Archive for category テーマ

Date: 1月 3rd, 2016
Cate: 再生音

続・再生音とは……(その22)

アンドロイドのピアニストはまだ実現していない(まだいないというべきか)。
けれど、ことピアノに限れば、19世紀後半から自動ピアノが存在している。

ピアノロールと呼ばれる穿孔された巻紙(これが演奏の指示を出す機構)と、
ピアノを弾くフォルセッサーという機構から構成される。

フォルセッサーはピアノ内部に組み込まれるタイプと、
外部から鍵盤を叩くタイプとがあり、どちらもコンプレッサーと穿孔による気圧差で弁を動かしている。

自動ピアノによる記録は、古い時代から行われてきた。
SP盤には残っていない演奏家の演奏も、ピアノロールには記録され、いまも聴くことができる。

ピアノロールによる自動ピアノの録音は、昔から各レコード会社が行ってきた。
日本ではCBSソニーが1977年に「世紀の大ピアニストたち」という七枚のLPを出している。
マランツからも出ていて、このレコードについては五味先生が「ピアニスト」で触れられている。

CBSソニーの「世紀の大ピアニストたち」が発売されたとき、
ステレオサウンドは「ピアノ・ロールのレコードをめぐって」という記事を、
45号に7ページ掲載している。

CBSソニーの京須偕充、半田健一の二氏を、坂清也氏がインタヴューしている。

45号が出た時、私は中学生だった。
なんとなく、この七枚のLPに興味はもったものの、
レコードはいつでも買える、という気持と、他に買いたいレコードが数多くあったこともあって、
それ以上の興味をもつことはなかった。

それに、そのころは、いまこうやって再生音について、あれこれ書くことになるとは思っていなかった。
いまごろになって、自動ピアノのレコード(LP、CDに関係なく)は、
きちんと聴いておくべきだった、と反省している。

もちろん、いまも自動ピアノのCDは、いくつかのレーベルから出ているし、
2007年には、グレン・グールドの1955年のゴールドベルグ変奏曲を、
まったく新しい自動ピアノによって再現したSACDが出ている。

この自動ピアノをつくりあげたメーカーは、re-performanceと、その仕組みを呼んでいる。

ステレオサウンド 45号の記事を読み返してみると、興味深い。

Date: 1月 2nd, 2016
Cate: 技術

捲く、という技術(その1)

オーディオ機器を製造するうえでの根幹といえる技術はなんだろう? 考えてみた。
ハンダ付けと捲く技術ではないだろうか。

ハンダ付けについては、ここでは語らない。
ここでは、捲く、について書く。

オーディオ機器を構成する部品には、捲くことで製造されているモノがいくつもある。
まずコイルがある、

コイルはスピーカーシステムの内蔵ネットワークの大事な部品だし、
高周波ノイズを除去する部品でもあり、
パワーアンプの出力のところにも使われている。

さらにボイスコイルと呼ばれるコイルがある。
どんなに理想的といえる振動板を採用し、
優れて磁気回路をもってきても、ボイスコイルがいいかげんな捲きならば、
優秀なトランスデューサーとはならない。

ボイスコイルとは反対の発電のためのコイルがある。
カートリッジの内部にあるコイルであり、
オーディオ機器に使われるコイルの中では、もっとも小型で軽量なコイルだ。

それからコイルを組み合わせた部品にトランスがある。
電源トランス、出力トランス、高周波トランスなどがある。

もっとこまかく見ていくと、抵抗、コンデンサーもそうである。
容量の小さなコンデンサーであれば積層型もあるが、
多くのコンデンサーには捲きの技術が使われている。

抵抗も巻線抵抗はそうだし、スピーカーシステムのレベルコントロールには、
巻線型のモノが使われることが多い。

もうひとつモーターを忘れるわけにはいかない。

Date: 1月 1st, 2016
Cate: ステレオサウンド特集

「いい音を身近に」(その20)

黒田先生が「ミンミン蝉のなき声が……」で書かれているのは、音楽のことである。
でも、これは音に置き換えて考えることもできる。

たとえば「音楽に対して正座する、正座したいと思う」とある。
これは音に対しても、同じことがいえる。
スピーカーから鳴ってくる音に対して正座する、正座したいと思う。

けれど黒田先生が書かれているように、
正座したくともできない状態というのが、人にはある。

そうであっても、音楽を聴きたいとおもう。
けれど、正座することを暗に聴き手に要求する音では、
やはり音楽を聴くのがおっくうになることもある。

そんなとき、黒田先生がミンミン蝉のなき声に三日耳をすましたあとに聴かれたレコード、
モーツァルトのヴァイオリンソナタK.296のような音があったらなぁ……、と思う。

黒田先生は書かれている。
     *
 音楽をきいて疲れをいやす──といういい方がある。そういうこともあるかもしれないなと思いながら、ふりかえって考えてみて、音楽をきいて疲れをいやした経験がないことに気づく。音楽をきくことがいつでも、むしろ疲れることだとはいわない。しかし、音楽が、ついにこれまで、ロッキングチェア、ないしは緑陰のハンモックであったためしはない。
     *
そういう聴き方をしてこられた黒田先生だからこその「ミンミン蝉のなき声が……」である。

音楽に何を求めるのかは人によって違う。
同じひとりの人間であっても、その時々によって変ってこよう。

黒田先生のように「音楽をきいて疲れをいやした経験がない」聴き手もいれば、
「音楽をきいて疲れをいやす」聴き手もいる。

この場合の「音楽」が違うこともあれば、どちらも「音楽」も同じであることもあるはずだ。

Date: 1月 1st, 2016
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その34)

つきあいの長い音は、身近な音なのか、それともそうでない音なのか。

Date: 1月 1st, 2016
Cate: 老い

老いとオーディオ(続・古人の求めたる所)

「古人の跡を求めず、古人の求めたる所を求めよ」。

古人の求めたる所を求めるからこそ、
「青は藍より出でて藍より青し」となる。

Date: 1月 1st, 2016
Cate: オリジナル, デザイン

コピー技術としてのオーディオ、コピー芸術としてのオーディオ(その3)

デジタルはどうだろうか。
パソコンの中にあるデータをコピーし続けたとする。

外付けのハードディスクにコピーしたとする。
そのハードディスクから別のハードディスクにコピーする。
これを何度もくり返す。

アナログと同じように百回行ったとする。
百回目のコピーとなったハードディスクに記録されているデータと、
パソコンの中のデータ(つまりオリジナル)とを比較して、
データとして違っているところがあるだろうか。

どんなに大きなデータであっても、どれだけコピーをくり返そうと、
データは同じである。そっくりにコピーされている。
だからコピーといえる。

アナログの場合はコピーしていけば、確実に何かが劣化していく。
そうなるとコピーとはいわずに、ダビングといったほうがいい。

デジタルであるなら、伝言ゲームであいだにどれだけ多くの人が介在していても、
最初の人が発した情報は、最後の人にまで正確に伝わっていく。

この伝言ゲームで考えたいのは、
アナログの場合、介在する機械の特有の特性・特徴によって、
インプットとアウトプットにおける変質の具合が影響を受けることである。

Date: 12月 31st, 2015
Cate: 1年の終りに……, デザイン, 書く

2015年の最後に

これが6000本目になる。
予定では、早ければ11月中に、遅くても12月上旬には6000本目を書いているはずだったが、
ここまでずれ込んでしまった。

四年後の2020年の暮れには10000本目を書き終えて、
このブログにも大きな区切りが来る。

あと4000本。
どれだけのことを書いていけるだろうか……、
そんなことは実は考えていない。

考えているのは、デザインとデコレーションの違いと文章との関係について、である。
音について語る際に、気をつけなければならないのは、
ややもするとデコレーションな文章に傾くことだ。

これまでにデザインとデコレーションの違いについて、私なりに書いてきた。
これからも書いていく。

書きながら、デザインとデコレーションの違いについて考えている。
そして、それについて書く文集が、デコレーションなものになっていては……、と思う。

オーディオ雑誌を開けば、安っぽいデコレーションな文章がそこかしこにある。
デザインとデコレーションの違い・区別がわかっていない文章が溢れている。

デコレーションの技だけに長けた文章を、高く評価する人も少なくない。
そういう書く技だけを磨いてきた人を、私はどうしてもオーディオ評論家とは呼べない。

評論とは何か、論とは何か。
文章そのものがデザインともっともっと結びつかなくて、どうしてオーディオ評論といえるだろうか。

2016年から2020年までの四年間の4000本のうち、
何本、デザインといえるものを書けるだろうか。

Date: 12月 31st, 2015
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その33)

つきあいの長い音との関係において、心の痛みを感じなかった、ということはないはずだ。

Date: 12月 31st, 2015
Cate: 価値か意味か

価値か意味か(その3)

今年のはじめに、《オーディオマニアを自認するのであれば、圧倒的であれ、とおもう》と書いた。
一年経ち、やはりそうおもう。つよくそうおもう。

同時に価値か意味かについて考えていると、
相対的なのか絶対的なのかが、圧倒的であれ、に関係してくるように感じている。

Date: 12月 30th, 2015
Cate: audio wednesday

第60回audio sharing例会のお知らせ(アンプを愉しむ)

2016年1月のaudio sharing例会は、6日(水曜日)です。

以前、瀬川先生がいわれたことがある。
定期的に来られていた熊本のオーディオ店での、アンプの試聴のときだった。

わかりやすくいえば、スピーカーの音の違いは人に例えれば外面であり、
アンプの音の違いは人の内面に関係することだから、
スピーカーによる音の違いと較べると、わかりにくい、把握しにくい──、
そんな趣旨のことを話された。

もちろん、ここでの話されたことがアンプによる音の違いのすべてではないわけだが、
たしかにそういう面があることはいえよう。

実際にスピーカーの違いはすぐにわかるけれど、
アンプの違いはわかりにくい、という人もいるのは、そういうこととの関係でもあるはずだ。

ステレオサウンド 36号で、黒田先生がアンプの音について書かれている。
     *
 かつてぼくは、アンプを食物にたとえたことがあった。たとえはついにたとえでしかなく、本質をいうことはできないにしても、食物が人間の身体に与える、じわじわとした、決してきわだちはしないが、確実な影響は、アンプがききてに与える影響と似ているところがあると思う。そのたとえにならっていえば、スピーカーは、部屋の窓にさげるカーテンということになるかもしれない。
     *
瀬川先生の喩えも黒田先生の喩えも、首肯ける。

場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 12月 30th, 2015
Cate: 試聴/試聴曲/試聴ディスク

総テストという試聴のこと(黒田恭一氏の文章より)

どうもオーディオマニアの中には、
試聴というものを簡単なこと、楽なことと捉えている人がいるように感じることがある。

ステレオサウンド 36号の特集は「スピーカーシステムのすべて」だ。
このころのステレオサウンドには試聴後記があった。
36号にも「スピーカーシステムの試聴を終えて」がある。

井上卓也、上杉佳郎、岡俊雄、黒田恭一、菅野沖彦、瀬川冬樹の六氏が試聴後記を書かれている。
36号には、この他に黒田先生の「約70──尋常ならざる数のスピーカーをきくということ」がある。
     *
 一週間の間、来る日も来る日も、他の仕事や勉強を全部ストップして、ほぼ70機種のスピーカーを、きいた。正直なところ、つかれた。一日の試聴が終った後は、タクシーにのって、行先をいうのがせいいっぱいだった。家にかえっても、口をきく気力さえないようなありさまだった。
 その試聴だけが原因ではないだろうが、最終日の試聴が終った後、ひどい悪寒がして、ついに医者のせわになるはめになり、しばらくねこんでしまった。しかしだからといってむろん、スピーカーの試聴をしたことを後悔しているわけではない。そんなに沢山のスピーカーを、それもさまざまな面で条件のそろった状態できけるチャンスなんて、ぼくにはほとんどないことだから、試聴の間はつかれも忘れて、むきになってきいた。
     *
36号は1975年のステレオサウンドだから、1938年生れの黒田先生は37歳。
働き盛りの年齢であっても、試聴はそれだけたいへんな作業である。

だから、試聴を安易に考えないでもらいたいし、
いまオーディオ評論家と呼ばれている人たち全員が、こういう聴き方をしているわけではない。

Date: 12月 30th, 2015
Cate:

オーディオと青の関係(その2)

オーディオと青の関係でいえば、私の世代ではJBLのスタジオモニターである。
サテングレー仕様ではバッフルは黒だったが、ウォールナット仕様のバッフルはブルーだった。

4343のカラー写真を見ながら、「ブルーなんだ」とつぶやいていた。
他にブルーのバッフルのスピーカーシステムがあったかどうかは当時は知らなかった。
だけに、よけいに4343のブルーバッフルが印象に残っている。

4343だけではない、
同時代の4350のブルーのバッフルは面積が4343よりも大きいだけに、もっと強く印象に残る。

そして次に登場したのが、UREIのModel 813だ。
アルテックの同軸型ユニット604-8Gを搭載しながらも、
マルチセルラホーンのUREI独自のホーンに換装している。

このホーンの色が青だった。
このホーンが他の色だったら……、
特にアルテックのホーンと同じ黒だったら、Model 813のインパクトの強さは少し変ってきたかもしれない。

オーディオ機器の評価は音である。
けれど、単純に音だけではない要素が確実にある。

UREIのModel 813の成功の理由は、ホーンの青にあった、とさえいいたくなる。
そのくらいModel 813のホーンの青は際立っていた。

けれどModel 813Aになり、ホーンの外周部にスポンジ状のものが取りつけられるようになった。
音響的には813Aのホーンのほうが優れているのだろうが、
813の、あの薄いホーンと相俟っての青の印象が強く残っている私には、
あのスポンジをむしり取りたくなる衝動にかられる。

そんなことは措いとくとして、このころの私(高校生)にとって、
新しい時代のモニタースピーカーの象徴としての「青」があった。

Date: 12月 30th, 2015
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(その11)

瀬川先生がステレオサウンド 56号に書かれている組合せ。
KEFのスピーカーModel 303に、アンプはサンスイのAU-D607、
パイオニアのアナログプレーヤーにデンオンのカートリッジ。

バランスのとれた組合せであり、いい組合せである。
けれど、この良さが、オーディオのオーディオの入門用として最適の組合せかと思うか、
と問われれば、少し考え込む。

その10)にも書いたように、
なまじグレードアップをはかるよりも、この組合せのまま聴き続けたほうがいいようにも思う。
このことが、オーディオの入門用として最適といえるのか、となる。

オーディオの入門用とは、そこが開始点であり、
そこから先が延々と続くわけである。

オーディオの入門用として最適の組合せは、
その先にある道を歩んでいくための開始点であり、そこで満足してしまい、
先に行くことを思い直させるものであっては、最適な組合せとはいえない。

だからこそ瀬川先生は書かれている。
《こういう音にいつまでも安住することができないというのが、私の悲しいところだ》と。

オーディオ入門用の組合せは、使い手を、聴き手をそこに安住させてはいけないのではないか。

もちろん音楽を聴くのが苦痛になるようなひどい組合せは論外だ。
こんなのはオーディオの入門用とは呼べない。

かといってうまくまとまりすぎていても……、と思う。

こんなことを考えながら、
やはり瀬川先生のステレオサウンド 56号の組合せはオーディオの入門用として最適の組合せなのかも、と思う。

つまり56号の組合せで安住できる人は、音楽をいい音で聴きたいという気持をもっていても、
決してオーディオマニアではないと思うからだ。

オーディオマニアは安住することができずに、そこを離れていく。

安住できるか、できないのか。
この大事なことを使い手に教えてくれるという意味で、オーディオの入門用として最適の組合せといえる。

Date: 12月 30th, 2015
Cate:

オーディオと青の関係(その1)

別項「日本のオーディオ、これまで」で、
オーディオと黒というサブタイトルをつけて何本か書いた。

書きながら、オーディオと青について書きたいと思っていた。

意外と気にしていない人がいるようだが、
ステレオサウンド(Stereo Sound)のロゴは何色がご存知だろうか。

ステレオサウンドの表紙には、毎号”Stereo Sound”の文字がある。
色はその号その号の表紙につかわれている写真によって変る。

1982年1月、ステレオサウンドを初めて訪れたとき、
鉄製の扉の色が青色だったのは、非常に印象的だった。

私がいたころのステレオサウンドの封筒には、青字で”Stereo Sound”とある。
ステレオサウンド(Stereo Sound)のロゴは、青色であることを、働くようになって知った。

“Stereo Sound”のロゴは田中一光氏のデザインである。
この色もそうなのだろうか。

オーディオと青。
“Stereo Sound”のロゴも含めて、私にとっては青は特別な色といえる。

Date: 12月 29th, 2015
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その32)

つきあいの長い音は、何かを欲しているのだろうか。