AAとGGに通底するもの(その17)
アリス・アデールのピアノによる「フーガの技法」の最初の一音を聴いて、そしてもう一音が鳴ったときに、
「グールドだ!」と感じてしまったときに、聴いていたのは、所有するスピーカーシステムであり、
自分の部屋において、である。
これがもし、(その5)に書いたスピーカーシステムで、
味気ない奇妙な世界を感じさせる音で聴いていたら、
はたしてアデールの「フーガの技法」を聴いて、どう感じただろうか。
「グールド!」とは思わなかった、はずだ。
そればかりか、アデールの「フーガの技法」を素晴らしいとも思わなかった可能性、
──というよりも怖ろしさもある。
つまり、グールドのゴールドベルグ変奏曲を、アップライトピアノのように聴かせ、
グールドの不在をも意識させてしまうような音は、
それがどんなに情報量の多い音であったとしても、
「音楽の姿」を聴き手に、できるだけ正確に伝えようとする音ではない、と断言できる。
肉体を感じさせる音、とは、まずは、音の姿をありのまま伝えようとする音でなければならない。