Archive for category デザイン

Date: 3月 19th, 2019
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(Air Force ZEROのこと・その3)

四年ほど前に、200号までにステレオサウンドでオーディオのデザイン論が語られるとは思えない──、
別項で書いた。

語られることはなかった。
これから先も語られることはないと思っている。

このオーディオのデザイン論こそが、ステレオサウンドがやってこなかったこと、やり残してきたことだ。
私が編集部にいたときも、オーディオのデザイン論はやってこなかった。

十年以上昔になるか、
ステレオサウンドに、素人によるデザイン感的な文章が連載となっていた。
デザイン論とはとうてい呼べないものだった。
ほんとうにひどい、と思って読んでいた。

その連載が終了して、デザインについてある人と話していた時に、この記事のことが話題になった。
「ひどい記事だったね」とふたりして笑いあった。

こんなことを四年前に書いた。
ある人の名前は四年前は明かさなかった。
ある人とは菅野先生である。

菅野先生とデザインについて話していたときに、
私がつい、ポロッと「そういえば、あのステレオサウンドの連載、ひどかったですね」と言った。
すると菅野先生も、お前もそう思うか、という感じで「デザインの素人による内容だよ」と言われた。

ひどい記事と口にしたときには、しまった、と思わなかったわけではない。
菅野先生がどう思われていたのかは知らなかったからだ。

けれど、こちらが本音で話せば、菅野先生はきちんと応えてくださった。
その菅野先生は、もういない。
瀬川先生もそうだ。

オーディオのデザイン論についてきちんと語れる人たちがいない。
なのに、ステレオサウンドは、川崎先生の連載をわずか五回で手離している。

川崎先生が、なぜ離れられたか──、
その理由は現編集長の染谷一氏がいちばんわかっているはずだ。
というより、わかっていなくてはならない。

Date: 3月 19th, 2019
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(Air Force ZEROのこと・その2)

これも続きを書くつもりはなかった。
けれどfacebookへのコメントを読んで続きを書こうと思ったし、タイトルも変更した。

コメントはデザイナーの坂野博行さんからだった。
「Air Force ZEROにはデザイン不在が明らか」とあった。

ここで気をつけてほしいのは、デザイナー不在ではなく、デザイン不在ということだ。
デザイナー不在とデザイン不在は、同じではない。

憶測にすぎないが、Air Force ZEROにもデザイナーがいるはずだ。
おそらく、あの人ではないだろうか、と思っているが、確証はないから名前は出さない。

デザイナーが関っているのに、デザイン不在。
そんな人をデザイナーと呼べるのか──、
そのことについてはここでは述べないが、
おそらく、本人はデザイナーだと思っているだろうし、
その人にデザインを依頼した側も、そんな人をデザイナーと思っているわけだ。

とにかくAir Force ZEROは、デザイン不在の四千万円のアナログプレーヤーである。

Air Force ZEROは、各オーディオ雑誌で絶賛されるであろう。
あれだけの内容のアナログプレーヤーだから、
これまでのプレーヤーからは聴けなかった世界を提示してくれることとは思う。

そうであれば音に関して絶賛されるのはいい。
けれど、中にはAir Force ZEROのデザインを褒める人も出てくるのではないだろうか。

本音で、Air Force ZEROのデザインが素晴らしいという人がいたら、
その人の感性はまったく信用できない。

褒めなくとも、Air Force ZEROのデザインに関して何も語らない人、
つまりオーディオ評論家がいよう。

オーディオ評論家(商売屋)ならば、褒めるか、黙っているかのどちらかのはずだ。

Date: 3月 18th, 2019
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(Air Force ZEROのこと・その1)

オーディオ関係のサイトでニュースになっているので、ご存知の方が多いだろう。
テクダスからAir Force ZEROが発表になった。

価格はまだ未定とのことだが、四千万円前後だそうだ。
この価格については、いわない。

テクダスの西川英章氏の、マイクロ時代からの信念の結実といえるプレーヤーであり、
この時代に、これだけのモノを世に送り出してくれた、ということは、やはりすごいと思う。

Air Force ZEROの仕様が、理想のアナログプレーヤーの具現化なのか、については、
必ずしもそうとは考えないが、それでもくり返しになるが、
西川英章氏が長年追求してきた手法であるから、ここについてもこれ以上は書かない。

けれど一つだけ書きたい。
それはAir Force ZEROのデザインである。

四千万円あれば、ランボルギーニ、フェラリーのスーパーカーが買える。
免許をもっていない私でも、ランボルギーニのアヴェンタドールは憧れである。

Air Force ZEROには、そういうかっこよさをまったく感じない。
四千万円するのであれば、もう五百万円くらい高くなっても、
写真を見ただけで、一瞬にして憧れてしまう、そんなかっこよさを持ってほしい。

そして実物をみて、惚れ惚れしてしまうほどのかっこよさであってほしい。

残念なことに、Air Force ZEROには、
スーパーカーならぬスーパーアナログプレーヤーのオーラのようなものを感じない。

Date: 3月 13th, 2019
Cate: デザイン

簡潔だから完結するのか(デザインの強度・その2)

その1)は、さっきまで「簡潔だから完結するのか(番外)というタイトルだった。

(その2)を書くつもりはなかった。
けれど先週読んだ、ある対談に「強度が高いデザイン」という表現が登場した。
この表現に刺戟され、続きを書く気になったし、
(番外・その2)とするのも、ちょっとアレだな、と思い変更した。

その対談とは、賀来ゆうじ・三浦建太郎、二人のマンガ家によるものだ。

その伍)に、強度の高いデザインという表現は出てくる。

賀来ゆうじ氏の発言に出てくる。
     *
賀来:自分が描いている作品の中でも、楽しい部分でもあり気を遣う部分でもあるんですけど、三浦先生のキャラクターデザインがとても気になっているんです。たとえば自分が好きな作品に永井豪先生の『デビルマン』がありまして、永井豪先生の描かれるデザインって、自分なりの言葉になるんですが“強度が高い”と感じるんですよね。誰が描こうと『デビルマン』の怖くてかっこいい永井先生の要素が出てくるんです。もし少女漫画家さんが描いたとしても、怖くてかっこいい、崇めそうになってしまう感じがデザインに埋め込まれていると思うんですよ。僕はそれを“強度が高い”デザインと呼んでいて、そこを目指しているんです。
     *
強度が高いデザインの一例としてのデビルマン。
永井豪氏の他のマンガのキャラクター、
たとえばマジンガーZも強度が高いデザインといえる。

強度が高いデザイン──、
このことを基準にいろんなキャラクターをふり返えれば、
ミッキーマウスは、三つの円のシルエットだけで、それとわかるわけで、
相当に強度が高いデザインということになるのか。

円のシルエットをもつキャラクターで日本で有名なドラえもん。
意外にも、ドラえもんを何も見ずに描くとなると、
けっこうデタラメなドラえもんになったりする例を、けっこう見ている。

となると、意外にもドラえもんは、強度がそれほど高くないデザインとなるのか。

Date: 2月 20th, 2019
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(整理と省略・その9)

今日、非常に興味深い話を聞いた。
とあるメーカーで、開発の方向性をまとめる仕事をされる方から聞いた。

オーディオメーカーではないが、音楽に関係のある、けっこう大きな、よく知られている会社である。
そういう会社が新製品を開発する際に、
妄想カタログ、妄想取り扱い説明書を先に作ることがある、という話だった。

カタログにしても取り扱い説明書にしても、製品が大方出来上ってから制作に入るものだと、
今日(今晩)までずっと思っていた。

なのに(その会社だけではないようである)、
カタログ、取り扱い説明書が先に作られる。

たとえば昔のマークレビンソンのアンプだと、
マーク・レヴィンソン一人(もちろん回路設計は別にいても)である。
マーク・レヴィンソンの頭のなかに、すべてがある、ともいえる。

けれどもっと大がかりの製品の開発ともなれば、チームでの作業となる。
チームにはさまざまな専門家がいる。

そうなると個人がやる製品づくりとチームとでは、やり方が違ってもこよう。
特に取り扱い説明書を担当する人は、
取り扱い説明書の専門家である。

だから、妄想取り扱い説明書ではなく、想像取り扱い説明書といったようが的確だろうが、
ここではこの話をしてくれた人が、妄想カタログ、妄想取り扱い説明書といわれていたので、
それにしたがっている。

取り扱い説明書の専門家が、製品ができる前に書く取り扱い説明書は、
素人が好き勝手に書いたものとは、当然ながら違う。

しかもインターフェースが重要となる製品において、
取り扱い説明書の専門家は、専門的知識をもっての想像で、
製品より先に取り扱い説明書を書く。

それによって製品の仕様の細部が決定されることがある、という。

面白い話だと思いながら、
一方では、セブン・イレブンのコーヒーメーカーの開発には、
おそらく妄想カタログ、妄想取り扱い説明書は制作されなかったんだろう、とも思っていた。

Date: 2月 15th, 2019
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(整理と省略・その8)

セブン・イレブンの新しいコーヒーマシンは、東京の店舗にも導入されていた。
新しいコーヒーマシンを使うのは、今日で二回目だが、さっそくエラーにぶちあたった。

カップを置くと、ホット用にもかかわらず液晶画面にはアイスと表示される。
コーヒーマシンも、おかしいと判断したようで、エラーを出し、カップを置き直せ、という表示。

置き直すと、今度はホットと正しく表示された。
けれどすぐにエラー表示で、またカップを置き直せ、の表示。

次はどうなるのか、楽しみで、指示に素直に従い、また置き直す。
今度は、ホット用かアイス用か、カップサイズの検出を諦めたようで、
液晶画面に、これまでのコーヒーマシンのような表示を出す。

ホット、アイス、それにカップのサイズのボタンが表示され、客が選んで押す。

前回の、一回で正しく認識したのは偶然だったのか、
それとも今回の連続するエラーがたまたまだったのか。
どちらなのかはいまのところなんともいえないが、
新しいコーヒーマシンは、必ずしも改良されたとは言い難いようだ。

それにしても、セブン・イレブンの担当の部門は、
これまでのコーヒーマシンにしても、新しいコーヒーマシンにしても、
実際に使ってみてのテストをしなかったのだろうか。

Date: 2月 12th, 2019
Cate: デザイン

プリメインアンプとしてのデザイン、コントロールアンプとしてのデザイン(その9)

別項「LOUIS VUITTONの広告とオーディオの家具化」で、
友人Aさんの友人Bさん夫妻のオーディオ選びについて書いているところ。

Bさん夫妻は、アンプは、この項で取り上げているヤマハのC5000とM5000のペアに決定。
Aさんの話では、Bさん夫妻はヤマハ以外のメーカー、
アキュフェーズ、デノン、マランツ、ラックスマンなども試聴した上での決定とのこと。

音だけでなく、ヤマハに決ったのはデザインも大きかった、とのことである。
Bさんの奥さんが友達たち(女性)に、カタログを見せたところ、
ヤマハがデザイン的に好き、と言われたそうだ。

私はここでC5000のデザインを、
コントロールアンプのデザインではなく、プリメインアンプのデザインだ、と酷評している。
仕上げはいい、それでもC5000はプリメインアンプの顔(デザイン)でしかない。

けれど、そんなことは世間一般ではどうでもいいことなのだろう……。
オーディオマニアではないBさん夫妻、
それにBさんの奥さん、友達たちの女性たちにはヤマハのデザインは好評なのだから。

C5000のデザイナー(デザインチーム)は、
バリバリのオーディオマニアは、もしかすると無視しているのかもしれない。
むしろBさん夫妻のような人たちをターゲットとしてのC5000のデザインだとしたら、
それは商業的には成功ということになる。

しかも友人のAさんのところには、Bさん夫妻とにたような相談がいくつかきている、とのこと。
Aさんと私は同じ年齢だから、Aさんの友人たちも同世代であろう。

ヤマハのC5000、M5000のペア、
それに見合う価格のスピーカー、その他を一式まとめて買えるだけの人たちは、
特にオーディオマニアでなくともいるわけで、
そういう人たちに好評であるほうが、私のような者が絶賛するようなデザインであるよりも、
よほど重要なことであり、実際の売上げに結びつく──。

そんなことは知識として理解できても、
それでもC5000のデザインは、
コントロールアンプのデザインではなくプリメインアンプのデザインであることは、
私のなかでは一向に変らない事実である。

ここで、続けてコントロールアンプのデザイン、
プリメインアンプのデザインについて書いていく。

Date: 2月 11th, 2019
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(整理と省略・その7)

埼玉県のセブン・イレブンは、東京のセブン・イレブンよりも、
導入、投入が早いようである。

弁当、おにぎりなどの新商品も埼玉のセブン・イレブンのほうが早く見かける。
埼玉で試験的に販売して、その結果をみての東京での販売なのかもしれない。

いまではコンビニエンスストアで当り前のように設置されているコーヒーマシンも、
私が最初にみかけたのは、やはり埼玉のセブン・イレブンだった。

昨日、大宮駅周辺にいた。
夜駅近くのセブン・イレブンに寄ったところ、
コーヒーマシンがまったく新しいタイプのモノが置かれていた。

ボタンはなくなっている。
いままでボタンがあったところには一面、タッチ式の液晶ディスプレイがある。
カップを置くと、色とサイズで判断して、
ホットコーヒーなのかアイスコーヒーか、
それにサイズも判断しいてるようである。
カフェラテには対応していないようである。

ホットコーヒーのレギュラーのカップを置いたら、
ホットコーヒーのレギュラーというボタンが表示される。
それを触るだけである。

もう間違いようがないし、
意図的な間違いを防ぐこともできよう。

この新しいコーヒーマシンも、
これまでのコーヒーマシンと同じデザイナーによるものなのか。

だとしたら、このデザイナーの売りである整理と省略は感じられなかった。
まだ、これまでのコーヒーマシンのほうが、未消化とはいえあったようにも思う。

新しいコーヒーマシンが、これまでのマシンの代りに設置されていくのか。
私の印象にすぎないが、どうみても新しいマシンのほうが高価なはずだ。
故障発生率はどうなのだろうか。

そんなことも考えてしまうが、
新しいコーヒーマシンは、技術の進歩は感じられるが、
デザイナーの存在はかなり稀薄にも感じた。

Date: 10月 2nd, 2018
Cate: デザイン

簡潔だから完結するのか(デザインの強度・その1)

この半年ほど感心しているのが、ポケットモンスターのキャラクターのピカチュウである。
ピカチュウの説明は要らないだろう。

電車に乗っているとき、街中を歩いているとき、
若い女性のカバンに、ピカチュウがついているものを、割と見る。

そういった若い女性が好んで行きそうな雑貨店には、
ピカチュウをモチーフとした、いろんなものが売っている。

ぬいぐるみだけでなく、小物入れや財布などなど、
ピカチュウはさまざまな形態になっている。

それでもパッとみて、ピカチュウはピカチュウであり、
ピカチュウの特質を、ほとんどの、そういったものは損っていない。

これは、意外にすごいことではないかのか──、
ここ半年ほど、そんなことを考えていたりする。

つまりピカチュウは、デザインされている。
ピカチュウこそグッドデザインといえるのではないか、とも思いはじめている。

そんなことを思っていた先週末、やはり電車に乗っていた。
目的の駅に着いて改札に向っていたら、
前を歩いている人のTシャツの背中のイラストが視界に入ってきた。

太い黒い線で描かれた女性の顔である。
ウェーブのかかった紙、顔の輪郭、赤く塗られた唇、それにホクロがひとつ。
それだけの、実にシンプルなイラストだった。

目も鼻も耳も、そこには描かれていない。
それが誰なのか、Tシャツには、文字もない。

けれど、すぐに誰なのかはわかる。
マリリン・モンローである。

これ以上の省略は無理、というほどのシンプルなイラストなのに、
モンローだと、わかる。

とういことは、このイラストはデザインといえるのか、
さらには、マリリン・モンロー自身がデザインなのか──、
そんなことを考えるようになった。

Date: 9月 3rd, 2018
Cate: デザイン

プリメインアンプとしてのデザイン、コントロールアンプとしてのデザイン(その8)

ヤマハのC2と同時代にトリオのコントロールアンプL07Cがあった。
C2が150,000円、L07Cが100,000円だった。

同価格帯には微妙にいいがたい価格差がついていたが、
L07Cは音の良さはかなり話題になっていた。

瀬川先生も、音に関してはなかなかの評価だった。
けれどL07Cのデザインに関しては、ボロクソといえるほどだった。

ステレオサウンド 43号では《デザインに関しては評価以前の論外》とか、
《いくら音が抜群でも、この形では目の前に置くだけで不愉快だ》と書かれていたし、
49号では、こうも書かれていた。
     *
 しかし07シリーズは、音質ばかりでなくデザイン、ことにコントロールアンプのそれが、どうにも野暮で薄汚かった。音質ばかりでなく、と書いたがその音質の方は、デザインにくらべてはるかに良かったし、そのために私個人も多くの愛好家に奨めたくらいだが、ユーザーの答えは、いくら音が良くてもあの顔じゃねえ……ときまっていた。そのことを本誌にも書いたのがトリオのある重役の目にとまって、音質について褒めてくれたのは嬉しいが、デザインのことをああもくそみそに露骨に書かれては、あなたを殴りたいほど口惜しいよ。それほどあのデザインはひどいか、と問いつめられた。私は、ひどいと思う、と答えた。
 *
48号の時点でL07CはL07CIIに改良され、外観も改良された、といっていい。
基本的なレイアウトは同じでも、質感がまるで違うものに仕上がっている。

私もL07Cはひどい外観だと思っていたけれど、
当時は、瀬川先生が、なぜそこまで酷評されるのかはよく理解できていなかった。
このことについては、いずれ書くつもりだが、
そんなにひどい外観のL07Cではあったけれど、それでもコントロールアンプの顔をしていた。

C2は7.2cm、L07Cは10.0cmという高さである。
薄型といえるアンプだから、コントロールアンプに見えていたわけではない。
分厚いフロントパネルだから、プリメインアンプと受けとるわけでもない。

コントロールアンプとプリメインアンプのデザインをわけるのは、
フロントパネルの色でも、厚み(高さ)でもない。

では、なんなのか、となると、ひじょうに言語化しにくい。
けれど、それをはっきりと掴んでいる(いた)メーカーとそうでないメーカーがある。

ヤマハは、(残念ながら)掴んでいたメーカーになってしまった。

Date: 9月 3rd, 2018
Cate: デザイン

プリメインアンプとしてのデザイン、コントロールアンプとしてのデザイン(その7)

国際コンシューマー・エレクトロニクス展覧会IFA2018で、
ヤマハのC5000とM5000が正式に発表になった。
7000ユーロ前後になるらしい。

ということは90万円前後。日本ではいくらになるのかはわからない。
あくまでもヨーロッパでの話である。

そのくらいの価格はするだろうと思っていた。
5000シリーズのセパレートアンプなのだから、当然といえば当然である。

だから、よけいに、これが90万円のコントロールアンプのデザインか……、
と、どうしてもいいたくなる。
仕上げはいいんだろう。

けれどいくら仕上げがよくても……、である。
これが他のメーカー、
つまりプリメインアンプのデザインとコントロールアンプのデザインの区別がわかっていない、
そういうメーカーには、何もいわない。

けれどヤマハは、そういうメーカーではなかった。
むしろ、わかっていたメーカーだっただけに、こうやって書いている。

CI、C2が現役だったころのヤマハのプリメインアンプのフロントパネルに、黒はなかった。
例外はCA-V1という安価なモデルだけだった。

CA2000、CA1000III、CA-S1、CA-R1などはシルバー(白っぽい)フロントパネルだった。

セパレートアンプはブラック、プリメインアンプはシルバーという違いがあったわけだが、
だからといって、フロントパネルの色だけが違いではなかった。

CA2000、CA1000IIIなどの世代のプリメインアンプが製造中止になって、
次の世代、さらに次の世代ごろからヤマハのプリメインアンプもブラックモデルが出てきた。

それでも、それらの機種は確かにプリメインアンプのデザインだった。
フロントパネルが黒だから、コントロールアンプと間違うことはなかった。

今回のC5000にはシルバーとブラックが用意されているようだ。
ブラックパネルのC5000を見ても、コントロールアンプには見えない。
プリメインアンプのフロントパネルでしかない。

Date: 8月 25th, 2018
Cate: デザイン

プリメインアンプとしてのデザイン、コントロールアンプとしてのデザイン(その6)

ヤマハのコントロールアンプといえば、私の年齢では、
まずC2とCIがすぐに浮ぶ。

C2は薄型の、
CIはコントロールアンプとして、テクニクスのSU-A2が出るまで最も多機能なアンプだった。

CIは、C2と違い、大きく重たかった。
そのころのプリメインアンプよりも大きく重たかった、という印象があるほどだ。
メーターもついていた。

それでもCIを、プリメインアンプだとは一度も思ったことはない。
コントロールアンプとしてのフロントパネルを持っていた。

そのころのヤマハのプリメインアンプにはCA2000、CA1000IIIなどがあった。
その後、A1が登場し、ヤマハのプリメインアンプのデザインも変化していく。

コントロールアンプもそうだった。
CI、C2のあとに、やや安価なC4、C6が出て、C50、C70も出てきた。
それからヤマハ100周年記念モデルとして、1986年にCX10000が登場した。

CX10000もCI同様の大きさと重さだった。
それでもコントロールアンプのデザインだった。
C4、C6などもそうだった。プリメインアンプと見間違うようなフロントパネルではなかった。

同じことはヤマハのプリメインアンプにもいえた。
コントロールアンプ的なフロントパネルをもつモノはなかった。

そういうことはきちんとしてメーカーである、とヤマハを認識していた。
だからこそ、ヤマハの5000番のコントロールアンプが、どういうデザインで登場するのか、
秘かに期待していた。

けれど、実際のC5000は、なんともプリメインアンプ的である。

Date: 8月 25th, 2018
Cate: デザイン

プリメインアンプとしてのデザイン、コントロールアンプとしてのデザイン(その5)

(その5)を書こうと思いながら、
あれこれ検索していたら、
ヤマハのアナログプレーヤーGT5000がオーストリアでは正式に発表になっているのを見つけた。

たしかに、日本ではまだ正式発表にはなっていなかった──、と思いながらスクロールしていったら、
Related ProductsとしてスピーカーシステムのNS5000といっしょに、
コントロールアンプのC5000パワーアンプのM5000も、そこには表示されていた。

NS5000発表のときから、いずれ5000番シリーズのセパレートアンプが出るのだろうと、
誰もが思っていたはず。
なので、特に驚きはないけれど、
今年11月のインターナショナルオーディオショウでお披露目か、と少しは期待している。

これで5000番シリーズで、音の入口から出口まで一応は揃った。
あとはCDプレーヤーを、どう出してくるか、である。
もしかすると、CDプレーヤーではなく、
新しいコンセプトのデジタルプログラムソース機器なのかもしれない。

なぜ、ここでC5000、M5000が発表されていることを書いているか、といえば、
C5000のデザインを見て、プリメインアンプなのか、と思ってしまったからである。

リアパネルを見れば、しっかりとコントロールアンプであることはわかる。
けれどフロントパネルは、なんともいえず、プリメインアンプにしか見えない。

しかもプリメインアンプとしてトップクラスのモノを思わせるのならばまだしも、
少なくとも写真を見るかぎりでは、中級クラスのプリメインアンプに見えてしまう。

実際にツマミやボリュウムに触れれば、
中級クラスのプリメインアンプとはあきらかに違う感触をもっているんだなろうな──、
とは思っているが、それにしても、なぜ、いま、このデザイン? と思わずにはいられない。

Date: 8月 6th, 2018
Cate: デザイン

SG520とC240(その2)

C240以前のアキュフェーズのコントロールアンプは、C200(S)とC220だった。
C200はフロントパネル下部にヒンジドパネルを、
C220はフロントパネル中央にサブパネルをもつ。

C240は、プッシュポタンを多用したデザインでも話題になった。
ボタンの数は57、レバースイッチは1、ボリュウムを含む回転式は4、
そしてヒンジドパネルもサブパネルも、C240にはない。

C240の四年後に登場したC280にはヒンジドパネルがある。

実をいうと、そのころはC240にヒンジドパネルがないことを、特に意識していたわけではなかった。
瀬川先生のデザインということは、割と早くから知っていた。
それでもヒンジドパネルがないことにもちろん気づいていたけれど、
そのことを深く考えもしなかった。

C240とペアとなるパワーアンプのP400にもヒンジドパネルはない。
P400以前のP250、P300にはヒンジドパネルはある。

チューナーのT104にもない。
T100にはある。

C240、P400、T104のシリーズは、ヒンジドパネルを省いている。
この意味を考えるようになったのは、
SG520とC240を比較するようになったからである。

SG520はマークレビンソンのLNP2登場まで瀬川先生が使われていたこと、
C240は瀬川先生のデザインであること。
このふたつの事柄を、なぜかそれまで結びつけようとは思わなかった。

関係のない、二つの事柄としか捉えていなかった。
それが、ある日、あっ、そうだ! と気づいた。

C240は、SG520をメインのコントロールアンプとして使われていた瀬川先生のデザインなんだ、と。

Date: 8月 5th, 2018
Cate: デザイン

SG520とC240(その1)

JBLのコントロールアンプのSG520とアキュフェーズのC240。
私が並べて、そのデザインを比較してみたいコントロールアンプである。

コントロールアンプのデザインで、それに続くデザインに大きな影響を与えたのは、
マランツのModel 7がよく知られている。

SG520は、どうだろうか。
そのデザインは、発表当時、話題になったことは知っている。
いまもコントロールアンプのデザインの傑作のひとつに挙げられる。

私も一時期SG520は使っていた。
SG520はグラフィックコントローラーとも呼ばれていた。
1964年にSG520のデザインは、大きな衝撃だっただろう。

そういえばSG520以前にヒンジドパネルを採用したオーディオ機器はあったのだろうか。
詳細に調べたわけではないが、SG520はかなり早い時期からヒンジドパネルを採用していた。
少なくとも、私の中では、SG520のデザインについて、ヒンジドパネルのことをまず語りたくなる。

SG520はロータリー式のレベルコントロールも入力セレクターはない。
スライド式のボリュウム、バランサー、トーンコントロールに、
ボタンによる入力セレクターとモード切替え、
それまでのコントロールアンプを見慣れた目には、新鮮だったはずだ。

SG520は瀬川先生も使われていた。
瀬川先生はModel 7も使われていた。

アキュフェーズのC240は、瀬川先生のデザインによるコントロールアンプである。