Archive for category 人

Date: 10月 30th, 2015
Cate: James Bongiorno

ボンジョルノとレヴィンソン(その10)

1970年代後半、ボンジョルノのGASのアンプの音は男性的といわれた。
レヴィンソンのLNP2は、女性的なところがあるともいわれていた。

黒田先生がステレオサウンド 24号、「カザルス音楽祭の記録」についての文章がある。
     *
 端折ったいい方になるが、音楽にきくのは、結局のところ「人間」でしかないということを、こんなになまなましく感じさせるレコードもめずらしいのではないか。それはむろん、カザルスのひいているのがチェロという弦楽器だということもあるだろうが、スターンにしても、シゲティにしても、ヘスにしても、カザルスと演奏できるということに無類のよろこびを感じているにちがいなく、それはきいていてわかる、というよりそこで光るものに、ぼくは心をうばわれてしまった。
 集中度なんていういい方でいったら申しわけない、なんともいえぬほてりが、室内楽でもコンチェルトでも感じられて、それはカザルスの血の濃さを思わせる。どれもこれもアクセントが強く、くせがある演奏といえばいえなくもないだろうが、ぼくには不自然に感じられないし、音楽の流れはいささかもそこなわれていない。不注意にきいたらどうか知らないが、ここにおいては、耳をすますということがつまり、ブツブツとふっとうしながら流れる音楽の奔流に身をおどらせることであり、演奏技術に思いいたる前に、音楽をにぎりしめた実感をもてる。しかし、ひどく独善的ないい方をすれば、この演奏のすごさ、女の人にはわかりにくいんじゃないかと思ったりした。もし音楽においても男の感性の支配ということがあるとしたら、これはその裸形の提示といえよう。
     *
ここで語られていることがそっくりそのままボンジョルノのアンプにあてはまるとまでは言わないが、
大筋においてはそういえる。
GASのAMPZiLLA、THAEDRA、SUMOのTHE POWER、THE GOLDの音は、まさしくそうである。
だから、ボンジョルノのアンプの音は男性的といえる。

そして、「鮮度」に関してもそうだといえる。

Date: 10月 24th, 2015
Cate: James Bongiorno

GASとSUMO、GODZiLLAとTHE POWER(その9)

SUMOの輸入元であるバブコの広告には、
THE POWER、THE GOLDのコンストラクションのことをモノコック構造と記していた。

モノコック(monocoque)とは車における車体とフレームが一体構造であることをさす。
単体構造ともいう。
自転車のフレームでモノコックといえば、フレームを形成する前三角、後三角が一体成型したものをいう。

THE POWER、THE GOLDのコンストラクションをモノコック構造といっているのは、
ジェームズ・ボンジョルノだったのか、それとも輸入元なのかははっきりしない。
ただ、当時SUMOの広告を見ながら、これがモノコック構造なのか……、と少し疑問に感じていた。

バブコの広告ではTHE POWERの外装が取り外された写真が中央に大きくあった。
この写真をみると、THE POWERの中心部にはシールドされた電源トランスがある。
その両脇にヒートシンクがあり、ヒートシンクの下側に平滑コンデンサーがある。

ヒートシンクの上には電圧増幅部の基板、電源トランスの上にもプリント基板があった。
この基板がアンバランス/バランス変換回路でもる。
すぐ目につくプリント基板は三枚だが、ヒートシンクにはパワートランジスターの配線をかねた基板が、
ヒートシンクの両脇に一枚ずつある。つまり計七枚のプリント基板がある。

AMPZiLLAがヒートシンクの下側に空冷ファンを配置していたのに対して、
THE POWER、THE GOLDではヒートシンクを水平に設置。
空冷ファンはフロントパネル側に取りつけられ、リアパネル側に排気する。

バブコの広告写真をみたときには、どんなにじっくりみても気づかなかったことがあった。
THE GOLDを手に入れて、一度分解して各部のクリーニングを徹底して行ってから組み立て直して、
確かにこれはモノコック構造といえるな、と思っていた。

Date: 10月 18th, 2015
Cate: 五味康祐

続・長生きする才能(映画・ドラマのセリフ)

映画やドラマで、ときどきこんなセリフに出会す。

人はいつか死ぬ。早いか遅いかの違いだけだ。

こんなセリフが映画やドラマの中で使われることがある。
このあいだも聞いた。
たいてい、このセリフがいいたいことは、
早く死ぬことも遅く死ぬことも大きな違いはない、ということだ。

この手のセリフを聞くたびに思うことがある。
確かに人は必ず死ぬ。死なない人はいない。
世の中に絶対といえることは、このことくらいである。
死は避けられないのだから、早いか遅いかの違いだけだ、というセリフには半分同意できても、
半分は、早いか遅いかの前に、言葉がひとつないことを思ってしまう。

親より早く死ぬか遅く死ぬか、である。
私は、この違いは大きいと思う。

Date: 10月 12th, 2015
Cate: James Bongiorno

Ampzilla(その人気)

「世代とオーディオ(その14)」を書き終って、ステレオサウンド 59号をぱらぱらとめくっていた。
特集はベストバイ。
このころのベストバイはオーディオ評論家だけでなく、
読者が選ぶベストバイ・コンポーネントの集計結果が載っている。

それだけでなく投票した読者の現用機器の集計結果も掲載されている。
これを丹念にみていくと実に興味深い。

59号の発売、つまり1981年におけるパワーアンプ使用台数の一位は、QUADの405の102台、
二位がアキュフェーズのP300Xの92台、三位はパイオニア Exclusive M4(a)の85台、
四位はデンオンのPOA3000の84台、五位にAmpzillaが来ている。

Ampzillaの使用台数はAmpzilla II、Ampzilla IIAも含めて51台である。
ちなみにサンプル数は3003。Ampzillaの総数率は2.8%で、
1978年度は十六位、1979年度は八位と確実に順位をあげている。

Ampzillaより上位に来ているパワーアンプは、どれもAmpzillaと同価格帯のモデルではない。
405はAMpzillaの約1/4、アキュフェーズ、デンオン、パイオニアにしても1/2から1/3の価格であること考えると、
このころのAmpzillaの人気と実力の高さが読み取れよう。

ブランド別/現用装置対照表もある。
GASはパワーアンプ部門で53台の十一位。
Ampzillaが51台だから、あとの2台はSon of AmpzillaかGrandsonであろう。
Godzillaということは考えにくい。

Ampzillaとペアとなるコントロールアンプをみると、Thaedraは16台の二十五位。
ということはGASの純正ペアで使われるAmpzillaは1/3以下となる。
この結果は、ちょっぴり残念に思う。

Date: 10月 6th, 2015
Cate: James Bongiorno

ボンジョルノとレヴィンソン(その9)

鮮度とは、新鮮さの度合と辞書にはある。
ということは音の鮮度とは、音の新鮮さの度合であり、
鮮度の高い音とは新鮮さの度合の高い音ということになる。

ここでの新鮮とは、どういう意味になるのか。
いままで聴いたことのない、新しい魅力をもつ音としての新鮮さもあれば、
肉や魚や果物などに使う場合の新鮮さとがある。

特にことわりがなければ、音の鮮度がいい、とか、鮮度の高い音という場合には、
後者の意味合いで使われる。

つまり、この意味合いで使われるのは、実演奏での音(コンサートホールでの音)ではなく、
スピーカーやヘッドフォンから鳴ってくる音に対して使われる。
再生音にのみ使われる。

肉や魚、果物などの鮮度がいいという場合には、
それらの肉や魚はすでに死んでいるからこそ、鮮度がいいとか悪いとかいう。
果物にしても、すでにそれらがなている木から捥ぎ取られているからこそ、
鮮度が高いとか悪いとかを気にするわけだ。

再生音も、いわば捥ぎ取られた音といえるし、
すでに死んでいるともいえる。
こんなことを特に意識していなくとも、オーディオに夢中になっていれば、
そのことは無意識のうちにわかっているのであろう、だから音の鮮度ということが気になる。

だが、ここで音の鮮度とは、もうすこし違う意味合いがあることに、
GASのTHAEDRAをボンジョルノのパワーアンプにつないで聴いた者は気づくのかもしれない。

Date: 10月 1st, 2015
Cate: James Bongiorno

THE GOLDなワケ(THE NINEの場合)

SUMOのTHE POWERには半分の出力のTHE HALFがあった。
THE GOLDにも半分の出力のTHE NINEがある。

THE GOLDの中古を見つけて買ったことを山中先生に話したことがある。
THE NINEもいいアンプだよ、と教えてくださった。

THE NINEはTHE GOLDのハーフモデルだからA級動作である。
電圧増幅部はTHE GOLDがディスクリート構成なのに対し、THE NINEはOPアンプを使っている。
出力段はTHE GOLDとほぼ同じ構成である。

フロントパネルはTHE HALFが黒なのに対し、THE NINEはゴールドである。

こんなことを書いているけれど、THE NINEの実物を見ることはなかった。
山中先生が聴かれているのだから日本に輸入されているはず。
けれどステレオサウンドの新製品紹介のページには載ることはなかった。

そんなTHE NINEであっても、インターネットのオークションをみていると、
ときどき出品されていることがある。
並行輸入かもしれないし、正規品かもしれない。
とにかく、さほど数は多くないにしても日本にTHE NINEはある。

このTHE NINE、なぜNINEなのだろうか。
THE HALFはわかりやすい。半分だからだ。

NINEは9。
なぜ9なのか。あれこれ考えてみた。

THE GOLDの半分で9ということは、つまりはTHE GOLDは18になる。
18Kなのか、THE NINEは9Kということなのか。

これが正しいのかどうかはいまとなってはわからない。
仮に正しかったとしたら、THE GOLDは18Kであって、24Kではないのか、ということになる。
24Kがいわゆる純金なのだから。

ここまで考えてくると妄想はふくらむ。
THE GOLDのスペシャルもデルの構想がボンジョルノの頭の中にあったのかもしれない。
18Kではなく24KとしてのTHE GOLDの構想が。

Date: 9月 23rd, 2015
Cate: James Bongiorno

GASとSUMO、GODZiLLAとTHE POWER(その8)

ジェームズ・ボンジョルノはマランツ時代にModel 15を手がけている。
AMPZiLLAが取り上げられたステレオサウンド 35号では、
ボンジョルノはマランツでModel 500を手がけたとあるが、これは間違いである。
Model 15といっても、若い人ではどんなモノなのかまったく知らないだろう。

Model 15はパワーアンプで、
モノーラルアンプを二台左右にならべてフロントパネルで結合したコンストラクションをもつ。
つまり、いまでいうところのデュアルモノーラルコンストラクションである。

AMPZILLA 2000の登場を知って、ボンジョルノの復活を嬉しく思うとともに、
AMPZILLA 2000のスタイル、二台左右に並べての写真をみて、Model 15のことを思い出していた。
このことは、AMPZILLA 2000について考えていく上で無視できない。

GASのGODZiLLAもまたデュアルモノーラルコンストラクションをとっている。
フロントパネルのすぐ裏に二基の電源トランス(EI型)が配されている。

それはボンジョルノのアイディアだったのかは、
それともただ単にAMPZiLLAをブリッジ接続したともいえる規模からくるコンストラクションだったのか。

どちらなのかははっきりしない。
ただフロントパネルには電源スイッチが左右で独立してふたつあるところをみると、
そうなのかなぁ……、ともおもえる。

このGOFDZiLLAのコンストラクションは、予想のつくコンストラクションともいえる。
それに対して同時期に登場したSUMOのTHE POWERのコンストラクションは、
それまでのボンジョルノが手がけたアンプどれとも似ていない。

ここにボンジョルノの飛躍ともいえるものを感じるし、
ボンジョルノが奇才と呼ばれるのは、なにも奇を衒ったようなデザインとネーミングとロゴではなく、
こういうところにあるのだという具体的なモノとしての存在である。

Date: 9月 22nd, 2015
Cate: James Bongiorno

GASとSUMO、GODZiLLAとTHE POWER(その7)

ステレオパワーアンプを二台、モノーラルパワーアンプならば四台用意してブリッジ接続にする。
この場合の出力は8Ω負荷時の四倍の出力が得られる──、のが理屈である。

50W+50Wのステレオパワーアンプをブリッジ接続すれば、だから200Wのモノーラルパワーアンプとなる。
けれど実際にブリッジ接続してみても理論通りに四倍の出力が得られるモノはごくわずかである。

ほとんどの場合、出力の増加は二倍程度であった。

1977年に登場したマークレビンソンのML2は、8Ω負荷時で25W。
にも関わらず消費電力はA級動作のため400W。
無駄飯喰いのパワーアンプだが、4Ω負荷時では理論通りに50Wになり、
2Ω負荷時には、ここでもまた理論通りに100Wになる。

なのでML2Lをブリッジ接続すれば8Ω負荷時で100W、4Ω負荷時で200Wが得られる。
それだけML2は電源の余裕度が大きかったといえる。

ML2の登場によって、
電源の余裕度を4Ω負荷時の出力、ブリッジ接続時の出力から推し量ろうとするようにもなった。
4Ω負荷時の出力が8Ω負荷時の出力の二倍になっているかどうか、
ブリッジ接続時に四倍になっているかどうかである。

ただしこれを逆手にとって、
4Ω負荷時の出力の半分の値を8Ω負荷時の出力として表示するアンプも登場したようだ。
8Ω負荷時には実際はもっと出力が得られるのだが、正直にその値を発表すると電源の容量が不足している、
そんなふうに受けとめられることを避けるためでもあった。

ML2にしても8Ω負荷時で実のところ50Wの出力が出せていたようでもある。
それが初期のロットからそうだったのか、途中からそうなっていったのかは不明なのだが。

GASのAMPZiLLAは8Ω負荷時の出力は200W+200W、
GODZiLLA ABの出力は350W+350Wと約二倍である。

AMPZiLLAの外形寸法はW44.5×H17.8×D22.9cm(AMPZiLLA IIAのカタログ発表値は若干大きい)、
GODZiLLAはW48.0×H18.0×D49.0cm、
重量はAMPZiLLAが22.7kg、GODZiLLAが45.0kg。

GODZiLLAはAMPziLLAを奥行き方向に二台並べた外形寸法と重量である。
出力もAMPZiLLAをブリッジ接続した値に近い。

このことだけでは断言できないものの、
やはりGODZiLLAはAMPZiLLAのブリッジ接続がベースになっているパワーアンプなのだろう。

Date: 9月 21st, 2015
Cate: オーディオ評論, 五味康祐, 瀬川冬樹

オーディオ評論家の「役目」、そして「役割」(続々続・おもい、について)

日本のオーディオ界を毒する方向へともってゆく人は、
おそらく自分自身が、そういう方向へともってゆこうとしているとは気づいていないのかもしれない。
それだけではなく、自分自身が毒されたということを自覚していないのかもしれない。

そういう人たちでさえ、オーディオ界で仕事をするようになったときから、
日本のオーディオ界を毒する方向へともってゆこうと考えたり、行動していたわけではなかったはずだ。

なのにいつしか毒されてしまう。
いつのまにかであるから、なかなか毒されたことに自覚がなく、
自覚がないままだから、日本のオーディオ界を毒する方向へともってゆこうとしている──。

そんな人たちばかりでないことはわかっている。
わかっていても、そんな人たちの方が目立っている。
ゆえにそんな人たちの周囲にいる人は、どうしても毒されてしまう環境にいるといえよう。

それで毒される人、毒されない人がいる。
そんな人も、自分が周囲の人を毒する方向へともってゆこうとしているとは、
露ほどにも思っていないのではないだろうか。

こういうことを書いている私自身は、どうなのだろうか……。

Date: 9月 20th, 2015
Cate: オーディオ評論, 五味康祐, 瀬川冬樹

オーディオ評論家の「役目」、そして「役割」(続々・おもい、について)

ステレオサウンド 16号(1970年9月発売)、
巻頭には五味オーディオ巡礼がある。
副題として、オーディオ評論家の音、とついている。

山中敬三、菅野沖彦、瀬川冬樹、三氏の音を聴かれての「オーディオ巡礼」である。

瀬川先生のところに、五味先生は書かれている。
     *
 でも、私はこの訪問でいよいよ瀬川氏が好きになった。この人をオーディオ界で育てねばならないと思った。日本のオーディオを彼なら毒する方向へはもってゆかないだろう。貴重な人材の一人だろう。
     *
「毒する方向へはもってゆかない」。
これは、日本のオーディオを毒する方向へともってゆく人が現実にいる、ということのはずだ。

「貴重な人材の一人だろう」。
日本のオーディオ界を毒する方向へともってゆかない人よりも、
日本のオーディオ界を毒する方向へともってゆく人の数が多いということなのだろう。

Date: 9月 19th, 2015
Cate: James Bongiorno

ボンジョルノとレヴィンソン(その8)

目の前に、スタインウェイのピアノがあったとする。
スタインウェイでなくともよい、ベーゼンドルファーのピアノでもいいし、
ストラディヴァリウスのヴァイオリンでもかまわない。
とにかく目の前に、よい音を奏でてくれるであろう楽器がある。

でも、これだけではその楽器から音は一音たりとも鳴ってこない。
弾き手がいて、はじめて、その素晴らしい楽器から音が鳴ってくる。
素晴らしい楽器になればなるほど、素晴らしい弾き手を求める。

楽器はそれ単体では音を鳴らさない。
弾き手(つまり人間)の肉体運動の結果として、楽器から音が鳴ってきて、
音楽が奏でられる。

それはどんな音楽であってもそうだ。
クラシックであれジャズであれロック・ポップスであれ、
人間の肉体運動によって音は発せられる。

このことを実感できる再生音とそうでない再生音とがある。
ジェームズ・ボンジョルノのアンプとマーク・レヴィンソンのアンプ。
両者のアンプの違いは、こういうところにもはっきりと出てくる。
そして、音の鮮度の高さに関しても、ボンジョルノのアンプとレヴィンソンのアンプとは同じわけではない。

念のため書いておくが、ここでのマーク・レヴィンソンのアンプとは、
ジョン・カールがいた時代、関与したアンプ、つまりJC2(ML1)、LNP2、ML2などのことである。

ステレオサウンド 52号のSUMOのTHE POWERの新製品紹介の記事。
ここでコントロールアンプをLNP2からTHAEDRAにすると、
途端に音の鮮度や躍動感が出てきた、とある。

音の鮮度。
THE POWERが登場した1979年、
GASのTHAEDRAよりも鮮度感の高さ、透明度の高さを誇るコントロールアンプはあった。
ふつうに考えれば、そういったコントロールアンプの方が、より鮮度のある音が得られるように思う。

私はそう思っていた。
THE GOLDを手に入れて、THAEDRAを遅れて手に入れるまでは。

Date: 9月 18th, 2015
Cate: James Bongiorno

THE GOLDなワケ

SUMOからTHE GOLDが登場したとき、
なぜTHE GOLDなワケについて深く考えはしなかった。

AB級のTHE POWERがブラックパネル、
A級のTHE GOLDはゴールド(塗装)パネル。

フロントパネルの色でいえば、THE POWERはTHE BLACKという型番でもいいはず。
だが実際は、THE POWERとTHE GOLDである。

1985年12月、偶然にもTHE GOLDの中古を見つけた。
ちょうどステレオサウンドの冬号が店頭に並んで、ぽっかりヒマな時間ができたというので、
会社を抜け出して秋葉原に行っていた。

なんとなくTHE GOLDがありそうな予感だけがあったからだ。
そして実際に、そこにTHE GOLDがあり、衝動買いだった。

そうやって自分のモノとして、なぜこのアンプはTHE GOLDなのか、と考えた。
THE POWERの半分の出力をもつ弟分にあたるアンプはTHE HALFだった。
わかりやすいネーミングだ。

THE GOLDは純A級アンプなのだから、THE PUREという型番でもいいではないか。
いうまでもなくフロントパネルがゴールドだからTHE GOLDではないはず。
THE GOLDだからフロントパネルをゴールドにしたものと思われる。

そんなことをぼんやりと考えて思いついたのは、
AMPZiLLAがアンプのゴジラなのだから、
THE GOLDはゴジラの強敵といえるキングギドラなのではないか。
キングギドラは金色に輝く。

だからTHE GOLDなのか、と思った。
もちろん、何の根拠も確証もない単なる憶測にすぎない。
けれど、他にこれ! といった理由がいまだに思いつかないでいる。

Date: 9月 18th, 2015
Cate: James Bongiorno

ボンジョルノとレヴィンソン(その7)

神経質とこまやかな神経とは決して同じではない。

こまやかを細やかと書くか濃やかと書くか。
これもけっして同じとはいえない。

マーク・レヴィンソンとジェームズ・ボンジョルノについて書いているが、
ふたりの違いを端的に書けば、神経質か濃やかな神経かということになる。

もちろん神経質なのはマーク・レヴィンソンであり、
濃やかな神経なのはジェームズ・ボンジョルノである。

マーク・レヴィンソンが神経質であることに認める人でも、
ジェームズ・ボンジョルノが濃やかな神経の人であると思う人は多くないかもしれない。

GASやSUMOといったネーミングにしても、
GASのデビュー作であるAMPZiLLAのネーミングとそのデザイン、
どこかふざけているように受けとめてしまう人はいるはずだ。

ボンジョルノが濃やかな人だとは、私はすぐには気づかなかった。
ステレオサウンドに載っているGASの一連のアンプの評価を読んでいるだけでは、
そのことに気づくことはなかった。

結局、ボンジョルノのアンプの音を聴いてみるしかなかった。
だからといって聴けばすぐにわかることもあればそうでないこともある。

GASのアンプにしろSUMOのアンプにしろ、聴いてすぐにわかる良さはある。
けれど、ボンジョルノを濃やかな人と気づくようになるには、
私の場合、しばらくの期間を聴き込むことが必要だった。

つまり自分のモノとしてつきあうことが必要だった。
そうやって気づく良さがあり、
そのことに気づいた上で、もう一度、GAS、SUMOのアンプの評価を読むと、
特に井上先生、山中先生の新製品紹介のページを読みなおすと、また気づくことがある。

Date: 9月 17th, 2015
Cate: James Bongiorno

ボンジョルノとレヴィンソン(と五味康祐氏)

ステレオサウンドの原田勲氏が、五味先生が亡くなられた直後、
藝術新潮に書かれた「五味先生を偲んで」に、こう書いてある。
     *
 シャイな先生は、ご自分の根本のところでの真面目さをひたかくしにされていた。ひたかくしに、かくしたいからこその〝奇行〟にも真面目にはげまれてしまうのであった。
     *
いくつかのことを思っていた。
そのひとつがジェームズ・ボンジョルノのことだった。

ボンジョルノのGAS、SUMOと行った会社のネーミング、
AMPZiLLA、THAEDRA、THE POWER、THE GOLD、その他のアンプのネーミング、
このことが五味先生の〝奇行〟と重なってきた。

根本のところでの真面目さをかくしたいからこそのネーミングなのかもしれない。

ほんとうのところはわからない。
ただ「五味先生を偲ぶ」を呼んで、そう感じたことがある。

Date: 9月 17th, 2015
Cate: James Bongiorno

ボンジョルノとレヴィンソン(その6)

マークレビンソンの最初の、そして代表的なアンプといえば、やはりLNP2となる。
LNP2は、Low Noise Preamplifierの略である。

LNC2は、Low Noise Crossover Networkの略だと思う。
LNC2を知った中学生のころは、Low Noise ChannelDividerだと思っていた。
日本ではマルチアンプシステムを組み場合に必要となるエレクトリッククロスオーバーネットワークを、
チャネルデバイダー(略してチャンデバともいう)と呼ぶことが多い。
けれどアメリカでは、そうは呼んでいない。
だから、おそらくCrossover Networkの方だと思われる。

ヘッドアンプのJC1、薄型のコントロールアンプJC2は、設計者のJohn Curlの頭文字である。

JC2は1977年にML1と型番が変更された。
MLとは、いうまでもなくMark Levinsonの頭文字である。
つまりMLシリーズは、設計者がジョン・カールではなくマーク・レヴィンソンに変ったことを意味している──、
そう日本では当時伝えられていた。

ジョン・カールとマーク・レヴィンソンが仲たがいしたのは、
この件が大きかった、とジョン・カールに以前にインタヴューしたときに聞いている。

そういえはディネッセンから1980年代に登場したコントロールアンプは、
ジョン・カールの設計で型番はJC80だった。

ジョン・カールがJCという型番にこだわるのは、それだけプライドがあってのことだろうが、
それにしても……、と思うところも正直ある。
レヴィンソンに関しては、会社名にも型番にも自分の名前をつけるのは、いかがなものか、と、
いまは思う。

そういまは思う、のだ。
マークレビンソンのアンプを知った中学生のころは、
その会社(ブランド))名、型番もカッコイイと思っていた。
そんな時期があった。