Archive for category 快感か幸福か

Date: 1月 24th, 2018
Cate: 快感か幸福か

快感か幸福か(秋葉原で感じたこと・その1)

先週末秋葉原に行っていた。
せっかく来たのだから、ということで、とあるオーディオ店に行った。

そのオーディオ店の上の階は、そうとうに高価なオーディオ機器ばかりが置いてある。
その時、鳴っていたシステムの総額は、ケーブルも含めて9,800万円を超えていた。

ほぼ一億円である。
スピーカーシステムだけで、四千万円を超えていた。

店主とおぼしき人が、ソファの中央でひとり聴いていた。
他に客はいなかった。

私など客とは思われていない。
それはそれでかまわない。
そんなシステムを買えるだけの財力はないのだから、
店主とおぼしき人の、こちらのふところ具合を見る目は、確かな商売人といえよう。

鳴っていた音について書くのは控える。
書きたいのは、一億円近いシステムの音ではなく、
その音を聴いていた店主とおぼしき人の表情である。

鳴っていたディスクは、店主とおぼしき人の愛聴盤なのか。
それもはっきりしない。
その人がどういう人なのかも、はっきりと知らない。

ただ、その人の表情をみていて、彼が感じていたのは快感だったのか。
そんなことを考えていた。

よく知らない人だから、その人が幸福そうに音楽を聴いている表情がどんなものかも知らない。
知らないけれど、そうは見えなかった。

Date: 12月 2nd, 2017
Cate: 再生音, 快感か幸福か

必要とされる音(その13)

ゲオルギー・グルジェフがいっていた「人間は眠っている人形のようなものだ」は、
生かされている状態ともいえるのではないか。

生きている、といえるわけではない。

ここでいっている「生かされている」は、
神によって生かされている、といった意味ではなく、
ネガティヴな意味での「生かされている」である。

生かされている人間の音楽と、
生きている人間の音楽。
同じなわけがない。

カザルスの音楽を聴きたい、とおもう人間もいれば、
思わない人間もいる。

Date: 11月 29th, 2017
Cate: 再生音, 快感か幸福か

必要とされる音(その12)

Vitavoxがvitae vox(生命の音)から来ているのであれば、
Vitavoxで、カザルスを聴きたい、無性に聴きたい。

チェリスト・カザルス、
それ以上に指揮者カザルスの演奏を、Vitavoxで聴きたい、と思うのは、
聴くということは、生きているからできることなのだ、という、
当り前すぎることを、実感させてくれる。

演奏も、生きているから(生きていたから)こそ、
その演奏が録音として残されたわけだ。

故人の演奏であっても、録音の時は生きていた。
生きていたから、演奏がなされたし、残っている。

これも当り前すぎることだ。

でも当り前すぎることゆえに、実感しにくいのではないか。

Date: 11月 27th, 2017
Cate: 再生音, 快感か幸福か

必要とされる音(その11)

ヴァイタヴォックスはVitavox。

ラテン語でvitaeは生命、voxは声を意味する。
Vitavoxのブランドが、 vitae voxから来ているかどうかは知らないが、
そうなのかもしれない。

だとすれば、Vitavoxは、生命の声ということになる。

Date: 11月 1st, 2017
Cate: 再生音, 快感か幸福か

必要とされる音(その10)

ヴァイタヴォックスについて書いてきていて、やっと気づくことがあった。

瀬川先生がステレオサウンド 47号に書かれていることだ。
47号(1978年夏)だから、40年ほど前のことの真意が、やっとわかったような気がした。
     *
コーナー型オールホーン唯一の、懐古趣味ではなく大切に残したい製品。
     *
短い文章だ。
ほんとうにそうだ、と首肯きながら読める。

Date: 7月 24th, 2017
Cate: 再生音, 快感か幸福か

必要とされる音(その9)

ステレオサウンド 9号は1968年12月発売なので、
ステレオサウンドで働いている時に読んだ。

《楽器をいじる人にきいてもらうと、演奏のテクニックがいちばんよくわかるという》
という表現は、瀬川先生自身、楽器をいじる人の感想をきいて気づかれたのだろう。

このことは実際に楽器を演奏する人にアルテックのスピーカーを含めて、
他のスピーカーも聴いてもらい確認したい、と思いつつもその機会はなかった。

9号を読んでから何年か経ったころ、
グレン・グールドの録音風景のビデオをみた。

録音スタジオにはふたつのスピーカーがある。
ひとつはミキシングエンジニアが聴くモノで、いわゆるスタジオモニターと呼ばれる。
もうひとつは演奏家が、演奏しているブースで聴くためのププレイバックモニターである。

コロムビアのプレイバックモニターは、アルテックのA7だった。
少し意外な感じがした。

それからしばらくしてマイルス・デイヴィスの録音風景のビデオもみる機会があった。
当然だけれども、そこでもプレイバックモニターはアルテックのA7だった。

A7はいうまでもなく劇場用のスピーカーシステムである。
これをプレイバックモニターとして使うのか、という疑問があった。

グールドとマイルスのビデオを見てから、また月日が経った。
二年前の夏、「ナロウレンジ考(その15)」で、
美空ひばりとアルテックのA7のことについて書いた。

美空ひばりがアルテックのA7を指して、
「このスピーカーから私の声がしている」という記事を何かで読んだことがある、ということだった。

ステレオサウンド 9号を読んだのは1980年代なかごろだった。
それから30年ほどして、ようやく納得がいった。

Date: 7月 23rd, 2017
Cate: 再生音, 快感か幸福か

必要とされる音(その8)

ヴァイタヴォックスの名を出したあたりから、
本来書こうと考えていたところからすこし外れてきてしまっていると思いながらも、
もうすこしヴァイタヴォックスのことを書きたい、という気持がある。

ステレオサウンド 9号で、
《JBL、タンノイとくらべると、アルテックは相当変った傾向の音といえる。楽器をいじる人にきいてもらうと、演奏のテクニックがいちばんよくわかるという》
と瀬川先生が書かれている。

このころの瀬川先生はJBLの自作3ウェイの他に、
タンノイのGRF Rectangular、
アルテックの604Eを最初はラワン単板の小型エンクロージュア、
その後612Aのオリジナル・エンクロージュアに変更されているモノを鳴らされていた。

9号で、JBLとタンノイについて、
《音の傾向はむろん違うが、どちらも控え目な渋い音質で(私の場合JBLもそういう音に調整した)》
と書かれている。

瀬川先生の好まれる音の傾向からすると、
アルテックだけが毛色が違うんだろうな、と納得しつつも、
《楽器をいじる人にきいてもらうと、演奏のテクニックがいちばんよくわかるという》、
この部分は、そうなのか、と思った。

アルテックのすべてのスピーカーがそうであるといえないまでも、
少なくとも、ここでのアルテックとは604Eのことのはず。

604が、JBLよりも演奏のテクニックがよくわかる──、
ということは、このときから常に頭の片隅にいつづけていた。

ここでの演奏のテクニックとは、どの楽器のことなのだろうか、
アルテックの他のスピーカー、たとえばA7、A5もそうなのか、
さらにヴァイタヴォックスも、アルテックとは違う楽器については、
演奏のテクニックがいちばんよくわかるのか、
こんなことを漠然とおもっていた。

Date: 7月 11th, 2017
Cate: 再生音, 快感か幸福か

必要とされる音(その7)

「スピーカーユニットのすべて」に「わが社のスピーカーユニット」というページがある。
オンキョー、コーラル、テクニクス、パイオニア、フォステクス、国内メーカー五社、
アルテック(エレクトリ)、エレクトロボイス(テクニカ販売)、タンノイ(ティアック)、
ジョーダンワッツ、ヴァイタヴォックス(今井商事)、海外メーカー五社の、
ユニット、エンクロージュア、ネットワークを含めての解説が載っている。

今井商事によるヴァイタヴォックスのユニットの使い方とその例が、
なかなか衝撃的といえた。

ユニット、ホーン、エンクロージュアの組合せの紹介記事である。
まずBitone Majorが紹介されている。
基本的なBitone Majorの構成である。

次はBitone MajorのホーンをマルチセルラホーンのCN121に換えた構成。
その次は、JBLのバックロードホーン・エンクロージュア4530に、
ヴァイタボックスのユニットとホーンをおさめた構成である。
さらにウーファーを二基おさめられる4520のシステムも紹介されていた。

この時期のヴァイタボックスからは、ヴァイタボックスのドライバーをJBLのホーンに、
JBLのドライバーをヴァイタボックスのホーンに取り付けるためのスロートも出ていた。

ヴァイタヴォックスがJBLのユニットを自社のユニットに置き換えることを、
なかば推奨していたのか。そう受け取ることもできる。

ならばパラゴンのユニットをヴァイタヴォックスに置き換えるのもあり、
この時から、ずーっと頭に片隅に居つづけている妄想である。

LE15AをAK157に、375をS2にする。
トゥイーターの075をどうするかは難しいところだが、
まずはAK157とS2の2ウェイでも、なんとかなりそうな気もする。

パラゴンの中古を手に入れて、ユニットをヴァイタヴォックスに置き換える。
すんなりいきそうに思えるが、
パラゴンの中域(375+H5038P)の取り付けを図面で確認すると、
375の後にはあまりスペースの余裕がない。

375とS2の奥行きは13.6cmと13.7cmでほぼ同じ。
ただS2とH5038Pの組合せにはスロートアダプター分だけ奥行きが伸びる。
わずかとはいえ収納できない可能性がある。

それでもヴァイタヴォックスのユニットがおさまったパラゴンの音は、
私にとっては150-4C搭載のパラゴンの音よりも聴いてみたい。

Date: 7月 11th, 2017
Cate: 再生音, 快感か幸福か

必要とされる音(その6)

そんなことはパラゴンに対する冒瀆だ、といわれそうだが、
高校生のころから想像(妄想)していることがある。

パラゴンのユニットをヴァイタヴォックスに換えてみたら……、である。

パラゴンのウーファーはLE15Aだった。
LE15Aは、どうみてもパラゴンのエンクロージュア向きのウーファーとは思えないところがある。
もともとのパラゴンに搭載されていたのは150-4Cである。
1964年にLE15Aになっている。

この時点で150-4Cが製造中止になったわけではなく、
同時期にハーツフィールドもユニット変更を受け、
075を加えた3ウェイモデルとなっている。
ハーツフィールドのウーファーは変更なく150-4Cのままだった。

中古市場では150-4C搭載のパラゴンのほうが高価だ。
どこまでほんとうなのかは確認していないが、
150-4C搭載のパラゴンの程度のいいモノが出ると、高価であってもすぐに売れてしまうが、
LE15A搭載のパラゴンは、在庫になってしまうこともある、とか。

LE15Aはホーンロードに向くユニットではない。
そのことも関係してのことだろうが、
そんなことはJBLがいちばんよくわかっていて、にも関わらずパラゴンにLE15Aを搭載しているのは、
何か理由があるはずだが、はっきりとはわからない。

LE15A搭載のパラゴンの音は聴いている。
150-4C搭載のパラゴンの音は聴いたことがない。
後者のパラゴンこそパラゴンである、とはいわないが、その音は気になる。

ホーンロードに向くウーファーのパラゴンの音、
そんなことを想像していたころに、あるオーディオのムックが出た。
電波新聞社の「スピーカーユニットのすべて」である。
1979年に出ている。

Date: 6月 22nd, 2017
Cate: 再生音, 快感か幸福か

必要とされる音(その5)

ここ数年、私の中でヴァイタヴォックスの存在が少しずつ大きくなっているようだ。
ちょっとしたことがきっかけで、ヴァイタヴォックスのことを思い出すことが増えている。

別項「日本の歌、日本語の歌(アルテックで聴く)」を書いてるから、ということも、
喫茶茶会記でのaudio wednesdayで、アルテックを鳴らすようになったことも、
それに齢をとったことも、そんなことが関係してのことなのだろう。
とにかくヴァイタヴォックスのことが気になる頻度が、今年は増えている。

そうなると思い出すことも増えてくる。
ヴァイタヴォックスに直接関係のないことでも、思い出す。
たとえば、こんなこともだ。
     *
 そこで再びアルテックだが、味生氏の音を聴くまでは、アルテックでまともな音を聴いたことがなかった。アルテックばかりではない。当時愛読していた「ラジオ技術」(オーディオ専門誌というのはまだなくて、技術専門誌かレコード誌にオーディオ記事が載っていた時代。その中で「ラ技」は最もオーディオに力を入れていた)が、海外製品ことにアメリカ製のスピーカーに、概して否定的な態度をとっていたことが私自身にも伝染して、アメリカのスピーカーは、高価なばかりで繊細な美しい音は鳴らせないものだという誤った先入観を抱いていた。
 味生氏の操作でシュアのダイネティックが盤面をトレースして鳴り出した音は、そういう先入観を一瞬に吹き払った。実に味わいの深い滑らかな音だった。それまで聴いてきたさまざまな音の大半が、いかに素人細工の脆弱な、あるいは音楽のバランスを無視した電気技術者の、あるいは一人よがりのクセの強い音であったかを、思い知らされた。それくらい、味生邸のスピーカーシステムは、とびきり質の良い本ものの音がした。
 いまにして思えば、あの音は味生氏の教養と感覚に裏づけられた氏自身の音にほかならなかったわけだが、しかしグッドマンとアルテックの混合編成で、マルチアンプで、そこまでよくこなれた音に仕上げられた氏の技術の確かさにも、私は舌を巻いた。その少し前、会社から氏の運転される車に乗せて頂いたときも、お宅の前の狭い路地を、バックのままものすごいスピードで、ハンドルの切りかえもせずにグァーッとカーブを切って門の中にすべりこませたそれまで見たことのなかった見事な運転に、しばし唖然としたのだが、音を聴いてその驚きをもうひとつ重ねた形になった。
 使い手も素晴らしかったが、アルテックもそれに勝とも劣らず、見事に応えていた。以前聴いたクレデンザのあの響きが、より高忠実度で蘇っていた。最上の御馳走を堪能した気持で帰途についた。
     *
ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ」のアルテック号掲載の、
瀬川先生の文章「私のアルテック観」からの引用だ。

瀬川先生が味生氏の音を聴かれたのは、昭和三十年代早々、とある。
モノーラルのころだ。

私が、この文章を思い出したのは、
《以前聴いたクレデンザのあの響きが、より高忠実度で蘇っていた》、
ここのところである。

アルテックがクレデンザならば、
ヴァイタヴォックスはさしずめHMVではないか、
そんなことを思って、である。

Date: 5月 15th, 2017
Cate: 再生音, 快感か幸福か

必要とされる音(その4)

四年前の2013年、ヴァイタヴォックスのスピーカーがふたたび輸入されるようになった。
その時点では情報がほとんどなくて、なぜ? いまになって、と思った。

その後の情報では、イギリスのOctave Audio Woodworkingが、
ヴァイタヴォックスのコンシューマー用部門を買収して、ということだった。

オクターヴ(Octave)といえば、ドイツの真空管アンプメーカーのオクターヴがよく知られているが、
何の関係もなさそうである。

Octave Audio Woodworkingは、
十数年前から、タンノイのオートグラフとGRFのエンクロージュアを復刻している。
復刻にあたっては、元タンノイの一員であったテレンス・リビングストンが監修している。

このOctave Audio Woodworkingが、ヴァイタヴォックスのHi-Fiスピーカー、
つまりコンシューマーオーディオ用スピーカーを復刻(復活)させた。

Octave Audio Woodworkingはタンノイの次に、
ヴァイタヴォックスを選択したわけである。

ここがなんとも日本的とでもいおうか、
五味先生のタンノイがあり、
五味先生のオーディオ巡礼に登場されるH氏のヴァイタヴォックスがある。
その系譜を、五味先生の文章を読んできた者にとって、
親近感に似た感情を、Octave Audio Woodworkingに対しおぼえる。

Date: 2月 14th, 2017
Cate: 快感か幸福か

快感か幸福か(改めて……)

この項の(その1)を書いたのは2008年9月。
かなり時間をかけて書いている。

時間をかけているからといって、書きたい結論に変りはないことのほうが多い。
でも、「快感か幸福か」については、少し迷っている、といえるところが出てきた。

《人は幸せになるために生まれてきたのではない。自らの運命を成就するために生まれてきたのだ》

この言葉を噛みしめていると、
自らの運命を成就したと思える時が来たならば、
そこでの歓喜は、快感なのかと思いはじめたからである。

《神経を昂奮させるアドレナリンを瞬間的に射出》という快感とは別の次元の快感。
それがあるのではないか、と考えた時、結論に迷いが生じている。

Date: 11月 12th, 2016
Cate: 再生音, 快感か幸福か

必要とされる音(その3)

アルテックのイギリス版といえるヴァイタヴォックス。
CN191、Bitone Majorがよく知られていた。

1970年代では、アルテックのA5、A7の音と同じで、
いくぶん古めかしいが、響きの豊かで暖かい音だ。

Bitone Majorは、システム構成からしてアルテックのMagnificentと同じといえる。

ヴァイタヴォックスの名も、1980年代以降あまりきかなくなった。
そしてカタログからも消えていった。

ヴァイタヴォックスという会社は、
軍需用を含めた業務用スピーカーメーカーとしてもいまも健在だが、
いわゆるトーキー用、コンシューマー用といわれる部門からは撤退していた。

ヴァイタヴォックスの製品ラインナップは、アルテックよりも少なかった。
ユニットの数も少ないし、スピーカーシステムの数はさらに少ない。
新製品はずっと登場していなかった。

しかもイギリスのオーディオ関係者からも存在を忘れられている──、
そんなことを瀬川先生が、ステレオサウンド 49号に書かれている。

そんなヴァイタヴォックスのスピーカーが消えてしまったのは、
会社がなくなったわけではなく、収支があわなくなった故の、その分野からの撤退なのだろう。

そうなっていったのは、新製品が発表されないから、でもあろうし、
時代にそぐわないから、なのかもしれない。

時代にそぐわない音、といえば、そうかもしれない。
だが必要とされない音ではないと思う。

Date: 11月 12th, 2016
Cate: 再生音, 快感か幸福か

必要とされる音(その2)

1980年前後は、スピーカーのマグネットが、
アルニコからフェライトへと全面的と移行せざるをえなかった時期と重なる。

アルテックもユニットをフェライト化していった。
同軸型ユニットの604-8Hは604-8KSになっていった。
ウーファー、ドライバーもフェライトになった。

タンノイもそうだが、同軸型ユニットはアルニコとフェライトの違いは、
ユニットの設計を全体でやり直すことが必要となる。

マグネットの磁気特性の違いから、アルニコとフェライトでは最適な形状が異り、
そのためフェライトにすることでユニットの奥行きはアルニコよりも短くなる。
そうなると同軸型ユニットの場合、中高域のホーン長が短くなるということに直結する。

604シリーズ中、フェライトになった604-8KSを傑作と評価する人がいるのは知っている。
その人が、アルテックに精通している人であることも知っている。

その評価を疑うわけではないが、アルテック全体として見た場合、
JBLがフェライト化に成功したのに、アルテックはお世辞にもそうとはいえない。
むしろ失敗したように映った。

アルテックは没落していく。

アルテックもJBLも元を辿ればウェスターン・エレクトリックに行き着く。
このふたつのスピーカーメーカーは浅からぬ縁もある。
JBLは生き残り、アルテックは消失した(といっていいだろう)。

アルテックが没落した理由について書きたいわけではない。
その理由は、ステレオサウンド別冊「JBL 60th Anniversary」を読めばわかる。

アルテックという会社が消失したことで、アルテック・サウンドと呼べる音も消えつつある。

Date: 11月 12th, 2016
Cate: 再生音, 快感か幸福か

必要とされる音(その1)

1970年代後半くらいまではアルテックは健在だった、といえる。
私がオーディオに興味をもちはじめてステレオサウンドを読みはじめたころ、
A7、A5といった古典的なモデルの他に、Model 15、Model 19といった、
コンシューマー用モデルも登場したばかりで、Model 19の評価は高かった。

Model 15は写真で見ても、いい恰好とはいえず興味をもてなかったが、
Model 19はずんぐりむっくりしたプロポーションが、
安定感を感じさせるとともに、そのことがアルテックの音を表しているようにも思えた。

数年前、中古を扱うオーディオ店にModel 19があった。
ひさしぶりに見たな、と思いながら、
やっぱり、このカタチは好きだな、と思い出していた。

Model 19のころ、アルテックは2ウェイでありながら、高域のレンジを延ばそうとしていた。
専用トゥイーターに比べればまだまだといえても、
従来のアルテックよりはワイドレンジになって、成功している、といわれていた。

実は私が最初に聴いたアルテックはModel 19だった。
A5、A7も現役モデルだったし、より有名ではあっても、
オーディオ店に置いてあるかどうかによって、
歴史の長いブランドにおいては、最初に聴いたモデルは、
世代によっても、どこに住んでいるのかによっても、違ってくる。

私はModel 19であり、好感をその時からもっていた。
その後、604-8Gが604-8Hになる。
620Aも620Bとなる。
そして604-8Hを中心に4ウェイ・モデル6041が登場した。

JBLの新製品の数からすればアルテックは少なかったが、
アルテック健在と思わせてくれた。

けれど1980年代にはいると、あやしくなってくる。
9861、9862のころからである。

それ以前にもA7にスーパートゥイーターを加えて3ウェイ化したA7XSを出していた。
音は聴いたことがないけれど、成功作とは決していえない。
すこし迷走しはじめた感じもあったけれど、6041の登場がそれを吹き消していた。

私は9861、9862にA7XSと同じにおいを感じていた。