ベートーヴェン ピアノ協奏曲全集(その7)
児玉麻里とケント・ナガノのベートーヴェンのピアノ協奏曲は、
第一番を、先日のaudio wednesdayでもかけた。
別項「喫茶茶会記のスピーカーのこと」でふれたように、
この日の音は、いままで鳴らした音のなかでも、かなりひどかった。
それにくわえて時間の余裕もなかった。
SACDが、こんなにひどい音で鳴るのか──、
児玉麻里とケント・ナガノのベートーヴェンを鳴らすのはやめようかな、とも思うほどだった。
ほんとうはSACDとして鳴らしたかった。
でも、その状態の音では鳴らしたくなかった。
結局メリディアンの218を通して、CDとして鳴らした。
もう期待はなかったのだが、
鳴ってきた音は、ひどい状態の音であっても、
動的平衡の音の構築物の片鱗の、そのまた片鱗くらいは感じさせてくれた。
あの日、菅野先生のリスニングルームで体験した音の構築物という感じが、
多少なりとも響いてくれた。
ただ質は、それに伴っていなかったし、大半は構築物が崩れているようにも感じてもいた。
ほとんどの人が、この音を聴いたら、ひどい音ですね、ときっというだろうし、
児玉麻里とケント・ナガノの、この演奏を初めて聴く人は、
録音がいいとも感じなかったかもしれない。
それでも、私はちょっとだけ、ほっとしていたし、
そこで目の前に展開していると感じる音の構築物に浸っていた。
きわめて主観的な聴き方であって、
誰かに理解してもらおうとはまったく思っていない。
同じように感じる人もいるかもしれない。
ひどい音と、切って捨てる人もいるはずだ。
音楽をオーディオを介して聴く、ということは、つまるところ、そういうことのはずだ。
もっといえば、ベートーヴェンをそうやって聴くということは、
まさしく、そういうことである、と信じている。