Archive for category オリジナル

Date: 6月 19th, 2013
Cate: オリジナル

オリジナルとは(その28)

ダグラス・サックスがレコード再生システムの改良形として、
光学式による音溝のトレースをするプレーヤーシステムとなると、実際にはどういうモノになるだろうか。

ダグラス・サックスがインタヴューにこたえていた時点では、
そういうプレーヤーは存在しなかったけれど、いまはエルプの製品がある。

ただ機械式トレースを光学式トレースに置き換えただけのプレーヤーであれば、
そのプレーヤーの出力信号は、
従来の機械式トレースのモノ、つまりMC型なりMM型カートリッジの出力信号ということになる。
しかもRIAAカーヴのイコライジングを必要とする出力信号である。

でもエルプ以外のメーカーが、仮に光学式トレースのアナログプレーヤーを開発したとしても、
そういうふうにはしないはず。
必ずラインレベルでの出力にして、イコライジングも行い、
コントロールアンプのライン入力にそのまま接続できるように仕上げる。

そしてイコライザーカーヴもRIAAだけでなく、各種カーヴを使えるようにする。
回転数もSPの78回転も加えて、
つまりこれまで100年以上の歴史をもつアナログディスクのすべてを一台のプレーヤーで再生できるようにする。

これが、ひとつのアナログプレーヤーの在り方といえるし、
ここからアナログプレーヤーの在り方について、その細部について考えていく──、
それがプレーヤーにおける「オリジナル」を考えていくことである、と私はおもう。

Date: 2月 7th, 2013
Cate: オリジナル, 瀬川冬樹

オリジナルとは(余談・チャートウェルのLS3/5A)

LS3/5Aは、日本ではロジャースの製品が最初に入ってきて、知られることになったことから、
私も最初に聴いたLS3/5Aはロジャースの15Ω型だった。
購入したのも、そうだった。

1970年代の終りごろになって、イギリスのスピーカーメーカー数社からLS3/5Aが登場した。
チャートウェルからも出てきた。

このチャートウェル製のLS3/5Aは数が少ないこともあって、
これをいくつもあるLS3/5Aのなかで、高く評価される人もいる。
私は聴く機会がなかったから、そのことについてはなにもいえない。

実際、どうなのだろうか。
LS3/5Aは、いまでも人気のあるスピーカーシステムだから、
各社LS3/5Aの比較試聴は、オーディオ雑誌の記事にもなったりするが、
試聴している人に関心が個人的にないため、本文を読もうという気にはなれなかった。

まったく違うタイプのスピーカーシステムを集めての試聴であればまだしも、
同じ規格のもとでつくられているLS3/5Aの、製造メーカーによる音の違いは微妙なものであるだけに、
ほんとうに信頼できる人が試聴をしているのであれば、興味深く読むのだが、
そうでない場合には、読む気はおきない。

瀬川先生はチャートウェルのLS3/5Aについて、どういわれているのか。
ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’79」で、わずかではあるがふれられている。
     *
このふたつのLS3/5Aについて、30万円の予算の組合せのところでは、その違いをあまり細かくふれないで、どちらでもいいといったようないいかたをしたけれど、アンプがこのぐらいのクラスになると聴きこむにつれて違いがはっきりしてくるんです。で、ひとことでいえば、チャートウェルのほうが、全体の音の暖かさ、豊かさというものが、ほんのわずかですけれどもまさっているように思えるので、ぼくはチャートウェルのほうをもってきたわけです。もっともやせ型が好きなひとのなかには、ロジャースのほうが好ましいとお感じになる方もいらっしゃるかもしれませんね。
     *
「コンポーネントステレオの世界 ’79」は1978年12月にでている。
つまり瀬川先生は、この時点で暖かさ、豊かさを、自分の音に求めはじめられていることがわかる。

Date: 12月 31st, 2012
Cate: オリジナル

オリジナルとは(続・JBLのスピーカー端子のことで思ったこと)

私にスピーカー端子の交換についてきいてきたAさんは、
JBLの4300シリーズに惚れ込んでいる。おそらくこれから先も鳴らし続けられる、と私は勝手に思っている。

でもAさんは、あるところで聴いた音によって、すこし心が揺らいでいるように、傍からはみえる。
新しいスピーカーシステムに換えられることはたぶんないとおもうけれど、
4300シリーズが、いまのところ苦手とする音の良さを、
あるところで聴かれた音に感じとられての迷いであり、
そういうときに愛用のJBLのスピーカー端子がこわれた。

そんなのはたまたまであって、30年以上使ってきたスピーカーなんだから、端子の寿命が来ただけ。
事実としてはそうであっても、
Aさんの心に迷いが出た時に端子がこわれてしまったことに、
なにかJBLのスピーカーがAさんに訴えかけようとしているのではないか、と、
Aさんと別れた後、夜道をひとり歩きながらそんなことを思っていた。

4300シリーズに採用されているスピーカーユニットは、
いまみても良くできている。
もちろんまったく欠点がないわけではない。
それでもアメリカならではの物量を投入した、実にしっかりしたつくりで、
このスピーカーユニットならば信頼できる──、そう使い手に思い込ませる(信じ込ませる)だけの魅力をはなつ。

けれど4300シリーズにしても、スピーカーユニットの能力がフルに発揮されているかとなると、
そうとはいえないところが、やはりある。
4300シリーズのシステムそのものにもそういうところがいくつもあるし、
それだけでなくスピーカーユニットにも、バネ式の端子は使われていて、
若干なのではあろうが、JBLのプロ用ユニットの能力を抑える要因となっている。

つまり、この時機に端子にこわれてしまったのは、
JBLのスピーカーがAさんに対して、細部をもう少しリファインしてくれれば、
Aさんの心を迷わせた音だってかなり出せる。それだけの実力はもっている。
そのためにもこことあそこをどうにかしてほしい──、
そう訴えるためである、と想像してしまう。

Date: 12月 31st, 2012
Cate: オリジナル

オリジナルとは(JBLのスピーカー端子のことで思ったこと)

「JBLのスピーカー端子がこわれたんですけど、宮﨑さんだったらどうします?」ときかれた。
きいてきた人が使っているのは4300シリーズのモニタースピーカーだから、
もう30年以上が経っている。

この時代のJBLのスピーカー端子は、いまのJBLに使われている端子ではなくバネ式の、
それほど太いケーブル、というより、細いケーブルしか受けつけないタイプのものである。
スピーカーユニットの他の部分にかけられている物量投入ぶりからすると、
なんとも貧弱な感じのスピーカー端子である。

けれど、これが、この時代のJBLのスピーカーユニット、スピーカーシステムに使われていた端子であり、
これをオリジナルとすれば、他の、もっと太いケーブルを確実に接続できる端子に変えることは、
オリジナルの姿を変更する、ということにもなる。

いまの状態でも音は出る。
それでも先のことを考えるとなんとかしなければならない。
もともとついているタイプの端子に交換するのか、
それとも別の、確実な端子に交換するのか、
悩むところだと思う。

このことにはついては、オリジナルをどう定義するかによって答は変ってくる。
でも、それについては、ここでは書かない。
ここで書きたいのは、なぜ、この時機に4300シリーズのスピーカー端子がこわれてしまったのか、
そのことについてどう考えるかについて書きたい。

Date: 11月 15th, 2012
Cate: オリジナル

オリジナルとは(続×二十二・チャートウェルのLS3/5A)

マッキントッシュの音やデザインの魅力については、いまさら私が、ましてこの特集号で改めて書くことはあるまい。要するにそれほど感心したマッキントッシュを、しかし私は一度も自家用にしようと思ったことがない。私は、欲しいと思ったら待つことのできない人間だ。そして、かつてはマランツやJBLのアンプを、今ではマーク・レヴィンソンとSAEを、借金しながら買ってしまった。それなのにマッキントッシュだけは、自分で買わない。それでいて、実物を眺めるたびに、なんて美しい製品だろうと感心し、その音の豊潤で深い味わいに感心させられる。でも買わない。なぜなのだろう。おそらく、マッキントッシュの製品のどこかに、自分と体質の合わない何か、を感じているからだ。どうも私自身の中に、豊かさとかゴージャスな感じを、素直に受け入れにくい体質があるかららしい。この贅を尽した、物量を惜しまず最上のものを作るアメリカの製品の中に、私はどこか成金趣味的な要素を臭ぎとってしまうのだ。そしてもうひとつ、新しもの好きの私は、マッキントッシュの音の中に、ひとつの完成された世界、もうこれ以上発展の余地のない保守の世界を聴きとってしまうのだ。これから十年、二十年を経ても、この音はおそらく、ある時期に完結したもの凄い世界ということで立派に評価されるにちがいない。時の経過に負けることのない完結した世界が、マッキントッシュの音だと思う。
     *
「自分の体質と合わない何か」を、瀬川先生はマッキントッシュのアンプの音のうちに感じられている。
この文章は、ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ」のマッキントッシュの号に書かれたもの。
1976年のことである。
このころのマッキントッシュのアンプは、コントロールアンプはC26、C28、
パワーアンプはMC2105、MC2300の時代である。

このころのマッキントッシュのアンプについては、ステレオサウンド 52号で書かれている。
     *
かつてC22とMC275の組合せの時代にしびれるほどの思いを体験したにもかかわらず、マッキントッシュの音は、ついにわたくしの装置の中に入ってこなかった。その理由はいまも書いたように、永いあいだ、音の豊かさという面にわたくしが重点を置かなかったからだ。そしてマッキントッシュはトランジスター化され、C26、C28やMC2105の時代に入ってみると、マッキントッシュの音質に本質的に共感を持てないわたくしにさえ、マッキントッシュの音は管球時代のほうがいっそ徹底していてよかったように思われて、すますま自家用として考える機会を持たないまま、やがてレビンソンやSAEの出現以後は、トランジスター式のマッキントッシュの音がよけいに古めかしく思われて、ありていにいえば積極的に敬遠する音、のほうに入ってしまった。
MC2205が発売されるころのマッキントッシュは、外観のデザインにさえ、かつてのあの豊潤そのもののようなリッチな線からむしろ、メーターまわりやツマミのエッジを強いフチで囲んだ、アクの強い形になって、やがてC32が発売されるに及んで、その音もまたひどくアクの強いこってりした味わいに思えて、とうていわたくしと縁のない音だと決めつけてしまった。
     *
このころのマッキントッシュのアンプの音ほどではないにせよ、
マッキントッシュのアンプの音は、瀬川先生の体質とは合わない「何か」を特徴としていた。

そういうマッキントッシュのアンプで、
これまた瀬川先生の耳を聴くに耐えないほど圧迫したアルテックの612Aを鳴らして、
とても好きなエリカ・ケートの歌声の美しさが、瀬川先生の耳の底に焼きついている、ということは、
どういうことなのか。

もしマランツのModel 7とModel 8BもしくはModel 9で612Aを鳴らされていたら……、
そう考えてみることで、浮びあがってくることがある。

Date: 11月 15th, 2012
Cate: オリジナル

オリジナルとは(続×二十一・チャートウェルのLS3/5A)

瀬川先生がマッキントッシュのC22とMC275のペアをはじめて聴かれたのは、
ステレオサウンド 3号の特集記事でアンプの試聴テストにおいてであり、
このときステレオサウンドはまだ試聴室を持っておらず、
試聴は瀬川先生のリスニングルームで行われている。

だから試聴テストが終ったあと、瀬川先生は自身のリスニングルームで、
アルテックの604Eをおさめた612Aでエリカ・ケートを聴き、
「この一曲のためにこのアンプを欲しい」と思われたわけだ。

ここで見逃してはならないのは、
アルテックの612Aで聴かれて、「滑らかに澄んで、ふっくらとやわらかなあの美しい歌声」が、
瀬川先生の耳の底に焼きついた、ということ。

612Aについては、ステレオサウンド 46号のモニタースピーカーの試聴テストで、こんなことを語られている。
     *
私は研究のつもりで、アルテックの612Aのオリジナル・エンクロージュアを自宅に買いこんで鳴らしていた。その音は、身銭を切って購入したにもかかわらず好きになれなかった。ただ、録音スタジオでのひとつの標準的なプレイバックスピーカーの音を、参考までに身辺に置いておく必要があるといった、義務感というか意気込みとでもいったかなり不自然な動機にすぎなかった。モニタールームでさえアルテックの中域のおそすしく張り出した音は耳にきつく感じられたが、デッドな八畳和室では、この音は音量を上げると聴くに耐えないほど耳を圧迫した。私の耳が、とくにこの中域の張り出しに弱いせいもあるが、なにしろこの音はたまらなかった。
     *
瀬川先生にとって、エリカ・ケートの歌曲集がどういう存在であったのかは、次の文章を読んでほしい。
     *
エリカ・ケートというソプラノを私はとても好きで、中でもキング/セブン・シーズから出て、いまは廃盤になったドイツ・リート集を大切にしている。決してスケールの大きさや身ぶりや容姿の美しさで評判になる人ではなく、しかし近ごろ話題のエリー・アメリンクよりも洗練されている。清潔で、畑中良輔氏の評を借りれば、チラリと見せる色っぽさがなんとも言えない魅惑である。どういうわけかドイツのオイロディスク原盤でもカタログから落ちてしまってこれ一枚しか手もとになく,もうすりきれてジャリジャリして、それでもときおりくりかえして聴く。彼女のレコードは、その後オイロディスク盤で何枚か入手したが、それでもこの一枚が抜群のできだと思う。(人生音盤模様より)
     *
瀬川先生は、すり減ってしまうのがこわくて、テープにコピーされていたくらいである。
そのエリカ・ケートの歌うモーツァルトの歌曲 Abendempfindung を、
テストの終った初夏のすがすがしいある日の午後に聴かれている。
マッキントッシュのC22、MC275、アルテックの604Eで。

Date: 11月 15th, 2012
Cate: オリジナル

オリジナルとは(続×二十・チャートウェルのLS3/5A)

瀬川先生がModel 7の音に衝撃をうけられたことが伝わってくる。

瀬川先生はマッキントッシュのC22は購入されていない。
その理由はなんとなくではあるけれど想像できないわけではない。

ここにModel 7とC22の違いがあり、
その違いをもっとも強く感じるのは、C22とMC275について書かれた次の文章である。
     *
しかしその試聴で、もうひとつの魅力ある製品を発見したというのが、これもまた前述したマッキントッシュのC22とMC275の組合せで、アルテックの604Eを鳴らした音であった。ことに、テストの終った初夏のすがすがしいある日の午後に聴いた、エリカ・ケートの歌うモーツァルトの歌曲 Abendempfindung(夕暮の情緒)の、滑らかに澄んで、ふっくらとやわらかなあの美しい歌声は、いまでも耳の底に焼きついているほどで、この一曲のためにこのアンプを欲しい、とさえ、思ったものだ。
     *
ここには一枚のレコードが登場している。エリカ・ケートのモーツァルト歌曲集である。

けれど私が読んだかぎりにおいて、Model 7の音について書かれるとき、
そこになにかのレコードが登場することはない。

私にとって、この一点こそが、
マランツの音とマッキントッシュの音の違いをもっとも的確に語ってくれている。

Date: 11月 14th, 2012
Cate: オリジナル

オリジナルとは(続×十九・チャートウェルのLS3/5A)

瀬川先生はマランツのModel 7に、びっくりした、ということを何度か書かれている。

ステレオサウンド 52号でも、1981年のセパレートアンプの別冊においても書かれている。
そのマランツModel 7を瀬川先生は、音を聴かずに買われている。

あるオーディオ雑誌で、新忠篤氏がこんなことを発言されているが、新氏の勘違いである。
     *
そのころ瀬川氏は、何か他のものを買おうと思い、貯金をされていたらしいのです。しかし、あるときこのアンプと出会って、あまりの音の良さに驚いて買ってしまったというんです。その記事が、いまも目に焼きついているんですね。(管球王国 vol.36より)
     *
ステレオサウンド 52号に、瀬川先生は書かれている。
     *
昭和36年以降、本格的に独立してインダストリアルデザインの道を進みはじめると、そろそろ、アンプの設計や製作のための時間を作ることが困難なほど多忙になりはじめた。一日の仕事を終って家に帰ると、もうアンプの回路のことを考えたり、ハンダごてを握るよりも、好きな一枚のレコードで、何も考えずにただ疲れを癒したい、という気分になってくる。そんな次第から、もうこの辺で自作から足を洗って、何かひとつ、完成度の高いアンプを購入したい、というように考えが変ってきた。
 もうその頃になると、国内の専業メーカーからも、数少ないとはいえ各種のアンプが市販されるようになってはいたが、なにしろ十数年間、自分で設計し改造しながら、コンストラクションやデザインといった外観仕上げにまで、へたなメーカー製品など何ものともしない程度のアンプは作ってきた目で眺めると、なみたいていの製品では、これを買って成仏しようという気を起こさせない。迷いながらも選択はどんどんエスカレートして、結局、マランツのモデル7を買うことに決心してしまった。
 などと書くといとも容易に買ってしまったみたいだが、そんなことはない。当時の価格で十六万円弱、といえば、なにしろ大卒の初任給が三万円に達したかどうかという時代だから、まあ相当に思い切った買物だ。それで貯金の大半をはたいてしまうと、パワーアンプはマランツには手が出なくなって、QUADのII型(KT66PP)を買った。このことからもわたくしがプリアンプのほうに重きを置く人間であることがいえる。
 ともかく、マランツ7+QUAD/II(×2)という、わたくしとしては初めて買うメーカー製のアンプが我が家で鳴りはじめた。
 いや、こういうありきたりの書きかたは、スイッチを入れて初めて鳴った音のおどろきをとても説明できていない。
 何度も書いたように、アンプの回路設計はふつうにできた。デザインや仕上げにも人一倍うるさいことを自認していた。そういう面から選択を重ねて、最後に、マランツの回路にも仕上げにも、まあ一応の納得をして購入した。さんざん自作をくりかえしてきて、およそ考えうるかぎりパーツにぜいたくし、製作や調整に手を尽くしたプリアンプの鳴らす音というものは、ほとんどわかっていたつもりであった。
 マランツ7が最初に鳴らした音質は、そういうわたくしの予想を大幅に上廻る、というよりそれまで全く知らなかったアンプの世界のもうひとつ別の次元の音を、聴かせ、わたくしは一瞬、気が遠くなるほどの驚きを味わった。
     *
わかるのは、Model 7を買ってから音を聴かれ、びっくりされた、ということである。

Date: 11月 14th, 2012
Cate: オリジナル

オリジナルとは(続×十八・チャートウェルのLS3/5A)

マッキントッシュのC22、MC275も、適切に手を加えることで、
マッキントッシュの世界(よさ)を崩すことなく、音をよくしていけることを、
五味先生の文章によって、私は確信している。

これはあくまでも私にとっての、私だけの確信であって、
C22、MC275をお使いの方でも、五味先生の書かれたものに対して否定的な方にとっては、
そんなものは確信とはいわない、となって当然である。

五味先生はマランツのModel 7とModel 8Bも所有されていた。
けれどタンノイのオートグラフを鳴らしていたマッキントッシュのC22とMC275のペアであり、
晩年にはマークレビンソンのJC2とカンノアンプの300Bシングルのペアもある。

オートグラフというスピーカーに惚れ込んだ五味先生にとって、C22とMC275は、
あくまでもオートグラフをもっともよく鳴らしてくれるアンプとしての存在であったのだと思う。
オートグラフへの惚れ込み方と、C22、MC275への愛着は違うような気もする。

五味先生にとって、岩竹氏による銀線への交換がなされたMC275は、
あくまでもオートグラフを五味先生のリスニングルームにおいて鳴らしての、
元のMC275よりも、高域も低域も伸び、冴え冴えと美しかったわけである。

別のひとのところへ、別のスピーカーで鳴らしてみれば、
元のMC275と音は違うけれど、必ずしも良くはなっていない、という結果になることだって考えられる。

でも、私にはそれは、どうでもいい、といってはいいすぎになってしまうが、
それでも五味先生が、五味先生のリスニングルームで五味先生のオートグラフを鳴らして音が良くなっていれば、
それは私にとっても試してみる価値のあることである。

そう考える私は、マッキントッシュのC22のコンデンサーをもし交換するようなことになったら、
Black Beautyに多少の未練を残しながら、ASCのコンデンサーにすると思う。

Black Beautyの信頼性を、私は信用していないからである。

Date: 11月 5th, 2012
Cate: オリジナル

オリジナルとは(続×十七・チャートウェルのLS3/5A)

私がマッキントッシュのC22、MC275のことを知ったのは、
「五味オーディオ教室」によってであり、
私にとってC22とMC275の愛用者の代表的存在が五味先生である。

その五味先生が、こんなことを書かれている。
ステレオサウンド 52号「続・オーディオ巡礼」で岩竹義人氏を訪問されている。
     *
拙宅のマッキントッシュMC275の調子がおかしくなったとき、岩竹さんがアンプ内の配線もすべて銀線に替えられたアンプを所持されると聞き、試みに拝借した。それをつなぎ替えて鳴らしていたら娘が自分の部屋からやって来て、「どうしたの?……どうしてこんなに音がいいの?」オーディオに無関心な娘にもわかったのである。それほど、既製品のままの私のMC275より格段、高低域とも音が伸び、冴え冴えと美しかった。私は岩竹さんをふしぎな人だと思った。これほどうまくアンプを改良できる人がどうしてあんな悪い音を平気で聴いていられるのか、と。その後、こんどはプリのC22も、経年にともなうコンデンサーの劣化を考慮し新しいのに取替えたという岩竹氏のをかりて聴いてみたら、拙宅のよりいい。私ならこんなアンプは大恩人に頼まれても手離さないだろうに、いよいよ不思議な人だとおもい、もう一ぺん、岩竹家の音を聴きなおしてみる気になった。
     *
C22のコンデンサーを○○に交換したら音がよくなった、とか、
配線材を○○にしたら、音の抜けが良くなった、とか、
そんなことを誰かがいったところで、私はまったく信用していない。

でも五味先生が、こう書かれていると、素直に信じる。
五味先生の文章からはC22のコンデンサーを、新品のBlack Beautyに交換されたのか、
それともほかの銘柄のコンデンサーに交換されたのかまではわからない。

でも、五味先生はこういう人である。
     *
もちろん、真空管にも泣き所はある。寿命の短いことなどその筆頭だろうと思う。さらに悪いことに、一度、真空管を挿し替えればかならず音は変わるものだ。出力管の場合、とくにこの憾みは深い。どんなに、真空管を替えることで私は泣いてきたか。いま聴いているMC二七五にしても、茄子と私たちが呼んでいるあの真空管——KT88を新品と挿し替えるたびに音は変わっている。したがって、より満足な音を取戻すため——あるいは新しい魅力を引出すために——スペアの茄子を十六本、つぎつぎ挿し替えたことがあった。ヒアリング・テストの場合と同じで、ペアで挿し替えては数枚のレコードをかけなおし、試聴するわけになる。大変な手間である。愚妻など、しまいには呆れ果てて笑っているが、音の美はこういう手間と夥しい時間を私たちから奪うのだ。ついでに無駄も要求する。
挿し替えてようやく気に入った四本を決定したとき、残る十二本の茄子は新品とはいえ、スペアとは名のみのもので二度と使う気にはならない。したがって納屋にほうり込んだままとなる。KT88、今一本、いくらするだろう。
思えば、馬鹿にならない無駄遣いで、恐らくトランジスターならこういうことはない。挿し替えても別に音は変わらないじゃありませんか、などと愚妻はホザいていたが、変わらないのを誰よりも願っているのは当の私だ。
だが違う。
倍音のふくらみが違う。どうかすれば低音がまるで違う。少々神経過敏とは自分でも思いながら、そういう茄子をつぎつぎ挿し替えて耳を澄まし、オーディオの醍醐味とは、ついにこうした倍音の微妙な差異を聴き分ける瞬間にあるのではなかろうかと想い到った。数年前のことである。
以来、そのとき替えた茄子はそのままで鳴っているが、真空管の寿命がおよそどれぐらいか、正確には知らないし、現在使用中のテープデッキやカートリッジが変わればまた、納屋でホコリをかぶっている真空管が必要になるかもしれない。これはわからない。だが、いずれにせよ真空管のよさを愛したことのない人にオーディオの何たるかを語ろうとは、私は思わぬだろう。
     *
こういう五味先生が、岩竹氏の手によって改良されたC22とMC275を、
「大恩人に頼まれても手離さないだろうに」と褒められている。
そのことを考えてしまう。

Date: 11月 4th, 2012
Cate: オリジナル

オリジナルとは(続×十六・チャートウェルのLS3/5A)

マランツのModel 7もマッキントッシュのC22も、
信号系のコンデンサーにはスプラーグのBlack Beauty、
固定抵抗はアーレン・ブラッドレーのもの、
真空管は12AX7、と使用部品に共通するところは多い。

けれどModel 7とC22は、回路が違い、コンストラクション、配線が違い、筐体構造も違う。
それに設計した人が違う。

これらの違いにより、Model 7とC22の音の世界はまったく異るわけだ。

そう考えると、コンデンサーの銘柄を変更したところで、
Model 7が別のアンプになるわけでもないし、C22がModel 7になるわけでもない。
Model 7の世界にしても、C22の世界にしても、使用部品だけがつくりあげているわけではない。

だからといって、もともと使われていた部品よりも劣悪な部品に取り換えてしまうのだけは、なしである。
同等の部品、それ以上の部品であるということが、部品交換の条件となる。

こんなふうに言葉に書いてしまうと、そう難しいことではないようなことであっても、
人によって、同等の部品、それ以上の部品の判断が異ることがあるから、
難しくもあり、誤解を生むのだと思う。

Model 7に関しては、くり返し述べているように私ならASC(旧TRW)のコンデンサーに交換する。
C22で、そうするのか、と問われれば、考えてしまう。

Model 7のBlack BeautyをASCのコンデンサーに換えるのであれば、
C22のBlack BeautyもASCでいいではないか、となるのだけれど、
ここでModel 7とC22の違いが、コンデンサーの選択に関係してくる。

C22の毒を薬にのようにして、聴きやすく鳴らしてくれるところがもしかすると、
薄れてしまうかもしれないと思ってしまうからである。

Date: 11月 2nd, 2012
Cate: オリジナル

オリジナルとは(続×十五・チャートウェルのLS3/5A)

真空管アンプ時代のマランツとマッキントッシュの音の違いとは、いったいどういうものだったのか。
それを、「世界のオーディオ」のMcINTOSH号の、この記事はうまく伝えている。

瀬川先生の、こんな発言がある。
     *
マランツで聴くと、マッキントッシュで意識しなかった音、このスピーカーはホーントゥイーターなんだぞみたいな、ホーンホーンした音がカンカン出てくる。プライベートな話なんですが、今日は少し歯がはれてまして、その歯のはれているところをマランツは刺激するんですよ。(笑)マッキントッシュはちっともそこのところを刺激しないで、大変いたわって鳴ってくれるわけです。
     *
同じレコードをかけて、同じアナログプレーヤーとスピーカーシステムで聴いても、
マランツは歯の痛みを意識させ、マッキントッシュは歯の痛みを忘れさせる。

この違いは、どちらが音がいいとか、アンプとして優秀といったことではなく、
音楽への接し方・聴き方に関わってくる性質のものであり、
さらに聴き手の肉体の状態までも、関係してくる。

菅野先生は、別の表現で、マランツとマッキントッシュの違いを語られている。
     *
マランツだと、これはほかの機器の歪みだぞといった感じで、毒を毒のまま出しちゃうところがあったんですね。マッキントッシュの場合、例えばピックアップのあらとか、ソースのあらなどの、そうした毒をうまく薬のようにして、聴きやすく鳴らしてくれるところがありますね。
     *
菅野先生は、さらに的確な喩えをされている。
これも引用しておこう。
     *
この二つは全く違うアンプって感じですな。コルトーのミスタッチは気にならないけど、ワイセンベルグのミスタッチは気になるみたいなところがある。(大爆笑)これ(マッキントッシュ)はまさに愛すべきアンプだね。
     *
マランツの音には、ワイセンベルグのように、ミスタッチが気になってしまうところがある。
だから、私はModel 7のメンテナンスすることになったら、
コンデンサーをもともとついているBlack Beautyにはせず、ASCにする理由が、ここにある。

Date: 10月 31st, 2012
Cate: オリジナル

オリジナルとは(続×十四・チャートウェルのLS3/5A)

C8SはC22ではないし、Model 1もModel 7ではないけれど、
C8SとModel 1の違い、C22とModel 7の違いは同じといっていい。

だから、この記事はマランツとマッキントッシュの性格の違いを表しているだけに、
いま読んでも興味深いところがいくつもある。

たとえば、いまの感覚からすると、
マランツModel 7の方がマッキントッシュC8Sよりも優秀で勝負にならないのでは? と思えるだろう。
同じことはC22とModel 7にもいえる。

けれど試聴の結果は、必ずしもそうはなっていない。
瀬川先生はこう発言されている。
     *
この二つのプリアンプを見比べただけで、これは勝負にならないで、恐らくマランツが断然良いに決まっていると思ったんです。ところが、鳴り出した音は全く逆で、マッキントッシュの方がはるかにいいんですね。
     *
菅野先生もほぼ同じことを発言されている。
     *
結果からいいますと、トータルで出てきた音はマッキントッシュの方がよかったように思うんです。ところが、ぼくの知性は、マランツの方がいいアンプだなということを聴き分けたんですよ。これは現在の新しい製品をテストしているときにも、しょっちゅうぶつかる問題なんですけど、単体で見たらすごくいいんだけれども、一つの系の中にほうり込んだ時に、果してどうかということになると、ほかの使用機器に関係なくいい音が出てこなければ、これが幾らいいものだといっても、ちょっと承服できないようなことがあるわけなんです。そういう感じをぼくはとても受けたんです。
     *
この試聴における「一つの系」は、すでに書いているように、
Model 1、C8Sと同年代にオーディオ機器である。
そしてこの試聴でかけられたレコードもまた、同じ時代のものばかりである。

そういう「一つの系」で、
ミケランジェリ、グラシス指揮フィルハーモニアによるラヴェルのピアノ協奏曲を鳴らしたとき、
マランツよりもマッキントッシュの音に、試聴に参加された四人はショックを受けられたのだ。

Date: 10月 30th, 2012
Cate: オリジナル

オリジナルとは(続×十三・チャートウェルのLS3/5A)

マランツのModel 7とマッキントッシュのC22、
真空管コントロールアンプの名器として語られ続けている、このふたつ。
どちらが優秀なアンプなのか、ということになると、どこに価値を置くかによって違ってくる。

すでに書いているようにModel 7は欲しい、という気持がある。
けれどC22に対しては、そういう気持は、まったくとはいわなけれど、ほとんどないに近い。

こう書くと、お前はModel 7の方を優秀とみているんだな、と思われるだろう。
優秀という言葉のもつニュアンスからいえば、Model 7が優秀だと思う。
けれど、どちらもアンプにしても聴くのは音楽である。
そうなると、必ずしもModel 7がすべての面でC22よりも「優秀」とは限らない。

ステレオサウンドが1970年代に出していた「世界のオーディオ」シリーズがある。
McINTOSH号も出ている。
この本の巻末に特別記事として「マッキントッシュ対マランツ」が載っている。
サブタイトルは、〈タイムトンネル〉もし20年前に「ステレオサウンド」誌があったら……、である。

McINTOSH号は1977年秋に出ているから、20年前となると1957年となる。
ステレオサウンドはまだ創刊されていない。
ステレオLP登場直前のころである。
Model 7もC22もまだ世に出ていない。

だから、この記事に登場するのは、マッキントッシュはC8SとMC30をそれぞれ2台ずつ、
マランツはModel 1を2台とステレオアダプターModel 6を組み合わせたものと
Model 2(当然こちらも2台) を用意して、
スピーカーシステムはJBLのハークネスに、プレーヤーはトーレンスのTD124にシュアーのダイネティック。

これらのシステムを、岡俊雄、菅野沖彦、瀬川冬樹、山中敬三、四氏が試聴されている。

Date: 10月 29th, 2012
Cate: オリジナル

オリジナルとは(続×十二・チャートウェルのLS3/5A)

マランツのModel 7について語られるとき、しばしば同じ時代の、
マランツとともにアメリカを代表するアンプメーカーであるマッキントッシュのC22が引合いに出される。

Model 7とC22、どちらも真空管時代の、もっとも著名なコントロールアンプであり、
オーディオ的音色の点から語るならば、対極にあるコントロールアンプともいえる。

C22の音について語られるとき、
その多くが、C22のもつ、いわゆるマッキントッシュ・トーンともいえる音色について、である。
その音色こそが、オーディオ的音色であって、
それこそがC22の魅力にもなっているし、C22の魅力を語ることにもなる。

Model 7は、というと、昔からいわれているように、
C22のようなオーディオ的音色の魅力は、ほとんどない、ともいえる。
だからModel 7の音は中葉とも表現されてきたし、
Model 7の音を表現するのは難しい、ともいわれてきている。

それはC22のようなオーディオ的音色が、そうとうに稀薄だから、である。

もちろんModel 7にも固有の音色がまったくないわけではない。
ただ、それはひじょうに言葉にしにくい性質ということもある。
Model 7は、そういうコントロールアンプである。

だから、私はModel 7に関しては、
Black BeautyではなくTRW(現ASC)のコンデンサーに交換したい、と思うわけだ。

それではC22だったら、どうするか、というと、正直迷う。
C22にもBlack Beautyが使われている。
当然、それらBlack Beautyはダメになっているわけだから交換が必要になる。
Model 7と同じようにASCのコンデンサーにするのか、となると、
良質のBlack Beautyが手に入るのならば、それにするかもしれない……。

購入する予定もないのに、そんなことを考える。
Model 7にはASCのコンデンサー、C22にはBlack Beautyとするのは、
何をModel 7のオリジナルとして捉えているのか、何をC22のオリジナルとして捉えているのか、
そこに私のなかでは違いがはっきりとあるからだ。