簡潔だから完結するのか(デザインの強度・その1)
この半年ほど感心しているのが、ポケットモンスターのキャラクターのピカチュウである。
ピカチュウの説明は要らないだろう。
電車に乗っているとき、街中を歩いているとき、
若い女性のカバンに、ピカチュウがついているものを、割と見る。
そういった若い女性が好んで行きそうな雑貨店には、
ピカチュウをモチーフとした、いろんなものが売っている。
ぬいぐるみだけでなく、小物入れや財布などなど、
ピカチュウはさまざまな形態になっている。
それでもパッとみて、ピカチュウはピカチュウであり、
ピカチュウの特質を、ほとんどの、そういったものは損っていない。
これは、意外にすごいことではないかのか──、
ここ半年ほど、そんなことを考えていたりする。
つまりピカチュウは、デザインされている。
ピカチュウこそグッドデザインといえるのではないか、とも思いはじめている。
そんなことを思っていた先週末、やはり電車に乗っていた。
目的の駅に着いて改札に向っていたら、
前を歩いている人のTシャツの背中のイラストが視界に入ってきた。
太い黒い線で描かれた女性の顔である。
ウェーブのかかった紙、顔の輪郭、赤く塗られた唇、それにホクロがひとつ。
それだけの、実にシンプルなイラストだった。
目も鼻も耳も、そこには描かれていない。
それが誰なのか、Tシャツには、文字もない。
けれど、すぐに誰なのかはわかる。
マリリン・モンローである。
これ以上の省略は無理、というほどのシンプルなイラストなのに、
モンローだと、わかる。
とういことは、このイラストはデザインといえるのか、
さらには、マリリン・モンロー自身がデザインなのか──、
そんなことを考えるようになった。