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Date: 11月 12th, 2016
Cate: 再生音, 快感か幸福か

必要とされる音(その3)

アルテックのイギリス版といえるヴァイタヴォックス。
CN191、Bitone Majorがよく知られていた。

1970年代では、アルテックのA5、A7の音と同じで、
いくぶん古めかしいが、響きの豊かで暖かい音だ。

Bitone Majorは、システム構成からしてアルテックのMagnificentと同じといえる。

ヴァイタヴォックスの名も、1980年代以降あまりきかなくなった。
そしてカタログからも消えていった。

ヴァイタヴォックスという会社は、
軍需用を含めた業務用スピーカーメーカーとしてもいまも健在だが、
いわゆるトーキー用、コンシューマー用といわれる部門からは撤退していた。

ヴァイタヴォックスの製品ラインナップは、アルテックよりも少なかった。
ユニットの数も少ないし、スピーカーシステムの数はさらに少ない。
新製品はずっと登場していなかった。

しかもイギリスのオーディオ関係者からも存在を忘れられている──、
そんなことを瀬川先生が、ステレオサウンド 49号に書かれている。

そんなヴァイタヴォックスのスピーカーが消えてしまったのは、
会社がなくなったわけではなく、収支があわなくなった故の、その分野からの撤退なのだろう。

そうなっていったのは、新製品が発表されないから、でもあろうし、
時代にそぐわないから、なのかもしれない。

時代にそぐわない音、といえば、そうかもしれない。
だが必要とされない音ではないと思う。

Date: 11月 12th, 2016
Cate: 再生音, 快感か幸福か

必要とされる音(その2)

1980年前後は、スピーカーのマグネットが、
アルニコからフェライトへと全面的と移行せざるをえなかった時期と重なる。

アルテックもユニットをフェライト化していった。
同軸型ユニットの604-8Hは604-8KSになっていった。
ウーファー、ドライバーもフェライトになった。

タンノイもそうだが、同軸型ユニットはアルニコとフェライトの違いは、
ユニットの設計を全体でやり直すことが必要となる。

マグネットの磁気特性の違いから、アルニコとフェライトでは最適な形状が異り、
そのためフェライトにすることでユニットの奥行きはアルニコよりも短くなる。
そうなると同軸型ユニットの場合、中高域のホーン長が短くなるということに直結する。

604シリーズ中、フェライトになった604-8KSを傑作と評価する人がいるのは知っている。
その人が、アルテックに精通している人であることも知っている。

その評価を疑うわけではないが、アルテック全体として見た場合、
JBLがフェライト化に成功したのに、アルテックはお世辞にもそうとはいえない。
むしろ失敗したように映った。

アルテックは没落していく。

アルテックもJBLも元を辿ればウェスターン・エレクトリックに行き着く。
このふたつのスピーカーメーカーは浅からぬ縁もある。
JBLは生き残り、アルテックは消失した(といっていいだろう)。

アルテックが没落した理由について書きたいわけではない。
その理由は、ステレオサウンド別冊「JBL 60th Anniversary」を読めばわかる。

アルテックという会社が消失したことで、アルテック・サウンドと呼べる音も消えつつある。

Date: 11月 12th, 2016
Cate: 再生音, 快感か幸福か

必要とされる音(その1)

1970年代後半くらいまではアルテックは健在だった、といえる。
私がオーディオに興味をもちはじめてステレオサウンドを読みはじめたころ、
A7、A5といった古典的なモデルの他に、Model 15、Model 19といった、
コンシューマー用モデルも登場したばかりで、Model 19の評価は高かった。

Model 15は写真で見ても、いい恰好とはいえず興味をもてなかったが、
Model 19はずんぐりむっくりしたプロポーションが、
安定感を感じさせるとともに、そのことがアルテックの音を表しているようにも思えた。

数年前、中古を扱うオーディオ店にModel 19があった。
ひさしぶりに見たな、と思いながら、
やっぱり、このカタチは好きだな、と思い出していた。

Model 19のころ、アルテックは2ウェイでありながら、高域のレンジを延ばそうとしていた。
専用トゥイーターに比べればまだまだといえても、
従来のアルテックよりはワイドレンジになって、成功している、といわれていた。

実は私が最初に聴いたアルテックはModel 19だった。
A5、A7も現役モデルだったし、より有名ではあっても、
オーディオ店に置いてあるかどうかによって、
歴史の長いブランドにおいては、最初に聴いたモデルは、
世代によっても、どこに住んでいるのかによっても、違ってくる。

私はModel 19であり、好感をその時からもっていた。
その後、604-8Gが604-8Hになる。
620Aも620Bとなる。
そして604-8Hを中心に4ウェイ・モデル6041が登場した。

JBLの新製品の数からすればアルテックは少なかったが、
アルテック健在と思わせてくれた。

けれど1980年代にはいると、あやしくなってくる。
9861、9862のころからである。

それ以前にもA7にスーパートゥイーターを加えて3ウェイ化したA7XSを出していた。
音は聴いたことがないけれど、成功作とは決していえない。
すこし迷走しはじめた感じもあったけれど、6041の登場がそれを吹き消していた。

私は9861、9862にA7XSと同じにおいを感じていた。

Date: 11月 12th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その97)

41号から読みはじめて57号。
四年ステレオサウンドを読んできて、気づいたことがあった。

特集に山中先生はあまり登場されないことだった。
《STATE OF THE ART》賞、ベストバイなどは書かれている。
けれど総テストとなると、なぜか登場されない。

プリメインアンプの時も、スピーカーの時も、モニタースピーカーの時も……。
最初のころは気づかなかったが、あれっ、と思うようになっていた。

理由はステレオサウンドで働くようになってわかった。
山中先生は、そのころ、他の筆者の方から、セメントと呼ばれていた。

?だった。なぜにセメント?
最初は聞き間違いとも思ったが、やはりセメントである。
セメントは、あのセメントのことである。
自分なり理由を考えてみたけど、まったくわからなくて訊いたことがある。

山中先生は1982年春ごろには辞められていたけれど、
それまで(57号のころも)日立セメントの社員だったから、ということだった。

会社勤めをしながら、オーディオ評論家もされていたわけだ。

Date: 11月 12th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その96)

ステレオサウンド 57号は、実のところ印象が薄い。
なにか手抜きをしているとか、そういうことではなく、なんとなくそう感じていた。

それでも特集のプリメインアンプの総テストはよく読んだ。
瀬川先生が、JBLの4343以外のスピーカーとしてロジャースのPM510も使われいてるからだった。

57号の試聴記を読んでも、テストの方法を読んでもわかるように、
常時鳴らされたのは4343と620Bで、このふたつのスピーカーを鳴らした結果で、
PM510をうまく(なんとか)鳴らしてくれそうなプリメインアンプだけ、試されている。

瀬川先生の試聴記には「スピーカーへの適応性」という項目がある。
ここにPM510の型番が登場するのは、ビクターのA-X7Dだった。
108,000円の中級機である。

「スピーカーへの適応性」のところにはこう書いてあった。
     *
アルテック620BカスタムやロジャースPM510のように、アンプへの注文の難しいスピーカーも、かなりの満足度で鳴らすことができた。テスト機中、ロジャースを積極的に鳴らすことのできた数少ないアンプだった。
     *
56号で、いつの日かPM510と思うようになっていた。
4343とPM510、両方欲しい、と思うようになっていた。

PM510を買えるようになったとしても、
すぐにこれに見合うだけのアンプを買えるわけでもないから、
当面はプリメインアンプで鳴らすことになるだろう、
なるほどビクターのA-X7Dだったら、そこそこ満足できそうだ……、
そんなことを夢見ながら、A-X7Dの試聴記を何度も読み返していた。

瀬川先生は特選とされている。
しかも試聴記の最後に、
《今回のテストで、もし特選の上の超特選というのがあればそうしたいアンプ》
とまで書かれている。

PM510にA-X7D、カートリッジに何にしようか。
カートリッジだけは少し奢って、EMTのXSD15か。
瀬川先生の試聴記には、
《ハイゲインイクォライザーも、ハイインピーダンスMCに対して十分の性能で、単体のトランスよりもむしろ良いくらいだ》とまで書かれている。

EMTのカートリッジは出力も大きい。
ゲインだけでなく、音質的にも問題なく使えるはずである。

この組合せが、57号のころの目標でもあった。

Date: 11月 11th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その95)

ステレオサウンド57号の表紙は、ハーマンカードンのパワーアンプ、
Citation XXである。

55号のBestBetsに、ハーマンカードンについての情報があった。
「ハーマン・カードン(ジャパン)設立のお知らせ」だった。

新白砂電機がハーマン・カードンを買収し、
同ブランドの国内市場への本格的参入が進められる、とあった。
日本ブランドとなったハーマンカードンのフラッグシップが表紙になっている。

ただし新製品紹介のページにはまだ登場していない。
設計者のマッティ・オタラのインタヴュー記事が、57号には載っていたし、
プリメインアンプA750が、特集で取り上げられている。

このことからわかるように57号の特集は「いまいちばんいいアンプを選ぶ・最新34機種テスト」で、
ようするにプリメインアンプの総テストである。

52号、53号もアンプの総テストだった。
こちらではセパレートアンプ、プリメインアンプ、含めての総テストだったのに対し、
57号はプリメインアンプのみであり、42号以来といえる。

56,800円のモノ(オンキョーIntegra A815)から、
270,000円のモノ(ケンウッドL01A)までの34機種。

42号では53,800円(オンキョーIntegra A5)から195,000円(マランツModel 1250)までの35機種。

上杉佳郎、菅野沖彦、瀬川冬樹の三氏で、個別試聴である。
スピーカーは4343は三氏共通で、
上杉先生は五万円台のアンプにはテクニクスSB6、六〜七万円台にはデンオンSC306、
八〜十万円台にはハーベスMonitor HL、十万円以上にはダイヤトーンDS505もあわせて使われている。

菅野先生は4343の他に、参考としてKEFのModel 303を、
瀬川先生はアルテックの320BとロジャースのPM510をあわせて使われている。

Date: 11月 11th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その94)

ステレオサウンド 56号の巻末、BestBetsというページがある。
各メーカー、輸入商社のキャンペーンや、
ショールームでのイベントなどの情報を伝えるページである。
お詫びと訂正もここに載る。

このページにひっそりとあった。
「瀬川冬樹氏によるJBL4343診断のお知らせ」とある。

4343ユーザーで使いこなしに困っている人のところに瀬川先生が出向いて、
診断の上、調整してくれる、とある。

当時の私は夢のような企画だと思った。
高校生の私は、4343は憧れるだけだった。
いつかは4343、と夢見ていた。

この時は、十年くらい早く生れていれば、4343を買っていただろう。
そうすれば瀬川先生に来てもらえるかもしれない──、
そう思ったことを、忘れてはいない。

結局、この企画が誌面に登場することはなかった。
応募はどのくらいあったのだろうか。

Date: 11月 11th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その93)

ステレオサウンド 56号には、もうひとつ書評が載っている。
安岡章太郎氏による「オーディオ巡礼」の書評がある。

ここに「〝言葉〟としてのオーディオ」という言葉が登場している。
安岡章太郎氏だからの書評だ、と改めておもう。
     *
 この本の『オーディオ巡礼』という著名は、まことに言い得て妙である。五味康祐にとって、音楽は宗教であり、オーディオ装置は神社仏閣というべきものであったからだ。
     *
この書き出しで、「オーディオ巡礼」の書評は始まる。
全文、ここに書き写したい、と思うが、
最後のところだけを引用しておく。
     *
 しかし五味は、最後には再生装置のことなどに心を患わすこともなくなったらしい。五味の良き友人であるS君はいっている。「死ぬ半年まえから、五味さんは本当に音楽だけを愉しんでましたよ。ベッドに寝たままヘッド・フォンで、『マタイ受難曲』や『平均律』や、モーツァルトの『レクイエム』をきいて心から幸せそうでしたよ」
     *
書き出しをもう一度読んでほしい。

「オーディオ巡礼」と「虚構世界の狩人」の書評は、
見開きページにあわせて載っている。
この約一年後に、瀬川先生も亡くなられるとは、まったくおもっていなかった。

Date: 11月 10th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その92)

岡先生による「虚構世界の狩人」の書評の見出しには、
「瀬川さんの知られざる一面がわかるエッセイ集」とつけられている。
     *
 オーディオ評論を純粋にハードの面からやっている人は別として、聴いて何かを書くという(それがわが国のオーディオ評論のほとんどなのだが)場合、音についてのいろいろなことを文章でいうということは本当にむずかしい。聴感で何かをいうとき、どうしても音楽がどういうふうに鳴ったか、あるいは聴こえたか、ということを文章に表現するために苦労する。そのへんのことで一ばん凝り性なのが瀬川さんであることはいうまでもない。しかし、その背後に、どういう音楽観をもっているかということがわからなくては、評価にたいする見当はつけられないわけである。だから、何らかのかたちで、音楽やレコードについて語ってくれると、手がかりになる。ある音楽なりレコードなりを、こういうふうにきいたとか、作品を演奏・表現についての見解が具体的に書かれたものが多ければ多いほど、そのひとがオーディオ機器についてものをいったときの判断の尺度の見当がついてくるものである。大ていのオーディオ評論家はそういう文章をあまり書かないので、見当をつけることもむずかしいどころか、何のことかわからぬ、というヒアリング・テストリポートが多いのである。
 瀬川さんが、音楽をよく知り、のめりこんでいることは、一緒にテストをやる機会が多いぼくは、いつも感心している。いろんな曲の主題旋律をソラでおぼえている点ではとてもぼくなんかかなわないほどで、細かいオーケストレーションの楽器の移りかわりまで口ずさんだりするのにおどろかされる。そういう瀬川さんの知られざる一面が、本書によってかなり明らかにされているのである。
 本書を読んで、瀬川さんのテストリポートを読みなおしてごらんなさい。きっと納得されるところがおおいはずだ。
 瀬川さんは何か気にいったことにぶつかると、ひととおりやふたとおりでないのめりこみかたをする。時にははたで見ていてハラハラするようなこともある。そんな瀬川冬樹の自画像としての本書は、最近やたらと出ているオーディオ関係の本のなかでも、ひときわユニークな存在となっているのである。
     *
岡先生らしい書評だ、いま読んでもそう思う。
瀬川先生の文章からは、背後にある音楽観が伝わっていた。

いまのオーディオ評論家と呼ばれている人たちも、音楽について書いてはいる。
それで、その人がどんな音楽を好きなのかはわかる(わからない人もいるけれど)。
けれど、それで音楽観がこちらに伝わってくるわけではない。

Date: 11月 10th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その91)

ステレオサウンド 56号の特集には不満があるといえばある。
55号の特集ベストバイに対する大きな不満とは違うけれども。

それでも56号はよく読み返していた。
特集の瀬川先生の文章だけでなく、
ザ・ビッグサウンドではJBLのパラゴンが取り上げられていて、
これも瀬川先生が書かれている。しかも、いわゆる解説記事ではなかった。

この記事の最後に、書かれている。
     *
 本当なら、構造の詳細や、来歴について、もう少し詳しい話を編集部は書かせたかったらしいのだが、美しいカラーの分解写真があるので、構造は写真で判断して頂くことにして、あまり知られていないパラゴンのこなしかたのヒントなどで、少々枚数を費やさせて頂いた次第。
     *
それまでのザ・ビッグサウンドよりも文章の量は多く、詳細な製品解説ではなかった。
瀬川先生らしい、と思って読んでいた。

いまおもうと、50号での座談会でのご自身の発言を実現されての文章なのか、と思う。
熱っぽく読む。
そのために必要なこと。
それが、56号には感じられる。

それは新製品紹介の文章にもいえる。
瀬川先生はトーレンスのReferenceとロジャースのPM510について書かれている。
このどちらからも、同じことを感じた。

56号は、私にとって瀬川先生の文章を堪能できた一冊だった。
そして巻末には、岡先生による「虚構世界の狩人」の書評も載っている。

Date: 11月 9th, 2016
Cate: 瀬川冬樹

AXIOM 80について書いておきたい(その6)

AXIOM 80は毒を持っているスピーカーだ、と書いた。
その毒を、音の美に転換したのが、何度も引用しているが、
《AXIOM80の本ものの音──あくまでもふっくらと繊細で、エレガントで、透明で、やさしく、そしてえもいわれぬ色香の匂う艶やかな魅力──》
であると解釈している。

20代の瀬川先生が転換した音である。

心に近い音。
今年になって何度か書いている。
心に近い音とは、毒の部分を転換した音の美のように思っている。

聖人君子は、私の周りにはいない。
私自身が聖人君子からほど遠いところにいるからともいえようが、
愚かさ、醜さ……、そういった毒を裡に持たない人がいるとは思えない。

私の裡にはあるし、友人のなかにもあるだろう。
瀬川先生の裡にもあったはずだ。

裡にある毒と共鳴する毒をもつスピーカーが、
どこかにあるはずだ。
互いの毒が共鳴するからこそ、音の美に転換できるのではないだろうか。

その音こそが、心に近い音のはずだ。

Date: 11月 9th, 2016
Cate: audio wednesday

第71回audio sharing例会のお知らせ

12月のaudio sharing例会は、7日(水曜日)です。
テーマは未定ですが、音出しを予定しています。

テーマはまだ決めていませんが、
常連のAさんがPSオーディオのD/Aコンバーターを購入予定であり、
それが間に合えば持ってきてくれる、とのこと。

それとは別にいま考えているのは、12月なので、
今年一年で聴いたCDの中で、
誰かに聴いてもらいたいと思っているディスクを持参していただこう、と。

なにも今年の新譜でなくていい、旧譜であっても、今年初めて聴いて感動し、
誰かに聴いてもらいたいと思う一枚があれば、それをもってきてほしい。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 11月 9th, 2016
Cate: 瀬川冬樹

AXIOM 80について書いておきたい(その5)

瀬川先生は1955年ごろに、最初のAXIOM 80を手に入れられている。
1955年といえば瀬川先生はハタチだ。
まだモノーラル時代だから、一本のみである。

ステレオサウンド創刊号には、こう書かれている。
     *
 そして現在、わたしのAXIOM80はもとの段ボール箱にしまい込まれ、しばらく陽の目をみていない。けれどこのスピーカーこそわたしが最も惚れた、いや、いまでも惚れ続けたスピーカーのひとつである。いま身辺に余裕ができたら、もう一度、エンクロージュアとアンプにモノーラル時代の体験を生かして、再びあの頃の音を再現したいと考えてもいる。
     *
1966年時点で、すでにAXIOM 80は鳴らされていない。
ステレオサウンド 62号「音を描く詩人の死 故・瀬川冬樹氏を偲ぶ」には、
20年のあいだ鳴らされなかった、とある。

つまり瀬川先生にとってAXIOM 80は、20代前半のころのスピーカーである。
《AXIOM80の本ものの音──あくまでもふっくらと繊細で、エレガントで、透明で、やさしく、そしてえもいわれぬ色香の匂う艶やかな魅力──》、
この音を鳴らされていたのは、20代の瀬川冬樹である。

Date: 11月 9th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その90)

ステレオサウンド 56号特集の山中先生の組合せで、気になるところがあった。
     *
 これは最初の組合せのところでも触れたことだが、最近の高級アンプは、組合せるスピーカーシステムをより効果的に生かすようにドライブしてくれるという、広い対応性を備えてきている。この組合せで選んだビバリッジのRM1(+RM2)プリアンプとスモのザ・ゴールドというパワーアンプも、先のマーク・レビンソンとスレッショルドの組合せと似たような意味で、広い対応性をもったシステムだといえる。特にスモのザ・ゴールドというクラスAのパワーアンプは、使うスピーカーを選ばないという点で優れた能力をもっている製品である。しかも、アンプとしての性能の点でも、スレッショルドやマーク・レビンソンのパワーアンプに匹敵するどころか、むしろそれをしのぐとさえいえるクォリティの高さをもったパワーアンプである。
     *
いまでは、というか、The Goldを手にしてからは、まったくそのとおり、と思えたことも、
当時はまだ高校生で、憧れのパワーアンプはマークレビンソンのML2であり、
スレッショルドのSTASIS 1であった。

The GoldはSTASIS 1よりもML2よりも安いパワーアンプだった。
山中先生は具体的な型番を言われていないが、
マークレビンソンのパワーアンプはML2、スレッショルドはSTASIS 1のはずだ。

なぜ、このふたつのパワーアンプをThe Goldが凌ぐのか。
山中先生のいわれることを疑うわけではなかったけれど、
なにかの間違いではないか、と思い込もうとしていた。

実は55号の新製品紹介のページに、The Goldは登場していて、
そこでは井上先生が語られていることが気になっていた。
     *
井上 レコードの録音の差も明瞭にわかります。あるコントラストをつけて録ったもの、コンサートホール独特の雰囲気をもつものなどその通りに出してくれる。こういうアンプは言葉で表現しにくいですね。一定の姿形がありませんからあらゆるいい言葉がいえてしまう。以前紹介したスレッショルドのステイシス1とよく似た印象がありますが、このアンプはもっと反応が速いしより変化自在だと思います。
     *
この時もSTASIS 1の方がいいはずだ、と思い込もうとした。
つまり55号、56号と二号続けてThe Goldの優秀さを読まされたことになる。

いまではそれはほんとうだった、と実感しているわけだが、
そういう時期が私にはあった。

Date: 11月 9th, 2016
Cate: 瀬川冬樹

AXIOM 80について書いておきたい(その4)

AXIOM 80の周波数特性グラフが、
ステレオサウンド別冊HIGH-TECHNIC SERIES 4に載っている。

低域は200Hz以下はダラ下り、
高域は水平30度の特性をできるだけフラットにするという、
往時のフルレンジスピーカーの例にもれず、AXIOM 80もそうであるため、
正面(0度)の音圧は1.5kHzくらいから上では上昇特性となっている。

10kHzの音圧は、1kHzあたりの音圧に比べ10dBほど高い。
だからといって30度の特性がフラットになっているかといえば、
ディップの目立つ特性である。

このへんはローサーのPM6の特性と似ている。
フィリップスのEL7024/01も同じ傾向があり、
いずれのユニットのダブルコーン仕様である。

AXIOM 80のスタイルを偏屈ととらえるか、
機能に徹したととらえる。
見方によって違ってこよう。

特性にしてもそのスタイルにしても、
新しいスピーカーしか見たこと(聴いたこと)がない世代にとっては、
いい意味ではなく、むしろ反対の意味で信じられないような存在に映るかもしれない。

AXIOM 80は毒をもつ、といっていいだろう。

その毒は、新しいスピーカーの音しか聴いたことのない耳には、
癖、それもひどいクセのある音にしかきこえないであろう。

それにいい音で鳴っているAXIOM 80が極端に少ないのだから。
それも仕方ない。
私だって、AXIOM 80がよく鳴っているのを聴いたことはない。

それに神経質なところをもつユニットでもある。
面倒なユニットといえる。

にも関わらず、AXIOM 80への憧憬は変らない。
《AXIOM80の本ものの音──あくまでもふっくらと繊細で、エレガントで、透明で、やさしく、そしてえもいわれぬ色香の匂う艶やかな魅力──》
瀬川先生が書かれたAXIOM 80の音、
これをずっと信じてきているからだ。

AXIOM 80の毒を消し去ってしまっては、
おそらく、「AXIOM 80の本ものの音」は鳴ってこないであろう。