できるもの、できないもの(その2)
家族の理解が得られない……というオーディオマニア共通の悩みがある。
ひとり暮らしであれば、そんな悩みは当然ないし、
家族といっしょに暮らしていてもそんなこと悩みなんてない、という人もいることだろう。
でも多くのオーディオマニアにとって、なかなか家族の理解が得られない、得られにくいということは、
オーディオ機器をなにか購入する際、家族を説得することから始めなければならないし、
言い訳も考えておく必要も生じてくる。
なぜ家族の理解が得られないのか──。
音楽が嫌い、という人は少ないはず。
あまり音楽には深い関心はない、という人でも、一曲か二曲、
あるいはもうすこし多いだろうが、想い出の曲とか好きな曲はある、と思う。
音楽は好き、という人も大勢いる。
にも関わらず、家族の理解が得られないのは、なぜなのか。
昔からいわれていることだが、
これまでとくに答を見つけようとはしてこなかった。
気儘なひとり暮らしを続けているからなのだが、
昨晩、ふと気づいたことがある。
音は所有できない、と書いた。
実は、このことを直感的に知っている、というより気づいている人、といったほうがいいだろう。
こういう人たちを相手に、理解は得られないのではなかろうか。
オーディオマニアの目的は、いい音を所有することだとしたら、
いくらお金をつぎ込んだとしても、あくまでも所有できるのはオーディオ機器であって、
どこまでいっても、いい音を所有できるわけではない。
もしかするとオーディオという趣味が、オーディオ機器を所有することであれば、
家族の理解はもっとたやすく得られるのかもしれない。
けれど、オーディオという趣味は、いい音を求める趣味でありながらも、
音そのものは絶対に所有できないものであることを、すでに説得すべき相手が知っていたら、
言い訳をするしかないのかもしれない。