Archive for category ショウ雑感

Date: 8月 11th, 2021
Cate: ショウ雑感

2021年ショウ雑感(その20)

11月のインターナショナルオーディオショウの開催まで三ヵ月を切った。
いまのところ中止の発表はないから、やるのだろう。

それでも、ほんとうにやるの? と思っている。
やるにしても、どこまで徹底してやる(やれる)のか。

来場者は事前予約のみ、ということだけは発表になっている。
この事前予約も、二回のワクチン接種ずみの人だけという制約をつけるのか。

検温もやるはずだが、マスクの種類も受付でチェックするのだろうか。

それ以上に、実際にどうやる(対処する)のだろうか、と思うのは、
各ブースの入場者の制限である。

基本的には各ブースの出展社がやるのだろうが、
それだけでうまくいくとは到底思えない。

ブースによって混んでいるところ、そうでないところ、空いているところがあり、
混んでいるブースにしても時間帯(イベント次第)で空いていることもある。

それにブースへの入場者を徹底して制限したとしたら、
廊下に人が溢れることになるのではないか。
それでいいのか。

結局は主催者である日本インターナショナルオーディオ協議会が主になって、
ブースに入れなかった人たちに対処しなければならなくなるように思える。

日本インターナショナルオーディオ協議会のスタッフと各ブースのスタッフ、
その連携がどれだけ密にとれて、柔軟に対処していかなければ、
会場内のどこか(一箇所とはかぎらない)に密なところができるはずだ。

そうなったら、
各フロアを結ぶ、あの長いスロープに間隔を空けて入場者を並ばせる(待機させる)のか。
出たとこ勝負になってしまうのだろうか。

それとも絶対にそうならない程度に入場者数を制限してしまうのか。

Date: 6月 25th, 2021
Cate: ショウ雑感

2021年ショウ雑感(その19)

大阪ハイエンドオーディオショウは、
インターナショナルオーディオショウの二週間後に開催予定だったが、
今日中止が発表になった。

二年連続の中止である。
インターナショナルオーディオショウが開催を発表しているので、
大阪ハイエンドオーディオショウもやるのか、どうするのか。
開催を期待していた(楽しみにしていた)人は多かっただろう。

大阪ハイエンドオーディオショウは会場がホテルということもあって、
ほとんどのブースが狭い。

いまのところはインターナショナルオーディオショウは開催する方向である。

半年先、どうなっているのか。
正確に予想できる人はいない。

それでもひとついいたいのは、決断と判断は似ているようでいて、違うということ。
三年前に、別項でリーダーとマネージャーについてふれた。

マネージャーは判断できても決断できない。

Date: 6月 15th, 2021
Cate: ショウ雑感

2021年ショウ雑感(その18)

11月に、インターナショナルオーディオショウは開催される。
詳細はまだ発表になっていないが、オンライン配信を行うのだろうか。

入場者の制限は、たぶんあるはずだ。
行きたいけれど、今年はまだ行けない、という方も少なくないと思う。

会場全体の入場制限だけでなく、
各ブースの入場制限も重要になってくる。

そうなると会場にいても、聴きたかったブースに入れなかった、という人が出てくるかもしれない。

こういう状況下での開催は誰も経験していないのだから、
どんなことがおこるのか、事前に完全に把握することはできない。

混乱を少しでも防ぐ意味でも、オンライン配信をやったほうがいいのではないだろうか。
クリアーしなければならない問題がいくつかあるだろうが、
完全なかたちではなくても、試みとしてのオンライン配信をやってほしい。

そう思っている人は、けっこういるかもしれない。

Date: 5月 25th, 2021
Cate: ショウ雑感

2021年ショウ雑感(その17)

インターナショナルオーディオショウは開催されるわけだが、
具体的な詳細はまだ発表になっていない。

アメリカの日本への渡航中止勧告。
インターナショナルオーディオショウは半年ほど先のことだから、
その時どうなっているのかはなんともいえないが、
海外メーカーの人たちのショウへの参加は、例年よりもかなり減るかもしれない。

Date: 5月 19th, 2021
Cate: ショウ雑感

2021年ショウ雑感(その16)

今年のインターナショナルオーディオショウが事前予約のみになることは、
しかたないことではある。他に手はない、とも思っている。

それでも今年の開催は、たまたま会場近くを通りかかった人が、
何かやっている、おもしろいかも、とふらっと寄ってくれることはなくなる。

今年の2月、別項「新月に出逢う」で書いているように、
特に用事はなく、有楽町の交通会館の地階に降りたところ、
偶然にも、クラフトアート創作人形展をやっていた。

そこで、Enという人形作家の、Eleanorという作品に出逢えた。

そこで人形展をやっているとは知らなかった。
ただ、たまたま通りかかったから、である。
そうやっていままで知らなかった人形の世界に、わずかとはいえ興味をもつことになった。

実はそのあとにも、丸の内・丸善の四階で開催されていた人形展にも行っている。
書店で人形の本のコーナーも寄るようになった。

もしクラフトアート創作人形展が事前予約のみでしかなかったら、
人形に興味をもつことはなかった。

オーディオに関しても、同じことはあるはずだ。
ふらっと寄ってみて、こういう世界(オーディオ)があるのか、と目覚める人もいるはず。

そういえば、そういう人がいたことを、以前菅野先生からきいている。
その人は、たまたま国際フォーラムの近くを通っていて、
こんなの(インターナショナルオーディオショウ)がやっている、
ちょっと覗いてみよう、ということで、
これもたまたまなのだが、菅野先生が講演をやられていたタイムロードのブースに入られた。

そこで菅野先生の話に感銘を受け、音を聴いて、一式システムを揃えた、という話だった。

こういう人が来場者のうち、どれだけいるのかといえば、ごく少数のはずだ。
それでもこういう人がいるのだ。
幸運な出逢いをする人が、ごく少数であってもいるのは確かなことだ。

しかたないこととはいえ、今回はそういう機会がまったくなくなる。

ここからはどうでもいい余談なのだが、
今年はインターナショナルオーディオショウが開催される、とわかって、
まず思ったのは、まだ発表になっていないが、
東京オリンピックの中止もしくは延期が決ったのではないか──、
そんなことをつい勘ぐってしまった。

ワクチン接種も進んでいくはず。
そこにオリンピック、パラリンピックが中止か延期になれば、
11月ごろにはコロナ禍もかなりおさまっている可能性がある。

Date: 5月 19th, 2021
Cate: ショウ雑感

2021年ショウ雑感(その15)

日本インターナショナルオーディオ協議会が、
11月5日から7日、国際フォーラムでインターナショナルオーディオショウを開催する、
と発表している。

開催の決定。
素直に喜びたい。

開催の実現にあたって、事前予約になるようだ。
そうだろう、と思う。

けれど事前予約にしても、感染防止の対策はそうとうに大変なことになるはずだ。
そのことは協議会の人たちがいちばんわかっていることだろう。

来場者は、入場パスを首から下げて、だった。
ほとんどの人がきちんと守っていたけれど、
この入場パスひとつとっても、ファッションに強い拘りのある人なのだろうが、
こんなもの下げていられない、という人を何人か見ていた。

会場には警備の人たちがエレベーターの前に立っている。
エレベーターから降りてきた人たちが、入場パスを下げているかもチェックしている。

下げていない人がいた。警備の人が、下げてください、といっていた。
けれど、この人は警備の人に悪態をついていた。

残念ながら、そういう人もインターナショナルオーディオショウには来る。
こんな人に、どう対処するのか。

事前予約の予定のようだが、実際にはどうするのだろうか。
予約は日にちだけのなのか、それとも時間まで、となるのか。
そして人気のあるブースとそうでないブースとがあるのだから、
ブースの入場も予約制とするのか。

入場パスは、予約ごとに色分けするのだろうか。
警備の人たちも、例年以上の人数となるであろう。

マスクをずらす人もきっと出てくる。
マスクをしていては音がわからない、という人が絶対に出てくる。

こまかなことをひとつひとつ徹底しなければならないし、
考えられるかぎりのことを挙げて、対処をしていかなければならない。

当然、経費もかかることになる。
発表では、今年の開催も無料とある。
けれど、こういう状況下でも開催なのだから、
学生は無料で、大人からは入場料をとることを考えてもいいように思う。

Date: 4月 29th, 2021
Cate: ショウ雑感

2021年ショウ雑感(その14)

最近、頭に浮んでくる五味先生の文章は、
「フランク《オルガン六曲集》」のなかの一節だ。
     *
 私に限らぬだろうと思う。他家で聴かせてもらい、いい音だとおもい、自分も余裕ができたら購入したいとおもう、そんな憧憬の念のうちに、実は少しずつ音は美化され理想化されているらしい。したがって、念願かない自分のものとした時には、こんなはずではないと耳を疑うほど、先ず期待通りには鳴らぬものだ。ハイ・ファイに血道をあげて三十年、幾度、この失望とかなしみを私は味わって来たろう。アンプもカートリッジも同じ、もちろんスピーカーも同じで同一のレコードをかけて、他家の音(実は記憶)に鳴っていた美しさを聴かせてくれない時の心理状態は、大げさに言えば美神を呪いたい程で、まさしく、『疑心暗鬼を生ず』である。さては毀れているから特別安くしてくれたのか、と思う。譲ってくれた(もしくは売ってくれた)相手の人格まで疑う。疑うことで──そう自分が不愉快になる。冷静に考えれば、そういうことがあるべきはずもなく、その証拠に次々他のレコードを掛けるうちに他家とは違った音の良さを必ず見出してゆく。そこで半信半疑のうちにひと先ず安堵し、翌日また同じレコードをかけ直して、結局のところ、悪くないと胸を撫でおろすのだが、こうした試行錯誤でついやされる時間は考えれば大変なものである。深夜の二時三時に及ぶこんな経験を持たぬオーディオ・マニアは、恐らくいないだろう。したがって、オーディオ・マニアというのは実に自己との闘い──疑心や不安を克服すべく己れとの闘いを体験している人なので、大変な精神修養、試煉を経た人である。だから人間がねれている。音楽を聴くことで優れた芸術家の魂に触れ、啓発され、あるいは浄化され感化される一方で、精神修養の場を持つのだから、オーディオ愛好家に私の知る限り悪人はいない。おしなべて謙虚で、ひかえ目で、他人をおしのけて自説を主張するような我欲の人は少ないように思われる。これは知られざるオーディオ愛好家の美点ではないかと思う。
     *
五年半ほど前、別項でも引用した。
そこでは、SNSで見受けられる、
ここに書かれているオーディオマニアとは真逆の人たちのことをとりあげた。

インターネットの普及が、
自説を主張するだけの我欲のかたまりのような人たちの存在を顕にしただけなのか。
それともインターネットがおよぼす悪影響によって、こういう人たちが生れてきたのか。

さいわいなことに、私の周りにいるオーディオマニアに、そんな我欲のかたまりの人たちはいない。
けれど、インターネットには、そういう人たちをすぐに見つけることができる。

オーディオ雑誌の売買欄をなくせ、と出版社に難癖をつけた販売店も、
こういう人たちと同じであろう。
我欲のかたまりの人たちだと、私は思っている。

《知られざるオーディオ愛好家の美点》は、いまでは珍しくなってしまったのか。
ただ単に、我欲のかたまりの人たちが目立っているだけのことと思いたいのだが、
結局、我欲のかたまりの人たちは、オーディオにどれだけお金と時間を注ぎ込んでいたところで、
音楽を聴いていないのではないだろうか。

《音楽を聴くことで優れた芸術家の魂に触れ、啓発され、あるいは浄化され感化される》ことが、
これまでまったくなかったのか、
それともいつのまにか失ってしまったのか。

Date: 4月 24th, 2021
Cate: ショウ雑感

2021年ショウ雑感(その13)

オーディオ雑誌の広告は、メーカー、輸入元によるもののほかに、
販売店の広告もある。

販売店の広告も、大きく二つに分けられる。
新品を主に扱う販売店と中古オーディオを主に扱う販売店である。

販売店の広告は、いまもステレオサウンドに掲載されているが、
ある時期からすればずいぶん減ってきている。

ある時期、販売店の広告の割合はかなり高かったことがある。
そのころだったはずだ、
ステレオサウンドから売買欄(used component market)が無くなったのは。

あくまでも私がきいたウワサである。
中古を主に扱っている販売店が、ステレオサウンドに苦情を入れたそうだ。
売買欄が、彼らの商売の邪魔をしている、とのことだ。

売上げが低迷していたのだろうか。
売買欄を止めろ、といってきたところがある、ときいている。

それがきっかけとなって、ステレオサウンドから売買欄は無くなった、とのこと。
くり返すが、あくまでもウワサでしかないが、
その話を、そんなことがあったとしても不思議ではないな、と思いながらきいていた。

売買欄は、広告に結びつくわけではない。
いわば読者サービスのページである。
しかも、売りたい人、買いたい人の住所、氏名、電話番号を載せる。

この校正がけっこう手間がかかる。
私がいた時に、電話番号を載せないようにした。
間違いを少しでも減らしたいからだった。

そういうページに、販売店からの苦情というより、いわばいいがかり。
終りにするきっかけになったはずだ。

自分のところの商売が苦しくなると、
そんなところにまで難癖をつけてくる。

コロナ禍はまだまだ続く。
そうなると、売買欄を止めろ、と同じような難癖をつけるところが出てこないとはかぎらない。

Date: 4月 23rd, 2021
Cate: ショウ雑感

2021年ショウ雑感(その12)

三度目の緊急事態宣言が発出される。

真空管オーディオフェアの中止が先日発表になった。
オーディオではないけれど、東京モーターショーも中止が発表された。

規模が違うのだから──、という希望的観測はできなくなりつつある状況だ。
11月開催予定のインターナショナルオーディオショウも、
今年も中止の可能性が高くなってきた、といえる。

今年は日本インターナショナルオーディオ協議会のメンバーがいくつか入れ代った。
新しいメンバーにとっては初のインターナショナルオーディオショウ参加のはずが、
来年になりそうである。

2020年のコロナ禍は、オーディオにどうだったのか。
家にいる時間が増えたことによって、オーディオ熱が高まった人もいて、
意外にも好調だった、という話をきく一方で、反対のことも耳に入ってきている。

ほんとうのところはどうだったのだろうか。

好調だったのは、中古オーディオの売買だった、ともきいている。
メインテナンスを専門としている業者(会社であったり、個人だったり)は、
かなり忙しかったらしい。

昔のオーディオ雑誌には、読者の売買欄があった。
ステレオサウンドにもあった。
いまもあるのは無線と実験ぐらいになってしまった。

いまはヤフオク!を始めとするインターネットでの売買が盛んだから、
オーディオ雑誌の売買欄は必要とされていないのかしもしれない。

けれどステレオサウンドの売買欄は、かなり以前になくなっている。
そのころ、私はステレオサウンドを離れていたので、どういう理由だったのかは、
ほんとうのところは知らない。

それでもウワサはきこえてきていた。

Date: 3月 5th, 2021
Cate: ショウ雑感

2021年ショウ雑感(その11)

(その10)へのfacebookでのコメントに、
日本オーディオ協会の存在意義があるのか、とあった。

OTOTENが二年続けて中止ということになると、
日本オーディオ協会の存在意義は? ということに疑問をもつ人も増えてくるだろう。

インターナショナルオーディオ協議会に関しても、そうなるであろう。

日本オーディオ協会は、
OTOTENというオーディオショウを主催している。
オーディオマニアにとっては、これがいちばん目に入る活動である。

それからJASジャーナルを発行している。
以前は毎月発行されていたと記憶している。
それがいつのまにか隔月刊になっていた。

今年になって季刊になった。
一年間に12冊出ていたのが、いまでは4冊になってしまった。

日本オーディオ協会はfacebookをやっている。
といっても、日本オーディオ協会の投稿は、
その大半がオーディオ関係の記事へのリンクである。

こんなふうに書き連ねていくと、
日本オーディオ協会の存在意義はないのでは? と思われる人もいるだろうが、
その人たちに向って、そうじゃないです、と何かいえるかというと、
私も日本オーディオ協会の活動について、いまどうなんだろう……、という程度のことしか知らない。

なので何もいえない。
日本オーディオ協会のウェブサイトをみれば、
活動の詳細はある程度わかる。

個人会員になるメリットも公開されている。
でも、そこに書いてあるのを読んで、個人会員になろう、と思う人はどのくらいいるのか。

昔、山手線で原宿駅に到着すると、日本オーディオ協会の入っているビルが見えた。
いまはそこにはいない。

Date: 2月 26th, 2021
Cate: ショウ雑感

2021年ショウ雑感(その10)

OTOTENの中止が発表になった。
中止は予想されていたことだから、驚きはない。

昨年は、中止の発表がなされたのは、4月13日だった。
今回の決定は早かった。
そのことがちょっと驚きといえばそうだった。

二年続けての中止。
出展社のなかには、これを機に出展そのものを考え直すところがあってもおかしくない。

オーディオショウに出展することのメリットとデメリット。
これまではあまり深く考えてはいなかった出展社もあったのではないだろうか。

コロナ禍前といまとでは、曖昧にしたままではいけないと考えているところがある、と思う。
そういう会社が出てきたときに、日本オーディオ協会はどう対応するのだろうか。

Date: 2月 8th, 2021
Cate: ショウ雑感

2021年ショウ雑感(その9)

日本オーディオ協会と、
日本インターナショナルオーディオ協議会による試聴室の運営は、
ほんとうに実現してほしい、と思っているが、
現実にはなかなか進まないであろう。

日本インターナショナルオーディオ協議会の前身、
輸入オーディオ協議会と輸入オーディオショウの発足には、
菅野先生の尽力があった。

いまのオーディオ業界で、リーダーショップを発揮できる人がいるだろうか。
オーディオ評論家(商売屋)でも、
オーディオ漫談家でもどちらでもいいが、
こういう時こそ、オレがリーダーになる、という人は現れないのか。

Date: 2月 7th, 2021
Cate: ショウ雑感

2021年ショウ雑感(その8)

オーディオショウは、今年も無理なような気がする。
来年はどうなるのか。

開催できるようになったとしても、
また数年後、十年後かに今回のような事態が発生することだって考えられる。

そうなった時に、ただ中止にするだけなのか、と思う。

日本には日本オーディオ協会と日本インターナショナルオーディオ協議会がある。
いうまでもなくOTOTEN(日本オーディオ協会)、
インターナショナルオーディオショウ(日本インターナショナルオーディオ協議会)だ。

この二つの団体が協力して、
東京のどこかに試聴会を開催できるスペースを設けることはできないのか。

オーディオショウのような大規模な開催は、不安定な先行きだからこそ、
小規模の開催も行ってほしい。

それぞれの団体が主催の試聴会だけでなく、
各メーカー、各輸入元による開催、
さらにはオーディオ雑誌の出版社による開催。

月に十回程度の試聴会を行うことは、そんなに難しいことなのだろうか。

Date: 1月 23rd, 2021
Cate: ショウ雑感

2021年ショウ雑感(その7)

(その5)で、
才能ある人が、オーディオ評論家(職能家)を目指して、
この世界に入ってくることがなくなってくる、と思うと書いた。

書きながら、思っていたことがある。
いまのオーディオ業界は、才能ある人を欲しがっていないのではないか、と。

新しい才能、優れた才能の人が現れないか、とか、欲しい、などと口ではいう。
けれど本心は、そうなのだろうか。

オーディオ評論家(職能家)のいない、いまの時代はどんぐりの背比べである。

みんなどんぐりだから、外から見ている人のなかには、
どんぐりだということに気づかないのかもしれない。

そこにオーディオ評論家(職能家)を目指せる、期待できる人が入ってきたとしよう。
その人は、はっきりとどんぐりではない。

どんぐりの集団に、どんぐりではない人(栗)が入ってくれば、
それまでの人たちがどんぐりであったことが、多くの人にばれてしまうことになる。

そうなって困るのは、どんぐりの人たちだ。
いまさらどんぐりから栗へと変ることは無理だろうから。

いまはオーディオショウだけでなく、オーディオ店のイベント、
さらにオーディオ雑誌の読者訪問記事も、コロナ禍でない状態だ。

これは機会の喪失でもある。

Date: 1月 22nd, 2021
Cate: ショウ雑感

2021年ショウ雑感(その6)

今年のオーディオショウがどうなるのかはなんともいえない。
仮にことも昨年に続き、ほぼすべてのオーディオショウが中止になった、としよう。

オーディオ漫談にふれる機会が、ほぼなくなることでもある。
オーディオショウのブースで、オーディオ評論家と呼ばれている人たちが、
一時間ほど話をしたり音楽をかけたりする。

一般的にはこれを講演と呼ぶのだが、とうてい講演とはいえないレベルばかり、と感じている。
プレゼンテーションにもなっていない。
なんと呼んだらいいのか、不明な人たちの時間がある。

そんななかで、柳沢功力氏と傅 信幸氏の時間は、オーディオ漫談といえる。
揶揄する意図はまったくなく、
柳沢功力氏と傅 信幸氏は、なかなかのオーディオ漫談家である。

私は長岡鉄男氏もオーディオ漫談家だった、と思っている。

オーディオ評論は瀬川先生から始まった、瀬川先生が始めた、といえる。
オーディオ漫談に関しては、長岡鉄男氏から始まった、長岡鉄男氏が始めた、といえる。

長岡鉄男氏は、このことに自覚的だったのではないだろうか。
そんな気がしてならない。

オーディオ評論家と呼ばれている人は、いまではけっこういる。
それぞれのオーディオ雑誌にそれぞれの人たちがいて、ウェブマガジンに書いている人も数えれば、
どれだけいるのか。もうどうでもいいことのように感じている。

オーディオ評論家(職能家)ではなく、
オーディオ評論家と呼ばれている人たちの数は、私にはどうでもいい。

とにかく何人いるのかわからない。
そのなかで、柳沢功力氏と傅 信幸氏はオーディオ漫談家であり、
オーディオショウにオーディオ漫談家は必要な存在だと思っている。