Archive for category デザイン

Date: 2月 15th, 2019
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(整理と省略・その8)

セブン・イレブンの新しいコーヒーマシンは、東京の店舗にも導入されていた。
新しいコーヒーマシンを使うのは、今日で二回目だが、さっそくエラーにぶちあたった。

カップを置くと、ホット用にもかかわらず液晶画面にはアイスと表示される。
コーヒーマシンも、おかしいと判断したようで、エラーを出し、カップを置き直せ、という表示。

置き直すと、今度はホットと正しく表示された。
けれどすぐにエラー表示で、またカップを置き直せ、の表示。

次はどうなるのか、楽しみで、指示に素直に従い、また置き直す。
今度は、ホット用かアイス用か、カップサイズの検出を諦めたようで、
液晶画面に、これまでのコーヒーマシンのような表示を出す。

ホット、アイス、それにカップのサイズのボタンが表示され、客が選んで押す。

前回の、一回で正しく認識したのは偶然だったのか、
それとも今回の連続するエラーがたまたまだったのか。
どちらなのかはいまのところなんともいえないが、
新しいコーヒーマシンは、必ずしも改良されたとは言い難いようだ。

それにしても、セブン・イレブンの担当の部門は、
これまでのコーヒーマシンにしても、新しいコーヒーマシンにしても、
実際に使ってみてのテストをしなかったのだろうか。

Date: 2月 12th, 2019
Cate: デザイン

プリメインアンプとしてのデザイン、コントロールアンプとしてのデザイン(その9)

別項「LOUIS VUITTONの広告とオーディオの家具化」で、
友人Aさんの友人Bさん夫妻のオーディオ選びについて書いているところ。

Bさん夫妻は、アンプは、この項で取り上げているヤマハのC5000とM5000のペアに決定。
Aさんの話では、Bさん夫妻はヤマハ以外のメーカー、
アキュフェーズ、デノン、マランツ、ラックスマンなども試聴した上での決定とのこと。

音だけでなく、ヤマハに決ったのはデザインも大きかった、とのことである。
Bさんの奥さんが友達たち(女性)に、カタログを見せたところ、
ヤマハがデザイン的に好き、と言われたそうだ。

私はここでC5000のデザインを、
コントロールアンプのデザインではなく、プリメインアンプのデザインだ、と酷評している。
仕上げはいい、それでもC5000はプリメインアンプの顔(デザイン)でしかない。

けれど、そんなことは世間一般ではどうでもいいことなのだろう……。
オーディオマニアではないBさん夫妻、
それにBさんの奥さん、友達たちの女性たちにはヤマハのデザインは好評なのだから。

C5000のデザイナー(デザインチーム)は、
バリバリのオーディオマニアは、もしかすると無視しているのかもしれない。
むしろBさん夫妻のような人たちをターゲットとしてのC5000のデザインだとしたら、
それは商業的には成功ということになる。

しかも友人のAさんのところには、Bさん夫妻とにたような相談がいくつかきている、とのこと。
Aさんと私は同じ年齢だから、Aさんの友人たちも同世代であろう。

ヤマハのC5000、M5000のペア、
それに見合う価格のスピーカー、その他を一式まとめて買えるだけの人たちは、
特にオーディオマニアでなくともいるわけで、
そういう人たちに好評であるほうが、私のような者が絶賛するようなデザインであるよりも、
よほど重要なことであり、実際の売上げに結びつく──。

そんなことは知識として理解できても、
それでもC5000のデザインは、
コントロールアンプのデザインではなくプリメインアンプのデザインであることは、
私のなかでは一向に変らない事実である。

ここで、続けてコントロールアンプのデザイン、
プリメインアンプのデザインについて書いていく。

Date: 2月 11th, 2019
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(整理と省略・その7)

埼玉県のセブン・イレブンは、東京のセブン・イレブンよりも、
導入、投入が早いようである。

弁当、おにぎりなどの新商品も埼玉のセブン・イレブンのほうが早く見かける。
埼玉で試験的に販売して、その結果をみての東京での販売なのかもしれない。

いまではコンビニエンスストアで当り前のように設置されているコーヒーマシンも、
私が最初にみかけたのは、やはり埼玉のセブン・イレブンだった。

昨日、大宮駅周辺にいた。
夜駅近くのセブン・イレブンに寄ったところ、
コーヒーマシンがまったく新しいタイプのモノが置かれていた。

ボタンはなくなっている。
いままでボタンがあったところには一面、タッチ式の液晶ディスプレイがある。
カップを置くと、色とサイズで判断して、
ホットコーヒーなのかアイスコーヒーか、
それにサイズも判断しいてるようである。
カフェラテには対応していないようである。

ホットコーヒーのレギュラーのカップを置いたら、
ホットコーヒーのレギュラーというボタンが表示される。
それを触るだけである。

もう間違いようがないし、
意図的な間違いを防ぐこともできよう。

この新しいコーヒーマシンも、
これまでのコーヒーマシンと同じデザイナーによるものなのか。

だとしたら、このデザイナーの売りである整理と省略は感じられなかった。
まだ、これまでのコーヒーマシンのほうが、未消化とはいえあったようにも思う。

新しいコーヒーマシンが、これまでのマシンの代りに設置されていくのか。
私の印象にすぎないが、どうみても新しいマシンのほうが高価なはずだ。
故障発生率はどうなのだろうか。

そんなことも考えてしまうが、
新しいコーヒーマシンは、技術の進歩は感じられるが、
デザイナーの存在はかなり稀薄にも感じた。

Date: 10月 2nd, 2018
Cate: デザイン

簡潔だから完結するのか(デザインの強度・その1)

この半年ほど感心しているのが、ポケットモンスターのキャラクターのピカチュウである。
ピカチュウの説明は要らないだろう。

電車に乗っているとき、街中を歩いているとき、
若い女性のカバンに、ピカチュウがついているものを、割と見る。

そういった若い女性が好んで行きそうな雑貨店には、
ピカチュウをモチーフとした、いろんなものが売っている。

ぬいぐるみだけでなく、小物入れや財布などなど、
ピカチュウはさまざまな形態になっている。

それでもパッとみて、ピカチュウはピカチュウであり、
ピカチュウの特質を、ほとんどの、そういったものは損っていない。

これは、意外にすごいことではないかのか──、
ここ半年ほど、そんなことを考えていたりする。

つまりピカチュウは、デザインされている。
ピカチュウこそグッドデザインといえるのではないか、とも思いはじめている。

そんなことを思っていた先週末、やはり電車に乗っていた。
目的の駅に着いて改札に向っていたら、
前を歩いている人のTシャツの背中のイラストが視界に入ってきた。

太い黒い線で描かれた女性の顔である。
ウェーブのかかった紙、顔の輪郭、赤く塗られた唇、それにホクロがひとつ。
それだけの、実にシンプルなイラストだった。

目も鼻も耳も、そこには描かれていない。
それが誰なのか、Tシャツには、文字もない。

けれど、すぐに誰なのかはわかる。
マリリン・モンローである。

これ以上の省略は無理、というほどのシンプルなイラストなのに、
モンローだと、わかる。

とういことは、このイラストはデザインといえるのか、
さらには、マリリン・モンロー自身がデザインなのか──、
そんなことを考えるようになった。

Date: 9月 3rd, 2018
Cate: デザイン

プリメインアンプとしてのデザイン、コントロールアンプとしてのデザイン(その8)

ヤマハのC2と同時代にトリオのコントロールアンプL07Cがあった。
C2が150,000円、L07Cが100,000円だった。

同価格帯には微妙にいいがたい価格差がついていたが、
L07Cは音の良さはかなり話題になっていた。

瀬川先生も、音に関してはなかなかの評価だった。
けれどL07Cのデザインに関しては、ボロクソといえるほどだった。

ステレオサウンド 43号では《デザインに関しては評価以前の論外》とか、
《いくら音が抜群でも、この形では目の前に置くだけで不愉快だ》と書かれていたし、
49号では、こうも書かれていた。
     *
 しかし07シリーズは、音質ばかりでなくデザイン、ことにコントロールアンプのそれが、どうにも野暮で薄汚かった。音質ばかりでなく、と書いたがその音質の方は、デザインにくらべてはるかに良かったし、そのために私個人も多くの愛好家に奨めたくらいだが、ユーザーの答えは、いくら音が良くてもあの顔じゃねえ……ときまっていた。そのことを本誌にも書いたのがトリオのある重役の目にとまって、音質について褒めてくれたのは嬉しいが、デザインのことをああもくそみそに露骨に書かれては、あなたを殴りたいほど口惜しいよ。それほどあのデザインはひどいか、と問いつめられた。私は、ひどいと思う、と答えた。
 *
48号の時点でL07CはL07CIIに改良され、外観も改良された、といっていい。
基本的なレイアウトは同じでも、質感がまるで違うものに仕上がっている。

私もL07Cはひどい外観だと思っていたけれど、
当時は、瀬川先生が、なぜそこまで酷評されるのかはよく理解できていなかった。
このことについては、いずれ書くつもりだが、
そんなにひどい外観のL07Cではあったけれど、それでもコントロールアンプの顔をしていた。

C2は7.2cm、L07Cは10.0cmという高さである。
薄型といえるアンプだから、コントロールアンプに見えていたわけではない。
分厚いフロントパネルだから、プリメインアンプと受けとるわけでもない。

コントロールアンプとプリメインアンプのデザインをわけるのは、
フロントパネルの色でも、厚み(高さ)でもない。

では、なんなのか、となると、ひじょうに言語化しにくい。
けれど、それをはっきりと掴んでいる(いた)メーカーとそうでないメーカーがある。

ヤマハは、(残念ながら)掴んでいたメーカーになってしまった。

Date: 9月 3rd, 2018
Cate: デザイン

プリメインアンプとしてのデザイン、コントロールアンプとしてのデザイン(その7)

国際コンシューマー・エレクトロニクス展覧会IFA2018で、
ヤマハのC5000とM5000が正式に発表になった。
7000ユーロ前後になるらしい。

ということは90万円前後。日本ではいくらになるのかはわからない。
あくまでもヨーロッパでの話である。

そのくらいの価格はするだろうと思っていた。
5000シリーズのセパレートアンプなのだから、当然といえば当然である。

だから、よけいに、これが90万円のコントロールアンプのデザインか……、
と、どうしてもいいたくなる。
仕上げはいいんだろう。

けれどいくら仕上げがよくても……、である。
これが他のメーカー、
つまりプリメインアンプのデザインとコントロールアンプのデザインの区別がわかっていない、
そういうメーカーには、何もいわない。

けれどヤマハは、そういうメーカーではなかった。
むしろ、わかっていたメーカーだっただけに、こうやって書いている。

CI、C2が現役だったころのヤマハのプリメインアンプのフロントパネルに、黒はなかった。
例外はCA-V1という安価なモデルだけだった。

CA2000、CA1000III、CA-S1、CA-R1などはシルバー(白っぽい)フロントパネルだった。

セパレートアンプはブラック、プリメインアンプはシルバーという違いがあったわけだが、
だからといって、フロントパネルの色だけが違いではなかった。

CA2000、CA1000IIIなどの世代のプリメインアンプが製造中止になって、
次の世代、さらに次の世代ごろからヤマハのプリメインアンプもブラックモデルが出てきた。

それでも、それらの機種は確かにプリメインアンプのデザインだった。
フロントパネルが黒だから、コントロールアンプと間違うことはなかった。

今回のC5000にはシルバーとブラックが用意されているようだ。
ブラックパネルのC5000を見ても、コントロールアンプには見えない。
プリメインアンプのフロントパネルでしかない。

Date: 8月 25th, 2018
Cate: デザイン

プリメインアンプとしてのデザイン、コントロールアンプとしてのデザイン(その6)

ヤマハのコントロールアンプといえば、私の年齢では、
まずC2とCIがすぐに浮ぶ。

C2は薄型の、
CIはコントロールアンプとして、テクニクスのSU-A2が出るまで最も多機能なアンプだった。

CIは、C2と違い、大きく重たかった。
そのころのプリメインアンプよりも大きく重たかった、という印象があるほどだ。
メーターもついていた。

それでもCIを、プリメインアンプだとは一度も思ったことはない。
コントロールアンプとしてのフロントパネルを持っていた。

そのころのヤマハのプリメインアンプにはCA2000、CA1000IIIなどがあった。
その後、A1が登場し、ヤマハのプリメインアンプのデザインも変化していく。

コントロールアンプもそうだった。
CI、C2のあとに、やや安価なC4、C6が出て、C50、C70も出てきた。
それからヤマハ100周年記念モデルとして、1986年にCX10000が登場した。

CX10000もCI同様の大きさと重さだった。
それでもコントロールアンプのデザインだった。
C4、C6などもそうだった。プリメインアンプと見間違うようなフロントパネルではなかった。

同じことはヤマハのプリメインアンプにもいえた。
コントロールアンプ的なフロントパネルをもつモノはなかった。

そういうことはきちんとしてメーカーである、とヤマハを認識していた。
だからこそ、ヤマハの5000番のコントロールアンプが、どういうデザインで登場するのか、
秘かに期待していた。

けれど、実際のC5000は、なんともプリメインアンプ的である。

Date: 8月 25th, 2018
Cate: デザイン

プリメインアンプとしてのデザイン、コントロールアンプとしてのデザイン(その5)

(その5)を書こうと思いながら、
あれこれ検索していたら、
ヤマハのアナログプレーヤーGT5000がオーストリアでは正式に発表になっているのを見つけた。

たしかに、日本ではまだ正式発表にはなっていなかった──、と思いながらスクロールしていったら、
Related ProductsとしてスピーカーシステムのNS5000といっしょに、
コントロールアンプのC5000パワーアンプのM5000も、そこには表示されていた。

NS5000発表のときから、いずれ5000番シリーズのセパレートアンプが出るのだろうと、
誰もが思っていたはず。
なので、特に驚きはないけれど、
今年11月のインターナショナルオーディオショウでお披露目か、と少しは期待している。

これで5000番シリーズで、音の入口から出口まで一応は揃った。
あとはCDプレーヤーを、どう出してくるか、である。
もしかすると、CDプレーヤーではなく、
新しいコンセプトのデジタルプログラムソース機器なのかもしれない。

なぜ、ここでC5000、M5000が発表されていることを書いているか、といえば、
C5000のデザインを見て、プリメインアンプなのか、と思ってしまったからである。

リアパネルを見れば、しっかりとコントロールアンプであることはわかる。
けれどフロントパネルは、なんともいえず、プリメインアンプにしか見えない。

しかもプリメインアンプとしてトップクラスのモノを思わせるのならばまだしも、
少なくとも写真を見るかぎりでは、中級クラスのプリメインアンプに見えてしまう。

実際にツマミやボリュウムに触れれば、
中級クラスのプリメインアンプとはあきらかに違う感触をもっているんだなろうな──、
とは思っているが、それにしても、なぜ、いま、このデザイン? と思わずにはいられない。

Date: 8月 6th, 2018
Cate: デザイン

SG520とC240(その2)

C240以前のアキュフェーズのコントロールアンプは、C200(S)とC220だった。
C200はフロントパネル下部にヒンジドパネルを、
C220はフロントパネル中央にサブパネルをもつ。

C240は、プッシュポタンを多用したデザインでも話題になった。
ボタンの数は57、レバースイッチは1、ボリュウムを含む回転式は4、
そしてヒンジドパネルもサブパネルも、C240にはない。

C240の四年後に登場したC280にはヒンジドパネルがある。

実をいうと、そのころはC240にヒンジドパネルがないことを、特に意識していたわけではなかった。
瀬川先生のデザインということは、割と早くから知っていた。
それでもヒンジドパネルがないことにもちろん気づいていたけれど、
そのことを深く考えもしなかった。

C240とペアとなるパワーアンプのP400にもヒンジドパネルはない。
P400以前のP250、P300にはヒンジドパネルはある。

チューナーのT104にもない。
T100にはある。

C240、P400、T104のシリーズは、ヒンジドパネルを省いている。
この意味を考えるようになったのは、
SG520とC240を比較するようになったからである。

SG520はマークレビンソンのLNP2登場まで瀬川先生が使われていたこと、
C240は瀬川先生のデザインであること。
このふたつの事柄を、なぜかそれまで結びつけようとは思わなかった。

関係のない、二つの事柄としか捉えていなかった。
それが、ある日、あっ、そうだ! と気づいた。

C240は、SG520をメインのコントロールアンプとして使われていた瀬川先生のデザインなんだ、と。

Date: 8月 5th, 2018
Cate: デザイン

SG520とC240(その1)

JBLのコントロールアンプのSG520とアキュフェーズのC240。
私が並べて、そのデザインを比較してみたいコントロールアンプである。

コントロールアンプのデザインで、それに続くデザインに大きな影響を与えたのは、
マランツのModel 7がよく知られている。

SG520は、どうだろうか。
そのデザインは、発表当時、話題になったことは知っている。
いまもコントロールアンプのデザインの傑作のひとつに挙げられる。

私も一時期SG520は使っていた。
SG520はグラフィックコントローラーとも呼ばれていた。
1964年にSG520のデザインは、大きな衝撃だっただろう。

そういえばSG520以前にヒンジドパネルを採用したオーディオ機器はあったのだろうか。
詳細に調べたわけではないが、SG520はかなり早い時期からヒンジドパネルを採用していた。
少なくとも、私の中では、SG520のデザインについて、ヒンジドパネルのことをまず語りたくなる。

SG520はロータリー式のレベルコントロールも入力セレクターはない。
スライド式のボリュウム、バランサー、トーンコントロールに、
ボタンによる入力セレクターとモード切替え、
それまでのコントロールアンプを見慣れた目には、新鮮だったはずだ。

SG520は瀬川先生も使われていた。
瀬川先生はModel 7も使われていた。

アキュフェーズのC240は、瀬川先生のデザインによるコントロールアンプである。

Date: 7月 14th, 2018
Cate: デザイン

「オーディオのデザイン論」を語るために(その4)

黒田先生がフルトヴェングラーについて書かれている。
     *
 今ではもう誰も、「英雄」交響曲の冒頭の変ホ長調の主和音を、あなたのように堂々と威厳をもってひびかせるようなことはしなくなりました。クラシック音楽は、あなたがご存命の頃と較べると、よくもわるくも、スマートになりました。だからといって、あなたの演奏が、押し入れの奥からでてきた祖父の背広のような古さを感じさせるか、というと、そうではありません。あなたの残された演奏をきくひとはすべて、単に過ぎた時代をふりかえるだけではなく、時代の忘れ物に気づき、同時に、この頃ではあまり目にすることも耳にすることもなくなった、尊厳とか、あるいは志とかいったことを考えます。
(「音楽への礼状」より)
     *
クラシックの演奏だけでなく、多くのものが、
よくもわるくも,スマートになっていっているように感じる。

フルトヴェングラーの演奏によって、
《きくひとはすべて、単に過ぎた時代をふりかえるだけではなく、時代の忘れ物に気づき》
とある。
だからこそ、若い人であっても、あらゆる世代の人がフルトヴェングラーの演奏を、
いま聴く。

時代の忘れ物に気づかさせてくれる演奏──、
だけではないはずだ。
だけであったら、寂しすぎる。

時代の忘れ物に気づかさせてくれる音(オーディオ)、
時代の忘れ物に気づかさせてくれるデザインがある、と信じている。

それは古いモノに限らない。

Date: 7月 9th, 2018
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(整理と省略・その7)

一年ほど前のことだった。
信号待ちしていたら、近くにいる小さな女の子が、
歩行者用信号についている白杖マークのボタンを押そうとしていた。

一緒にいたお母さんが
「押しちゃダメ。そのボタンは目に障碍のある人が押すんだから」
と制止した。

小学校のときだった、
先生が、あのボタンは視覚障碍者のためのボタンだから、むやみに押してはダメ、
そんなことをいっていたのは記憶にある。

でも冷静に考えてみればおかしな話だ。
視覚障碍者は、あのボタンがあることに気がつかないのだから。

あのボタンは、信号待ちしているときに、近くに、もしくは反対側に、
白杖の人がいたら、代りに押すためのもののはずだ。

それなのに、そうやって使っている人を、これまで一度も見たことがない。
つい数ヵ月前に、あまり通らない信号で青になるのを待っていたら、
かすかな電子音がしているのに気づいた。

白杖マークのボタンが新しくなっていた。
赤で待っているときに、視覚障碍者であっても、
音で近くにボタンがあることを知らせている。

やっと改良されたのか、と思った。
それでも、このタイプのボタンは、まだ他では見かけていない。

Date: 7月 6th, 2018
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(整理と省略・その6)

その5)の日付は、2014年7月。四年も開けてしまった。

その四年のあいだに、セブン・イレブンのコーヒーマシンも、
最初から日本語表記が加わるようになった。
それでも店舗によってはシールが貼られていたりする。

四年前と比べれば、シールの数、大きさも減って小さくなっているけれど、
それでもゼロになっているわけではない。

昨年からだったか、セブン・イレブンではカフェラテもラインナップに加わる。
それにともない、これまでのコーヒーマシンの幅をかなり広くして、
カフェラテにも対応できるマシンが設置されている。

このマシンの扱いが、また面白いというかおかしなことになっている。
そのまま設置してある店舗もある。
けれど、このマシンは、紙コップを置くところが二つある。

これまでのコーヒー用とカフェラテ用である。
注ぎ口を共通にしなかったのは、味とアレルギーにこだわってことだろう。

そういう造りだから、
二杯(コーヒーとカフェラテを一杯ずつ)同時に淹れることもできる。
けれど、実際にはどちらか一杯ずつである。

さほど大きくない店舗で、コーヒーマシンが一台のみだったら、まだいい。
客が多く訪れドリップコーヒーの売行きが多いところでは、複数台設置してある。

そんな店舗の中には、カフェラテ/コーヒーマシンに、べったりと貼紙がしてある。
いくつかの店舗でそうだった。

カフェラテ/コーヒーマシンなのに、カフェラテ専用マシンにしている。
貼紙にもそう書いてある。
コーヒーを淹れたい人は、これまでのコーヒーマシンでどうぞ、ということだ。

注意書きの貼紙だけでなく、
コーヒーを淹れるためのボタンの上にも貼紙がしてあり、
紙コップを置くところのアクリルのカバーにも、べったり貼紙がしてある。

ほぼ二台分の横幅をもつカフェラテ/コーヒーマシンなのに、
こういう扱いになっている。
ならば最初からカフェラテ専用マシンで、横幅を従来のコーヒーマシンと同じにした方が、
占有面積も減って、もう一台設置できそうである。

そんな扱われ方をしているのを実際に見てしまうと、
有名デザイナーによるデザインに、セブン・イレブンの人たちは、
何も疑問を感じなかったのか、と思う。

セブン・イレブンのドリップコーヒーは、売行きをみても成功している。
けれど、そのマシンに関してはそうはいえない。

Date: 6月 15th, 2018
Cate: デザイン

表紙というデザイン(テクニクスのSL1000Rの場合)

やはりanalog誌の表紙も、テクニクスのSL1000Rだった。
5月発売の管球王国、
6月になってからステレオサウンド、無線と実験、
すべて表紙はSL1000RかSP10Rだった。

どの表紙がいちばん良かったか。
やはりステレオサウンドでしょう、という人が多いのかもしれないが、
私は、あえて順位をつけるなら、analogである。

写真として優れていたから、という理由ではない。
ターンテーブルシートを装着した状態の写真であったからだ。

管球王国の表紙もターンテーブルシートは装着されているが、
アナログディスクが載った状態なので、ターンテーブルシートの存在はほぼ感じない。

SP10R、SL1000Rが発表されたときから感じていたのは、
なぜターンテーブルシートを外した写真ばかりなのか、だった。
ターンテーブルシートは単体での写真だった。

どの写真も真鍮製のプラッターを露出させたままだった。
ターンテーブルシートがなく、
真鍮製のプラッターの上にじかにアナログディスクを置くのが、
テクニクスの推奨する聴き方だとすれば理解できるが、どうもそうではない。

なのに、どのオーディオ雑誌もゴム製のターンテーブルシートを無視している。
ステレオサウンド 207号では表紙だけでなく、
三浦孝仁氏の紹介記事中での写真でもターンテーブルシートは無視されている。

アルミ製のベースの色と真鍮製の色とのコントラストを強調したいのか、
それにしてもくどいし、そればかり見せられても……、と思っていた。

なぜ実使用のスタイルではないのか。
そう思ってきた人は少なくないはずだ。

analogだけはターンテーブルシートを無視していなかった。

Date: 5月 17th, 2018
Cate: デザイン

鍵盤のデザイン(その3)

菅野邦彦氏による未来鍵盤の記事を読んで、
誰もが菅野邦彦氏の演奏で、未来鍵盤のピアノ演奏(音)を聴いてみたい、と思うだろう。

オーディオラボでの録音を聴いてきた人ならば、絶対に思うはずだ。
私もそうだった。

それもできればDSD録音で聴いてみたい、と思った。
このことは同時に思ったことがある。

この鍵盤は、バッハの曲のための鍵盤である──、
そう思えてならなかった。
特に理由はなく、直観でそう感じた。

未来鍵盤(王様鍵盤)でのバッハ演奏。
できれば平均律クラヴィーアを聴きたい。