Archive for category テーマ

Date: 1月 13th, 2019
Cate: アナログディスク再生

アナログプレーヤーの設置・調整(シェルリード線試聴会・その1)

中央線・高円寺駅から徒歩数分のところにEADレコードというレコード店がある。
今日、そこでシェルリード線の試聴会が行われるのが、来ませんか、という誘いがあった。

出掛ける用事もあったし、時間も用事が済んだころからだったので、
17時からの試聴会に行ってきた。

高円寺は気が向いたら途中下車することはある。
それでも北口、南口も、阿佐谷よりのほうには行っても、
中野よりにはほとんど行ったことがないなぁ、と思いつつ、ESDレコードをめざす。

このへんを歩くのは初めてである。
EADレコードは、もう20年以上やっているそうだ。

今回試聴できるシェルリード線は、Koike Lines製のモノ。

純銀線0.1mm/7本
OFC線0.08mm/16本
OFC線0.08mm/24本
OFC線0.08mm/56本

この四種類の比較試聴会だった。

30年以上前は、シェルリード線の比較試聴はやっていたけれど、
もうとんとやっていない。

シェルリード線の長さは、
カートリッジのコイル、トーンアーム内の配線、
トーンアームの出力ケーブル、これら全体の長さからすれば、その割合は小さい。

それでも音は、その割合とはおもえないほどに変ることは、
一度でも、この部分の交換をやったことのある方ならば、経験されていよう。

今回は同じ芯線で、本数の違う三種類のシェルリード線を比較試聴できる。
こういう機会はそうないだろう。

EADレコードは、小さなレコード店けである。
そこに大型のスピーカー、大型のアンプが並んでいるわけではない。
そういうシステムを期待されている方は行かれるとがっかりされるだろう。

店の規模に見合ったシステムが置いてある。

Date: 1月 10th, 2019
Cate: High Resolution

Hi-Resについて(テクニクス SL-G700)

CES 2019でテクニクスのSACDプレーヤーSL-G700が発表されたことが、
いくつかのオーディオ関係のサイトで紹介されている。

テクニクスがSACDプレーヤーを開発中なのは知られていたことなので、
特に驚きはないけれど、それでもMQAフルデコード対応なのは、意外な嬉しさである。

価格はまだ発表されていないし、音が聴けるようになるのはもう少し先のことだし、
SL-G700そのものについてあれこれ書きたいわけではない。

書きたいことはただひとつ。
Blu-Ray Audioに対応していないことである。

SACDとBlu-Ray Audioの両方に対応するのは技術的に不可能なのであればわかる。
けれど、すでにOPPOの製品は実現している。

クラシック好きにとってBlu-Ray Audioは、いまでは無視できないものになりつつある。
テクニクスの開発陣もそのことは承知のはず。
なのにSL-G700はBlu-Ray Audioに対応していない。

将来性はあまりない、という見方なのだろうか。

以前のテクニクスはSU-A2というコントロールアンプを誕生させた。
コントロールアンプとしての機能を、考えられる限りのすべてを搭載したといえる。

パナソニックは、以前AG-W3という、VHS全世界対応デッキも出していた。

私のなかでは、そういうメーカーでもある、という認識だ。
SL-G700の価格はいまのところわからない。
さほど高くないのかもしれないし、
上級機として SL-G900とかSL-G1000というモデルが出てきて、
そこでBlu-Ray Audioをふくめて、全パッケージメディア対応になるのだろうか。

Date: 1月 8th, 2019
Cate: 世代

世代とオーディオ(その表現・その4)

フツーにおいしい、とか、フツーにかわいい、とか、
そんな表現が一般的に使われるようになったのはいつからなのだろうか。

インターネットで検索すると、2008年頃には使われていたようである。
どこから広まってきたのだろうか。
テレビで、誰かが使ったからなのか、
それともまったく別のところから使われるようになったのか。

この「フツー」が生れてきた背景には、
SMAPの「世界の一つだけの花」が関係してきているようにも感じている。

歌詞に《もともと特別なOnly one》とある。
私は、この歌詞をきいて、なんとバカな……、と思った人間だ。

「世界の一つだけの花」という歌を否定する気はないし、
この歌が好きという人のことをとやかくいうつもりはない。

ただ《もともと特別なOnly one》には、反撥したい。
歌詞の、この部分に救われた、とうい人がいるという話もきいている。

本当だろうか、と訝るとともに、本当にそういう世の中になってきたのか……、とも思う。

私は、ここでも、マーク・トウェインの、別の言葉を思い出す。

“The two most important days in your life are the day you are born and the day you find out why.”
あなたの人生で最も重要な二つの日は、あなたが誕生した日と、なぜ生れてきたかを見出した日である。

《もともと特別なOnly one》は、
重要な二つの日のうちのひとつだけの世界にしか思えない。
なぜ生れてきたかを見出してこそ、オンリーワンのはずなのに、
ただ誕生してきた日、その一つの日だけで《もともと特別なOnly one》とは、
どうやってもそうは思えない。

Date: 1月 8th, 2019
Cate: オーディオ評論

「新しいオーディオ評論」(その19)

取材・試聴が大変だった号がよく売れ、
そうでない号はあまり売れないのであれば、話は違ってこよう。

けれど現実は必ずしもそうではない。
その17)で書いているように、
二冊のチューナー特集号の取材・試聴は大変だったはず。
けれど売れない。

チューナー特集号のころは、すでにFM放送がブームになっていた時期のはず。
それでも売れなかったのは、不思議な気もする。
ステレオサウンドの読者は、あまりチューナーに関心がなかったのか。
そのくらいしか理由は思い浮かばない。

そのころの原田勲氏は、
株式会社ステレオサウンドの社長(経営者)であり、
季刊誌ステレオサウンドの編集長であった。

編集者としてやるだけのことはやった、と自負できる号が売れていれば、
社長としての原田勲と編集長としての原田勲は仲良くできただろうが、
現実はそうでもなかった。

雑誌は売れ残れば返本される。
前の号の売行きが芳しくないと、書店に置かれる数にも影響してくる。

それに返本された分に関しても、保管して置くためのスペースが要り、
それには費用も発生するし、売れなかった本とはいえ、それは資産として扱われる。

だから裁断処分されることになる。
これにも費用がかかる。

売行きは安定してほしい。
経営者は誰もがそう考えるはずだ。

そのためにどうするか。

ここまで書けば十分だろう。
つまりステレオサウンドを変えてしまったのは、
特集の内容によって買ったり買わなかったりしていた読者でもある。

Date: 1月 8th, 2019
Cate: オーディオ評論

「新しいオーディオ評論」(その18)

原田勲氏から直接きいたはなしでは、
チューナーの特集号は芳しくなかった、ということと、
不思議なことにトーンアーム、カートリッジが表紙だと、
これもあまり売れない、ということだった。

例えばアンプを買い替えようと考えているオーディオマニアがいたとする。
そこにステレオサウンドの特集がアンプの総テストであったりすると、
そのオーディオマニアは、なんとタイミングがいい、と喜んで、
そのステレオサウンドを買うことだろう。

アンプの買い替えを考えているオーディオマニアに、
チューナーの特集号を渡しても、関心をもってもらえないこともあるだろう。

でも、ステレオサウンドのようなオーディオ雑誌の読み方は、そういうものではないはず。
そう思っていたからこそ、私は中学二年のころから、なんとか小遣いをやりくりしては毎号買っていた。

ステレオサウンドを読みはじめたばかりの中学生にとって、
43号のベストバイは、確かに面白い特集だった。
世の中には、こんなにも多くのスピーカー、アンプ、カートリッジ、プレーヤーがあるのか、
そのことを知ることができただけでも、43号のベストバイの価値はあった。

それに43号のベストバイのやり方は、これまででいちばん良かった。
結局、その後のベストバイは編集経験者からみれば、手抜きでしかない。

43号のあとは、44号、45号、46号と三号続けてのスピーカーの特集である。
ある意味、おなかいっぱいの特集である。
読み応えがあった。

スピーカーの買い替えなどまったく検討していなかった中学生であっても、
無関係な特集とは、まったく思わなかった。

アンプの買い替えを検討しているオーディオマニアで、
チューナーの特集号、スピーカーの特集号だったら買わない、というのは、
その人はステレオサウンドをお買い物ガイドとしかみていないわけだ。

そういう人にはベストバイの号はぴったりだし、
ベストバイの号が売れるのも理解できなくはない。

それでも、ステレオサウンドは、そういうオーディオ雑誌ではないはずだ、
と当時は思っていたが、現実は売行きが変動するわけで、
だからこそ、原田勲氏が、ステレオサウンドを弁当にたとえて、
幕の内弁当でなければ、というのは、株式会社ステレオサウンドの経営者としては、
当然の帰結なのだろう。

Date: 1月 7th, 2019
Cate: ディスク/ブック

CALLAS IN CONCERT THE HOLOGRAM TOUR(その1)

CALLAS IN CONCERT THE HOLOGRAM TOUR
昨年秋に出たCDであり、
タイトルからわかるように、マリア・カラスのホログラムコンサートのCDである。

BASE HOLOGRAM社の技術によるマリア・カラスのホログラムコンサート。
昨年秋から全世界ツアーが始まっている。

日本でも予定されているそうで、2019年初頭という話だったが、
検索してみても、具体的な日程はどこにもない。

BASE HOLOGRAM社のウェブサイトには、マリア・カラスのページがある。
2月と3月の予定が公開されているが、現時点で日本公演は含まれていない。

日本でほんとうにやるのかどうかも、すこしばかりあやしい気もするけれど、
それにホログラムコンサートでのカラスの歌声は、
EMIに残した録音からカラスの声のみを抽出して、オーケストラとの協演である。

そういうものを観に行く価値はあるのか、と思わないでもないが、
行きたいという気持も、けっこう強い。

Date: 1月 7th, 2019
Cate: audio wednesday

audio wednesdayのこと(その4)

audio wednesdayで音を鳴らすようになって三年経つ。
音出しは面倒と思うこともないわけではないが、やはり楽しい。

来られている人たちも楽しまれている。
けれど、音を鳴らすのもいいけれど、
以前のようにあれこれ話すのも楽しかった、という声もある。

facebookでのコメントを読んでいて、思いついたことがある。
若いオーディオマニアの方と徹底討論をやってみたい、と思っている。

一対一でもいいし、
若い方が数人対私一人でもいい。

若いオーディオマニアといっても、
ひとまわり若い人、ふたまわり以上若い人たちが来てくれれば、いいな、と思う。

私がオーディオに興味ももってから40年以上が経つ。
オーディオブームといわれていた時代はとっくに過ぎ去ってしまった。

私が熱心に読んでいたオーディオ評論家の人たちもみないなくなってしまった。
いくつものオーディオ雑誌も消えていっていったし、
残っているオーディオ雑誌も変ってしまった。

オーディオ店の数も減っている。
いろんなことが変化している。

それでもオーディオの世界に興味をもつ若い人がいる。
そういう人たちがどう感じているのかを知るには、
直接声をきくのがいちばんではないだろうか。

一人では話しにくいことも、若い人たちが数人集まれば違ってくるかもしれない。

audio wednesdayの常連の大半は、私と同世代かそれ以上の世代の人たちである。
それでもズレのようなものを感じることがある。

世代がもっと違う人たちとならば──、
若いオーディオマニアの方たちを集めるのが意外と大変かもしれないが、
やってみたい企画である。

Date: 1月 6th, 2019
Cate: 「スピーカー」論

「スピーカー」論(ピストニックモーションにまつわる幻想・その3)

1976年にサンスイのスピーカーシステムSP-G300が登場した。
スラントプレートの音響レンズをもつ2ウェイであった。

当時の山水電気はJBLの輸入元であった。
SP-G300はJBLのスピーカーの影響を受けた製品ともいえた。

SP-G300は国産スピーカーとしては異例の長期的計画によって誕生したモノであった。
SP-G300の開発に関する詳しいことは、
ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ」のサンスイ号に載っている。

SP-G300のコンプレッションドライバーのダイアフラムは、
当初はタンジェンシャルエッジだった。

けれどテストと測定の結果、
タンジェンシャルエッジはダイアフラムの前後運動にともない回転運動を起こしていることを確認。
最終的にSP-G300はロールエッジに変更されて世に出ている。

タンジェンシャルエッジがもつ、形状からくる回転運動の発生については、
JBLも気づいていたのかもしれないし、
もしくは山水電気からの指摘があったのかもしれない。

JBLは1980年にダイアモンドエッジを発表した。
タンジェンシャルエッジの2420は2421になり、
ロールエッジの2440は2441になった。

ダイアモンドエッジは、日本の折り紙からヒントを得た、といわれていた。
そうかもしれない。
タンジェンシャルエッジを、アルテックのエッジの向きとJBLのエッジの向き、
このふたつを合体させたものがダイアモンドエッジのようにも、当時は見えた。

ダイアモンドエッジは高域特性の改善がまず謳われたが、
むしろタンジェンシャルエッジにつきもののダイアフラムの回転運動が発生しないことのほうが、
より大きな改善点である。

Date: 1月 6th, 2019
Cate: 「オーディオ」考

時代の軽量化(その10)

その9)で《鍛えられずに》と書いた。
(その9)でいいたかったことは、この一言につきる。

鍛えられる──、
こんなことを、オーディオという趣味の分野で使うことに抵抗を感じる人はいよう。
趣味なのだから、本人が楽しめればいいじゃないか、
そこに苦しいおもいをする必要はないはず──、と。

鍛える、ということに少しは賛同してくれる人がいたとしても、
彼らは、では、どうやって鍛えるのか、ときいてくるかもしれない。

アンプでもケーブルでもいい。
システムのどこ一箇所を変更する。
変更前と変更後の音を、オーディオマニアならば納得するまで比較試聴するはず。

わかりやすい違いもあれば、微妙な違いのときもある。
微妙な違いの場合、どちらがいい音(望む音)なのか、判断に迷うこともある。
そこで時間をかけて、しつこく試聴を重ねる。

これも鍛えることではある。
それでも、私がいいたい「鍛える」「鍛えられる」は、
その域に留まっていることではない。

オーディオは一人でできる趣味である。
それでも師と呼べる人をもつべきだ、と、
私は自分の幸運をふりかえって、そういおう。

スポーツでも、楽器の演奏でも、コーチ、師といった存在がいる。
優れたコーチに出逢えた選手と出逢えなかった選手とでは、
当然のことながら違ってくる。

正しく鍛えられた選手とそうでない選手の違いがある。

Date: 1月 6th, 2019
Cate: ディスク/ブック

ベートーヴェン

リヒャルト・ワーグナーの「ベートーヴェン」が、法政大学出版から出ている。
昨年夏に出ていたようなのだが、今日まで気がつかなかった。

五味先生が「日本のベートーヴェン」で、
《けっしてベートーヴェン論を説こうというのではないし、私にそんな資格があるわけもない。作品論ならワグナーの『ベートーヴェン』(高木卓氏訳)などを読んだ方が早い》
と書かれていた。

その時から読もう読もうと思いながらも、
私の探し方がまずかったのか、縁がなかったのか、
いままで出逢うことがなかった。

実は一度神保町の古書店で見かけたことはあるが、
けっこうな値がついていて、ふところが寂しかったころもあって、手が出せなかった。

それからでも、けっこうな月日が過ぎている。
もう読む機会はないのかも……、と思いはじめてもいた。

今回出た「ベートーヴェン」は、高木卓氏の翻訳ではないが、
とにもかくにもワーグナーの「ベートーヴェン」が日本語で読める。

Date: 1月 5th, 2019
Cate:

賞からの離脱(ステレオサウンド 209号)

ステレオサウンドはこれから先どうなっていくのだろうか……。
そんなことを毎号、思っていたのだが、
いま書店に並んでいる209号をパラパラと見ていて、
いままで以上に、大丈夫だろうか……、と思ってしまった。

特集のStereo Sound Grand Prix。
毎回、選考委員が会議室と思われる部屋での集合写真が載る。
今回も載っている。
けれど、ステレオサウンドの社屋を背景にした写真であった。

会社案内のパンフレットにでも載せる写真か、と思う。

記憶違いでなければ、前回のStereo Sound Grand Prix(205号)では、
会議室での集合写真だった。

どうしたんだろうか。
こんな写真を撮ってまで載せる理由はなんだろうか。
選考委員の誰一人として、こんな写真を撮るの? と疑問に感じなかったのか。

強い違和感をおぼえた。
そう感じる私のほうが、おかしい感覚になってしまっているのだろうか。
それとも、臆面もなく、こんな写真を掲載する感覚が、とっくにおかしくなってしまっているのか。

そんなことを年末に、ぼんやりとおもっていた。
数日前、ステレオサウンドが移転することを知った。

2月に新しい事務所に引っ越すらしい。
そういう事情があって、社屋を背景とした写真だったのか、と一応の理解をしつつも、
それでも違和感を拭い去ることはできない。

今年の12月に出る213号では、どんな集合写真なのだろうか。

Date: 1月 4th, 2019
Cate: 「オーディオ」考

時代の軽量化(その9)

文字情報による知識を得るのは、たやすい時代になっている。
そういう時代にあって、受験テクニックを身につけている世代は、
どれだけでも知識を増やしていけることだろう。

そういう人を知っている。私より一世代くらい若い人だ。
知識を、とにかく身につけているオーディオマニアだ。

けれど、残念なことに、それらの知識が有機的に結びついているとは言い難い。
体系化できていない。
だから、それらの知識は、いわば脂肪のように彼にまとわりついている。

本人は、オーディオに詳しいと自負していることだろう。
知識量だけはあるのだから、そういえなくもない。

でも、身につけているだけである。
筋肉とは違い、脂肪のようだ、という理由はそこにある。

そのためか、その人のオーディオの言動は、
とても見苦しい、と感じる。

いわば知識の肥満体である。
ぶくぶくと知識だけが、鍛えられずに身についているだけなのだから。

これも時代の軽量化のように感じている。

Date: 1月 3rd, 2019
Cate: ちいさな結論

ちいさな結論(「音は人なり」の「音」とは)

これまでの人生で得たものによる「音」なのか、
失ってきたものによる「音」なのか、
得たものと失ってきたものとが均衡している「音」なのか。

Date: 1月 3rd, 2019
Cate: High Resolution

Hi-Resについて(MQA-CDのこと)

ある大手レーベルが、MQA-CDに参入する、というウワサを耳にした。
どのレーベルなのかも聞いているけれど、どうなるのかはっきりしないから、
どこなのかまでは書かないけれど、このレーベルからMQA-CDが登場したら、とても嬉しい。

とにかく参入してほしい。
それから成功してほしい。
そうすれば、他のレーベルからもMQA-CDが出てくるであろうからだ。

Blu-Ray Audioにドイツ・グラモフォンは積極的のようだ。
それはそれでけっこうなことだとは思っているけれど、
いざ自分でBlu-Ray Audioのディスクを再生することを考えると、
どのプレーヤー(トランスポート)を使うのか、が問題というか、
これから先はとうなるのかははっきりしないが、
現状ではネックになってくるように感じている。

Blu-Rayをリッピングして、という方法もあるが、
実際にやっている人の話をきくと、CDDBが利用できないから、そこが大変らしい。
オペラは、ほんとうに面倒、とのこと。

パッケージメディアとして、通常のCDがあり、
SACD、Blu-Ray Audio、MQA-CDもある。

けっこうな時代になった、と実感できる。

Date: 1月 3rd, 2019
Cate: audio wednesday

第97回audio wednesdayのお知らせ

2011年2月2日に第一回だったaudio wednesdayも来月から九年目に入る。
どのくらい続けられるのだろうか、と最初は思っていた。

それに音を鳴らして、ということはできないだろう、とも思っていた。

それが今年の5月には100回目を迎えるし、
音もこの三年間、鳴らしている。

オーディオ雑誌の試聴室、オーディオ店の試聴室ではないから、
いろんな機器を取っ換え引っ換えなんて無理である。

鳴らしているシステムも、あまり変っていない。
それでも協力してくれる人たちが何人かいてくれることで、
代り映えしないようでいて、そうではない音出しができている。

2月のaudio wednesdayは、6日。
テーマはまだ決めていないが、音出しの予定だ。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
19時からです。