Archive for category 広告

Date: 6月 18th, 2019
Cate: ジャーナリズム, 広告

「タイアップ記事なんて、なくなればいい」という記事(その1)

どちらかというと眺めているだけに近いのが、
いまの私のSNSとの接し方である。

facebookは毎日眺めているけれど、
twitterは、しばらく前は一ヵ月に一度くらい、
いまは一週間に一度くらい眺めて程度になっている。

それでもどちらかでつながっている人が、おもしろい記事をリンクしてたりする。
今日も、そうやって一本の記事を読むことができた。

タイアップ記事なんて、なくなればいい」である。

楠瀨克昌氏が書かれている。
上記記事は、楠瀨克昌氏による「JAZZ CITY」のなかの一本である。

楠瀨克昌氏がどういう方なのかは、
「タイアップ記事なんか、なくなればいい」を読んでいくとはっきりしてくる。

雑誌がどうやってつくられていくのかを理解していない人が書いた文章ではない。
広告が入っている雑誌の記事なんて信用できない、
そういう人は少なくない。

そういう人こそ、「タイアップ記事なんか、なくなればいい」を、
じっくり読んでほしい。

《メディアの記事には編集記事と純広告、この2つしか存在しない》
とある。
これが雑誌の本来のあり方であって、
そうであれば、広告が入っている雑誌の記事なんて……、という意見は、
なくなることはないにしても、そうとうに減ってくるであろう。

なのに実際のところ、編集記事と純広告、
この二つしかない雑誌なんて、オーディオ雑誌にはない。

Date: 6月 11th, 2019
Cate: 広告

ホーン今昔物語(It’s JBL・その6)

「ヘッドフォンブック SPECIAL EDITION」を、広告だ、と私は捉えている。
そう考えたときに、「ヘッドフォンブック SPECIAL EDITION」についてくる本の部分は、
いったい何なのだろうか。

書店で売られている以上、「ヘッドフォンブック SPECIAL EDITION」の主体は本の部分のはず。
けれどファイナルのイヤフォンE1000が主体であって、本の部分こそおまけといえる。

この本の部分、
私は映画におけるパンフレットに近いような気がする。

映画館に行けば、上映している映画のパンフレットが売られている。
小学生、中学生のころは、ほとんど買っていた。

高校生のころからあまり買わなくなり、
ずいぶん買っていない。
なので、最近の映画のパンフレットの内容がどういうふうになっているのか全く知らない。

私が買っていたころと変っていないとして、
映画のパンフレットは、いわば解説である。

その映画の制作スタッフ、俳優の名前が記載されているし、
その映画の背景、シリーズものであればそういったことなどについての解説が載っている。

解説を書いているのは、たいていは映画評論家と呼ばれている人たちの誰かだ。
映画評論家が書いているからといって、
そこでの文章は、その映画の評論ではない(昔と同じならば)。

そして有名人による推薦文のようなものも載ってたりする。

「ヘッドフォンブック SPECIAL EDITION」の本の部分は、
書店でぱらぱらとめくっただけだが、
映画のパンフレット的存在といっていいだろう。

こんなふうに考えてみると、
小野寺弘滋氏の「It’s JBL」はハーマンインターナショナルのサイトで公開するだけでなく、
パンフレット的に仕上げての小冊子という手もあると思う。

Date: 6月 3rd, 2019
Cate: ラック, 広告

LOUIS VUITTONの広告とオーディオの家具化(その13)

長岡鉄男氏は、さらにこんなことを書かれている。
     *
 たとえばある辺境の販売店では店主がその地域のオーディオ・マニアを牛耳っていた。マニアには店主推奨の海外製品を押しつける。他の製品を買いたいというと、ウチへはくるなと追い出される。そんな店でメーカー後援のセミナーを開くことになった。講師は国産品第一主義の僕である。だから店内に一歩入るといような雰囲気である。店主は敵愾心むき出し、恐ろしく挑戦的である。プレーヤー、アンプは国産メーカー品でもいいが、スピーカーは店主推奨の海外製品を使えという。うまく鳴ったらおなぐさみ、お手並みを拝見しましょうという。集まった客も店主の息のかかった超偏向マニアばかりだから普通ではない。敵意というほどではないにしても目付きは冷たい。いやなところへきたなと思ったがなんとか音は出した。僕の持っていったソフト(もちろんAD)が優秀だったのでお客さんもびっくり、最終的には勝利の実感が持てた。それにしてもこんなくだらない仕事は早くやめるべきだと痛感、17年ぐらい前にセミナー拒否宣言を出して、以後は純メーカー主催、デパート主催、出版社主催、新聞社主催のセミナーを時々引き受けるだけにしている。
     *
「長岡鉄男の日本オーディオ史 1950〜82」は、1993年に出ているから、
17年前は1976年ごろとなる。

《ある辺境の販売店》とは、いわゆるオーディオ専門店なのだろう。
オーディオ専門店すべてが、こういう店だ、とはいわないし思っていない。
けれど、こういう店が意外にも少なくないことも、いろいろと聞いている。

十年以上前になるが、菅野先生がいわれたことがある。
「日本のオーディオがひどくなった原因の一つは、オーディオ店にある」と。

菅野先生はステレオサウンドのベストオーディオファイル訪問の取材で、
全国をまわられているし、オーディオ店にも寄られている。

ベストオーディオファイルに登場する人は、
オーディオ店からの紹介ということもあったからだ。
それに、オーディオ店主催のセミナー、イベントにも行かれている。

そういう経験から、いわれたことである。

Date: 6月 3rd, 2019
Cate: 広告

ホーン今昔物語(It’s JBL・その5)

その1)を書くきっかけとなった人から、
今日、別のムックのことで,どう思うか、と訊かれた。

いま書店に並んでいる「ヘッドフォンブック SPECIAL EDITION」のことである。

CDジャーナルのムックであり、ファイナル・ブランドのイヤフォンE1000が附録でついてくる。
ムックといっても、ページ数は30ページちょっとで、
半分はE1000の記事(といちおういっておく)。

ようするにメインはE1000であり、本の部分こそ附録ともいえる。
E1000の価格は二千数百円である。
「ヘッドフォンブック SPECIAL EDITION」は税抜きで1,944円だから、
E1000が欲しい人にとっては、数百円ではあるが、最も安く買えることになる。

この「ヘッドフォンブック SPECIAL EDITION」は、何なのか。
E1000が附録としてついてくるムックということになっているが、
実質は、E1000についての読み物がついたE1000そのものである。

オーディオ店や量販店などで購入するよりも、安く買える。
読み応えはないとはいえ、30ページほどの本がおまけでついてくる。

コスト的に考えれば、この「ヘッドフォンブック SPECIAL EDITION」が、
E1000単体よりもかかっていることになる。
ムックの制作費は、ファイナル側も負担しているのかもしれない。

こんなパッケージで売る理由は、こうすることで書店で売れるからだろう、と思う。
いま書店の数が減ってきている、といわているが、
それでもオーディオ店や量販店よりも書店のほうが多いはずだ。

私がいま住んでいるところで、E1000を取り扱っている店は、
「ヘッドフォンブック SPECIAL EDITION」を売っている書店ということになる。

そう見ていくと、
このムック(E1000を含めて)、ファイナルというブランドの広告そのものといえよう。

Date: 5月 29th, 2019
Cate: ラック, 広告

LOUIS VUITTONの広告とオーディオの家具化(その12)

「長岡鉄男の日本オーディオ史 1950〜82」(音楽之友社)に、
こんなことを書かれている。
     *
 オーディオ誌の最盛期にはライター不足が深刻で、編集者はライター確保にかけずり回った。オーディオ評論家は引っ張りだこ。どの雑誌を見ても同じようなメンバーが顔を並べている。この時期オーディオ・セミナーも大はやりだった。数十人から数百人のマニアを集め、評論家がコンポの使いこなし、比較テストの実演を入れて二時間くらい講義するという形式である。僕も一時は毎月十本ぐらいのセミナーをこなしていたことがある。北は北海道の北見から、南は沖縄まで、東奔西走である。仲間の評論家と同じ飛行機に乗り合わせたり空港ですれ違ったりということも珍しくなかったセミナーにはメーカー主催、販売店主催の二つに大別される。販売店のなかにはデパートもあった。
 メーカー主催というのは単純明快だが、販売店主催というのが曲者だ。チラシや看板を見ると○○株式会社後援とメーカーの名前が小さく書いてある。実はこれが金主なのである。セミナーの費用はバカにならない。僕個人についても、航空運賃込みの旅費、ホテル代、食事代、講演料(これは安い。作家や経済評論家の十分の一だ)が必要。実際にはメーカーの人間も二人は出張して行動を共にする。さらに使用する器材の搬入、セッティング、搬出という仕事もある。チラシの印刷、配布、新聞広告の費用もかかる。これらの費用はすべてメーカーが負担する。その上、販売店にもいくらか渡していたのではなかったかと思う。だから販売店としてはセミナー大歓迎、毎日でもやりたいくらいなのである。例外としてダイエーのセミナーがあった。これは後援メーカーなし、ダイエーが費用を持つのである。メーカー後援のセミナーだと、必ずそのメーカーの器材を使わなければならないが、ダイエーの場合はすべて器材を僕が発注した。それを受けてダイエーがメーカーにあれを持ってこい、これを持ってこいと命令するのである。これはもう至上命令だから二つ返事で従わなければならない。ダイエーにはずいぶんいじめられましたとメーカーがぼやいていた。
     *
寿屋本庄店での瀬川先生の場合も、
ダイエーと同じだったはずだ。

メーカー後援であったはずがない。
そこでは、瀬川先生が選ばれたオーディオ機器が並べられていた。
内容も、どこかのメーカーの製品を中心としたものではなかった。

オーディオマニアからすれば、
ダイエー、寿屋本庄店のやり方のほうが、圧倒的におもしろい。

前回書いているように、ダイエーも寿屋本庄店もオーディオ専門店ではない。
どちらもスーパーである。

Date: 5月 27th, 2019
Cate: ラック, 広告

LOUIS VUITTONの広告とオーディオの家具化(その11)

私がこう考えるのは、ずっと以前のオーディオブームにも、その芽がすでにあったからだ。

ここで度々書いている熊本のオーディオ店。
瀬川先生を定期的に招いて、
話題の新製品もかなり早いうちに入荷していた。

トーレンスのReferenceも、SUMOのThe Goldも、この店で初めて聴いた。
この店は、寿屋本庄店という。

熊本に住んでいる(いた)人はご存知だが、寿屋はスーパーである。
寿屋本庄店もそうである。
一階がスーパーだった。

最初、寿屋本庄店に行ったとき、
ここがオーディオ店? と思った。
エスカレーターで二階に上れば、すべてオーディオのフロアーだったし、
電子部品のコーナーもあった。

寿屋本庄店以前は、マツフジ電気があった。
マツフジ電気はすでになくなっているようだが、
ここの母体は松藤という不動産会社であり、
マツフジ電気も、オーディオ専門店では決してなかった。

マツフジ電気の名称からわかるように、電器店である。
マツフジビル一棟が電器店で、その1フロアーがオーディオコーナーであり、
レコードのコーナーもあった(と記憶している)。

つまりマツフジ電気もオーディオだけのオーディオ専門店ではなかった。
けれど、長岡鉄男氏を、私の知る限り、最初に熊本に招いたのは、この店だった。

寿屋本庄店と同じ形態のオーディオ店は、東京にもあった。
ダイエー碑文谷店である。

Date: 5月 27th, 2019
Cate: ラック, 広告

LOUIS VUITTONの広告とオーディオの家具化(その10)

書店に行くと、オーディオ関連のムックを目にすることが増えたことは、
何度か書いている。
書く度に、オーディオブームが来ているのだろうか……、と考える。

インターナショナルオーディオショウも、昨年は、女性の来場者が、
例年よりも多かったように感じた。

いい音への関心が高まりつつあるのは事実だろう。
それによってオーディオブームが来るのかも(来ているのかも)しれない。

けれど、ずっと以前のオーディオブームと同じなわけではないだろう。
オーディオブームが来たら──、
と皮算用しているオーディオ専門店もあるかもしれない。

けれど、ほんとうにオーディオブームが来たとして、
そのオーディオブームを支える人たちは、新しくオーディオに興味をもった人たちのはずだ。

そういう人たちが、果してオーディオ専門店で買うだろうか。
このことは前々からなんとなく考えはいたことだ。

そこにBさん夫妻の話を聞いた。
オーディオブームが来たからといって、
いい音に関心をもつ人のすべてがオーディオマニアを目指すわけではないはずだ。

ここが、ずっと以前のオーディオブームといちばん違ってくる点なのかもしれない。
だとすれば、Bさん夫妻のようにオーディオ専門店ではなく、
ヨドバシで購入する人が、無視できないほど増えていくのかもしれない。

オーディオ店が敬遠されるオーディオブームになるのかもしれない。

ちなみにビックカメラでは以前、とてもイヤな思いを受けたことがあるから、
量販店の代名詞としては、ヨドバシの名前を挙げていく。

Date: 5月 27th, 2019
Cate: ラック, 広告

LOUIS VUITTONの広告とオーディオの家具化(その9)

Bさん夫妻は、どこでオーディオ一式を購入したかというと、
都内のオーディオ専門店ではなく、ヨドバシで、である。

ヤマハの5000番のセパレートアンプ、
B&Wのスピーカーシステム、それに見合うCDプレーヤー、
これだけで四百万円以上にはなる。

これだけの金額のオーディオを、専門店ではなく、
いわゆる量販店とよばれるヨドバシでの購入である。

友人のAさんからBさん夫妻の話を聞いた時から、
なんとなくこうなるんではなかろうか、と思っていた。

オーディオ専門店では買わないのではないか、
そう思っていた。

Bさん夫妻は、これだけの予算をオーディオに割いても、
彼らはオーディオマニアではないから、オーディオも生活家電の一つという認識だ、そうだ。

ならばヨドバシでの購入も十分あり得る──、
というよりも、オーディオ専門店で買いたくなかったのではないだろうか。
そんな気がする。

量販店といっても、ヨドバシの店員はよく勉強している人が多い、と感じている。
先日も、いわゆるウォークマンタイプのポータブルオーディオの買物につきあった。
その時の、比較的若い店員の受け答えは、よく勉強しているな、と感心してしまった。

しかもただ知識を溜め込んでいるだけでなく、
しっかりと自分の考えも、ちらっと、言ってくれる。

ヨドバシの店員全員がそうなのかというと、なんともいえないが、
少なくとも、その若い店員は、
専門店だから、量販店だから,という括りで判断できない。

むしろオーディオ専門店の店員のなかには、
別項「オーディオのプロフェッショナルの条件(その2)」で書いた店員がいたりする。

そんな店員ばかりでないことはわかっていても、
そんな店員はどうしても目立つ。

そんな店員に対しての嗅覚というのは、
オーディオマニアよりも、そうでない人のほうが鋭かったりすることもあるのではないのか。

Bさん夫妻がそうなのかははっきりとはいえないが、
なんとなくそんな感じもする。
だから、オーディオ専門店を避けての、オーディオの購入という選択だったのかもしれない。

Date: 5月 16th, 2019
Cate: 広告

ホーン今昔物語(It’s JBL・その4)

今夏、コンビニエンスストアの雑誌コーナーから、エロ本の類がなくなる、とのこと。
コンビニエンスストアで、この手の本を買うのは、
インターネットをやっていない高齢者ぐらいだ、ともいわれている。

ほんとうにそうなのだろうか。
コンビニエンスストアに、この手の本が置かれるようになって、どのくらい経つのか。
いままで一度も、買っている人を見かけたことがなかった。

見かけたことがなかったからといって、売れていないわけではないはず。
在庫管理は徹底しているはずだから、売れないものは置かれないのがコンビニエンスストアのはずだ。
ずっと置かれている、ということは、そこそこ売れているのだろう。

それでも見かけたことがなかった。
なかった、と書いているのは、3月の終りごろだったか、
初めて買っている人を見た。

確かに年齢は高そうな感じの人が買っていた。
だからといって、その人がインターネットをやっていないのかどうかはなんともいえない。
電車に乗れば、ほとんどの人がスマートフォンを持っている時代である。

その人もスマートフォンも持っていて、自宅にはパソコンもあって、
インターネットで、無修正の、その手のものを見ているのかもしれない。

その上で、コンビニエンスストアで、その手を雑誌を買う。
それは無修整であるかどうか、でもなく、
タダなのか有料なのか、そういうことでもなく、
表紙を見て、買いたい、という衝動にかられたからなのかもしれない。

本人に訊ねたわけではない。
インターネットをやっていないのか、やっていてもなお、そのエロ本を買うのか。

後者だとしよう。
コンビニエンスストアのこの手の本は、中を見ることができないようになっている。
にも関らず買うということは、どういうことなのか。

しかもコンビニエンスストアで買うというのは、少々勇気のいること、とでもいうか、
恥ずかしいことでもあろう。

それでも買う。

こんなこと「It’s JBL」とは何の関係もないじゃないか、といわれそうだが、
こういう人がいなくなってしまうと、
インターネットで得られる情報だけで済ませてしまう人ばかりになってしまうような気もする。

Date: 5月 16th, 2019
Cate: 広告

ホーン今昔物語(It’s JBL・その3)

私が初めて買ったステレオサウンドは、定価1,600円だった。
中学生にとって三ヵ月に一度の1,600円は、決して安いとはいえなかった。

だから隅々まで読んでいた。
すべての記事に同じような関心を持てていたわけではなかったけれど、
それでも三ヵ月というスパン、1,600円という金額を多くない小遣いからの捻出、
そんなことから関心度の低い記事も、しっかり読んでいた。

関心度の高い記事は何度もくり返し読む。
そうでない記事は一度だけだったりしたが、一度はすべての記事を読む。

なにしろ周りにオーディオマニアはいなかったし、オーディオ専門店もなかった。
オーディオ専門店まではバスで片道約一時間、バス料金も中学生だと大人料金だから、
これが中学生にとっては、なかなか負担の大きな金額だった。

とにかくオーディオの世界を知るには、本(雑誌)しかなかった。
インターネットもなかった。

でも、これが結果としては良かったのだろう。
いまのように、検索して興味のあることばかり読むのとは違っていたからだ。

小野寺弘滋氏の「It’s JBL」が、もしステレオサウンドに掲載されていたとしよう。
四十数年前だったら、ステレオサウンドを手にした多くの人が、
ホーン型にあまり関心のない人手も、一度は目を通しただろう。

でも、いまはどうだろうか。
インターネットもあって、ある意味、情報だけは氾濫していて、
関心のあることだけを拾っていても退屈しない──、
そんなことに慣れてしまっていては、ステレオサウンドに載っていたからといって、
ホーン型に関心のない人は、「It’s JBL」を読むかといえば、なんともいえない。

それでも読んでもらわないことには、何も伝わらない。

Date: 3月 7th, 2019
Cate: 広告

ホーン今昔物語(It’s JBL・その2)

ステレオサウンド 210号の第一特集は「いま心惹かれる10のスピーカーで、
小野寺弘滋氏は、JBLのDD6700を鳴らされている。

そこにこんなことを書かれている。
     *
 私はホーン型ユニットが好きである。(中略)
 だが、ホーン型ユニットは一部の、というより、多くの、いわゆるハイエンドスピーカーの設計者から時代遅れだとみなされている形式だ。その理由を詳述するスペースはないが、現在のオーディオ市場に、ホーン型ユニットを搭載したスピーカーシステムがほとんどないのが現状である。
     *
ここで、ちらっとハーマンインターナショナルのサイトで「It’s JBL」を書いていること、
そこでホーン型について書いていることを触れることくらいしてもよかったのでは──、と思う。

読んでほしいと思っている人たちに届かなければ、あまり意味はない。
少なくとも私はそう考える。

(その1)で、「It’s JBL」を読んでいる人たちは、
すでにJBL、ホーン型スピーカーを鳴らしている、もしくは関心のある人たちではないのか、と書いた。

そうでない人もいようが、おそらく少数だ。
ならば小野寺弘滋氏の文章を冊子にまとめてオーディオ販売店に置く、という手もあるが、
コストがかかるし、ここでもまた、その冊子を手にするのは、
すでにJBL、ホーン型スピーカーを鳴らしている、もしくは関心のある人たちが大半になるだろう。

オーディオがブームだったころは、そういうやり方も効果があっただろうが、いまはどうだろうか。

小野寺弘滋氏が、ステレオサウンドの特集の文章のなかで、「It’s JBL」のことを触れたとしよう。
そんなことはけしからん、という人はいる。
多いのか少ないのかはなんともいえないが。

でも、それでもいいではないか。
「It’s JBL」を書いている小野寺弘滋氏が、
「It’s JBL」をほんとうに多くの人、
特にJBL、ホーン型スピーカーに関心のない人たちにこそ読んでほしい、と思っているのなら、
ちょっとぐらいの批判は覚悟のうえで、「It’s JBL」について触れてもいいではないか。

Date: 3月 1st, 2019
Cate: 広告

ホーン今昔物語(It’s JBL・その1)

ハーマンインターナショナルのウェブサイトに「It’s JBL」というページがある。
小野寺弘滋氏によるJBLの魅力を語るページといえる。

このページのことは、以前から知っていた。
最初の二本くらい読んでいて、その後は読んでいなかった。

今日、ここで取り上げたのは、
「It’s JBL」を私がどう読むのかを知りたい、という問い合せがあったからだ。

訊いてきた人(私から一世代くらい若い方)は、
一般的な雑誌広告やレビュー、広告記事よりJBLに対する興味が増すように感じる、とあった。

それはいいことだ、と思う。
訊いてきた人は、「この広告の連載」とも書いていた。

確かに「広告の連載」である。
書いている小野寺弘滋は、記事用の文章を書いているという意識かもしれないが、
JBLの輸入元のハーマンインターナショナルのサイト内にあって、
JBLの良さを伝えるのが目的の「It’s JBL」なのだから、広告である。

広告だから、ダメとか、そういうことではなく、
広告にしろ記事にしろ、ここ(ハーマンインターナショナルのサイト内)にあっては、
目的を果たしていないのではないか──、
と、その書かれている内容よりも先に思ってしまう。

ハーマンインターナショナルは、JBLの魅力、さらにはホーン型スピーカーの魅力を、
JBL、そしてホーン型スピーカーに関心のない人たちに訴えようとしているのだろう。

けれど、ハーマンインターナショナルのサイトにアクセスして、
「It’s JBL」の文章を、アップされるたびに読んでいる人は、
すでにJBL、ホーン型スピーカーを鳴らしている、もしくは関心のある人たちではないのか。

JBLの4343が売れに売れていたころから、アンチJBL派の人たちはいた。
それ以前からいたし、いまもいる。
アンチホーンの人たちもずっと以前からいる。

意外に思われるだろうが、菅野先生もずっと以前はアンチホーン派だったのだ。

Date: 2月 19th, 2019
Cate: ラック, 広告

LOUIS VUITTONの広告とオーディオの家具化(その8)

《好きな曲、好きなブランドのレコード、好みの音量、鳴らしかたのクセ、一日のうちに鳴らす時間……そうした個人個人のクセが、機械に充分に刻み込まれる》
これこそが、心に近い音にしていく行為である。

耳に近い音、心に近い音。
このふたつが両立してこその「いい音(響)」であって、
まずは心に近い音をしていくことが大事である。

心に近い音を求めずに(わからずに)、
耳に近い音を求めていくことを、私は思考停止といっているだけだ。

心に近い音と耳に近い音を、ごっちゃにしてもいけない。
心に近い音と耳に近い音との区別をつけることこそが大事でもある。

心に近い音と耳に近い音との区別をあいまいにしたままでは、
心に近い音には、決して近づけない。

区別をつけることの難しさ、厳しさは、
区別をつける側の者に要求されることだ。

あいまいにしたまま(思考停止状態)は、楽である。

Date: 2月 18th, 2019
Cate: ラック, 広告

LOUIS VUITTONの広告とオーディオの家具化(その7)

オーディオマニアの思考停止は、
昨晩公開した「何度でもくりかえす」で書いたこともそのひとつだと考えている。

少しでも音をよくしようとすること。
それのどこが思考停止なのか。

音をよくしようとする行為そのことを思考停止といっているのではない。
システムを入れかえたばかりで、あれこれやることについて、
それは思考停止につながっていく行為でもあるからだ。

システム全体を入れかえる。
入れかえたばかりのシステムの音は、それこそ何をしなくても変っていくものだ。

《好きな曲、好きなブランドのレコード、好みの音量、鳴らしかたのクセ、一日のうちに鳴らす時間……そうした個人個人のクセが、機械に充分に刻み込まれる》
そのことによって音ははっきりと自然に変っていく。

その変っていく段階において、あれこれを手を出して意図的に音を変えていく。
そしてよくなった(わるくなった)と一喜一憂すること。
それこそが思考停止につながっていくことではないのか。

スピーカーをポンポン買い替える人がいる。
知人にも一人いる。
一年と経たずに買い替えていく。

それが知人の趣味なのだから、何もいうことはない。
知人の趣味は、オーディオではなく、買い替えていくことなのだから。
そういう人は、買って鳴らし始めたそばから、あれこれチューニングと称しては、
音をいじっていけばいい。
早ければ数ヵ月後、遅くとも一年後くらいには、そのスピーカーを売り払っているのだから。

自分のところにきたスピーカーをじっくり鳴らしていこうとしている人は、
そんなことはする必要はないし、
瀬川先生が書かれているように、
《二年のあいだ、どういう調整をし、鳴らし込みをするのか? 何もしなくていい。何の気負いもなくして、いつものように、いま聴きたい曲(レコード)をとり出して、いま聴きたい音量で、自然に鳴らせばいい》
そうすることで、《個人個人のクセが、機械に充分に刻み込まれる》のだから。

音をいじるのはそこからでいい、
というより、そこから始めるべきことなのだ。

なのにいじることが先にある。
それこそ思考停止である。

Date: 2月 18th, 2019
Cate: ラック, 広告

LOUIS VUITTONの広告とオーディオの家具化(その6)

Bさん夫妻は、ラックをどうするのか。
その後の情報では、ヤマハのGTR1000か、
特註のラックのどちらかになるらしい。

家具の特註はかなり高価になる。
それにオーディオラックは、収納するモノが重量物ゆえに、
さらに高価になろう。

おそらく、現在オーディオラックとして評価の高い製品よりも、高価になるはずだ。
GTR1000は一台、五万円を切っている。
一台のGTR1000で、すべての機器を収納できるタイプではないから、
複数台必要になるとはいえ、いまどきの高価なオーディオラックからすれば安価だ。

価格的にはGTR1000と特註のラックとでは、開きがある。
それでもこのふたつが最終候補であり、
いわゆるオーディオラックは候補になっていない。

やっぱりそうか、と納得するところである。
オーディオマニアではないBさん夫妻にとって、
購入できる金額であっても、いわゆるオーディオラックは候補にはならない。

こんなことを書くと、
特註のラックもしくはヤマハのGTR1000と、
高価なオーディオラックとを比較試聴すれば、Bさん夫妻も後者を選ぶはず──、
そんな声が聞こえてきそうだが、はたしてそうだろうか。

Bさん夫妻がラックの比較試聴をするとは思えないが、
仮にやったとしても、そしてその音の違いを認めたとしても、
高価なオーディオラックは選ばないのではないか。

オーディオマニアでないBさん夫妻のラック選びの話などつまらないし、
何の参考にもならない──、そう思う人もいるかもしれないが、
私がBさん夫妻のことを書いているのは、
オーディオマニアは時として思考停止に陥りがちになるからだ。