ブラームス 弦楽六重奏曲第一番 第二番(その11)
青春とは、いったいいつのことを指すのだろうか。
辞書には、《若く元気な時代。人生の春にたとえられる時期》とある。
具体的な数字で、いつからいつまでとは記していない。
心の持ちよう、ともいわれる。
そうだろうとは思うのだけれど、
一般的な意味での青春とは、やはり中学生、高校生のころだろうか。
多感な時期ともいわれる。
多感な青春時代、ともいう。
ほんとうにそうだろうか、と思うところが私にはある。
多感な時代を送ってこなかったのかもしれないが、
そのころ多感だったかどうか、自分で判断することだろうか。
とにかく青春時代、
この項でこれまで書いてきたM君、T君、A君は、
それぞれに青春時代を謳歌していたのかもしれない。
青春時代の謳歌、といっても、
部活動に励み、勉強にも励み、
友人も多く、時には恋もして──、というようなのを、そういいたいわけではない。
目標を立てて、そこに向っていくことを、青春の謳歌といいたい。
M君、T君、A君は、そういうところでの謳歌のような気がしてならない。
どちらがほんとうの青春の謳歌だ、なんてことをいいたいわけではない。
私は、どちらの青春の謳歌も、ほぼ無縁な中学、高校時代をおくってきた。
そんな私が、ラルキブデッリによるブラームスの弦楽六重奏曲を聴いて、
青春時代とは──、そんなことをおもってしまった。
むせかえるような濃密な芳香を、そこに感じたからである。
聴いていて、どこか気恥ずかしいものも感じていた。