Archive for category オリジナル

Date: 5月 28th, 2014
Cate: オリジナル

オリジナルとは(あるスピーカーの補修・その10)

以前、JBLの4411を使っている知人から、エッジがボロボロになっているけど、どうしたらいいか、ときかれた。
ウレタンエッジにすればまたいつの日かボロボロになる。
できればウレタンエッジに替るものでいいものはないのか、ということだった。

もう七年ほど前のことだったから、
ヒノオーディオが扱っているエッジを奨めておいた。
自分でエッジ交換をする必要があるが、知人は結果に満足していた。

それから数年後に、今度はLE8Tのエッジが……、という相談があった。
その人にもヒノオーディオのエッジを奨めた。
彼もまた自分でエッジを交換している。

スピーカーユニットは振動板からのみ音が放射されているわけではない。
何度か書いているようにフレームからの輻射もあるし、エッジも振動しているわけで、
しかも外周にあるから面積としても決して小さいわけではない。
この部分からも、音が出ている。

しかもエッジは常にきれいに動いているわけではない。
大振幅で振動板が動いているときのエッジの変形は、けっこう複雑なものである。
エッジの種類、材質によってもそれは異ってくるものの、
振動板が前に動いているときにエッジの一部は前、他の部分は後と、いわゆる分割振動的な動きをすることもある。

これらは何がしかの音として、振動板からの音に絡み合ってくる。

だからエッジのコンプライアンスが、
もともとついているウレタンエッジと交換したヒノオーディオのエッジとがまったく同じであり、
交換したあとのf0も変化しなかったとしても、音がまったく同じということはあり得ない。

どちらがいいのかは、その人が判断することである。
少しばかり音は変っても、もうエッジ交換の心配をしなくて済む方が精神的に安心して聴ける、
このことの価値を大事にする人にとっては、ウレタンエッジへの交換よりも、
ヒノオーディオが取り扱っていたエッジを、私は奨める。

今回のスピーカーの補修にあたって、ヒノオーディオのエッジのことが真っ先に浮んだ。
できれば、この先エッジの交換をしなくて済むことが大事なことであったからだ。
だがヒノオーディオはもうない。エッジも手に入らなくなっている。

Date: 4月 10th, 2014
Cate: オリジナル

オリジナルとは(あるスピーカーの補修・その9)

コーンアッセンブリーを、たとえ純正パーツとはいえ交換したスピーカーシステムは、
もうオリジナルとは呼べないのか。

オリジナルでなければ価値が下る、などというオリジナル至上主義の人たちに対しては、
「もうそれはオリジナルではありません」と答える。

コーン紙の原材料が変っている可能性の高さ、
原材料が同じであっても工場が変っている可能性、
原材料と工場が同じでも、製造時期が違ってくれば、
工場を取り巻く環境も原材料の木々を取り巻く環境も変ってきている。

水も空気も同じではない。

さまざまなこまかなことが管理されているとはいえ、
製造時期が違えば、まったく同じモノを製造することは不可能といえる。

見た目や型番といった視覚的情報だけで判断するオリジナル至上主義者には、
だからこういったことを滔々と述べて、もうオリジナルではなくなっています、と伝えるようにしている。

オリジナル至上主義者にはそう答えているが、すべての人にそう答えているわけではない。
大切に使ってきているスピーカーシステム、鳴らしてきているスピーカーシステムに、
なんらかの不具合が生じて、修理・補修の手を加えた。

純正のコーンアッセンブリーに交換した。
コーン紙が変るのがいやだから、エッジのみを交換した。
ネットワークのコンデンサーがダメになったから交換した。

その際に、自分の求めている音のイメージが確固としてあり、
そのために必要となる修理・補修の手の加え方であれば、厳密な意味でのオリジナルではなくなっていても、
それは、その人にとっての「オリジナル」であるわけだから、私はオリジナルと答える。

Date: 4月 9th, 2014
Cate: オリジナル

オリジナルとは(あるスピーカーの補修・その8)

コーン型スピーカーの振動板の素材はひとつだけではない。
アルミニュウムやマグネシウムといった金属素材のもの、
ポリプロピレンやベクストレンなどの合成樹脂系のもの、がある。

こういった素材と一般的な素材である紙との違いはなんなのか。
紙である、ということ、つまり紙の元となるものものは木だ、ということである。

ステレオサウンド 23号はブックシェルフ型スピーカーシステムを特集している。
さまざまなスピーカーシステムの試聴記の他に、「設計者にきくスピーカーシステムの急所」という座談会がある。

日本コロムビアの小川秀樹氏、三菱電機の佐伯多門氏、オンキョーの鶴本浩規氏、日本ビクターの林正道氏を招き、
質問者として井上先生と瀬川先生。
この座談会の中に、こんな発言がある。

ビクターの林氏の発言だ。
     *
もちろん彼等(アメリカのホーレー社のエンジニアのこと)も試聴室を持っていますし物理的な定数も調べています。パルプをすでに35年間あつかってきたという技術部長は、フィンランドからパルプを買っていたが自分のいる間にAのパルプは尽き果てたので、必死に探してオレが決めたのはロッキー山脈の上の方から切り出したもので十年分を買いこんだ、なんていう試聴室に行くと、これは先輩が作ったAで、こっちはオレの作ったAだが判るか、と聞き返してくるんですよね。
     *
たとえ工場が変らなくても、コーン紙の型番が同じままであっても、
この話からはっきりとしてくるのは、紙である以上、使い果たしてしまったら、
別のところの木を探し出してこなければならない。

つまりホーレー社のコーンでも、以前はフィンランドのパルプだったコーン紙が、
ある時期からはロッキー山脈のパルプへと変っているわけで、それでもコーン紙の型番は、
どちらのパルプでも同じである。

Date: 4月 6th, 2014
Cate: オリジナル

オリジナルとは(あるスピーカーの補修・その7)

社会情勢は大きく変化している。
それによってオーディオがまったく影響を受けないわけではない。

オーディオ機器をつくっているのは会社である。
オーディオ機器を開発し販売し利益を得ている会社は、社会情勢の変化を受ける。
モノづくりの体制も変っていく。

JBLのコーン紙の製造は1970年代のスタジオモニターに使われているものに限っても、
数回製造工場が変っていることは確認済みである。
日本でつくられていた時期もある。

いまはどこで製造しているのか、私が確認できている後でも、工場は変っていったのか、
そのへんのことははっきりとわからないけれど、コーン紙の製造工場が変っていることを知っている人は、
JBLユーザー、JBLに関心をもつ人の中には少なくない。

工場が変ってもJBLが純正パーツとして製造しているコーンアッセンブリーであることには変りはない。
その意味では、例えば1970年代後半に4343を購入した人が、
その後、2231A、2121のリコーンをした場合、
最初についていた2231A、2121のコーン紙の製造工場と、リコーン用の製造工場とでは違っている、といえる。

これをオリジナル至上主義の人は、リコーンしたJBLのスピーカーシステムも、
オリジナルである、と言い張るのだろうか。

Date: 4月 5th, 2014
Cate: オリジナル

オリジナルとは(あるスピーカーの補修・その6)

ネットワークのコンデンサーについては、これで行こう、という結論はすぐに出た。
けれどエッジに関しては少しばかり考えてしまった。

ウレタンエッジは加水分解によってボロボロになる。
どんなに大事に使ってもいずれもボロボロになってしまう。

JBLのスタジオモニターのウーファーによく採用された2231のエッジはウレタンであり、
やはりボロボロになる。
ボロボロになったら交換するしかない。

日本では輸入元のハーマンインターナショナルによって、リコーンをしてくれる。
エッジだけの交換ではなくコーンアッセンブリーまるごとの交換となる。

つまりコーン紙、エッジ、ボイスコイルボビン、ボイスコイル、ダンパーがまるごと新品に交換されるわけだ。
そのため価格もそこそこかかる。
それでも純正のコーンアッセンブリーが用意されているのだから、安心といえば安心といえる。

にも関わらずJBLのスピーカーシステムを使っている人の中には、
ハーマンインターナショナルに依頼せずに、エッジのみを交換してくれる業者もしくは人を探して依頼する人もいる。

エッジだけの交換のほうが価格が安い、ということもあるが、
理由はそれだけとはいえない。

Date: 4月 4th, 2014
Cate: オリジナル

オリジナルとは(あるスピーカーの補修・その5)

今回私が補修することになったスピーカーシステムは、サイズとしては日本のブックシェルフ型とそう変らないが、
メーカーはフロアー型としているし、実際に床に直置きする。

エンクロージュアは叩いてみればわかるように、そんなに分厚い板を使っているわけでもない。
補強棧をがちがちにいれているタイプでもない。

どんな造りになっているのか。
ウーファーを外してまず目につくのは、前後のバッフルを結合している太い角材だ。
この角材は、エンクロージュアのサイズ、板厚から判断しても、かなり太いように感じる。
この構造こそが肝心なのだ、と暗に語っているように感じる。

スピーカーシステムの音を大きく左右するのは、
スピーカーユニットと、この補強棧の入れ方であると、このメーカーは考えているのではないだろうか。

ネットワークのパーツやエンクロージュアの内部配線材によって音が変ることはわかっている。
けれど、そんなことよりもまず大事なことがあり、それらをきちんと押えておくこと──。
そういうスピーカーシステムなのだと、思う。

ネットワークからユニットまでの配線材も細い。
ネットワークの部品を結ぶ線もコイルの銅線を引き出してそのまま使っている。

コンデンサーを固定しているラグ板とスピーカー端子の関係をみても、
そうとうに合理主義で、きちんと作られていることがわかる。

こういうスピーカーシステムに、オーディオ用パーツは似合わない。

Date: 4月 4th, 2014
Cate: オリジナル

オリジナルとは(あるスピーカーの補修・その4)

コンデンサーに関しては代替品を選ばなければならない。
どのメーカーの、どのコンデンサーにするのか。

いまも昔もオーディオ用を謳った抵抗やコンデンサーは存在している。
これらすべてを聴いたわけでもないから、すべてを否定するわけではないが、
どの時代にもオーディオ用を謳ったパーツには、ある割合で、ひどくキャラクターの強いものがある。

不思議なのは、そういうパーツに限って高い評価を得ていることがある。
とにかくキャラクターが強いから、交換したときの音の変化は大きい。
そして、そのキャラクターが好みにはまれば、それを高く評価する人が出て来ても不思議ではない。

あくまでも自分の好む音が出て来た、という結果での高評価とことわったものであれば、
読んでも聞いても納得できないわけではない。

けれど中には、そういうキャラクターの強い音を、音楽性がある、という表現をする人がいる。
よく聴けばわかることだが、そういうキャラクターの強い音は、
すべての音を自分のキャラクターで塗りつぶす傾向が強い。

聴く音楽の範囲がごく限られていれば、そういうキャラクターの強さがうまく作用してくれることもあるが、
音楽の範囲が広くなればなるほど、何を聴いても同じ音(キャラクター)がつきまっていることに気づく。

そういう強烈なキャラクターを、音楽性がある、とは私は判断しない。
むしろ反対の評価を下す。

こういうコンデンサーは世評がどんなに高かろうと、私は使わない。

Date: 4月 3rd, 2014
Cate: オリジナル

オリジナルとは(独り言)

オリジナル至上主義の人たちがいう「価値」とは、結局のところ資産価値なのではないか、と思うこともある。
あまりにもオリジナルオリジナル、という人に対して、
その「価値」って、いったいどういう価値ですか、と訊きたくなる。

資産価値ということでは、確かに高く売れる方が価値がある・高いということになるわけだから、
オリジナルとひとつでも違うパーツが使われいてることは、資産価値を大きく損なうわけだ。

でも資産価値というのは、己ではなく他人の評価なのではないか。

そうでない人もいるのだろうが、
オリジナルでなけれは価値が……、といわれてしまうと、
この人は他人の評価のほうが大事なんだろうな……、と思わないわけではない。

Date: 4月 3rd, 2014
Cate: オリジナル

オリジナルとは(あるスピーカーの補修・その3)

とにかくオリジナルであることが、なによりも大事な人たちがいるのは知っている。
車の世界では、そのことがとても大事なことらしい。

昔の名車を、オリジナルと違うパーツに交換したり、それで修理したりすれば、
それで、その車の価値は大きく下る、らしい。

オリジナルと少しでも違う箇所があれば、それでその車の価値は下る。
理解できないわけではないが、
それだけで、その車の価値がそれほど左右されてしまうのか、とも正直おもう。

オーディオに似たようなもの。
とにかくアンプにしてもスピーカーにしてもオリジナル通りのパーツで修理しなければならない。
少しでも違うパーツを使えば……、という人たちがやはりここにもいるわけだ。

そういう人たちは、今回、私が補修するスピーカーシステムをどうするのか、興味がある。
オリジナルと同じパーツで修理するとなれば、左右で違うパーツを使うことになる。
オリジナル至上主義の人たちは、これでいいのか。

それに補修するスピーカーシステムに使われているコンデンサーは、有名なパーツではない。
そんなパーツ、しかも40年以上のパーツ(コンデンサー)を探し出してくることは、決して不可能ではないだろうが、
それにはどれだけの時間を必要とするのか。

仮に新品・未使用の同じコンデンサーが見つかったとしても、
40年以上のパーツであれば劣化しているとみるべきである。
そういうパーツを使って補修したところで、それは音が出るようになっただけにしかすぎない。

オリジナル至上主義の人たちは、それで満足なのだろうが、
今回のスピーカーシステムは私自身が使うモノではない。
そういうスピーカーシステムに対して、そういった自己満足にすぎない補修は行えない。

Date: 4月 2nd, 2014
Cate: オリジナル

オリジナルとは(あるスピーカーの補修・その2)

片方のスピーカーの音がでなくなっていた原因はネットワークにあった。
そしてこのネットワークが左右で微妙とは言い難いレベルで違う。

コイルの数、コンデンサーの数、それらの配置・配線は同じなのだが、
片方はコイルを透明なピッチで固めてあるのに、もう片方はそんなことはしてない。

コンデンサーもトゥイーターのローカット用のフィルムコンデンサーは、両方とも同じ品種なのだが、
ウーファーのハイカットの電解コンデンサー、スコーカーのローカットの電解コンデンサー、
これらが容量は左右で同じなのだが、メーカーも品種も違うものがついている。
なので同じ容量でも大きさに違いもある。

ウーファーのハイカットのコンデンサーが目で見てわかるのだが、破損していた。
この70μFのコンデンサーを交換すれば、音は出て修理は完了、とすることもできないわけではない。

もちろん、そんなことは絶対にやらない。
故障箇所だけでなく気になるところも含めて補修することで、あと最低でも十年は安心して使えるする。
このスピーカーシステムの鳴らし手がオーディオマニアであれば、その人の判断まかせのところも出てくるけれど、
今回の、このスピーカーシステムに関してはそうではない。

まったくマニアでない人が大切な存在のスピーカーシステムであり、
すべてこちらに一任されている。

このスピーカーシステムを、どう補修していくのか。

Date: 4月 1st, 2014
Cate: オリジナル

オリジナルとは(あるスピーカーの補修・その1)

あるスピーカーシステムの補修をやることになった。
ずいぶん古い、アメリカ製のスピーカーシステムで、私のモノではない。

片チャンネル、まったく音が出なくなった、ということで、二週間ほど前にそこに行ってきた。
リアバッフルは接着されているつくりなので、ウーファーを外して中を見ることになり、サランネットを外す。

このサランネットもベリッとはがせるものではなく、エンクロージュア底部からネジ止めしてある。
木ネジを四本外してサランネットを取った。

30cm口径のウーファーのエッジがボロボロになっていた。
ほぼ40年前のスピーカーシステムだから、しかもウレタンエッジだからこうなってしまうのはしかたない。

この時点でエッジの貼り替えが必要となる。

ウーファーを外してみた。
このスピーカーシステムのエンクロージュアの中を初めて見ることが出来た。

実は半年ほど前に伺ったときにサランネットを外してユニットの状態は確認していた。
この時はウレタンエッジはかろうじて形を保っていた。
けれど家の建て替えのため二度の移動がまちがいなくエッジにとどめをさしたのだろう。
ほんとうにボロボロになっていた。

ウーファーを外す。
グラスウールが見える。
その裏にネットワークがある。

こうなっているのか、とiPhoneで写真を撮っていく。

もう片方もウーファーを外してみた。
まず気づいたのはグラスウールの枚数と入れ方に違いがある、ということ。
さらにグラスウールをめくってネットワークをみると、ここにも違いがあった。

Date: 1月 30th, 2014
Cate: オリジナル

オリジナルとは(続々トーレンスTD224のヘッドシェル)

ステレオサウンド 39号に登場しているトーレンスのTD224は、
私のところにあるTD224そのものであり、つまりは岩崎先生のモノだったTD224である。

そのTD224にオリジナルの、オルトフォンのGシェルに似たヘッドシェルではなく、
SMEのヘッドシェルと同じように肉抜きの穴が開けられたタイプのヘッドシェルがつけられているということは、
岩崎先生は、この穴あきのヘッドシェルを使われた、とみるべきだろう。

「クラマツマンシップの粋」の記事中には、オリジナルのヘッドシェルは別のものだと記述されている。

なぜオリジナルのヘッドシェルではなく、穴あきタイプのヘッドシェルだったのか、
その理由については、いまではもうわからない。

でも,岩崎先生は穴あきのヘッドシェルを(も、かもしれない)使われていたことは、確かである。

それに私がTD224を写真で見たのは、ステレオサウンド 39号の写真であり、
この写真の TD224が、私にとってのオリジナルのTD224といえる。

そして、岩崎先生のTD224が私のところにあるのだから、
穴あきタイプのヘッドシェルを、私は選ぶ。

私にとっての「オリジナル」とはそういうことであり、
そういう意味では「オリジナル」であることにこだわりたいところも持っている。

そういうわけで、今回、穴あきタイプのヘッドシェルであることが、私にはうれしいことなのだ。

Date: 1月 30th, 2014
Cate: オリジナル

オリジナルとは(続トーレンスTD224のヘッドシェル)

TD224に附属していたヘッドシェルは、オルトフォンのGシェルに似た形状のものであり、
Googleで画像検索すれば、すぐに見つかる。

今回(週末には届く予定)のヘッドシェルは、これではない。
ステレオサウンド 39号の「クラマツマンシップの粋」で紹介されているTD224につけられているモノと、
同タイプの、SMEのヘッドシェルのように肉抜きの穴がいくつか開けられているタイプである。

その意味では、オリジナルではない、と思う人がいる。
とにかく新品の時と少しでも違うものがついていたり、つけられていたりすると、
「オリジナルではない!」と否定する人が、けっこういる。

そういうタイプの人からすれば、
岩崎先生のTD224にオリジナル以外のヘッドシェルをつけるなんてまかりならん、ということになる。

私は、そういうオリジナル至上主義ではない。
オリジナル至上主義の人の中には、少なからず、オリジナルと少しでも違うところがあれば、
そのモノの価値が目減りする、という。

オーディオを資産価値とみて判断するならば、そうであるけれど、
私には、そういうところはまったくない。

それにオリジナルと違うところがあれば、音が変る、というオリジナル至上主義もある。
これはわからなくもないではないが、オリジナルであることに頼りすぎている、ともいえる。

オリジナル至上主義の人であれば、今回私がするようなことはせずに、
eBayで、いわゆるオリジナル・ヘッドシェルを落札して手に入れることだろう。

でも、私にとって、今回のヘッドシェルの方が、別の意味での「オリジナル」である。

Date: 1月 30th, 2014
Cate: オリジナル

オリジナルとは(トーレンスTD224のヘッドシェル)

岩崎先生が使われていたトーレンスのTD224が私のところにあるのは、以前書いた通りだ。

このTD224にはヘッドシェルが附属していなかった。
日本で一般的なヘッドシェルとほぼ同じように見えるが、
コネクターのピンの規格が、日本のヘッドシェルとは大きく違っている。

だから、この部分をなんとかしなければTD224でレコードを聴くことはできない。

海外のオークションサイト、eBayにはTD224のヘッドシェルが出ている。
ただ、どれも強気の値段がつけられている。
これを買えば問題は解決なのだが、なんとなく癪にさわる。

まあ、これは個人的な感情であって、どうしても手に入らなければ、
eBayでの強気の価格のヘッドシェルを買うしかない。

もしくはTD224についてきているトーンアームの先端部分を、
一般的なトーンアームのものと交換する、という手もないわけではない。

どうするのか、結論を先延ばししていると、eBayでのヘッドシェルも手に入らなくなる可能性もある。
そろそろどうするか決めるか、とおもっていたところに、
「一個あまっていますから、差し上げます」という人があらわれた。

Date: 8月 15th, 2013
Cate: オリジナル

オリジナルとは(続×二十三・チャートウェルのLS3/5A)

アルテックの612Aをマランツの真空管アンプ、Model 7とmodel 9でもし鳴らされていたら、
「滑らかに澄んで、ふっくらとやわらかなあの美しい歌声」でエリカ・ケートのモーツァルトは鳴らなかった、
と断言できる。

おそらく、ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ」のMcINTOSH号での記事での発言ようになっていたはずだ。
この項でも以前引用していることを、ここでもう一度引用しておく。
     *
マランツで聴くと、マッキントッシュで意識しなかった音、このスピーカーはホーントゥイーターなんだぞみたいな、ホーンホーンした音がカンカン出てくる。プライベートな話なんですが、今日は少し歯がはれてまして、その歯のはれているところをマランツは刺激するんですよ。(笑)マッキントッシュはちっともそこのところを刺激しないで、大変いたわって鳴ってくれるわけです。
     *
瀬川先生の発言である。
612Aをマランツの組合せで鳴らしたら、
瀬川先生にとってアルテックのスピーカーの気になるところが、ストレートに出て来てしまったはず。

エリカ・ケートのモーツァルトが、「初夏のすがすがしいある日の午後に聴いた」ように鳴ったのは、
アルテックの612Aというスピーカーシステムのもつ毒と、
マッキントッシュのC22とMc275というアンプのもつ毒、
どちらも瀬川先生の音の好みからすると体質的に受け入れ難い毒同士が化学反応を起して、
非常に魅力的な、それはある種の麻薬のような音を生み出したからこそ、
瀬川先生の「耳の底に焼きついて」、
「この一曲のためにこのアンプを欲しい」と思わせるだけの力を持ったといえる。

これがオーディオ的音色のもつ魅力が、音楽とうまく結びついて開花した例であり、
こういう音を、一度でもいいから聴いたことのある聴き手と、そういう体験をもたない聴き手では、
オーディオへののめり込み方、取り組み方に、はっきりとした違いをもたらす。

同じくらい、オーディオを通して音楽を聴くことに強い関心をもっていたとしても、
こういう体験の有無がもたらす違いは、オーディオ機器の評価においても、
時としてはっきりとした違いを生む場合がある。

そのことを抜きにして、実はオーディオ評論は語れないはずだ。