ブラームス 弦楽六重奏曲第一番 第二番(その12)
ラルキブデッリによるブラームスの弦楽六重奏曲を聴きおわって、
一人でよかった……、と思っていた。
聴きおわって、鏡を見たわけではないがもしかすると赤面していたかもしれない。
誰かといっしょに聴いていたとしても、
隣にいる人が、私の心の裡までわかるわけではない。
それでも一人でよかった。
悟られなくてよかった……、と思っていた。
まぶしすぎて直視できない──、
そんな表現があるが、それに近い感じでもあった。
青々とした(緑が濃すぎる)ジャケットそのままの演奏を、
どこかうらやましくも感じていたのかもしれない。
若いな──、と感じていたのではない。
こういう青春は私にはなかったぁ……、
そんなおもいがどこからかわきあがってきた。
そしてしばらくして、ここに書いてきた同級生のことを思い出していた。
彼らは、ラルキブデッリによるブラームスの弦楽六重奏曲を、どう聴くのだろうか。
いい曲ですね、いい演奏ですね、
そういう感想なのかもしれない。
彼らがどういう感想を持つのかはなんともいえないが、
私のように、まぶしすぎて直視できない的な感覚はないのではないか。
ラルキブデッリによるブラームスの弦楽六重奏曲は、もう聴いていない。
一回だけ聴いて、二回目はまだである。
一回目と同じように感じるとはいえない。
また違うことを感じるのかもしれない。
でも、まだ聴こうとはなかなか思えない。
いつか聴く日が訪れるのか、それとも二回目はないのか。
青春が遠い遠い彼方に感じられた日に聴くのだろうか。