Archive for category 日本のオーディオ

Date: 6月 29th, 2017
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(OEM・その1)

オリジナル、オリジナル、何が何でもオリジナル、
とにかくオリジナルであることにこだわる人、
オリジナルであることにしか価値を見いだせない人がいる。

それも趣味といえば、それまでであって、
まわりがとやかくいうことではないとはわかっていても、
あまりにも度が過ぎている発言を、SNSでみかけると、
どうしてこんなふうになってしまった(ゆがんでしまった)のかと嘆息する。

そんな人のなかには、日本製であることを極端に毛嫌いする人がいる。
日本製のパーツがひとつでも使われいてると、
そのオーディオ機器の音楽性が破壊されてしまう……らしい。

ずっと以前から日本製の海外オーディオ機器は存在していた。
代表的なのはカートリッジである。

たとえばメガネのフレームは、
海外のブランドものをふくめて、福井の鯖江で、その大半が製造されていることは知られている。

カートリッジもそういう時代があった。
かなり以前は、海外ブランドのカートリッジを、他の海外ブランドが製造していた。
けれどいつしか日本製にうつっていった。

具体的なブランド名は出さないが、
そうとうな数のブランドのカートリッジが日本で製造されていた。
MM型、MI型カートリッジは大量生産に向く。
しかも日本は品質管理がしっかりしている。

日本製・海外ブランドのカートリッジが増えるのは当然といえよう。

手作業の工程の多いMC型カートリッジも、日本製だったものがけっこうある。
最終調整は、その海外ブランドで行われることもあろうが、日本製であることにはかわりない。

Date: 3月 26th, 2017
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(ブームだからこそ・その6)

ステレオサウンド 40号の音楽欄に、
「キングの《ステレオ・ラボラトリー》クラシック篇を聴く」という記事がある。

キングレコードのプロデューサー(当時)の高和元彦氏、
キングレコードの録音部長(当時)の菊田俊雄氏、
それに井上先生の鼎談で構成されている。

レコード制作者側の発言として、こうある。
     *
菊田 2万ヘルツ以上の音というのは、耳には聴こえないわけですから、カッティングの場合は、ふつうは、2万でフィルターを入れるんです。2万以上あるとレコードの盤面でひじょうに高いハーモニックスが入ってくるわけで、当然カッティングされる波がギザギザになってきますから、摩耗の点で問題が出てきます。そこで、2万5千ヘルツぐらいまでフィルターをいれずにカッティングすることは、あまりやりたくないわけです。今回も、最初は摩耗という点で上の方をカットしたりしてみたんですが、そうすると可聴周波数外でありながら、フィルターを入れるために可聴周波数内の音色が変化してくるんですね。これはまずいということで2万5千ぐらいまではそのまま伸ばしてカッティングしてみましたら、ひじょうにバランスがよく、音色的にもきれいに聴こえるようになりました。
 それから聴感上の迫力といいますかパンチといいますか、そういう点は、カッティング・レベルを十分にとることである程度は補なうことが出来るようです。さっき高和がいいましたように、高いほうが伸びるとどうしても音が薄くなるというか、柔らかくなるんです。とくに歪みなどをとればとるほどパンチがなくなります。だからポピュラーなどでは、わざと高いほうを入れないことがあるんですね。とくにブラスの音などは、そのほうが前に出てくるんです。今回の場合は、そうしたことが出来ないわけで、それだけ苦労しましたね。
     *
キングのステレオ・ラボラトリーは、
いわゆるオーディオマニアを対象としたLPだった。

当時の広告には、
レコード技術の限界に挑戦!!、
最高水準レコードは最高の再生音を生み出します、
音の極限を征服した特別製レコード、
などのコピーが並んでいた。

そういうレコードであるからカッティング時に高域をカットしていないが、
通常のレコードでは、菊田氏が述べられているように高域をカットしている。

Date: 2月 23rd, 2017
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(OTOTEN)

いくつものテーマで書いている、このブログだが、
すごく書きたいと思っているテーマのひとつが、「日本のオーディオ、これから」である。

「日本のオーディオ、これまで」も書いている。
書きたいのは「これから」である。

とはいえそれほど書いていない。

今年、音展がOTOTENになった。
会場がインターナショナルオーディオショウと同じ国際フォーラムで開催される。
5月13日(土)、14日(日)の二日間である。

OTOTENの前身はオーディオフェアである。
私にとってオーディオフェアは晴海の見本市会場で行われているものであって、
その後、会場をいくつか変って、名称も変ってきた。
そして足が遠のいた。

オーディオフェアでは、満足のいく音を聴かせられない、ということで、
輸入オーディオショウが開催されるようになって、
輸入オーディオショウがインターナショナルオーディオショウへとなっていった。

前身が輸入オーディオショウということもあって、
日本のメーカーが出展するまでには時間がかかった。
いまではヤマハやテクニクスも出展するようになったが、
晴海でのオーディオフェアを知る者にとっては、
「日本のオーディオ、これから」を書いていきたい者としても、
どこか寂しさのような感じてしまっていた。

音展がそこを満たしていたかというと、そうとはいえなかった。
台場での音展は、うらぶれてしまった感があった。

今年のOTOTENがどういう内容になるのか、詳細はまだはっきりしていないが、
少なくともこれまでよりも期待できるのでは……、と思っている。

Date: 12月 26th, 2016
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(ラックスCL32・その10)

この項は、(その3)ぐらいで終るつもりで書き始めた。
なのに(その10)まで来てしまっているし、もう少し書くつもりでいる。

書きながら、なぜ長くなっていくのか、と考えてもいる。
     *
 昭和三十三年ごろ、つまりレコードがステレオ化した頃を境に、私はインダストリアルデザインを職業とするための勉強を始めたので、アンプを作る時間もなくなってしまったが、ちょうどその頃から、ラックスもまた、有名なSQ5Bをきっかけに完成品のアンプを作るようになった。SQ5Bのデザインは、型破りというよりもそれまでの型に全くとらわれない新奇な発想で、しかも♯5423やXシリーズのトランスのデザインとは全く別種の流れに見えた。
 途中の印象を飛ばすと次に記憶に残っているのはSQ38である。本誌第三号(日本で最初の大がかりなアンプ総合テストを実施した)にSQ38DSが登場している。いま再びページを開いてみても当時の印象と変りはなく、写真で見るかぎりはプロポーションも非常に良く、ツマミのレイアウトも当時私が自分なりに人間工学的に整理を考えていた手法に一脈通じる面があってこのデザインには親近感さえ感じたのに、しかし実物をひと目見たとき、まず、その大づくりなこと、レタリングやマーキングの入れ方にいたるまですべてが大らかで、よく言えば天真らんまん。しかしそれにしては少々しまりがたりないのじゃないか、と言いたいような、あっけらかんとした処理にびっくりした。戦前の話は別として♯5423以来の、パーツメーカーとしてのラックスには、とてつもなくセンスの良いデザイナーがいると思っていたのに、SQ5BやSQ38を見ると、デザイナー不在というか、デザインに多少は趣味のあるエンジニア、いわばデザイン面ではしろうとがやった仕事、というふうにしか思えなかった。
 少なくともSQ505以前のラックスのアンプデザインは、素人っぽさが拭いきれず、しかも一機種ごとに全く違った意匠で、ひとつのファミリーとして統一を欠いていた。一機種ごとに暗中模索していた時期なのかもしれない。その一作ごとに生まれる新しい顔を見るたびに、どういうわけか、畜生、オレならこうするのになア、というような、何となく歯がゆい感じをおぼえていた。
 ほかのメーカーのアンプだって、そんなに良いデザインがあったわけではないのに、ラックスにかぎって、一見自分と全く異質のようなデザインを見たときでさえ、おせっかいにも手を出したくなる気持を味わったということは、いまになって考えてみると、このメーカーの根底に流れる体質の中にどこか自分と共通の何か、があるような、一種の親密感があったためではないかという気がする。
     *
瀬川先生によ「私のラックス観」からの引用だ。
(ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ」ラックス号より)

現在のラックスの一部のアンプのデザインについて書いている。
いいことを書いているわけではない。

ラックスのアンプのデザインだけがだめだというわけではない。
瀬川先生が書かれているように「ほかのメーカーのアンプだって、そんなに良いデザイン」ではない。
なのに、なぜラックスのアンプについてだけ、書きたいことがとまらないのか。

瀬川先生はインダストリアルデザイナーを志されていたから「おせっかいにも手を出したくなる気持」に、
私はデザイナーではないけれど、おせっかいとわかっていても、
何かいいたくなる気持がわいてくる。

これはきっと私だけではないはずだ。
ラックスの歴史は長い。
それだけに多くのユーザーとファンがいる。

昔からのユーザーとファンは、大なり小なり、一種の親密感をおぼえているだろうから、
黙っていられないところがある──、私は少なくともそうである。

Date: 12月 25th, 2016
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(ラックスCL32・その9)

ラックスの歴史は長い。
錦水堂ラジオ部として、ラックスは大正14年に発足している。

錦水堂ラジオ部とあるくらいだから、本家の錦水堂があり、
こちらは額縁屋である。

ラックスのアンプと木製ケースについて、何かを語ろうとするときに、
このことは忘れてはいけないように思っている。

少なくとも1970年代までのラックスのアンプは、
錦水堂が額縁屋だったことを感じさせてくれる。

それがいまはどうだろか。
まったく感じられなくなっている。

アンプだけではない。
アナログプレーヤーのPD121もそうだ。
額縁という観点から、もう一度PD121を見直していただきたい。

PD121のキャビネットを囲っているローズウッド。
実はプリント材である。
     *
 例えばラックスの美しいプレイヤーユニットPD121、131の側面には、とても質の良い──北欧製の高
級家具ぐらいでしかお目にかかりにくいような──美事なローズウッドが張ってある……と思いきや、これが実はプリント材なのだ。ラックスの話によると、あの狭い面積であれだけ美しく見えるローズウッドは、もはや天然材の中からは探し出すの容易でない。一品もののような家具なら別だが、量産用としてほ、もう日本に輸入されるローズウッドからは、不可能に近い。そこで、できるだけ質の良いプリント板を探してみた結果、ああなったのだ、という。
 木目の美しさを見せるなら、絶対に天然材を使うべきで、プリント板などというゴマ化しは絶対に認めたくない、という主義の菅野沖彦氏でさえ、これがプリントだとは見破れなかった。
 ある日この話を彼にしたところ、うーん! とうなって、数十秒間絶句していたが、やがて口を開いてのひと言が、またいかにも菅野氏らしかった。
「うーん……信じていた女の過去を突然聞かされたみたいなショックだよ!」
     *
瀬川先生が、以前FM fan連載の「オーディオあとらんだむ」で書かれていた。
知った上で見ても、プリントとは見破り難い。
これは、やはり錦水堂本家が額縁屋だったからなのだろう。

Date: 12月 24th, 2016
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(ラックスCL32・その8)

先日のKK適塾の二回目、澄川伸一氏の話に比率の美しさがあった。
私がここ数年のラックスのアンプに感じているのは、その逆、
比率の醜さである。

ラックスのいうところの伝統のデザインを継承している機種に、
特にいえることであり、それは最新機種のLX380だけでなく、
それ以前に出ている、昔ながらのラックス・デザインのアンプにもいえる。

ひとつひとつ機種名は挙げない。
昔からのラックスのアンプを知っている人ならば、
どれらのアンプのことを言っているのかはすぐにわかってもらえよう。

だから、ここでは代表してLX380について書いていく。
LX380は管球式プリメインアンプである。

LX380を構成する部品で背の高いものといえば、出力管とトランスになる。
出力管に何を採用するかで、アンプの高さはある程度決ってくる。

出力管を水平配置にしないかぎり、管球式プリメインアンプは厚みのあるものになってしまう。
けれどLX380を見て感じるのは、プロポーションの圧倒的な悪さである。
比率の醜さといってもいい。

なぜ、ここまでずんぐりむっくりにしたのだろうか。
あえて、こういう比率にしているのか。

ラックスのウェブサイトでLX380のページには、
「伝統的なノブのレイアウトと木箱ケース」とある。

揚げ足取りみたいになるが、伝統的なデザイン、とは書いてない。
あくまでも伝統的なノブのレイアウトである。

LX380のプロポーションの悪さは、ラックスも認識しているのか、と思いたくなる。
認識しているからこそ、伝統的デザインではなく、伝統的なノブのレイアウトにしているのか。

Date: 12月 19th, 2016
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(ラックスCL32・その7)

型番とは、そのオーディオ機器のいわば名前である。
名前をおろそかにつける親はいないのとと同じで、
きちんとしたメーカーであれば、自社製品の型番をおろそかにはしない。

そして型番にはそれぞれのメーカーにつけ方のルールがあろう。
アルファベットと数字の組合せからなるのが、大半の型番だけに、
アルファベットが示す意味と、数字が示す意味とは分れる。

ラックスの型番にもルールがあった。
あえて過去形で書いている。

前回(その6)で書いているように、
最初のアルファベットが二文字のときは数字との間にハイフンは入らない、
一文字の場合は数字との間にハイフンがはいる、というルールがあった。

どういう意図で、この型番のつけ方が決ったのかはわからない。
これは知りたいと思っていることのひとつである。

歴史の長いメーカーだと、そのルールをつくった人がすでにいないことも多い。
明文化されていないルールなのかもしれない。

だからいまのラックスはアルファベットが二文字でもハイフンを入れている。
ルールは時代によって変っていってもいい、と考えている。

でも、ラックスの型番に関しては、アルファベット二文字でもハイフンが入るのには、
わずかとはいえ違和感を感じてしまう。
ラックスらしさが消えてしまったかのようにも感じるのだ。

ささいなことといえば、確かにそうだ。
でも、そのささいなルールを変えたのか、破ってしまったのか、
それともルールがあったことすら知らないのか。

ならば型番自体も大きく変えてしまえばいいと思うのだ。
以前からある型番を受け継ぎながらつけていくのであれば、
そこにあったルールを守るべきだ、と私は思う人間だ。

しかも、同じことがラックスの場合、
アンプのパネルフェイスに関してもいえるのが、深刻なように感じてしまう。

LX380を見て、伝統のデザインといえるだろうか。

Date: 12月 3rd, 2016
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(ラックスのアンプ・余談)

ラックスのこととは関係ないが、
電源周波数の違いは、アナログプレーヤーで、シンクロナスモーターの場合、
メーカーはどう対応しているのか。

シンクロナスモーターであれば50Hz用と60Hz用と、
電源周波数が違えばモーターごと交換するのが本来である。

EMTの930st、927Dstなどはそうである。
けれどすべてのシンクロナスモーター使用のモノがそうではない。

モーターを交換せずに、プーリーと進相コンデンサーを交換で対処するモノ、
プーリーだけを交換するモノがある。

はっきりいってプーリーだけの交換ですませてしまうアナログプレーヤーは、
論外といっていい。
どんなに高音質を謳っているモノであっても、
世評が高いモノであっても、
そのメーカーが50Hz、60Hz、どちらの国なのか、
そしてどちらの電源周波数の地区で使うかによっては、問題が生じることがある。

進相コンデンサーも交換するモノであればまだましだが、
それでもお茶を濁している対処法でしかない。

まして高額なプレーヤーで、モーターを交換しないモノは、私は信用していない。

もちろん発振器とアンプによるモーター駆動回路を搭載しているのであれば、
その限りではない。

Date: 12月 1st, 2016
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(続ラックスのアンプ)

同じことをウエスギ・アンプにもおもう。
ここでいうウエスギ・アンプとは現在のそれではなく上杉先生の時代のアンプのことだ。

上杉先生自身がいわれていたように、刺戟的な音は絶対に出さないアンプだった。
そのかわりとでもいおうか、音の力感ということに関しては控えめな表現にとどまっていた──、
そう感じる面をもちあわせていた。

けれど、このことは電源周波数の違いと無関係とは思えない。
上杉先生は兵庫県にお住まいだった。
当然、ウエスギ・アンプはそこでつくられていた。
音決めも60Hz地区である兵庫県で行われていた。

しかもU·BROS3のトランス類はすべてラックス製である。
電源トランスもだ。

この時代のウエスギ・アンプを60Hz地区で聴いたことはない。
なのではっきりしたことはいえないのだが、
U·BROS1とU·BROS3のペアを、60Hz地区で聴いたら、
力感の表現に関しての印象は違ってくるように思われる。

電源周波数の違いで、そのアンプの本質までが180度変ってしまうということはない。
けれど、特質においては意外と変ってしまう面もある。

いまになってU·BROS3を、60Hzで聴いてみたかった、と思っている。

Date: 12月 1st, 2016
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(ラックスのアンプ)

いまラックスの本社は横浜市にある。
1984年に本社を大田区に移転後、関東にある。

それ以前は大阪に本社はあった。
大阪と関東では電源の周波数が違う。
60Hzと50Hzの違いがある。

大阪本社時代は、製品開発は大阪で行っていたはず。
つまり60Hzの電源の元で行われていたわけだ。

私がはじめて聴いたラックスのアンプはLX38だった。
大阪本社時代のアンプである。
熊本のオーディオ店で聴いているから、60Hzである。

オーディオ雑誌の出版社はすべて東京にある。
50Hzである。
大阪本社時代のラックスのアンプは、50Hzで試聴されていた。
オーディオ評論家によっては、大阪本社に行って試聴している人もいようが、
大阪と東京、どちらで聴く機会が多かったかといえば、東京のはずだ。

50Hzと60Hzによる音の違いは大きい。
アメリカ製アンプで、まだ日本仕様(100V対応)になっていないアンプの場合、
昇圧トランスを使った方がいいのか、とときどききかれる。

どういう昇圧トランスを使うかにもよるし、
アンプにもよって結果は違ってくる。

ここでもオリジナル至上主義者は、アメリカと同じ電圧でなければ、という。
ならば、そういうオリジナル至上主義者は、60Hzで聴いているのだろうか。

厳密な試聴をしての印象ではないが、
60Hzのアメリカ製アンプは、電源電圧よりも電源周波数のほうが影響が大きいように感じている。

大阪本社時代のラックスのアンプも、そうだったのではないだろうか。

Date: 10月 22nd, 2016
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(パイオニア SH100・その4)

パイオニアの創立者である松本望氏は、1988年7月15日に逝去されている。
ステレオサウンド 88号に、菅野先生が「松本 望氏を悼む」を書かれている。

ここにステレオフォンSH100のことが出てくる。
     *
 ステレオフォンという、たしか、昭和三十四年頃だったと思うが、ステレオレコードをサウンドボックスで再生する機械には、まだ強い執着をもっておられたようだ。アンプなしのアクースティック・ステレオレコード再生装置であったが、確かにダイレクトでピュアーな音がしたものだった。
     *
モノーラルのころからオーディオマニアだった人ほど、
モノーラルからステレオへの移行は遅かった──、という話を見たり聞いたりしている。

凝りに凝った再生装置をもうひとつ一組用意するのが大変だったのが、その理由である。
当時はメーカー製を買ってシステムを組むのではなく、
自作して、というのが主流であったからこその理由といえよう。

SH100はそういう人たちに、
ステレオレコードの良さを手軽に体験してもらおう、という売り方を行ったらしい。
それからオーディオマニアでない人たちにも、ステレオレコードという新しい体験をしてもらおう、
という意図もあったそうだ。

そのためもあってだろうか、それにアンプを必要としない、
というのが子供だましのように受け取られたのかもしれない。

SH100は決してそういうモノではないと感じていた。
松本望氏が、まだ強い執着をもっておられたということは、その証しといえるし、
菅野先生の《ダイレクトでピュアーな音がした》は、そのことを裏付けている、と受けとめている。

Date: 10月 9th, 2016
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(パイオニア SH100・その3)

点音源から発せられた音は球面波で拡がっていくため、
音源と距離が増すごとに音圧は低下していく。

伝声管が、数百m離れていても音を明瞭に伝えられるのは、
伝声管の中では、球面波ではなく平面波の状態に近いためだ。

そのため伝声管の径は音の波長よりも十分に小さい径でなければならない。
径が十分に小さければ拡がっていくことができないからであり、
平面波の伝搬と言え、遠くまで、文字通り声(音)を伝えることができる。

音速を340m/secとして、340Hzで波長は1m、3.4kHzで10cm、6.8kHzで5cm……となっていく。
十分に小さい径がどの程度なのか勉強不足なのではっきりといえないが、
伝声管の径は小さいほど高域まで伝えられる。

そうなるとどこまで細くしていくのがいいのか。
耳の穴と同じ径あたりが最適値なのではないだろうか。
この状態が、音響インピーダンスがマッチングがとれている、といってもいいはずだ。

耳の穴よりも径が細すぎては、隙間が生じそこから音が逃げていく。
音響インピーダンスがマッチングしていない、ということになるし、
径が太くても、管の中を伝わってきた音すべてが耳の穴に入るわけでもなく、
これも音響インピーダンスがマッチングしていない、となる。

伝声管は、スピーカーと対極のところにある、といえる。
スピーカーから放出された音は、そのすべてが聞き手の耳の穴に入るわけではない。
その意味では音響インピーダンスのマッチングは著しく悪い、とも考えられる。

Date: 10月 8th, 2016
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(パイオニア SH100・その2)

飛行機に初めて乗ったのは18のときだったから、いまから35年前。
びっくりしたというか、意外に感じたのは、音楽を聴くために用意されていたモノだった。

これも聴診器といえるモノだった。
いわゆるチューブで、ひじ掛けにある穴に挿し込むだけである。
イヤフォンやヘッドフォンではない。
振動板がチューブ内にあるわけではない。

最初はなんて原始的なモノ。
こんなのでまともに音が聴けるのか、と、
すでにいっぱしのオーディオマニアのつもりでいたこともあって、バカにしていた。

それでも機内では退屈なので使ってみると、
意外というか、原理を理解してみれば当然といえるのだが、
まともな音がしていた。

飛行機といえば、古い時代を描いている映画で爆撃機が登場すると、
操縦席と尾部とのやりとりは、電気をいっさい使わない伝声管による。
飛行機だけでなく、軍艦でも伝声管は登場する。

伝声管とは金属の管である。
マイクロフォンもスピーカーも、アンプも必要としない。
それでも数百mの距離、かなりの明瞭度で声を伝えられる、とのこと。
いまでも軍艦では、電源が喪失した場合のバックアップとして伝声管を備えているともきく。

人の声をできるだけ遠くまで届ける技術として、
伝声管はローテクノロジーといえるわけだが、決してロストテクノロジーではない。

Date: 10月 7th, 2016
Cate: 日本のオーディオ
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日本のオーディオ、これまで(パイオニア SH100・その1)

SPならばアクースティック蓄音器によって、電気を通していない音を聴くことができる。
アクースティック蓄音器が成立していたのは、SPがモノーラルレコードであったから、ともいえる。

もしステレオSPが最初から登場していたら、
アクースティック蓄音器はどういう構造になっていただろうか。

ステレオSPは実験的に作られている。
その復刻盤が30年ほど前に発売され、日本でも市販されていたので、
ステレオサウンドで記事にしたことがある。
とはいえステレオSPは特殊なディスクで、SPはモノーラルと決っている。

SPはLPになり、1958年にモノーラルからステレオになった。
パイオニアは1961年に、SH100を発売している。
当時の価格は2,650円。

パイオニアのSH100ときいて、どんな製品なのか、さっぱりという人がいまでは多いはずだ。
私も実物は見たことがない。
でも、これだけはなんとか完動品を探して出して、その音を聴いてみたい。

SH100はカートリッジとトーンアームが一体になっていて、
出力ケーブルのかわりに、聴診器がついている。

つまりステレオLPをアクースティック再生するピックアップシステムである。
ターンテーブルを回転させるのに電気は必要になるが、
信号系には電気を必要としない。しかもステレオ再生である。

こんな製品は、日本だけでなく海外にも存在しない、と思う。

SH100の存在は、ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ」パイオニア号で知っていた。
でも当時は、こんなモノをつくっていたんだ……、ぐらいの関心しか持てなかった。

PIM16KTに関することを確認するためにパイオニア号を読んでいて、
SH100の存在に改めて気づいた。
こんな面白いモノに、いままで興味をもたなかったことを少し恥じている。

パイオニア号には、こう書いてある。
     *
 この年、世のカートリッジ屋さんに衝撃を与えるものがパイオニアから出て来た。それはステレオホンSH−100という、全くアコースティカルなメカだけでステレオLPレコードを再生しようとする、いわばサウンドボックスの現代ステレオ版であった。45/45の音溝から拾い上げられた振動は二枚のダイアフラム──それが巧妙なバランサーで位相を合せられ、聴診器のようなビニールパイプで耳穴に導かれるシクミであった。
 左右のバランスや音量は水道のコックのようなネジで調整するという、なんとも原始的というかシンプルというか、あきれたメカニズムなのである。ところがこの電気とか電子のお世話にならない珍兵器が、信じられないくらいよい音であった。いわばダイレクトヒアリングだから当然なのだが、当時技術部におられた西谷某氏のアイディアを松本会長が周年で製品化したと伝えられるが、あるピックアップメーカーの社長は、自分たちは何をしてきたか、自問して2〜3日ぼう然としてしまったと当時述懐していた。
     *
SH100の音は、音響インピーダンスのマッチングがとれている音といえるはずだ。

Date: 10月 6th, 2016
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(ラックスと広告・その2)

1997年にステレオサウンドから「ラックスマンのすべて」というムックが出ている。
この本の後半に「私とラックスマン」というページがある。

ステレオサウンド執筆者のラックス観といえる記事である。
朝沼予史宏氏が書かれている。
     *
 大学を卒業後、私はマイナーなジャズ専門誌の編集者になった。そこで、長年ファンだったオーディオ評論家の岩崎千明氏を担当したことが、私の現在に至るオーディオ人生の発端となったといえるだろう。
 が、これから岩崎さんと親しくお付き合い願えると喜んだのも束の間、会社が廃業することになった。失業した半編集者4人で、新しいジャズ専門誌を創刊しようという話がまとまり、企画書を作り、方々をあたった結果、ある小さな出版社が面倒を見てくれることになった。
 私はどうしても岩崎さんの原稿を取りたいと思ったが、何しろ貧乏な出版社で大物筆者に原稿を依頼する予算が無い。それを応援してくれたのがラックスだった。「2ページ分の広告料で、ウチは縦3分の1ページの広告を入れるから、残りは岩崎さんに自由に書いてもらいなさい」という嘘のような話がまとまった。私は会社側に説明して、原稿料を奮発してもらい、岩崎さんの連載エッセイをスタートすることができた。
 当時のラックスにはオーディオ文化の向上に役立つことなら、人肌脱いでやろうという、よい意味のパトロン感覚があったような気がする。
 私はお陰で岩崎さんの原稿を取るという作業を通じ、氏のオーディオに対する精神に間近に触れることができた。それは何ものにも替え難い体験であり、自分のオーディオ観を形成する上での大きな力になった。
     *
これがジャズランドである。
ジャズランドは一時二万部を超える刷り部数だったが、
出版社が不渡りを出したため印刷の段階でストップがかかり、発行日が10日ほど遅れる。
このことで部数は激減し、廃刊になっていく。

朝沼予史宏は続けて、こう書かれている。
     *
廃刊決定が目前に迫った時、これ以上はスポンサー筋に迷惑はかけられないと思い、私は辞表を提出した。翌年、岩崎さんが亡くなられた。
     *
朝沼予史宏氏が最初に勤務された会社が倒産しなかったら、ジャズランドは創刊されなかった。
面倒を見てくれる会社がなかったら、ジャズランドは創刊されなかった。
ラックスの応援がなかったら、岩崎先生の、これらの短編はなかった。