Archive for category ディスク/ブック

Date: 9月 19th, 2018
Cate: ディスク/ブック

ADORO, LA REINE DE SABA

ADORO, LA REINE DE SABA、
こう表記すると、どのディスクのこと? と思われるだろうが、
日本語表記では「アドロ・サバの女王」である。

今日(9月19日)は、ユニバーサルミュージックのハイレゾCD名盤シリーズ
邦楽シリーズの発売日である。
MQA-CDでの発売である。

すでに何度か書いているように、今日発売の30タイトルの中に、
グラシェラ・スサーナの「アドロ・サバの女王」がある。
MQA-CDだから、いまのところ聴く環境を持っていないが、
ディスクだけは買ってきた。

ハイレゾCD名盤シリーズは、邦楽だけでなく、洋楽、ジャズ、クラシックも既に発売されているが、
生産限定盤であるから、無くなってしまったら買えなくなる。

メリディアンのULTRA DACでのMQAの音を聴いて二週間。
あの音は、いまも、そしてこれからも耳に残っていることだろう。

いま買っておかないと、いずれ後悔する。
それに一枚でも多く売れれば、次回があるかもしれない。
グラシェラ・スサーナの他のアルバムも、MQA-CDとして登場してくる可能性が芽生えるかもしれない。
そうなってほしいと、思っている。

Date: 9月 19th, 2018
Cate: ディスク/ブック

FAIRYTALES(その1)

Radka Toneffの名前を久しぶりに目にした。
ラドカ・トネフ、ノルウェーの女性歌手だった。

ラドカ・トネフのFAIRYTALESを聴いたのは、もう30年ほど前のこと。
ステレオサウンドの試聴室で、山中先生がもってこられたCDの一枚が、FAIRYTALESだった。

何の試聴だったのかを、なぜか憶えていない。
どのオーディオ機器で聴いたのかも、不思議と憶えていない。
そのくらい、ラドカ・トネフの歌の衝撃が大きすぎた。

山中先生は、「これ」といってディスクを渡された。
ジャケットのイラストを見ても、どんな音楽が鳴ってくるのかはわからなかった。

ディスクをCDプレーヤーにセットして再生する。
私だけでなく、その時、試聴室に他の編集者も衝撃を受けたようだった。

山中先生は、我らの表情を見て、そうだろ、というような顔をされていた。
ラドカ・トネフのFAIRYTALESは、私も買ったし、他の編集者も買った。

FAIRYTALESには、いいようのない雰囲気があった。
たじろぐようなところもあった。

それゆえ、愛聴盤とはいえないところもある。

ラドカ・トネフについて詳しいことは知らない。
FAIRYTALESの録音後に自殺していることだけは、聴き終ったときに山中先生から聞いている。

歌い手の自殺(自殺でなくても、事故死、病死であっても)と、
その歌とを、結びつけようとは思わない。
世の中には、自分だけの物語をつくって、深く(勝手に)結びつける人もいるけれど、
私は、そういうことには興味がない。

そんな私でも、FAIRYTALESは何かが違う、と感じた。
物語をつくったりはしないが、遠ざけてきた一枚である。

そのFAIRYTALESが、MQA-CDになっている。
メリディアンの輸入元ハイレス・ミュージックのサイトを見ていて、見つけた。
MQA-C Dソフト情報のページの中ほどに、ラドカ・トネフのFAIRYTALESのことが載っている。

手に入れなければ! と昨晩思っていた。

FAIRYTALESは、限定盤である。
枚数もごくわずかである。
注文方法も、ハイレス・ミュージックのサイトに書いてある。

Date: 9月 10th, 2018
Cate: ディスク/ブック

JUSTICE LEAGUE(その1)

サウンドトラックはあまり買わない、というか、ほとんど買わない。
これまでに買ったサウンドトラック盤は十枚に満たない。

映画はよく観ていると思うし、
いまよりもずっと観ていた時期もあった。

それでもサウンドトラックを買うことは、ほぼなかった。
その頃渋谷にはサウンドトラック専門のレコード店があった。
何度か行った。
それでも買うことは稀だった。

自分でも不思議に思う。
なぜ、買わないのか、と。

JUSTICE LEAGUE(ジャスティス・リーグ)は、2017年11月に公開された映画であり、
今回久しぶりに買ったサウンドトラックである。

映画「ジャスティス・リーグ」は、
前作「バットマンVSスーパーマン ジャスティスの誕生」の数ヵ月後を描いている。

スーパーマンに少年たちがスマートフォンでインタヴューするシーンから始まる。
この直後に流れたのが、“EVERYBODY KNOWS”だった。
歌っているのはレナード・コーエンではなく、女性だった。
SIGRIDというノルウェー出身の歌手だ、ということを映画が終ってから知る。

エンディングでかかるのは、“COME TOGETHER”である。
こちらもビートルズではなく、歌っているのは、Gary Clark Jr. and Junkie XLである。

どちらも、いい。
もう一度聴きたい、と思った。
だから、ひさしぶりにJUSTICE LEAGUEのサウンドトラック盤を買ってしまった。

Date: 8月 7th, 2018
Cate: ディスク/ブック

音職人・行方洋一の仕事

音職人・行方洋一の仕事」がDU BOOKSから発売になっている。
DUとはディスク・ユニオンのこと。

副題には「伝説のエンジニアが語る日本ポップス録音史」とある。

行方洋一氏の名前は、ステレオサウンドにもよく登場していたし、
そのころ読んでいたFM誌でもよく見かけていた。
ステレオサウンドでは井上先生と録音について語られていた印象がある。

そのおかげで、行方(なめかた)と読むことを知った。

インターネットで発売になったことを知っただけで、
どういう内容なのかは知らないが、読む価値のある本だとは思っているし、
こういう本はもう出ないだろう、とも思っている。

Date: 7月 27th, 2018
Cate: ディスク/ブック

CHARLES MUNCH/THE COMPLETE RECORDINGS ON WANER CLASSICS(その1)

五味先生が、「ラヴェル《ダフニスとクローエ》第二組曲」で、
シャルル・ミュンシュについて書かれていたのを読んだは、もうずっと昔のこと。
     *
 この七月、ヨーロッパへ小旅行したおり、パリのサントノレ通りからホテルへの帰路——マドレーヌ寺院の前あたりだったと思う——で、品のいいレコード店のショーウインドにミュンシュのパリ管弦楽団を指揮した《ダフニスとクローエ》第二組曲を見つけた。
 いうまでもなくシャルル・ミュンシュは六十三年ごろまでボストン交響楽団の常任指揮者で、ボストンを振った《ダフニスとクローエ》ならモノーラル時代に聴いている。しかしボストン・シンフォニーでこちらの期待するラヴェルが鳴るとは思えなかったし、案のじょう、味気のないものだったから聴いてすぐこのレコードは追放した。
 ミュンシュは、ボストンへ行く前にパリ・コンセルヴァトワールの常任指揮者だったのは大方の愛好家なら知っていることで、古くはコルトーのピアノでラヴェルの《左手のための協奏曲》をコンセルヴァトワールを振って入れている。だが私の知るかぎり、パリ・コンセルヴァトワールを振ってのラヴェルは《ボレロ》のほかになかった。もちろんモノーラル時代の話である。
 それが、パテ(フランスEMI)盤でステレオ。おまけに《逝ける王女のためのパバーヌ》もA面に入っている。いいものを見つけたと、当方フランス語は話せないが購めに店に入った。そうして他のレコードを見て、感心した。
(中略)
 シャルル・ミュンシュの《ダフニスとクローエ》そのものは、パリのオケだけにやはりボストンには望めぬ香気と、滋味を感じとれた。いいレコードである。
 他に《スペイン狂詩曲》と《ボレロ》が入っている(レコード番号=二C〇六九=一〇二三九)。もちろんモノを人工的にステレオにしたものゆえ優秀録音とは今では申せない。だが拙宅で聴いたかぎり、十分鑑賞に耐えるものだったし、アンセルメやピエール・モントゥとはまた違った味わいがあった。クリュイタンス盤より、そして私には好ましかったことを付記しておく。
     *
これを読んだ時から、ミュンシュのこのレコードを買おう、と決めていた。
けれど、当時なかったように記憶している。
私の探し方が足りなかったのか、廃盤になっていたのか、
そのへんはさだかではないが、聴くことはできなかった。

かといってミュンシュ/ボストン交響楽団のレコードを買う気にはなれなかった。

ミュンシュ/パリ管弦楽団のレコードは、ラヴェル以外にも優れた演奏が残されていることも、
すこし経ったころに知る。
ブラームスの交響曲第一番であったり、ベルリオーズの幻想交響曲などである。

結局、これらのミュンシュ/パリ管弦楽団の演奏を聴いたのはCDになってからだった。

9月にワーナー・クラシックスから、
CHARLES MUNCH/THE COMPLETE RECORDINGS ON WANER CLASSICSが出る。
EMIとエラートに残された録音が、13枚組のCDボックスで出る。

パリ管弦楽団だけでなく、
ラムルー管弦楽団、フランス国立管弦楽団、パリ音楽院管弦楽団との演奏も含まれている。
コルトーとの《左手のための協奏曲》も、もちろんだ。

この手のボックスものの例にもれず、この13枚組も安価だ。
五味先生が書かれているような、旅先で偶然、こういうレコード店に出会して、
存在を知らなかった、いいレコードに巡り合うという楽しみは、CDボックスにはない。

けれど、ありがたいことではある。

Date: 7月 12th, 2018
Cate: ディスク/ブック

スピーカー技術の100年 黎明期〜トーキー映画まで(さらに追記)

スピーカー技術の100年」を読んでいる。

細部まで熟読まではしておらず、最初から最後までパッと目を通した程度なのだが、
ひとつ気になったことがある。

333ページに《オーディオ研究家の加藤秀夫》とある。
これはそのとおりである。

331ページ《レコード演奏家として著名な高城重躬》とある。
ここがひっかかっている。
些細なことである。

けれど、高城重躬氏は、菅野先生の定義されるところのレコード演奏家だろうか。
オーディオ研究家に、なぜされなかったのか。

Date: 7月 11th, 2018
Cate: ディスク/ブック

スピーカー技術の100年 黎明期〜トーキー映画まで(追記)

佐伯多門氏の「スピーカー技術の100年」。
昨日、電子書籍にしてほしい、と書いた。

電子書籍にするのであれば、英訳してほしい、とも思う。
そうすれば海外でも販売できる。

オーディオの技術書で、日本の書籍が海外で評価されていることはないのではないか。
海外の技術書は、日本にも入ってきている。
私も何冊か持っている。

英訳して紙の本ということでは、コスト面でも大変だろうが、
英訳・電子書籍であれば、一度制作してしまえば、長いこと販売できる。

Date: 7月 10th, 2018
Cate: ディスク/ブック

スピーカー技術の100年 黎明期〜トーキー映画まで

無線と実験に長期連載されていた「スピーカー技術の100年」。
佐伯多門氏が執筆されていた。

この記事だけのために無線と実験を買おうか、と思うくらいだった。
けれど、いずれ一冊にまとめられるだろうと思って、買わずにいた。

連載が終ってどれぐらい経つだろうか。
そろそろ出るかな、と思っていたら、
佐伯多門氏の「スピーカー&エンクロージャー大全」が出た。

「スピーカー技術の100年」を出さずに、こっちなのか、と思ったくらいにがっかりした。
もしかしたら出ないかもしれない……、
そうなったら図書館に行って、ひたすらコピーしてくるしかないのか……。

7月9日に、やっと「スピーカー技術の100年」が出た。
近くの書店になかったので、まだ手にしていない。

もうこの種の本は出てこない、と思っていた方がいい。
ハイエンドオーディオばかりに夢中になっている一部のオーディオマニアは、
そんな古いスピーカー技術のことを知ったところで何になる──、
そんなことを思うかもしれない。

そういう人にほっとくしかない。

「スピーカー技術の100年 黎明期〜トーキー映画まで」が出たのは嬉しい。
ただ、現時点では電子書籍化はされていないようだ。
こういう本こそ、電子書籍化をしてほしい。
つまり紙の本が絶版になったとしても、電子書籍だけは継続して出版してほしい。

Date: 6月 27th, 2018
Cate: ディスク/ブック

スタアの時代 外伝

オペラ好きの人ならば、佐々木忠次氏の名前を、
どこかで見かけたことはある、と思う。

オペラにあまり関心ないクラシックの聴き手であっても、
カルロス・クライバー好きの人ならば、佐々木忠次氏の名前を、
どこかで目にしている、と思う。

私も佐々木忠次氏について詳しいことを知っているわけではない。
それでも日本舞台芸術振興会(NBS)を設立した人であり、
カルロス・クライバーが、あれほどひんぱんに日本で演奏してくれたのは、
佐々木忠次氏がいたからだ、ということは知っている。

黒田先生は、モーストリークラシック連載の「黒恭の感動道場」で、
佐々木忠次氏の「起承転々 怒っている人、集まれ!」について書かれている。

その文章を読んで、こういう人がNBSを設立したのか、と思っていた。

7月2日、光文社から桜沢エリカ氏の「スタアの時代 外伝」が出る。
描かれているのは、佐々木忠次氏の生涯である。

Date: 6月 3rd, 2018
Cate: ディスク/ブック

Here’s To My Lady(その2)

ビリー・ホリディの名前だけは十代のころから知っていた。
けれどレコードを自分で買って聴いたのはハタチになっていた。

ロジャースのPM510を鳴らしているころだった。
ビリー・ホリディがどういう歌手なのかは、なんとなくぐらいしか知らなかった。
どのディスクを買って聴いたのかも、いまでは正確に思い出せない。

それまで聴いてきた、どんな女性歌手とも違うことだけは聴いていて感じた。
でも、それ以上のこととなると、そこで鳴っていた音では、
ビリー・ホリディがものすごく遠く感じたものだった。

だから愛聴盤となることもなかったし、
それ以上ビリー・ホリディのレコードを買うこともしなかった。

岩崎先生が書かれていたことを体験していたわけだ。
     *
 いくら音のよいといわれるスピーカーで鳴らしても、彼女の、切々とうったえるようなひたむきな恋心は、仲々出てきてはくれないのだった。一九三〇年代の中頃の、やっと不況を脱しようという米国の社会の流れの中で、精一ばい生活する人々に愛されたビリーの歌は、おそらく、その切々たる歌い方で多くの人々の心に人間性を取り戻したのだろう。
 打ちひしがれた社会のあとをおそった深い暗い不安の日々だからこそ、多くの人々が人間としての自身を取り戻そうと切実に願ったのだろう。つまりブルースはこの時に多くの人々に愛されるようになったわけだ。
 音のよい装置は、高い音から低い音までをスムーズに出さなければならないが一九三〇年代の旧い録音のこのアルバムの貧しい音では、仲々肝心の音の良さが生きてこないどころか、スクラッチノイズをあからさまに出してしまって歌を遠のける。
 スピーカーが、いわゆる優れていればいるほど、アンプが新型であればあるほど、このレコードの場合には音の良さとは結びつくことがないようであった。
(「仄かに輝く思いでの一瞬」より)
     *
「私とJBLの物語」でも、
ビリー・ホリディと音については書かれている。
     *
ビリー・ホリディの最初のアルバムを中心とした「レディ・ディ」はSP特有の極端なナロウ・レンジだが、その歌の間近に迫る点で、JBL以外では例え英国製品でもまったく歌にならなかったといえる。
     *
《まったく歌にならなかった》、
ほんとうにそうだった。
だから聴いていてしんどかった。

でもビリー・ホリディのレコードのためだけにJBLを手に入れるだけの余裕は、
ハタチの若造にはなかった。

ステレオサウンドの試聴室にはJBLのスピーカーがある。
でも4344では、それに試聴室という場所でビリー・ホリディを聴きたいとも思わなかった。

ビリー・ホリディを素晴らしいといっている人すべてが、
JBLのスピーカーで聴いているわけではないことはわかっている。

JBL以外のスピーカーで聴いても、ビリー・ホリディの歌の素晴らしさはわかる(はずだ)。
わからないのは、お前がオーディオマニアだからだろう、といわれそうだが、
それでもいい。

ビリー・ホリディは、JBLの高能率のスピーカーでなければ、
私にはその良さが伝わってこない。

「仄かに輝く思いでの一瞬」で、岩崎先生はこうも書かれている。
     *
「ビリー・ホリディが何年か前に、アンティックばやりの最中、急に流行したりしてその名が誰かれの口に登るようになった時は、少々うとましいほどであった。もっともその底にはビリーの本当の良さが私ほど判ってたまるものか、という一人占めの気持が働いていたのだろうか。なんとうぬぼれの強いことと今は恥ずかしいくらいだ。
     *
《今は恥ずかしいくらいだ》とあるが、
《ビリーの本当の良さが私ほど判ってたまるものか》は本音だと思う。

Date: 6月 2nd, 2018
Cate: ディスク/ブック

Here’s To My Lady(その1)

Here’s To My Lady。
1979年のローズマリー・クルーニーの「ビリー・ホリディに捧ぐ」である。

ステレオサウンド 51号掲載の「わがジャズ・レコード評」で、
安原顕氏が取り上げられている。
     *
ホリディの愛唱曲ばかりを歌ったレコードはこれまでにも数多く出ているが、結局はメロディやテンポをくずした、一種鬼気迫るようなエモーションを表出した、ホリディ独自のあのにがい歌の印象があまりにも強烈なために、聴き手であるわれわれは、たとえそれがホリディとは対極の歌唱だとしても、他の歌手の表現ではどうしてもあきたりないものを感じてしまうケースが多かったが、今度のこのクルーニーの歌唱は、表面的にはホリディとは正反対のアプローチのようにみえながら、深部ではホリディの歌心と通底しているという不思議な魅力をもっている。
 とくに「Lover Man」や「Don’t Explain」等でみせる彼女の歌唱は、ポップス・シンガーとかジャズ・シンガーといったようなジャンルを超えた、まさに今年51歳のクルーニーでしか表現し得ないような、強くて深い説得力でわれわれに迫ってくる(しつこいようだが先の村上君とこのレコードについて話した折、ホリディきちがいの彼は、断じてこのクルーニー盤は認められないといっていたけれど、ぼくはそれほどホリディきちがいではないし、なんのかんのといってみても最終的にヴォーカルの行き着くところは、こうした一見単純で素直な歌唱法だろうとぼく自身は思っている)。
     *
「先の村上君」とは、村上春樹氏のこと。
51号のころ、「風の歌を聴け」で、第22回群像新人賞受賞している。

村上春樹氏と安原顕氏、ふたりの「ビリー・ホリディに捧ぐ」の評価の大きな違い。
ことばをかえれば、ホリディきちがいかそうでないかの違い。

51号を読んだ当時は、それがどこからくるものなのか、まったくわからなかった。
村上春樹という名前も、私は51号で初めて知ったくらいで、
どういう人なのか、どんなスピーカーで聴いてきた人なのか、まったく知らなかった。

安原顕氏についても、ステレオサウンドの筆者の一人、ということ以上は知らなかった。

いまなら、村上春樹氏はJBLで、ビリー・ホリディを聴かれていたからではないのか──、
そうおもう。

Date: 5月 8th, 2018
Cate: ディスク/ブック

LEONARD BERNSTEIN’S CONCERT FOR PEACE

LEONARD BERNSTEIN’S CONCERT FOR PEACE。
手塚治虫の「雨のコンダクター」で描かれている二人の指揮者のひとり、
バーンスタインによるハイドンの「戦時のミサ」。

1973年1月19日、ワシントン大聖堂でのベトナム反戦コンサートで、
バーンスタインは「戦時のミサ」を振っている。

数年前に出ているバーンスタインのハイドン集(12枚組)に、
「戦時のミサ」が収められているのは知っていた。

1月19日の演奏ではなく、翌20日に同じ場所での録音である。
12枚で、当時の売価は2000円くらいだった。
なぜか買わなかった。

安すぎると思ったことも関係している。
それだけが理由ではないのだろうが、なぜか買う気になれなかった。

いつか聴きたい、と思いながらも、なぜか買わない。
バーンスタインはフィリップスにも「戦時のミサ」を残している。
フィリップス盤もながらく廃盤だったはずだ。

先週末、新宿のタワーレコードをなんとはなしに見ていたら、
SACDのコーナーに、バーンスタインの「戦時のミサ」が置いてあった。
DUTTONから、2017年11月に出ていた、ようだ。

この登場を、待っていたのだろうか──、と自分でも思ってしまった。

Date: 5月 4th, 2018
Cate: ディスク/ブック

FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO(その1)

“FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”。
タイトルをいわれてもピンとこない人でも、
スーパーギタートリオのライヴ盤といえば、通じる。

“FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”を初めて聴いたときのことは、
別項で何度か書いている。
とにかく驚いた。

その驚きは、いまも続いている。
これまでに何度聴いたのかわからぬほど聴いているにも関らず、
聴けば、やはり凄い、と驚く。

“FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”は通して聴くこともあれば、
冒頭の「地中海の舞踏/広い河」だけを聴くことも多い。

「地中海の舞踏/広い河」に関しては、細部まで憶えている、といっていい。
なのに、聴けば必ず凄い、と感じ、驚く。

audio wednesdayで音を鳴らすようになって、一度このディスクを鳴らしている。
5月2日のaudio wednesdayでも、鳴らした。

2016年に鳴らしたときはCDだった。
今回はSACDである。

2016年のときは、スピーカーが少し違っていた。
ドライバーはJBLの2441にホーンは2397だった。
今回はアルテックのドライバーにホーンの組合せ。

2397は木製、アルテックの811Bは金属製。
ホーンの形状も違うけれど、今回はホーンの材質の違いを、
それからJBLとアルテックのドライバーの構造上の違いを、
はっきりと聴いて感じられたような結果となったのは、
SACDだから、ということも関係しているように思われる。

Date: 4月 13th, 2018
Cate: ディスク/ブック

A CAPELLA(余談)

シンガーズ・アンリミテッドの録音は、MPSだった。
ポリグラム、そしてユニバーサルミュージックから発売されていた。
最近ではビクターが、2015年から24ビット、88.2kHzのフォーマットで配信を行っていた。

けれどそのラインナップにはシンガーズ・アンリミテッドは含まれてなかった。
さきほど検索してみたら、ビクターのサイトにはMPSのページはなかった。
e-onkyo musicでは購入できるようだ。

CDはタワーレコード限定で、二年ほど前に発売になっていた。
K2リマスターだったから、ビクターが手がけたのだろう。

MPSは、ドイツのEdel Germany GmbHが所有している。
ある人の話では、日本でのDSD配信を計画している、らしい。

権利関係がどうなっているのか、そのへんを確認・整理してのことになるし、
いつ開始されるのは知らないし、まだ決っていないようだ。

それでも始まってくれれば、
シンガーズ・アンリミテッドの録音もそこに含まれるかもしれない。
グルダの平均律クラヴィーア曲集も期待したい。

Date: 4月 11th, 2018
Cate: ディスク/ブック

A CAPELLA(その3)

ビューアーがどういうのかはステレオサウンド 47号を読んた時点でも知ってはいた。
けれど実際にビューアーでポジフィルムを見たことはなかった。

テレビや映画で、そういうシーンを見ていて、なんとなく知っている──、
その程度だった。
ビューアーでポジを見たのは、ステレオサウンドで働くようになってからである。

たしかにそれはスクリーンに映すのとは、はっきりと違う。
LS3/5Aの音は、たしかにビューアーでみる音の世界である。

このブログで、LS3/5Aと、
それ以降(たとえばセレッションのSL6以降)の小型スピーカーとの違いについて、
幾度か書いてきた。

スクリーンかビューアーか。
その違いもある。

SL6(SL600)は、もうビューアーの世界ではない。
ルーペで拡大して、細部を見ていくような世界ではない。
スクリーンに映す世界であり、どちらが優れている、そういうことではなく、
小型スピーカーの、ある時期からはっきりと変化してきたわけだ。

野上眞宏さんがそれまで鳴らされていたスピーカー(修理待ち)もまた、
小型スピーカーであり、私はLS3/5Aと同じ世界(領域)の小型スピーカーと認識している。

野上眞宏さんが、別のスピーカー、
同じ小型でもスクリーンに映すタイプであったり、大型のスピーカーであったりしたら、
そして自作スピーカーが、まるでタイプの違うものであったりしたら、
そして私がシンガーズ・アンリミテッドを、LS3/5Aで最初に聴いていなければ、
野上眞宏さんにシンガーズ・アンリミテッドのディスクをすすめることはなかったかもしれない。

そんなことを三ヵ月ほど経っておもっている。