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Date: 3月 14th, 2019
Cate: 40万の法則, D130, JBL, 岩崎千明

40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その26)

100Hzから4kHzまでの帯域をほぼフラットに再生する、ということ。

ステレオサウンド 70号に、
岡先生の「わが家のJBLスーパーウーファー騒動顛末記」が載っている。

70号は1984年。
このころJBLからは18インチ口径のウーファー搭載のB460、
15インチ口径ウーファー搭載のB380といったスーパーウーファーが登場していた。

当時の岡先生のシステムは、かなり大がかりであった。
詳しいことを知りたい方は、70号をお読みいただきたい。

ここで70号の岡先生の記事を取り上げているのは、
岡先生がシステムのフラットを目指した結果、
100Hzから4kHzまでフラットに仕上げられているからだ。

そこのところを引用しておく。
     *
わが家の場合は100Hz以下は仮に記録紙ではフラットにちかい状態にしても、聴感との折りあいがつかない。同様に、リスニングポジションで5kHz以上を完全にフラットにすると、再生された音楽は極端なハイあがりになってきかれたものではないということは、オーディオをかじっているひとならば常識といえるだろう。高域のロールオフをどのくらいのカーヴにするかはいろいろな説があるが、ぼく自身は経験上4k〜8kHzのオクターヴ間をほぼ3〜6dB、その上は2〜3dBの偏差にはいっているのがいいように考えている。
 一応こういう目標をたてて、マイクの位置と高さをいろいろと試したあげくに、最終的なポイントをきめて、L・Rのバランスも含めて、100Hzから4kHzを1dB以内、100Hzから8kHzのLRのレベルバランスを0・5dBにおさえこむまでに、ものすごく時間がかかってしまった。おかげさまで、歌人から、毎日、ピーピーとんへな音ばかり出しているという苦情が出たほどである。
     *
ここでも、100Hzから4kHzという、40万の法則が出てくる。
当時は、そのことに気づかなかった。
いまごろになって、100Hzから4kHzという帯域がフラットであること、
そこでの40万の法則との関係性について考えることになった。

Date: 3月 13th, 2019
Cate: 五味康祐

avant-garde(その5)

ステレオサウンド 70号の編集後記、
Jr.さん(Nさん)は、こんなことを書かれていた。
     *
 燃上するアップライトピアノに向って、消防服に身をかためた山下洋輔が、身の危険がおよぶ瞬間まで弾き続けるというイベントがあったのは何年前だったろう。
 たとえば、火を放った4343にじっと耳を凝らしつつ、身にかかる火の粉をはらい落としながら、70年代オーディオシーンの残り音を聴くという風情が欲しい。かつて五味康祐氏が、御自慢のコンクリートホーンをハンマーで叩き壊したように、徹底的に破棄するということもまた限りなくクォリティオーディオなのではないか。いじらしくブチルゴムをはってみたり、穴を埋めるよりは、よほど教訓的な行為だと思うが……。
     *
書き写していて、当時のことをいくつかおもいだしていた。
ブチルゴムとプチブルがなんとなく似ているということ、
しかもそのことブチルゴムがオーディオ雑誌にも登場しはじめていたこともあわせて、
あれこれ話してこともあった。

Jr.さんが、いじらしく──と書いているのは、
68号掲載の「続々JBL4343研究」のことである。

サブタイトルとして、
「旧アルニコ・タイプのオーナーにつかいこなしのハイテクニック教えます」とついて、
講師・井上卓也、元ユーザー・黒田恭一とある。

Jr.さんが、そう書きたくなる気持もわからなくもないが、
オーディオはいじらしいことの積み重ねで音が良くなっていくのも、また事実であり、
68号の「続々JBL4343研究」は測定データを示しての、使いこなしの記事である。

ただ68号の記事を読んで、表面的にマネしただけでは、
ほとんど効果は得られないし、そんなマネゴトよりは、
確かに「教訓的な行為」といえるのが、
コンクリートホーンをハンマーで敲きこわす行為であり、
4343に火を放って、火の粉をはらい落しながら聴く行為なのは、同感である。

この項でも、別項でも取り上げている十年以上前のステレオサウンドの、
「名作4343を現代に甦らせる」という記事。

この連載で最後に完成(?)した4343のユニットを使っただけの、
どう好意的に捉えようとしても、4343を現代に甦らせたとはいえない──、
そんなスピーカーの試聴を行ったオーディオ評論家(商売屋)の耳には、
「70年代オーディオシーンの残り音」を聴こえてこなかったのか、
風情もなかったのか。

「名作4343を現代に甦らせる」から教訓的なことを得られた人は、いるのか。

Date: 3月 7th, 2019
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(ステレオサウンド 210号・その2)

ステレオサウンド 210号、
黛健司氏の「菅野沖彦先生 オーディオの本質を極める心の旅 その1」。

ステレオサウンドのウェブサイトの告知で、その1とあったから、
短期連載になることはわかったし、
だからそれほどページ数を割いているわけではないだろうなぁ──、
そんなふうに勝手に思っていた。

そう思ったのは、209号掲載の柳沢功力氏の追悼文にもある。
209号には、原田勲氏の弔辞も掲載されていた。

けれど追悼文は柳沢功力氏だけだった。
柳沢功力氏の追悼文を読んで、これで終りなの?……、とおもっていた。

私と同じように感じていた人は、周りに少なからずいる。
210号以降で、菅野先生のなんらかの形で掲載されるだろうことは、予想できていた。

それでも追悼文があのくらいだったから……、
そう感じていたから、さほど期待していなかったところもある。

なので、黛健司氏の
「ベストオーディオファイル賞からレコード演奏家論へ」には驚いた。

「ベストオーディオファイル賞からレコード演奏家論へ」はサブタイトルである。
おそらく「菅野沖彦先生 オーディオの本質を極める心の旅 その2」では、
黛健司氏ではなく、他の方が書かれるのだろうか。

私個人としては、その2も黛健司氏に書いてほしい、と思っている。
どちらになるのかはわからない。

その2以降、書き手が変っていくのであれば、
誰であろうと、大変だろうな、と思う。

Date: 3月 5th, 2019
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(ステレオサウンド 210号・その1)

ステレオサウンド 210号で、ひとつだけ読みたいと思う記事がある。
黛健司氏の「菅野沖彦先生 オーディオの本質を極める心の旅 その1」である。

まだ読んでいない。
書店にも寄っていない。

にも関らず、この記事は210号で、ただひとつ読むべき記事だと思っている。
いい記事のはずだ。

ここにだけは、まだ残っているはずだ。

Date: 12月 18th, 2018
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(ステレオサウンド、アナログ)

12月にはいり11日にステレオサウンド、15日にアナログの最新号が発売になった。

主だったオーディオ関係の雑誌すべてに菅野先生の追悼記事が載ったことになる。
11月に発売されたステレオ、レコード芸術、オーディオアクセサリー、
どれがよかったかなどというようなことではない。

それでもいいたいのは、前回も書いているのと同じことである。
オーディオアクセサリー掲載の追悼記事だけは読んでほしい。

Date: 12月 7th, 2018
Cate: 菅野沖彦

「菅野録音の神髄」(ピアノ)

ステレオサウンドのベストオーディオファイル、そしてレコード演奏家訪問。
菅野先生が全国のオーディオマニアを訪問された連載記事である。

菅野先生が来られるということで、多くの方が、菅野先生の録音、
おもにオーディオラボのディスクを再生される。

菅野先生によると、ひとつとして同じ音はなかった、とのこと。
菅野先生の録音の意図をはっきりと再生している音もあれば、
まったく意図しない音で鳴っていることもあった、ときいている。

ほんとうにさまざまな表情で、菅野先生の録音が鳴っている。
それでも、世の中にでは、菅野録音ということで、ある共通認識はできているようでもある。

何をもってして、菅野録音といえるのか。
これもまた人によって違うことなのだろう。

それでも、私はひとつだけいえることがある、と思っている。
ピアノの音である。

菅野先生の録音によるピアノの音をきいて、どう思うのか。
ほんとうに、菅野先生はピアノという楽器がお好きなんだなぁ、
そうおもえるかどうかである。

ピアノがいい音で鳴っている、と感じるだけでは不十分で、
菅野先生のピアノという楽器へのおもいが感じられなければ、
菅野録音はうまく鳴っていない、といえる。

Date: 11月 22nd, 2018
Cate: 菅野沖彦

としつき(26年後)

2007年11月7日に、神楽坂のとある店で、
瀬川先生の二十七回忌の集まりをやった。

その時のことは別項「瀬川冬樹氏のこと(その17)」で書いている。
菅野先生も来てくださった。

会の終りに、菅野先生がいわれた。
「オレの27回忌もやってくれよ」と。

その時、私は81歳になっている。
生きているかどうかはわからない。
生きていたとしても、もう呼ぶ人がいなくなっているんじゃないか……、
そのことに気づいた。

Date: 11月 21st, 2018
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(ステレオ、レコード芸術、オーディオアクセサリー)

19日にステレオ、20日にレコード芸術、
今日(21日)、オーディオアクセサリーの最新号が発売になっている。

それぞれに菅野先生の追悼記事が載っている。
オーディオアクセサリー 171号の追悼記事は、多くの人に読んでほしい、とおもう。

Date: 11月 20th, 2018
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(味も人なり、か・その1)

1987年ごろだったか、試聴のあいまに、
菅野先生がチャーハンの話をされたことがある。

昔、有楽町のガード下に、ミルクワンタンという店があって……、から話は始まった。
菅野先生によると、そこで食べたチャーハンが、
これまで食べたなかでいちばんおいしかった、ということだった。

けれど、その店もなくなって、
なかなかおいしいチャーハンに出合わない、と。

最近食べたなかでは、荻窪にある徳大のチャーハンがよかった。
それでもミルクワンタンのチャーハンと較べてしまうと……、ともいわれた。

ちょうどそのころ吉祥寺にある中華屋で、おいしいチャーハンに出合っていた。
汚い店である。
雑居ビルの上の階にあった。

店の名前とビルの名前が同じだったから、店主はビルのオーナーでもあったのか。
そのへんはわからないし、いまその店はない。

チャーハンといっても、高級中華料理店に行けば、
豪華な食材を使った、高価なチャーハンはある。
それはそれでおいしいけれど、ここでのチャーハンは、そういう類のチャーハンではない。

それこそ具材はチャーシュー、卵……といった、ごくシンプルなチャーハンのことだ。

なので、その吉祥寺の中華屋のことを話した。
かなり興味をもたれたようで、次の試聴のときに、その中華屋のことが話題になった。

開口一番「ひどいめにあったよ、なんだ、あの店(店主)は」といわれながらも、
「あのチャーハンは絶品だよ、でも、あの店主はひどいね」と続けられた。

Date: 11月 13th, 2018
Cate: 菅野沖彦

としつき

今日(2018年11月13日)は、ロッシーニの没後150周年。
二日前の11日は、第一次世界大戦の終結から100年。

ロッシーニの生きた時代(音楽)と第一次世界大戦が、
私がなんとなく思っていた以上に近かったことに、少し驚いていた。

それぞれの年代を数字で示されて、並べてみるとすぐに気づくことなのに、
単独でみていると、気づかないことがあったりする。

そういえばステレオサウンドにいたころお世話になった編集顧問のKさんは、
音楽のことを含めて、さまざまなことがらをまとめた年表をつくられていた。
そうやって並べてみることで気づくことがあるのに、気づいておられたからなのだろう。

いまならインターネットで、そういったことがらを調べやすくなっているが、
Kさんが独自の年表をつくっていたのは1980年代である。

つくった者とつくらなかった者とが気づくことには、大きな隔たりがある。
そんなことをおもいながら、今日は菅野先生が亡くなられて一ヵ月が経ったのか、という、
その事実を、ただ感じている。

Date: 11月 6th, 2018
Cate: 五味康祐

avant-garde(その4)

コンクリートホーンをハンマーで敲き毀す。
同じことができるだろうか──、というのは、以前書いているように、
ステレオサウンド 55号を読んで以来ずっと私の中にある自問だ。

コンクリートホーンは家ごと、である。
改築なり新築でこそ可能になる。
それだけに1970年代では、究極の再生システムとしても紹介されていた。

オーディオ雑誌には、コンクリートホーンを実現したオーディオマニアの方たちが、
よく登場していた。

既製品の、どんなに高価なスピーカーシステムにも求められない何かが、
コンクリートホーンにある、といえよう。

「五味オーディオ教室」に出逢わず、
五味先生の文章とも無縁でオーディオに取り組んでいたら、
コンクリートホーンを私も目指したかもしれない。

実家暮らしを続けていたら、実現できなかったわけでもない。
仮にコンクリートホーンで、音楽を聴いていた、としよう。
オルガンは、確かによく鳴ってくれるであろう。

けれど、五味先生が指摘されているように、正体不明の音が鳴ってきたとも思う。

いまではデジタル信号処理で、コンクリートホーンのもつ欠点もずいぶんカバーできるはず。
それでも低音までカバーするためのホーンの長さは、あまりにも音源が遠すぎはしないだろうか。
そういうところまでデジタル信号処理が補えるとは、いまのところ思えない。

それでもコンクリートホーンを実現していたら、
もろもろのコンクリートホーンゆえの欠点に気づきながらも、
自分を騙して聴きつづけていくのか──。

LS3/5Aのようなスピーカーを買って、それで聴く時間が長くなっていく──。
そんなふうになるような気がする。

それでもコンクリートホーンをハンマーで敲き毀すか。
私は、ハンマーで敲き毀すことこそ正直なのだと考える。

Date: 11月 5th, 2018
Cate: 川崎和男

「プロダクトデザインと未来」川崎和男×深澤直人(その2)

昨晩の「プロダクトデザインと未来」川崎和男×深澤直人・対談のあとに、
質疑応答の時間があった。

最初は、主催者特権ということでAXISのスタッフが、
今年のグッドデザイン大賞について、二人に質問された。

今年の大賞は、おてらおやつクラブである。

モノではない。
しかも、AXISのスタッフによると、デザイナーが介在していない、とのこと。
そういうおてらおやつクラブが、2018年度のグッドデザイン大賞に選ばれたことについて、
川崎先生と深澤直人氏にたずねられていた。

AXISのスタッフ、川崎先生、深澤直人氏の話をきいていて、
思い出していたのは、別項「フルトヴェングラーのことば(その1)」で引用したことである。
     *
もう二十年以上も前になりますが、あらゆる世界の国々の全音楽文献をあさって、最も偉大な作品は何かという問合せが音楽会全般に発せられたことがありました。この質問は国際協会(グレミウム)によって丹念に調査されたうえ、回答されました。人々の一致した答えは、──『マタイ受難曲』でもなければ、『第九シンフォニー』でも、『マイスタージンガー』でもなく、オペラ『カルメン』ということに決定されました。こういう結果が出たのも決して偶然ではありません。もう小粋(エレガンス)だとか、「申し分のない出来」とか、たとえば「よくまとまっている」とかいうことが第一級の問題として取り上げられるときは、『カルメン』は例外的な高い地位を要求するに値するからです。しかしそこにはまた我々ドイツ人にとってもっとふさわしい、もっとぴったりする基準もあるはずです。
(新潮文庫・芳賀檀 訳「アントン・ブルックナーについて」より)
     *
「アントン・ブルックナーについて」は1939年だから、20年以上前というと1919年以前。
ほぼ百年前のことだ。

「カルメン」が、最も偉大な作品に選ばれたのと、
グッドデザイン大賞におてらおやつクラブが選ばれたのは、
賞を選ぶにあたっての、共通する何かが、いまも百年前もあるということなのだろうか。

人の身体は新陳代謝が行われていても、老化していく。
昨晩、感じた社会そのものも歳をとっていく、ということも、
新陳代謝が行われていても、老化していっているように思うからだ。

Date: 11月 4th, 2018
Cate: 川崎和男

「プロダクトデザインと未来」川崎和男×深澤直人(その1)

夜の六本木は、ひさしく行っていない。
今日はAXISギャラリーで、「プロダクトデザインと未来」のテーマで、
川崎和男×深澤直人・対談があった。

日曜だったからなのか、かまびすしい夜ではなく、
歩いている人も少なく、閑散としていた。

対談の会場は満員だった。
深澤直人氏は、川崎先生がAXISの表紙を飾る二号前に登場されている。
その写真の印象があったため、深澤直人氏を見て少々驚いた。

二人とも2002年のAXISに登場されているのだから、十六年が経っている。
その歳月を考えれば当然なのだが、
川崎先生が年上なのに、深澤直人氏が年上のようにも感じられて、
思わず深澤直人氏の誕生日を確認した。

川崎先生はAXISの表紙のとき、ストライプのシャツだった。
今日もそうだった。
ストライプの太さは違っていたけれど。

川崎先生は、本調子ではなかったように感じた。
声をきいていて、そう感じた。

誰一人として歳をとらないものはいない。
皆、等しく歳をとっていっている。
人だけではない、社会そのものもそうだ、ということを二人の対談をきいていて思っていた。

Date: 11月 4th, 2018
Cate: 井上卓也

井上卓也氏のこと(ボザークとXRT20・その3)

ステレオサウンド別冊「音の世紀」の巻頭記事、
「至高のヴィンテージサウンドを聴くで、AR3aが登場している。
     *
柳沢 いずれにしても、それまでは豊かな低音は大きなスピーカーでなくては出ないとされていたのに、その意識を変えたのだから大改革ですね。
菅野 ボストンにはそういう伝統があるのかな。ボーズのスピーカーもあそこで始まっているんですよね。
柳沢 ボーズも小さいけど重厚な低音を出す。
朝沼 ボストンは古い街で、ヨーロッパへの憧れも強いでしょうし……。
菅原 街並みもヨーロッパが引っ越してきたような感じですかね。
朝沼 ですから音も何となくヨーロッパの音を感じさせますね。
菅野 ニューイングランドそのままですよ。
朝沼 当時ARの広告で憶えているんですけど、これをカラヤンとマイルスが使っているっていうのを。
菅原 そうそう、カラヤンとマイルスがAR3aを使っていたんだって。だから僕にとっては、カラヤン、マイルス、野口久光というイメージだった。
朝沼 そんなしゃかりきてではなく、音楽をさりげなく楽しむといったイメージですね。
菅野 それでいて、コンパクトでありながら当時としては凄いワイドレンジでもあって。
朝沼 マイルスが家に帰って、JBLでしゃかりきにやってたら、ちょっと可笑しいですからね。カラヤンだって同じだけど(笑)。
菅野 そう、それは可笑しいよ(笑)。
菅原 何かほっとするサウンドがこれにはあって、それが広告のイメージにも合ってた。
菅野 僕は、個人的にはこの延長線上の低音は、マッキントッシュのXRTなんですよ。
朝沼 やはりボトムが下がってますよね。
菅野 そうなんです。それでやはり完全密閉型でしょう。
柳沢 それはボザークの音にも言えましたね。
菅野 そうそう。だからAR、ボザーク、マッキントッシュという、だいたいの流れだね。イーストコースとの音の。
     *
AR3aについて語られている座談会であっても、
ボザークとマッキントッシュのXRT20とのこと、
井上先生と菅野先生のことを考えながら読みなおすと、興味深いし、
この試聴に井上先生が加われていたら……、と想像すると、また楽しい。

Date: 10月 23rd, 2018
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(紅茶、それにコーヒー)

2002年7月4日、14年ぶりに菅野先生のリスニングルームを訪れて、
戻ってきた、と感じたのは、部屋に入ったときでせなく、音を鳴ったときでもない。

菅野先生の奥さまがだされる紅茶の香りと味で、
私は、菅野先生のリスニングルームに戻ってきたんだ、と感じていた。

ステレオサウンド時代に伺っていたとき、
いつも出してくださった紅茶と同じだった。

当り前のことなのに、「同じだなぁ」と感慨深いものがあった。

菅野先生といえば、紅茶だった。
試聴でステレオサウンドの試聴室に来られるとき、
当時ステレオサウンドの真向いにあった水コーヒー どんパからコーヒーをとっていた。

菅野先生だけが紅茶だった。
コーヒー嫌いなのか、と、ずっと思っていた。

いつだったのか、はっきりと憶えていないが、ある時、
奥さまがコーヒーを出してくださった
私にだけコーヒーではなく、菅野先生もコーヒーだった。

意外だったので、つい「コーヒー、飲まれるんですか」と訊いた。
もともとコーヒー好きで、水だしコーヒーに、すごくハマった時期があった、とのこと。

どうすれば美味しい、菅野先生にとっての理想の水だしコーヒーを淹れられるか、
あらゆる要素を少しずつ変えては淹れて飲み、比較。
それを果してなくくり返されたそうだ。

そんなことを続けていたら、ある日、コーヒーを体が拒否してしまった、とのこと。
濃いコーヒーの飲みすぎであろう。

それから紅茶にされた、そうだ。
だから「最近、少しコーヒーが飲めるようになったんだよ」と話してくださった。

オーディオとまったく関係がない、と思われるかもしれないが、
これこそが、ある意味、菅野先生的バランスのとりかたである。