Archive for category デザイン

Date: 6月 17th, 2015
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(ヤマハのA1・その2)

ヤマハのA1は、ステレオサウンドでは44号の広告が最初だった。
そして45号の新製品紹介で取り上げられている。

45号のヤマハの広告では、
A1のことを”Disk straight DC Amp.”と呼んでいる。

A1のフロントパネルにある三つのプッシュボタンは、
フロントパネル右側からPOWER、SPEAKER、DISCの潤で並んでいる。

POWERは電源スイッチ、SPEAKERはスピーカーのON/OFFスイッチ、
DISCボタンを押すと、
MC型カートリッジ用ヘッドアンプ、イコライザーアンプ、ハイゲイン・パワーアンプという構成になる。
ヒンジドパネル内におさめられているトーンコントロール、フィルター、入力セレクター、テープセレクターは、
DISCボタンが押されている状態ではすべてパスされる。

CA2000の設計方針とは違ったものとなっている。
フロントパネルのデザインも違うだけでなく、天板の放熱用の穴も、
CA2000とA1とでは違う。
A1は、ヤマハにとって新しいプリメインアンプの形態を提案(模索)するためのモデルでもあった。

そういえるのはステレオサウンド 44号の広告を読んでいるからだ。
A1の写真を大きく扱っているページには、こうある。
     *
手に入れるまではどうしようもなく落ちつきを失わせてしまい、手に入れてからは限りない満足感を増大して行くようなオーディオは、(信念とも呼べる)哲学と(稚気とも呼べる)狂気とから生まれてきます。
理想を求めて素材から創造せずにおれず、独想的でリーゾナブルで明らかに傑出している回路・設計技術で創造せずにおれず、十分に丁寧で贅沢で堅牢な構造・構成で物を創造せずにはおれず、そうして常に世界の最高のレベルを超える特性で創造せずにはおれず、しかもそうしたことがどの一個をとっても偽りなく公表通りのものでなければならないという。《Fidelity》についてのヤマハの狂気と哲学──。
その音は息をのむほどの品位と感動性を持っていなければならず、そのデザインは遠くから眺めても接して覗いてもあくまで個性的に美しくなければならず、その仕上げは外見はもとより触れるほどに精妙でなければならず、そうしてロマンを限りなく広げるユニークで実用的な機能性を持っていなければならず、しかも満足感に見合った適正な価格で提供するという、《Luxury》についてのヤマハの哲学と狂気──。
ヤマハのオーディオは、今でも──そしてこれから、ヤマハのphilosophyとenthusiasmに基く、突き抜けたFidelityと惜し気ないLuxuryという二つの支柱によって、他から容易に差別できる実に《魅力的な個性》を持ち続けるでしょう。
そして今、ヤマハは、ヤマハが果たすべき責任とヤマハに寄せられる期待をあらためてしっかりと自覚し、突き抜けた忠実性と惜し気ない贅沢性という二つの面から今までの作品もこれからの作品も見直し、限りないFidelityの上に夢のようなLuxuryを惜し気もなく注ぎ込んだグループと、そうして限りないFidelityを限りなく信じ難く突きつめたグループとに分けて、いまさらのようにヤマハの狂気と哲学を加速します。
もとより、FidelityとLuxuryはヤマハのあらゆる作品を不可分に支えるスピリットであり、一本の線で明確に分類するといったことは不可能なことに違いありませんが、ベーシックにFidelityとLuxuryの両者を存分に実現した上で、そのいずれかをさらに意識的にアクセントして行こうかという発想です。
一つは、日本というやや狭隘な環境をはるかに飛躍して、Globalにというレベルと雰囲気を指向し、世界性を持って世界中のオーディオ・ファイルを狂喜させ、そしてLuxuriousに徹して趣味性と個性とを大胆に追求して世界中のオーディオ・ファイルを歓喜させようかという、Global&Luxurious group──。一つは、ひたすらオーディオの本質をオーソドックスにピュアに堀り下げ、オーソドックスにバランスのとれたキャラクターで、あらゆる人にEssentialに愛用され、そして、さらにさらに忠実度の壁を突き抜けて桁違いの次元を拓き続け、その絶対的に信用できるFidelityによってあらゆる人に愛用されようかという、Essential&Fidelity groupです──。
この秋、ヤマハは、GL groupとEF groupとに分けて、あらゆるジャンルに20機種に近い新製品を登場させます。それらは──それぞれが魅力的な個性を鮮やかにして、大方の期待をはるかに裏切る高次元に登場することになるでしょう。そこに──ヤマハオーティオのエレクトロニクス・エンジニアリングの限りない情熱と鹿知れぬ未来性を垣間見ていただけることでしょう。

Date: 6月 17th, 2015
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(ヤマハのA1・その1)

ヤマハのプリメインアンプにA1というモデルがあった。
1977年に登場している。

最初にA1の広告を見たのはFM誌だったと記憶している。
2ページ見開きのカラー広告で、A1を真正面から撮った写真が大きくレイアウトされていた。

A1のフロントパネルは、三分割するようにスリットが入っていた。
ツマミはボリュウム用がひとつだけ。
あとは正方形のプッシュボタンが三つ。
あとの機能はヒンジドパネルの中におさめられたスイッチで行う。

これらがそれぞれのセクションごとに分割された印象を与えるフロントパネルとなっていた。
ボリュウムは左端で、この部分は正方形のプロックの中にある。

ボリュウムのブロック以外の部分が上下に二分割され、
下側がヒンジドパネルで、上側にプッシュボタンが三つ並ぶブロックとなっていた。

A1以前のヤマハのプリメインアンプといえば、CA1000III、CA2000であり、
A1登場後もCA1000III、CA2000は現行製品であった。

それまでヤマハのプリメインアンプといえばCA2000、CA1000IIIのイメージが強く、
普及クラスのプリメインアンプにしても、同じ流れのものであった。
そこにA1がいきなり登場した。

FM誌で初めてA1を見た中学生の私は、驚いた。
CA2000とずいぶん違うモノが登場したこと、それが新鮮な印象であったことに驚いていた。

Date: 5月 29th, 2015
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(その10・しつこく余談)

PD121と3009 SeriesII Improvedの組合せ。
その見事さは認めても使えるカートリッジの範囲が狭いのが……、と多くの人が思うことだろう。
私もそう思う。

そう思いながらも、PD121と3009 SeriesII Improvedの組合せを使うことは、
そういうことなのだ、と自分を納得させてしまうことになるだろう、自分で使うとなったら。

それでもオルトフォンのSPUだけは使いたい、という気持を完全に捨てきれるかというと、
ちょっと無理である。
とはいえ3009 SeriesII ImprovedにSPUはまず無理である。
ならば、いっそのことトーンアーム自体を交換するということにしたらいののではないか。

幸いなことにPD121のトーンアームベースはバヨネット方式だから簡単に交換が可能である。
カートリッジを交換してゼロバランスを取り直して、針圧、インサイドフォースキャンセラー、
それからラテラルバランス、高さ調整などをする手間を考えれば、
PD121におけるトーンアーム交換の方が楽なのではないか。

PD121が現役だったころには、オルトフォンのRS212があった。
このトーンアームとSPUの組合せ。
これをトーンアームベースごと交換する。

SPU専用ということであればRMG212なのだが、
RMG212はアームレストをどうするかがやっかいだ。

なんでも使えそうな、いいかえれば中途半端なトーンアームを選ぶよりは、
そういうつき合い方もあっていいと思う。

Date: 5月 28th, 2015
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(その10・さらに余談)

ラックスのPD121。
この素敵なターンテーブルに似合うトーンアームは、やはりSMEの3009ということになる。
多くの人がそう感じていると思うし、
ラックスもSMEの3009 SeriesII Improvedを推奨アームとしていた。

PD121のトーンアームベースは六種類用意されていた。
TB-S、TB-G、TB-GS、TB-GM、TB-O、TB-Uであり、
標準品として付属してくるのはTB-S、つまりSME用である。

1975年にステレオサウンドから出た「世界のオーディオ」ラックス号に、
ラックス製品に関する質問と回答というページがある。

そこにPD121、PD131とマッチするトーンアームは何か、という質問に対して、
次のような回答が載っている。
     *
 性能的にいえば、良く出来たアームであれば、別段どれが相性が良く、どれが悪いということはありません。しかし、デザイン的にいえば、元来シンプルなデザインの本機だけに、アームのデザインによっては全体を生かしも、また、殺しもします。アーム1本で全体の表情が全く違ったものになります。そういった意味からすればSME300/S2 Improvedが最適で、販売時点ではSME用のアームベースを付属してお手元にお届けするようになっています。
     *
メーカー推奨の組合せのもつ良さ。
オーディオの組合せは自由なだけに、
PD121と3009 SeriesII Improvedの組合せのもつ良さも知ってほしいと思うし、
忘れてほしくないとも思う。

アナログプレーヤーにおける主役は、やはりレコードだと思う。
そのことをPD121と3009 SeriesII Improvedの組合せを思い出させてくれる。

Date: 5月 27th, 2015
Cate: デザイン
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オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(その10・もうすこし余談)

フィデリティ・リサーチのトーンアームFR64Sは、型番末尾のSが示すようにステンレスが使われている。
SのつかないFR64はアルミ製である。

瀬川先生はFR64SよりもFR64のほうを高く評価されていた。
ステレオサウンド 43号のベストバイの中で、
《ステンレス製の64Sは、私の試聴したものは多少カン高い傾向の音だった。その後改良されて音のニュアンスが変っているという話を聞いたが、現時点では64の方を推す次第。》
と書かれている。

PD121AとFR64Sの組合せを見ていて感じていたのは、このことでもあった。
音は聴いていないのでなんともいえないのだが、
PD121のアルミの質感とFR64Sのステンレスの質感とがうまく合っていない印象を感じていた。

ささいなことといえばささいなことである。
モノクロの写真で見ていたときには感じにくかったことを、
実物を前にすると、はっきりと感じとれる。

ラックスはPD121、PD131の前にP22というアナログプレーヤーを、1966年に出している。
ベルトドライヴ方式のこのプレーヤーには、グレース製のトーンアームが付属していた。

PD121にはトーンアームが付属してこない。
原稿製品のPD171には、PD171ALとPD171Aとがあり、ALモデルはトーンアームなしだ。
PD171にはトーンアームなしのモデルはなかった。

PD121とPD171の大きな違いは、ここに関係しいてる点にもある。
PD121を使ったことのある人ならば、
トーンアームベースがバヨネット方式になっていることを知っている。

カメラのレンズ交換のそれと同じで、簡単にトーンアームベースを取り替えられるようになっている。
トーンアームを開発する、もしくは専門メーカーに依託することで、
PD121のプレーヤーシステムとしての完成度は高くなったであろうが、
それをあえてせずにアームレス仕様として送り出したのは、
このバヨネット方式のトーンアームベースにこだわってのことではないのか。

そういうこだわりが、PD171には感じられない。

Date: 5月 26th, 2015
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(その10・余談)

ラックスのターンテーブルPD121は1975年に出ている。
デザイナーは、現在47研究所を主催されている木村準二氏。

いまのラックスにもアナログプレーヤーはある。
PD171がある。

私は、PD121はいまも欲しい、と思っている。
つい一ヵ月ほど前、あるオーディオ店にPD121Aとフィデリティ・リサーチのFR64Sの組合せが、
中古で店頭に並んでいた。
けっこうきれいな感じだった。つけられていた価格も妥当なものだった。

しばらく眺めていた。
こういうスタイルのアナログプレーヤーの良さというものを思い出していた。

PD171をオーディオショウ、オーディオ店でみかけても欲しいとは思ったことはない。
どちらが音がいいのかというと、PD171は聴いていないのでなんともいえないが、
PD171の方かもしれない。

それでも欲しいのはPD121である。
デザイナーが違うのだから、このふたつのアナログプレーヤーの印象が違うのは当然だと思っていた。
けれど、それだけではないようにも思うようになった。

PD121のころ、ラックスは本社が大阪にあった。
1984年に本社を東京都(大田区)に移す。
1987年には品川区へ移転。
1994年同じ品川区内でまた移転している。
いまは神奈川県横浜市に本社がある。

本社が関東に移ってから30年以上が経っている。

PD121とPD171のデザインの違いは、
本社がどこかにあったのかも関係しているのではないだろうか。

Date: 5月 13th, 2015
Cate: コントロールアンプ像, デザイン

コントロールアンプと短歌(その2)

瀬川先生の文章を読んでヤマハのCIとテクニクスのSU-A2を、まっさきに思い浮べたのは、
そこに書かれていたことから遠い存在として、であった。

その後に、瀬川先生の文章のような存在といえるコントロールアンプいくつか思い浮べていた。
そしてこれらのコントロールアンプのデザインに 短歌的なものを見いだせるとしたら、
CIとSU-A2は、技術者がやりたいことをやったという性格のアンプだから、
文字数の制約のない小説ということになるのか。
そんなことを考えた。

そんなことを考えながら思い出していたのは、
瀬川先生がステレオサウンド 52号の特集の巻頭に書かれた「最新セパレートアンプの魅力をたずねて」だった。
マッキントッシュのC29とMC2205のことを書かれている。
     *
 ずっと以前の本誌、たしか9号あたりであったか、読者の質問にこたえて、マッキントッシュとQUADについて、一方を百万語を費やして語り尽くそうという大河小説の手法に、他方をあるギリギリの枠の中で表現する短詩に例えて説明したことがあった。
 けれどこんにちのマッキントッシュは、決して大河小説のアンプではなくなっている。その点ではいまならむしろ、マーク・レビンソンであり、GASのゴジラであろう。そうした物量投入型のアンプにくらべると、マッキントッシュC29+MC2205は、これほどの機能と出力を持ったアンプとしては、なんとコンパクトに、凝縮したまとまりをみせていることだろう。決してマッキントッシュ自体が変ったのではなく、周囲の状況のほうがむしろ変化したのには違いないにしても、C29+MC2205は、その音もデザインも寸法その他も含めて、むしろQUADの作る簡潔、かつ完結した世界に近くなっているのではないか。というよりも、QUADをもしもアメリカ人が企画すれば、ちょうどイギリスという国の広さをそのまま、アメリカの広さにスケールを拡大したような形で、マッキントッシュのサイズと機能になってしまうのではないだろうか。そう思わせるほど近ごろ大がかりな大きなアンプに馴らされはじめた目に、新しいマッキントッシュは、近ごろのアメリカのしゃれたコンパクトカーのように小じんまりと映ってみえる。
     *
大河小説というキーワードで思い出したにすぎないのだが、
これがCIとSU-A2はほんとうに文字数の制約のない小説なのだろうか、と考え直すきっかけとなった。

ヤマハのCIは実際に触ったことはある。
とはいえ自分のモノとしてしばらく使ったわけではないし、触ったという程度に留まる。
SU-A2は実物を見た記憶がはっきりとない。
もしかすると学生時代に、どこかでちらっと見たような気もしないではないが、もうおぼろげだ。

これだけ多機能のコントロールアンプは短い期間でも自分の使ってみるしかない。
そのうえでないと、きちんと評価することはできない、といっていいだろう。

なのでCIとSU-A2に関しては、あくまでも写真を見ただけの判断になってしまうのだが、
このふたつのコントロールアンプに未消化と感じるところは、私にはない。

Date: 5月 11th, 2015
Cate: コントロールアンプ像, デザイン

コントロールアンプと短歌(その1)

それは日本古来の短歌という形式にも似ている。三十一文字の中ですべての意味が完了しているという、そのような、ある形の中で最大限の力を発揮するという作業は、まことに日本人に向いているのだ、と思う。
     *
これは瀬川先生がラジオ技術 1961年1月号に書かれた文章である。
瀬川先生は1935年1月生れで、1961年1月号は1960年12月に出ているし、
原稿はその前に書かれているのだから、瀬川先生25歳の時の文章となる。

この文章はコントロールアンプのデザインについて書かれたもの。
短歌は、五・七・五・七・七の五句体からなる和歌であるから、
31文字であれば、六・六・五・五・九や四・五・六・八・八でいいわけではなく、
あくまでも31文字という制約と五・七・五・七・七の五句体という制約の中で、すべての意味が完了する。

正しく、これはコントロールアンプのデザインに求められることといえる。
これだけがコントロールアンプのデザインのあるべき姿とはいわないが、
瀬川先生がこれを書かれてから50年以上経ついま、きちんと考えてみる必要はある。

瀬川先生の、この文章を読んで、まず私が頭に思い浮べたのは、
ヤマハのCIとテクニクスのSU-A2だった。
どちらも非常に多機能なコントロールアンプである。
コントロールアンプの機能として、これ以上何が必要なのか、と考えても、
すぐには答が出ないくらいに充実した機能を備えているだけに、
それまでのコントロールアンプを見馴れた目には、
コントロールアンプという枠からはみ出しているかのようにもうつる。

ツマミの数も多いし、メーターも装備している。
そうなるとフロントパネルの面積は広くなり、それだけの機能を装備するということは、
回路もそれだけのものが必要となり、消費電力も増える。
電源はそれだけ余裕のある設計となり、筐体も大きくなり、
CIは重量17kg、消費電力55W、
SU-A2は重量38.5kg、消費電力は240Wとなっている。

このふたつのコントロールアンプは、だから短歌的デザインとはいえない、といえるだろうか。
私の知る限り、CI、SU-A2に匹敵する多機能のコントロールアンプは他にあっただろうか、
日本以外のメーカーから登場していない。

このふたつのコントロールアンプは、日本だから登場したモノといえる。
ということは、これらふたつのデザインに、短歌的といえるなにかを見いだすことができるのか。
そう考えた。

Date: 4月 30th, 2015
Cate: デザイン

日米ヒーローの造形(その2)

三年半ほど前に(その1)を書いたときは、
タイトルの後に(その1)とはつけていなかった。
続きを書くつもりは全くなかったからだ。
それにタイトルもカテゴリーも少し違っている。

なのに、今日(その2)を書いている。
デザインとデコレーションの違いについて、ヒーローの造形が好適な例だと気づいたからだ。

私が小学生のころ、仮面ライダーとウルトラマンの人気はすごかった。
私も夢中になってみていた。

そのウルトラマンの造形だが、
初代のウルトラマン、次のウルトラセブンまでは、カッコイイと感じていた。
三作目「帰ってきたウルトラマン」の造形は、初代ウルトラマンとそれほど変っていない。

けれど四作目のウルトラマンA(エース)、その後のウルトラマンタロウになると、
子供ながら、カッコイイとは感じなくなっていた。
なにかゴテゴテした感じが好きになれなかった。

ウルトラマンというヒーローの造形だけではない。
地球を防衛する組織のメカニズムも、ゴテゴテと飾り立てたモノへと変っていった。

当時は小学生だということもあって、
もしかすると私が初代ウルトラマン、ウルトラセブンに夢中になっていた年齢と同じ子供がみれば、
ウルトラマンA、ウルトラマンタロウもカッコいいと感じるのかもしれない、そんなふうに思っていた。

それからずいぶん経ち、デザインとデコレーションの違いについて語るときに、
私と同世代で、ウルトラマン、ウルトラセブン、帰ってきたウルトラマン、ウルトラマンA、ウルトラマンタロウ、
これらをこの順序で見てきた人ならば、わかってもらえるような気もする。

ウルトラマン、ウルトラセブンの造形はデザインであり、
ウルトラマンA以降はデコレーションの要素が極端に強くなっている。
それは登場するメカニズムもまったく同じことがいえる。

Date: 3月 2nd, 2015
Cate: atmosphere design, デザイン
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オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(atmosphere design)

オーディオのデザイン、オーディオとデザインについて考えていると、
オーディオ機器のデザインだけにとどまらず、
もうそろそろ空気のデザインということを考えていく時期に来ているように感じてしまう。

空気のデザイン、
つまりはリスニングルーム内の空気、
特定の空気であるから、アトモスフィア(atmosphere)のデザインとなる。

それはリスニングルームに、音響パネル、その類のモノを置くことも含まれはするが、
それだけのことにとどまらず、
リスニングルーム内の空気をどうデザインするかの領域を含んでの考えである。

Date: 2月 9th, 2015
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(GKデザインとヤマハ)

ステレオサウンド 47号、巻頭。
瀬川先生が「オーディオ・コンポーネントにおけるベストバイの意味あいをさぐる」を書かれている。
その冒頭に、こうある。
     *
たしか昭和30年代のはじめ頃、イリノイ工大でデザインを講義するアメリカの工業デザイン界の権威、ジェイ・ダブリン教授を、日本の工業デザイン教育のために通産省が招へいしたことがあった。そのセミナーの模様は、当時の「工芸ニュース」誌に詳細に掲載されたが、その中で私自身最も印象深かった言葉がある。
 ダブリン教授の公開セミナーには、専門の工業デザイナーや学生その他関係者がおおぜい参加して、デザインの実習としてスケッチやモデルを提出した。それら生徒──といっても日本では多くはすでに専門家で通用する人たち──の作品を評したダブリン教授の言葉の中に
「日本にはグッドデザインはあるが、エクセレント・デザインがない」
 というひと言があった。
 20年を経たこんにちでも、この言葉はそのままくりかえす必要がありそうだ。いまや「グッド」デザインは日本じゅうに溢れている。だが「エクセレント」デザイン──単に外観のそればかりでなく、「エクセレントな」品物──は、日本製品の中には非常に少ない。この問題は、アメリカを始めとする欧米諸国の、ことに工業製品を分析する際に、忘れてはならない重要な鍵ではないか。
     *
47号が出たのは1978年6月。
ちょうどこのころ、ヤマハのオーディオ機器をGKインダストリアルデザイン研究所が手がけていることを知った。
知った、といっても、ただそれだけのことで、それ以上のことはわからなかったのだから、
知らないと同じようなものだ。

「日本にはグッドデザインはあるが、エクセレント・デザインがない」
ここで私が思い浮べていたのは、ヤマハのオーディオ機器のことだった。

1978年、ヤマハのスピーカーシステムはNS1000Mがあった。NS690IIもあった。
プリメインアンプは、CA2000、A1があり、コントロールアンプはC2、C4、
パワーアンプはB3、B4、チューナーはCT7000、T1、T2などがあった。

どれもグッドデザインだと思っていた。
でもエクセレント・デザインかというと、当時高校生だった私には、そうは思えなかった。

GKインダストリアルデザイン研究所が、ヤマハのオーディオ機器のすべてを手がけていたのかどうかも知らない。
けれどヤマハの代表的なオーディオ機器は、GKインダストリアルデザイン研究所によるものだろう。

GKインダストリアルデザイン研究所が手がけたであろうヤマハのオーディオ機器のいくつかは、
いまでも欲しいと思うモノがある。
それでもエクセレント・デザインとは不思議と思えない。

それは瀬川先生が書かれているように、
「エクセレント」デザイン──単に外観のそればかりでなく、
「エクセレントな」品物──は、日本製品の中には非常に少ないからなのだろうか。

そうかもしれない。
私にとってはヤマハのオーディオ機器は「エクセレントな」品物ではなかった。
上品ではあった。
でもそのことが「エクセレントな」になることを阻礙していたのかも……、とも思える。

榮久庵憲司氏が亡くなられたことを知り、
最初に思ったのが、このことだった。

ヤマハのオーディオ機器のデザインについては、
瀬川先生の語られたある言葉も思い出すし、いつかまた書くことになると思う。

Date: 1月 27th, 2015
Cate: LNP2, Mark Levinson, デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(LNP2のこと・その8)

熱心なオーディオマニアでもあるデザイナーの川崎先生は、
デザインとデコレーションの違いについて、ずっと書かれてきている。

マークレビンソンのLNP2に、デコレーション(装飾)の要素はない、といえる。
ならばLNP2はデザインされたモノなのか、というと、私にはそうは思えない。

なぜLNP2のデザインに私は魅力を感じないのか。
私が出した答は、デザイン(Design)とレイアウト(layout)の違いである。

LNP2はきっちりとレイアウトされたフロントパネルをもつコントロールアンプである。
少なくとも私にとって、それ以上ではない。

Date: 1月 14th, 2015
Cate: LNP2, Mark Levinson, デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(LNP2のこと・その7)

マークレビンソンのML6のデザインも、素晴らしいとはいわない。
けれどML6をステレオサウンドに載った写真でみたとき、
LNP2、JC2(ML1)には感じないものを感じていた。

ML6はウッドケースにおさめられた写真が多かった。
中に、ウッドケースから取り出し、上下に重ねた写真もあった。

ML6はウッドケースにいれないほうが断然いい。
少なくとも私がML6に感じていた魅力は、ウッドケースなしのほうが映える。

ML6の基本はJC2のデザインである。
JC2のフロントパネルからツマミやスイッチを取り外して、
レベルコントロールとインプットセレクターだけにしたのがML6である。
これ以上省けないところまで機能を削っている。

音のために、その潔さに魅力を感じていたのか、と思いもしたが、どうもそうではない。
ML6を、LNP2、JC2の写真を何度も見較べた。
実物をみる機会はなかったから、ステレオサウンドに載った写真を見較べるしかない。

ML6には、色気のようなものがあるのに気づいた。
色気のようなもの、であって、色気とは書かない。

ほとんどのっぺらぼうに近いフロントパネルのML6にあって、
メーターもついていて、ツマミの数も多いLNP2に感じられないもの。

それは肉感的な要素であり、官能的な要素である。
とはいえML6にそういった要素があるとはいえないのだけれど、
LNP2にはそういった要素を拒否している。

Date: 1月 11th, 2015
Cate: LNP2, Mark Levinson, デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(LNP2のこと・余談)

そういえば、こんな質問をもらった。
マランツのModel 7とマークレビンソンのLNP2、どちらかくれるといわれたら、どちらをもらいます?、と。

仮定の質問であるから、どちらもコンディションはまったく問題ない。
新品同様のModel 7とLNP2が目の前にある。
どちらをとるか。

私はLNP2をとる。
けれど、誰かに、どちらをもらったほうがいいですか、とさらに質問されたら、
Model 7がいいですよ、と答える。

どちらも完璧なモノではない。
完璧なオーディオ機器など、この世には存在していない。
どんなモノであれ、いくつかの欠点は持っている。

欠点の少なさでいえば、Model 7であり、完成度の高さでもModel 7である。
デザインで判断してもModel 7である。

それでも私はLNP2をとる。
Model 7も手元においておきたいコントロールアンプのひとつである。
なのにLNP2をとるのは、個人的ないくつかのおもいがそこにあるからであり、
これはほかの人にはまったく関係のないことだ。

だから人にはModel 7をすすめ、私はLNP2をとる。
良し悪しだけでは割り切れぬことが、LNP2にはある。

Date: 1月 11th, 2015
Cate: LNP2, Mark Levinson, デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(LNP2のこと・その6)

シルバーパネルのML6のデザインが素晴らしいかときかれたら、そんなことはない、と答える。
ML6を実際に使ってみると、非常に使いにくい。

この項の(その3)に引用したRFエンタープライゼスの広告。
そこに書いてあるJC2のごく些細な使い勝手の欠点。
これを読んだ時は正直はっきりとわからなかった。

自分でJC2を使ってみると、それはわかる。

RFエンタープライゼスの広告はステレオサウンド 43号に載っている。
43号の巻末には囲み記事で、
マーク・レヴィンソンがステレオサウンド試聴室にML2のプロトタイプを持ち込んだとある。

このふたつは関係している。
マーク・レヴィンソンがJC2の使い勝手の欠点の指摘を受けたのは、アメリカではなくおそらく日本である。
ML2のプロトタイプをもって来日した時に、
オーディオ関係者から、ごく些細な使い勝手の欠点を指摘されたと考えて間違いない。

だとすると自分でJC2を使っていた経験からも、些細な欠点がどういうことなのかはっきりする。
確かにそれは使い勝手の欠点であり、それをごく些細な、と受けとるか、それともけっこう重要なこととするのか、
それは使い手によって違ってもこよう。

けれどML6の使い勝手の欠点はそうではない。
はっきりと、すべての人にとって使い勝手の最悪なコントロールアンプ(プリアンプと呼ぶべきなのだが)である。

最悪な使い勝手は写真をみてもわかる。
けれど実際に使ってみると、想像以上に使い勝手の悪さ(ひどさ)がある。