オーディオの殿堂(続・感じていること・その4)
《過去を大きな物語として語れる》人ばかりになりつつあるように感じるオーディオの世界。
過去への無知、怠慢、そして忘却が根底にあるのだろう。
でも過去への無知、忘却があるからこそ、仕事してではなく商売として成り立つのだろう。
《過去を大きな物語として語れる》人ばかりになりつつあるように感じるオーディオの世界。
過去への無知、怠慢、そして忘却が根底にあるのだろう。
でも過去への無知、忘却があるからこそ、仕事してではなく商売として成り立つのだろう。
明日(9月4日)発売のステレオサウンド 228号にも、
柳沢功力氏の名前は、ない。
3月発売の226号、6月発売の227号にもなかった。
12月発売の229号にも、ない(と思っている)。
三号続けて柳沢功力氏の名前がないということは、
229号でのステレオサウンド・グランプリの選考委員は辞退されるのだろう。
柳沢功力氏は選考委員長でもあった。
柳沢功力氏の不在は選考委員長の不在でもある。
誰がなるのか。
以前、小野寺弘滋氏がなるのではないか、と書いた。
傅 信幸氏がなると思っている人もけっこういるようだが、
私は小野寺弘滋氏だと考えている。
でも、どちらがなっても……、と思うところがある。
これは私の考えであって捉え方である。
柳沢功力氏の辞退は、いい機会ではないか。
誰かを選考委員長にして、このままだらだらと続けていくのか。
オーディオの想像力の欠如した者は、自己顕示欲を昇華することができない。
2019年3月5日発売のステレオサウンド 210号の第二特集は、
「達人が明かすHi-Res再生の実践テクニック」である。
山之内 正、土方久明、逆木 一の三氏が登場している。
つまり山之内 正、土方久明、逆木 一の三氏は達人ということだ。
このころからとはっきりいえるわけではないが、
いつのころからか、こんなふうにオーディオ評論家を持ちあげるようになってきている。
つい先日も、「評価のプロたち」という表現が音元出版のPhile webであった。
ここでは、小原由夫、土方久明の二氏が、「評価のプロたち」ということだ。
これ以外にもいくつかあるのだが、
なんだか気色悪いものを感じてしまう。
オーディオ機器を評論する人を、なぜ、こんなふうに持ちあげるのか。
そのことに何も疑問を感じないのか。
読み手はどうなのか。
「達人」、「評価のプロたち」、
こんな枕詞がつけられている人のいうこと、書いていることは信用できるということなのか。
いつもはタイトルをまず決めてから本文を書き始めるのだが、
今日は本文を書いたあとで、タイトルをどうしようかと考えた。
新しいタイトルにするのか、これまで書いてきているどれかにするのか。
結局、このタイトルにしたのだが、
「達人」、「評価のプロたち」といった枕詞をなんの抵抗感もなく読んで、
受け入れてしまう人たちは、オーディオ評論家を自分たちの代表と思っているのか。
その代表であるオーディオ評論家が、達人であったり、評価のプロであるということは、
自分たちもそうだ、という意識なのかどうか。
(その7)で触れているChatGPT。
(その7)の時点で、見出しくらいはChatGPTにまかせられるのではないのか──、
そんなことも考えていた。
二日ほど前だったか、ソーシャルメディアを眺めていたら、
ChatGPTに、日経、文春、東スポ風に見出しをつけさせてみた、という投稿があった。
それぞれに日経風、文春風、東スポ風である。
何も破綻していない。
やはり見出しをつけることは、簡単すぎることになっているのだろう。
見出しのつけ方をアレンジできるくらいなのだから。
オーディオ雑誌の見出しも、いますぐChatGPTにまかせてもいいぐらいだろう。
ChatGPTの使い方によって、いくつもの見出しを作ってくれるから、
編集者の仕事は、その中から選ぶだけ、ということになる。
ChatGPTは、まさしく日進月歩といっていい。
いまは、こんなことを書いているくらいだけど、
半年後には編集作業のいくつかはChatGPTにまかせたほうがクォリティが高くなるくらいには、
なっていてもおかしくない。
一年前からの疑問なのだが、
いいかえるとマジコのM9の重量が発表になったときからの疑問なのだが、
M9は無響室で測定できるのだろうか、という疑問である。
無響室に入ったことのある人、
入ったことはなくても無響室がどうなっているのか知っている人ならば、
あの床(床といっていい構造ではなくフレーム)は、
どこまでの重量に耐えられるのだろうか、と思うことだろう。
454kgと発表されているM9の重量。
無響室は、これだけの重量に耐えられるのか。
耐えられる無響室とそうでない無響室があるだろう。
グランドピアノが無響室に入っている写真を、どこかでみた記憶がある。
グランドピアノよりも重いけれど、ものすごく重いわけでもないから、M9も測定可能なのか。
Kindle Unlimitedで、ステレオサウンド 225号を読んでいて思ったことは、まだある。
224号の染谷 一編集長の編集後記は、なんだったのか、というおもいである。
別項でもすでに引用しているが、
《自分の好みをただ押し付けただけの感想の羅列を試聴記として読まされると、いったい何の目的を持って誰のために書かれた文章なのかと理解に苦しむ》
《プロ意識が欠けたまま書かれた試聴記には何の価値もないと思う。自戒の念を強く込めて。》
とある。
ほんとうに、この編集後記はなんだったのだろう……
別項で、「老いとオーディオ(とステレオサウンド)」というテーマで書いている。
ステレオサウンドそのものが老いていっている、と感じているわけなのだが、
誌面に登場する人たちも老いていっている一方だ。
特に試聴テストを行っている人たちは60より下の人はいない。
このことについては、「老いとオーディオ(とステレオサウンド)」の項で書こうかな──、
と最初は思っていたけれど、ここにしたのは「オーディオ評論家は読者の代表なのか」、
このテーマこそが試聴テストのメンバーの若返りをはからない編集部の意図がある、
そんなふうに考えることもできるからだ。
別項で取り上げているstereosound_mediaguideというPDFがある。
ステレオサウンドの媒体資料である。
それによるとステレオサウンドの読者の年齢構成(2020年時点)は、
19才未満 2%
20〜29才 3%
30 〜39才 11%
40〜49才 21%
50〜59 才 26%
60 〜61才 28%
70〜79 才 7%
80 才以上 2%
となっている。
読者も高齢化しているわけで、
それだからこそオーディオ評論家も高齢化のままでいい、ということなのかもしれない。
そんなことないと信じたいのだが、でもそんなことがありそうなくらいに、
そして心配になるくらいに試聴メンバーの高齢化は放っておかれている。
オーディオ評論家は読者の代表なのだから、若い読者が少ないステレオサウンドにおいては、
オーディオ評論家は読者と同じように高齢化していく方がいい──、
そういうことなのか。
話題になっているChatGPTで、オーディオのことをチャットしてみると、
意外にも、まともな答が返ってくる。
オーディオについて考えることは無駄ですか、ときいてみると、
ChatGPTは、こう答えてくれた。
オーディオについて考えることは無駄ではありません。音楽やオーディオは、多くの人々の日常生活に大きな役割を果たしています。良い音質を享受することは、リラックスした気分やエンターテイメントを楽しむことができます。また、音楽やオーディオに対する理解を深めることは、自分自身の音楽的な好みや音響知識を向上させることにもつながります。しかしながら、音楽やオーディオ以外の活動も大切ですので、バランスよく考えて楽しんでください。
最後の《音楽やオーディオ以外の活動も大切ですので、バランスよく考えて楽しんでください》、
なかなか優秀な答といえる。
ステレオサウンドで働いていたころ、あるオーディオ評論家がいっていたことを思い出す。
試聴は楽しいけれど、そのあとの原稿書きは大変。
試聴メモを入力すると、コンピューターが自動的に文章を書いてくれるようにならないだろうか、
そんなことだった。
1980年代は、こんなことは夢物語だったからこそ、
そのオーディオ評論家も、そんなことを言ったのだろうが、
それから四十年近く経った現在、夢物語ではなくなりつつあるといえるほどに、
おそろしい速度で進歩している。
それこそ試聴メモをスキャンしさえすれば、自動的に試聴記を書き出してくれるようになる。
そんな時代は、意外に近いように感じる。
昨年12月に、韓国の出版グループ・韓国電子図書出版という会社が、
人工知能技術を活用した雑誌を創刊している。
SINGULARiTY(シンギュラリティ)という雑誌で、
編集者、デザイナーが一人、もしくは全く必要としない雑誌づくり(編集)を目指す、とのこと。
最終的には人間の編集者不要の雑誌ということになる。
ステレオサウンドの読者は、
オーディオアクセサリーなんて、といって読まないのだろうか。
オーディオアクセサリーの読者も同じように、
ステレオサウンドなんて、といって読まないのだろうか。
二誌とも読む人のほうが多いように思っているけれど、実際のところはどうなのか。
こんなことを、いまさら書いたのは、
オーディオアクセサリーとステレオサウンドでのパラダイムのスピーカーの取り上げ方に、
かなりの温度差を感じたからである。
この項で書いているように、オーディオアクセサリー(いうよりも音元出版)は、
パラダイムのスピーカーを積極的に取り上げている。
パラダイムのスピーカーシステムを聴いていないので、
その音、実力については何も語れないのだが、
聴いた友人は、優秀なスピーカーだよ、といっていた。
そうなのだろう、とは思っている。
優秀なスピーカーなのだろうが、ステレオサウンド 225号を眺めていると、
ベストバイで写真つきで掲載されているのは、Persona Bだけである。
それも、小野寺弘滋、傅 信幸、三浦孝仁の三氏が星一つで、計星三つだけ。
他のモデルも星を獲得しているが、星の数が少なくて、
写真もコメントもなしの扱い。
オーディオアクセサリー、ステレオサウンド、
それぞれの編集方針の違いから、こういう違いが生じるのか──。
素晴らしいスピーカーシステムであれば、ここまでの違いは生じないのではないか。
オーディオアクセサリーの、というだけでなく、
輸入元のPDNの、ということも含めてあからさまなやり方が目立つだけではないのか。
あと二週間足らずで、オーディオアクセサリーの春号が発売になる。
そこでもパラダイムのスピーカーは、かなりのページを割いて取り上げられているのか。
ステレオサウンド・グランプリは、ステレオサウンドのいわば看板記事のはずだ。
ステレオサウンド・グランプリをおもしろい、おもしろくない、
どう感じるかは別としても、看板記事であることには違いない。
なのに、どうしてなのだろうか、と、
Kindle Unlimitedで、ステレオサウンド 225号を読んでいて思った。
ピリウムのHerculesが選ばれている。
小野寺弘滋、三浦孝仁、山之内 正の三氏が書かれている。
三氏とも、書き始めはほぼ同じである。
ピリウムがギリシャの会社(ブランド)であること、
2014年に創業したことが書かれてある。
誰か一人が書けば済むことである。
というよりも、ピリウムは225号、つまり同じ号で紹介されているから、
そこでも同じことが書かれているわけで、
そういったことはステレオサウンド・グランプリでは省いても問題ない。
なのに三氏とも同じことを書くのは、どうしてなのか。
他に書くことがなかったのか。
ステレオサウンド・グランプリの担当編集者は、このことに気づいているのか。
気づいていて、そのまま誌面に載せたのか。
それともまったく気づいていないのか。
(その5)で、
ステレオサウンドの編集部の全員、照らし合せることをしないのか。
していないのであれば、編集者ではなく、編集捨になりつつある……、
そんなことを書いたが、看板記事でもそうなっているのか。
ステレオサウンド 69号でのJr.さんのExclusive 2401twin、
というよりも、Exclusive 2401twinに搭載されているTADのユニット群へのおもいは、
深く強かったわけで、だからこそ、Jr.さんはExclusive 2401twinをとびきりよく鳴らしたい──、
そういう気持があった、と思っている。
その意味で、89号でのKHさんのマッキントッシュのXRT18へのおもいもそうである。
二人とも、そこに悪意はなかった。
けれど、Jr.さんはExclusive 2401twinを、
KHさんはXRT18を、よく鳴らしたいという気持は、
他のスピーカーよりもよく鳴らしたい、であったはずだ。
それは善意ではない。
こういう試聴におけるオーディオ雑誌の編集者の善意とは、
すべての機器をきちんと鳴らす、ということであって、
ある特定の機種をよく鳴らす、ということではない。
善意の履き違えが、69号と89号での結果を生んだ、と私はいまも思っているし、
この二つの例も、編集者の悪意につながっていくことだともおもっている。
オーディオの想像力の欠如した者には、
ワルター・ギーゼキングがいう《聴覚の体系的な訓練》は無理なのかもしれない。
ここで一つの例として挙げているステレオサウンド 87号での、
マッキントッシュのXRT18のヴォイシングの失敗。
これによく似た例が、もう一つあった。
69号の特集「超大型スピーカーの魅力的世界」であったことだ。
この特集は、タンノイのウェストミンスター、
エレクトロボイスのパトリシアンII、JBLの4355、UREIのModel 813B、
ダイヤトーンのDS5000、パイオニアのExclusive 2401twinを集めての、
試聴と組合せの記事だ。
XRT18と同じようなことはExclusive 2401twinの時に起った。
このときの編集者で、Jr.さん(Nさん)はTADのユニットにベタ惚れだった。
それまでJBLの高能率型ユニットにぞっこんだった人が、TADのユニット、
そして設計者の木下正三氏に急速に惹かれていった。
Exclusive 2401twinの番になったとき、
Jr.さんの心境は、89号のKHさんの心境に近かったのかもしれない。
なのに鳴ってきた音は奇妙な音だった。
1983年のころだから、こまかいことがすこしあやしくなってきているが、
最初にExclusive 2401twinに接続したパワーアンプは、
ソニー・エスプリのTA-N902だったと記憶している。
TA-N902は130W+130Wのステレオパワーアンプだが、モノーラル接続で400Wになる。
この時、なぜかTA-N902の背面のスイッチがMONOポジションになっていた。
たしかスピーカーケーブルの接続はJr.さんだった。
彼が意図的に、こんな接続をするわけがない。
それでもなぜかそうなっていた。
その音が第一声だった。
間違った接続で鳴らしたわけだから、奇妙な音になって当然。
すぐさまどこか間違っているはず、ということで接続をチェックして、試聴が再開した。
89号のXRT18とは違い、その後の試聴は問題なく進んだ。
けれどJr.さんの落ち込みようは、いまもはっきり憶えている。
オーディオの想像力の欠如した耳は、正確な音、精確な音は聴きとれても、
もうひとつの(せいかく)な音、誠確な音は聴きとれない。