Archive for category ブランド/オーディオ機器

Date: 6月 9th, 2014
Cate: D44000 Paragon, JBL, 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏とスピーカーのこと(その24)

そして「’81世界の最新セパレートアンプ総テスト」の巻頭「いま、いい音のアンプがほしい」だ。
     *
 二ヶ月ほど前から、都内のある高層マンションの10階に部屋を借りて住んでいる。すぐ下には公園があって、テニスコートやプールがある。いまはまだ水の季節ではないが、桜の花が満開の暖い日には、テニスコートは若い人たちでいっぱいになる。10階から見下したのでは、人の顔はマッチ棒の頭よりも小さくみえて、表情などはとてもわからないが、思い思いのテニスウェアに身を包んだ若い女性が集まったりしていると、つい、覗き趣味が頭をもたげて、ニコンの8×24の双眼鏡を持出して、美人かな? などと眺めてみたりする。
 公園の向うの河の水は澱んでいて、暖かさの急に増したこのところ、そばを歩くとぷうんと溝泥の匂いが鼻をつくが、10階まではさすがに上ってこない。河の向うはビル街になり、車の往来の音は四六時中にぎやかだ。
 そうした街のあちこちに、双眼鏡を向けていると、そのたびに、あんな建物があったのだろうか。見馴れたビルのあんなところに、あんな看板がついていたのだっけ……。仕事の手を休めた折に、何となく街を眺め、眺めるたびに何か発見して、私は少しも飽きない。
 高いところから街を眺めるのは昔から好きだった。そして私は都会のゴミゴミした街並みを眺めるのが好きだ。ビルとビルの谷間を歩いてくる人の姿。立話をしている人と人。あんなところを犬が歩いてゆく。とんかつ屋の看板を双眼鏡で拡大してみると電話番号が読める。あの電話にかけたら、出前をしてくれるのだろうか、などと考える。考えながら、このゴミゴミした街が、それを全体としてみればどことなくやはりこの街自体のひとつの色に統一されて、いわば不協和音で作られた交響曲のような魅力をさえ感じる。そうした全体を感じながら、再び私の双眼鏡は、目についた何かを拡大し、ディテールを発見しにゆく。
 高いところから風景を眺望する楽しさは、なにも私ひとりの趣味ではないと思うが、しかし、全体を見通しながらそれと同じ比重で、あるいはときとして全体以上に、部分の、ディテールの一層細かく鮮明に見えることを求めるのは、もしかすると私個人の特性のひとつであるかもしれない。
     *
いま、ここに思い至ったとき、
これまで読んできた瀬川先生の書かれたものとそれに関する記憶が、
D44000 Paragonとそのイメージとにしっかりと結びついていく。

Date: 6月 9th, 2014
Cate: D44000 Paragon, JBL, 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏とスピーカーのこと(その23)

「コンポーネントステレオの世界 ’75」の鼎談は、かなり長い。そして読みごたえがある。
ただ長いだけではないからだ。

もう30年以上前の別冊だから持っていない人も少なくない。
私も、ステレオサウンド 61号の岡先生の書かれたものを読むまでは、この鼎談のことをくわしくは知らなかった。

いまは約一年前にでた「良い音とは、良いスピーカーとは?」で読める。

今回引用したいのは、鼎談の最後のほう、
瀬川先生の発言だ。
《荒唐無稽なたとえですが、自分がガリバーになって、小人の国のオーケストラの演奏を聴いているというようにはお考えになりませんか。》

これに対し、岡先生は「そういうことは夢にも思わなかった」と答えられ、
そこから岡先生との議論が続く。

瀬川先生はステレオサウンド 51号で、このことに少し触れられている。
前号から始まった連載「ひろがり溶けあう響きを求めて」の中に出てくる。
     *
 かつて岡俊雄、黒田恭一両氏とわたくしとの鼎談「オーディオシステムにおける音の音楽的意味あいをさぐる」(本誌別冊〝コンポーネントの世界〟’75)の中で、自分がガリバーになって小人の国のオーケストラを聴く感じが音の再生の方法の中にある、というわたくしの発言に対して、岡、黒田両氏が、そんな発想は思いもよらなかった、と驚かれるシーンがある(同誌P106~107)。ここでの発言の真意はその前後の話の筋道を知って頂かないと誤解を招きやすいが、少なくともわたくし自身、たとえば夜更けて音量を落して聴くときのオーケストラの音楽を、小人の演奏を聴くガリバーの心境で、あるいは精密な箱庭を眺める気持で受けとめていたことは確かだった。
     *
できればこの鼎談は全部読んでほしい。

Date: 6月 8th, 2014
Cate: D44000 Paragon, JBL, 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏とスピーカーのこと(その22)

「コンポーネントステレオの世界 ’75」の鼎談とは、
岡俊雄、黒田恭一、瀬川冬樹の三氏で、
「オーディオシステムにおける音の音楽的意味あいをさぐる」というテーマで語られたもの。

岡、黒田、瀬川の三氏はクラシックに関して、で、
同じテーマでジャズについての鼎談も載っている。
こちらは岩崎千明、黒田恭一、油井正一の三氏。

この鼎談について、岡先生が後年書かれている。
ステレオサウンド 61号に、それは載っている。
     *
 白状すると、瀬川さんとぼくとは音楽の好みも音の好みも全くちがっている。お互いにそれを承知しながら相手を理解しあっていたといえる。だから、あえて、挑発的な発言をすると、瀬川さんはにやりと笑って、「お言葉をかえすようですが……」と反論をはじめる。それで、ひと頃、〝お言葉をかえす〟が大はやりしたことがあった。
 瀬川さんとそういう議論をはじめると、平行線をたどって、いつまでたってもケリがつかない。しかし、喧嘩と論争はちがうということを読みとっていただけない読者の方には、二人はまったく仲が悪い、と思われてしまうようだ。
 とくに一九七五年の「コンポーネントステレオの世界」で黒田恭一さんを交えた座談会では、徹底的に意見が合わなかった。近来あんなおもしろい座談会はなかったといってくれた人が何人かいたけれど、そういうのは、瀬川冬樹と岡俊雄をよく知っているひとたちだった。
     *
この文章を引用するためにステレオサウンド 61号をひっぱりだしてきた。
引用する前に、読みなおしていた……。

Date: 6月 8th, 2014
Cate: D44000 Paragon, JBL, 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏とスピーカーのこと(その21)

パラゴンは背の高いスピーカーシステムではなく、
独特のユニット配置からしてもいえるのは、むしろ背の低いスピーカーシステムであるということだ。

ウーファー、スコーカー、トゥイーター、これらのうち二つのユニットの中心は同じ高さに位置していて、
トゥイーターのみがやや高いところに取り付けてある。
このことから連想するのは、LS3/5Aのことであり、
瀬川先生のLS3/5Aの聴き方のことである。

ステレオサウンド 43号で、
《左右のスピーカーと自分の関係が正三角形を形造る、いわゆるステレオのスピーカーセッティングを正しく守らないと、このスピーカーの鳴らす世界の価値は半減するかもしれない。そうして聴くと、眼前に広々としたステレオの空間が現出し、その中で楽器や歌手の位置が薄気味悪いほどシャープに定位する。》
と書かれている。

この「薄気味悪いほどシャープに定位する」のは、ミニチュアライズされたものである。
《あたかも眼前に精巧なミニチュアのステージが展開するかのように、音の定位やひろがりや奥行きが、すばらしく自然に正確に、しかも美しい響きをともなって聴こえる》(ステレオサウンド 45号)
《このスピーカーの特徴は、総体にミニチュアライズされた音の響きの美しさにある》(ステレオサウンド 46号)

瀬川先生がLS3/5Aについて書かれたことと、
ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’75」に掲載されている鼎談で述べられていること、
このふたつは切り離せないことであり、
それらのこととパラゴンを瀬川先生が59号で「欲しいなあ」と結ばれていること、
さらにステレオサウンド別冊「’81世界の最新セパレートアンプ総テスト」の巻頭
「いま、いい音のアンプがほしい」の書き出し、
私の中では、すべてつながっている。

Date: 6月 8th, 2014
Cate: D44000 Paragon, JBL, 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏とスピーカーのこと(その20)

JBLのD4400 Paragonは、実に堂々とした美しさにをもつ。
重量は316kg。
(時期によっては318.4kgと記載されている。それにJBLのスピーカーユニットと同じように、
コンシューマー用スピーカーだから梱包時の重量のはずである。)

通常のスピーカーシステムが左右チャンネルで独立したエンクロージュアを持つのに対し、
パラゴンは一体化されたエンクロージュアにしても、約300kgの重量は、
このスピーカーの「スケール」を十分に伝えてくれる。

パラゴンの横幅は263cm。かなりの大きさではあるが、
通常のスピーカーシステムを十分な間隔をあけて設置すれば、このくらいの幅は必要となる。

パラゴンの奥行きは74cm。低音部のホーン構造を考えるとこの奥行きは奥に長い、とはいえない。
74cmほどの奥行きのスピーカーシステムは、他にもある。

小さいとはいわないけれど、パラゴンは六畳間におさめようと思えば収まらないサイズではない。

しかもパラゴンの高さは、脚を含めて90cmと、わりと低い。
つまり椅子に坐って聴けば、パラゴンは聴き手の耳よりも低い。

パラゴンの湾曲したウッドパネルを聴き手の真正面にもってくるには、
パラゴンをぐっと持ち上げるか、聴き手が床に直に坐って聴くことになる。

Date: 6月 6th, 2014
Cate: JBL

JBLのユニットのこと(2329)

2インチ・スロートのコンプレッションドライバーをダブルで鳴らしたいときに使うスロートアダプター2329。
Y字型をした金属製。そこそこ重い。
いまのところ使う予定はないから、ブックエンドとして使っている。

Date: 6月 5th, 2014
Cate: 4345, JBL

JBL 4345(その5)

4345は1981年に登場している。
だからというわけではないが、瀬川先生のステレオサウンド 58号の文章を読んで強く感じたのは、
4345はJBLの1980年代のスタジオモニターである、ということ、
そして4343は1970年代のスタジオモニターなのだ、ということだった。

4343だけではなく、4350もやはり1970年代のスピーカーシステムなんだな、ということを思っていた。

瀬川先生が書かれている4345の音の表現は、それまでの4343、4350の音の表現とは違うように感じたからである。
そのことは4345について書かれた文章だけでなく、
SMEの新型トーンアーム3012-R Specialについて書かれた文章と併せて読むことで、いっそう強く感じる。

JBLのコンシューマー用スピーカーシステムにあらわれはじめてきた音が、
プロフェッショナル用スピーカーにもあらわれてきたんだ、と思い、
4345の記事、3012-R Specialの記事を何度も読み返した。

JBLのコンシューマー用スピーカーとして、4345の少し前に登場したモデルにL150がある。
ステレオサウンド 54号のスピーカーシステムの特集記事に出ている。
瀬川先生の試聴記を引用しよう。
     *
 少し前までのJBLは、かなり高額にならないと、音の質やバランスに納得のゆかない製品が多かったが、最近はローコストのほうも作り方が巧みで、一本筋が通ってきた。L150も近ごろちょっと感心した。たとえばブルックナー。コンセルトヘボウにしてはちょっと明るいきらいはあるにしても、相当に上質で滑らかで、本もののオーケストラの味わいが確かに鳴る。音量を絞っても音像がくっきりしていて、音の細やかさが損なわれない。ピアニシモでひっそりした印象を与えるのは、相当に優秀なスピーカーである証拠といえる。フォーレのヴァイオリン・ソナタでも、JBLでこんなにしっとりした雰囲気が? と驚きながら、つい聴き惚れてしまう。ここまできてようやく、テスト用以外のレコードを次々と聴きたい気持にさせ、しかもどのレコードを聴いても裏切られないスピーカーが出てきた。一枚一枚について細かく書くスペースのないのがとても残念だ。アンプ、カートリッジも選り好みせずそれぞれの魅力をよく生かす。
     *
「JBLでこんなにしっとりした雰囲気が?」と書かれている。
58号にも、同じ表現が出てくる。

Date: 6月 3rd, 2014
Cate: 4350, JBL

JBLのユニットのこと(2440と2441のこと、4350のこと)

いまでは話題にする人はいなくなってしまったようだが、
JBLから2441(376)が登場してからしばらくは、
4350のドライバーを2440から2441にしたら良くなるのか、という話題がときどき出ていた。

2440(375)と2441(376)の違いはダイアフラムのエッジだけである。
2440(375)はロールエッジ、2441(376)は、日本の折り紙からヒントを得たダイアモンドエッジ。
違いはこれだけである。

だが実測データを比較してみると、高域の延びに関してはけっこうな違いがある。
2440はエッジの共振点を9.6kHzに設定してあるため、
10kHz以上はネットワーク(ハイカットフィルター)なしでも急峻にレスポンスが低下している。
その反面、10kHz以下の帯域に関してはレスポンスをできるだけ得られるようになっている。

2441はダイアモンドエッジとすることでエッジのスティフネスを高め、共振点を2440よりも高く設定。
そのため4kHzあたりからなめらかにロールオフする周波数特性となっている。
2440にみられる10kHz付近の肩の張った特性ではなく、素直な特性ともいえる。

つまりトゥイーターなしで2ウェイで使用した場合、
2440ではイコライザーで10kHz以上を補整しても効果的ではない。もともと出ていないのだから。
2441では高域のイコライジングが容易になる、という違いがある。

その一方で5kHzから10kHzにかけてのレスポンスは2440の方が高い。

どちらが優れているのかは、それぞれを単体で鳴らすわけではなく、
ウーファー、さらにはトゥイーターと組み合わせてシステムを構成しての評価となるため一概にはいえない。

4350の2440を2441に交換したとする。
やったことはないが、あまりうまくいかないように思える。

4350の2440はローカットに12dB/oct.のネットワークがはいっているが、
高域(ハイカット)に関しては10kHz以上はフィルター無しでもレスポンスが急峻に低下するため、
フィルターが入っていない。

そういうネットワークの4350に10kHz以上もロールオフしながらもレスポンスがのびている2441に交換しても、
おそらく2405とのつながりがうまくいかないと思えるからだ。

4350のネットワークまで変更するのであればうまくいく可能性は高くなるが、
そのままでは2441への交換を考えない方が無難である。

Date: 6月 2nd, 2014
Cate: JBL

JBLのユニットのこと(2397の匂い)

昨年12月、JBLの2441と2397が我家に来た。
未使用のまま、しかも梱包されたままずっと保管されていた2441と2397。

開梱してすぐに気づくのは、JBLのスピーカーシステム(というよりエンクロージュア)に共通する匂いである。
一度でもJBLのスピーカーシステムか木製のホーンを使ったことのある人なら、
ほら、あの匂い、でわかる、独特の匂いがある。

この匂いも、JBLの製品の魅力のひとつ、と私は思っている。

この匂いは、なぜ漂ってくるのか。
何の匂いなのか、ということは、JBLの関心のある人たちのあいだでときどき話題になっていた。
話題になっても、誰もほんとうのところは知らないから、あまり話は発展していかないのだが、
JBLのスピーカーが好きな人で、少なくとも私が出会った人の中に、この匂いが嫌い、という人はいなかった。

この匂いは、防虫剤の匂いだ、ということが10年くらい前にわかった。
木に虫がつかないように、だからエンクロージュアと木製のホーンから同じ匂いがするわけである。

アメリカでは割と一般的な匂いでもあるらしい。
残念なことに、最近のJBLの製品には、この匂いがないモノも増えてきている。

2397がやって来たとき、この匂いが部屋に満ちていた。
あれから半年、鼻が慣れてしまったのか、それとも匂いが薄れてしまったのか、
あまり匂いを意識しなくなっていた。

ここ数日、東京はかなり暑い日が続いている。
気温が高くなってきたせいなのだろう、また2397から、あのJBLの匂いがしてくるようになってきた。

Date: 5月 26th, 2014
Cate: JBL, Studio Monitor

JBL Studio Monitor(4400series・4435のウーファー)

4430のウーファーは2235H、4435のウーファーは2234H(二発)と書いた。
けれどステレオサウンドを注意深く読んできた人の中には、あれっ? と思われる方もいると思う。

ステレオサウンド 61号での紹介記事のページに掲載されている4435のスペックには、
ウーファー:38cm×2(2234H、2235H)、とあるからだ。

マスコントロールリングをもつ2235Hを200Hz以下を再生するサブウーファーとして使っている。
ちなみに235Hのマスコントロールリングの重量は100g。

この仕様の4435は61号で紹介された、いわばサンプルだけのようで、
ステレオサウンド 62号掲載の井上先生による「JBLスタジオモニター研究」には、こう書いてある。
     *
4435には、振動系は2235Hと同じだが、マスコントロールリングのない2234Hが2本使用されている。なお、4435の最初に輸入されたサンプル(編注=本誌No.61の新製品欄で紹介したもの)では、低域は2234Hと2235Hの異種ウーファーユニットの組合せであったが、正規のモデルは2234Hが2本に変更されている。
     *
なぜJBLが4435の仕様をこれだけ早く変更したのか、その理由ははっきりとしない。
ステレオサウンド別冊「JBL 60th Anniversary」にも、4435のウーファーは2234Hとあるだけで、
サンプルでの2235Hとのスタガー接続についての記述はどこにも書いてない。

菅野先生が61号に書かれた4435の音──、
《一言にしていえば、その音は私がJBLのよさとして感じていた質はそのままに、そして悪さと感じていた要素はきれいに払拭されたといってよいものだった。私自身、JBLのユニットを使った3ウェイ・マルチアンプシステムを、もう10数年使っているが、長年目指していた音の方向と、このJBLの新製品とでは明らかに一致していたのである》
これはあくまでも2234Hと2235Hのスタガー使用の4435の音である。

では市販された4435の片側のウーファーを2235Hに交換すればサンプルと同じになるかといえば、
正規モデルの4435では100Hz以下で2234Hをもう一本加えている形なのに、
サンプルの4435では200Hz以下という違いがあるから、うまくいくかもしれないし、そうではないかもしれない。

Date: 5月 25th, 2014
Cate: JBL, Studio Monitor

JBL Studio Monitor(4400series・その3)

この新しいバイラジアルホーンを搭載した、ふたつの4400シリーズ。
4430は15インチ口径のウーファー2235Hを一発、4435は15インチ口径の2234Hを二発搭載している。

2235Hは4300シリーズに採用されてきた2231の改良型である。
そのためコーン紙の根元にマスコントロールリングが使われている。
2234Hは、このマスコントロールリングを取り外したものである。

となると当然振動系の実効質量は軽くなり、その分F0は高くなる。
低域の再生能力は多少狭まることになるけれど、4435では100Hz以下ではダブルウーファーとして動作させ、
100Hzより上の帯域ではホーンの真下に取り付けられているウーファーのみが鳴る。
こうすることでマスコントロールリングがないことによる低域のレスポンスの低下をカバーしている。

ここところが同じ15インチ口径のダブルウーファーでも、4350、4355とは違う点であり、
この4435のウーファーの使い方は、4435の25年後に60周年モデルと登場したDD66000に生きている。

この点に注目して、4435とDD66000を見ていくと、
DD66000の原型は4435ではないか、と思えてくる。

それはウーファーの使い方だけではない。
ホーンに関しても共通するものがある。

Date: 5月 25th, 2014
Cate: JBL, Studio Monitor

JBL Studio Monitor(4400series・その2)

アルテックとJBLの新しいホーン。
共通するところがあると同時に、そうでないところもある。

まずアルテックのマンタレーホーンMR94は奥行き71.1cm、開口部は86.4×161.0cmという、かなり大型である。
JBLの4430、4435に搭載されたバイラジアルホーンは、かなり短い。正確な寸法はわからないが、
写真を見ても、その短さはかなり特徴的ですらある。

バイラジアルホーン(マンタレーホーン)以前のホーンでも、
アルテックとJBLのホーンを比較すると、JBLはショートホーンであることが多い。
4350に搭載されているホーン2311-2308は短い。
2308がスラントプレートの音響レンズの型番で、2311がホーンの型番で、2311の奥行きは11.7cmしかない。
これでカタログに掲載されているクロスオーバー周波数は800Hzとなっている。

同じ時期のアルテックのホーンでクロスオーバー周波数が800Hzになっている811Bの奥行きは34.0cmある。

JBLのホーンが短い(短くできる)のにはわけがある。
そして短くしたことによるメリットとして、ホーンにつきまとうホーン臭さの要因でもあるホーン鳴きは、
当然、長いホーンよりも抑えられるわけだ。

JBLはバイラジアルホーンでも、このメリットを活かしている。
もっともその後JBLから単体ホーンとして登場したバイラジアルホーン2360、2366の奥行きは、
それぞれ81.5cm、139.0cmとかなり長い。

同時期のバイラジアルホーン2380、2385の奥行きは、どちらも23.6cm。
このホーンのカットオフ周波数は400Hzで、推奨クロスオーバー周波数は500Hzとなっている。

Date: 5月 25th, 2014
Cate: JBL, Studio Monitor

JBL Studio Monitor(4400series・その1)

ステレオサウンド 61号の新製品紹介のページに、JBLの4430と4435が取り上げられている。
菅野先生が書かれている。

4345に関しては半年ほど前に、4345という4343の上級機が登場するというアナウンスがあったのに対して、
4430、4435は型番からもわかるように、まったく新しいスタジオモニター・シリーズあるにも関わらず、
そういった事前のインフォメーションはまったくなく、いきなり登場した。

しかもその姿、システム構成のどちらも、それまで4300シリーズを見てきた者には驚く内容だった。
まず2ウェイであること。中高域はホーン型が受け持つが、そのホーンの形状がいままでみたことのないものだった。

バイラジアルホーンと呼ばれる、そのホーンは、注意深くみていくと、
前号(60号)の特集に登場したアルテックの、
これもまた従来のホーンとは大きく異る形状のマンタレーホーンと共通するところが見いだせる。

ホーン奥のスリットがどちらも縦に細長い。
音響レンズつきJBLのホーンの場合、ドライバーの取り付け部の形状は丸。
ドライバーの開口部も丸だから、そのまま取り付けられる。
JBLのホーンでもディフラクションホーン、ラジアルホーンはドライバー取り付け部は四角なため、
ドライバーとホーンとの間に丸から四角へと形状を変化させるスロートアダプターが必要となる。

つまりバイラジアルホーン以前のホーンでもホーン奥のスリットは長方形だった。
だが同じ長方形でもバイラジアルホーン以前は約1:3ほどの縦横比だったのに対し、
バイラジアルホーンではそうとうに細長くなっている。

ステレオサウンド 60号に載っているアルテックのマンタレーホーンをみると、
その細長いスリットがかなり奥に長い。開口部の広がり方もいままでのホーンを見慣れた目には特異にうつる。

くわしいことはわからなくとも、60号のアルテックのマンタレーホーン、61号のJBLのバイラジアルホーン、
新しいホーンが登場したことははっきりとわかった。

Date: 5月 24th, 2014
Cate: 4350, JBL

JBL 4350(その14)

「サンチェスの子供たち」と同時期のレコードで、すぐに浮んでくるのは、
フィリップスから出ていたコリン・デイヴィスによるストラヴィンスキーの「春の祭典」と「火の鳥」がある。
これらも試聴レコードとして登場していた。

ステレオサウンド 53号の瀬川先生の4343の記事にも「春の祭典」は出てくる。
〈「春の祭典」のグラン・カッサの音、いや、そればかりでなくあの終章のおそるべき迫力に、冷や汗のにじむような体験をした記憶は、生々しく残っている。〉
何度も読み返しては、その音を想像していた。

国産ブックシェルフの、25cmウーファーでも、
「サンチェスの子供たち」、「春の祭典」、「火の鳥」の録音がいいことははっきりとわかったし、
低音の凄さは伝わってくる。
とはいってもプリメインアンプで鳴らし、音量もけっこう出せた環境とはいえ、
4343、4350Aでこれらのディスクを鳴らしたのと比較すれば、違いは大きいのはわかっていても、
どのくらいの違いなのかは、はっきりとわからなかったころでもあり、
よけいに想像を逞しくしていた。

これらのディスクを4343で聴く機会はわりとすぐにあった。
瀬川先生が熊本のオーディオ店に定期的に来られていた時期があったからだ。
4343を内蔵ネットワークで鳴らして、これだけの音が鳴るのだから、
4343をマークレビンソンのML2のブリッジで低域を鳴らしたときの音はいったいどういうレベルなのか、
さらに4350Aを、やはりML2のブリッジで低域を受け持たせたときの凄さとは、いったいどういう音なのか。

本を読み、その音を想像し、
そのディスクを買ってきて自分のシステムで鳴らし、4343、4350Aでの音を想像する。
4343で同じディスクを聴けば、ML2のブリッジで鳴らした音を想像する──。

Date: 5月 24th, 2014
Cate: 4350, JBL

JBL 4350(その13)

瀬川先生のスイングジャーナルでの4350Aの組合せ記事、
ステレオサウンド 53号での4343のバイアンプの記事、
どちらにもチャック・マンジョーネの「サンチェスの子供たち」が出てくる。

「サンチェスの子供たち」は黒田先生も、ステレオサウンド 49号で、
「さらに聴きとるものとの対話を」で取り上げられている。

このころからステレオサウンドの試聴用レコードとしてもでてくようになってきた。

チャック・マンジョーネのレコードは一枚も持っていなかった私も、
ステレオサウンドをみて「サンチェスの子供たち」を買った。
輸入盤を買った(たぶん輸入盤しかなかったようにも記憶している)。

「サンチェスの子供たち」は二枚組だった。
いわゆるサントラ盤である。

一枚目の一曲目から聴いていく。
ギターを伴奏にドン・ポッターが、チャック・マンジョーネの詩による「サンチェスの子供たち序曲」を歌う。
歌が終ると、曲調は一変する。
ここが、実にスリリングである。

この序曲を4350Aで聴いたら、さぞかしスリリングだと思う。

当時はLPで聴いていた。
いまはCDで聴けるようになっている。

30年以上前のレコード。
当時はブックシェルフ型スピーカーだった。ウーファーの口径は25cmだった。
それからいろんなシステム(スピーカー)で、このディスクを聴いてきた。
その度に音は変る。

その意味で、レコードにおさめられている音楽は、決して不動でも不変でもない、といえる。
けれど、LPにしろCDにしろ、レコードそのものは変っていない。

30数年前、まだ高校生のころ買った「サンチェスの子供たち」のLP(いまも実家にある)は、
ジャケットに多少傷みはあるけれど、何かが変ったわけではない。

レコード(LP、CD)とはそういうものであり、
そういうものだからこそ、思い出させてくれる存在でもある。