Date: 3月 13th, 2019
Cate: 五味康祐
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avant-garde(その5)

ステレオサウンド 70号の編集後記、
Jr.さん(Nさん)は、こんなことを書かれていた。
     *
 燃上するアップライトピアノに向って、消防服に身をかためた山下洋輔が、身の危険がおよぶ瞬間まで弾き続けるというイベントがあったのは何年前だったろう。
 たとえば、火を放った4343にじっと耳を凝らしつつ、身にかかる火の粉をはらい落としながら、70年代オーディオシーンの残り音を聴くという風情が欲しい。かつて五味康祐氏が、御自慢のコンクリートホーンをハンマーで叩き壊したように、徹底的に破棄するということもまた限りなくクォリティオーディオなのではないか。いじらしくブチルゴムをはってみたり、穴を埋めるよりは、よほど教訓的な行為だと思うが……。
     *
書き写していて、当時のことをいくつかおもいだしていた。
ブチルゴムとプチブルがなんとなく似ているということ、
しかもそのことブチルゴムがオーディオ雑誌にも登場しはじめていたこともあわせて、
あれこれ話してこともあった。

Jr.さんが、いじらしく──と書いているのは、
68号掲載の「続々JBL4343研究」のことである。

サブタイトルとして、
「旧アルニコ・タイプのオーナーにつかいこなしのハイテクニック教えます」とついて、
講師・井上卓也、元ユーザー・黒田恭一とある。

Jr.さんが、そう書きたくなる気持もわからなくもないが、
オーディオはいじらしいことの積み重ねで音が良くなっていくのも、また事実であり、
68号の「続々JBL4343研究」は測定データを示しての、使いこなしの記事である。

ただ68号の記事を読んで、表面的にマネしただけでは、
ほとんど効果は得られないし、そんなマネゴトよりは、
確かに「教訓的な行為」といえるのが、
コンクリートホーンをハンマーで敲きこわす行為であり、
4343に火を放って、火の粉をはらい落しながら聴く行為なのは、同感である。

この項でも、別項でも取り上げている十年以上前のステレオサウンドの、
「名作4343を現代に甦らせる」という記事。

この連載で最後に完成(?)した4343のユニットを使っただけの、
どう好意的に捉えようとしても、4343を現代に甦らせたとはいえない──、
そんなスピーカーの試聴を行ったオーディオ評論家(商売屋)の耳には、
「70年代オーディオシーンの残り音」を聴こえてこなかったのか、
風情もなかったのか。

「名作4343を現代に甦らせる」から教訓的なことを得られた人は、いるのか。

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