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Date: 2月 6th, 2022
Cate: ディスク/ブック

少年の日の思い出

ヘルマン・ヘッセの「少年の日の思い出」。
読んだ記憶がある、という人は多いだろう。

私も、その一人で、読んだ記憶がある──、
けれどすぐには詳細まで思い出せたわけではなかった。

iPhoneで検索して、「少年の日の思い出」のあらすじを読んで、
そういえばそういう内容だったなぁ、と思い出した程度でしかない。

中学生のころに一度読んでいる。
それきりである。
まだ「五味オーディオ教室」と出逢う前のころだ。

なぜだかふいに「少年の日の思い出」が頭に浮かんだ。
「ぼく」とエーミール、二人の蝶(蛾)のコレクション。

詳細は省く。
読んだ記憶のある人が多いはずだし、
手元に本がなくても、検索してあらすじを読めば、
あぁ、そうだった──、と思い出す人が少なくないと思うからだ。

「少年の日の思い出」は、「ぼく」とエーミールがなにかのきっかけで仲直りするわけではない。
並の小説家ならば、そういう結末にしたのかもしれないが、
「少年の日の思い出」は、「ぼく」が自身のコレクションを押し潰していく。

うまくいいあらわせないのだが、
オーディオ、レコード・コレクションに関しても、
「少年の日の思い出」と近いこと・同じことがあってもおかしくない──、
そう思うだけでなく、
「五味オーディオ教室』と出逢ったあとに「少年の日の思い出」を読んでいれば、
というおもいを、いま感じている。

Date: 2月 5th, 2022
Cate: 五味康祐, 情景

情景(その3)

ハイ・リアリティな音ということは、
「五味オーディオ教室」を読んだ時から私の頭にずっとある。

ハイ・フィデリティよりもハイ・リアリティを、と思っていた時期もある。

では、ハイ・リアリティな音とは、どういう音なのか。
鮮度の高い音ならば、その結果として、ハイ・リアリティな音となるのか。

プログラムソースに含まれている音(信号)を、
できるかぎりそのままに増幅して、音に変化する。
そうすることで、究極の鮮度の高い音を実現したとしよう。

私には、それがハイ・リアリティな音とは、どうしても思えない。

鮮度の高い音──、
一時期の私にとって、これは魅力的な表現でもあった。

鮮度を損う要素を、オーディオの再生系から徹底して排除していく。
鮮度の高い音の実現とは、鮮度を損う要素を排除することでもある。

けれど、そういう音が、
別項「いま、空気が無形のピアノを……(その4)」で書いている音を聴かせてくれるのか。

そこで聴いた音は、いわゆる鮮度の高い音ではない。
けれど、サックスのソロになった瞬間に、
スピーカーに背を向けながら写真撮影の助手をやっていた私は、
サックス奏者が背後にいる、という気配を感じとってしまい、
そこに誰もいないのはわかっても振り返ってしまった。

これは確かにリアリティのある音だった。
生々しいサックスの音でもあった。

Date: 2月 5th, 2022
Cate: 「オーディオ」考

時代の軽量化(その16)

能動的試聴が忘れられていくのも、時代の軽量化なのだろう。

Date: 2月 5th, 2022
Cate: 五味康祐

続「神を視ている。」(その3)

別項「Jacqueline du Pré(その2)」で書いている写真。

iPhoneのロック画面に設定しているわけだから、毎日、何度も見ている。
見るたびに「デュ=プレは、神を視ているのか」と思ってしまう。

Date: 2月 4th, 2022
Cate: 瀬川冬樹
1 msg

瀬川冬樹氏のこと(バッハ 無伴奏チェロ組曲・その9)

瀬川先生にとっての「心に近い音」について考えていて、
ふと思い出したスピーカーシステムがある。

ステレオサウンド 54号に登場したグルンディッヒのProfessional 2500である。
54号の特集では、瀬川先生のほかに、菅野先生、黒田先生が試聴メンバーであった。

Professional 2500の、瀬川先生の評価菅野先生の評価がどう違うのか、は、
リンク先をお読みいただきたい。
このふたりの評価は違いについては、特集の座談会の中でもとりあげられている。

54号での試聴メンバーは三人であっても、合同試聴ではなく、ひとりでの試聴である。
ゆえに菅野先生のときのProfessional 2500の音と、
瀬川先生が鳴らされたときのProfessional 2500の音が、
違っている可能性もあるわけだが、それについては座談会のなかで、
編集部の発言として、
「このスピーカに関しては、三人の方が鳴らされた音に、それほど大きな違いはなかったように思うのです」とある。

だから評価のズレが、鳴っていた音の違いによるものではない、といってもいいだろうし、
Professional 2500が、瀬川先生にとって「心に近い音」のスピーカーシステムだった──、
そんな気がしてならない。

Date: 2月 4th, 2022
Cate: ショウ雑感

2022年ショウ雑感(その2)

オーディオフェスタ・イン・ナゴヤだけでなく、ヘッドフォン祭も中止になった。
それだけでなく、ラジオ技術のツイートに、
2月発売の3月号が休刊になり、3月発売の4月号との合併号になる、とあった。

2020年ショウ雑感(その12)」で触れているように、
ラジオ技術は2020年にも、7月号が6月号との合併号として発売になったことがある。
もちろん新型コロナの影響のせいである。

ラジオ技術は終ってほしくないオーディオ雑誌である。
けれど規模の小さな出版社で、編集部に若い人が入ってこないのであれば、
編集者は高齢化していくばかりになる。

そうなっていくと、コロナ禍ではそれゆえの弱さが生じてしまう。

今回のようなことはラジオ技術だけのことだよ、と笑う人がいてもおかしくない。
五年後、十年後……、ほんとうに笑っていられるのだろうか。

Date: 2月 4th, 2022
Cate: ディスク/ブック
1 msg

内田光子のディアベリ変奏曲(その1)

4月8日に、内田光子の「ディアベリ変奏曲」が発売になる、というニュース。
六年ぶりのアルバムである。

個人的には、内田光子のバッハを聴きたいのだが、
内田光子の新たな演奏、
しかも70を超えてからの最初の演奏(録音)が聴けるのは、やはり嬉しい。

日本盤はMQA-CDなのも、嬉しいかぎりだ。

Date: 2月 4th, 2022
Cate: ディスク/ブック

THE BERLIN CONCERT(その2)

二匹目のドジョウといえる“THE BERLIN CONCERT”。
今回ジョン・ウィリアムズは、
ウィーン・フィルハーモニーではなくベルリン・フィルハーモニーを振っている。

スター・ウォーズの「帝国のマーチ」も、今回の“THE BERLIN CONCERT”にもある。
ウィーンもベルリンも、どちらも素晴らしい演奏といえるけれど、
スター・ウォーズを一作目から映画館で観てきた世代の私にとって、
今回のベルリンとの「帝国のマーチ」のほうをとる。

演奏のうまさが上とかではなく、
ダース・ベイダーが登場してきそうな感じが、ベルリンとのほうが濃い。

スター・ウォーズという作品に、なんの思い入れのない人ならば、
ウィーンとのほうがいい、というかもしれない。

けれど私はそうじゃないし、友人のAさんもそうじゃない。
Aさんも、私と同じ感想だとのこと。

ちなみに私はTIDALで聴いている。
MQA(192kHz)で聴いている。

Date: 2月 3rd, 2022
Cate: サイズ

サイズ考(その73)

抵抗器は、その種類によって温度係数が違うだけでなく、
同じ種類の、同じメーカーの抵抗器であっても、
W(ワット)数によっても温度係数は違ってくる。

同じメーカーの同じ品種(シリーズ)の抵抗であれば、
W数の大きい方が温度係数は優れている。

この温度係数は、温度変化による抵抗値の変化の具合をあらわす。
温度係数悪い抵抗は、温度変化による抵抗値の変化幅が大きく、
温度係数が優れている抵抗は、温度変化に変化による変化幅が小さい。

もちろん理想は、温度変化に関係なく、常に抵抗値が一定である、ということ。
けれど、そんな理想の抵抗は、世の中には存在しない。
多かれ少なかれ、温度係数が、すべての抵抗に存在する。

とはいっても温度変化による抵抗値の変化は、わずかといえばわずかである。
しかも温度が一定ならば、変化しないわけなのだから、
何が問題なのか? と思われる人もいよう。

アンプ内部に使われている抵抗のほとんどは、音楽信号が通る。
音楽信号はつねに変動している。
その変動する信号が抵抗を通過することによって、
抵抗内部の温度が、わずかながら変化する。

この変化が、音質に影響するのではないか──、という推測である。

レベルの小さな信号が流れているときと、
大きな信号が、それも連続して流れる時とでは、
抵抗内部の温度が変化することは用意に考えられることだ。

けれど、その変化幅はごくわずかのはずだ。
そのごくわずかな変化幅が、どれだけに音に影響するのか。
ほんとうのところは、誰にもはっきりと測定し証明することは、
そうとうに難しいことだろう。

それでも抵抗のW数の大きいモノを使っていくことで得られる音の変化は、
温度係数と深く関係しているのではないか。

そういったことを富田嘉和氏がラジオ技術に発表されていた、と記憶している。
それに、世の中で音がよいと評判の抵抗は、温度係数の優れたモノが多い。

Date: 2月 2nd, 2022
Cate: Glenn Gould, ディスク/ブック

Gould 90(その1)

今年は2022年。
グレン・グールドの生誕90年で、没後40年。

ソニー・クラシカルは、なにか出してくるのだろうか。
それとも2032年の生誕100年、没後50年までおあずけとなるのだろうか。

何も出てこないような気もするけれど、
それでもまぁいいや、と思えるのは、TIDALでMQA Studioで聴けるようになったからだ。

そのTIDALだが、第一四半期に日本でのサービス開始となる、らしい。

Date: 2月 2nd, 2022
Cate: 新製品

新製品(Chord Mojo 2・その1)

ようやくChordのMojo 2が発表になった。

Mojoの登場は2015年だった。
2020年には新型(Mojo 2)が出るのでは、と予想していたけれど、
ようやく今年になっての登場。

詳細はリンク先を読んでいただきたいが、
買い替える人はけっこういるのではないか、と思える変更がなされている。

私にとっては、Mojo 2になってもMQA対応していないので、
いま使っているMojoでしばらくは満足できる。

Polyも、しばらくしたらPoly 2になるのか。
Poly 2でMQA対応となるのか。
それともしないのか。

Chord独自のD/A変換方式で、MQAの音がどうなるのか。
その音が聴ける日は、いつになるのだろうか。

Date: 2月 1st, 2022
Cate: ジャーナリズム, 組合せ

組合せという試聴(その13)

ここでもまたくり返すが、
アンプやスピーカーの試聴が受動的試聴に対し、
組合せの試聴は能動的試聴であり、その組合せをつくる人の思考の可視化なのだが、
残念なことに、いまのオーディオ雑誌に掲載される組合せの記事で、
能動的試聴の結果、と感じられることは、もうなくなってしまった。

組合せの試聴においても、
受動的試聴で聴いていると感じることばかりになっている。
オーディオ評論家を名乗っている人たちは、
能動的試聴と受動的試聴の違いに気づいていないのか。

ここまでは、これまで書いてきたことのくり返し(まとめ)なのだが、
耳に近い(遠い)、心に近い(遠い)という観点からいえば、
受動的試聴は、耳に近い(遠い)の聴き方であって、
能動的試聴は、心に近い(遠い)の聴き方である。

Date: 1月 31st, 2022
Cate: Jacqueline du Pré

Jacqueline du Pré(その2)

2022年の1月も、今日で終り。
他の人はどうだか知らないが、
私は1月が、他の月よりも多少長く感じてしまう。
待ち遠しいと思う日がいくつかあるためだろう。

自分の誕生日がある、ということ。
誕生日は、いくつになってもうれしいものだ。

それだけでなく、私の好きな演奏家、作曲家の誕生日も1月の後半に集まっている。
水瓶座の時期に、いくつもある。

今日はシューベルトの誕生日だし、27日はモーツァルトの誕生日でもあった。
フルトヴェングラーが25日、そして26日はジャクリーヌ・デュ=プレである。

これだけではないけれど、好きな演奏家、作曲家の誕生日近くになると、
あと数日で、デュ=プレの誕生日だな、とおもう。
自動的にそうおもうようになっている。

特にデュ=プレの場合は、いまも生きていたら──、
そんなことを、どうしてもおもってしまう。

1945年生れだから、今年で77だ。
多発性硬化症という病に冒されてなければ、いまも現役だろう。
どんな演奏(録音)を残してくれていただろうか──、夢想する。

そんなことおもったところで……、とはわかっていても、
毎年、この時期になると、そんなことをおもう日々が続く。

26日の夜おそくに、iPhoneのロック画面の写真を替えた。
これまでもデュ=プレの写真にしていた。

今回は若いころのデュ=プレの写真にした。
ショートカットのころのデュ=プレは十八歳前後のはずで、
女学生の雰囲気の写真である。

ステージにいるデュ=プレは、どこかをみている。
バックにはオーケストラがいるのだから、彼女がみているのは、指揮者だろう。

でも、ここ数日、毎日、数回以上、このデュ=プレの写真をみていると、
どこを視ているのだろうか、とおもう。

Date: 1月 30th, 2022
Cate: 欲する

新月に出逢う(その9)

今年も、2月6日(日)から12日(土)まで、
有楽町の交通会館の地下一階ゴールドサロンで、
クラフトアート創作人形展が開催される。

2021年2月12日に、たまたま交通会館の地階にいて、
偶然、Enという人形作家のEleanorという人形と出逢った。

ちょうど新月の日だった。
今年2月の新月は1日だから、会期中に新月はこない。
とはいえ、今年のクラフトアート創作人形展にも、
En氏の作品は展示される。

一週間後が待ち遠しい。

Date: 1月 30th, 2022
Cate: 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏のこと(バッハ 無伴奏チェロ組曲・その8)

ステレオサウンド 53号の4343研究中に登場する試聴ディスクは、
菅野先生録音、オーディオ・ラボの「ザ・ダイアログ」、
それからコリン・デイヴィス指揮のストラヴィンスキーの「春の祭典」(フィリップス録音)、
アース・ウインド&ファイアーの「黙示録」に、
チャック・マンジョーネの「サンチェスの子供たち」である。

どのディスクも当時(1979年)、優秀録音ということで、
ステレオサウンドの別の特集の試聴テストでも、とりあげられていたディスクばかりだ。

私も、当時「黙示録」以外は買って聴いていた。
「ザ・ダイアログ」は日本盤しかないが、
「春の祭典」と「サンチェスの子供たち」は輸入盤だった。

4343研究では、レコード番号も記載されていた。
56号のロジャースのPM510の文章中に出てくるディスクは、
バッハの「無伴奏」、とあるだけだ。

演奏者の名前も、レコードレーベル、番号については何も書かれていない。
同じ56号では、トーレンスのリファレンスの記事も、瀬川先生は書かれている。

そこでは、コリン・デイヴィスの「春の祭典」、
カラヤンの「ローマの泉」についての音の印象が出てくる。

おそらくなのだが、PM510では、「ザ・ダイアログ」は聴かれていない、と思っている。
「ザ・ダイアログ」は別項でも書いているように、この時期、よく聴いていた。
それだけでなくaudio wednesdayでもたびたび鳴らしていた。

でも「ザ・ダイアログ」をPM510で鳴らしたこと、聴いたことはない。
自分のPM510、自分の部屋においてだけ、でなく、
ステレオサウンドの試聴室でもPM510で「ザ・ダイアログ」は聴いていない。

「サンチェスの子供たち」も聴いていない。
「春の祭典」は一回だけかけたことがあるが、
4343で聴くときの音量で鳴らしたわけではなく、ずっと小さな音量で、であった。