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Date: 6月 9th, 2014
Cate: D44000 Paragon, JBL, 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏とスピーカーのこと(その26)

私の偏見かもしれないが、日本のオーディオマニアには、
パラゴンは大音量で聴いてこそ映えるスピーカーだ、と思っている人が少なくない、と思う。

それも仕方ないことかもしれない。
1970年代、無線と実験には見開き2ページで、毎号、全国のジャズ喫茶を紹介するページがあった。
私が無線と実験を読みはじめたのは、1977年ごろだから、この記事をそれほど多く見ていたわけではないが、
それでもパラゴンを使っていることは多い、という印象は持っていた。

そして日本では岩崎先生がパラゴンの使い手・鳴らし手として知られていた。
岩崎先生は大音量ということで知られていた。
パラゴンは、岩崎先生のメインスピーカーのひとつだから、
誰もがパラゴンは大音量で鳴らされていた、と思っていても不思議ではない。

私もそう思っていたひとりだった。

だが「コンポーネントステレオの世界 ’75」に掲載された、
岩崎千明、黒田恭一、油井正一の三氏による「オーディオシステムにおける音の音楽的意味あいをさぐる」で、
岩崎先生の、こんな発言がある。
     *
ジャズの場合でも、ビッグ・バンド系のものはクラシックと同じようなことがいえると思いますね。だからぼくは、おかしな話しなんだけど人数が多いときはそれほど音量を大きくしなくて、人数が少なくなければなるほど音量は大きくなるんです(笑い)。
     *
岩崎先生がパラゴンを導入されたのは1975年夏のはずだから、
この鼎談の時は、まだである。

Date: 6月 9th, 2014
Cate: D44000 Paragon, JBL, 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏とスピーカーのこと(その25)

パラゴン中央のゆるやかに湾曲した反射板。
ここに両端に位置する中音域を受け持つ375ドライバー+H5038Pホーンが向けられている。
375が受け持つ帯域は、パラゴンのクロスオーバー周波数は500Hzと7kHzだから約4オクターヴ。

これらのことからいえるのは、この反射板はスクリーンに相当している、ということ。
つまり375+H5038Pはプロジェクターともいえる。

このスクリーンの横幅は湾曲した状態で約160cm、高さは約70cm。
それほど大きなスクリーンではない。
むしろ寸法だけみていると、小さなスクリーンでもある。

この木製の音響的スクリーンに、両脇の375+H5038Pから映写(放射)される音により音像が結ぶ──。
と考えていくと、パラゴンというスピーカーシステムは、
確かに大型だし、搭載されているユニットもかなりの音圧が確保できるものではあるけれど、
実のところ、それほど大きな音量で聴くスピーカーなのだろうか、と思えてくる。

パラゴンの反射板(スクリーン)はさほど大きくない。
ここにオーケストラを映し出す。
それは意外にも小さな(つまり縮小した)オーケストラである。

しかもパラゴンは前述したように、椅子に坐って聴く場合の耳の位置はどこにあるのか。
パラゴンのスクリーンの大きさ(横幅と高さ)、それが位置するところ、そして聴き手の耳の位置、
これらの関係をみていくと、ガリバーが小人のオーケストラを聴いているイメージが浮んでくる。

Date: 6月 9th, 2014
Cate: D44000 Paragon, JBL, 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏とスピーカーのこと(その24)

そして「’81世界の最新セパレートアンプ総テスト」の巻頭「いま、いい音のアンプがほしい」だ。
     *
 二ヶ月ほど前から、都内のある高層マンションの10階に部屋を借りて住んでいる。すぐ下には公園があって、テニスコートやプールがある。いまはまだ水の季節ではないが、桜の花が満開の暖い日には、テニスコートは若い人たちでいっぱいになる。10階から見下したのでは、人の顔はマッチ棒の頭よりも小さくみえて、表情などはとてもわからないが、思い思いのテニスウェアに身を包んだ若い女性が集まったりしていると、つい、覗き趣味が頭をもたげて、ニコンの8×24の双眼鏡を持出して、美人かな? などと眺めてみたりする。
 公園の向うの河の水は澱んでいて、暖かさの急に増したこのところ、そばを歩くとぷうんと溝泥の匂いが鼻をつくが、10階まではさすがに上ってこない。河の向うはビル街になり、車の往来の音は四六時中にぎやかだ。
 そうした街のあちこちに、双眼鏡を向けていると、そのたびに、あんな建物があったのだろうか。見馴れたビルのあんなところに、あんな看板がついていたのだっけ……。仕事の手を休めた折に、何となく街を眺め、眺めるたびに何か発見して、私は少しも飽きない。
 高いところから街を眺めるのは昔から好きだった。そして私は都会のゴミゴミした街並みを眺めるのが好きだ。ビルとビルの谷間を歩いてくる人の姿。立話をしている人と人。あんなところを犬が歩いてゆく。とんかつ屋の看板を双眼鏡で拡大してみると電話番号が読める。あの電話にかけたら、出前をしてくれるのだろうか、などと考える。考えながら、このゴミゴミした街が、それを全体としてみればどことなくやはりこの街自体のひとつの色に統一されて、いわば不協和音で作られた交響曲のような魅力をさえ感じる。そうした全体を感じながら、再び私の双眼鏡は、目についた何かを拡大し、ディテールを発見しにゆく。
 高いところから風景を眺望する楽しさは、なにも私ひとりの趣味ではないと思うが、しかし、全体を見通しながらそれと同じ比重で、あるいはときとして全体以上に、部分の、ディテールの一層細かく鮮明に見えることを求めるのは、もしかすると私個人の特性のひとつであるかもしれない。
     *
いま、ここに思い至ったとき、
これまで読んできた瀬川先生の書かれたものとそれに関する記憶が、
D44000 Paragonとそのイメージとにしっかりと結びついていく。

Date: 6月 9th, 2014
Cate: D44000 Paragon, JBL, 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏とスピーカーのこと(その23)

「コンポーネントステレオの世界 ’75」の鼎談は、かなり長い。そして読みごたえがある。
ただ長いだけではないからだ。

もう30年以上前の別冊だから持っていない人も少なくない。
私も、ステレオサウンド 61号の岡先生の書かれたものを読むまでは、この鼎談のことをくわしくは知らなかった。

いまは約一年前にでた「良い音とは、良いスピーカーとは?」で読める。

今回引用したいのは、鼎談の最後のほう、
瀬川先生の発言だ。
《荒唐無稽なたとえですが、自分がガリバーになって、小人の国のオーケストラの演奏を聴いているというようにはお考えになりませんか。》

これに対し、岡先生は「そういうことは夢にも思わなかった」と答えられ、
そこから岡先生との議論が続く。

瀬川先生はステレオサウンド 51号で、このことに少し触れられている。
前号から始まった連載「ひろがり溶けあう響きを求めて」の中に出てくる。
     *
 かつて岡俊雄、黒田恭一両氏とわたくしとの鼎談「オーディオシステムにおける音の音楽的意味あいをさぐる」(本誌別冊〝コンポーネントの世界〟’75)の中で、自分がガリバーになって小人の国のオーケストラを聴く感じが音の再生の方法の中にある、というわたくしの発言に対して、岡、黒田両氏が、そんな発想は思いもよらなかった、と驚かれるシーンがある(同誌P106~107)。ここでの発言の真意はその前後の話の筋道を知って頂かないと誤解を招きやすいが、少なくともわたくし自身、たとえば夜更けて音量を落して聴くときのオーケストラの音楽を、小人の演奏を聴くガリバーの心境で、あるいは精密な箱庭を眺める気持で受けとめていたことは確かだった。
     *
できればこの鼎談は全部読んでほしい。

Date: 6月 8th, 2014
Cate: D44000 Paragon, JBL, 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏とスピーカーのこと(その22)

「コンポーネントステレオの世界 ’75」の鼎談とは、
岡俊雄、黒田恭一、瀬川冬樹の三氏で、
「オーディオシステムにおける音の音楽的意味あいをさぐる」というテーマで語られたもの。

岡、黒田、瀬川の三氏はクラシックに関して、で、
同じテーマでジャズについての鼎談も載っている。
こちらは岩崎千明、黒田恭一、油井正一の三氏。

この鼎談について、岡先生が後年書かれている。
ステレオサウンド 61号に、それは載っている。
     *
 白状すると、瀬川さんとぼくとは音楽の好みも音の好みも全くちがっている。お互いにそれを承知しながら相手を理解しあっていたといえる。だから、あえて、挑発的な発言をすると、瀬川さんはにやりと笑って、「お言葉をかえすようですが……」と反論をはじめる。それで、ひと頃、〝お言葉をかえす〟が大はやりしたことがあった。
 瀬川さんとそういう議論をはじめると、平行線をたどって、いつまでたってもケリがつかない。しかし、喧嘩と論争はちがうということを読みとっていただけない読者の方には、二人はまったく仲が悪い、と思われてしまうようだ。
 とくに一九七五年の「コンポーネントステレオの世界」で黒田恭一さんを交えた座談会では、徹底的に意見が合わなかった。近来あんなおもしろい座談会はなかったといってくれた人が何人かいたけれど、そういうのは、瀬川冬樹と岡俊雄をよく知っているひとたちだった。
     *
この文章を引用するためにステレオサウンド 61号をひっぱりだしてきた。
引用する前に、読みなおしていた……。

Date: 6月 8th, 2014
Cate: 試聴/試聴曲/試聴ディスク

試聴ディスク考(その2)

私がステレオサウンドを読み始めたころには、試聴ディスクのリストが必ず載っていた。
レコード番号も表記されていたから、それが国内盤なのか輸入盤なのかもわかった。

試聴は複数の人が合同で行うときもあれば、
一人ひとり別々の時のあるから、
試聴ディスクに、その違いは出てくる。

一人ひとりであれば、一人ひとりの試聴ディスクが書いてある。
合同試聴の場合は、数枚のレコードが書いてあるけれど、
それらのディスクがどういうふうに選ばれたのか、その詳細については書いてない。

互いに長年一緒に仕事をしてきている人たちだから、
それほどもめることなく試聴ディスクは決るんだろうな、と読者のころはそう思っていた。

試聴ディスクのリストは、オーディオに関しても初心者、
音楽の聴き手としても初心者であった私にとって、いいガイドになっていた。

試聴ディスクのすべてを、当時は買えはしなかった。
それでも何枚かは買っていく。

次はこのディスクを買いたい、とも考える。
新しいステレオサウンドが出て、そこに試聴ディスクが書かれていれば、
その中に新しいディスクが登場していれば、音楽の好き嫌いにあまり関係なく、一度は聴いてみたい。

Date: 6月 8th, 2014
Cate: 音楽性

「音楽性」とは(映画性というだろうか・その6)

技術は進歩していくものだから、将来はどうなのかはっきりしたことはいえないが、
少なくともあと数年やそこらでドルビーアトモスと同等のものがホームシアターで実現できるようになると思えない。

となれば、私は映画館を足を運ぶ。
すべての映画がドルビーアトモス対応で制作されればいいとは思っていない。
ドルビーアトモスをそれほど必要としない映画もあれば、
ドルビーアトモスがあればこそ活きてくる映画もある。

5月にコレド室町にあるTOHOシネマズで観た「アメイジング・スパイダーマン2」は、格好の映画である。

「アメイジング・スパイダーマン2」がドルビーアトモスでなければ、
3D上映館でなくてもいいかな、とも少しは思っていた。
けれどドルビーアトモスの映画館で観れるのであれば、そこで観たい。

最初「スパイダーマン」三部作はサム・ライミ監督、
「アメイジング・スパイダーマン」シリーズはマーク・ウェブ監督。

どちらが優れているか、というより、サム・ライミの描くスパイダーマンは、
平面のスクリーン、つまり従来の上映で最大限に活きるスパイダーマンの撮影だったことを、
「アメイジング・スパイダーマン2」を3D+ドルビーアトモスで観て、思った。

2Dで完結しているといえるスパイダーマンの表現だからこそ、
サム・ライミは3Dでの撮影を拒否した、という噂は、ほんとうかもしれない、と思えてくる。

マーク・ウェブは、だから同じ土俵には立っていない。

Date: 6月 8th, 2014
Cate: D44000 Paragon, JBL, 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏とスピーカーのこと(その21)

パラゴンは背の高いスピーカーシステムではなく、
独特のユニット配置からしてもいえるのは、むしろ背の低いスピーカーシステムであるということだ。

ウーファー、スコーカー、トゥイーター、これらのうち二つのユニットの中心は同じ高さに位置していて、
トゥイーターのみがやや高いところに取り付けてある。
このことから連想するのは、LS3/5Aのことであり、
瀬川先生のLS3/5Aの聴き方のことである。

ステレオサウンド 43号で、
《左右のスピーカーと自分の関係が正三角形を形造る、いわゆるステレオのスピーカーセッティングを正しく守らないと、このスピーカーの鳴らす世界の価値は半減するかもしれない。そうして聴くと、眼前に広々としたステレオの空間が現出し、その中で楽器や歌手の位置が薄気味悪いほどシャープに定位する。》
と書かれている。

この「薄気味悪いほどシャープに定位する」のは、ミニチュアライズされたものである。
《あたかも眼前に精巧なミニチュアのステージが展開するかのように、音の定位やひろがりや奥行きが、すばらしく自然に正確に、しかも美しい響きをともなって聴こえる》(ステレオサウンド 45号)
《このスピーカーの特徴は、総体にミニチュアライズされた音の響きの美しさにある》(ステレオサウンド 46号)

瀬川先生がLS3/5Aについて書かれたことと、
ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’75」に掲載されている鼎談で述べられていること、
このふたつは切り離せないことであり、
それらのこととパラゴンを瀬川先生が59号で「欲しいなあ」と結ばれていること、
さらにステレオサウンド別冊「’81世界の最新セパレートアンプ総テスト」の巻頭
「いま、いい音のアンプがほしい」の書き出し、
私の中では、すべてつながっている。

Date: 6月 8th, 2014
Cate: D44000 Paragon, JBL, 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏とスピーカーのこと(その20)

JBLのD4400 Paragonは、実に堂々とした美しさにをもつ。
重量は316kg。
(時期によっては318.4kgと記載されている。それにJBLのスピーカーユニットと同じように、
コンシューマー用スピーカーだから梱包時の重量のはずである。)

通常のスピーカーシステムが左右チャンネルで独立したエンクロージュアを持つのに対し、
パラゴンは一体化されたエンクロージュアにしても、約300kgの重量は、
このスピーカーの「スケール」を十分に伝えてくれる。

パラゴンの横幅は263cm。かなりの大きさではあるが、
通常のスピーカーシステムを十分な間隔をあけて設置すれば、このくらいの幅は必要となる。

パラゴンの奥行きは74cm。低音部のホーン構造を考えるとこの奥行きは奥に長い、とはいえない。
74cmほどの奥行きのスピーカーシステムは、他にもある。

小さいとはいわないけれど、パラゴンは六畳間におさめようと思えば収まらないサイズではない。

しかもパラゴンの高さは、脚を含めて90cmと、わりと低い。
つまり椅子に坐って聴けば、パラゴンは聴き手の耳よりも低い。

パラゴンの湾曲したウッドパネルを聴き手の真正面にもってくるには、
パラゴンをぐっと持ち上げるか、聴き手が床に直に坐って聴くことになる。

Date: 6月 7th, 2014
Cate: 音楽性

「音楽性」とは(映画性というだろうか・その5)

いまでこそ上映中の映画館はかなり暗い。
ずっと以前も暗かった。
けれど1980年代にはいってから、消防法の規制により上映中でもそれほど暗くなくなっていった。

座席の脚部には小さなライトが取り付けられ、上映中でも光っていてた。
ぼんやりと暗い中での上映という時代があった。
そのころは、いまのように音の良さを謳う映画館は、ほぼ皆無だった。
むしろひどい音のところも少なくなかった。

東京にはそれこそウェスターン・エレクトリックのシステムの映画館があったのは知っていた。
そういう映画館は、私が上京してときには完全に消え去っていた。

映画館のシステムは、少なくとも声(セリフ)の通りがいい、はずなのに、
1980年代の東京の映画館で、そういう印象を覚えたことはなかった。

日本語の映画を観るのは、時として億劫だった。
洋画ならば字幕があるから、セリフの明瞭が悪くてもまだなんとかなるが、
日本語の場合は字幕はないのだから、はっきりと聞き取れないのは、映画館の体をなしているとは言い難かった。

いまはそういう映画館はもうないだろう。
音もそのころよりは良くなっている。
椅子も良くなっている。

それでもすべての映画館が同じクォリティで上映しているわけではなく、
広さも新しさもばらばらである。
いいところもあればそうでないところもまだまだある。

いいところもそうでないところも入場料は同じであり、
周りに見知らぬ人が大勢イルなかで観るのが苦手な人もいるだろうから、
映画館で観るよりも、入念に調整したホームシアターの方がクォリティもよく、気兼ねなく観れるから、
映画館に行く価値・必要性を感じなくなった──、
それがわからないわけではないが、それでも最新の映画館はさすがに映画館と思わせる。

いま現在、3D+ドルビーアトモスによる上映がそうである。

Date: 6月 7th, 2014
Cate: アナログディスク再生

アナログプレーヤーの設置・調整(その15)

アンプが受けとるのはカートリッジが発電した信号である。
アンプはその信号を増幅してスピーカーを鳴らす。

つまりカートリッジの信号が、アンプにたどりつくまでに欠落する、
もしくは歪められるようなことがあったら、それをアンプやスピーカーでなんとかすることはできない。
だから接点はこまめにクリーニングする習慣をつけておきたい。

同時にカートリッジができるだけレコードの溝を精確に電気信号に変換できるようにすることも、
アナログプレーヤーの使い手には求められる。

私がアナログプレーヤーの周りをきれいに片付けろ、といういうのもそのためである。
このことはずっと以前から、井上先生がたびたび言われていたこと。
ステレオサウンドにも何度か書かれている。

にも関わらず忘れられつつある、と感じることもある。

カートリッジは振動を電気信号へと変換する。
この信号も非常に微細な振動である。

そこに雑共振をするものがアナログプレーヤーの周りにあったら、どうなるか。
それは電気信号の通り道の接点がひどく汚れているのと同じと捉えてもいい。

雑共振とは、汚れた共振(振動)だからだ。

Date: 6月 7th, 2014
Cate: 音楽性

「音楽性」とは(映画性というだろうか・その4)

1980年代にはいってから、AVという言葉が出て来はじめた。
いうまでもなくAudio Visualの頭文字を並べた略語で、このころにはレーザーディスク、VHDなどが登場し、
音楽は本来音だけで楽しむものではない、ということを謳うメーカーや、
その尻馬に乗った評論家も出て来た。

ヴィジュアルつきのプログラムソースを楽しむことを否定したり、
それを楽しんでいる人たちを否定したいのではなく、
安易に音楽には視覚的要素が不可欠、映像無しの音だけの音楽は片輪、
的なことを言う人(メーカー)に対していいたいだけのことである。

AVはいつしかホームシアターと呼ばれるようになった。
Home Theater、家庭内劇場となるのか。
AVという言葉が登場したころから、ずっと進歩している。
当時は100インチのスクリーンを家庭に持ち込む人はそうそういなかったけれど、
いまではそう珍しくもないようである。

ホームシアター関連の雑誌も書店にはいくつも並んでいる。
オーディオは女性の理解を得にくいが、ホームシアターはそうでもない、という話も聞く。

私が知っている人で、ホームシアターに熱心にとりくんでいる人はいないから、
現在のホームシアターのレベルがどの程度なのかははっりきとは把握していない。
それでも、かなりのレベルらしいことは聞いているし、
そういうレベルで楽しんでいる人たちの中には、映画館を小馬鹿にしている人もいることも知っている。

その気持はわからないわけではない。

Date: 6月 7th, 2014
Cate: アナログディスク再生

アナログプレーヤーの設置・調整(その14)

アナログディスクはRIAAカーヴにより溝がカッティングされる。
1kHzを基準とすれば、20kHZと20Hzは約20dBのレベル差がある。
つまり20kHzと20Hzでは約40dBのレベル差があることにもなる。

40dBとは100倍、もしくは1/100ということになり、
カートリッジが出力している電圧のカタログ表示はあくまでも1kHzにおける値であり、
低音ではその値よりもずっと低くなる。

音楽には強弱がある。
ピアニッシモでは出力電圧はまた低くなる。
低音におけるピアニッシモでもどうなるのか。
それも高出力のカートリッジではなく、
空芯コイルで、低インピーダンスのMC型という出力電圧が低くなりがちのカートリッジでは、
もっとも小さくなる出力電圧はいったいどこまで下がるのだろうか。

カートリッジが発電したそんな微弱な信号はいくつもの接点を経由して、
シェルリード線、トーンアーム内部の線、トーンアームの出力ケーブルを通りアンプなり昇圧トランスに着く。

これらのことを考えれば、アナログプレーヤーに存在する接点はクリーニングしておきたい。
接点部分が汚れていたり酸化膜ができてたりしたら、
カートリッジの信号がアンプに届くまでに影響を受けるからだ。

Date: 6月 7th, 2014
Cate: アナログディスク再生

アナログプレーヤーの設置・調整(その13)

アナログディスクの溝の拡大写真を見ると、
フォルテッシモの箇所ではカートリッジの針先が左右に大きく振られるように思えるほどだが、
実際にアナログディスクを肉眼で見ていると、
ディスク全体に濃淡は感じられても、溝がそれほどうねっているようには見えない。

それほどにアナログディスク(LP)の溝は細い。
だからこそSPからLPになったとき、収録時間が大幅にのび、LPの溝のことをマイクログルーヴとも呼ぶ。

こんなことを考えてみる。
SPではアクースティック蓄音器が存在できた。
電気を使わずに針先の振動を音に変えていくだけの機構で、けっこう音量が得られた。

これを同じことをモノーラルLPで仮に試みたとして、どれだけの音量が得られるだろうか。

SPの溝と比較してマイクログルーヴと呼ばれるLPの溝をカートリッジの針先がトレースして、
それを基にカートリッジは発電している。

カートリッジが発電する電圧は、一部の特殊なカートリッジを除けばmVクラスである。
MM型カートリッジ数mV、MC型カートリッジともなると一桁小さな値になる。
MC型カートリッジには空芯か鉄芯入りかの違い、インピーダンスの違いなどにより、
出力電圧はさらに違ってくる。

低いものでは、さらに一桁小さな値になる。

Date: 6月 6th, 2014
Cate: 音楽性

「音楽性」とは(映画性というだろうか・その3)

そんな私でも、3Dで観てみようと思った。
昨年11月に、インターネットでドルビーアトモスというものがあることを知った。
最新のドルビーであり、日本でもドルビーアトモスの映画館が船橋にできた、とあった。

ドルビーアトモスについての解説を読んでいるうちに、行ってみたいと思っていた。
しかもドルビーアトモス用につくられた映画はまだそれほど多くないようで、
ドルビーアトモスの映画館では、「パシフィックリム」と「イントゥ・ダークネス」を上映していた。

船橋は、いま住んでいるところからはけっこう距離があるけれど、
スタートレックの映画はすべて映画館で観てきた者としては、
ドルビーアトモスでの「イントゥ・ダークネス」はぜひとも観ておきたかった。

これが私にとって初の3D映画となった。

小学校のころに観た飛び出す映画とは相当に違うものだとわかっていても、
実際に目にする現代の3D映画には驚いた。
しかもドルビーアトモスとの相乗効果なのだろう、
映画を観ているという感覚よりも、体感しているという感覚のほうが強い。

3D+ドルビーアトモス。
実は体験するまでは、2Dでドルビーアトモスの方がいいんじゃないか、というところも少しはあった。
けれど、このふたつの技術は切り離せないようにも思えるほど魅力的であり、
映画はやはり映画館で観るものだ、と一部の人たちに強くいいたくもなった。