老いとオーディオ(齢を実感するとき・その26)
(その16)、(その17)、(その22)で、
「これでいいのだ」について書いている。
小林秀雄のことばをかりれば、
「これでいいのだ」は、自足する喜びを蔵した思想ということなのだろう。
まだよくわかっていないところも感じているけれど、
少なくとも私にとって、オーディオにおける「これでいいのだ」はそういうことのようである。
(その16)、(その17)、(その22)で、
「これでいいのだ」について書いている。
小林秀雄のことばをかりれば、
「これでいいのだ」は、自足する喜びを蔵した思想ということなのだろう。
まだよくわかっていないところも感じているけれど、
少なくとも私にとって、オーディオにおける「これでいいのだ」はそういうことのようである。
オーディオ機器は工業製品である。
工業製品は、遅かれ早かれいつかは製造中止になる。
これは工業製品の一つの死である。
製造中止になったからといって、
誰も使わなくなるわけではない。
愛着をもって使ってくれる人がいるかぎりは、
そのオーディオ機器は、別の死を迎えているわけではない。
でも、それもいつかは終る日が来る。
ずっと同じ人が使い続けたとしても、その人が亡くなってしまえば、
そこで終る。
もしくはその人が、新しいオーディオ機器を買い替えるために売りに出したら──、
これも一つの死である。
どこかに売られる。
おもにオーディオ店に下取りに出されることだろう。
そこで誰かの目(耳)に留り、その人のもとへ行くことができれば、
復活したといえる。
けれどなかにはなかなか売れずに残ってしまう場合もある。
投げ売りに近い状態での値が付けられて、ぞんざいな扱いを受けるかもしれない。
これも一つの死である。
ずっと誰かのもとで使い続けられていても、
工業製品であるから、いつかは故障する。
故障しても修理ができることもあれば、
長く使っている製品であればあるほど、修理が難しくなることもある。
修理不可能となってしまった工業製品。
これも一つの死である。
工業製品には、こんなふうにいくつもの死があるといっていいだろう。
発売当時、高い評価を得ていたスピーカーであっても、
いつかは忘れられてしまうことが多い。
評価は高くても売れないことも決して少なくない。
そういう製品はかなりの安値で中古店の店頭に並ぶことがある。
多くの人がふり返られない。
けれど、そういうスピーカーを、ふと思い出す人がいたりする。
出逢ったりする。
転売ヤーといわれている買われてしまうのではなく、
そのスピーカーのよさを、きちんと理解している人のところにいくことによって、
そのスピーカーは救われた、といってもいいだろう。
相手は機械である。
そんなふうにすっぱりと割り切ってしまえるのならば、
ずいぶんとラクになるだろうけど、
そうなれる人もいればそうでない人もいる。
私に、いくつかの好きなスピーカーがある。
人気のあったスピーカーばかりではなく、そうでないスピーカーでも、
いまでも好きなモノがある。
そういうスピーカーの一つが、あるオーディオ店に中古として並んでいる。
私は行ったことのない店である。
そこで古い友人が、そのスピーカーの音を聴いて驚いたようだ。
人気のない製品だから、程度のよさにもかかわらず安価である。
また決心していないみたいだが、
きっと友人のところにゆくであろう。
安いから、というだけで、
そのスピーカーを買ってしまう人もいると思う。
それでも、その人がそのスピーカーの良さに気づいて、
オーディオのおもしろさにめざめてくれればそれはそれでいいことだが、
そんなことは実際のところ、そうそう起るとは思っていない。
友人のところに、そのスピーカーがいってくれれば、
工業製品の死から、しばらくは逃れられよう。
1980年4月1日、私は17歳だった。
五味先生が58歳で亡くなられた。
「五味オーディオ教室」からスタートした私にとって、
58歳の五味先生はとても大人のようにおもえていたし、
自分がいつかは58歳になるなんて、まだ想像すらできなかった。
このころの私が考えていたのは、
オーディオの世界で、ということだけだった。
それから四十一年。
今日、五味先生の享年と同じ58になった。
私にとって60歳になることよりも、58歳のほうが重く感じられる。
五味先生と同じ歳になってしまったけれど……、というおもいがある。
五味先生は「私の好きな演奏家たち」に、書かれている。
*
近頃私は、自分の死期を想うことが多いためか、長生きする才能というものは断乎としてあると考えるようになった。早世はごく稀な天才を除いて、たったそれだけの才能だ。勿論いたずらに馬齢のみ重ね、才能の涸渇しているのもわきまえず勿体ぶる連中はどこの社会にもいるだろう。ほっとけばいい。長生きしなければ成し遂げられぬ仕事が此の世にはあることを、この歳になって私は覚っている。それは又、愚者の多すぎる世間へのもっとも痛快な勝利でありアイロニーでもあることを。生きねばならない。私のように才能乏しいものは猶更、生きのびねばならない。そう思う。
*
長生きする才能だけは、五味先生よりももっていそうである。
二日前に、母方の祖母のことを少しだけふれた。
祖母は、母の生みの親ではなく育ての親である。
宮﨑という姓も、祖母から来ている。
母方の祖父は30代なかばで、スキーでの怪我が元で亡くなっている。
そういう事情で母は、宮﨑姓となった。
田舎に住んでいたとき、この祖父の妹、A子さん(母の叔母)が、
年に数回、家に寄ってくれていた。
A子おばさん、と私は呼んでいた。
A子おばさんによると、私は、若くして死んだ祖父にそっくりなのだそうだ。
体形も顔付きも、色白なところもよく似ている、といわれていた。
中学生になり、オーディオに興味をもち、クラシックを聴くようになると、
「どうして、そういうところまでそっくりなの」と驚かれた。
祖父は、当時蓄音器でクラシックをよく聴いていたそうだ。
それまで祖父がクラシックを聴いていたことは、まったく聞かされてなかった。
祖父の享年はとっくに超えてしまっている。
私が「五味オーディオ教室」と出逢ったころ、
周りにオーディオマニアは一人もいなかった。
ここまで音楽とオーディオにのめりこむことになるきっかけと環境があったわけではないのに、
ずっとのめりこんだままである。
ふとなにかの拍子に、なぜオーディオだったのだろう……、とおもうことがある。
祖父のことがあってのオーディオだったのだろうか。
《真実は調査に時間をかける事によって正しさが確認され、
偽りは不確かな情報を性急に信じる事によって鵜呑みにされる。》
タキトゥスの言葉だ。
「五味オーディオ教室」と出逢って、四十四年。
ほんとうにそうだ、と感じている。
12月2日のaudio wednesdayで、
カルロ・マリア・ジュリーニの交響曲第九番をかけた。
三十年前に発売になったCDである。
私のなかでは、古い録音という意識はまったくなかった。
おそらく聴いている人も、古い録音と感じていた人はいなかったのではないか。
もっともジュリーニの第九よりも、もっと古い録音をかけているのだから、
相対的にジュリーニの録音は新しい、と感じていただけなのかもしれない。
鳴らしていた時には思っていなかったことがある。
三十年経っていることの受け止め方である。
私がオーディオに興味を持ち始めた1970年代の後半。
三十年前の録音といえば、1940年代後半のものということになる。
そこまで古くなくてもいいが、1950年代前半としても、これらはモノーラル録音であり、
当時の私(10代半ばごろ)には、かなり古い録音という印象があった。
10代半ばにとって三十年前といえば、それまで生きてきた年月のほぼ倍にあたる。
そういうこともあって、古いと感じたのかもしれない。
いまの私にとって三十年は、人生の約半分ということになる。
そういうことが関係してのことなのか、と思いつつも、
10代半ばの私にとって、三十年前の録音は、
その録音がレコードとして発売になった時に聴いているわけではない。
ジュリーニの第九は、新譜として聴いているわけである。
むしろ、こちらのほうが三十年前の録音を古いと感じなかった理由としては大きいのかもしれない。
どちらにしても三十年前の録音を古いと思わなくなっている自分に気づいたわけだ。
人間、何時死ぬかなんて誰にもわからない。
明日、ぽっくり逝ってしまうかもしれない。
二年ほど前までは、私がくたばったあとに、
誰かがaudio sharingを引き継いでくれたら──、とけっこう真剣に考えていた。
私が明日ぽっくり逝ったとしても、しばらくはaudio sharingは残る。
レンタルサーバーとの契約が終了するまではアクセスできる。
それが過ぎれば消えてしまう。
なんとかしたい、と考えていたけれど、もういいかな、と思うようになってもきている。
残したいという気持はあるが、
同じくらいに私が逝った後は自然消滅でもいいな、とおもうようにもなってきている。
(その16)と(その17)で、「これでいいのだ」のことを書いた。
書いた後に、ふりかえって、20代のころの私は、
「これがいいのだ」だったなぁ、と思っていた。
もっといえば「これこそがいいのだ」でもあった。
たとえばアナログプレーヤー、
EMTの927Dstを買ったときは、まさに「これこそがいいのだ」だった。
私が買った927Dstは、後期のモデルとは少し違い、最初から927Dstである。
よく知られる927Dstは、アルミダイキャスト製デッキは、
927Astと共通だから、デッキ左端にあるクイックスタート・ストップのレバーのところに、
メクラ板で塞いでいる。
私が買ったモデルは、最初からこの穴がない。
それからデッキに、927Dstと刻印されていた。
そういうこともあって、「これこそがいいのだ」と思っていた。
その927Dstも、無職時代に二進も三進も行かなくなり、
他のオーディオ機器を含めて、手離すことになった。
いま思うのは、手離してたからこそ、「これでいいのだ」と思えるようになった、ということ。
あのまま使っていたら、「これこそがいいのだ」を追い求めてることを、
いまも続けていたことだろう。
「これこそがいいのだ」は、オーディオマニアとしてアリだ、と思う。
「これこそがいいのだ」を追求する時期が、あってこそのオーディオマニアだと思う。
それでも、「これこそがいいのだ」は度が過ぎると、いびつになっていくのではないのか。
とにかく若いころの「これこそがいいのだ」があっての、
いまの「これがいいのだ」の心境でもある。
組織の新陳代謝なんてことをいいながら、
新しい人をいれたところで、その人が、いわゆる替えの利く人であったならば、
新陳代謝なんてことは、期待しない方がいい。
替えの利かない〝有能〟な人をいれてこそ、新陳代謝は起こっていくもののはずだ。
けれど、替えの利かない〝有能〟な人は、そうそういるわけではない。
それにそういう人は、いつかふらっといなくなることだって、十分ある。
組織の維持のためには、替えの利く〝有能〟な人を集めた方がいいんだろう。
会社の経営者ならば、そう考えても不思議ではない。
もちろん替えの利かない〝有能〟な人と替えの利く〝有能〟な人、
どちらも雇えれば、それに越したことはないが、そうそううまくいくものではない。
替えの利かない〝有能〟な人だと思って雇ってみれば、
替えの利く〝有能〟な人だってこともあるし、
替えの利かない〝無能〟な人ということもあるだろう。
人を入れ替えただけでは、組織の新陳代謝は起こらない。
起らないから、老いていくだけなのだろう。
菅野先生からこんな話をきいたことがある。
まだステレオサウンドにつとめている時だったから、30年以上前になる。
あるオーディオメーカーが、従来の音から脱却するため、
ブランド・イメージを一新するために、
このメーカーとは異る音を実現しているメーカーから優秀な技術者を引き抜いてきた。
ただ引き抜いてきただけでは、不十分だということで、
設計・開発だけでなく、部品の調達から製造ラインに関しても、
この人にかなりのところまでまかせた、とのこと。
にも関らず実際に出来上ってきたオーディオ機器は、
そのメーカーがそれまでつくってきた製品と同じ音のイメージで、
わざわざ引き抜いてきた技術者が以前在籍していたメーカーの音は、そこにはなかったそうだ。
頭で考えるならば、これだけやれば、そのメーカーの音というよりも、
その技術者が在籍していた以前のメーカーの音になるはず、である。
なのに、結果はそうではなかった。
繰り返すが、これはたとえ話ではなく、実際に、日本のメーカーで起ったことである。
なぜ、そうなったのかは、誰にもわからないのだろう。
結局は、組織の音を、その優秀な技術者(個人)は崩せなかった、ということ。
組織と個人では、つねにそういう結果になってしまうのだろうか。
二年ほど前に、別項でこんなことを書いている。
①替えの利かない〝有能〟
②替えの利く〝有能〟
③替えの利かない〝無能〟
④替えの利く〝無能〟
「左ききのエレン」というマンガに出ていた、会社員の分類だった。
菅野先生の話に出てきた他社の優秀な技術者は、替えの利く〝有能〟な人だったのではないのか。
替えの利かない〝有能〟な人だったならば、その会社の音は変ったのか。
菅野先生の話をきいた時には考えなかったことなのだが、
優秀な技術者が引き抜かれた会社の音は、その後、どうなったのだろうか。
おそらく変化しなかったはずだ。
オーディオ雑誌の編集者も同じだろう。
今年(2020年)は、五味先生の没後40年であり、
来年(2021年)は、生誕100年である。
1921年生れなのは、以前から知っていた。
それでも今年になって、来年100年なんだ、と少し驚いていた。
しかも、その100年の年に、私は五味先生の享年と同じ歳になる。
そのことに月日がずいぶん経ったことを感じてしまう。
七年前に「石岡瑛子氏の言葉」を書いている。
スイングジャーナル 1979年1月号に新春特別座談会として、
「ジャズを撮る」というタイトルで、石岡瑛子氏、操上和美氏、内藤忠行氏、武市好古氏らが、
映像の世界から見た、ジャズという素材について語っている中から、
石岡瑛子氏の発言を引用している。
*
スイングジャーナルは自身で発想の転換を時代の波の中でやっていかなければならない。ゴリゴリのジャズ・ファン以外にもアピールする魅力を持たなければ表現がいつか時代から離れていってしまうでしょう。ジャズというフィールドを10年も20年も前のジャズの概念できめつけているのね。今の若い人たちの間で、ビジュアルなものに対する嗅覚、視覚といったものがすごい勢いで発達している今日、そういう人にとって、今のジャズ雑誌はそれ程ラディカルなものではありません。スイングジャーナルという雑誌の中で映像表現者が果せる力って大きいと想うし、時代から言って必要なパワーなのですね。時代の波の中で、読者に先端的なものを示し、常に問題提起を続ける。それを読者が敏感に感じとってキャッチ・ボールを続けるうちに、誌面はもっとビビッドなものになり得るんじゃないですか。
*
スイングジャーナルの編集部は、石岡瑛子氏の言葉に耳を傾けなかったのか、
それとも理解していなかったのか。
《ジャズというフィールドを10年も20年も前のジャズの概念できめつけている》とある。
1978年11月ごろに座談会は行われているはずだ。
つまり、その後も、10年も20年も変らずだった。
《古いミュージシャンは、変ることなく、安全でわかりやすい、もうくたびれきったことを何度も何度も繰り返して、博物館のガラスの中の陳列物みたいになっている。》
マイルス・デイヴィスが、自叙伝で語っていることだ。
スイングジャーナルは、何度も何度もマイルス・デイヴィスを取り上げていた。
マイルスの、このことばのままの雑誌になっていった。
ステレオサウンドの雑誌にビートサウンドがある。
あった、とすべきかな、と思い、ちょっと検索してみると、
休刊にはなっていないようだし、不定期刊行物扱いのようである。
ビートサウンドの創刊号が出たのは、二十年近く前のことのはずだ。
朝沼予史宏氏が編集長と創刊されたと記憶しているから、そのころのはずだ。
朝沼予史宏氏は2002年12月に亡くなられているから、
ビートサウンドの創刊号だけ携われていたはずた。
そのころまのステレオサウンドでは、クラシックとジャズが、
試聴レコードのメインであった。
ビートサウンドは、そこを突破したいという朝沼予史宏氏のおもいがあったのだろう。
ビートサウンドの創刊号を私は買わなかったけれど、
周りの人たちの評判はかなり良かった。
だから、その人たちは期待もした。
けれど、朝沼予史宏氏不在のビートサウンドは変っていった。
それはしかたないことだったのかもしれないが、
それとともに、ビートサウンドのことが、周りの人たちの話題にのぼることが減ってきた。
創刊号も買わなかったぐらいだから、それ以降の号も一冊も買っていない。
書店で手にとってパラッと眺めるだけか、
オーディオ好きの友人宅に行った時に、そこにあれば少しじっくり読むことはあった。
その程度の読み方(とはいえないけれど)しかしていないのだが、
スイングジャーナル化してきたな、と感じていた。
ここでのスイングジャーナルとは、
売れていたころの、勢いがあったころのスイングジャーナルではなく、
しぼんでいくだけのスイングジャーナルのことである。
出版社とは記事を売る会社で、本という物を売る会社ではない、書いてすぐに、
記事を情報とする人もいるだろうな、と思っていた。
出版社とは情報を売る会社で、本という物を売る会社ではない──
そうだろうか。
記事も情報のうちに含まれる、といえば、否定はしない。
それでも記事と情報を同じに捉えていては、
この二つの境界を曖昧にしたままで、
インターネットに自社サイトを公開しているところがあるように感じている。
インターネット以前は、
海外屋と呼ばれる人たちが、どの業界にもいた、ときいている。
とにかく海外の動向をいち早く知ることが、昔は仕事につながっていっていた。
オーディオの世界も、そういう人たちはいた。
オーディオ評論家と呼ばれている人たちのなかにも、
昔は、海外屋的な人が確かにいた。
音楽評論家のなかにも、海外屋と呼ばれる人は何人かいた。
三浦淳史氏も、その一人であったけれど、
海外屋も、情報だけの人もいれば、三浦淳史氏のように記事(読みもの)として、
読み手に提供してくれる人とに分れていた。
残念なのは、三浦淳史氏のような人が少ないということ。
少なかっただけでなく、情報提供だけの海外屋を求めていた読み手も、
実のところ少なくなかったのではないだろうか。
それはいまも続いているような気さえする。
情報だけでいいんだよ、そんな声があるのか。
いまもSNSで情報提供だけの海外屋的な人を持囃す人たちがいる。
オーディオの世界では、まだまだそうである。
インターネットがこれだけ普及して、
ほとんどの人がスマートフォンをもっている時代であっても、そうである。
スイングジャーナルが売っていたのは、
休刊間際のころに売っていたのは、情報だったのか記事だったのか。
もう情報でもなかった、記事でもなかったのではないだろうか。
フィリップス・インターナショナルの副社長の
「なぜならわが社は音楽を売る会社で、ディスクという物を売る会社ではないからだ」は、
出版社にあてはめれば、
出版社とは記事を売る会社で、本という物を売る会社ではない、ということになる。
スイングジャーナルがなくなってしまったのは、
結局のところ、記事を売る会社ではなく、本という物を売る会社のままだったからなのか。
スイングジャーナルの最終号がいつものままのつくりであったことは、
どういうことなのか。
編集部としては、このまま終らせるつもりはない、
復刊させてみせる、という気持があって、
復刊を信じていれば、あえて通常通りの編集を最終号でもやったのかもしれない──、
そういう見方もできる。
でもアドリブが休刊になる前から、
スイングジャーナル社があぶない、というウワサは耳に入ってきていた。
編集部の人たちは、どうだったのだろうか。
このまま消えてしまうのであれば、特別な労力を必要としない、
いつも通りの編集でいいじゃないか──、
そんなどこか投げやりな気持はなかったのか、とも思ってしまう。
どっちでもいいとも思っている。
もし復刊できたとしても、あのままだっただろうから。
復刊できたとしても、いずれまた休刊してしまう。
本という物を売る会社としての出版社。
スイングジャーナルもそうだし、ステレオサウンドもそうなのだが、
どちらも雑誌がメインの出版社である。
ここでの本とは雑誌のことであり、
雑誌を売る会社とは、売る相手は読者だけでなく、広告主もいるということだ。