Posts Tagged タンノイ

Date: 7月 21st, 2014
Cate: ワイドレンジ

ワイドレンジ考(その85)

JBLの4350の最初のモデルは1974年に登場している。
タンノイのKingdomの登場は1996年。
20年以上の開きがある。

いうまでもなくJBLはアメリカ西海岸のメーカー、
タンノイはイギリスのスピーカーメーカー。

ある時期まではクラシックを聴くならタンノイ、
ジャズはJBL、といわれていたこともある。

タンノイとJBLは、数あるスピーカーメーカーの中でも、もっとも比較されることが多い。
それだけ対照的なスピーカーメーカーともいえる。

そのふたつのスピーカーメーカーのフラッグシップモデルで、マーラーが聴きたい、というのは、
あまりにも節操がない、というか、マーラーがわかっていない、と思われるかもしれない。

でも私にとって4350とKingdomは、JBLとタンノイの違い、というよりも、
オーケストラの違いのように感じられて、私のなかでは4350とKingdomが矛盾することなく存在している。

JBLはやはりアメリカのオーケストラといえるし、
タンノイはヨーロッパのオーケストラといえる。

そういえばバーンスタインはコロムビアにマーラーの交響曲を録音したとき、
オーケストラはニューヨークフィルハーモニーだった。
この録音から約20年後、ドイツ・グラモフォンでのマーラーでは、
オーケストラをひとつに固定せずに、ニューヨークフィルハーモニーのほかに、
ウィーンフィルハーモニー、アムステルダム・コンセルトヘボウオーケストラを指揮している。

Date: 7月 17th, 2014
Cate: 日本のオーディオ

山水電気のこと(その2)

「世界のオーディオ」が刊行されていたころは、ちょうどJBLが日本市場で爆発的に売れていた時期でもある。
ペアで100万円をこえる4343が、信じられないほど売れていた時期だけに、
JBL号が出ないのがなんとも不思議だった。出ていたら売れていたはずなのに……。

だから、この疑問もステレオサウンドで働くようになって、
編集部の先輩にきいた「なぜJBL号を出さないんですか」と。

返ってきた答は、編集という仕事についたばかりで、
出版がどういうものなのかもほとんどわかっていなかった私には、いささか驚きのものだった。
「サンスイがお金を出さないからだよ」

いわれてみると「世界のオーディオ」には広告が載っていない。
入らない、ともいいかえられる。

どのメーカー、輸入商社が、他社だけを取り上げている別冊に広告を出すだろうか。
広告がどれだけの比重なのかをまったく考えていなかった私は、
いわれてみればそうだ、と理解しながらも、
サンスイはサンスイ号とJBL号、二冊分の予算を用意しなかったんだ……、と思っていた。

メーカー、輸入商社がどれだけ出していたのか、それは知らないし、特に興味はなかった。
ただいまふり返って思うのは、サンスイとティアックについて、である。

ティアックはタンノイ号を優先した。
ティアック号は出なかった。ティアック号が出てもおかしくはないし、
むしろティアック号が出なかったことが不思議でもある。

ようするにティアックはタンノイを優先した。
サンスイはJBLよりも自社のことを優先した。

当時タンノイも売れていただろうが、
JBLの売行きはそれ以上で、売上高では比較にならないほどだったと思う。
それだけ売れていたJBLの本に対しての山水電気の態度、
それに対してティアックのタンノイの本に対する態度。

この違いが、ティアックは健在でサンスイがこうなってしまったことと、決して無関係とは思っていない。

Date: 7月 17th, 2014
Cate: 日本のオーディオ

山水電気のこと(その1)

山水電気の倒産がニュースになっている。
二年ほど前だったか、事実上倒産状態になっているというニュースが流れていたから、
今回のニュースにさほど驚きはなかった。

twitter、facebookのタイムラインでも、サンスイの倒産は話題になっていて、
あえて検索しないでも、今回の倒産に関してのいくつかの記事へのリンクが表示される。
いくつか読んだ。
なぜ山水電気が倒産したのかについての考察もあった。食い足りなかった。

この記事を書いた人はオーディオマニアじゃないんだな、ということが伝わってくるし、
もしオーディオに関心をもっていた(いる)人であったとしても、
サンスイの製品を実際に見て触って聴いてきた人ではないな、という感じがした。

私にとっての最初で最後のサンスイの製品はAU-D907 Limited。
それから1982年から丸七年間、サンスイのあらゆる製品を見て触って聴いてきた。

それらのことを今回の倒産と結びつけて書こうと思えば書けるのだが、
ここで書くのはまったく違った視点からである。

1970年代後半、ステレオサウンドは「世界のオーディオ」という別冊を出していた。
ラックスから始まり、マッキントッシュ、サンスイ、アルテック、ビクター、パイオニア、テクニクス、
ソニー、オンキョー、タンノイと続いてた。

私はJBLが出るのを期待していた。
が結局、タンノイ号で最後になってしまった。

Date: 7月 15th, 2014
Cate: ワイドレンジ

ワイドレンジ考(その84)

タンノイのKingdom(現行製品のKingdom Royalではない)は、
いまでも気になるパワーアンプが新製品として登場してくると、
このアンプで鳴らしてみたら、どんな感じになるのか、とつい想像してしまうほどに、
いまも気になっているスピーカーシステムのひとつである。

このKingdomは、私にとってJBLにとっての4350という存在と重なってくる。
いわばタンノイにとっての4350的スピーカーシステムが、Kingdomとうつる。

そして私の中では、マーラーを聴くスピーカーシステムとして4350を筆頭にしたいというおもいが、
いまもあって、これはなにも私がマーラーを聴きはじめたころと密接に関係してのことだから、
4350がマーラーを聴くのに最適のスピーカーシステムだというつもりはない。

それでも私にとって4350の特質をもっとも引き出してくれると感じているのが、
4350と同時代に盛んに録音されるようになってきたマーラーの交響曲だと感じている。

このことはどの時代の録音でマーラーで聴くのか、
誰の指揮でマーラーを聴くのか、とも関係しているのだが、
新しいスピーカーシステムでマーラーを聴いた時に感じる何かが不足している、と思えてしまう。

それは見事な音で再生されればされるほど、その不足しているものが気になってくる。
それがJBLの4350にはあると感じられるし、タンノイのスピーカーシステムではKingdomということになる。

激情が伝わってくる音で私はマーラーを聴きたい、
それもワイドレンジの音で、
ということになるから4350、Kingdomがいつになっても私の中から消え去ることがない。

Date: 9月 17th, 2008
Cate: 五味康祐, 瀬川冬樹

S氏

五味先生の著作の中に登場するS氏は、齋藤十一氏のことである。 

昭和27、29年ごろ、五味先生、瀬川先生、菅野先生は、
齋藤邸のリスニングルームでタンノイの音を、はじめて体験されている。

瀬川先生は、ステレオサウンド刊「世界のオーディオ TANNOY」に、その日のことを書かれている。
     ※
 はじめてタンノイに音に感激したときのことはよく憶えている。それは、五味康祐氏の「西方の音」の中にもたびたび出てくる(だから私も五味氏にならって頭文字で書くが)S氏のお宅で聴かせて頂いたタンノイだ。
 昭和28年か29年か、季節の記憶もないが、当時の私は夜間高校に通いながら、昼間は、雑誌「ラジオ技術」の編集の仕事をしていた。垢で光った学生服を着ていたか、それとも、一着しかなかったボロのジャンパーを着て行ったのか、いずれにしても、二人の先輩のお供をする形でついて行ったのだが、S氏はとても怖い方だと聞かされていて、リスニングルームに通されても私は隅の方で小さくなっていた。ビールのつまみに厚く切ったチーズが出たのをはっきり憶えているのは、そんなものが当時の私には珍しく、しかもひと口齧ったその味が、まるで天国の食べもののように美味で、いちどに食べてしまうのがもったいなくて、少しずつ少しずつ、半分も口にしないうちに、女中さんがさっと下げてしまったので、しまった! と腹の中でひどく口惜しんだが後の祭り。だがそれほどの美味を、一瞬に忘れさせたほど、鳴りはじめたタンノイは私を驚嘆させるに十分だった。
 そのときのS氏のタンノイは、コーナー型の相当に大きなフロントロードホーン・バッフルで、さらに低音を補うためにワーフェデイルの15インチ・ウーファーがパラレルに収められていた。そのどっしりと重厚な響きは、私がそれまで一度も耳にしたことのない渋い美しさだった。雑誌の編集という仕事の性質上、一般の愛好家よりもはるかに多く、有名、無名の人たちの装置を聴く機会はあった。それでなくとも、若さゆえの世間知らずともちまえの厚かましさで、少しでも音のよい装置があると聞けば、押しかけて行って聴かせて頂く毎日だったから、それまでにも相当数の再生装置の音は耳にしていた筈だが、S氏邸のタンノイの音は、それらの体験とは全く隔絶した本ものの音がした。それまで聴いた装置のすべては、高音がいかにもはっきりと耳につく反面、低音の支えがまるで無に等しい。S家のタンノイでそのことを教えられた。一聴すると、まるで高音が出ていないかのようにやわらかい。だがそれは、十分に厚みと力のある、だが決してその持てる力をあからさまに誇示しない渋い、だが堂々とした響きの中に、高音はしっかりと包まれて、高音自体がむき出しにシャリシャリ鳴るようなことが全くない。
 いわゆるピラミッド型の音のバランス、というのは誰が言い出したのか、うまい形容だと思うが、ほんとうにそれは美しく堂々とした、そしてわずかにほの暗い、つまり陽をまともに受けてギラギラと輝くのではなく、夕闇の迫る空にどっしりとシルエットで浮かび上がって見る者を圧倒するピラミッドだった。部屋の明りがとても暗かったことや、鳴っていたレコードがシベリウスのシンフォニイ(第二番)であったことも、そういう印象をいっそう強めているのかもしれない。
 こうして私は、ほとんど生まれて初めて聴いたといえる本もののレコード音楽の凄さにすっかり打ちのめされて、S氏邸を辞して大泉学園の駅まで、星の光る畑道を歩きながらすっかり考え込んでいた。その私の耳に、前を歩いてゆく二人の先輩の会話がきこえてきた。
「やっぱりタンノイでもコロムビアの高音はキンキンするんだね」
「どうもありゃ、レンジが狭いような気がするな。やっぱり毛唐のスピーカーはダメなんじゃないかな」
 二人の先輩も、タンノイを初めて聴いた筈だ。私の耳にも、シベリウスの最終楽章の金管は、たしかにキンキンと聴こえた。だがそんなことはほんの僅かの庇にすぎないと私には思えた。少なくともその全体の美しさとバランスのよさは、先輩たちにもわかっているだろうに、それを措いて欠点を話題にしながら歩く二人に、私は何となく抵抗をおぼえて、下を向いてふくれっ面をしながら、暗いあぜ道を、できるだけ遅れてついて歩いた。
     ※
「編集者 齋藤十一」という単行本が、冬花社から出ている。
愛聴レコードリストも載っている。

Date: 9月 8th, 2008
Cate: LS5/1A, ワイドレンジ

ワイドレンジ考(その7)

アルテックの604シリーズは、38cmコーン型ウーファーとホーン型トゥイーターの同軸型で、
クロスオーバー周波数は、モデルによって多少異るが1.5kHz前後。 
中高域はマルチセルラホーン採用なので、水平方向の指向性は十分だろう。 
問題はクロスオーバー周波数から1オクターブ半ぐらい下までの帯域の指向性だろう。 
実測データを見たことがないのではっきりしたことは言えないが、
604の、このへんの帯域の指向性はあまり芳しくないはず。 

BBCモニターのLS5/1Aは、
38cmウーファーとソフトドームのトゥイーター(2個使用)の2ウェイ構成で、クロスオーバーは1.75kHz。
当時すでにBBCの研究所では指向性の問題に気がついており、
ウーファーをバッフルの裏から固定し、バッフルの開口部は円にはせずに、
横幅18cm、縦30cmくらいの長方形とすることで、水平方向の指向性を改善している。 
ユニークなのは、30cm口径よりも38cm口径のほうが、高域特性に優れている理由で採用されていること。 

1980年ごろ登場したチャートウェルのPM450E(LS5/8)は30cm口径ウーファーだが、
バッフルの裏から固定、開口部はやはり長方形となっている。 
LS5/8のネットワーク版のロジャースPM510も、初期のモデルでは開口部は長方形だ。

アルテックがスタジオモニターとして役割を終えた理由として、いくつか言われているが、
指向性の問題もあったのではないかと思う。 
同じことはタンノイの同軸型ユニットについても言える。

Date: 9月 6th, 2008
Cate: 五味康祐

そんなことはない

家族の犠牲の上で成り立っていた──、そういうふうに五味先生のオーディオを捉えている人がいる。 
そんなことはない。 

亡くなられた後に読売新聞社から出た「いい音いい音楽」に収められている
五味由玞子氏の「父と音楽」を読んでほしい。 
いくつか書き写しておく。 
     * 
夢中になると、父は一晩中でも音楽を鳴らしている。母と私は、真夜中、どんなに大きな音で鳴っていようと、目を覚ますことはない。時折り今でも、父の部屋で音楽をかけるのだが、不思議と私はよく、絨毯の上にころりと横になりねむってしまう。たとえようのない安らぎがそこにはある。そこには父がいる。 
母は音楽を聴いているときの父がいちばん好きだという。 
 
父が音いじりをするとき、また、テープを編集するときは、たいがい、だぼだぼのパジャマに母お手製の毛糸で編んだ足袋。冬には、駱駝色のカーディガンを羽織り、腰紐を締め、木樵のおじさんのような恰好で、蓬髪おかまいなく、胡坐をかいて一心に、テープを切ってつないだり、コードを差し換えたりしている。短気のせいか、無器用なのか、うまくいかないとよくヒステリーをおこし、ウォーッとか、エーイといった奇声が居間に聞こえてくる。すると、私と母は、またやっている、と目を見合わせほほえむ。試行錯誤の結果、気に入った音がでたときは、それはもう大喜びで、音楽にのって、親愛なるタンノイの前で踊っている。たまらなく幸福そうな表情で、そんな顔が私はいちばん好きであった。 

父は、ひとくちに言ってしまえば、純真な音キチである。いい音を求め、音楽を愛した一人の青年である。私はこの父の娘として生まれて本当に幸福であった。心からの感謝を献げたい。そして、これからも、すばらしい音楽を心をこめて聴いてゆきたい。音楽は、なにものにもかえがたい父の遺産なのだから。
     *
3箇所書き写した。
これらを読んでもなお「家族の犠牲の上に成り立っていた」としか思えないのであれば、
そんな人はオーディオを通して音楽を聴くことはやめたほうが賢明である。