Archive for category テーマ

Date: 10月 21st, 2017
Cate: 技術

捲く、という技術(その3)

DENON(デンオン)というブランドから何を真っ先に思い出すかは人によって違ってくるけれど、
もっとも多くの人が挙げるのはDL103であろう。

放送局用として開発されたカートリッジとはいえ、
いまでも製造されていることは、それが日本製であることも考え合わせると、
非常に稀な例といえる。

しかもバックオーダーをつねにかかえている、ときく。
いまDL103のコイルを捲ける人は、ベテランの女性ひとりだけ、ということも知られている。
ひとりということは後継者が、いまのところいない、ということでもある。

いまいないということは、将来も期待できそうにない、ということになる。
DENON(デノン)という会社は続いても、DL103はいつの日か製造中止になろう。
どんなに売れるモデルであっても、肝心のコイルを捲ける人がいなくなれば、造れなくなる。

そうなったら、DENONはカートリッジ専業メーカーに製造を依頼するようになるのだろうか。

MC型カートリッジの原価の大半は人件費だ、と以前、瀬川先生がいわれていた。
そのくらいコイルを丁寧にきちんと捲くことは大変な技術だということである。

しかも一個とか二個といった、ごく少数をうまく捲ければいいというものではない。
DL103は工業製品であって、ほとんどバラつきなく、相当な数のコイルを捲いていかなければならない。
ここがすごいところであり、プロフェッショナルの仕事だと感心する。

アメリカの人工衛星のハンダ付けは、たったひとりの人が行っているという話を読んだことがある。
人工衛星一基のハンダ付けの箇所は、アンプなどの比ではない。
桁が違う。

その記事に載っていた数字をいまでは憶えていないが、
少なくとも万を超えていた、十万箇所くらいだった……、もっと多かったかもしれない。
それをたったひとりで、ひとつずつ丁寧に仕上げていく。

ハンダ付けの不良があっても、ロケットに積まれ打ち上げられてしまったら、
修理することはできないわけだから、ミスは絶対に許されない。
だから、ひとりなのだ、と記事には書かれていた。

Date: 10月 21st, 2017
Cate: スピーカーとのつきあい

スペンドールのBCIIIとアルゲリッチ(その3)

スペンドールはBCIIの復刻は手がけても、BCIIIは復刻しなかった。
理由はいくつかあるのだろう。

新しくなった輸入元からのリクエストもあったのかもしれない、
そのリクエストにしても、売行きがあまり見込めない機種の復刻を打診することはない。

BCIIIは、イギリスでの評価はどうだったのか知らないが、
日本ではBCIIばかりが評価されていたし、
BCIIIを早くから(BCIIよりも)評価されていたのは岡先生ひとりくらいだった。

オーディオ評論家ではないが、トリオの創業者の中野英男氏もBCIIよりもBCIIIを高く評価されていた。
     *
 私の仕事部屋、つまりトリオの会長室には、今十二本のスピーカーが並んでいる。正確に申せば六セット。うちニセットは机の前あとの四セットは左手の壁ぎわに置かれてある。最近机の前に据えられて定位置を獲得したスピーカーのひとつにスペンドールBCIIIがある。このスピーカーは永い間名器BCIIの名声に隠れて世に喧伝されるところまことに少なかった。BCIIは、菅野沖彦、瀬川冬樹両先生をはじめ、何人かの方によってしぱしぱとりあげられ、その独特の硬質かつ艶麗な語り口が世のクラシック愛好者の注目を集めたが、BCIIIについては今迄推す人はほとんどなく、かの瀬川さんすら幾分疑問視する向きがないでもなかった。
 私はここ何ヵ月かBCIIを聴き込ん来たが、その良さは認めるにせよ、ブルックナーやマーラーの再生時におけるスケール感の貧しさは覆うべくもなかった。
(「音楽、オーディオ、人びと」より)
     *
《かの瀬川さんすら幾分疑問視する向きがないでもなかった》とある。
たしかにそうだった。

ステレオサウンド 44号の試聴記の冒頭に書かれている。
     *
 弟分のBCIIがたいへん出来が良いものだから、それより手のかかったBCIIIなら、という期待が大きいせいもあるが、それにしてはもうひとつ、音のバランスや表現力が不足していると、いままでは聴くたびに感じていた。たった一度だけ、かなり鳴らし込んだもので、とても感心させられたことがあってその音は今でも忘れられない。
     *
《たった一度だけ、かなり鳴らし込んだもので、とても感心させられたことがあってその音は今でも忘れられない》
とある。
これは中野英男氏のBCIIIのことなのではないのか。

もちろん別の人なのかもしれないが、
私には中野英男氏のことだと思えてならない。

Date: 10月 21st, 2017
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(長岡鉄男氏とpost-truth・その15)

長岡鉄男氏がオーディオ評論をはじめる以前は、
放送作家だったことは、よく知られている。

長岡鉄男氏が手がけられた番組がどういうものであったのか、
放送作家としての長岡鉄男氏の評価はどうであったのかは直接は知らない。

中野英男氏の「音楽、オーディオ、人びと」の中に、
オーディオ評論家ではない長岡鉄男氏についての記述がある。
     *
 成城の我が家の書斎──四畳半の腰掛け式コタツのある、我が家では音だし機械が置いてない唯一の部屋──の小さな本箱には、長岡鉄男さんの著書が何冊か並んでいる。オーディオの本ではない。奇智、頓智、隠し芸に関する新書判である。二十年前、長岡さんはラジオ、テレビのコミック・ライターであった。天才的、としか評しようのない創造力で幾つかの人気番組を作り上げておられたが、同時にコミックな本も次々にものされ、その方面でも人気作家のひとりであった。その頃、新しい本が出版されるたびに、長岡さんは献呈の辞を添えて私に贈って下さった。当時の宴会における私の隠し芸の種本は、ほとんど長岡さんの作であった。人気が出ないわけはないではないか。
     *
才能ある放送作家だったのだと思う。
その才能がオーディオマニア(キチガイでない)に向けられたからこそ、
長岡教と呼ばれる、ある種の集団が生れたのではないだろうか。

Date: 10月 21st, 2017
Cate: スピーカーとのつきあい

スペンドールのBCIIIとアルゲリッチ(その2)

スペンドールのBCIIは、ステレオサウンド 45号の特集に、
BCIIIは44号と46号の特集に登場している。

44号と45号は「フロアー型中心の最新スピーカーシステム」が特集で、
二号にわたってのスピーカーの総テストが行われている。

46号は「世界のモニタースピーカー そのサウンドと特質を探る」で、
モニタースピーカーに限ってではあっても、ここでもスピーカーの総テスト、
つまり三号続けてのスピーカー特集だった。

スピーカー特集のひとつの前の43号はベストバイが特集だった。
BCIIの存在はそれ以前に知っていたけれど、
その評価の高さを知ったのは43号だった。

上杉佳郎、岡俊雄、菅野沖彦、瀬川冬樹、山中敬三の五氏が、
BCIIをベストバイコンポーネントとして選ばれている。
「光沢をおびたみずみずしい音が魅力的(上杉)」、
「ピアノより弦楽器やヴォーカルが見事である(岡)」、
「音の美しさでは、ベストといってよく(菅野)」、
「クラシック中心の愛好家には、ぜひ一度耳にする価値ある名作だ(瀬川)」、
「かけがえのないコンパクト機である(山中)」、
コメントの一部だけの抜粋だけでも、
BCIIというスピーカーシステムが、1977年当時、どれだけ高く評価されていたのかわかる。

とにかく品位の高い音、みずみずしい音を特徴とすることは伝わってくる。
BCIIの音は、はやく聴きたい、と思っていた。

BCIIの音を聴けたのは、瀬川先生が熊本のオーディオ店に来られた時だった。
43号に書いてあったとおりの音が鳴っていた。

43号でBCIIIは……、というと、岡先生の一票を得ただけだった。
BCIIIについての文章は掲載されてなかったが、
岡先生はBCIIのところで、BCIIの若干の弱みも指摘されていて、
「こうした不満はBCIIIではほとんど感じさせないことは附記しておきたい」と書かれていた。

Date: 10月 20th, 2017
Cate: スピーカーとのつきあい

スペンドールのBCIIIとアルゲリッチ(その1)

私にとってスペンドールの代表的スピーカーといえば、やはりBCIIである。
私だけに限らないはずだ。
少なくとも私と同世代、上の世代のオーディオマニアの人に同じことを聞けば、
九割以上の人がBCIIと答える、と言い切れる。

それほどBCIIの評価は好ましいものだった。
輸入元が今井商事からかわり、復刻されたBCIIの音は聴いていない。
ここでのBCIIとは、あくまでも今井商事が輸入元だったころのBCIIのことである。

BCIIには、BCIIIという上級機があった。
BCIIは3ウェイ、というより2ウェイ・プラス・スーパートゥイーターといえる構成。
BCIIIは、そのBCIIにウーファーをさらに加えたかたちだ。

BCIIのウーファーは口径20cmのベクストレンのコーン型、
BCIIIは、この20cmウーファーに、30cmのベクストレンコーン型を足している。
カタログには、ふたつのウーファーのクロスオーバー周波数は700Hzとなっている。
20cmウーファーは3kHzまで受け持つのは、BCIIもBCIIIも同じである。

この700Hzという値は、もう少し低く設定することは考えなかったのだろうか、と思わせる。
BCIIにも採用されている20cmウーファーをもう下の帯域まで受け持たせていれば、
スピーカーの印象もずいぶん変ってきたはずなのに……。
それはつまりBCIIのイメージそのままに、
スケールアップしたよさをBCIIIは出せたかもしれない、と思うからである。

日本ではBCIIとBCIIIとでは、圧倒的にBCIIのほうが人気が高く、
売行きも大きな差があったはずだ。

BCIIは、よく見かけたし、何度も音を聴いている。
ステレオサウンドの試聴室でも聴いている。

BCIIIは、というと、これも聴きたくても聴く機会がなかったスピーカーのひとつである。
見かけることも、数えるほどもなかった。

Date: 10月 19th, 2017
Cate: バランス

音のバランス(その4)

川崎先生の今日(10月19日)のブログ「モノの美しさにあるバランス性が決定要因」。

ちょうどいまは天秤座の時期である。
天秤座のシンボルマークは、もちろん天秤を表している。
その天秤とは片天秤ではなく、両天秤のはずだ。

X(エックス)というアルファベット。
このアルファベットこそ、両天秤だと最近思っている。

両天秤だからこそ、解でもある、と思っていたところに、
川崎先生の「モノの美しさにあるバランス性が決定要因」だった。

Date: 10月 19th, 2017
Cate: 「オーディオ」考

耳の記憶の集積こそが……(その3)

「五味オーディオ教室」がオーディオのスタートだった私にとって、
「五味オーディオ教室」は、五味先生の耳の記憶が綴られていた、とつくづくおもうとともに、
それ以外のスタートでなくてよかった、ともつくづくおもう。

「五味オーディオ教室」をくり返しくり返し読んできたのは、
「五味オーディオ教室」という五味先生の耳の記憶を継承しようとしていた──、
ここにきて、やっとそういえる。

Date: 10月 18th, 2017
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(長岡鉄男氏とpost-truth・その14)

長岡鉄男というオーディオ評論家は、どのタイプなのか。
オーディオマニア(キチガイでない)のためのオーディオ評論家(キチガイでない)だと私は思っている。

だからこそ、あれだけ多くの読者からの支持があったのだと思っている。
長岡鉄男氏のうまいところは、
オーディオマニア(キチガイでない)を相手に、
オーディオマニア(キチガイ)と思い込ませることにあったのではないだろうか。

オーディオメーカーにとってありがたいのは、
長岡鉄男氏のようなオーディオ評論家であったはずだ。

オーディオマニア(キチガイでない)がオーディオマニア(キチガイ)と思い込むことで、
オーディオにお金を注ぎ込む。
メーカーにとってありがたい存在(客)を、長岡鉄男氏はその文章でつくってきた。

その10)で引用した五味先生の文章。
その中に出てくる、あるステレオ・メーカーの音響技術所長の
「キチガイ相手にショーバイはできませんよ」、これこそがメーカーの本音であり、
オーディオブームはオーディオマニア(キチガイでない)によって支えられていた、ともいえるし、
ブームのためには、オーディオマニア(キチガイでない)を、
オーディオマニア(キチガイ)だと思い込ませることだったのではないか。

Date: 10月 17th, 2017
Cate: デザイン

プリメインアンプとしてのデザイン、コントロールアンプとしてのデザイン(その2)

1991年にビクターから、文字通りの超弩級のパワーアンプが登場した。
ME1000である。

出力は200W。重量は83kgである。
ME10000はモノーラルアンプ、83kgという重量は一台あたり、である。

バブル期だったから、これだけのパワーアンプが製品化されたのだろう。
いま、ME1000と同じモノを企画・開発したら、価格はどれだけになるのだろうか。

1991年、ME1000の価格は3,000,000円(ペア)だった。

ME1000とペアとなるコントロールアンプは、ついに出なかった。
おそらく計画はあったはずだ。

バブル期があと数年続いていたら、登場したように思う。
ME1000と同じく、鋳鉄ベース使用の重量級のコントロールアンプだったのかもしれない。

1993年に、ビクターからプリメインアンプAX900(398,000円)が登場した。
ME1000の特徴を引き継ぐモデルである。

ステレオサウンド 109号で、長島先生が新製品紹介記事を書かれている。
     *
特に圧巻だったのは武満徹のノヴェンバーステップスで、心の中を突き通すようなあの音は、わが国の製品でなければ絶対に出ないような凄みを伴った音だった。何かが国産機の中で芽吹いた、という感慨にも似た心の高ぶりさえ感じたのである。
     *
ME1000は聴いたことがないが、AX900は聴いている。
私も驚いた。
プリメインアンプの次元とは思えない音が鳴ってきた。

発売後すぐには購入できなかったが、しばらくして自分のモノとして鳴らしていた。

最初はプリメインアンプとして見ていた、
同時にボリュウム付パワーアンプとしても見ていた。

しばらく使っていくうちに、ME1000とペアになるべく開発されていたコントロールアンプが、
バブル崩壊とともに、計画変更されてAX900になったのではないか……、と思うようになった。

Date: 10月 17th, 2017
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(audio wednesdayでの音・その10)

1956年に登場している075は、年代だけをみれば確かに古いトゥイーターというしかない。
実測データをみても、そういえる。

けれどJBLのホーン型トゥイーターは、基本的にホーンだけが異る。
プロフェッショナルシリーズでいえば、2402、2403、2404、2405、
コンシューマー用では075、077などがある。

これらのダイアフラム、磁気回路といった、いわば駆動系は共通している。
2405と075のダイアフラムの形状は44mm径のリング型と基本的には同じだが、
わずかに違うところもある。

違いについては、ステレオサウンド別冊HIGH-TECHNIC SERIESの三冊目、
「世界のトゥイーター55機種の試聴とその選び方使い方」の26ページの写真を見てほしい。

菅野先生は075に2405のダイアフラムを換装されている。
(詳細はステレオサウンド 60号参照のこと)

プロフェッショナルシリーズとなると、そのへんはどうなのか。
おそらくすべて共通ダイアフラムではないか、と思われる。

2405と075の違いは、ホーンの違いであり、
ホーンが違うだけで、指向特性も高域の延び方もそうとうに違ってくる。
そのかわり075は2.5kHz以上から使えるのに対し、
2405は7kHz以上からとなっているし、2404は3Hz以上、2403は5kHz以上という違いもある。

2404、2403は1980年代に入ってから登場したトゥイーターである。
そのトゥイーターの駆動系は075そのものということは、
075の駆動系の基本設計の優秀性を示すものであり、
単に登場した年代だけでは、古い、新しいを判断するのは難しい、ともいえるし、
075を古いという場合、ホーンの形状が古い、ということでもある。

Date: 10月 17th, 2017
Cate: 「オーディオ」考

耳の記憶の集積こそが……(その2)

自分の耳に自信があれば、人の意見、
特にオーディオ評論など必要ではない──、という意見が以前からある。

耳の記憶の集積こそが、オーディオである、と考える私にとって、
真にオーディオ評論といえるものを読むことは、耳の記憶の集積につながる行為である。

Date: 10月 16th, 2017
Cate: ケーブル

ケーブル考(銀線のこと・その15)

セレッションのSL6のトゥイーターのダイアフラムは銅だった。
それまでのイギリスのスピーカーのトゥイーター、スコーカーに使われるドーム型は、
たいていがソフトドームだった。

金属ダイアフラムのハードドームは、イギリスのスピーカーとしては珍しかった。
しかも銅である。
たいていはアルミ。SL6クラスの価格帯のスピーカーであれば、アルミが大半といえた。

セレッションはSL6の開発にあたり、レーザーを使い振動板の振動モードの、
それも動的な解析を行った、と聞いている。
ということは、動的な解析の結果の銅だと考えていい。

SL6はSL600に進化し、
SL6Sに改良されている。
SL6Sでは銅からアルミになっている。

SL6とSL6Sの違いは、トゥイーターのダイアフラムの違いだけなのだろうか。
ネットワークも少しは変更しているのだろうか。
どうだったろうか。

音は違う。
SL6Sの方が改良モデルといわれれば、納得するような音の違いがあった、と記憶している。
やはり銅は、アルミよりも重たいのか、と思うところが、音にあった。
反面、銅のほうが、ある種の粘り的な要素を感じさせるところもあり、
鳴らし込んでいくのであれば、銅の方が面白いかな、と思わせる。

この時だった。
ある人と銀線の話になった。
銅線と銀線の音の違いに何に由来するものなのか、とたずねられた。

「色が違うから」と答えた。
その人は、私が冗談をいっていると思ったようだったが、
私としては、真面目に答えていた。

銅のダイアフラムとアルミのダイアフラムの音の違い、
銅線と銀線の音の違いに、どこか共通するところを感じたから、
「色が違うから」と答えたわけだ。

アルミと銀の色は、銅とははっきりと違う。

Date: 10月 15th, 2017
Cate: 「オーディオ」考

耳の記憶の集積こそが……(その1)

耳の記憶の集積こそが、オーディオである、といまいおう。

Date: 10月 15th, 2017
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(その10)

「毒にも薬にもならない音」、
「毒にも薬にもならない文章」と書いてきて、
「毒にも薬にもならない演奏」とは……、で思い出すのは何か、と考えた。

私にとって「毒にも薬にもならない演奏」の筆頭は、
インバルがDENONレーベルに録音したマーラーである。

インバルのマーラーのことは、以前に書いている。
そのときバーンスタインのマーラーを引き合いに出している。

私にとってインバルのマーラーが、まったく響かなかったのは、
「毒にも薬にもならない演奏」だったからにほかならない。

インバルの演奏からは、マーラーの交響曲(音楽)がもっている毒、
一種の毒といってもいいと思えるところが弱い、というよりも、
ほとんど感じられなかった。

インバルのマーラーに毒を感じる人もいるのかもしれない。
現在のインバルのマーラーが、どうなのかは聴いていないので、なんともいえないが、
少なくとも1980年代のDENONレーベルのマーラーに、毒を感じることは一度もなかった。

私がバーンスタインのマーラー、それもドイツグラモフォン録音を高く評価するのも、
誰にも増してマーラーの毒を強く感じさせるからである。

そうだった、と思い出すのは、
「毒にも薬にもならない文章」を書くことを選択した知人だ。
知人は、好んでマーラーを聴くことはなかった。

彼のところにバーンスタインのマーラーのディスクを持っていったこともある。
そのときの彼の反応は、いま思えば、毒に対するある種の拒否反応だったかもしれない。

毒があるから、マーラーの世界(音楽)にのめり込んでいける、
もしくはどっぷりとつかれる(浸かれるであり、憑かれるでもあり、撞かれる)。

そんな私のような聴き手がいる一方で、
毒があると、のめり込めない、という人もいるはずだ。

Date: 10月 15th, 2017
Cate: 新製品

新製品(TANNOY Legacy Series・その19)

2017年のインターナショナルオーディオショウで見たかったモノのひとつが、
タンノイのLegacyシリーズだった。

正直、エソテリックのブースの音は期待していない。
あそこで聴いた音で、製品の音は参考程度にもならないと個人的にはずっと以前から思っている。
なのでLegacyシリーズの実物を見たかった、見て確かめたかったことがあった。

私がショウに行ったのは初日の夕方以降の数時間だけ。
エソテリックのブースにも、もちろん行った。
Legacyシリーズによる音出しではなかった。
運が良かった、と思った。

あてにならないとわかっていても、
鳴っている音を聴いてしまうと、なんらかの判断をしてしまいがちである。
だからLegacyシリーズが鳴ってなくてよかった、と思ったわけだ。

別のスピーカーが鳴っていたから、
Legacyシリーズの実物をじっくり見ることができた。

インターネットでの写真を見たときから気になっていたのが、
全体に漂う質感の違いだった。

1976年登場のArden、Cheviot、Eatonの、記憶にある印象からすると、
妙に滑らかに過ぎる質感のように感じていた。

それが写真の撮り方によるものか、それとも実際そうなのか、
それを確認したかった。

Legacyシリーズは、ジャック・ハウのデザインを忠実に再現したと謳っているが、
細部に違いはある。
レベルコントロールのパネル、バスレフポートの開口部の形状などは違っている。

けれど私がおぼえた違和感にも近い感覚は、そのへんの違いゆえとは思えなかった。
全体の仕上げが、当時とは違っていることによるものではないのか。

写真で見たとおりの感じを受けた。
Legacyシリーズの仕上げを基準とすれば、
以前のABCシリーズの仕上げは、やや粗さを残している、ともいえるし、
ABCシリーズの仕上げを基準とすれば、Legacyシリーズは滑らかすぎる、と感じる。

もしかすると私の記憶の中にあるABCシリーズの印象が、
すでに色褪てきているから、そう感じたのかもしれない、と思いつつも、
Legacyシリーズの仕上げの質感は、手触りのぬくもり的なものが薄くなっている。