憶音という、ひとつの仮説(その3)
「氷点下の三ツ矢サイダー」を飲みながら思い出したことはいくつかある。
菅野先生がコカ・コーラの味について書かれた文章だ。
菅野先生の著作集「音の素描」をお持ちの方ならば思い出されるだろう。
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先日、ちょっと面白い体験をした。他愛のないことなのだが、ご紹介させていただく。喉が乾いたので、麦茶の冷たいのを一杯所望した。物事に夢中になっていたので、娘が持ってきてくれたグラスを確かめないでゴクンと一口やって驚いた。まったく予期せぬ味と香りが私の口の中に拡がったのである。それは、一瞬、私に大きなショックを与えたがそれが何であるかは次の瞬間判明した。コカ・コーラだったのである。しかし、その時のコカ・コーラの味は、私が、ここ長年の間味わっているコカ・コーラの味ではなかった。その味は、今から何年前になるだろう……? そう十五年も前だろうか? 生まれて初めて、アメリカ製の一風変わったコカ・コーラという飲物を味わった時の、あの、いとも奇妙な味、香り、喉薬〝ルゴール〟に似たような薬品臭いそれであった。まさに新奇としかいいようのないその味を、その後、飲み馴れたコカ・コーラからは絶えて久しく味わったことのないものだった。実に驚いたが、次の瞬間、とても懐しかった。麦茶という私の注文を、娘が勝手にコカ・コーラに変えて持ってきたわけだが、私はそれをなじる前に、その懐しい味に大きな興味をもった。なぜ、あの時の初体験のコカ・コーラの味がよみがえったのだろう……と。
そのグラスにコカ・コーラが入っていることを確認した私は、もう一度、その味を味わおうと再びグラスを傾けた。しかし、しかし、二度とその味を味わうことはできなかったのである。二口目以降のコカ・コーラは、まさしく、私の飲み馴れたコカ・コーラであるに過ぎなかったのである。飲み馴れた味のコカ・コーラは、たしかに私にとって、初めて飲んだ時のコカ・コーラよりうまくなったように思う。しかし、初めて飲んだ時の味が、こんなシチュエーションでよみがえろうとは思ってもみなかった。こんなことは、心理学者にとっては当り前のことかもしれないが、私にとっては、多くの興味深い問題を連想させることになったのである。
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菅野先生が、麦茶だと思い込んで飲まれたコカ・コーラが、
「初体験のコカ・コーラ「の味だったのが、
同じコップに入っているにも関わらず、麦茶ではなくコカ・コーラだと認識したあとの二口目以降は、
「飲み馴れたコカ・コーラ」の味に過ぎなかったことを、
「氷点下の三ツ矢サイダー」飲んでいて思い出していた。
私の場合、新商品の「氷点下の三ツ矢サイダー」が初体験の三ツ矢サイダーの味をよみがえらせてくれた。