Archive for category デザイン

Date: 5月 28th, 2015
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(その10・さらに余談)

ラックスのPD121。
この素敵なターンテーブルに似合うトーンアームは、やはりSMEの3009ということになる。
多くの人がそう感じていると思うし、
ラックスもSMEの3009 SeriesII Improvedを推奨アームとしていた。

PD121のトーンアームベースは六種類用意されていた。
TB-S、TB-G、TB-GS、TB-GM、TB-O、TB-Uであり、
標準品として付属してくるのはTB-S、つまりSME用である。

1975年にステレオサウンドから出た「世界のオーディオ」ラックス号に、
ラックス製品に関する質問と回答というページがある。

そこにPD121、PD131とマッチするトーンアームは何か、という質問に対して、
次のような回答が載っている。
     *
 性能的にいえば、良く出来たアームであれば、別段どれが相性が良く、どれが悪いということはありません。しかし、デザイン的にいえば、元来シンプルなデザインの本機だけに、アームのデザインによっては全体を生かしも、また、殺しもします。アーム1本で全体の表情が全く違ったものになります。そういった意味からすればSME300/S2 Improvedが最適で、販売時点ではSME用のアームベースを付属してお手元にお届けするようになっています。
     *
メーカー推奨の組合せのもつ良さ。
オーディオの組合せは自由なだけに、
PD121と3009 SeriesII Improvedの組合せのもつ良さも知ってほしいと思うし、
忘れてほしくないとも思う。

アナログプレーヤーにおける主役は、やはりレコードだと思う。
そのことをPD121と3009 SeriesII Improvedの組合せを思い出させてくれる。

Date: 5月 27th, 2015
Cate: デザイン
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オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(その10・もうすこし余談)

フィデリティ・リサーチのトーンアームFR64Sは、型番末尾のSが示すようにステンレスが使われている。
SのつかないFR64はアルミ製である。

瀬川先生はFR64SよりもFR64のほうを高く評価されていた。
ステレオサウンド 43号のベストバイの中で、
《ステンレス製の64Sは、私の試聴したものは多少カン高い傾向の音だった。その後改良されて音のニュアンスが変っているという話を聞いたが、現時点では64の方を推す次第。》
と書かれている。

PD121AとFR64Sの組合せを見ていて感じていたのは、このことでもあった。
音は聴いていないのでなんともいえないのだが、
PD121のアルミの質感とFR64Sのステンレスの質感とがうまく合っていない印象を感じていた。

ささいなことといえばささいなことである。
モノクロの写真で見ていたときには感じにくかったことを、
実物を前にすると、はっきりと感じとれる。

ラックスはPD121、PD131の前にP22というアナログプレーヤーを、1966年に出している。
ベルトドライヴ方式のこのプレーヤーには、グレース製のトーンアームが付属していた。

PD121にはトーンアームが付属してこない。
原稿製品のPD171には、PD171ALとPD171Aとがあり、ALモデルはトーンアームなしだ。
PD171にはトーンアームなしのモデルはなかった。

PD121とPD171の大きな違いは、ここに関係しいてる点にもある。
PD121を使ったことのある人ならば、
トーンアームベースがバヨネット方式になっていることを知っている。

カメラのレンズ交換のそれと同じで、簡単にトーンアームベースを取り替えられるようになっている。
トーンアームを開発する、もしくは専門メーカーに依託することで、
PD121のプレーヤーシステムとしての完成度は高くなったであろうが、
それをあえてせずにアームレス仕様として送り出したのは、
このバヨネット方式のトーンアームベースにこだわってのことではないのか。

そういうこだわりが、PD171には感じられない。

Date: 5月 26th, 2015
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(その10・余談)

ラックスのターンテーブルPD121は1975年に出ている。
デザイナーは、現在47研究所を主催されている木村準二氏。

いまのラックスにもアナログプレーヤーはある。
PD171がある。

私は、PD121はいまも欲しい、と思っている。
つい一ヵ月ほど前、あるオーディオ店にPD121Aとフィデリティ・リサーチのFR64Sの組合せが、
中古で店頭に並んでいた。
けっこうきれいな感じだった。つけられていた価格も妥当なものだった。

しばらく眺めていた。
こういうスタイルのアナログプレーヤーの良さというものを思い出していた。

PD171をオーディオショウ、オーディオ店でみかけても欲しいとは思ったことはない。
どちらが音がいいのかというと、PD171は聴いていないのでなんともいえないが、
PD171の方かもしれない。

それでも欲しいのはPD121である。
デザイナーが違うのだから、このふたつのアナログプレーヤーの印象が違うのは当然だと思っていた。
けれど、それだけではないようにも思うようになった。

PD121のころ、ラックスは本社が大阪にあった。
1984年に本社を東京都(大田区)に移す。
1987年には品川区へ移転。
1994年同じ品川区内でまた移転している。
いまは神奈川県横浜市に本社がある。

本社が関東に移ってから30年以上が経っている。

PD121とPD171のデザインの違いは、
本社がどこかにあったのかも関係しているのではないだろうか。

Date: 5月 13th, 2015
Cate: コントロールアンプ像, デザイン

コントロールアンプと短歌(その2)

瀬川先生の文章を読んでヤマハのCIとテクニクスのSU-A2を、まっさきに思い浮べたのは、
そこに書かれていたことから遠い存在として、であった。

その後に、瀬川先生の文章のような存在といえるコントロールアンプいくつか思い浮べていた。
そしてこれらのコントロールアンプのデザインに 短歌的なものを見いだせるとしたら、
CIとSU-A2は、技術者がやりたいことをやったという性格のアンプだから、
文字数の制約のない小説ということになるのか。
そんなことを考えた。

そんなことを考えながら思い出していたのは、
瀬川先生がステレオサウンド 52号の特集の巻頭に書かれた「最新セパレートアンプの魅力をたずねて」だった。
マッキントッシュのC29とMC2205のことを書かれている。
     *
 ずっと以前の本誌、たしか9号あたりであったか、読者の質問にこたえて、マッキントッシュとQUADについて、一方を百万語を費やして語り尽くそうという大河小説の手法に、他方をあるギリギリの枠の中で表現する短詩に例えて説明したことがあった。
 けれどこんにちのマッキントッシュは、決して大河小説のアンプではなくなっている。その点ではいまならむしろ、マーク・レビンソンであり、GASのゴジラであろう。そうした物量投入型のアンプにくらべると、マッキントッシュC29+MC2205は、これほどの機能と出力を持ったアンプとしては、なんとコンパクトに、凝縮したまとまりをみせていることだろう。決してマッキントッシュ自体が変ったのではなく、周囲の状況のほうがむしろ変化したのには違いないにしても、C29+MC2205は、その音もデザインも寸法その他も含めて、むしろQUADの作る簡潔、かつ完結した世界に近くなっているのではないか。というよりも、QUADをもしもアメリカ人が企画すれば、ちょうどイギリスという国の広さをそのまま、アメリカの広さにスケールを拡大したような形で、マッキントッシュのサイズと機能になってしまうのではないだろうか。そう思わせるほど近ごろ大がかりな大きなアンプに馴らされはじめた目に、新しいマッキントッシュは、近ごろのアメリカのしゃれたコンパクトカーのように小じんまりと映ってみえる。
     *
大河小説というキーワードで思い出したにすぎないのだが、
これがCIとSU-A2はほんとうに文字数の制約のない小説なのだろうか、と考え直すきっかけとなった。

ヤマハのCIは実際に触ったことはある。
とはいえ自分のモノとしてしばらく使ったわけではないし、触ったという程度に留まる。
SU-A2は実物を見た記憶がはっきりとない。
もしかすると学生時代に、どこかでちらっと見たような気もしないではないが、もうおぼろげだ。

これだけ多機能のコントロールアンプは短い期間でも自分の使ってみるしかない。
そのうえでないと、きちんと評価することはできない、といっていいだろう。

なのでCIとSU-A2に関しては、あくまでも写真を見ただけの判断になってしまうのだが、
このふたつのコントロールアンプに未消化と感じるところは、私にはない。

Date: 5月 11th, 2015
Cate: コントロールアンプ像, デザイン

コントロールアンプと短歌(その1)

それは日本古来の短歌という形式にも似ている。三十一文字の中ですべての意味が完了しているという、そのような、ある形の中で最大限の力を発揮するという作業は、まことに日本人に向いているのだ、と思う。
     *
これは瀬川先生がラジオ技術 1961年1月号に書かれた文章である。
瀬川先生は1935年1月生れで、1961年1月号は1960年12月に出ているし、
原稿はその前に書かれているのだから、瀬川先生25歳の時の文章となる。

この文章はコントロールアンプのデザインについて書かれたもの。
短歌は、五・七・五・七・七の五句体からなる和歌であるから、
31文字であれば、六・六・五・五・九や四・五・六・八・八でいいわけではなく、
あくまでも31文字という制約と五・七・五・七・七の五句体という制約の中で、すべての意味が完了する。

正しく、これはコントロールアンプのデザインに求められることといえる。
これだけがコントロールアンプのデザインのあるべき姿とはいわないが、
瀬川先生がこれを書かれてから50年以上経ついま、きちんと考えてみる必要はある。

瀬川先生の、この文章を読んで、まず私が頭に思い浮べたのは、
ヤマハのCIとテクニクスのSU-A2だった。
どちらも非常に多機能なコントロールアンプである。
コントロールアンプの機能として、これ以上何が必要なのか、と考えても、
すぐには答が出ないくらいに充実した機能を備えているだけに、
それまでのコントロールアンプを見馴れた目には、
コントロールアンプという枠からはみ出しているかのようにもうつる。

ツマミの数も多いし、メーターも装備している。
そうなるとフロントパネルの面積は広くなり、それだけの機能を装備するということは、
回路もそれだけのものが必要となり、消費電力も増える。
電源はそれだけ余裕のある設計となり、筐体も大きくなり、
CIは重量17kg、消費電力55W、
SU-A2は重量38.5kg、消費電力は240Wとなっている。

このふたつのコントロールアンプは、だから短歌的デザインとはいえない、といえるだろうか。
私の知る限り、CI、SU-A2に匹敵する多機能のコントロールアンプは他にあっただろうか、
日本以外のメーカーから登場していない。

このふたつのコントロールアンプは、日本だから登場したモノといえる。
ということは、これらふたつのデザインに、短歌的といえるなにかを見いだすことができるのか。
そう考えた。

Date: 4月 30th, 2015
Cate: デザイン

日米ヒーローの造形(その2)

三年半ほど前に(その1)を書いたときは、
タイトルの後に(その1)とはつけていなかった。
続きを書くつもりは全くなかったからだ。
それにタイトルもカテゴリーも少し違っている。

なのに、今日(その2)を書いている。
デザインとデコレーションの違いについて、ヒーローの造形が好適な例だと気づいたからだ。

私が小学生のころ、仮面ライダーとウルトラマンの人気はすごかった。
私も夢中になってみていた。

そのウルトラマンの造形だが、
初代のウルトラマン、次のウルトラセブンまでは、カッコイイと感じていた。
三作目「帰ってきたウルトラマン」の造形は、初代ウルトラマンとそれほど変っていない。

けれど四作目のウルトラマンA(エース)、その後のウルトラマンタロウになると、
子供ながら、カッコイイとは感じなくなっていた。
なにかゴテゴテした感じが好きになれなかった。

ウルトラマンというヒーローの造形だけではない。
地球を防衛する組織のメカニズムも、ゴテゴテと飾り立てたモノへと変っていった。

当時は小学生だということもあって、
もしかすると私が初代ウルトラマン、ウルトラセブンに夢中になっていた年齢と同じ子供がみれば、
ウルトラマンA、ウルトラマンタロウもカッコいいと感じるのかもしれない、そんなふうに思っていた。

それからずいぶん経ち、デザインとデコレーションの違いについて語るときに、
私と同世代で、ウルトラマン、ウルトラセブン、帰ってきたウルトラマン、ウルトラマンA、ウルトラマンタロウ、
これらをこの順序で見てきた人ならば、わかってもらえるような気もする。

ウルトラマン、ウルトラセブンの造形はデザインであり、
ウルトラマンA以降はデコレーションの要素が極端に強くなっている。
それは登場するメカニズムもまったく同じことがいえる。

Date: 3月 2nd, 2015
Cate: atmosphere design, デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(atmosphere design)

オーディオのデザイン、オーディオとデザインについて考えていると、
オーディオ機器のデザインだけにとどまらず、
もうそろそろ空気のデザインということを考えていく時期に来ているように感じてしまう。

空気のデザイン、
つまりはリスニングルーム内の空気、
特定の空気であるから、アトモスフィア(atmosphere)のデザインとなる。

それはリスニングルームに、音響パネル、その類のモノを置くことも含まれはするが、
それだけのことにとどまらず、
リスニングルーム内の空気をどうデザインするかの領域を含んでの考えである。

Date: 2月 9th, 2015
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(GKデザインとヤマハ)

ステレオサウンド 47号、巻頭。
瀬川先生が「オーディオ・コンポーネントにおけるベストバイの意味あいをさぐる」を書かれている。
その冒頭に、こうある。
     *
たしか昭和30年代のはじめ頃、イリノイ工大でデザインを講義するアメリカの工業デザイン界の権威、ジェイ・ダブリン教授を、日本の工業デザイン教育のために通産省が招へいしたことがあった。そのセミナーの模様は、当時の「工芸ニュース」誌に詳細に掲載されたが、その中で私自身最も印象深かった言葉がある。
 ダブリン教授の公開セミナーには、専門の工業デザイナーや学生その他関係者がおおぜい参加して、デザインの実習としてスケッチやモデルを提出した。それら生徒──といっても日本では多くはすでに専門家で通用する人たち──の作品を評したダブリン教授の言葉の中に
「日本にはグッドデザインはあるが、エクセレント・デザインがない」
 というひと言があった。
 20年を経たこんにちでも、この言葉はそのままくりかえす必要がありそうだ。いまや「グッド」デザインは日本じゅうに溢れている。だが「エクセレント」デザイン──単に外観のそればかりでなく、「エクセレントな」品物──は、日本製品の中には非常に少ない。この問題は、アメリカを始めとする欧米諸国の、ことに工業製品を分析する際に、忘れてはならない重要な鍵ではないか。
     *
47号が出たのは1978年6月。
ちょうどこのころ、ヤマハのオーディオ機器をGKインダストリアルデザイン研究所が手がけていることを知った。
知った、といっても、ただそれだけのことで、それ以上のことはわからなかったのだから、
知らないと同じようなものだ。

「日本にはグッドデザインはあるが、エクセレント・デザインがない」
ここで私が思い浮べていたのは、ヤマハのオーディオ機器のことだった。

1978年、ヤマハのスピーカーシステムはNS1000Mがあった。NS690IIもあった。
プリメインアンプは、CA2000、A1があり、コントロールアンプはC2、C4、
パワーアンプはB3、B4、チューナーはCT7000、T1、T2などがあった。

どれもグッドデザインだと思っていた。
でもエクセレント・デザインかというと、当時高校生だった私には、そうは思えなかった。

GKインダストリアルデザイン研究所が、ヤマハのオーディオ機器のすべてを手がけていたのかどうかも知らない。
けれどヤマハの代表的なオーディオ機器は、GKインダストリアルデザイン研究所によるものだろう。

GKインダストリアルデザイン研究所が手がけたであろうヤマハのオーディオ機器のいくつかは、
いまでも欲しいと思うモノがある。
それでもエクセレント・デザインとは不思議と思えない。

それは瀬川先生が書かれているように、
「エクセレント」デザイン──単に外観のそればかりでなく、
「エクセレントな」品物──は、日本製品の中には非常に少ないからなのだろうか。

そうかもしれない。
私にとってはヤマハのオーディオ機器は「エクセレントな」品物ではなかった。
上品ではあった。
でもそのことが「エクセレントな」になることを阻礙していたのかも……、とも思える。

榮久庵憲司氏が亡くなられたことを知り、
最初に思ったのが、このことだった。

ヤマハのオーディオ機器のデザインについては、
瀬川先生の語られたある言葉も思い出すし、いつかまた書くことになると思う。

Date: 1月 27th, 2015
Cate: LNP2, Mark Levinson, デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(LNP2のこと・その8)

熱心なオーディオマニアでもあるデザイナーの川崎先生は、
デザインとデコレーションの違いについて、ずっと書かれてきている。

マークレビンソンのLNP2に、デコレーション(装飾)の要素はない、といえる。
ならばLNP2はデザインされたモノなのか、というと、私にはそうは思えない。

なぜLNP2のデザインに私は魅力を感じないのか。
私が出した答は、デザイン(Design)とレイアウト(layout)の違いである。

LNP2はきっちりとレイアウトされたフロントパネルをもつコントロールアンプである。
少なくとも私にとって、それ以上ではない。

Date: 1月 14th, 2015
Cate: LNP2, Mark Levinson, デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(LNP2のこと・その7)

マークレビンソンのML6のデザインも、素晴らしいとはいわない。
けれどML6をステレオサウンドに載った写真でみたとき、
LNP2、JC2(ML1)には感じないものを感じていた。

ML6はウッドケースにおさめられた写真が多かった。
中に、ウッドケースから取り出し、上下に重ねた写真もあった。

ML6はウッドケースにいれないほうが断然いい。
少なくとも私がML6に感じていた魅力は、ウッドケースなしのほうが映える。

ML6の基本はJC2のデザインである。
JC2のフロントパネルからツマミやスイッチを取り外して、
レベルコントロールとインプットセレクターだけにしたのがML6である。
これ以上省けないところまで機能を削っている。

音のために、その潔さに魅力を感じていたのか、と思いもしたが、どうもそうではない。
ML6を、LNP2、JC2の写真を何度も見較べた。
実物をみる機会はなかったから、ステレオサウンドに載った写真を見較べるしかない。

ML6には、色気のようなものがあるのに気づいた。
色気のようなもの、であって、色気とは書かない。

ほとんどのっぺらぼうに近いフロントパネルのML6にあって、
メーターもついていて、ツマミの数も多いLNP2に感じられないもの。

それは肉感的な要素であり、官能的な要素である。
とはいえML6にそういった要素があるとはいえないのだけれど、
LNP2にはそういった要素を拒否している。

Date: 1月 11th, 2015
Cate: LNP2, Mark Levinson, デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(LNP2のこと・余談)

そういえば、こんな質問をもらった。
マランツのModel 7とマークレビンソンのLNP2、どちらかくれるといわれたら、どちらをもらいます?、と。

仮定の質問であるから、どちらもコンディションはまったく問題ない。
新品同様のModel 7とLNP2が目の前にある。
どちらをとるか。

私はLNP2をとる。
けれど、誰かに、どちらをもらったほうがいいですか、とさらに質問されたら、
Model 7がいいですよ、と答える。

どちらも完璧なモノではない。
完璧なオーディオ機器など、この世には存在していない。
どんなモノであれ、いくつかの欠点は持っている。

欠点の少なさでいえば、Model 7であり、完成度の高さでもModel 7である。
デザインで判断してもModel 7である。

それでも私はLNP2をとる。
Model 7も手元においておきたいコントロールアンプのひとつである。
なのにLNP2をとるのは、個人的ないくつかのおもいがそこにあるからであり、
これはほかの人にはまったく関係のないことだ。

だから人にはModel 7をすすめ、私はLNP2をとる。
良し悪しだけでは割り切れぬことが、LNP2にはある。

Date: 1月 11th, 2015
Cate: LNP2, Mark Levinson, デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(LNP2のこと・その6)

シルバーパネルのML6のデザインが素晴らしいかときかれたら、そんなことはない、と答える。
ML6を実際に使ってみると、非常に使いにくい。

この項の(その3)に引用したRFエンタープライゼスの広告。
そこに書いてあるJC2のごく些細な使い勝手の欠点。
これを読んだ時は正直はっきりとわからなかった。

自分でJC2を使ってみると、それはわかる。

RFエンタープライゼスの広告はステレオサウンド 43号に載っている。
43号の巻末には囲み記事で、
マーク・レヴィンソンがステレオサウンド試聴室にML2のプロトタイプを持ち込んだとある。

このふたつは関係している。
マーク・レヴィンソンがJC2の使い勝手の欠点の指摘を受けたのは、アメリカではなくおそらく日本である。
ML2のプロトタイプをもって来日した時に、
オーディオ関係者から、ごく些細な使い勝手の欠点を指摘されたと考えて間違いない。

だとすると自分でJC2を使っていた経験からも、些細な欠点がどういうことなのかはっきりする。
確かにそれは使い勝手の欠点であり、それをごく些細な、と受けとるか、それともけっこう重要なこととするのか、
それは使い手によって違ってもこよう。

けれどML6の使い勝手の欠点はそうではない。
はっきりと、すべての人にとって使い勝手の最悪なコントロールアンプ(プリアンプと呼ぶべきなのだが)である。

最悪な使い勝手は写真をみてもわかる。
けれど実際に使ってみると、想像以上に使い勝手の悪さ(ひどさ)がある。

Date: 1月 11th, 2015
Cate: LNP2, Mark Levinson, デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(LNP2のこと・その5)

マークレビンソンのコントロールアンプにはML6というモデルがあった。
「’81世界の最新セパレートアンプ総テスト」にはML6ALというモデルが登場している。
     *
 左右独立、それも電源からボリュウムコントロールまでという徹底ぶりだ。その勇気と潔癖症には脱帽するし、こういう製品が一つぐらいはあってもよいと思う。しかし、これはもう一般商品とはいえないし、プロ機器としては、さらに悪い。本当は業務用こそ、誰が使っても間違いなく、容易に使えて、こわれないものであるべきなのだ。この製品の登場は業務用機器のメーカーではないことを立証したようだ。
     *
菅野先生はこう書かれている。
この意見には完全に同意する。
ML6Aは、もっとも魅力を感じない。
だがML6Aの前身モデルであるML6になると、私の感じ方はまるで違う。

ML6はシルバーパネル、ML6はブラックパネルであり、
ML6はJC2(ML1)のモノーラル化、ML6AはML7のモノーラル化であり、
モノーラルにすることのメリットをより徹底的に追求しているのはML6Aである。

それでもML6Aのデザインには、色気を感じない。
ML6には、なにかを感じていた。

ML6とML6Aのデザインの違いは、フロントパネルの色だけではない。
レベルコントロールのツマミの周囲にML6はdB表示があった。
ML6Aは何も表示されていない。

フロントパネル中央にロゴがある。その両脇にML6はLEMOコネクターが配されていた。
ML6Aではネジになっている。
LEMOコネクターは金、ネジは銀。

言葉で違いを書けばこれだけなのだが、印象はまるで違う。

Date: 1月 8th, 2015
Cate: LNP2, Mark Levinson, デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(LNP2のこと・その4)

マーク・レヴィンソンがいたころのマークレビンソンのコントロールアンプのデザインが、
トラックやブルドーザーのように見えない、という方も少なくないだろう。

私もトラックやブルドーザーとは見えなかった。
念のため何度も書くが、LNP2のデザインは悪くはない。
けれど優れたデザインとは私は思っていないし、美しいデザインとも思っていない。

なぜ、菅野先生は、そんなふうに表現されたのだろうか。
ステレオサウンドにいたころ、直接菅野先生にたずねてれば……、と思いもするが、
たずねてしまうと、自分でなぜなのか、と考えることを放棄してしまうことにもある。

なぜなのかを四六時中考えているわけではないが、
1981年から、これまでずっと頭のどこかには、このことがあった。

「’81世界の最新セパレートアンプ総テスト」で、
菅野先生はマークレビンソンのパワーアンプについては、どう書かれているか。
ML2、ML3については、こう書かれている。
     *
Aクラス動作で25Wのモノーラルアンプがこの大きさ! いかにもMLらしい大胆な製品である。やりたいこと、やるべきことをやるとこうなるのだ、といわんばかりの主張の強さがいい。そして2Ω負荷100Wを保証していることからしても、アンプとしての自信の程が推察できるというものだ。パネルはML3に準じるが、ヒートシンクが非常に大きく、上からの星形のパターンが目をひく。2台BTL接続端子がついている。(ML2)

マーク・レビンソンのパワーアンプらしい風格をもった製品。200W+200W(8Ω)のステレオアンプで、見るからに堂々たる体躯のシンメトリック・コンストラクション。前面パネルにはパワースイッチだけがセンターに、その真上に、あのモダーンなロゴがプリントされている。両サイドのハンドルを含め、シンプルながらきわめてバランスのよい美しさである。これぞ、パワーアンプという雰囲気だ。(ML3)
     *
ML2、ML3、どちらに関してもパワーアンプのデザインとして高く評価されている。
ML7、LNP2、ML2、ML3、いずれもマーク・レヴィンソンのテイストを感じさせるアピアランスをもっている。
にも関わらず、コントロールアンプのデザインとパワーアンプのデザインの評価は、これだけ違う。

Date: 1月 7th, 2015
Cate: LNP2, Mark Levinson, デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(LNP2のこと・その3)

ステレオサウンド 43号のRFエンタープライゼスの広告。
     *
「JC-2というのはフェラーリなんだよ。」マーク・レビンソンがいつか云ったことがあります。
 まだレビンソンのアンプが世に紹介されて間もない頃でしたが、JC-2のごく些細な使い勝手の”欠点”を人から指摘されたとき、この生真面目な青年は、ちょっと顔を曇らせて黙って聞いていましたが、やがて口を開いてこう云ったのです。「……これは走るためにつくられたんだ。乗り降りの容易さとか、シフトが重いとか、そういうことが、このクルマにとってどうしてそんなに大事なのかね。」
 彼はそれきり口を噤んでしまいましたが、おそらく胸の中でこんなふうに考えていたことでしょう。「このクルマは、その性能を必要とする人に、そしてこれを乗りこなすことに喜びを感ずる人にこそ、乗ってもらいたものだ。」
     *
いまのステレオサウンドに載っている広告とは、ずいぶんと違う広告であった。
43号は、私には三冊目のステレオサウンドで、JC2はまだ見たことはなかった。
ステレオサウンドの記事でのみ知るアンプだった。

だから、JC2の些細な使い勝手の欠点が、どういうことなのか、それも想像できなかった。
ただ、JC2はフェラーリなんだ、ということが、印象に残った広告だった。

JC2のデザインはツマミに変更が加えられたが、基本的には変らず、ML7に引き継がれている。
菅野先生には、トラックかブルドーザーのようなデザインのML7なのだから、JC2もそういうことになる。

マーク・レヴィンソンは、「JC-2というのはフェラーリなんだよ」と言っている。
それはアンプとしての性能のことであり、デザインに関してのことではない、とも読める。
43号のFエンタープライゼスの広告では、そこのところまではわからない。

マーク・レヴィンソンはJC2のデザインに関しても、
「JC-2というのはフェラーリなんだよ」と思っていたのだろうか。