Archive for category デザイン

Date: 7月 5th, 2017
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(JBL S106 Aquarius 2・その2)

インターネットの普及前と後との大きな違いを実感できるのが、
こういうときである。

以前はS106 Aquarius 2について、それ以上のことを知りたいと思っても、
なかなか困難だった。
いまやGoogleですぐさま情報が得られる。
文字だけの情報だけでなく、当時見たかったと思っていた写真、
それもカラーで、こまかなところまでの写真が、指先を動かすだけでみることができる。

その意味では、いい時代になった、と思う。

日本でJBLのAquariusシリーズといえば、よく知られているのはS109 Aquarius 4である。
このあとにL120 Aquarius Qが登場している。

Aquariusシリーズはまず五機種発表されている。
Aquarius 1、Aquarius 2、Aquarius 2A、Aquarius 3、Aquarius 4である。

当時の山水電気の広告でも、Aquarius 2のものは、見たことがなかった。
あるのかもしれないが、少なくとも私は見たことがない。

何かの機会で見たAquariusシリーズの広告には、
Aquarius 2A、Aquarius 3が、モダンな家具とともに写っていた。
キャッチコピーは、The next generation. だった。

Aquarius 1と4の写真は知っていた。
Aquarius 2だけの写真がなかなか見る機会がなかった。

2と2Aだから、よく似た恰好のスピーカーシステムなのたろう、とそのころは思っていた。
そう思っていたから、Aquarius 2の写真をはじめて見た時は、軽い衝撃だった。
想像していた姿とは、大きく違っていた。

けれど、すぐにはどこにスピーカーユニットが、
どんなふうに取り付けられているのかはわからなかった(想像できなかった)。

Date: 7月 4th, 2017
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(JBL S106 Aquarius 2・その1)

いくつものメーカーが、いくつものスピーカーシステムをつくってきている。
現在市場にでまわっているスピーカーシステムの数にしてもそうとうなものだし、
過去にあったスピーカーシステムも加えれば、膨大な数になる。

スピーカーシステムのシルエットとしては、四角い箱が圧倒的に多い。
ハイエンドオーディオといわれるスピーカーシステムでは、四角い箱の方が少ないけれど、
これまでのスピーカーシステムの大半は四角い箱である。

四角い箱のシルエットのスピーカーシステムが、
そうでないシルエットのスピーカーシステムよりも、デザインにおいて劣るかというと、
決してそんなことはない。

四角い箱でないスピーカーシステムのデザインが、
四角い箱のスピーカーシステムよりも優れているとも限らない。

スピーカーシステムのデザインで、もっとも果敢なメーカーといえたのはJBLである。
パラゴンやハーツフィールドをつくってきたメーカーだから、という理由だけではない。
成功例とはいえないスピーカーシステムを含めて、
JBLというスピーカーメーカーのデザインは、それだけで一冊の本がつくれるはずだ。

1960年代のJBLにはAquariusシリーズがあった。
いわば間接放射型のスピーカーシステムであり、だからこそのデザインであった。

Aquariusシリーズの中で、気になっていたのはS106である。
S106のことは以前から知っていたけれど、当時見たのは、それほど鮮明でない、
しかもあまり大きくもないモノクロの写真だった。

詳細についてもあまりわかっていなかった。
3ウェイの4スピーカーということぐらいだった。

それでも気になっていた。
こういうスピーカーシステムのデザインを1960年代に、
JBLはつくっていたのか(製品化していたのか)、と静かな昂奮もあった。

Date: 6月 24th, 2017
Cate: デザイン

「デザインするのか、されるのか」(その2)

グレン・グールドはピアノを使ったデザイナーだからこそ、
デザイナーの道具として、マイクロフォンとテープレコーダーが不可欠だった。
そう考えることもできる。

つまりグールドというデザイナーにとって必要な道具は、
ピアノ、マイクロフォン、テープレコーダーということになる。

グールドが自身のことをデザイナーと考えていたのかどうかは、なんともいえないが、
私はこの十年ほどは、かなり強く確信するようになっている。

少なくとも、どこかにデザイナーという意識、
デザインという考えを、音楽の演奏の領域に持ち込もうとしていた。

ピアニストという職業に必要なのは、ピアノがあればすむ。
そこにマイクロフォンとテープレコーダーがあれば、
自分の演奏を、演奏会に来られなかった人にも届けることができる。

でも、ここでのマイクロフォンとテープレコーダーという道具は、
レコード会社側の人たちにとっての道具であって、
グレン・グールド以外の大半のピアニストにとっての道具ではない。

もちろんグレン・グールドの場合でも、
マイクロフォンとテープレコーダーは、レコード会社側の人たちの道具であるわけだが、
同時にグールドにとっての道具でもある。

マイクロフォンとテープレコーダーが、
レコード会社側の人たちだけの道具にとどまらずに、
ピアニスト(なにもピアニストだけにかぎらないが)にとっての道具といえるならば、
そのピアニスト(演奏家)は、デザインの領域に少なくとも一歩踏み込んでいよう。

Date: 5月 24th, 2017
Cate: デザイン

表紙というデザイン(その2)

1977年夏に、ステレオサウンドの姉妹誌テープサウンドからRecord’s Bibleが出た。
この別冊の表紙も、
「コンポーネントステレオのすすめ」「コンポーネントステレオの世界 ’78」と似ている。

いくつものオーディオ機器(ここではアクセサリー)をレイアウトしての表紙である。
ただ「コンポーネントステレオのすすめ」と違うのは、一発撮りであるという点。

「コンポーネントステレオのすすめ」ではスピーカー、アンプ、アナログプレーヤーなどを、
正面からの撮影を個別に行った上で、写真を切り抜いてのレイアウトである。

同じようであっても、「コンポーネントステレオのすすめ」とRecord’s Bibleは違う。
Record’s Bibleは表紙デザイン=田中一光、表紙撮影=安齊吉三郎となっている。

Record’s Bibleの表紙がユニークなのは、表4(裏表紙)も、
表紙と続いている、というか、同じ意図でのデザインである。
といっても表4は多くのムック、オーディオ雑誌がそうであるように広告である。

Record’s Bibleの表4も広告。ビクターの広告になっている。
しかも表1(表表紙)と表4にはカバーのようにそれぞれ折り返しがあって、
その10cmくらいのところも広告になっている。

表紙の延長となっているところにはパイオニアの広告、
裏表紙の延長は、そのままビクターの広告である。

もちろんこの部分も表紙と同じ意図のデザインであり、
おそらく表1、表4、それと折り返しのところも含めての一発撮りのはずだ。

Date: 5月 19th, 2017
Cate: デザイン

表紙というデザイン(その1)

ステレオサウンドの表紙といっても、最初に書くのは別冊の表紙についてである。

1976春に瀬川先生の「コンポーネントステレオのすすめ」が出た。
表紙にはビクターのスピーカーシステムSC3II、B&Oのアナログプレーヤー、
エンパイアの4000D/IIIカートリッジ、SMEの3009/SII Improved、
QUADのコントロールアンプ33とチューナーFM3、マランツのModel 510Mパワーアンプ、
B&OのBeomaster 4000レシーバー、ヤマハのカセットデッキTC800GL、
これらを正面から撮った写真をぴっちりとレイアウトしてある。

「コンポーネントステレオのすすめ改訂版」も同じデザインで、
スピーカーはJBLの4343、ダイヤトーンのDP-EC1アナログプレーヤー、
テクニクスのプリメインアンプSU8080、コントロールアンプはマークレビンソンのJC2、
パワーアンプはヤマハのB2、チューナーはトリオのKT9100、
オルトフォンのカートリッジMC20にソニーのカセットデッキTC-K7にかわっている。

「続コンポーネントステレオのすすめ」も同じだ。
こちらはスピーカーがパイオニアのS933、アナログプレーヤーはB&O、
ラックスのプリメインアンプL3、オンキョーのレシーバーTX55、
QUADのコントロールアンプ44、マイケルソン&オースチンのTVA1パワーアンプ、
オルトフォンのカートリッジMC30、テクニクスのトーンアームEPA500、
ヤマハのカセットデッキK1である。

目次には表紙デザイン=塚本健弼、表紙写真=亀井写真事務所とある。

1977年12月に出た「コンポーネントステレオの世界 ’78」も基本的には同じ表紙である。
スピーカーはJBLの4333A、アナログプレーヤーはソニーのPS-X9、
パイオニアのプリメインアンプA0012、ヤマハのチューナーT2、
テクニクスのコントロールアンプSU-A2、QUADの405パワーアンプ、
SMEのトーンアーム3009 SeriesIIIにスタントンのカートリッジ881S、
それにミニスピーカーとしてヴィソニックのDavid50で、
「コンポーネントステレオのすすめ」と少し違うのは、
それぞれのオーディオ機器の周りに切取り線といえる点線で囲ってある。

もちろん表紙デザインは塚本健弼、表紙撮影は亀井良雄と同じである。

Date: 4月 22nd, 2017
Cate: デザイン

「貌」としてのスピーカーのデザイン(その4)

DD66000のウーファーの下側には、レベルコントロールがあり、
通常はカバーで覆われている。

このカバーは簡単に外すことが出来る。
サランネットを外した音、さらにはこのカバーを外した音。
ここからDD66000の音が始まる、といえるかもしれない。

レベルコントロールのカバーを外した音と装着したままの音の違いは、
それほど大きいわけではないが、それでも一度その違いを聴いてしまうと、
カバー装着の音は聴きたいとは思わないし、無視できない違いであることは確かだ。

DD66000全体が、ひとつの大きな顔に見えてしまう理由のひとつが、
このカバーにもある。

カバー装着時の音は、鼻をつまんでいる話しているようにすら、
外した音を聴いてしまうと、そう感じてしまう。
つまりはカバーが、鼻の穴的にも思えてくる。

そうなると、二基のウーファーの中心には、バッフルが角度をもって接合されているため線がある。
この中心線が鼻筋に相当するかのように見えてしまう。
エンクロージュア下部(台座)の凹んだところが口、
一度そういうふうに捉えてしまうと、このイメージを払拭できないでいる。

だからといって、スピーカーシステムのデザインは、
フロントがフラットであるべき、などとは考えていない。

それでも……、と、DD66000を見ているとおもう。
デザイン、ネーミングの難しさである。

Date: 4月 17th, 2017
Cate: デザイン

「貌」としてのスピーカーのデザイン(その3)

4350とDD66000は、同口径のダブルウーファーとはいえ、
ユニット構成で違うところがある。

4350は4ウェイで、12インチ口径のミッドバスがあり、
中高域のホーンも音響レンズ付きで、大きさもそれほどではない。
DD66000にはミッドバスはなく、中域ホーンも大きく横に長い。

だからDD66000全体が、何かの顔に見えてくるわけではない。
DD66000と同じといえるユニット構成のスピーカーは、昔からあった。

横にウーファーを二基並べ、その上に大型のホーンという構成は、
むしろ以前のほうが多かった、といえる。

それらのスピーカーシステムをすべて聴いているわけではないが、
いくつかは音を聴いているし、大半は実物を見えてもいる。

つまりDD66000以前、それらのスピーカーシステムを見ても、
何かの顔をイメージすることは一度もなかった。

なのに、なぜDD66000は違うのか。

ユニット構成、ユニット配置に起因することではなく、
デザインに起因する。

DD66000以前の同種のスピーカーシステムは、
フラットなフロントバッフルにスピーカーユニットが取り付けられていた。

ウーファーだけがエンクロージュアにおさめられ、
ホーンはエンクロージュア上部に置かれているシステムでも、
フロントバッフルはフラットである。

DD66000の二基のウーファーが取り付けられているバッフルは、
一枚のフラットな板ではない。

それぞれのウーファーを取り付けた板が、角度をもって接合されている。
それだけでなく、DD66000のフロントは、全体的にフラットとはいえない。

中高域のホーンも、ホーン単体で構成されているのではなく、
ホーンの左右は、エンクロージュアの一部でもある。

エンクロージュア下部は、中央が奥に曲線を描いて引っ込んでいる。
ウーファーバッフルの中央が、同一線上にあり、前に出ているのと対照的である。

DD66000のデザインをわかりやすくいうなら、
凹凸のあるデザインであり、私には成功しているとは到底思えないのだ。

Date: 4月 17th, 2017
Cate: デザイン

「貌」としてのスピーカーのデザイン(その2)

私が小学生のころ、テレビではゲゲゲの鬼太郎のアニメが放送されていた。
その影響もあるのかもしれない……、と自分でも思っているのだが、
DD66000は、ゲゲゲの鬼太郎に登場するぬりかべに近い、別種のいきもののように見えてくる。

ぬりかべの顔は、ほぼ全身といえるし、
目は小さい、鼻も口もない。
ぬりかべは丈夫で大きな体を活かして活躍する妖怪で、
手足は短く、のそのそとある。

その歩くイメージがDD66000に重なってくる。

つまりDD66000の15インチ口径のウーファー二基が、
目として認識してしまう。
ウーファーの上にある中域ホーンは、左右が一本につながってしまった眉、
もしくは深く太い皺のようにも見えてしまう。

巨大な顔が、目の前にある。
それも左右で二基のDD66000だから、至近距離にふたつの、得体の知れないいきものの大きな顔がある。

それがこちらに向って、のそのそと近づいてくる──。

言葉にする上で、省略しているところもあるが、
そんな感じを受けてしまい、聴いていて気持悪くなってきた。

これまでにも15インチ口径のダブルウーファーのスピーカーシステムは、
いくつも聴いてきている。

DD66000と同じJBLの4350、4355は何度も聴いているし、
サランネットを外して、かなり長時間聴いてもいる。
それでも、そんな印象はまったく受けなかった。

DD66000の写真をみた時から、何か顔みたいだな、とは薄々感じていた。
でも、すぐにはなぜ、そう感じるのかはつかめなかった。
実際に目の前にDD66000が二基ある状態で音を聴いて、つかめたといいえるところがある。

Date: 4月 16th, 2017
Cate: デザイン

鍵盤のデザイン(その1)

インターネットで検索、
検索結果のURLをクリック。
そのウェブサイトで、またリンク先をクリック……。

こんなふうに書かなくともネットサーフィンと書けばすむのはわかっていても、
死語ともいえそうな言葉を使うのは、ちょっと抵抗がある。

つまりはネットサーフィンをしていたわけだ。
それで見つけたのが、「ピアノ300年の歴史を変える──未来鍵盤が音もデザインする」。

こういうタイトルの記事は、読むとたいてはがっかりする。
記事の冒頭には、こうある。
     *
ピアノの鍵盤は、白鍵と黒鍵が互い違いに組み合わさったものだ。だが、ひとりの天才ピアニストがその常識に真っ向から挑み、新しい鍵盤を生み出した。白鍵と黒鍵が段差なく一直線に並ぶ、その新しい鍵盤は、究極の音を求めた結果だ。
     *
天才ピアニスト、いったい誰だよ? という感じで読みはじめた。
新しい鍵盤の写真が、まず目に入る。

見慣れたピアノの鍵盤とは、違う。
ただ段差がなくなっているだけではない。
記事を読んでいくと、天才ピアニストが誰なのかが、わかる。
菅野邦彦氏だった。

もうこれだけで十分なはずだ。
GQ JAPANの元記事を読んでいただきたい。

聴いてみたい、と思う。
それも菅野先生の録音によって聴いてみたい、とおもう。

Date: 4月 12th, 2017
Cate: デザイン

「貌」としてのスピーカーのデザイン(その1)

スピーカーの風貌は、他のオーディオコンポーネント以上に気になる。
サランネットをつけて聴けば、そんなこと気にならないだろう──、
そうとも思うけれど、そうでもないこともある。

例えばスペンドールのBCII。
サランネットをつけて聴くことを前提としたフロントバッフルの仕上げである。
サランネットを外した状態をすぐにイメージできるけれど、
その音を聴いていると、サランネット付きの姿しか目に入らない。

その一方で、サランネットをつけた状態で聴いていても、
サランネットを外した姿に気になってしまうスピーカーがいくつもある。

自分でもなぜだろう? と思い続けている。
しかもサランネットなしの姿が気になって仕方ないスピーカーに限って、
サランネットを外した状態の音が標準と思われる。
フロントバッフルもきちんと仕上げがなされたりしている。

サランネットがあろうとなかろうと、その姿が気になるスピーカーの代表格が、
私にとってはJBLのDD66000である。

60周年記念モデルとして発表された写真を見た時から、
優れたデザインとは少しも思えなかった。

1998年にAppleからiMac(ボンダイブルーの最初のモデル)に感じたこと、
それに近いことを感じていた。

しばらくして知人宅でじっくりと聴く機会があった。
きちんとセッティングをつめていけば、なるほどいいスピーカーだ、と感じた。

その感じは聴き進むにつれて強くなる。
と同時に、DD66000の姿が耐えられなくなってもきた。

DD66000はサランネットありとなしの音の違いは、かなり大きい。
一度外した音を聴いてしまうと、つけた音は聴きたくない。

ならば目をつぶって聴けば? となる。
たいてい目を瞑って聴いている。
それでもDD66000の姿が浮んできて、
DD66000がのそのそと前に歩き出しそうな感じすらしてきた。

ここまでくると、聴いているのが気持悪くなってきた。
初めての体験だった。

Date: 3月 21st, 2017
Cate: デザイン

プリメインアンプとしてのデザイン、コントロールアンプとしてのデザイン(その1)

プリメインアンプとコントロールアンプのコントロール機能は同一である。
最低でも入力セレクターとレベルコントロールは必要で、
その他にテープセレクター、バランスコントロール、モードセレクター、
各種のフィルターとトーンコントロールなど、同じことが求められる。

つまりプリメインアンプとコントロールアンプのフロントパネルは、
ひとつのメーカーにとって、同じであってもおかしくはない。

実際にそういう製品はいくつもあった。
よく知られるところではラックスとマランツ(ともに1970年代)があり、
その他にもソニー、テクニクス、サンスイなどが挙げられる。

フロントパネルを共通、もしくはほぼ同じにすることで製造コストが抑えられる、
価格も抑えられるのであれば、購入を考えている人にとっては、
このことはデメリットにはならないだろう。

それでもプリメインアンプとコントロールアンプとで、
デザインをきっちりと変えているメーカーもいくつもあった(ある)。

ここで考えたいのは、そのことの是非ではなく、
タイトルにもしたように、
プリメインアンプとしてのデザイン、コントロールアンプとしてのデザインの区別を、
私のなかではどうしているのかについて、である。

例を挙げればラックスのSQ38FD/IIとCL35IIIのデザイン。
私にとっては、このふたつに共通するデザインは、プリメインアンプとしてのデザインである。

そのベースとなっているデザインに、
マランツのModel 7というコントロールアンプの存在があっても、そうである。

Date: 2月 11th, 2017
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(ヤマハのA1・その9)

デザインに強い関心はあっても、デザインについて専門的に学んできているわけではない。
オーディオのデザインについて書きながらも、
どれだけオーディオのデザインを理解しているのか、を自らに問うている。

何かがひっかかってくるデザインのオーディオ機器の場合、
だからそのオーディオ機器単体で、そのデザインについて判断するのではなく、
いくつかの状況においての判断をするように心掛けている。

ヤマハのプリメインアンプのA1は、その意味でひっかかってきたデザインであった。
すでに書いているように、広告で見て、新鮮な印象を受けた。
その後、オーディオ店で実物を見て、精度感のなさに少しがっかりもした。

それでも気になるデザインのアンプであり、
「コンポーネントステレオの世界 ’78」での写真も、
A1のデザインについて考えるうえで、私にとっては重要な一枚だった。

瀬川先生は、以前、ヤマハのデザインはB&Oコンプレックスだ、といわれた。
熊本のオーディオ店でいわれたことだから、A1の登場よりも一、二年あとのことだ。

瀬川先生が、どのヤマハの製品のことを指してだったのかははっきりとしないが、
なんとなく察しはつく。

「コンポーネントステレオの世界 ’78」では、
そのヤマハのアンプがB&Oのアナログプレーヤーの隣に置いてある。
A1の下にはペアとなるチューナーT1がある。

B&Oとヤマハの後方にB&Wのスピーカーがあるというレイアウトだ。
ここでは、ヤマハのアンプとチューナーが浮いている。

B&WのDM5とB&OのBeogram 4002が並んでいるのに違和感はない。
にも関わらずA1とT1は浮いているように感じる。

Date: 2月 11th, 2017
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(ヤマハのA1・その8)

ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’78」に、
ヤマハのA1もスペンドールのD40も組合せに登場している。

どちらも組合せも山中先生によるものである。
D40が登場する組合せは、スピーカーがスペンドールBCIIで、
アナログプレーヤーはリンのLP12にSMEの3009 SeriesIIIに、
カートリッジはオルトフォンのMC20、ヘッドアンプに同じオルトフォンのMCA76。

一昔前のドイツ系の演奏・録音盤を十全なかたちで再生したいというテーマでの組合せ。
メインとなる組合せはQUADのESLのダブルスタックで、
スペンドールの組合せは予算を考慮した組合せである。

カラーページに、この組合せの写真が見開きで載っている。
LP12もコンパクトなプレーヤーであり、D40もコンパクトなアンプ。
写真をみていると、まとまりのある組合せに感じた。

いま改めて見ても、視覚的にもいい組合せである。
D40はお世辞にもデザインされた、とはいえない。
LP12もこのころは電源スイッチが押しボタンで、洗練されているとはいえない。

BCIIも、凝ったデザインのスピーカーシステムではない。

この組合せで際立ったデザインのモノは、SMEのトーンアームぐらいであるが、
このトーンアームが視覚的に浮いてしまっているからといえば、そうではない。
うまく収まっているように感じられる。

うまい組合せだな、といまも思う。
いまも、この組合せを聴いてみたい、と写真は感じさせる。

一方のA1が登場する組合せは、女性ヴォーカルを中心に楽しみながらも、
優れたデザイン感覚を持つ装置を、というテーマである。

こちらもふたつの組合せがあり、A1の組合せは予算を考慮した案である。
スピーカーはB&WのDM5、アナログプレーヤーはB&OのBeogram 4002である。

Date: 1月 30th, 2017
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(ヤマハのA1・その7)

ヤマハのA1というプリメインアンプのデザインについてこうして書いていると、
イギリスのいくつかのプリメインアンプのことを、対比として考えてしまう。

スペンドールのD40、
ミュージカルフィデリティのA1、
オーラ・デザインのVA40のことを考えている。

D40もA1もVA40も、
フロントパネルにあるのは電源スイッチと入力セレクター、レベルとバランスコントロールくらいである。
トーンコントロールもフィルターも、搭載していない。

D40はA1とほぼ同じころに登場している。
価格は当時145,000円だった。
1980年頃には、198,000円に値上りしていた。

A1の価格は115,000円、CA2000が158,000円だった。
A1もCA2000も、国産プリメインアンプの標準的なサイズと重量だったのに対し、
D40はW33.2×H9.6×D22.3cm、6.0kgという小ささで、出力も40W+40W。

内部を比較すると、国産プリメインアンプの同価格帯のモノとの落差を大きく感じてしまうほどである。

つまり国産プリメインアンプが、
自社製のスピーカーシステムをうまく鳴らすことをいちばんに考えていたとしても、
他社製のスピーカーシステムもきちんと鳴らすことを前提としているのに対し、
D40は割り切って、自社製(スペンドール)のスピーカーのみがうまく鳴ればいい、
そんな感じの音なのだ。

当時ベストセラーモデルだったBCIIと組み合わせた音を一度でも聴いたことのある方なら、
確かにそうだった、とD40の音を思い出してくれるだろう。

私はBCIIとの組合せでしか聴いたことがない。
BCIIIやSA1との音は聴いていないので、はっきりしたことはいえないが、
BCIIを鳴らすほどには、BCIII、SA1をうまく鳴らしてくれるわけではないだろう。

他社製のスピーカーシステムを鳴らすよりは、よく鳴らしてくれたであろうが、
そう思わせるくらい、D40はBCII専用と言い切っていいプリメインアンプだった。

Date: 12月 31st, 2016
Cate: 1年の終りに……, デザイン, 書く

2016年の最後に

2015年の最後に書いたのは「2015年の最後に」だった。
「2015年の最後に」が6000本目だった。

ちょうど一年が経ち、「2016年の最後に」を書いている。
7004本目である。
7000本目はベートーヴェンの「第九」について書いたものである。

どうにか一年で1000本を書くことができた。
書いている過程で、「2015年の最後に」で書いたことを何度か思い出していた。

どれだけ書けただろうか、とふり返りたくなるが、
明日になれば7005本目を書く。