Archive for category 五味康祐

Date: 1月 24th, 2021
Cate: 五味康祐, 瀬川冬樹

カラヤンと4343と日本人(その11)

その10)から半年。
タンノイのコーネッタは喫茶茶会記で六回鳴らしている。
なのに、コーネッタでブルックナーをかけてはいない。

コーネッタは、ブルックナーをどう鳴らすのか。
興味がないわけではない。
それでも、ブルックナーの交響曲よりもコーネッタでとにかく聴きたい曲があった。
それらを優先して聴いた(鳴らした)ので、ブルックナーはまだである。

その9)で、五味先生は、山中先生の鳴らすアルテックを聴いて、
《さすがはアルテック》と感心されている。
ブルックナーの音楽にまじっている水を、見事に酒にしてしまう響き、だからだ。

さすがはアルテックなのだが、
アルテックということはもちろん無視できないが、
山中先生が鳴らされているアルテックだから、ということも大きい。

山中先生の音は何度か聴いている。
けれどブルックナーは聴いたことがない。
アルテックも聴いたことがない。

JBLはどうなのか。
4343はどうなのか。

4343は、ブルックナーの音楽にまじっている水を、どう鳴らすのか。
アルテックのように見事に酒にしてしまうのか、
それともタンノイのように水は水っ気のまま出してくるのか。

ふりかえってみると、4343でブルックナーを聴いたことがない。
4343の後継機、4344では数回聴いているが、印象は薄い。

4344で聴いたブルックナーは、やっぱり長いと感じていた。
ということは、ブルックナーの音楽にまじっている水を、
4344は酒にはしなかったのだろう。

ここで聴いてみたい、と思うのは、ヴァイタヴォックスである。
ヴァイタヴォックスは、ブルックナーの音楽にまじっている水をどう鳴らすのか。
すんなりと見事に酒にしてしまうのではないだろうか。

Date: 11月 13th, 2020
Cate: 五味康祐

「三島由紀夫の死」から50年(その1)

今年(2020年)は、ベートーヴェンの生誕250年、
チャーリー・パーカーの生誕100年であるだけでなく、
日本だけでも、デビュー50年を迎える人(ミュージシャン)、グループがある。

なにかのひょうしに、デビュー50年という文字をみて、
この人もそうなんだ、と今年のはじめは何度も思った。

けれどコロナ禍で、予定されていた公演や催し物などは、
多くが中止(延期)になっているはず。

50年といえば、三島由紀夫 没後50年でもある。
50年前は、私はまだ7歳だった。

その日、父と母がニュースを見て、ひじょうに驚いていた記憶があるが、
三島由紀夫の死というニュースに関しては、ぼんやりした記憶しか残っていない。

三島由紀夫の死を強く意識したのは、
五味先生の「三島由紀夫の死」を読んでからだった。

それ以前に、三島由紀夫の小説は、いくつかは読んでいたけれど、
三島事件のことは、まったく頭になかった。

「三島由紀夫の死」を読んで、三島由紀夫の死のことをおもっていた。

2017年1月の「三島由紀夫の死」で、
五味先生の文章の最後のところを引用した。

もう一度、書き写しておこうとおもったが、やめよう。
ほかに書き写したいところがある、
読んでほしいところがある。
     *
五年前、自動車で二人の生命を私は轢いた。その直後に自裁することを私は考えた。「五味は死ぬのではないか?」事故のあと現場検証で、ニュースカメラのフラッシュを浴びながらこの辺でブレーキを踏んだと説明する私を、横で見ていた係り官が言ったそうだ。あのとき私が自殺してもそれほど不自然ではなかったろう。
 その私が死なずに、三島由紀夫は死んだ。彼の割腹を人は意外だというが、五年前に死ななかった私自身も私には意外である。三島君の自殺と、死なない私はその意外性において、少なくとも私の内面では等質だ。むろんこんなことは人には分ってもらえないし、こんなことを誰もわからないほうがいい。でもそれがあるので、三島君の死は、私には二重に衝撃だったのである。
 私の死ななかった理由は自分の口で言うことではないだろう。どう弁解したところで、私はこわくて死ねなかったのである。私は神にすがった。音楽ばかりを聴いた。すぐれた音楽がぼくたちにもたらしてくれる浄化作用に浴さなければ、今のように生き耐えてこられなかったろうと、このことは当時にも書いた。本当に、あの時私を支えてくれたものは文学書ではなく音楽だったから、ブラウン管の三島君を見ていて、どうして音楽を聴いてくれなかったんだろう、きっとそうすれば、今いるようなそんな姿で君は立たずに済んだろうと、私はテレビへ言いつづけていた。
 三島事件そのものに関しては、さまざまな意見や解釈が述べられているが、これについて川端康成先生はどう考えていらっしゃるか、川端先生の発言をみるまでは、ぼくらはこの事件をあげつらうべきではないと私は思っている。文人のこうした節度は今のジャーナリズムには通用しないだろうが、私のこれは気持である。従って三島事件を論じるのではない。私と三島君との心の関わり合いを述べておきたい。
 自動車事故のあと、私の執行猶予を乞う嘆願書が裁判所に出された。その嘆願書に三島君は署名してくれた。そのことがあるので判決のあと彼を訪ねてお礼を言った。今は言ってもいいと思う、この嘆願書は、志賀直哉、川端康成、小林秀雄、井伏鱒二、井上靖、三島由紀夫、柴田錬三郎、水上勉、亀井勝一郎、保田與重郎の諸氏の連署で出されたもので、判決のあと私はお礼を述べて回った。そして詫びを言った。文人として一番いけないことを私はしたからだ。でもこの時の私に或いは晩餐を用意し、或いは他出先からいそいで戻って、対応して下すった方々の私に告げられた言葉の一つ一つを、肝に銘じて忘れない。三島君を訪ねたのは夜になってからだった。三島家にはフランスのカメラマンが何人か来ていて、賑やかに撮影していた。そんな騒ぎから抜け出し三島邸と少し離れた私の車の所まで、彼は送り出してくれた。三島君が礼儀正しい作家であったことは知られている。でもあの時私の置かれている立場へは、どんな対応もできたろう。「死なないで下さいよ」車のそばで三島君はそう言った。三島君とは共通の友人である林富士馬氏の話が出たあとだった。交通事故のあと、訪ねてくれた林君に私は殴りかかったことがある。そういう狂乱に本当は私はいたのだが、そんな私と知って死ぬなと三島君は言ってくれたのだろうか。
     *
「死なないで下さいよ」と言った三島由紀夫、
《三島君のしたことは痛いほど私にはわかった》と書かれている五味先生。

昭和は遠くなった──、
ほんとうにそうなのだろうか。

Date: 10月 18th, 2020
Cate: 五味康祐

五味康祐氏のこと(2021年・その2)

五味先生は12月生れである。
2021年12月に、ステレオサウンド 221号が出る。

221号で、生誕100年記念の記事が載るだろうか。
12月発売のステレオサウンドの特集は、ステレオサウンド・グランプリとベストバイである。

私が編集者だったら、五味先生の特集を組むけれど、
そんなページは割けないのが、いまのステレオサウンドである。

年四冊の一冊が、ステレオサウンド・グランプリとベストバイでとられてしまう。
編集者としてのジレンマを感じないのだろうか。

ステレオサウンド・グランプリとベストバイは、別冊にすれば解決することだ。
それとも五味先生の一冊を、2021年の12月に出してくるのだろうか。

Date: 10月 17th, 2020
Cate: ベートーヴェン, 五味康祐

ベートーヴェン(「いま」聴くことについて・その2)

ベートーヴェンを聴いた、とか、ベートーヴェンを聴きたい、ベートーヴェンを聴く、
こういったことを言ったりする。

ここでの「ベートーヴェン」とは、ベートーヴェンの、どの音楽を指しているのだろうか。
交響曲なのか、ピアノ・ソナタなのか、弦楽四重奏、ヴァイオリン・ソナタ、
それともピアノ協奏曲なのか。

交響曲だとしよう。
ここでの交響曲とは、九曲のうち、どれなのか。
一番なのか、九番なのか、それとも五番なのか。

九番だとしよう。
ここでの九番とは、どの指揮者による九番なのか。
カラヤンなのか、ジュリーニなのか、ライナー、フルトヴェングラー……。

フルトヴェングラーだとしよう。
フルトヴェングラーによる九番は、どの九番を指しているのか。
よく知られているバイロイトの九番なのか、それとも第二次大戦中の九番なのか。

こういうことが書けるのは、オーディオを通してレコード(録音物)を聴くからである。
演奏会で、こんなことはいえない。

東京では、かなり頻繁にクラシックのコンサートが開催されている。
今年はコロナ禍で、来日公演のほとんどは中止になっているが、
ふところが許せば、一流のオーケストラの公演であっても、かなり頻繁に聴ける。

それらのコンサートすべてに行ける人であっても、
演奏曲目は、どうにもならない。
ベートーヴェンを聴きたい、と思っているときに、
運良くベートーヴェンが曲目になっていたとしても、
こまかなところまで、望むところで聴けるわけではない。

その不自由さが、コンサートに行って聴くことでもあるのはわかっている。
それでも録音が残っているのであれば、
オーディオで音楽を聴く、ということは、そうとうに自由でもある。

「ベートーヴェンの音楽は、ことにシンフォニーは、なまなかな状態にある人間に喜びや慰藉を与えるものではない」
と五味先生の「日本のベートーヴェン」のなかにある。
その1)の冒頭でも引用している。

コンサートでは、なまなかな状態にあるときでも、
ベートーヴェンの交響曲を聴くことだってある。

Date: 10月 12th, 2020
Cate: 五味康祐

五味康祐氏のこと(2021年・その1)

五味先生が亡くなられて、今年で40年が経った。
来年は生誕100年である。

Date: 8月 6th, 2020
Cate: 五味康祐

ケンプだったのかバックハウスだったのか(コーネッタで聴いておもったこと)

昨晩のaudio wednesdayの最後には、
バックハウスとケンプのベートーヴェンをかけた。

時間があれば、もっとじっくりと、この二人のベートーヴェンを鳴らしたかったけれど、
気がついたら、時間はそれほど残っていない。

なので、バックハウスの32番を最初から最後まで鳴らした。
そのあとに、ケンプの32番の二楽章だけを鳴らした。

どちらが素晴らしい演奏か、という比較をしたかったわけではない。
二人ともMQAで聴けるようになった。
だから、聴きたかった、という理由だけである。

こうやって鳴らすことが、めったにしない。
クラシック好きの人ならば、同じ曲の聴き比べをする。

ベートーヴェンの32番を一枚しか持っていない、という人は珍しいだろう。
何枚かの32番が、クラシック好きの人のコレクションにはある。

それらをすべてひっぱり出してきて、一度に聴き比べる──、
ということを、私はほとんどしたことがない。

32番も、何枚も持っているけれど、
一度に並べて聴いての印象をもっているわけではなく、
違う日に聴いての、それぞれの演奏(録音)に対しての印象を持っているだけである。

どれがいちばんいいのかを決めたいわけでないのでから、それでいいし、
ずっとそうやってきた。

なので昨晩は、32番の二楽章はたてつづけに聴いた。

五味先生がさいごに聴かれたのは、ケンプだったことは、以前書いている。
昨晩、ケンプを聴いていて、人生の最期には、ケンプを聴きたい、とおもっていた。

だからといって、ケンプの32番をバックハウスの演奏より素晴らしい、と思ったわけではない。
バックハウスの32番は、この世を去ったあとに鳴らしてほしい、とおもっていた。

たぶん、私はこのままずっと独り暮しのままだろう。
くたばったときに、誰かが傍にいてくれるということは、ほぼないだろう。
だから、誰かがバックハウスの演奏を鳴らしてくれるわけではない。

でも、何があるかはわからないのが人生だから、
もしかすると誰かがいてくれるのかもしれない。

そうなったのであれば、ケンプは生きているうちに聴いておきたい。
バックハウスは、死んだあとに鳴らしてくれればいい。
そんなふうに感じる二人のベートーヴェンだった。

Date: 7月 16th, 2020
Cate: 五味康祐, 瀬川冬樹

カラヤンと4343と日本人(その10)

その9)を書いたのは、7月1日。
audio wednesday当日の昼間に書いている。
書いたあとに、喫茶茶会記でコーネッタを鳴らしたわけだ。

鳴らして、その音を聴いて感じたこと、感じたことなどを書いている途中であり、
書いていて気づいたことがある。

ここでのテーマ「カラヤンと4343と日本人」は、
私にとって非常に興味深いテーマであるだけでなく、
なにがしかの結論がまったく見えていない状態で書き始めた。

たいていのテーマは、ぼんやりとだったり、
はっきりとだったりという違いはあるにしても、結論が見えていたり感じられていたりする。
つまり、その結論に向って書きながら筋道を立てている感じでもある。

けれど、ここもそうだが、いくつかのテーマは、書きながら結論を感じよう、見つけようとしている。
だから、手がかり、鍵となることを見つけようともしているところがある。

コーネッタについて、ここまで書いてきていて、ふと気づいた。
「カラヤンと4343と日本人」の、
いわば裏テーマ(裏タイトル)を考えてみる、ということである。

「○○とタンノイと日本人」というテーマ(タイトル)である。
○○のところに、どの演奏家をもってくるのか。

フルトヴェングラーの名前がまっさきに浮んだ。
「フルトヴェングラーとタンノイと日本人」である。

ただ「カラヤンと4343と日本人」では、
4343は、ブランドではなくスピーカーシステムの型番である。

ならば「フルトヴェングラーとオートグラフと日本人」とすべきなのか。
4343とオートグラフでは時代が違う。
同時代のタンノイといえば、アーデンとなるが、
4343とアーデンでは……、と思うところもあるし、
アーデンとなるとフルトヴェングラーではなく、ほかの演奏家か……、とも思う。

まだ考えているところであるが、
裏テーマ(裏タイトル)といえるものが、びしっと決れば、
結論へと一歩近づける予感だけはしている。

Date: 7月 1st, 2020
Cate: 五味康祐, 瀬川冬樹

カラヤンと4343と日本人(その9)

アルテックというスピーカーの音の魅力とは──、
そのことで思い出すのは、ステレオサウンド 16号でのオーディオ巡礼である。
五味先生が、瀬川先生、山中先生と菅野先生のリスニングルームを訪問されている。

このころの山中先生はアルテックのA5に、
プレーヤーはEMTの930st、アンプはマッキントッシュのMC275を組み合わされていた。
     *
そこで私はマーラーの交響曲を聴かせてほしいといった。挫折感や痛哭を劇場向けにアレンジすればどうなるのか、そんな意味でも聴いてみたかったのである。ショルティの〝二番〟だった所為もあろうが、私の知っているマーラーのあの厭世感、仏教的諦念はついにきこえてはこなかった。はじめから〝復活〟している音楽になっていた。そのかわり、同じスケールの巨きさでもオイゲン・ヨッフムのブルックナーは私の聴いたブルックナーの交響曲での圧巻だった。ブルックナーは芳醇な美酒であるが時々、水がまじっている。その水っ気をこれほど見事に酒にしてしまった響きを私は他に知らない。拙宅のオートグラフではこうはいかない。水は水っ気のまま出てくる。さすがはアルテックである。
     *
《さすがはアルテック》とある。
ブルックナーの音楽にまじっている水を、見事に酒にしてしまう響き、だからだ。

五味先生のオートグラフでは《水は水っ気のまま出てくる》。

これは五味先生の聴き方である。
ブルックナーの音楽を熱心な聴き手は、
ブルックナーの音楽に水なんてまじっていない、というかもしれない。

そういうブルックナーの聴き手からみれば、
アルテックこそブルックナーの音楽をきちんと鳴らしてくれるスピーカーであって、
タンノイは酒なのに、時々水にしてしまう──、
そういう捉え方になるかもしれない。

Date: 6月 29th, 2020
Cate: 五味康祐, 瀬川冬樹

カラヤンと4343と日本人(その8)

JBLが積極的に、
それも振幅特性のみのワイドレンジではなく、
多方面からみてもワイドレンジ指向をすすめていたのに対して、
同時代のアルテックは、2ウェイという枠組みのなかでのワイドレンジ化にとどまっていた。

それがアルテックらしい、といえばそうともいえたわけだが、
そのことによってプロフェッショナル、コンシューマーの両方の市場でシェアを失っていった──、
ともいえるわけだ。

JBLは、常に、その時点での技術の粋をきわめようとする姿勢だった。
スピーカーシステムに求められる物理特性を、できるかぎりすべてをベストに整えることを目指していた。
だが、このやり方は、常に前身を続けていくことでもある。

もっともそれが科学技術の産物といえるオーディオ機器なのだから、当然ともいえる。

終点がない。
つまりいつかは古くなる、ということだ。
技術は進歩していく。
必ずしも、すべての面で進歩していくとはいえないところもある。
合理性という面では進歩していても、
性能的にはなんらかわりなくても、音を聴いてみると……、というのは実際にある。

それがオーディオだ、といえるわけだが、それでも技術は進歩していくのだから、
古くなっていくことからは逃れられない。

アルテックは、どうだろうか。
4343の成功に刺戟され,6041という4ウェイ・システムを出してからは、
マルチウェイ化に積極的(濫造)になっていったが、それ以前は、あくまでも2ウェイが基本だった。

2ウェイという枠組みのなかで、個性をつくりあげていた、ともいえる。
だからとおもうのは、(その7)で書いた三人のオーディオマニアは、
若いころアルテックを聴いていたら、はたしてアルテックの魅力に気づいていただろうか、だ。

Date: 4月 11th, 2020
Cate: 五味康祐

続・無題(その12)

「西方の音」と「天の聲」。
これまでは、そのままの意味で受け止めていた。

けれど、ここにきて、
五味先生は、「西方の音」へと向っての旅をされていたように感じてきた。
そして「天の聲」へと向っての旅である。

Date: 4月 1st, 2020
Cate: 五味康祐

ケンプだったのかバックハウスだったのか(40年目の4月1日)

ステレオサウンド 55号の原田勲氏の編集後記には、こうある。
     *
 オーディオの〝美〟について多くの愛好家に示唆を与えつづけられた先生が、最後にお聴きになったレコードは、ケンプの弾くベートーヴェンの一一一番だった。
     *
テクニクスのアナログプレーヤーSL10とカシーバーSA-C02、
それにAKGのヘッドフォンを病室に持ち込まれていた。

これに近いシステムで、今日(40年目の4月1日)に、
ケンプの弾くベートーヴェンの作品一一一を聴いた。

iPHone、メリディアンの218、スタックスのヘッドフォンというシステムである。
五味先生はLPだったが、私はMQAで聴いた。

原田勲氏の編集後記には、こうも記してあった。
     *
先生は、AKGのヘッドフォンで聴かれ、〝ほう、テクニクスもこんなものを作れるようになったんかいな〟とほほ笑まれた。
     *
《ほう、テクニクスもこんなものを作れるようになったんかいな》には、
いい時代になったなぁ、という感慨もあったのではないだろうか。

いい時代になったなぁ、と私はしみじみ感じていた。
私が、今日聴いたシステムも、病室に持ち込める規模だ。
それでいて、どこにも薄っぺらさのない音で、ケンプのベートーヴェンを聴かせてくれる。

ケンプというピアニストの奏でる音と、MQAの本質的なよさは、
互いにソッポを向きあうわけではない。
むしろ、同じ方向の音と響きのようにも感じるから、
よけいにケンプのベートーヴェンが美しくきこえてくる。

いい時代になったものだ。

Date: 3月 31st, 2020
Cate: 五味康祐

ケンプだったのかバックハウスだったのか(番外)

予定していた4月1日のaudio wednesdayの最後にかける曲は、
ケンプのベートーヴェンのピアノソナタにしようと考えていた。

バックハウスにするか、ケンプにするか、迷っていた。
ケンプに決めたのは、MQAでリリースされているからだ。

バックハウスの演奏は、SACDが発売になっているし、
e-onkyoではDSFでリリースされている。

ケンプはflacとMQA(どちらも96kHz、24ビット)である。

MQAがある、
これだけの理由で、ケンプのベートーヴェンの後期のピアノソナタのどれかをかける予定でいた。

結局、明日のaudio wednesdayは止めにしたので、かけることはなくなった。

2026年の4月1日は、水曜日だ。
あと六年、audio wednesdayを続けていたら、この日にケンプのベートーヴェンをかけたい。

Date: 3月 19th, 2020
Cate: 五味康祐, 瀬川冬樹

カラヤンと4343と日本人(その7)

私と同世代、近い世代のオーディオマニアで、
若いころJBLに憧れていた──、そしてJBLのスピーカーを鳴らしている。

けれど、アルテックのスピーカーを、四十代、五十代になって聴いて、
JBLに憧れてはいたけれど、自分が求めていた音は、
JBLよりもアルテックだったのではないか──、
そういう人を、いまのところ三人知っている。

三人が多いのか少ないのかは、なんともいえないが、
この三人のオーディオマニアの気持はわかる、というか、
わかるところがある。

JBLがほんとうに輝いていた時代がある。
その時代を十代のころ、もしくはハタチ前後のころに体験していた人にとって、
アルテックはライバルなのはわかっていても、
輝きは乏しかっただけでなく、輝きを失い始めているような感じさえしていた。

だからこそ、いつかはJBL、と思っていたはずだ。
私もそうだった。

それに、そのころ、少なくとも私が住んでいた熊本では、
JBLを聴く機会は当り前のようにあったけれど、
アルテックのスピーカーとなると、熊本で聴いたことは一度だけだった。

三人のうちの一人は、私よりも少し上だが、
若いころアルテックを聴く機会はなかった、といっていた。
そして、JBLを鳴らしている。

JBLの輝きが強すぎた時代には、
アルテックはくすんでしまったように見えてしまっていた。

聴く機会がなかった、少なかった、ということは、
オーディオ業界全体も、そんなふうに見ていたのかもしれない。

けれど四十代、五十代になって、何かの機会でアルテックの音を聴く。
そこで、もしかすると……、と思ってしまった人を、三人知っているわけだ。

Date: 3月 19th, 2020
Cate: 五味康祐, 瀬川冬樹

カラヤンと4343と日本人(その6)

私と同世代のオーディオマニアにとって、
JBLというスピーカーは、輝いて見えていた。

もちろんアンチJBLの人が少なからずいるのは、
アンチ・カラヤンの人が少なからずいるのと同じかもしれない。

1970年代後半、中学生、高校生だった私の目には、
JBLのスタジオモニターだけでなく、
パラゴンも、過去のモデルとはなっていたがハーツフィールドも、
なにか特別な存在のように映っていた。

JBLのライバル的スピーカーメーカーといえるのが、
アルテックとタンノイだった。

同じアメリカのスピーカーメーカー、それも西海岸のメーカーであり、
その成り立ちをたどっていくと、どちらも同じウェスターン・エレクトリックにたどりつく。

JBLとアルテックは、確かに、あの当時ライバル同士だった。
JBLが4343、4350などのスタジオモニターを出していたころ、
アルテックはどうだったかというと、プロ用としてはA5、A7が現役モデルであったし、
604-8Gを搭載した620、612などだった。

輝いて見える、という点では、
JBLがアルテックよりもはるかに上だった。

私と同じようにそう見ていた人は少なくない、はずだ。

アルテックは、4343の成功に刺激されてだろう、
604-8Hを中心とした4ウェイのスタジオモニター6041を出してきた。

アルテックらしい、といえるし、おもしろい製品ではあったが、
4343ほどの完成度というか、洗練されていたスピーカーではなかった。

4343には4341というモデルがその前にあったし、
上級機として4350があったのだから、6041とはベースが違う。

6041はII型になったが、
4341が4343になったような変更ではなかった。

Date: 2月 8th, 2020
Cate: 五味康祐, 瀬川冬樹

カラヤンと4343と日本人(その5)

五味先生、瀬川先生、
ふたりとも結局同じことをいわれている。

五味先生はHBLの4343とタンノイのコーネッタ、
瀬川先生は4343とロジャースのLS3/5Aにおいて、である。

五味先生はJBLに《糞くらえ》と、
瀬川先生は《蹴飛ばしたくなるほどの気持》と。

あのころのJBLのスタジオモニターの最新モデルの4343の実力を認めながらも、
クラシックにおける響きの美しさが、鳴ってこないことを嘆かれている。

コーネッタにしてもLS3/5Aにしても、
4343からすれば、価格的にかなり安価なスピーカーだし、大きさも小さい。

4343を本格的なスピーカーシステムとして捉えれば、
コーネッタもLS3/5Aも、そこには及ばない。
だからこそ、《あの力に満ちた音が鳴らせないのか》と、瀬川先生は書かれているわけだ。

《クラシック音楽の聴き方》は、五味先生、瀬川先生はもう同じといっていいはずだ。
けれど、そこから先が違っている、というのだろうか。

正直、こうやって書いていても、よくわからないところもある。
五味先生と瀬川先生が、
「カラヤンと4343と日本人」というテーマで対談をしてくれていたら──、
そうおもうこともある。

けれど、そういう対談は、どこにもない。
ない以上、考えていくしかない。

カラヤンと4343。
指揮者とスピーカーシステム。
けれど、どちらもスターであったことは否定しようがない。

アンチ・カラヤンであっても、
アンチJBLであっても、
カラヤンはクラシック界のスターであったし、
4343も、少なくとも日本においてはスター的存在であった。