Archive for category 598のスピーカー

Date: 4月 24th, 2013
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(その7)

リッスン・ヴュー(Listen View、のちのサウンドステージ)というオーディオ雑誌があった。
そのリッスン・ヴューの8号に早瀬文雄氏の「JBLのマインド・トポロジー」が載っている。

そこで早瀬氏は、2405というトゥイーターについて、こう書かれている。
     *
高域に用いた2405は、一歩間違えると金属的で人工的な響きを出しかねない怖いトゥイーターだが、鳴らしこめばもうこれでしか絶対にでない立体的な、造形のたしかな高域をつくってくれる。
(中略)
高いクロスオーバーポイントで繋いだ2405のデリケートな響きにはどうしても惹かれてしまう。軽やかな、うまくすれば想像を絶するほど柔らかな表現をする響きは、たとえばパイオニアのPT−R7リボン型トゥイーターなどでも聴けた。でも、よりそのデリケートさに立体感や浸透力をもとめていくと、どうしても2405にいきついてしまうのだ。
     *
早瀬文雄氏も瀬川先生同様、2405というトゥイーターに惚れ込まれている人だ。
でも、このふたりには大きな、決定的な違いがあることを、
引用した早瀬文雄氏の文章を読まれれば気づかれるだろう。

早瀬文雄氏にとって、2405は「立体的」な音のトゥイーターである、ということだ。
ここでの「立体的」は、ステレオ再生における音像の立体感のことである。

音の左右への広がり、奥行き感、音像の定位、音像が平面的なのか立体的なのか、
こういう評価基準は客観的な項目であり、
聴き手によって、その判断に大きな違いは発生しないもの──,
そう思われている方もおられるだろうが(私も若いころはそう考えていた)、
実のところ、この客観的と思われている項目も、人によって感じ方がまるで違うことが発生する。

ステレオ再生において、そこに形成される音像が平面的か立体的なのか、
そんなことは、初心者ならばまだしも、ある程度キャリアがあれば、
平面的なものを立体的と判断することはない──、とは言い切れない。

ステレオ再生の音像が実像ではなく虚像であることを考慮すれば、
これもまた充分起り得ることかもしれない。

Date: 4月 24th, 2013
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(その6)

HIGH-TECHNIC SERIESのトゥイーター特集号で、
JBLの2405の音については、井上先生、瀬川先生、黒田先生の三人とも、
表現の仕方に違いはあってもそこで語られようとされていることは同じであった。

違うのは、ピラミッドのT1と2405の、どちらを選択するかという点であった。
井上先生と黒田先生はT1、瀬川先生は2405だった。

T1に関しては、私は聴いたことはない。
それでも2405を使ったシステム(JBLの既成のスピーカーシステム、自作システムを含めて)は、
幾度となく聴いている。
それにジェームズ・ボンジョルノの設計したアンプも自分で使っていた。

HIGH-TECHNIC SERIESの鼎談で、瀬川先生はT1対2405の音を、
アンプでいえばGAS対マークレビンソンというふうに表現されている。

だからT1の音を聴くことはなかったけれど、T1の音を想像できる。
その想像は、かなり正確なものだろうともいえる。

それほどにHIGH-TECHNIC SERIESの巻頭の鼎談記事はおもしろいものであった。

598のスピーカーシステムをテーマにしておきながら、
598のスピーカーシステムが重くなってきてきたこと、
長岡鉄男氏のスピーカーユニットの重さを量られたことを書きながら、
ここで2405とT1の話を持ち出したのは、平面な切り張りの魅力をもつ2405の音を、
立体的な音と表現する人も、またいるということ、
そこに音を言葉で表現することの問題についてふれておきたいからである。

Date: 4月 24th, 2013
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(その5)

音を言葉で表現するということは、いわば粗視化ともいえるし、
音を聴いて感じたことを書くということは、主観的でもあり、ときとして(人によっては)恣意的ですらある。
ようするに曖昧さをつねに内包している。

そういう音の表現を読む側にも同じことがいえ、
美辞麗句で語ったところで、どれだけ流暢な文章で語ったところで、
読み手に伝われるかどうかはなんともいえない。

書き手の能力も読み手の能力もつねに要求され試されている、ともいえる。

JBLに2405というトゥイーターがある。
1970年代のJBLのスタジオモニターに採用された2405の音は、
この時代を代表するスタジオモニター的性格を色濃く持った音といえる性格のトゥイーターである。

ステレオサウンド別冊のHIGH-TECHNIC SERIESの三冊目はトゥイーターの特集だった。
巻頭記事で、4343のトゥイーターのみを専用アンプで駆動して、
5種類のトゥイーターを、井上先生、瀬川先生、黒田先生で聴くということを行っている。

この記事は2405の性格をもっとも正確に伝えたものだと私は思っている。
この記事は鼎談によるまとめで、
当時登場したばかりのアメリカのリボン型トゥイーターピラミッドのT1と2405の比較は、
よくわかる内容であり、T1か2405かは、目指す方向を意識させてくれるものでもあった。

ここで2405は平面の切り張り、T1は自然な立体、と表現されている。

Date: 4月 23rd, 2013
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(その4)

「量られますからね……」が、何を意味しているのかは、
1980年代のオーディオ雑誌、FM誌を読まれていた方ならばすぐにわかることである。

長岡鉄男氏の記事のことを「量られますからね……」は指している。

私は長岡鉄男氏については、ほとんど関心がなかった。
FM fan、別冊FM fanは買っていたから、長岡鉄男氏がどういうことを書かれているのかは、
大ざっぱには把握していても、そのほとんどを読んではいなかった。

学生が小遣いで買う雑誌だから、できるだけ隅から隅まで読みたい気持はあっても、
長岡鉄男氏の文章を読んでいると、途中でやめてしまうことが圧倒的に多かった。
最後まで読み通したことは、あまりない。

長岡鉄男氏の文章がへたであるわけでもないのだが、
それでも途中で読むのをやめてしまっていた。
だから、ここで長岡鉄男氏について、あれこれ書くことは私にはできない。

でも長岡鉄男氏がダイナミックテストという記事の中で、
スピーカーユニットを取り外し重さを量ったり、
アンプでもツマミや脚部のサイズ、重さをはかられていたことは知っている。

そして、なぜそんなことをやるのかについて書かれた文章も読んだ記憶はある。
ただ私の長岡鉄男氏への関心はかなり低いもので、
そんななか読んだものだから、記憶違いがあっても不思議ではない。

でも、そのとき長岡鉄男氏の文章を読んで、一応は納得したような気がする。

Date: 4月 22nd, 2013
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(その3)

たとえばステレオサウンド 76号に掲載されている「読者参加による人気実力派スピーカーの使いこなしテスト」、
その中で、ブックシェルフ型スピーカーをスピーカースタンドの上で、前後に動かしてみることがある。

この記事中にあるように、CDプレーヤー、アンプのセッティングをきちんと行なうことで、
このスタンド状での前後に動かした時の音の違いは、よりはっきりと表れる。

なぜ、わずか1cm前後、どちらかに動かしただけで変るのか。
井上先生は、こう述べられている。
     *
音が変わるのは、台に対するスピーカーの荷重のかかり方が変わるためです。荷重が変わると、底板の鳴り方が変わるんです。
スピーカーの重心は前側にありますから、後に持ってきて、台の重心と揃えた状態でもっとも安定して、音の拡がりが出てくる。前にすると、アンバランスですが、台の前の方に荷重がぐっとかかるために、低域が締まって中域がぴっと張ってくる。
     *
もしスピーカーの重心が底板からみてぴたりと中心にあるならば、
底板のどこのポイントにおいても均等な荷重がかかるように設計されたスピーカーシステムがあったならば、
おそらくスピーカースタンドの上で前後させても、音の変化は小さくなっていくはず。

どんなに完璧な重量バランスを実現できても、実際にはスタンドの重心との関係があるため、
音が変化しないということはあり得ないわけだが、
それでも重量バランスが前面に偏りすぎているスピーカーほど、
そのスタンドの上での前後移動による音の変化幅は大きいのは事実である。

国内のオーディオメーカーのスピーカーの開発の人たちも、このことには気づいてはず。
にも関わらず、598のスピーカーは新製品が出るたびに重くなり、重心が前側に少しずつ偏っていた。

一度きいたことがある。
「重くなってきていますね」とあるメーカーの方、
試聴室にスピーカーを運び入れてくれた人にそういったところ、
「量られますからね……」という返事だった。

Date: 4月 20th, 2013
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(その2)

1980年代に登場した598のスピーカーシステムの重さには特徴があった。
ただ思いだけでなく、重量のアンバランスさが、他の価格帯のスピーカーシステム以上にあった。
とにかくフロントバッフル側が重い。

たいていのスピーカーシステムはフロントバッフルにスピーカーユニットが取り付けてあるから、
フロントバッフル側に重心が偏っているものだが、
それにしてもこのころの598のスピーカーシステムの重心はフロント側に偏りすぎていた。

時代が違うとはいえ、いまのスピーカーのつくられ方からすると、
一本59800円のスピーカーシステムとは思えないほど、物量が投入されたユニットがついていた。

物量投入型のスピーカーユニットは当然重くなる。
その重量を支えるのがフロントバッフルなわけだから、
フロントバッフルも強度を、ユニットの重量増に応じて高めていかなければならない。

しかも598のスピーカーシステムは揃いも揃って3ウェイだったから、
フロントバッフルには穴が3つ開けられ、それだけ強度も低下しやすい。

そのための手っ取り早い手法としてはフロントバッフルの厚みを増すこと。
そうすることでさらに重心がフロントバッフル側に移動することになる。

予算が充分とれる価格帯のスピーカーシステムであれば、
フロントバッフルだけの強度を増すだけにとどまらず、
エンクロージュア全体の強度もバランス良く高めていくだろうし、
重量のアンバランスさは音にも密接に関係してくることをわかっている技術者ならば、
極端なアンバランスな状態には仕上げない。

いくら物量投入がなされていたとはいえ、59800円という価格の制約は大きい。
それが重量のアンバランスさの大きさとなっていたように思う。

Date: 4月 17th, 2013
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(その1)

私がステレオサウンド編集部で働いていたのは1982年1月から1988年12月末までのまる7年。
1980年代のほとんどをステレオサウンドという場所で過ごしてきたわけで、
この1980年代のオーディオには、1982年のCDの登場というひじょうに大きな出来事があり、
その他にも1980年代ならでは、とはいえることがいくつかある。

そのひとつとして、ここでふり返ってみておくべきことだと思うのは、
国産メーカーによる59800円(1本の価格)のスピーカーシステムの流行である。

価格が59800円だったため、598(ゴッキュパッ)のスピーカー、とか、
もっと略して598(ゴッキュッパッ)とも呼ばれていた。

この598の流行の最初は、オンキョーだといわれている。
3ウェイのブックシェルフ型。
こう書いてしまうと、これといった特徴のない製品のように思われるかもしれないが、
1980年代、598のスピーカーシステムにかける、各メーカーの力の入れ方は凄まじい、といってもいいほどだった。

オンキョーの3ウェイ・ブックシェルフ型が売れた。
かなりのヒット作になったようで、それに続けとばかりに、国産他社からもいわゆる力作が登場しはじめ、
もっとも激戦の価格帯となっていく。

598のスピーカーシステムは、そのほとんどがブックシェルフ型、
しかも3ウェイで、トゥイーターはハードドーム型、スコーカーはハードドーム型もしくはコーン型だった。

エンクロージュアの外見寸法もほぼ同じで、再度はRのちいさなラウンドバッフル、
仕上げも黒が圧倒的に多かった。

遠目でみれば、どこのスピーカーなのかわからない、という厳しいことをいわれる方もいた。

そして、重かった。
598の新製品が出る度に、重くなっていった。
試聴のためにセッティングするわけだが、
重さだけは、1本59800円のスピーカーシステムとは思えぬほどだった。