Archive for category 老い

Date: 9月 24th, 2020
Cate: 老い

老いとオーディオ(とステレオサウンド・その6)

フィリップス・インターナショナルの副社長の
「なぜならわが社は音楽を売る会社で、ディスクという物を売る会社ではないからだ」は、
出版社にあてはめれば、
出版社とは記事を売る会社で、本という物を売る会社ではない、ということになる。

スイングジャーナルがなくなってしまったのは、
結局のところ、記事を売る会社ではなく、本という物を売る会社のままだったからなのか。

スイングジャーナルの最終号がいつものままのつくりであったことは、
どういうことなのか。

編集部としては、このまま終らせるつもりはない、
復刊させてみせる、という気持があって、
復刊を信じていれば、あえて通常通りの編集を最終号でもやったのかもしれない──、
そういう見方もできる。

でもアドリブが休刊になる前から、
スイングジャーナル社があぶない、というウワサは耳に入ってきていた。

編集部の人たちは、どうだったのだろうか。
このまま消えてしまうのであれば、特別な労力を必要としない、
いつも通りの編集でいいじゃないか──、
そんなどこか投げやりな気持はなかったのか、とも思ってしまう。

どっちでもいいとも思っている。
もし復刊できたとしても、あのままだっただろうから。
復刊できたとしても、いずれまた休刊してしまう。

本という物を売る会社としての出版社。
スイングジャーナルもそうだし、ステレオサウンドもそうなのだが、
どちらも雑誌がメインの出版社である。

ここでの本とは雑誌のことであり、
雑誌を売る会社とは、売る相手は読者だけでなく、広告主もいるということだ。

Date: 9月 22nd, 2020
Cate: 老い

老いとオーディオ(とステレオサウンド・その5)

ステレオサウンドは老いていっている、
というのが、私の本音である。

そして、そんな老いていくステレオサウンドの、
いわば先輩にあたるのがスイングジャーナルであった、とも思っている。

スイングジャーナルは1947年に創刊している。
ステレオサウンドよりも19年早い創刊である。

スイングジャーナルは,2010年6月発売の7月号で休刊(廃刊)になった。
当時、twitterで休刊のニュースを知った。

特に驚きはなかった。
スイングジャーナル社発行のアドリブが5月に休刊していたし、
そのことがなくても、
休刊までの20年分くらいのスイングジャーナルの内容を知っている人ならば、
休刊やむなし、と思ったであろう。

2010年7月号のスイングジャーナルを、書店で手にとった。
パラパラをめくってみただけだった。

なのではっきりと記憶があるわけでなはい。
60年以上続いた雑誌の最終号とは、誰も思わないであろう、
いつも通りの内容だったな、という印象だけしか残っていない。

ジャズの熱心な聴き手でない私、
スイングジャーナルを定期購読したことはなかった私には、
感慨なんて、最終号を手にしても、まったくなかった。

自然消滅、自然淘汰されたぐらいにしか感じなかった。

ここでのことに関係して思い出すのは、
黒田先生の「聴こえるものの彼方へ」のなかの
「ききたいレコードはやまほどあるが、一度にきけるのは一枚のレコード」に、
フィリップス・インターナショナルの副社長の話だ。
     *
ディスク、つまり円盤になっているレコードの将来についてどう思いますか? とたずねたところ、彼はこたえて、こういった──そのようなことは考えたこともない、なぜならわが社は音楽を売る会社で、ディスクという物を売る会社ではないからだ。なるほどなあ、と思った。そのなるほどなあには、さまざまなおもいがこめられていたのだが、いわれてみればもっともなことだ。
     *
「ききたいレコードはやまほどあるが、一度にきけるのは一枚のレコード」は1972年の文章、
ほぼ50年前の、フィリップス・インターナショナルの副社長のこたえである。

Date: 9月 20th, 2020
Cate: 老い

老いとオーディオ(とステレオサウンド・その4)

facebookにコメントをされた方は、
ステレオサウンド・メディアガイドは、広告営業用の媒体資料であろう、
と指摘されていた。私もそう受けとっている。

そして、いまだに殿様商売をやっているのか、という感想をもった、ともあった。
この点も、まったく同じである。

殿様商売がぴったりだ。
まぁ、でもステレオサウンド側に立てば、
うちは殿様商売ができるんだ、ということでもあろう。

私は2014年版と2020年版しか知らないが、
ステレオサウンド・メディアガイドは、これまでに何回出ていたのだろうか。

回数はわからないが、それでもはっきりいえることは、
どれもコピー・アンド・ペーストでつくられていて、
誤植を含めて内容は同じだ、ということである。

このステレオサウンド・メディアガイドを受けとる側は、どう思っているのか。
また今年も来たな、ぐらいの感覚なのだろうか。
また今年も同じ内容のままだ、誤植も同じままだ、なのだろうか。

それでも、オーディオ雑誌のなかで、ステレオサウンドがもっとも広告が多い。
ほかのオーディオ雑誌の広告索引と比較してみてほしい。
ステレオサウンドの一人勝ちといっていい状況は、
これはもうなれ合いでしかない。

殿様商売となれ合い。
これこそ老害ではないか。

老害、老害とくり返す人は、SNSに少なからずいる。
そういっている人は、おそらくある程度若い人たちだろう。

老害というのはいいけれど、
どんなことを老害といっているのかが見えてこないことが多い。

きちんと書いている人もいるのかもしれないが、
検索までして、読みたい、とまったく思っていない。

なので、あくまでも私が目にした範囲では、
老害について具体的なことを書いているのは記憶にない。

老害、老害といっている人が、何を老害と感じているのはわからないが、
いまのステレオサウンドこそ、まさに老害である。

Date: 9月 16th, 2020
Cate: 老い

老いとオーディオ(とステレオサウンド・その3)

2014年から六年後の2020年のいま、
ステレオサウンドの読者の年齢構成比は、
その経過した月日の分だけ、さらに高齢化が進んでいるはず──、
こんなことを、ここで書くつもりでいたし、
2014年以降、ステレオサウンド・メディアガイドは出ていないのか、
ステレオサウンドのサイトを明日になったら調べてみよう、と思っていた。

明日まわしにした私と違って、
すぐに2020年版が公開されている、とfacebookにコメントをされた人もいる。
stereosound_mediaguide_202007というファイルが、確かに公開されている。

毎年、出ていたのか、数年おきなのか、
こまかくチェックしていたわけでないでなんともいえないが、
おかげで2014年と2020年のステレオサウンド・メディアガイドを比較することができる。

二つを比較すると、基本的にはコピー・アンド・ペーストだとわかる。
変更点は、2014年版では190号の表紙が、2020年版では215号の表紙が使われていること、
価格が、2014年版では2,000円、2020年版では2,200円だけ、といっていい。

六年間の変化を、二つのメディアガイドから読みとることはできない。
読者プロフィールの欄も、
2014年版と2020版は、まったく同じである。

年齢構成比、職業、収入、住まい、システム総額、小誌購入の六項目の円グラフも、
2014年版のものを使いまわしている、といっていい。
何も変化がないのだ。

なんらかの方法で読者調査を行った結果が、まったくの変化なしだとすれば、
それはそれですごい、ということになるが、そんなことをあるわけないだろう、とまず思う。

小誌購入にしても、そうだ。
ステレオサウンドは電子書籍版も出している。
どのくらいの割合が紙のステレオサウンド、電子書籍のステレオサウンドなのかはわからないが、
少なくとも2014年と2020年では、その割合に変化はあるはずだ。

2014年、2020年、どちらにも、編集長からのメッセージがある。
     *
 オーディオの素晴らしさを読者にむけて発信し続けます。
「素晴らしい音楽を理想の音で奏でたい、演奏家の魂が聴こえるオーディオ製品を世に広く知らせたい」。これが創刊以来続く、ステレオサウンド誌の理念です。この理念の基、進化によって刻々と姿を変えていく最新オーディオの魅力、そして伝統を継承して輝き続ける本物のオーディオの素晴らしさを読者に向けて発信し続けます。オーディオ評論家諸氏の心のこもった文章と、製品の美しさをより引き立てる写真にどうぞご期待ください。充実の音楽欄もお忘れなく。
     *
まったくのコピー・アンド・ペーストで、こういう資料をつくっていながら、
この文章には《心のこもった文章》とある。

もっともオーディオ評論家諸氏とあるから、
ステレオサウンド編集部は違うということなのかもしれない。

そして、媒体効果(出稿のメリット)を読んでほしい。
     *
広告対象品としては、オーディオ、音楽ソフト関係製品のほか、高付加価値商品や伝統格式のる商品、デザイン性、実用性に優れた製品やサービスが効果的。例) クルマ、時計、カメラ、海外旅行、ブランド品など。
     *
《高付加価値商品や伝統格式のる商品》とある。
2014年版にも、そうあったので、その時から入力ミスだな、と気づいていた。

まぁ、でも、入力ミス、変換ミスに関しては私もそうとうなものだから、
この点に関しては触れないでいた。

でも、2020年版にも、そのまま《高付加価値商品や伝統格式のる商品》とある。
これが、ステレオサウンド・クォリティなのだろうか、とついいいたくなってしまう。

Date: 9月 15th, 2020
Cate: 老い

老いとオーディオ(とステレオサウンド・その2)

別項で何回か触れているstereosound_mediaguide_140401。
ステレオサウンドのウェブサイトで六年ほど前に公開されていたPDFのことである。

ファイル名にmediaguideとあるから、ステレオサウンド・メディアガイド(PDF)としよう。
いまは公開されていないようである。

ステレオサウンド・メディアガイド(PDF)は2ページだけの内容だが、
クライアント向けにつくられたことは、媒体プロフィールとして、
 ■創刊 1966 年11 月
 ■発売日 季刊:3月、6月、9月、12 月の上旬
 ■発行部数 5 万部
 ■判型 B5判/タテ組/右開き
 ■価格 2,000 円(税別)
以上のことがまずあり、
さらに広告料金表まで載っていることからも明らかである。

なぜこういうものを、読者の目にとまるところで公開していたのか、
いまも不思議でならない。
しばらくのあいだ公開されていたから、単純ミスによるものではないだろう。

リンクできるようにしていたので、ダウンロードされた人もいるはず。
私もダウンロードしている。

六年前のものとはいえ、読者プロフィールは興味深い。

年齢構成比、職業、収入、住まい、システム総額、小誌購入の六項目の円グラフがある。
この読者プロフィールのところには、こう書いてある。
     *
読者は40 歳から60 歳代の比較的年収の多いビジネスマンが中心。
持家率も高く、オーディオライフを機器だけではなく、部屋を含めた環境づくりとして大切に考える。購買意欲も高く、友人、知人にも大きな影響力を与えるマーケットリーダー的存在ともいえる。高付加価値商品への千里眼をもち、商品の歴史や伝統、デザイン、質感、実用性にもこだわりをもつ。
オーディオ以外の趣味には、クルマ、カメラ、時計、生演奏鑑賞、ホームシアター、パソコン、グルメ旅行、ワイン、などがある。
     *
私が、個人的に突っ込みたいのは《友人、知人にも大きな影響力を与えるマーケットリーダー的存在》、
《高付加価値商品への千里眼をもち》のところである。
ほんとうに、こういう人ならば、ステレオサウンドを読む必要はないはずである。

千里眼を持っているのだから。
(蛇足ながら付け加えておけば、ここでの発行部数は公称発行部数ということ)

それはともかくとして、年齢構成比を見てみよう。
 19才未満 2%
 20〜29才 3%
 30 〜39才 11%
 40〜49才 21%
 50〜59 才 26%
 60 〜61才 28%
 70〜79 才 7%
 80 才以上 2%

ステレオサウンド 47号(1978年夏号)の特集、
ベストバイの読者アンケートの結果である。
 10〜15才:5%
 16〜20才:15.7%
 21〜25才:28.9%
 26〜30才:29.4%
 31〜35才:9.6%
 36〜40才:5.7%
 41〜45才:3.9%
 46〜50才:1.9%
 51〜55才:1.1%
 56〜60才:0.5%
 61才以上:0.2%
 無記入:1.2%

調査方法の違いはあるとはいえ、この二つの結果は、まさに実情といえよう。

Date: 9月 14th, 2020
Cate: 老い

老いとオーディオ(とステレオサウンド・その1)

1966年に創刊したステレオサウンドは、2016年に創刊50年を迎えた。
今年は2020年。六年後の2026年には創刊60年になる。

そのとき、いまのレギュラー筆者、
いいかたを変えれば、ベストバイ、ステレオサウンド・グランプリの選考委員の人たちは、
いったいいくつになっているのかを、ちょっと想像してみてほしい。

柳沢功力氏は88歳、傅 信幸氏は75歳、黛 健司氏は73歳、
三浦孝仁氏と小野寺弘滋氏が何年生れなのかははっきりと知らないが、
私よりも少しだけ上のはずだから、63歳よりも上になっている。

みな健在であれば、
六年後のベストバイ、ステレオサウンド・グランプリの選考委員をやっているはずだ。

私が最初に手にして読み始めたステレオサウンドは41号だから、
この時、菅野先生、長島先生、山中先生は44歳で、瀬川先生は41歳だった。

私は13歳で、それがいまでは57歳だから、みなそれだけ齢をとるわけだが、
それにしても41号のころのレギュラー筆者の平均年齢と、
いまのレギュラー筆者の平均年齢の差は、やはり大きすぎないだろうか。

だからといって、いまのレギュラー筆者(選考委員)は年寄りばかりで、
ダメだなんていうよりも、
このことを異状と感じてない人たち(つまりはステレオサウンドの読者)がいることこそ、
実のところ異状だといいたいのだ。

趣味の雑誌で、こういう例は他にあるのだろうか。

書き手の平均年齢が年々高くなっていく。
そのことを、記事の内容が円熟している、といいながら喜ぶのか。
それが当然のこと、と受け止めるのか、
それとも異状なこととして危機感を、どこかにもって読むのか。

Date: 9月 7th, 2020
Cate: 老い

老いとオーディオ(若さとは・その6)

なりたいオーディオマニアになれたのか。

何者か、と問われて、オーディオマニア、と答える私だから、
オーディオマニアになっているわけだが、
そこでの「オーディオマニア」とは、
オーディオに興味をもちはじめたころに、
なんとなくではあってもイメージしていたオーディオマニア像、
そこに近づけたのか、それになれたのか、
という意味での「なりたいオーディオマニアになれたのか」である。

なれたかな、と思うところもあるし、そうでもないかな、とも思うわけで、
選択肢は、つねにいくつかある──、
あの時、別の途を選んでいれば……、とおもう瞬間がまったくない人はいるのだろうか。

それでも、とおもう。
以前書いたことのくり返しになるが、
選べる途もあれば、選択肢として目の前にあっても、
選べない途もある。

それは選ばなかった途とは、当然ながら違う。

Date: 9月 4th, 2020
Cate: 老い

老いとオーディオ(齢を実感するとき・その20)

9月2日のaudio wednesdayでの、
コーネッタで聴いたカラヤンの「パルジファル」は、いくつかのことを考えさせた。

この日と同じシステムで、同じ使いこなしを、
20代のころの私がやったとしよう。

クォリティ的には、この日の音とそう変らない音を出せる自信はある。
それでも20代の私が、「パルジファル」をかけて、
これほど、いい感じで鳴らすことはできなかった、と思う。

20代のころの私は、その前にカラヤンの「パルジファル」をかけなかった、とおもう。
もっと、他にうまくなってくれるディスクを選んだだろう。

7月のaudio wednesdayでは、クナッパーツブッシュの「パルジファル」をかけた。
8月は「パルジファル」はかけなかった。
9月が、カラヤンである。

常連のHさんは、カラヤンの「パルジファル」の感想として、
「静謐の中から立ち上る感じ」と、あとで伝えてくれた。

物理的なS/N比の高さ、ではない。
もちろん、物理的なS/N比も、ある程度は保証されていなければならないのだが、
それだけでは、静謐の中から、とはなってくれない。

なにかが必要なのであった──、というよりも、
何かが求められるようも感じている。

「パルジファル」が鳴る。
齢を実感するとき、である。
けれど、ここにはネガティヴな意味はない。

Date: 8月 19th, 2020
Cate: 老い

老いとオーディオ(若さとは・その5)

むき出しの才能、
むき出しの情熱、
むき出しの感情、
これらをひとつにしたむき出しの勢いがあってこそ、スピーカーからの音と徹底的に向きあえる。

むき出しをよしとしない人がいる。
それはそれでいいけれど、そういう人はオーディオマニアではない。

音に関心があっても、オーディオマニアとは呼べない人のことだ。

老成ぶるオーディオマニアがいる。
私は、そんな人が嫌いだ。

老成ぶることで、人とは違うのだ、とアピールしたいのか。
老成ぶる人に、むき出しの勢いを感じることはない。

むき出しの才能、
むき出しの情熱、
むき出しの感情、
これらがないわけだ。

むき出しになっていないだけだろうか。
もとから才能も、情熱も感情もないのだろう。

《オーディオでしか伝えられない》ことを持っていない人たちなのだから。
《オーディオでしか伝えられない》ことを持っている人ならば、
なにかがむき出しになっていくものだ。

Date: 8月 16th, 2020
Cate: 老い

老いとオーディオ(齢を実感するとき・続番外)

20年前の、いまごろの時間にaudio sharingを公開した。

20年経ったという実感があるのか、といえば、
あるといえるし、そうでもない、と曖昧な感じだ。

5月には公開できるようになっていた。
けれど、お金が文字通り尽きてしまって、8月になってしまった。

1999年暮に仕事をやめて、audio sharingづくりにとりかかった。
ずっとひきこもって作業をやっていた。
傍から見れば、バカなことをしている──、だったろう。

なんとかなるさ、という甘えは考えは持たない方がいい、とそれだけはいえる。

その10年後に、瀬川先生の電子書籍をつくりたくて、
また仕事をやめて数ヵ月ひきこもっていた。

この時も、なんとかなるさ、とちょっと思っていた。
現実は、なんともならないだけである。

それからまた10年。
なんともならないのは、はっきりとわかっているけど……。

Date: 7月 24th, 2020
Cate: 老い

老いとオーディオ(齢を実感するとき・その19)

孔子の論語が頭に浮ぶ。

子曰く、
吾れ十有五にして学に志ざす。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳従う。
七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。

「人は歳をとればとるほど自由になる」とは、
「七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず」でもあるのだろう。

「心の欲する所に従って、矩を踰えず」といえる音を出せた時に、
音楽の聴き手にとっても、バッハが友達となってくるような予感がある。

Date: 7月 24th, 2020
Cate: 老い

老いとオーディオ(齢を実感するとき・その18)

「人は歳をとればとるほど自由になる」
内田光子は、あるインタヴューでそう語っていた。

YouTubeに「Play with Gulda」というタイトルの動画がある。

グルダの二番目の妻、祐子グルダが「今の友達はバッハ」と語っている。
この動画の撮影時、祐子グルダは73歳。

内田光子は、70でバッハを、と以前語っていた。

「人は歳をとればとるほど自由になる」からこそ、バッハが友達となってくるのか。

Date: 7月 23rd, 2020
Cate: 老い

老いとオーディオ(齢を実感するとき・その17)

「これでいいのだ」と、
10代の私、20代の私、30代の私、40代の私、
そしていま50代の私がそういったとしよう。

「これでいいのだ」は、たったこれだけで完結している、といえる。
だからといって、それぞれの年代の私の「これでいいのだ」が、同じなわけではない。

40代のまでの私は、「これでいいのだ」とはいわなかったし、思わなかったところがある。
それらがあっての、いま考えている「これでいいのだ」である。

いまどきの若い人のなかには、諦観ぶっている人がいないわけではない。
本人は諦観の境地に達している、つもりなのだろうが、
そんな歳で諦観ぶって、どうするの? といいたくなる。
けれど、そんなことを直接言ったりはしない。

それに私と同世代であっても、オーディオを少しばかりかじった程度の人が、
オーディオに対して「これでいいのだ」といったとしても、
その「これでいいのだ」と私の「これでいいのだ」とは、そうとうに意味するところが違う。

心の底から「これでいいのだ」といえる日が来るのかどうかは、なんともいえない。
それでも「これでいいのだ」が芽ばえてきていることだけは否定できない。

Date: 7月 22nd, 2020
Cate: 老い

老いとオーディオ(齢を実感するとき・その16)

天才バカボンのパパの口ぐせ「これでいいのだ」が、
この一ヵ月、頭のなかで何度もリフレインしている。

「天才バカボン」のアニメは、同時代に見ていた。
もう五十年ほど前のことだ。

主題歌でも「これでいいのだ」がくり返される。
当時、同級生もよく「天才バカボン」の主題歌を口ずさんでいた。

とはいえ、小学生に「これでいいのだ」がもつ意味がわかっていたわけではない。
大人になったころには「これでいいのだ」は忘れていた。

オーディオという趣味の世界は、ある意味「これがいいのだ」といえる。
「これがいいのだ」と「これでいいのだ」の違いを、そのころ考えもしなかった。
「これでいいのだ」が、頭から消えてしまっていたともいえたのだから。

なのに「これでいいのだ」という感覚について、いまになって考えている。

「これがいいのだ」、「これでいいのだ」ならば、
もうひとつ考えればなんだろうか。
「これはいいのだ」か「これもいいのだ」だとしたら、「これもいいのだ」だろう。

「これもいいのだ」
「これがいいのだ」
「これでいいのだ」

「天才バカボン」を見ていたころは、将来こんなことを考えるなんて思いもしなかった。

Date: 4月 12th, 2020
Cate: 老い

老いとオーディオ(齢を実感するとき・番外)

二十年前のいまごろも、いまと同じだった。
部屋にひきこもっていた。

誰とも会わない日が続いていたし、
誰とも話さない日も続いていた。

なにをやっていたかというと、1999年末に仕事をやめて、
それからずっとaudio sharingにとりかかっていた。

はじめてつくるウェブサイト。
そのためにはじめて使うアプリケーション。

最初はアドビのGoLiveを使っていた。
けれど、こんなふうにしたい、と思うことが、どうやってもできなかった。
ヴァージョンアップされた。期待した。
けれど、やはりダメだった。

どうやったら、できるのか。
いろんな本を買っては読んでいたけれど、どうも無理なようだ。

ちょうど3月ごろ、マクロメディアのDreamweaverとFireworksが、
バンドル版として、かなり安価で発売になった。

なれないウェブサイトづくり。
ここで、またアプリケーションを変えて、どうにかなるのか。
よけいに大変になるんじゃないか、と思いつつも、試しに、と買ってみた。

そんなことをやっていた時期だから、こもりっきりだった。
今年の8月で、audio sharingを公開して二十年になる。

audio sharingもハタチか、ということは、
それだけ私も同じだけ歳をとっている。