 2015
Cate: 価値・付加価値

オーディオ機器の付加価値(ステレオサウンド 38号・その2)

私の手元にある二冊のステレオサウンド 38号のことを書いている。
一冊は岩崎先生が読まれていたもので、かなりボロボロの38号であり、
もう一冊はある方から譲ってもらったもので、キレイな38号である。

38号は1976年3月に出ているから、約40年前のステレオサウンドである。
これだけ経てば、雑誌は資料としての価値が出てきて古書店での買い取りも高くなる。

友人が10年程前だったか、大量にファッション雑誌を処分した。
買い取りに来ていた古書店のスタッフの話によれば、
雑誌はほとんど値がつかない、ということだった。

けれど20年以上前の雑誌となると、値が付いてくる。
もっと古くなるとさらに値がつく、ということだった。

雑誌は古くなればなるほど資料としての価値が出てくるために、そういうことになる、ということだった。
それは記事だけでなく、広告も資料としての価値が出てくる、ともつけ加えられた。

そうなると、ここでの資料としての価値は、
雑誌にとっては時代が経ったことによって生じた付加価値ということになるのだろうか。

その付加価値によって買い取り価格が高くなる。

Date: 12月 29th, 2015
Cate: pure audio

ピュアオーディオという表現(その3)

私がステレオサウンドで働きはじめた1982年1月末、
編集部でウォークマンを愛用している人はいた。
IさんとSさんがそうだった。そのころは私も含めて編集部員は六人だった。
隣のサウンドボーイの編集部にもウォークマン愛用の人は何人かいた。

いまのiPhoneの普及率からすれば低いように思われるかもしれないが、
当時の私は、こんなにもウォークマンを愛用している人がいるんだ、と驚いていた。

もちろんウォークマンで音楽を聴いていても、
自宅にはみなそれぞれのシステムをもっていた。

Iさんはタンノイを鳴らしていた(クラシック好き)、
SさんはJBLを鳴らしていた(ジャズ好き)。

ステレオサウンド、サウンドボーイ編集部でウォークマンを持っている人たちは、
まず自宅にオーディオのシステムがあったうえで、ウォークマンを購入している。
購入の順番として、ウォークマンが後である。

Iさん、Sさんは私よりも上の世代だから、
ラジオ、ラジカセという段階をへてオーディオ、
もしくはラジカセがなくてラジオからオーディオへと移っていったのだと思う。
そしてウォークマンを購入しているわけだ。

つまりラジオ、ラジカセ、オーディオといった流れとは別のところでのウォークマンの存在である。

私もウォークマンを使っていた。
Sさんから貰ったモノだった。

第二世代のウォークマンだった。
初代機よりも小さくなったモデルだった。

お古とはいえ、嬉しかった。
最初は嬉しくて、よく聴いていた(使っていた)。
けれど、わりと早い時期に使わなくなっていった。

理由はいくつかあった。
録音済みのカセットテープを自分でつくらなければならない。
最初は楽しくてやっていても、面倒になってきた。
かといって録音済みのミュージックテープを買うのであれば、
LPで買いたいものが山のようにあったので、そちらを優先したい。

テープの充実がなければ、聴く時間も減ってくる。
でもそれだけが理由ではない。

いまiPhoneにMacでリッピングしたデータをコピーするのは簡単である。
ウォークマンのころとは比較にならないほど多くの曲を、iPhoneにコピーできるけれど、
毎日持ち歩いているiPhoneには一曲も入れていない。

Date: 12月 29th, 2015
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その31)

つきあいの長い音は、絶対的にlow thinkingではない。

Date: 12月 29th, 2015
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その30)

つきあいの長い音も、“plain sounding, high thinking”なのだろう。

Date: 12月 29th, 2015
Cate: 1年の終りに……

2015年をふりかえって(その9)

そもそも較べること自体がおかしいのはわかっていても、
やはりKK塾での講師の方々の講演をきくと、
インターナショナルオーディオショウで、講演と称されているものは、いったい何だろうか、と考える。

聞いていて楽しい話がまったくないとは、私だって言わない。
けれど、その楽しい話は楽しいけれど、講演とは呼べない。

例えば映画。
映画を観終って映画館を出る。
「あー、楽しかった」といいながら映画館を後にした瞬間に、
ついさっき観たばかりの映画の内容をほとんど憶えていない、ということもある。

そういう映画をくだらない、とは思わない。
二千円近い入場料を払い、一時間半から二時間ほどの映画を観る。
その時間が楽しければ、映画の内容をほとんどおぼえていなくとも、
それは映画として楽しめたわけで、「あー、楽しかった」と口にしているくらいだから、
入場料をもったいない、とは感じていないわけでもある。

そういう映画もあれば、オープニングのシーンからこまかなところまで憶えてしまう映画もある。
どちらも同じ入場料で観れる映画であり、私はどちらの映画も好きである。

このふたつの映画を比較して、前者の映画をみたのはもったいなかった、とは思わない。
映画にはさまざまな作品、ジャンルがあるのを映画を観にくる人はあらかじめわかっているからだ。

この理屈でいけば、KK塾での講演だけでなく、
インターナショナルオーディオショウの講演と称されているものも講演なのではないか、
そうなるわけだが、それでも私には、やはり講演とはどうしても思えない。

講演とは思えないから、
インターナショナルオーディオショウで講演と称するものをやっている人たちを、
どうしてもオーディオ評論家とは思えないのだ。

オーディオ評論家ではなく、オーディオ随筆家、オーディオ漫筆家であれば納得するのかもしれないが……。
オーディオの講演と呼べるものが、来年は聞けるだろうか。

Date: 12月 29th, 2015
Cate: オリジナル, デザイン

コピー技術としてのオーディオ、コピー芸術としてのオーディオ(その2)

別項で、無機物(デジタル、客観)であり、有機物(アナログ、主観)である、と書いた。

何を書いているのだろうか、と思われたかもしれない。

無機物(デジタル)であり、有機物(アナログ)である、なら、わかるけれど、
なぜ、無機物のところに客観、有機物のところに主観が加わっているのか、と。

コピーについて考えてみる。
アナログの場合、テープを例にとってみる。
録音テープ、録画テープ、どちらでもいい。

オリジナルのテープがある。
それをダビングする(コピーする)。
コピーしたものをさらにコピーする。
これを何度もくり返す。

オリジナルのテープの音質、画質よりも、
一回目のコピーの音質、画質は誰の目(耳)にもはっきりと違いがわかる。

コピーを二回、三回……と何回も続けていった音質、画質を、
オリジナルと比較してみるとどうだろうか。

ダビングに使用する器材のクォリティ、テープのクォリティによって多少結果は違ってきても、
オリジナルからは大きな劣化であり、
仮に百回もコピーをくり返したものならば、何が映っているのかわからないくらいになっても不思議ではない。

これは多くの人を集めての伝言ゲームに似ている、というか、そっくりではないか、と思う。

Date: 12月 29th, 2015
Cate: plain sounding high thinking

plain sounding, high thinking(その1)

“plain sounding, high thinking”は、
ワーズワースの有名な詩句 “plain living, high thinking” をもとに、私がつくった。

具体的にどういうことを書いていくのか決めていない。
それでも新たに書き始めたのは、
来年は、この“plain sounding, high thinking”を考えていきたいし、
実践していきたいからである。

Date: 12月 29th, 2015
Cate: audio wednesday

第60回audio sharing例会のお知らせ(アンプを愉しむ)

2016年1月のaudio sharing例会は、6日(水曜日)です。

すでに告知しているように、1月のaudio sharing例会はアンプをいくつか集めての音出しを行う。
アンプ試聴と書かなかったのは、厳密な比較試聴ではなく、アンプの音を愉しみたいという目的からである。

アンプの大半は常連のKさんが用意してくださる。
トランジスターアンプだけではなく、真空管式アンプも加わる予定である。

毎回例会は19時から始まり、23時くらいまでやることもある。
今回は音を出すのが中心になり、しかもアンプを切り替えてということもあるので、
おそらく23時くらいまでやまことになると思う。

四時間やっている。
途中入場も途中退場も自由である。
堅苦しい雰囲気にはしたくない、と思っている。

アンプを愉しむ、といっても、基本は試聴であるから、
かけるCDは何枚かは同じものを使うことになる。
ただ、その数枚をくり返しかけるのではなく、リクエストがあれば応じていきたいとも思っている。

実際にはやってみないことにはなんともいえないが、
できるだけ臨機応変にやる予定である。

リクエストには応じる予定でいるので、聴きたいCDを持ってきていただきたい。

場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 12月 29th, 2015
Cate: 選択

オーディオ機器を選ぶということ(購入後という視点・その5)

いまではなくなってしまった企画だが、
以前のステレオサウンドにはスーパーマニアという記事があった。
52号から始まった。

スーパーマニアに登場する人は、ひとりずつである。
基本的に複数の人が一度に登場されることはない。
けれど、52号の一回目は違う。

福島県郡山市のワイドレンジクラブの方々が登場されている。
ワイドレンジクラブとは、
3Dシステム(センターウーファー)によるワイドレンジ再生を目指すマニアの集まりである。

52号は1979年秋に出ている。
このころは各地にオーディオのグループがあった。
ある共通項をもったオーディオマニアの人たちの集まりがあった。

ステレオサウンドでも、その人たちの集まりを取材している。
スーパーマニアが個人を、
64号からスタートした「素晴らしき仲間たち」では、オーディオマニアのグループを取材している。

一回目は博多のJBLクラブ、二回目がマッキントッシュXRT20ユーザーの方たち、
三回目がタンノイクラブ、四回目がエレクトロボイスのウーファー30Wのユーザーの方たち、である。

購入後という視点でステレオサウンドの企画・記事を見直していくと、
この「素晴らしき仲間たち」は、他の訪問記事よりも、購入後ということに一歩踏み込んでいる。

いまは、こんなことを書いているけれど、当時はそういう視点で捉えることができなかった。

Date: 12月 28th, 2015
Cate: 1年の終りに……

2015年をふりかえって(その8)

ここまででスピーカーシステム三機種、ヘッドフォン・イヤフォンを二機種、
パワーアンプが一機種、本が一冊、ドローンという話題でもうひとつで、八つあげた。

あとふたつで十なのだが、ひとつは決っているが、もうひとつが思いつかない。
結局、あとひとつしか書けそうにない。

なので、これが最後のひとつとなる。
それは10月から始まったKK塾である。

オーディオとは直接関係のないことのように思われるかもしれないが、
今年、これほどオーディオに関して刺激的であったことは、他にない。
私はオーディオマニアだから、KK塾できいたこと(学んだこと)をオーディオに変換して考えてしまう。

そういう私にとって、KK塾はオーディオに直結している。
オーディオそのものである、といえる。

ここであれこれ書くことはできるけれど、とにかく五反田のDNPホールに来てほしい。
来年の春までにあと四回開催される。

Date: 12月 28th, 2015
Cate: 再生音

続・再生音とは……(その21)

再生音とは何かについて考えていくうえで、再生音の定義もはっきりさせていく必要がある。

再生音の定義とは? と問われ、はっきりと答えられるだろうか。
そんなの簡単じゃなないか、という人もいるが、
その人たちが再生音の定義について答える。

それに反論がある。また答える。
さらなる反論がある……。そういうことをくり返していって、どこまで答えられるだろうか。

再生音の定義。
ひとつには、記録されたものを元に出した音がある、とする。
アナログディスク、CD、カセットテープなどに記録されているものを元にして、
アンプで増幅しスピーカーを鳴らす。これも再生音であるなら、
作曲家が残した楽譜を元に演奏家が音を出すのもまた、再生音といえないだろうか。

音符という記号を使い、作曲家が作曲したものを残している。
それを演奏家が楽器を使い、自分の声によって、音にする。

それは実演であって、再生音とはいえない、と反論があるだろうが、
厳密に考えていくと、ほんとうにそういえるのだろうか……、と私は自信を失っていく。

そんなことまで考えていく必要があるのだろうか。
そういう疑問も持たないわけではない。
けれども、再生音について考えていくとは、そういうことだと私は思っている。

Date: 12月 28th, 2015
Cate: オーディスト, ジャーナリズム, 言葉

「オーディスト」という言葉に対して(その20)

facebookを通じて、あるページを知った。
一関ベイシーの菅原正二氏のインタヴュー記事である。
聞き手は一関きらり氏。

この記事にこうある。
     *
一関 いやいや。一関市のアピール不足ですよね。実は私が住んでいる東京の日野市に国宝の高幡不動尊がありまして、新選組の土方歳三の菩提寺なんですが、その土方歳三を讃える石碑の選文が大槻三賢人の一人、大槻磐渓なんですよ。こういった事も、一関市がもっとアピールしていけば、面白いと思うんですがね。
菅原 ううん、日野市・・・。
一関 誰かお知り合いでも?
菅原 日野市に山口孝というオーディオ評論家をやってた強者がいたんですよ。ここにも、しょっちゅう来てたんです。本も結構、出してますよ。ただ、介護していたおふくろさんが亡くなって、断筆したんですよ。
一関 それほど、ショックだったんですかねえ。
菅原 すごい、とんがった妥協のない男だったからねえ。なあなあという部分が一切ない男だったから、折れやすいんだよね。たぶん・・・。
一関 何か、お仕事はされてるんですよね。
菅原 ううん、一人で座禅でも組んで音楽でも聴いてるんじゃないかなあ。
一関 いやあ、すごいですね。
菅原 聞き方が半端じゃないのよ。音楽と面と向かって、座禅でも組むような感じで聴いてますからね。
     *
もとのページでは色によって発言者を区別してあったけれど、
それではわかりにくいので、発言の頭にそれぞれの名前を入れているだけで、
あとはそのまま引用した。

これを読んで、どう感じ、何を思い、何を考えたかは、あえて書かない。
読まれた方がそれぞれに感じ、思い、考えれば、いいことである。

Date: 12月 27th, 2015
Cate: 1年の終りに……

2015年をふりかえって(その7)

2014年にくらべて2015年の今年、頻繁にニュースに登場してきた言葉に、ドローンがある。
インターネットのニュースサイトでも、ドローンのことが取り上げられることが多かった。
それだけ、いろんなドローンの写真を見た。

そうやってドローンの写真を見るたびに連想していたのは、アナログプレーヤーのことである。
ドローンとアナログプレーヤーが重なって見えてくる。

アナログプレーヤーにはハウリングという現象から完全に逃れることはできない。
ステレオサウンドにいたころ、水銀のプールに浮べてみてはどうなんだろう、というアイディアも出た。
面白いと思ったけど、これでハウリングから逃れられ音が良かったとしても実用的とはいえない。

ドローンのように空中に浮んだらどうだろうか。
実際には空中で静止させることの難しさにぶつかるだろうから、そう簡単にうまくいくとは思えない。

それでもドローンの形は、アナログプレーヤーの形につながってくる。

アメリカのドラマ、マイノリティ・リポートでは、2065年のアナログプレーヤーが登場する。
ソニーやオーディオテクニカが以前販売していたポータブルプレーヤーを垂直に立てて使うようなモノ。

このアナログプレーヤーよりも。さまざまなドローンの形のほうが、
未来のアナログプレーヤーの形を、何か示唆しているように感じている。

Date: 12月 27th, 2015
Cate: 「うつ・」

うつ・し、うつ・す(その6)

その人がおかれている環境や諸事情を境遇という。
境涯ともいう。

境涯の「涯」は生涯にもついている。
涯という漢字は、切り立った崖のことである。それも水辺の崖である。

ここに水がある。
研ぐために必要な水がある。

Date: 12月 26th, 2015
Cate: 老い

老いとオーディオ(古人の求めたる所)

四年前、「古人の求めたる所」というタイトルで書いた。
四年前はまだ五十になってなかった。

もう五十を過ぎた。
一月には、またひとつ歳をとる。

松尾芭蕉の「古人の跡を求めず、古人の求めたる所を求めよ」──、
どれだけ古人の求めたる所を求めてきたのかだろうか……。

誰かが答えてくれるわけではない。