「貌」としてのスピーカーのデザイン(その2)
私が小学生のころ、テレビではゲゲゲの鬼太郎のアニメが放送されていた。
その影響もあるのかもしれない……、と自分でも思っているのだが、
DD66000は、ゲゲゲの鬼太郎に登場するぬりかべに近い、別種のいきもののように見えてくる。
ぬりかべの顔は、ほぼ全身といえるし、
目は小さい、鼻も口もない。
ぬりかべは丈夫で大きな体を活かして活躍する妖怪で、
手足は短く、のそのそとある。
その歩くイメージがDD66000に重なってくる。
つまりDD66000の15インチ口径のウーファー二基が、
目として認識してしまう。
ウーファーの上にある中域ホーンは、左右が一本につながってしまった眉、
もしくは深く太い皺のようにも見えてしまう。
巨大な顔が、目の前にある。
それも左右で二基のDD66000だから、至近距離にふたつの、得体の知れないいきものの大きな顔がある。
それがこちらに向って、のそのそと近づいてくる──。
言葉にする上で、省略しているところもあるが、
そんな感じを受けてしまい、聴いていて気持悪くなってきた。
これまでにも15インチ口径のダブルウーファーのスピーカーシステムは、
いくつも聴いてきている。
DD66000と同じJBLの4350、4355は何度も聴いているし、
サランネットを外して、かなり長時間聴いてもいる。
それでも、そんな印象はまったく受けなかった。
DD66000の写真をみた時から、何か顔みたいだな、とは薄々感じていた。
でも、すぐにはなぜ、そう感じるのかはつかめなかった。
実際に目の前にDD66000が二基ある状態で音を聴いて、つかめたといいえるところがある。