Archive for category 人

Date: 11月 19th, 2021
Cate: 瀬川冬樹

瀬川冬樹というリアル(その8)

ロマン・ロランがベートーヴェンをモデルとしたといわれている「ジャン・クリストフ」、
《人は幸せになるために生まれてきたのではない。自らの運命を成就するために生まれてきたのだ》は、
そこに登場する。

「瀬川冬樹というリアル」を書いていると、
《自らの運命を成就するために生れてきた》ということを考えてしまう。

Date: 11月 19th, 2021
Cate: 瀬川冬樹

瀬川冬樹というリアル(その7)

(その6)で引用した文章のあとに、瀬川先生はこう続けられている。
《わたくしはこれですべてを語っているつもりですが》と。

そうだとおもう。
この短い文章にすべてが語られているわけで、
この文章をどう解釈するのかは、その人のオーディオの想像力である。

Date: 11月 18th, 2021
Cate: 瀬川冬樹

瀬川冬樹というリアル(その6)

ステレオサウンド 9号(1968年冬号)の第二特集は、
「オーディオの難問に答えて」である。

「〝原音再生〟の壁を破るには何を狙ったらよいでしょうか?」と問いがある。
上杉先生、菅野先生、瀬川先生がそれぞれ答えられている。

瀬川先生の答の冒頭に、こうある。
     *
 生と再生音の関係は、ただひと言で言う事ができます。それは──
〈あなた自身〉と〈写真に映されたあなた〉の関係です。
 写真とひと口にいっても、モノクロームありカラーあり、印画もスライド投影もある。ステレオ写真という「のぞき絵」もあれば、映画もある。わたくしのいう「写真」とは、広い意味での映像文化全体の将来までを含んで指しているのですが、かりに映像の技術がどこまでも進んでも、そうして写しとられたあなたがどこまであなた自身に似せられたとしても、それは決して〈あなた自身〉にはなりえず、しかも写っているのはまぎれもなく〈あなた〉に外ならない……。
     *
「瀬川冬樹のリアル」とは、こういうことでもある。

Date: 11月 12th, 2021
Cate: 川崎和男

「デザインに何が可能か」(その3)

十年ほど前、村内ファニチャーアクセスの敷地内にログハウスがあり、
そこはサンドグラスと名付けられたオーディオコーナーだった。

一般的なオーディオ店や家電量販店とはやや毛色の違うモノを扱っていたはずだ。
「村内ファニチャーアクセス オーディオ」で検索すれば、
当時のPhile Webの記事が見つかる。

今回、川崎先生の講演に行くので、
村内ファニチャーアクセスのウェブサイトをくまなく見ても、
サンドグラスは、もう止めてしまったようだった。
いつ止めてしまったのだろうか。

採算がとれなかったのだろうが、ログハウスがオーディオのコーナーというのは、
他のオーディオ店ではマネできない環境なのは確かだ。

川崎先生はオーディオマニアであり、今回の講演でも、
オーディオに関することを語られていた。
なので、村内ファニチャーアクセスで川崎先生の講演が行われたことをきっかけに、
村内ファニチャーアクセスがふたたびオーディオを取り扱ってくれることを期待したい。

第一部の川崎先生の講演のあとには質疑応答の時間がとられていたが、
鼎談のあとにはそれがなかった。
鼎談のあとに、それがあったら、村内ファニチャーアクセスの村内健一郎社長に、
サンドグラスのことを尋ねたかったし、
もう一度、オーディオを取り扱われる可能性があるのかを知りたかった。

今回の講演と鼎談はYouTubeで公開されている。

Date: 11月 10th, 2021
Cate: 川崎和男

「デザインに何が可能か」(その2)

今回の講演は、主催が村内ファニチャーアクセスで、協力・マルイチセーリング。
マルイチセーリングはWAVELET RESPECTのメーカーである。

村内ファニチャーアクセス主催というのが、よくわからないまま当日。
講演をきけば、その理由もわかるだろう、と思っていた。

今回の講演で、川崎先生とマルイチセーリングの関係もよくわかったし、
なぜ村内ファニチャーアクセスなのかもわかった。

今回の講演の第二部の「カーボンチェアへの思いとSDGs」は、
川崎先生、
マルイチセーリングの代表取締役会長の小林幸一氏、
村内ファニチャーアクセスの代表取締役社長の村内健一郎氏による鼎談だった。

デザイナー、メーカー(作り手)、家具店(売り手)による鼎談だった。

マッキントッシュのゴードン・ガウの言葉がある。

「quality product, quality sales and quality customer」。
どれかひとつ欠けても、オーディオの世界はダメになってしまう──、
とゴードン・ガウは言っていた。

quality product(クォリティ・プロダクト)は志をもつメーカー、
quality sales(クォリティ・セールス)は志をもつ販売店と訳したい。

今回の鼎談をきいていて、ますますそう思う。

志をもつメーカーは、志をもつデザイナーと組むことで、
デザイナーの志を理解し支援する。

志をもつ販売店も同じだ。

だからこそquality customer(クォリティ・カスタマー)はどうあるべきか。
それがはっきり見えてくる。

そうであるはずだし、そうあるべきだ。

Date: 11月 9th, 2021
Cate: 川崎和男

「デザインに何が可能か」(その1)

2017年3月にKK適塾が終る。
それでも2018年11月に、
「プロダクトデザインと未来」のテーマで、川崎和男×深澤直人・対談があった。

2019年9月には、WAVELET RESPECTの発表会があった。

KK適塾が終ったあとも、川崎先生の講演を聴く機会はあった。
けれど2020年はコロナ禍ということもあって、ゼロだった。
2021年もゼロだろうな、と思っていた。

残り二ヵ月を切っているのだから、あるとは到底思えなかったし、
期待もしていなかった。

11月5日、facebookを眺めていたら、11月9日に講演の告知があった。
急だな、と思ってもさっそく申し込む。

5日、帰宅後、ここに書こうかな、と思っていたら、
なぜだか、申し込みのページが削除されていたので、止めた次第。

それでも伝えたい人には伝えている。

ほぼ二年ぶりの川崎先生の講演。
「デザインに何が可能か」が第一部のテーマであり、
「カーボンチェアへの思いとSDGs」が第二部のテーマだ。

カーボンチェアとは、2019年発表のWAVELET RESPECTのことだ。
二年前の講演もWAVELET RESPECT、
今日の講演もWAVELET RESPECTである。

二年前は六本木のAXISだった。
今日は八王子・左入町の村内ファニチャーアクセスだった。

講演を聴くまでは、なぜ、村内ファニチャーアクセスなのか、と不思議に思っていた。

Date: 11月 6th, 2021
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(45真空管アンプ・その1)

AXIOM 80と45。
瀬川先生の文章を読んできた人に説明はいらない。

AXIOM 80を持っているわけではない。
欲しい! とは思い続けている。
復刻版の出来がよければ買おう、とも考えていた。

いつの日か、手に入れて鳴らす日がやってくるかもしれない。
そのために45のシングルアンプを作っておく。

そんなことを考えてもいるわけだが、
現実に目の前にあるスピーカーはタンノイのコーネッタであって、
45のシングルアンプの出力では、どんなに小音量用として考えても、小さすぎる。

といってプッシュプルにして出力を増すぐらいならば、
ほかの真空管でシングルアンプを組みたい──、
そんなことをぼんやりと思っていたわけだが、
今年になって、SAEのMark 2500を手に入れて、少し考えが変った。

Mark 2500と組み合わせるコントロールアンプについて、別項で書いている。
最終的にどのコントロールアンプとの組合せになるのかは、本人にもよくわかっていない。
縁があるコントロールアンプと組み合わせることになるはずだ。

でも、ふと思ったのは、45を使ったラインアンプの製作である。
これには先例がある。

ラジオ技術に新 忠篤氏が発表された、
ウェスターン・エレクトリックの直熱三極管101シリーズを使った単段アンプである。
出力にはトランスがあり、101シリーズの増幅率からすると、
アンプ全体のゲインはほとんどない。いわば真空管バッファー的なアンプである。

このアンプ記事は面白かった。
自分で作ろう、と考えたこともある。
そのころは、まだウェスターン・エレクトリックの101Dも101Fも、まだ安価といえた。
いまはけっこうな値段がついている。

いま私が考えているのは、101Dを45に置き換えたラインアンプである。

これも検索してみると、実際にやっている人がいる。
しかもヤフオク!に出品されている。

それを買うつもりはないけれど、45使用のラインアンプ、
ひとつのバッファーとしてコントロールアンプとパワーアンプのあいだに挿入する。

意外な結果がえられるかもしれない。

Date: 10月 28th, 2021
Cate: 瀬川冬樹

瀬川冬樹というリアル(その5)

あと十日で11月7日がやってくる。
今年の11月7日で四十年である。

四十年経っても、というよりも、
四十年経ったからこその「瀬川冬樹というリアル」を感じている。

Date: 10月 13th, 2021
Cate: 菅野沖彦

10月13日(2021年)

三年が経った。
一年前に、二年が経った、と、
二年前には、一年が経った、と書いている。

二年前には、
短いようで長く感じた一年だったし、
長かったようで短くも感じた一年が過ぎた。

この一年で、オーディオ業界、オーディオ雑誌は、
何か変ったのかといえば、何も変っていない、といえるし、
変っていないのかといえば、よい方向には変っていない、としかいえない──、と書いた。

一年前には、
インターナショナルオーディオショウの前身、輸入オーディオショウは、
菅野先生の提案から始まっている。

いまでは、そのことを知らないオーディオ関係者も多いことだろう──、と書いた。

この一年は──、
何を書こうかと、少し考えた。
いくつかのことが浮んできたけれど、結局、これを書くことにした。

別項で書いている「不遜な人たちがいる」である。
不遜な人たちが目立つようになってきた、と感じている。

菅野先生の不在が、不遜な人たちの野放しにつながっている。
もう誰も、そんな人たちに何かをいうことをしなくなったのではないか。

ここでいうところの不遜な人たちは、いわばクライアントである。
メーカーの人間である。だからだろう……。

Date: 10月 6th, 2021
Cate: 五味康祐, 瀬川冬樹

カラヤンと4343と日本人(その12)

別項「アレクシス・ワイセンベルク」を書いていて、
この項を思い出し、そういえば4343でワイセンベルクを聴いたことはないことに気づいた。

JBLの4343を、マークレビンソンのLNP2とSAEのMark 2500のペアで鳴らす。
あの時代、この組合せそのまま、もくしはこれに近い組合せで、
ワイセンベルクを聴いていた人は少なからずいるはずだ。

どんなだったのだろうか。

Date: 9月 28th, 2021
Cate: 菅野沖彦

9月27日(ひっかかっていること)

菅野先生の誕生日に関することで、ひっかかっていることが一つある。
ステレオサウンド 206号(2018年春号)の特集。
97ページに、こうある。
     *
たとえば『ザ・ダイアローグ』。猪俣猛(ドラムス)が、荒川康男(ベース)や増田一郎(ヴィブラフォン)、西条考之介(テナーサックス)など、7人のミュージシャンと楽器で対話する楽しいアルバムで、77年11月、菅野沖彦先生46歳のとき、イイノホールでの収録だ。
     *
菅野先生は、何度も書いているように1932年9月27日生れだ。
1977年11月の時点では、1977-1932で45歳である。

黛 健司氏の文章だ。

黛氏のミスなのか。
多くの人はそう捉えるだろう。

それにしても編集部は、誰一人として、菅野先生の誕生日を知らなかったのか。
文章校正で誰も気づかなかったのは、そのためなのか。

でも、ほんとうにそうなのだろうか、と私は思う。
黛氏は原稿で45歳と、間違わずに書かれていたのかもしれない。
それを編集部が勘違いで46歳としてしまった──。

そんなことまずありえないだろう、と多くの人はいうだろうが、
私は後者の可能性を捨て切れずにいるのは、
黛 健司氏の誕生日も9月27日だからである。

それに1932年9月は、長島先生、山中先生の誕生月でもある。

私には、黛氏が1932年と1931年を取り違えていたとはどうしても思えないのだ。

Date: 9月 27th, 2021
Cate: 菅野沖彦

9月27日

1932年9月27日は、菅野先生の誕生日である。

菅野先生の80代の音、90代の音というのを想像してしまう。
どんな音を出されたのだろうか。

2008年だったか。
菅野先生が「痴呆症になった時の音に興味がある」といわれた。
老人性痴呆症になったときに、自分はどういう音を出すのか。
それにいちばん興味がある、ということだった。

それは空(カラ)になった音なのだろうか、といまは思う。
オーディオの勉強をして、いろんな音を聴いて、
いろんな工夫をして音を出していく。

そういう行為を、何十年も重ねていけば、
経験が、知識が、ノウハウが、その人のなかに積み上っていく。

だから「音は人なり」なのか、というと、
実のところ、そういったものすべてを捨て去って、
つまり空っぽになって出てくる音こそが、ほんとうの「音は人なり」なのではないか。

ここ数年、そう考えるようになってきたし、
菅野先生がいわれたことを思い出している。

Date: 7月 1st, 2021
Cate: 長島達夫

長島達夫氏のこと(その13)

ステレオサウンド 50号掲載の「2016年オーディオの旅」に登場するスピーカー。
これは、スピーカーの理想像の一つといえるわけだが、
長島先生は「2016年オーディオの旅」のなかで、
このスピーカーの周波数特性は、20Hzから20kHzまでとされている。
可聴帯域のみに限定している、とある。

空気を磁化して駆動するスピーカーなのだから、
振動板といわれるモノは存在しない。

空気を直接駆動するわけだから、
空気の質量分だけが、駆動部分の質量となる。

つまり、ないに等しいわけで、
高域の周波数特性は100kHzであっても、余裕でカバーできるはずだ。
それでも、あえて20Hzから20kHzまで、とされていることを、
当時読んでいて、どうしてなんだろうと考えていた。

Date: 6月 25th, 2021
Cate: 長島達夫

長島達夫氏のこと(その12)

ステレオサウンド 50号掲載の長島先生の「2016年オーディオの旅」。
ここには振動板のないスピーカーが登場する。
     *
 書棚の反対側は壁面となっていて、壁の左右には奇妙な形をした装置がひとつづつ置いてあった。その装置は、高さが2m暗いのスタンド型をしており、直径80cmくらいの太いコイルのようなものが取り付けられていた。スタンドの床に接する部分は安定の良さそうな平たい足になっており、カバーが一部外れて、電子装置のパネルのようなものが顔を覗かせていた。不思議なことに、この装置の他には再生装置らしきものは何も見えなかった。
     *
これが長島先生が1979年に予想された2016年のスピーカーであり、
ポールの中心部の複雑なアンテナ状のところから、
ごく短い波長の電波を出し、周囲の空気を磁化することで、
コイルに音声信号を流すことで磁化された空気が振動する、というものである。

空気の磁化。
これが可能になれば、このスピーカーは実現する。
とはいっても、空気の磁化をどうやって実現するのか。

しかも家庭におさまるサイズで、である。

2020年3月の記事で、昨日、一部加筆されて公開になった記事が目に留った。
「ノーベル賞級!? 壊れた機械によって偶然『核電気』共鳴法が発見される!」
というタイトルの記事だ。

この記事の内容を100%理解しているわけではないが、
この発見こそ、長島先生が思い描かれたスピーカーの実現への第一歩なのではないだろうか。

Date: 4月 21st, 2021
Cate: High Resolution, James Bongiorno

MQAのこと、James Bongiornoのこと(その2)

TIDALで、“Mark Levinson”を検索したならば、
この人も忘れてはならない。

ジェームズ・ボンジョルノ(James Bongiorno)である。
ボンジョルノのアコーディオンとピアノの腕前は、
《アマチュアの域を超えている》と菅野先生が、
ステレオサウンド 53号に書かれているほどだから、そうとうなものなのだろう。

そのボンジョルノのCDが出ていることは知っていた。
Ampzilla 2000で復活をしてしばらくしたころに出したようである。

いつか買おう、と思いながらも、アメリカに注文してというのを億劫がって、
今日まできていた。

Mark Levinonがあるくらいだから、James Bongiornoもあるはず、と検索したら、
二枚とも表示された。

“Alone Again”と“This is The Moment”である。
残念なことにMQAではない。

Mark LevinonもMQAではないのだけれど、
こちらはMQAでないことをそれほど残念とは思わなかった。

James BongiornoがMQAでなかったのは、ちょっと残念に感じている。