2024年をふりかえって(その16)
オーディオの才能について、考えるきっかけがいくつかあった一年。
このオーディオの才能と関係してくることで、「音は人なり」を実感するとともに、
以前から書いてきている「人は音なり」もまた実感していた。
オーディオの才能について、考えるきっかけがいくつかあった一年。
このオーディオの才能と関係してくることで、「音は人なり」を実感するとともに、
以前から書いてきている「人は音なり」もまた実感していた。
1月8日のaudio wednesdayは、ふたたび鳴らすJBLの4343で、
11月の会と違うのは、エラックのリボン型トゥイーターを足すことの他に、
パワーアンプもクレルのKSA100からゴールドムンドのMimesis 9.2へとかわる。
この時代のゴールドムンドのアンプで4343が、どんなふうに鳴ってくれるのか。
D/AコンバーターはメリディアンのUltraDACだから、その相性も含めて、
多少の不安はあるものの、楽しみの方が何倍もまさっている。
今回の4343も宇都宮のHさんが運んで来てくれる。
それだけでなくクレルのKMA100も持ってきてくれるので、
比較試聴も予定している。
ではラグジュアリーオーディオは、いつごろから始まったといえるのか。
私の考えでは、コントロールアンプがリモコン操作が可能になったのが、
ラグジュアリーオーディオの始まりだと捉えている。
普及クラスのコントロールアンプやAV用のコントロールアンプではなく、
音質を追求しながらも、操作性の良さも両立させようとしたコントロールアンプの登場という観点からすれば、
1986年に世に出たプライマーのSeries 928 preamplifierだろう。
928以前にも、そういうコントロールアンプはあったかもしれないが、
日本に輸入された製品ということでは928といえる。
BOSEの901 Series Vが見せてくれた情景は、
私だけのものでしかない。
あの日、一緒に聴いていた人の中で、なんらかの情景が浮かんでいた人は、何人いただろうか。
何人かいたとしよう。
だからといって、私と同じ情景を見ていたわけではないだろう。
確認したわけではないが、きっとそのはずだけ。
グラシェラ・スサーナの「人生よ ありがとう」はスタジオ録音だから、
BOSEの901から鳴ってくる音を聞いていて、
何かがうかんできたとしたら、それは録音光景のはずだ。
いわゆるハイ・フィデリティ再生を目指すのでもれば、
録音の光景が浮かんでこそだろう。
そこには私が思い浮かべていた情景は、わたしだけのものであり、そんなものは要らないということになるはずだ。
余計なものでしかないと言えば、そうであり、それでいい。
「人は歳をとればとるほど自由になる」
内田光子があるインタヴューでそう語っていた、
この言葉を思い出す一年でもあった。
オーディオの才能とともに、思い出してもいた。
「人は歳をとればとるほど自由になる」、
そうであろう、と思いながらも、まったく反対になっていく人も少なからずいる。
オーディオマニアに限っても、そういう人はいる。
「人は歳をとればとるほど自由になる」が、いい意味での老化だとすれば、
反対の人のは、老化ではなく劣化なのか──、
そんなふうにも思える。
人は知らず知らずのうちに、緩やかな坂を下っていたりする。
下っていることに気づかない。
だから気づくまで下っていくだけである。
気づける人は、まだいい。どこまで下っても気づかない人もいる。
これが劣化だと思う。
そんなことがいくつかあった一年だった。
昨晩、ハーマンインターナショナルのウェブサイトを眺めていた。
個々のブランドのウェブサイトではなく、
ハーマンインターナショナルについて、なんとなく知りたいと思ってのアクセスだった。
コンシューマーオーディオのページを見ていた。
ラグジュアリーオーディオ、とあった。
そこには、こうあった。
*
ラグジュアリーオーディオの製品は、ピュアな音質、最高の素材、そして感動的なオーディオ体験を求める真のオーディオ愛好家のニーズに完璧に応えています。本物のオーディオ愛好家なら誰もが認めるように、Mark Levinsonの名前は、完璧さは目標ではなく出発点である純粋なオーディオと同義です。Revelでは、音響精度の基準を設定し続けています。
*
マークレビンソンは、
いまでは、ハイエンドオーディオよりもラグジュアリーオーディオなのか、
オーディオマニアはハイエンドと思っていても、
ハーマンインターナショナルとしては、ラグジュアリーオーディオとしてのマークレビンソンである。
これまでにガラスを振動板に採用したモノは、少数ながらもあった。
ガラス製のエンクロージュアもあった。
ガラスと言っても、さまざまな種類があって、
改良もされていることは、誰でも容易に想像できる。
特にスマートフォンの普及は、ガラスという素材をかなり進歩させていることだろうし、
その種類も増やしていることだろう。
なので、またガラスの振動板を採用したスピーカーが登場するかも、と期待していたから、
昨晩、検索してみたら、見つかった。
Dinorex UTGという素材である。
詳しいことはリンク先を読んでほしい。
なかなか面白そうな素材だ。
おそらくなのだが、
来年登場予定のマークオーディオのフルレンジユニットは、
ガラスの振動板とのことだから、
このDinorex UTGを採用しているのだろう。
その音を聴ける日は、早くやってきそうだ。
今年、レコード芸術ONLINEがスタートした。クラウドファンディングを利用しての開始であった。
金額は達成していたけれど、
私が気になったのは、支援者数だった。
大口の支援者が何人かいての達成よりも、
レコード芸術ONLINE的なものでは、支援者の数が、
その将来をある程度握っているのではないだろうか。
集まった金額が同じならば、
小口の人ばかりであっても、その数が多い方が、
継続へとつながっていくはずだ。
私は、そんなふうに考えているから、
レコード芸術ONLINEのクラウドファンディングの支援者の数は、
はっきり言って少ない、と感じている。
これだけしかいないのか──、
クラウドファンディングで支援せずとも有料会員になる人が大勢いれば、
いいわけだが、そううまくいくものなのか……。
無料で読める記事もある。
それを読んでみても、有料会員になろうとは思えなかった。
私のような人もいるし、反対の立場の人もいる。
どちらが多いのか、今のところ判明していない。
audio wednesdayで再び音を出すようになった、この一年。
地味ながらも一番活躍してくれたのは、
エラックのリボン型トゥイーターの4PI PLUS.2かもしれない。
メリディアンのUltra DACも、本当に活躍してくれた。
その活躍ぶりは、これまでのことからも容易に予想できたことだから、
意外性という点では、それほどでもなかった。
この意外性という点を加味すると、
やはり4PI PLUS.2かな、と思っている。
自分で使っているわけだから、その能力の高さはわかっているつもりでも、
この一年で試せた、いくつかのスピーカーとの組合せから鳴ってきた音は、
楽しかっただけでなく、興味深く示唆に富んでもいた。
1月のaudio wednesdayでは、JBLの4343と組み合わせる。
この結果が、どうなるのか。楽しみにしているところ。
(その12)で、オーディオの才能のことについて、少しだけ触れた。
オーディオを趣味として楽しむ上で、オーディオの才能が必要なのかは、
必ずしもそうではないといえるところもある。
私がいいたいのは、オーディオの才能がない人は、
オーディオを辞めた方がいい──、ということではなく、
オーディオの才能がないのに、自分にはあると思い込んでいる人に、
本当にそうですか、と問いたいだけだ。
ただそれでも、オーディオの才能がないのに、
自分にはあると思い込んでいる人に、
そうなってしまった原因の全てがあるとは思っていない。
オーディオの世界ではなく、オーディオの業界に、
多くの原因があると思う。
オーディオ評論家、オーディオ雑誌が、読み手にそう思い込ませてきた面がない、と断言できる人がいるだろうか。
そう思い込ませることで、モノが売れていく側面はある。
そう思い込まされてきたことで、ずっとオーディオを趣味としてきたものの、
ある日、自分のオーディオの才能に疑問を抱くことが訪れる。
そんな時に、どういう態度をとれるのかも、またオーディオの才能に関係してこよう。
12月のaudio wednesdayで、最後にかけた曲。
グラシェラ・スサーナの「人生よ ありがとう」をかけた。
日本語で歌っている方をかけた。
《誰が歌う あなたのために》、
グラシェラ・スサーナが、そう歌う。
グラシェラ・スサーナは、彼女の歌の聴き手のために歌う。
不特定多数の聴き手のことなど思っていないとしても、
オーディオを介して聴くことで、少なくとも私はそう錯覚できる。
グラシェラ・スサーナが歌う、私のために、とひとり思っているわけだが、
グラシェラ・スサーナのために、誰が歌うのか。
このことをずっと思い続けている。
今秋、衝動買いしそうになったオーディオ機器が、一つある。
アダムオーディオのD3Vという、パワーアンプ内蔵のスピーカーシステムだ。
アダムオーディオのスピーカーだから、トゥイーターはAMT型。
ペアで四万数千円という価格帯のスピーカーであっても、AMT型を採用している。
これだけで、ちょっと欲しくなった。
外観は価格相応であっても、その内容は、この価格で買えるのか、と思うところもあったりする。
もう少し垢抜けた仕上がりだったら、間違いなく衝動買いしていたところ。
こんなことを書きながらも、輸入元のウェブサイトを眺めていると、
買ってみてもいいかなぁ、ぐらいに思ったりもする。
これ以上スピーカーを増やさない、と一応決めているので、
手を出すことはないだろうけど、
どこかで聴いてしまったら──、ということもあるかもしれない。
気になっているスピーカーである。
オイルと無縁ではいられないのが、アナログディスク再生である。
トーレンスの101 Limitedを使っていた時、
オイルはスクアランを使っていた。
深海鮫の肝油を磁気処理したというモノで、
トライアソシエイツという会社から、TR30という型番で発売されていた。
重宝していた。
けれどトライアソシエイツという会社がなくなり、手に入らなくなった。
代わりのオイルはなにかないものか、と検索すると、
スクアランオイルを製品化したものが、いくつか見つかる。
オーディオ用としても、スクアランオイルをベースにしたものが出ている。
でも、TR30とは、何か違うような感じがして、
手を出すまでには行かなかった。
とはいえ、なんらかのオイルが必要になってきたので、
再び検索してみて、一つ見つけた。
スクアランオイルなのだが、TR30に近い、
もしくはほとんど同じかもしれない、
そんな感じのものが見つかった。
昨日の、トーレンスのTD124に使ったのも、
このスクアランオイルである。
TR30よりも高価になっているけど、それでもいい。
このスクアランオイルで、大丈夫のようだ。
(その7)でふれているトーレンスのTD124のメンテナンスに行ってきた。
メンテナンスといってもやったことは、クリーニングと注油ぐらい。
これだけのことだが、回転はよりスムーズになっただけでなく、
立ち上りも早くなったし、スイッチを切った後の回転も長くなった。
特別なことはやっていない。
基本的なことをやってきただけだ。
それでも、何の問題もなく回転するTD124のプラッターを眺めていると、
メカニズムの基本に忠実に作られたプレーヤーだからこそ、
特別なことを施さなくとも、きちんと動作するようになる。
そのことを感じていた。
オーディオの才能がある、とか、ない、とか。
オーディオの才能に恵まれている、とか、いない、とか。
そんなことが話題になることもあるだろうし、
一人、そのことで悩んだりすることもあるかもしれない。
その人に、オーディオの才能があるのか。
それを誰が判断するのか。
今年は、この「オーディオの才能」に関して、
いくつか考えることがあった。
具体的にどういうことなのかは触れないが、
ひとつ言えることは、オーディオの才能があるのかどうか、
それを考えたり悩んだりする前に、
オーディオの才能とは、いったい何なのか──、
そのことをしっかり考えることなく、あれこれ言ってどうなるものではない。
なんとなくだけど、自虐的なのか、
自分にはオーディオの才能がないですから──、
そんなことを言ってしまう人は、
オーディオの才能について深く考えたことがないはずだ。