オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(Air Force ZEROのこと・その3)
四年ほど前に、200号までにステレオサウンドでオーディオのデザイン論が語られるとは思えない──、
と別項で書いた。
語られることはなかった。
これから先も語られることはないと思っている。
このオーディオのデザイン論こそが、ステレオサウンドがやってこなかったこと、やり残してきたことだ。
私が編集部にいたときも、オーディオのデザイン論はやってこなかった。
十年以上昔になるか、
ステレオサウンドに、素人によるデザイン感的な文章が連載となっていた。
デザイン論とはとうてい呼べないものだった。
ほんとうにひどい、と思って読んでいた。
その連載が終了して、デザインについてある人と話していた時に、この記事のことが話題になった。
「ひどい記事だったね」とふたりして笑いあった。
こんなことを四年前に書いた。
ある人の名前は四年前は明かさなかった。
ある人とは菅野先生である。
菅野先生とデザインについて話していたときに、
私がつい、ポロッと「そういえば、あのステレオサウンドの連載、ひどかったですね」と言った。
すると菅野先生も、お前もそう思うか、という感じで「デザインの素人による内容だよ」と言われた。
ひどい記事と口にしたときには、しまった、と思わなかったわけではない。
菅野先生がどう思われていたのかは知らなかったからだ。
けれど、こちらが本音で話せば、菅野先生はきちんと応えてくださった。
その菅野先生は、もういない。
瀬川先生もそうだ。
オーディオのデザイン論についてきちんと語れる人たちがいない。
なのに、ステレオサウンドは、川崎先生の連載をわずか五回で手離している。
川崎先生が、なぜ離れられたか──、
その理由は現編集長の染谷一氏がいちばんわかっているはずだ。
というより、わかっていなくてはならない。