Date: 9月 20th, 2019
Cate: 音楽性
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「音楽性」とは(を考えていて思い出したこと・その4)

鐘の音といえば、ベルリオーズの幻想交響曲の第五楽章で鳴る。
とはいえ、実際のコンサートで鐘を鳴らすこともあるようだが、
チューブラーベルで代用されることも多い。

録音では、古いものだとチューブラーベルが大半だが、
1980年代ごろからか、実際の鐘を使った録音が増えてきているようだ。

広島の平和の鐘を使ったのが、アバドの幻想交響曲である。
デジタルで信号処理をして、ピッチを変えている。

幻想交響曲をそれほど聴いているわけではないが、
アバドの演奏での鐘の音は、聴き手のこちらが日本人だからということではなしに、
いいと思う。

アバドがなぜ広島の平和の鐘にこだわったのか、その理由までは知らない。
それでも、アバドの演奏での、広島の平和の鐘の響きは、美しいと感じる。

幻想交響曲での鐘の音と、ヨッフムのレクィエムにおける鐘の音は別ものである。
幻想交響曲では、スコアにそれが書かれている。

レクィエムには、そんなことは書かれていない。
ヨッフムのレクィエムでは、あくまでも始まりをつげる鐘でしかない。

にも関らず、その鐘の音に身の凍るような思いがするのは、どうしてなのか。

アバドの幻想交響曲はデジタル録音で、当時優秀録音ということで話題にもなったし、
ステレオサウンドの試聴でも、けっこうな回数、使われている。

ヨッフムのレクィエムは1955年のライヴ録音で、しかもモノーラルである。
優秀録音というわけでもない。

それでも、冒頭の鐘の音が、うまく鳴ってくれる(響いてくれる)と、
もうそれだけでぞくぞくする、そして身の凍るような思いがする。

幻想交響曲の鐘の音には、音楽性がある、といえよう。
ヨッフムのレクィエムでの鐘の音には、音楽性はない、といえよう。

なのに、私が聴きたい(うまく鳴らしたい、響かせたい)のは、
ヨッフムのレクィエムでの鐘の音である。

考えれば考えるほど、おかしな話ではないか。

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