オーディオにおけるジャーナリズム(リーダーとマネージャー、それに組織・その6)
ステレオサウンド・グランプリは、ステレオサウンドのいわば看板記事のはずだ。
ステレオサウンド・グランプリをおもしろい、おもしろくない、
どう感じるかは別としても、看板記事であることには違いない。
なのに、どうしてなのだろうか、と、
Kindle Unlimitedで、ステレオサウンド 225号を読んでいて思った。
ピリウムのHerculesが選ばれている。
小野寺弘滋、三浦孝仁、山之内 正の三氏が書かれている。
三氏とも、書き始めはほぼ同じである。
ピリウムがギリシャの会社(ブランド)であること、
2014年に創業したことが書かれてある。
誰か一人が書けば済むことである。
というよりも、ピリウムは225号、つまり同じ号で紹介されているから、
そこでも同じことが書かれているわけで、
そういったことはステレオサウンド・グランプリでは省いても問題ない。
なのに三氏とも同じことを書くのは、どうしてなのか。
他に書くことがなかったのか。
ステレオサウンド・グランプリの担当編集者は、このことに気づいているのか。
気づいていて、そのまま誌面に載せたのか。
それともまったく気づいていないのか。
(その5)で、
ステレオサウンドの編集部の全員、照らし合せることをしないのか。
していないのであれば、編集者ではなく、編集捨になりつつある……、
そんなことを書いたが、看板記事でもそうなっているのか。