オーディオと「ネットワーク」(編集について・その9)
Twitterを始める理由は、ここに書いている。
自発的に始めたわけではなかった。
始める前は、どこがおもしろいんだろう、とやりもせずにそんなふうに思っていたのに、
1ヵ月、2ヵ月と続けていくうちに、変っていく。
Twitterはアカウントを作られなくとも、読むだけだったらできる。
そうしている人も、けっこういると聞いている。
読むだけでも面白いけれど、やはりアカウントを作ってみなければ、と思う。
Twitterをやっていくうちに思い出したのは、黒田先生が、モーストリークラシックに書かれた最後の文章だ。
ここで書いていることのくり返しになるが、
情報と情報擬きについて、書かれた文章だ。
Twitter、ブログ、掲示板、それに企業、団体、個人のウェブサイト、
これらに表示される言葉の量は、印刷物の言葉の量を超えているかもしれない。
それでもネットから得られるものに対して、いまだ懐疑的な人がいる。
きちんとした会社や団体のウェブサイトならまだしも、
誰がやっているのかはっきりしない個人サイトやブログ、匿名の掲示板、
それにTwitterなどに書かれていることなんて……見方をしている人は、
黒田先生の「情報と情報擬き」について書かれた文章を、ぜひ一度読むべきである。
モーストリークラシックの2009年7月号に載っている。
たしかにそこ(インターネット)に溢れている言葉は、玉石混交だ。
情報擬きもずいぶんと多い。
けれど「情報」が増えてきていることも確かである。