Archive for category テーマ

Date: 2月 19th, 2019
Cate: ラック, 広告

LOUIS VUITTONの広告とオーディオの家具化(その8)

《好きな曲、好きなブランドのレコード、好みの音量、鳴らしかたのクセ、一日のうちに鳴らす時間……そうした個人個人のクセが、機械に充分に刻み込まれる》
これこそが、心に近い音にしていく行為である。

耳に近い音、心に近い音。
このふたつが両立してこその「いい音(響)」であって、
まずは心に近い音をしていくことが大事である。

心に近い音を求めずに(わからずに)、
耳に近い音を求めていくことを、私は思考停止といっているだけだ。

心に近い音と耳に近い音を、ごっちゃにしてもいけない。
心に近い音と耳に近い音との区別をつけることこそが大事でもある。

心に近い音と耳に近い音との区別をあいまいにしたままでは、
心に近い音には、決して近づけない。

区別をつけることの難しさ、厳しさは、
区別をつける側の者に要求されることだ。

あいまいにしたまま(思考停止状態)は、楽である。

Date: 2月 19th, 2019
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その45)

オーディオの想像力の欠如した耳は、耳に近い音だけに敏感なのかもしれない。
心に近い音には、えてして鈍感だ。

Date: 2月 18th, 2019
Cate: ラック, 広告

LOUIS VUITTONの広告とオーディオの家具化(その7)

オーディオマニアの思考停止は、
昨晩公開した「何度でもくりかえす」で書いたこともそのひとつだと考えている。

少しでも音をよくしようとすること。
それのどこが思考停止なのか。

音をよくしようとする行為そのことを思考停止といっているのではない。
システムを入れかえたばかりで、あれこれやることについて、
それは思考停止につながっていく行為でもあるからだ。

システム全体を入れかえる。
入れかえたばかりのシステムの音は、それこそ何をしなくても変っていくものだ。

《好きな曲、好きなブランドのレコード、好みの音量、鳴らしかたのクセ、一日のうちに鳴らす時間……そうした個人個人のクセが、機械に充分に刻み込まれる》
そのことによって音ははっきりと自然に変っていく。

その変っていく段階において、あれこれを手を出して意図的に音を変えていく。
そしてよくなった(わるくなった)と一喜一憂すること。
それこそが思考停止につながっていくことではないのか。

スピーカーをポンポン買い替える人がいる。
知人にも一人いる。
一年と経たずに買い替えていく。

それが知人の趣味なのだから、何もいうことはない。
知人の趣味は、オーディオではなく、買い替えていくことなのだから。
そういう人は、買って鳴らし始めたそばから、あれこれチューニングと称しては、
音をいじっていけばいい。
早ければ数ヵ月後、遅くとも一年後くらいには、そのスピーカーを売り払っているのだから。

自分のところにきたスピーカーをじっくり鳴らしていこうとしている人は、
そんなことはする必要はないし、
瀬川先生が書かれているように、
《二年のあいだ、どういう調整をし、鳴らし込みをするのか? 何もしなくていい。何の気負いもなくして、いつものように、いま聴きたい曲(レコード)をとり出して、いま聴きたい音量で、自然に鳴らせばいい》
そうすることで、《個人個人のクセが、機械に充分に刻み込まれる》のだから。

音をいじるのはそこからでいい、
というより、そこから始めるべきことなのだ。

なのにいじることが先にある。
それこそ思考停止である。

Date: 2月 18th, 2019
Cate: ラック, 広告

LOUIS VUITTONの広告とオーディオの家具化(その6)

Bさん夫妻は、ラックをどうするのか。
その後の情報では、ヤマハのGTR1000か、
特註のラックのどちらかになるらしい。

家具の特註はかなり高価になる。
それにオーディオラックは、収納するモノが重量物ゆえに、
さらに高価になろう。

おそらく、現在オーディオラックとして評価の高い製品よりも、高価になるはずだ。
GTR1000は一台、五万円を切っている。
一台のGTR1000で、すべての機器を収納できるタイプではないから、
複数台必要になるとはいえ、いまどきの高価なオーディオラックからすれば安価だ。

価格的にはGTR1000と特註のラックとでは、開きがある。
それでもこのふたつが最終候補であり、
いわゆるオーディオラックは候補になっていない。

やっぱりそうか、と納得するところである。
オーディオマニアではないBさん夫妻にとって、
購入できる金額であっても、いわゆるオーディオラックは候補にはならない。

こんなことを書くと、
特註のラックもしくはヤマハのGTR1000と、
高価なオーディオラックとを比較試聴すれば、Bさん夫妻も後者を選ぶはず──、
そんな声が聞こえてきそうだが、はたしてそうだろうか。

Bさん夫妻がラックの比較試聴をするとは思えないが、
仮にやったとしても、そしてその音の違いを認めたとしても、
高価なオーディオラックは選ばないのではないか。

オーディオマニアでないBさん夫妻のラック選びの話などつまらないし、
何の参考にもならない──、そう思う人もいるかもしれないが、
私がBさん夫妻のことを書いているのは、
オーディオマニアは時として思考停止に陥りがちになるからだ。

Date: 2月 17th, 2019
Cate: 「本」

雑誌の楽しみ方(最近感じていること・その3)

ほかの学校、ほかの地域がどうだったのかは知らないが、
私が通っていた学校、クラスでは小学一年生(続く二年生、三年生……)を、
かなり多くが読んでいた。

数えたわけではないが、読んでいない方が少なかったのではないだろうか。
しかもその多くは、小学校を卒業するまで読んでいたようにも思う。

ということは一人っ子でも小学一年生から六年生まで、
12×6で、72冊の小学館発行の雑誌を読んでいたわけだ。

兄弟(姉妹)がいれば、さらに増えよう。
私の場合、弟と妹がいたから、手元にある雑誌ということで読んでいた。
しかも小学生を対象とした雑誌は、その時代には少年マンガ誌くらいだった。

そのころは考えもしなかったことだが、これはすごいことのような気もする。

高校生のころ、星新一のショートショートに夢中になった。
題名も忘れたし、詳細もはっきりとは憶えていないが、こんな話があった。

あるメーカーが、万能幼児用ベッドなるモノを開発。
しかもそれを子供が生まれた家庭に無料で送る。
子供がむずかれば母親の手を煩わすことなくあやしてくれるし、
確かおむつの交換、その他、大変な育児の手間を代りにやってくれる。

それもただ機械的におこなうのではなく、やさしい声もついてくる。
こんな便利なモノだから、しかも無料なのだから普及する。

その万能ベッドに育てられた子供が大人になる。
するとベッドと同じ声で、コマーシャルが流れるようになる。
母親代りともいえる声が、これを買いましょう、あれを買いなさい、という。

それに抗えないのだ。
すんなり従ってしまう(つまり購入してしまう)。
このための万能ベッドだったのだ。

このショートショートを思い出したのは、
ステレオサウンドで働くようになってからだった。
小学館の小学○年生は、この万能ベッド的存在に近い存在に、
やり方によっては成りえたであろう──、とおもったことがある。

Date: 2月 17th, 2019
Cate: 使いこなし

何度でもくりかえす

二年前にも引用しているし、それ以前にも二回引用している。
つまりこれで四回目の引用である。
     *
 二年、などというと、いや、三ヶ月だって、人びとは絶望的な顔をする。しかし、オーディオに限らない。車でもカメラでも楽器でも、ある水準以上の能力を秘めた機械であれば、毎日可愛がって使いこなして、本調子が出るまでに一年ないし二年かかることぐらい、体験した人なら誰だって知っている。その点では、いま、日本人ぐらいせっかちで、せっぱつまったように追いかけられた気分で過ごしている人種はほかにないのじゃなかろうか。
 ついさっき、山本直純の「ピアノふぉる亭」に女優の吉田日出子さんが出るのを知って、TVのスウィッチを入れた。彼女が「上海バンスキング」の中で唱うブルースに私はいましびれているのだ。番組の中で彼女は、最近、上海に行ってきた話をして、「上海では、日本の一年が十年ぐらいの時間でゆっくり流れているんですよ」と言っていた。なぜあの国に生れなかったんだろう、とも言った。私は正直のところ、あの国は小さい頃から何故か生理的に好きではないが、しかし文学などに表れた悠久の時間の流れは、何となく理解できるし、共感できる部分もある。
 いや、なにも悠久といったテンポでやろうなどという話ではないのだ。オーディオ機器を、せめて、日本の四季に馴染ませる時間が最低限度、必要じゃないか、と言っているのだ。それをもういちどくりかえす、つまり二年を過ぎたころ、あなたの機器たちは日本の気候、風土にようやく馴染む。それと共に、あなたの好むレパートリーも、二年かかればひととおり鳴らせる。機器たちはあなたの好きな音楽を充分に理解する。それを、あなた好みの音で鳴らそうと努力する。
……こういう擬人法的な言い方を、ひどく嫌う人もあるらしいが、別に冗談を言おうとしているのではない。あなたの好きな曲、好きなブランドのレコード、好みの音量、鳴らしかたのクセ、一日のうちに鳴らす時間……そうした個人個人のクセが、機械に充分に刻み込まれるためには、少なくみても一年以上の年月がどうしても必要なのだ。だいいち、あなた自身、四季おりおりに、聴きたい曲や鳴らしかたの好みが少しずつ変化するだろう。だとすれば、そうした四季の変化に対する聴き手の変化は四季を二度以上くりかえさなくては、機械に伝わらない。
 けれど二年のあいだ、どういう調整をし、鳴らし込みをするのか? 何もしなくていい。何の気負いもなくして、いつものように、いま聴きたい曲(レコード)をとり出して、いま聴きたい音量で、自然に鳴らせばいい。そして、ときたま——たとえば二週間から一ヶ月に一度、スピーカーの位置を直してみたりする。レヴェルコントロールを合わせ直してみたりする。どこまでも悠長に、のんびりと、あせらずに……。
     *
瀬川先生の「My Angle いい音とは何か?」からの引用である。
これはとても大事なことだから、何度でもくりかえす。

しかも、どうも伝わりにくい(理解され難い)ようでもあるから、
これからも何度でもくりかえそうと考えている。

SNSをながめていると、システムを入れかえたばかりの人が、
あれこれ使いこなし的なことをやっているのが目に入る。

少し待とうよ、といいたくなる。
基本的なセッティングがまるでできていないのであれば、
それを解消するためのことは必要ではある。

けれど屋上屋を重ねる的な使いこなし的なことが目に入ると、
やはりいわずにはいられない。

Date: 2月 17th, 2019
Cate: 真空管アンプ

Western Electric 300-B(その3)

今回の300Bは、けっこう売れるんだろうなぁ、と思う。
メーカー製の300Bのアンプを使っている人、
真空管アンプを自作している人(ここにはメーカーも含まれる)、
それからオーディオを投資として捉えている人などが買う。

私は、再生産されるのは300Bだけなのか、と思ってしまう。
どのくらい前だったかは忘れてしまったが、
ウェスターン・エレクトリックによる274B、310Aの再生産のウワサもあった。

私はいまでも300Bのアンプでいちばん美しいたたずまいをもつのは伊藤先生のシングルアンプだ、
と思う人間である。

たとえメーカー製の、お金をかけた300Bのアンプであっても、
伊藤アンプのたたずまいに並ぶモノはない。

そうなると300Bだけでなく、274B、310Aも再生産してほしい。
274B、310A(特にメッシュタイプ)は、300B以上に入手が難しくなっている。

310Aの再生産はまずない、と思っている。
300Bと違い、それほど数が出るとは思えないからだ。

整流管の274は、310Aよりは売れるだろうが、
300Bのアンプを作っているメーカー、個人にしても、
必ずしも整流管を使うわけではない。

ダイオードのほうが内部抵抗が低い、レギュレーションがよくなるから、ということで、
整流管は時代遅れだという考えの人もいる。

それに274は整流管の中でも内部抵抗は高い。
私にすれば、だからこそ、と考えるわけだが、
人の考えは人の数だけあるのだから、それはそれとしかいいようがない。

そういう状況において、いま300Bのアンプを自作するならば、
私ならばシングルアンプは選択しない。
どうやっても伊藤先生の300Bシングルアンプのたたずまいに追いつけないからだ。

ならばプッシュプルアンプだ。

Date: 2月 17th, 2019
Cate: 真空管アンプ

Western Electric 300-B(その2)

オーディオ店を通じて、エレクトリへの予約された方によると、
製造が始まるのは来月からで、日本に入ってくるのは夏以降とのこと。

管球王国では、きっと秋以降の号で、300Bの比較試聴を行うだろう。
どの時代の300Bが音がいいのかは、昔から話題になっていた。

一般的には刻印の300Bがいいことになっている。
何度か聴いているが、確かにいい。

けれど伊藤先生によると、必ずしも刻印が常に最高とは限らない、とのこと。
比較的新しい300Bでも、音のいいのがある、とはいう話を伊藤先生から直接聞いている。

伊藤先生ほど300Bという真空管にぞっこんだった人はいない。
その伊藤先生がいうことである。

伊藤先生によると、音のいい300Bは触ってみるとわかるそうだ。
どこが見分けるポイントか、そういうことではなく、
手にとった瞬間、いい音をだしてくれそうな300Bは直観でわかる、とのこと。

これは伊藤先生だからいえることであり、
ものすごい数の300Bにふれ、アンプを作ってきた人だからいえることである。

今回の再生産について、あれこれいう人はいるだろう。
裏事情を知っている人もいよう。
いまはブランドが売り買いされる時代である。

そういう時代において、昔のブランドの威光がどれほどあてになるか。
そんなことはいわれなくともわかっている。

そのうえで、今回の300Bの再生産は、私にとっては嬉しいニュースのひとつである。

Date: 2月 16th, 2019
Cate: 真空管アンプ

Western Electric 300-B(その1)

ウェスターン・エレクトリックの300Bの再生産がようやく始まる。
30年ほど前にも、ウェスターン・エレクトリックの300Bは再生産された。

その後、300B同等管が、いくつかのメーカーから登場している。
どのメーカーの300B互換球が音がよいのかも話題になっている。

どの300Bがどうなのか、比較試聴する機会はないのでなんともいえないが、
音と同じくらいに気になるのは、ぞの外観である。

ガラスの形状の違い、
ベースの色の違い、
ベースに印刷されている文字、
それからモノによってはガラスにも印刷されていたりする。

そういったことがすごく気になる。

やっぱり外観は、ウェスターン・エレクトリックの300Bがいちばんである。
ベースが黒の300Bも各社から出ているが、
どうにもガラスの形状、特に肩の部分の曲線の違いが、いつも気になっていた。

今回再生産される300Bのプレオーダーは始まっている。

300B(一本)が699ドル、
マッチドペアが1499ドル、さらに四本マッチングしたものだと3099ドルとなっている。

日本からだと、直接のオーダーはできない。
輸入元エレクトリ経由となる、とのこと。

300B再生産のニュースは昨年秋ごろに知った。
ウェスターン・エレクトリックのウェブサイトをみると、
以前は完実電気が輸入元だったが、エレクトリに変更になっていた。

けれどエレクトリのサイトをみても、ウェスターン・エレクトリックのことはどこにもない。
今日もエレクトリのサイトをチェックしたけれど、なかった。

エレクトリが扱う(はずである)。

Date: 2月 16th, 2019
Cate: 「本」

雑誌の楽しみ方(最近感じていること・その2)

私が最初に手にした雑誌はなにかをふりかえってみると、
小学館発行の小学一年生だったことに気づく。

それに以前に、幼稚園だったころ、幼稚園児向けの雑誌があったような記憶もないわけではない。
読んでいたような記憶もあるようなないような……。

そんな曖昧すぎる記憶ではなく、
はっきりとしたところでは、やはり小学一年生である。
そして一年後には小学二年生、さらにもう一年後には小学三年生、
とそんなぐあいに小学6年生まで毎月買って読んでいた。

小学生のころは考えもしなかったことだが、
中学生か高校生ぐらいのときに、テレビで、
小学一年生のコマーシャルが流れるようになった。

私が小学生のころ、少なくとも熊本のテレビでは、
小学一年生のコマーシャルは流れていなかった。

とにかく小学一年生のコマーシャル、
それからランドセルのコマーシャルを見ていて、
そうか小学生になるということは、ランドセルを担いで学校に通うということであり、
小学一年生を読むことなんだなぁ、と気づいた。

私が小学生にあがるころ、熊本ではやっと民放のテレビ局が二局になった。
それまではRKKという民放一局しかなかった。
NKKが2チャンネル、民放が1チャンネルと、
チャンネルは12あるのは、受信できる(映る)のはたった3チャンネルだけだった。

新聞のテレビ・ラジオ欄には隣の福岡県の番組表も載っていた。

福岡は民放が四局くらいあった、と記憶している。
受信できない福岡のテレビ番組表を見ては、うらやましく思っていた。

私が小学生になるころは、そんな時代だったし、
そこにおける小学一年生という雑誌である。

Date: 2月 15th, 2019
Cate: 価値・付加価値

オーディオ機器の付加価値(その8)

付加価値の彼は、付加価値だけでなく、
名器という言葉も頻繁に使う。

あのアンプは名器ですから、とか、
このスピーカーは名器ですよね、とか、よく使っている。

なるほど、確かに、それは名器だな、と同意できることは少ない。
なぜ、そのアンプ、そのスピーカーまで名器というのか、疑問に思うことが多かった。

自分が使っているオーディオ機器以外を、ボロクソに貶す人がいる。
なんでも名器としてしまう付加価値の彼は、そんな人よりはいいように見える。

けれど、付加価値の彼が名器とするモノを聞いていると、
それこそミソモクソモイッショにしているとしか思えない。

そういえば、付加価値の彼は、どんなオーディオ評論家に対しても、先生をつける。
私が先生と呼ぶ人も、私がオーディオ評論家(商売屋)としか見ていない人にも、
等しく先生とつけて呼ぶ。

ここでも、私はミソモクソモイッショにするな、と強くいいたくなるが、
安易に名器と呼んだり(本人はそうではないと反論しそうだが)、
すべてのオーディオ評論家(職能家、商売屋どちらも)を先生と呼ぶことは、
根っこは同じなのだろう、と勝手に思っている。

彼のそんなミソモクソモイッショにしてしまうところが、
付加価値を頻繁に使うことと深いところで絡んでいるのではないのか。

Date: 2月 15th, 2019
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(整理と省略・その8)

セブン・イレブンの新しいコーヒーマシンは、東京の店舗にも導入されていた。
新しいコーヒーマシンを使うのは、今日で二回目だが、さっそくエラーにぶちあたった。

カップを置くと、ホット用にもかかわらず液晶画面にはアイスと表示される。
コーヒーマシンも、おかしいと判断したようで、エラーを出し、カップを置き直せ、という表示。

置き直すと、今度はホットと正しく表示された。
けれどすぐにエラー表示で、またカップを置き直せ、の表示。

次はどうなるのか、楽しみで、指示に素直に従い、また置き直す。
今度は、ホット用かアイス用か、カップサイズの検出を諦めたようで、
液晶画面に、これまでのコーヒーマシンのような表示を出す。

ホット、アイス、それにカップのサイズのボタンが表示され、客が選んで押す。

前回の、一回で正しく認識したのは偶然だったのか、
それとも今回の連続するエラーがたまたまだったのか。
どちらなのかはいまのところなんともいえないが、
新しいコーヒーマシンは、必ずしも改良されたとは言い難いようだ。

それにしても、セブン・イレブンの担当の部門は、
これまでのコーヒーマシンにしても、新しいコーヒーマシンにしても、
実際に使ってみてのテストをしなかったのだろうか。

Date: 2月 14th, 2019
Cate: High Resolution

Hi-Resについて(ユニバーサルミュージックのMQA)

ユニバーサルミュージックのMQA配信が、e-onkyoで始まっている。

ドイツ・グラモフォン、デッカの音源を中心に約1100タイトル。
まったく興味がわかないタイトルもある。少なくはない。

けれど全タイトルに目を通すと、嬉しくなってくる。
フルトヴェングラーもあった。
エーリッヒ・クライバーの「フィガロの結婚」もあったし、
カラヤンの「ニーベルングの指環」もあるし、
ひとつひとつ挙げていくのが面倒なくらいのタイトルがある。

なかでもひときわ嬉しかったのはパヴァロッティがMQAで聴けるようになったことだ。
パヴァロッティ~ザ・グレイテスト・ヒッツ24」がある。

このアルバムでは、「オ・ソレ・ミオ」が聴ける。
「オ・ソレ・ミオ」はナポリ民謡である。
高尚な文学的な歌詞を歌っているわけではない。

なのに「オ・ソレ・ミオ」をパヴァロッティが歌っているのを初めてきいた時、
もう30年以上前、20代のころだった、聴いていてこみあげてくるものがあった。
なぜだか涙が出てきた。

「オ・ソレ・ミオ」で涙なのか?
と思わないわけではなかったが、
パヴァロッティによって歌われることで、
それはいままで耳にしたことのある「オ・ソレ・ミオ」とは違っていた。

パヴァロッティの「オ・ソレ・ミオ」をMQAで聴ける。
いちばん聴きたかった方式(音)で聴ける。

Date: 2月 14th, 2019
Cate: 「本」

雑誌の楽しみ方(最近感じていること・その1)

趣味は読書です。
この場合の読書は、おもに文学作品を読むことであって、
雑誌ばかりを読んでいても、世の中はそれを読書、
それも趣味としての読書とは認めてくれないようにも感じている。

私だって、趣味は読書です、と誰かにいわれたら、
小説を読むのが好きな人なんだ、と、目の前の人のことをそう思う。

私だって、雑誌を読むことは好きだけれど、
それを誰かに、趣味です、といおうとは思っていない。

雑誌を読むことは趣味とはなりえないのか。
ここで書きたいのは、そういうことではなくて、
雑誌を読む楽しさを知っている人とそうでない人とがいる、ということである。

私は雑誌が好きなのだが、
いま、この雑誌が面白い、と感じることは少なくなってきている。
オーディオ雑誌のことだけをいっているのではない。

面白い特集をやっている雑誌は買っている。
けれど、それらの雑誌を定期購読しているかといえば、そうではない。
毎号買おう、とまでは思っていない自分に気づく。

最近、若い人たちと話して気づいたことも、雑誌に関することである。
「雑誌が好きなんだよ」という感覚が、ある世代より下にはなくなりつつあるのかもしれない。

私と同世代、上の世代の人たちであっても、雑誌を楽しんでいる人とそうでない人とがいる。
それでも、まだ雑誌を楽しんでいる人は多いように感じている。

Date: 2月 13th, 2019
Cate: Wilhelm Backhaus, ディスク/ブック

バックハウスのベートーヴェン ピアノ・ソナタ全集

バックハウスは、ベートーヴェンのピアノ・ソナタを二回録音している。
4月に二回目の録音が、シングルレイヤーのSACDで出る。
(29番のみ二回目の録音は未了のため、一回目のモノーラル録音が使われている)

今年はバックハウス没後50年、デッカ創立90周年ということでの限定発売のようだ。

バックハウスのベートーヴェンがSACDで聴ける日が来るとは、まったく期待していなかった。
私が20代前半のころ、
ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集はいくつかあった。
バックハウスのがあったし、
グルダ、アシュケナージ、ブレンデル、シュナーベル、ナットなどの全集があった。

シュナーベルの録音はかなり古い。
ナットの録音は、シュナーベルほど古くはないがモノーラルだった。

ステレオ録音となると、バックハウスによる全集が、
そのころの私には輝いて見えていた。

いつかはバックハウスの全集を……、そう思いつづけていた日がある。
なのに、なぜか買うことはなかった。

もちろんバックハウスのベートーヴェンの後期のソナタに関しては買った。
けれど全集となると、CDではそれほど高価でもなかったにもかかわらず、手が伸びなかった。

今回のSACD全集を逃してしまえば、
バックハウスの演奏でベートーヴェンのソナタをすべて聴くことはなかろう。
今回の最後の機会だとおもっている。

これまで頻繁に聴いてきた、とはいえないが、
それでも20代のころから聴いてきているのが、
バックハウスによるベートーヴェンの後期のソナタである。

それでもひさしく聴いていない。
だからこそおもうところがある。