2024年をふりかえって(その3)
audio wednesdayで音を鳴らすようになったこともあって、
今年はメリディアン のUltra DACを三回聴くことができた。
3月、6月、11月の三回だ。
このことも今年をふりかえって、嬉しかったことのひとつとして挙げたい。
audio wednesdayで音を鳴らすようになったこともあって、
今年はメリディアン のUltra DACを三回聴くことができた。
3月、6月、11月の三回だ。
このことも今年をふりかえって、嬉しかったことのひとつとして挙げたい。
2020年12月、喫茶茶会記の閉店・移転に伴い、
audio wednesdayもいったん終了した。
2022年9月から再開したaudio wednesdayだけれど、
くり返し書いてきているように、どこか特定の場所を確保して、というわけではなかった。
とりあえず継続させていこう──、そこにとどまっていた。
なので以前のように音を出すことはできないでいた。
それが今年から大きく変った。
また音を鳴らせる。
聴いてもらえる。
このことの楽しさ、喜びはやってみればわかる。
確かに面倒なことは、常にある。
特にスピーカーをどうするかは、悩むところだった。
それでも毎回終ると、やってよかった、と思える。
喫茶茶会記からの常連の人たちも来てくれるし、
新しく常連となられた方たちもおられる。
これまでオーディオに関心のなかった人が、関心を持ってくれるようになったのは、
本当に嬉しいことだ。
今年はあと一回ある。
すでにスピーカーは搬入済みだから、気が楽だ。
12月に鳴る音も、個人的に楽しみにしている。
とにかく音を鳴らせるaudio wednesdayが、始められた。
そういう一年だった。
来年も続いていく。
2012年12月に、別項にこう書いた。
ステレオサウンド 61号の編集後記に、こうある。
*
今にして想えば、逝去された日の明け方近く、ちょうど取材中だったJBL4345の組合せからえもいわれぬ音が流れ出した。この音が先生を彷彿とさせ、話題の中心となったのは自然な成り行きだろう。この取材が図らずもレクイエムになってしまったことは、偶然とはいえあまりにも不思議な符号であった。
*
この取材とは、ステレオサウンド 61号とほぼ同時期に発刊された「コンポーネントステレオの世界 ’82」で、
井上先生による4345の組合せのことである。
この組合せが、この本の最初に出てくる記事にもなっている。
ここで井上先生は、アンプを2組選ばれている。
ひとつはマランツのSc1000とSm700のペア、もうひとつはクレルのPAM2とKSA100のペアである。
えもいわれぬ音が流れ出したのは、クレルのペアが4345に接がれたときだった、ときいている。
このときの音については、編集後記を書かれたSさんにも話をきいた。
そして井上先生にも直接きいている。
「ほんとうにいい音だったよ。」とどこかうれしそうな表情で語ってくれた。
もしかすると私の記憶違いの可能性もなきにしもあらずだが、
井上先生は、こうつけ加えられた。
「瀬川さんがいたのかもな」とも。
このことがあったから、今回、パワーアンプはクレルのKSA100にした。
Hさんは、クレルのパワーアンプを他にも持っている。
KMA200とKMA100である。
その中でKSA100を持ってきてもらったのは、上記の引用が理由だ。
しかも井上先生の4345の組合せの試聴は1981年の11月6日。
このころの井上先生のことだから、試聴がはじまったのは、
早くても夕方から、大抵は夜になってからで、
4345から《えもいわれぬ音》が鳴ってきたのは、
翌7日の朝早い時間のはず。
今回のaudio wednesdayも11月6日。
無理なこととはわかっていても、できれば朝方まで鳴らしたかった。
11月6日のaudio wednesdayで鳴らしたJBLの4343は、
宇都宮に住むHさんのモノである。
彼は四谷三丁目の喫茶茶会期からの常連で、当時は愛知、兵庫から来てくれていた。
audio wednesdayが終ったあと、新宿から深夜バスで帰り、
翌日は、もちろん朝から仕事。若いなぁ──、と思っていた。
彼はまだ30代。今は宇都宮なので、アンプやスピーカーを、
audio wednesdayに持ってきてくれる。
クレルのKMA200、アポジーのDuetta Signatureも、
彼の私物である。
彼が4343を一人でクルマに積み、運んできてくれた。
クルマの後ろの扉を開ける。
横置きで積まれた4343の底板が見える。
4343は1976年登場で、1981年くらいまで製造されていた。
四十年から五十年近く経っているわけだから、
新品同様ということはまずない。
底板は、調整の際、動かすわけだから、多少なりとも傷が残る。
そんな底板を見た時は、それだけの年月が経っていることを感じていた。
それでも運び込み設置。
アンプやその他の器材もセットして結線して──、
けれどすでに書いたように予想外の不具合が発生して、
4343からやっと音が鳴ってきたのは、けっこう時間が経っていた。
やっと落ち着いてソファーに座り、音をきちんと聴く。
その時改めて、4343はスーパースターだ、と、感じていた。
佇まいが、そうだった。
お互い歳をとったけれど、4343はやはりスーパースターのままだった。
様になるスピーカーのままだった。
昨晩のaudio wednesdayは、JBLの4343を鳴らした。
予想できなかった、しかも初めての不具合の解消にかなり時間をとられて、
十全な調整が行えたわけではなかったが、
自己採点ではあるが、まあうまくいったと思っている。
それにしても今回の不具合の原因は、意外なところにあって、
それゆえに手間取ったわけだが、大きな経験にもなった。
4343を自分の手で鳴らすのは、ステレオサウンドにいたから以来だから、ほぼ四十年ぶり。
4343の音を聴いたのは2005年、
早瀬文雄さんのリスニングルーム以来である。
1976年に登場した4343だから、五十年近く前のスピーカーとなる。
古いスピーカーといえば、確かにそうなのだが、
だからといって、その一言で切って捨てられるほど、
軟弱なスピーカーではない。
いつもは端っこで聴いているのだが、
今回だけはいちばんいいポジションで聴いていた。
書きたいことはもっとある。
それは個人的な想いばかりだから、この辺にしておく。
12月4日のaudio wednesdayは、
現代音楽をBOSE 901で聴く、がテーマである。
10月に予定していたが諸事情で12月に延期。
現代音楽にうとい私だから、選曲は常連のHさんにお願いした。
なので当日は、私はいつもと違い聴く側にまわれる。
アンプはマッキントッシュのMC275を予定している。
別項で聞いたことがあるように、ステレオサウンドの試聴室で、
CDプレーヤーをMC275に接続し、901を鳴らしたことがある。
その音の記憶があっての、もう一度、聴いてみたいと常々思っていた。
今回は901だけでなく、エラックのトゥイーターも使う。
どんなふうに変化するのか、それも楽しみにしている。
あとひとつ、これは当日、実際に試してみないことにはうまくいくのかどうか、
なんともいえないが、考えていることがある。
そういうことを含めて現代音楽を聴いていく。
明日(11月6日)のaudio wednesdayは、JBLの4343を鳴らす。
パワーアンプは、クレルのKSA100。
D/Aコンバーターは、メリディアンのUltra DACだ。
書きたいことはいっぱいあるけれど、もう書かなくてもいいだろうという気持も強い。
明日、鳴らすだけであるため
開始時間は19時。終了時間は22時。
開場は18時から。
会場の住所は、東京都狛江市元和泉2-14-3。
最寄り駅は小田急線の狛江駅。
参加費として2,500円いただく。ワンドリンク付き。
大学生以下は無料。
オーディオというシステムのデザインの中心は、コントロールアンプだ、と書いた。
そう考えている私なのだが、自分のシステムに常にコントロールアンプが存在していたわけではない。
いわゆるパッシヴフェーダーを使っていた時期が、二年ほどあった。
そのころはCDばかりだったからではなく、
アナログプレーヤーは、トーレンスの101 Limitedで、
イコライザーアンプを搭載していただけでなく、
CDプレーヤーのスチューダーのA727、どちらもトランスによるバランス出力を備えていたから、
ドイツのエッグミラーのH型を使っていた。
オーディオというシステムのデザインの中心──、
そういうことはまったく考えていなかった時期でもある。
だからといって、個々のオーディオ機器のデザインについては、
あれこれ言ったり思うところもあったりしていたのだから、
いまから見ると、未熟だったなぁ、とも思う。
ラジオ技術が、いよいよ終りを迎えそうである。
私の中では、終りを迎えている──、
そんな受け止め方をすでにしているが、
どうみても、復活することはないように感じている。
それもきちんとした終りではなく、振り返って、
あれが終りだったのか……、そんな感じにもなりそうである。
個人的には復活してほしい、と思っている。
まだ休刊しているわけではないから、
復活というのはおかしいだろうと指摘があるだろうが、
やはり「復活」である。
音の姿勢と音の姿静。
10月20日の野口晴哉記念音楽室 中秋会での594Aの音を聴いて、
音の姿勢と音の姿静が、呼吸のように聴こえてきた。
2020年は11月8日から、
2021年は11月1日から、
2022年は11月10日から、
2023年は11月1日から、それぞれこの項を書き始めている。
今年は今日(11月2日)から。
まだ二ヵ月あるから、何が起こるか(起こらないか)は、
まったくわからないけれど、それでもひとつ思っているのは、
オーディオ関係の友人、仲間、知人で亡くなった人がいないことだ。
昨年は、同世代の友人(オーディオ仲間でもある)が亡くなった。
私より少し年上のオーディオ関係の知人、仲間も亡くなった。
だから今年は、誰も亡くなっていないことが、ほっとする。
これから先、何年生きているのかはわからない。
私よりも先に亡くなるオーディオ関係の友人、仲間、知人がいることだろう。
人はみな死んでいくのだから、
嘆いたりはしないが、一人去り、また誰かが去り……、
最後の独りになる可能性もある。
菅野先生が「みんないなくなったよ……」と呟かれたことがあった。
岩崎先生が亡くなり、瀬川先生も、その四年後に──、
1990年代になり、また一人、また一人──と、
菅野先生の周りにいてオーディオ評論家として活躍されていた人が去った。
ながく生きるとは、そういうことでもある。
アナログディスクを再生することはめっきり減ったのは、
MQAが登場したから、と私の場合はそうである。
いま手元に三台のアナログプレーヤーがあるけれど、ほとんど稼働していない。
メインは、Wilson BeneschのCircleなのだが、
これすらも、ほぼ使っていない──、そんな状況だ。
なので6月末に引越ししてからも、アナログプレーヤーの設置は後回しにしていた。
昨晩、そろそろやるか、とふと思い立って、
ここだな、といえる場所に設置。
その際、今年、ヤフオク!で落札したジュエルトーンのガラス製ターンテーブルシート、GL602Jと組み合わせてみた。
Circleに付属していたのは、粗い感じのフェルトで、
ここだけターンテーブルプラッター、トーンアーム、ベースの質感と、
少しだけ違和感があった。
それを交換したわけだが、それほど期待していたわけではなかったのに、
GL602JをCircleに乗せた瞬間、カッコよくなった、と感じた。
Circleのプラッターは半透明のアクリル製で、
モーターやインナープラッターなどが、
ぼんやりとだが、透けて見える。
いままではフェルトだったから、普段は見えなかった。
GL602Jにすると、そのままというわけではないが、
いい感じで透けて見える。
これが、けっこういい感じで、新鮮なのだ。
改めて、Circleはカッコいいプレーヤーだな、と見直している。
ラドカ・トネフの“FAIRYTALES”。
このアルバムも、QobuzでもMQAで配信されている。
《自分自身の神性の創造》、
このことを念頭において、手塚治虫の「火の鳥」に「鳳凰」編を読んでほしい。
《自分自身の神性の創造》に必要なのは、
名声なのか、ふたつの腕なのか、恵まれた環境なのか。