快感か幸福か(秋葉原で感じたこと・その1)
先週末秋葉原に行っていた。
せっかく来たのだから、ということで、とあるオーディオ店に行った。
そのオーディオ店の上の階は、そうとうに高価なオーディオ機器ばかりが置いてある。
その時、鳴っていたシステムの総額は、ケーブルも含めて9,800万円を超えていた。
ほぼ一億円である。
スピーカーシステムだけで、四千万円を超えていた。
店主とおぼしき人が、ソファの中央でひとり聴いていた。
他に客はいなかった。
私など客とは思われていない。
それはそれでかまわない。
そんなシステムを買えるだけの財力はないのだから、
店主とおぼしき人の、こちらのふところ具合を見る目は、確かな商売人といえよう。
鳴っていた音について書くのは控える。
書きたいのは、一億円近いシステムの音ではなく、
その音を聴いていた店主とおぼしき人の表情である。
鳴っていたディスクは、店主とおぼしき人の愛聴盤なのか。
それもはっきりしない。
その人がどういう人なのかも、はっきりと知らない。
ただ、その人の表情をみていて、彼が感じていたのは快感だったのか。
そんなことを考えていた。
よく知らない人だから、その人が幸福そうに音楽を聴いている表情がどんなものかも知らない。
知らないけれど、そうは見えなかった。