日本のオーディオ、日本の音(その20)
ソニーのTA-NR10とマークレビンソンML2(No.20)の比較については、
まだまだ、細々と書いていきたいことがあるけれど、
それを全部書いていると、この項がなかなか先に進めなくなるので、このへんにしておく。
TA-NR10とML2(No.20)を比較していくと、
多少強引ではあると自分でも思うのだが、ヤマハのピアノとスタインウェイのピアノの比較と、
どこか通じているものがある、と私は感じている。
ヤマハのピアノには、スタインウェイのピアノやベーゼンドルファーのピアノにある、
聴けばすぐに印象として残る音色の強さ、といったものがない。
ピアノを弾かない聴き手にとって、スタインウェイやベーゼンドルファーのピアノは、
音色の魅力にあふれているようにも聴こえ、それだけヤマハのピアノよりも魅力的に思えてくる。
だから、どこかにヤマハのピアノよりも、スタインウェイ、ベーゼンドルファーのピアノのほうが上、
といつしか思い込んでしまうようになっている。
グレン・グールドがヤマハのピアノを選ぶよりも前に、
カッチェン、リヒテルがヤマハのピアノを、スタインウェイやベーゼンドルファーではなく、選択している。
そういうことも知識としては持ってはいても、
やはりどこかスタインウェイ、ベーゼンドルファーの方が上だと思い込みたい気持がある。
そんな気持があるからこそ、ベーゼンドルファーがスピーカーを発表したとき、心ときめかす。
ヤマハもピアノをつくっているし、スピーカーもずいぶん昔からつくっている。
なのに、ヤマハのスピーカーに対して、ベーゼンドルファーのスピーカーほどの思い入れがもてない。
そこには、ヤマハのピアノの完成度とヤマハのスピーカーの完成度の違いということも関係しているけれど、
ただそれだけのことでもない。
(その4)で引用した菅野先生の言葉にもあるように、
欧米文化へのコンプレックスをとおして、ヤマハとスタインウェイをくらべていた可能性がある。
ピアノだけではない、スピーカーに関してもアンプに関しても、である。